邪馬台国 の検索結果:
…みなり) 邪馬壱国(邪馬台国) 官:伊支馬(いきま)、弥馬升(みましょう)、弥馬獲支(みまかくき)、奴佳鞮(なかてい) 対立国 狗奴国 男王:卑弥弓呼(ひみきゅうこ)、官:狗古智卑狗(くこちひく) 魏の人物 皇帝 明帝(曹叡 そうえい)、斉王(曹芳 そうほう) 魏の官吏 帯方太守劉夏(りゅうか)、帯方太守弓遵(きゅうじゅん)、建中校尉梯儁(ていしゅん)、帯方太守王頎(おうき)、塞曹掾史張政(ちょうせい) 参考 魏志倭人伝 - Wikipedia 石原道博編訳「新訂 魏志倭人伝…
…出雲に来た、少彦名命(すくなびこなのみこと)にあやかった命名のよう。 つまり少彦男心命は、海を渡った存在であることが表されてるでしょう。難升米のイメージにぴったり。 というわけで日本書紀に出てくる皇族の少彦男心命は、魏志倭人伝の難升米かもしれませんよ。 ポチされたすかり 関連記事 ・ホケノ山古墳の主はやっぱり豊鍬入姫命だったことの証明 ・佐賀の吉野ヶ里遺跡の統治者の信仰対象は、三輪山の大物主神だった証拠 ・邪馬台国 の検索結果 - たっちゃんの古代史とか 人気ブログランキング
邪馬台国に君臨してました、女王卑弥呼と女王壱与。 2~3三世紀の女王2人はいまだ謎が多い存在ですが、名前から新しい発見がありました。 卑弥呼と壱与の名前の共通点 今城塚古墳の埴輪 日本語の掛け声って、意味不明なものが多い。ワッショイ、エッホ、ドッコラショ、ヨッコイショーイチとか。 そんな中に「いよっ」という掛け声あります。これは歌舞伎で役者が登場する時に「いよっ、まってました」みたいに使われるもので。 起源は江戸時代にあるらしく、「祝おう」がなまって「いよっ」になったとか、「…
…の宮殿なわけです。 邪馬台国東遷説でいうと、卑弥呼の「時の宮殿」は、九州と奈良2ヶ所にありました。 九州のほうは、「吉野ケ里遺跡の北内郭」だったんじゃないかと思います。北内郭は暦や日時計を表す構造ありますし。福岡の平塚川添遺跡も候補地として捨てがたいですが、時間の要素がないみたいですね。 以上本日の妄想でした。 ぽちされたすかり 関連記事 ・吉野ヶ里遺跡の神殿は、日時計・カレンダーの施設だった件(卑弥呼が使った鴨) ・3世紀の卑弥呼は「時を司る」存在だったようだ。崇神天皇もそ…
…えば「魏志倭人伝」の邪馬台国の2代目女王が、「壹與(壱与/イヨ)」もしくは「臺與(台与/トヨ)」で、「イヨ、トヨ」と読まれるんですよね。 すると崇神天皇である豊鍬入姫命と「臺與(トヨ)」の関係はどうなのかと、ちょっと気になるところ。 ホケは豊鍬だったかも ホケノ山って変な名前ですが、これ実は魚のホッケの山じゃなかったです。豊鍬入姫という名前を元にして命名してる可能性あります。 「鍬(すき)」は「くわ」とも読むらしい。それでこんな発想ができるんですが。 豊鍬(とよくわ)→ ほー…
…1月18日 卑弥呼ら邪馬台国の上級は、原始キリスト教的な思想を取り入れてた気がします。 すると邪馬台国のお偉いさん方は、当時にキリスト教や、ギリシャ文字を知ってたわけです。なにしろ「ヤマト・トート・ヘルメス姫」なので、地中海周辺の知識や情報は、ある程度持ってたみたいです。 例えば卑弥呼の「卑」は「いやし→iyasi→yes」だし、「魏志倭人伝」に記録がある「持衰」という航海での生贄儀式は、キリストを示唆しており、「持衰=jisai=Jesus」じゃないか?という説もありますし…
…謎の構造物。 以前は邪馬台国の遺跡だとか言われてましたが、最近は平安時代の頃に作られた説が有力だそうですが、奈良時代、弥生時代説もあります。 トンカラリンは単なる水路だとか朝鮮人が作ったとか、夢のない説が重視されるみたいですが。 トンカラリン - Wikipedia そして広島の安芸津町三津の山中にも、トンカラリンと呼ばれる謎の石組みの地下トンネルがあるのです。 こっちは横穴と竪穴のL字構造で、長さ18mと短いもの。熊本のトンカラリンにあやかって命名されたとかで、本来の名前は…
…であったわけです。 邪馬台国の女王卑弥呼が天照大神の化身を自称したのなら、生き様を真似たでしょう。卑弥呼が男装をして崇神天皇になったのだろう、というのは個人的な発想ですが。 「うまい」は食べ物の味。キルギスのそばのパミールは漢字で書くと「拍米」で「はくうまい」食べ物。天照のアマは「あまい」。 あるいはウマイは美味しい食べ物で女神だから、豊受大神。伊勢神宮では天照と豊受の両方を祀っているし。 日キ同祖論をもとにすれば、伊勢神宮は古代烏孫のウマイ信仰を踏襲している聖地なのかもしれ…
…すが・・・。 今回は邪馬台国以前には、出雲が日本列島を統治してた話について。 卑弥呼以前には出雲が九州~本州統治した 通説では出雲というのは、島根県の狭い領域であると言われてるのですが。 これ、間違ってるんじゃないかと想像しています。 日本神話には、なぜか出雲について語る時代が長いじゃないですか。 それは天岩戸事件のあと、高天原から素戔嗚尊が追放され、出雲の八岐大蛇を退治し、大国主が出雲を開拓、天照に国譲りする時代まで。やたら出雲が古代の日本各地で幅を利かせてることも分かって…
…当時は、女王卑弥呼の邪馬台国の統治下であったわけですが。 なんで伊都国という一大率のある重要な拠点のトップに、出雲人を配置しなきゃいけないのかと。 邪馬台国以前は、出雲が倭の本州の中心だった時代があったわけでしょう。それは記紀の神話時代を見れば、出雲についてやたら長ったらしく記されていることでも示されていますし。 それはやっぱり出雲の国譲りによって、出雲がヤマトの軍門に下ったことが理由の第一ではないかと。ヤマト王権の配下に出雲の神の名を持つ官吏がいることが証明ですね。 あとは…
…うわけですが。すると邪馬台国はこのへんにあり、その中枢が平塚川添遺跡、吉野ヶ里遺跡だと、言える気がします。 以前の記事では平塚川添遺跡が磯城の瑞籬宮であり、吉野ヶ里遺跡が桑間宮(くわまのみや)であるとしました。 個人的に言うと崇神天皇とは「賢しき后」なので女性天皇であり、女王卑弥呼の男装した姿です。 関連記事 ・佐賀の吉野ヶ里遺跡の統治者の信仰対象は、三輪山の大物主神だった証拠 ・吉野ヶ里遺跡の弥生時代の呼び名は「かむさきの宮処、桑間宮」だったかを考える ・親魏倭王と崇神天皇…
…けなのです。 それは邪馬台国がもともと筑紫平野にあって、後に奈良盆地に邪馬台国が移っている証拠だと思われます。 筑紫平野の地名と奈良盆地の地名はそっくり同じであることは、「天照大御神は卑弥呼である」(安本美典著書)に解説されていました。 この筑前町の大三輪山のそばには、おあつらえ向きに「奈良」という地名(小字)までありますし。筑紫に加えて佐賀の平野部も、邪馬台国だったんじゃないですかね。 あと以前にも、奈良の三輪山、筑紫の大三輪山の見た目まで、瓜二つな事実も突き止めていました…
…佐賀の吉野ヶ里遺跡は邪馬台国の候補地として知られてますが、当方も筑紫平野一帯は、卑弥呼のいた邪馬台国だったと思っているのでした。 吉野ケ里最大の石棺「謎のエリア」で出土 表面に線刻、有力者の墓か https://t.co/8QSEr3u0lG佐賀県は29日、国特別史跡の吉野ケ里遺跡(佐賀県吉野ケ里町)で、弥生時代後期の石棺墓が出土した、と発表した。邪馬台国の時代と重なる2世紀後半~3世紀半ばの墳墓とみられ、同遺跡では最大。 — 朝日新聞(asahi shimbun) (@as…
…Wikipedia 邪馬台国が最初は筑紫にあったことは、卑弥呼の名でも表されてるのではないかという仮説は、以前に紹介しました。 卑彌呼を分解すると「由千弓爾呼」であり、「千弓爾」がちくじ、つまり「ちくし」なのであろうと。 ・邪馬台国が筑紫国にあったことは「卑彌呼」に示されてました 名前に地名が入ってれば、どこに住んでたのかまるわかりですよね。つまり卑彌呼という名前は、とことん考え抜かれたものだったようですね。 筑紫の第1邪馬台国が東に移転して、奈良に第2邪馬台国ができました。…
以前から邪馬台国の謎を解くなら、「魏志倭人伝」の原文をよく読み解く必要があると思ってました。それで今回は「卑彌呼」の文字の分析をしてみた結果ですが、面白いことが分かってしまいました。 卑彌呼を調べる 名は体を表す。 ということで、卑弥呼という名前自体に、女王の秘密があるんではないかと。秘密子なだけに・・・。 ここで重要なのは卑弥呼という漢字を、偏と旁と冠などにバラバラにしてみること。「魏志倭人伝」の原文では、旧字体で「卑彌呼」なのを間違えてはいけないところでした。 卑弥呼のい…
…や越国→出雲王国→)邪馬台国の、古代王の「麒麟族」の隠れていた真の王族が、長い封印から解かれて復活し、王権に返り咲くのだと思われます。 大患難の7年が終われば,黙示録の通り,千年王国が(ユダヤの王である一番下の子の)エフライムによりもたらされるという、計画済みの最終目標へ向かっていく「劇」です。 蘇民とあるように、(疫病で)一度死んでから蘇るというストーリーもあり、これはフェニックスや不死鳥フェニキアの不死身(富士,伏見)の思想でもあります。日本いうと月を拝む縄文海人の思想や…
…都」になりますので。邪馬台国の宮殿があった都だから、宮処であるという感じです。 神の名が付いているのは祭祀を行う神殿があったから、もしくは卑弥呼がいたからかもしれません。 「かむさき(神岬)の宮処(みやどころ、みやこ)」 が当時の呼び名だった可能性はありそうです。 日本書紀にある桑間宮が吉野ヶ里遺跡かも? 卑弥呼の男装の姿である崇神天皇(と勝手に解釈)は、実は2ヶ所の宮殿を有していたことが、日本書紀に記されています。すると卑弥呼も2ヶ所宮殿を持っていたことになるのですが。 崇…
…す。地名が福岡の第一邪馬台国から、奈良の第二邪馬台国(大和)へ移されたことと関わるようです。 あと個人的に思う卑弥呼の拠点候補は、吉野ヶ里遺跡です。こちらは弥生時代後期最大の都市遺跡であり、城のような場所もあることから卑弥呼の居場所に相応しいです。 卑弥呼が崇神天皇の姿をしていたとすると、あのへんを闊歩したのかと妄想しています。 卑弥呼の名前の解釈については、他にも色々あるので、関連記事を参照してください。 関連記事 ・親魏倭王と崇神天皇の瑞籬宮の関係 ・卑弥呼の居城は「上座…
…名が揃っているので、邪馬台国があったと推定されています。 だから秦王国は、その付近馬台国の付近かとも考えたりもします。当時は邪馬台国は筑後平野の第1から奈良平野の第2に遷都したと考えられます。しかし九州のほうの邪馬台国跡地は、飛鳥京や平城京の時代も離宮みたいな形で存続していた可能性があります。 邪馬台国が2ヶ所あったので、2つの土地までの日数と行程を融合してしまったようす。その結果現代に至るまで、魏志倭人伝の邪馬台国の場所特定の難しさに繋がってるようです。 そしてもしかすると…
…げた物見台だそうで。邪馬台国にもあったらしい、櫓(やぐら)と言って差し支えないかと。字源を見ると、土+高+至とあるので、これは地面の平民から女王という高御座に至った、壱与の生き様を表すよう。 「与(與)」はものがかみ合っている姿で、四方から手を差し伸べものを担ぐ様だそう。これにより、あたえる、くみするといった意味になってました。女王壱与は、卑弥呼の死後、倭の諸国が満場一致で担ぎ上げられた、そんな想像ができる存在です。 壱と組み合わせると、「神輿に担がれる壺」が壱与であると。そ…
… 伊都国 いとこく 邪馬台国をはじめ 30ヵ国あまりからなる倭国連合の一つ。「魏志倭人伝」の記事に名が見え,この地には諸国を検察するための一大率(いちだいそつ)と呼ばれる地方官が置かれた。彼らは朝鮮半島諸国や魏の帯方郡との外交にもあたった。場所は福岡県糸島市の怡土にあたる。 伊都国とは - コトバンク 伊都国には、一大率が置かれてました。今で言うところの外交官や入管やkさつ、あるいは戦時中の憲兵をあわせたような組織だったのか、人々に畏れられたとか。 そういえば中部の三重県の伊…
…たこれは想像ですが、邪馬台国の中枢は中央アジア系の人々でかためられてたようでした。あちらの言語にも詳しかった、トリリンガルだった感じもします。実際に会ってみないとわからんですね。とにもかくにも卑弥呼はトート神のように、知識と知恵を持っている女王様だったと考えています。 ちなみに個人的には卑弥呼は烏孫から東漸した皇族で扶余生まれかもしれないと考えてきましたが。詳しくは過去記事で。 (5)名前 じつは倭迹迹日百襲姫命と、トート、ヘルメスの名前自体が、明らかな相似点を持ってました。…
…して、倭の大乱の後、邪馬台国(白日別・福岡)で擁立された。 (4)辰は龍 辰は干支の動物で龍。 当時漢から見て東(東南東)にあった辰国が、干支の辰をもとに国名を決めたことにあまり違和感はないです。 辰国が龍なのは、龍神信仰があったから、なのかもしれない。 そもそも倭の日本列島は龍型、天皇は龍体と呼ばれました。 先祖の神は蛇神(イザナギ、イザナミ、大物主など)が多い。イザナギとイザナミは龍神だというのは、秩父など日本の地方につたわる話です。 (5)辰は日・月・星の総称 辰といえ…
…いところ。 卑弥呼や邪馬台国との関係 そういえば以前に指摘しましたが、倭の30国はシンメトリーな配置なんですよ。 これは筆者以外には、誰も指摘してないことでしたが。 対馬海峡を渡ってたどりつきやすい巨済島は、女王卑弥呼も重視したのは当たり前でした。 ・倭のシンメトリーな配置から見えてくる倭国の構造 「魏志倭人伝」で、狗邪韓国の登場位置は倭の1番手。 邪馬台国と敵対した狗奴国は31番目ですが。 ・狗邪韓国 1番目 ・狗奴国 31番目 意図的な地名の名付けですこれ。意図的にシンメ…
…。 卑弥呼がいたのは邪馬台国で、「馬」に愛された土地でした。 邪馬台が邪馬taiならば、邪馬とai(愛)となって「馬を愛する」ような感じになるのも不思議なところ。 ちなみに崇神天皇の謚号は御間城(みまき)で、「みま」は御馬(みま)に通じます 4・イエスつながり 最初に申し上げたとおり、フィリポは、イエスに仕えたと伝わる人でした。 卑弥呼の漢字には、卑(いやしい)が使われてるのは、意味深です。 なぜなら、 yes イエス iyasi イヤシ(卑)卑弥呼 と、卑はあまりにイエスに…
…は、全体の中枢である邪馬台国がありました。そこに女王の卑弥呼がいました。魏志倭人邪馬台国には、対立して修羅場を起こしたらしき勢力がありました。それが狗奴国というところ。 狗奴国を支配する王は、「卑弥弓呼」と、伝わってるのですよ。この名前、なんか奇妙ではないですか。 卑弥呼にたいして、卑弥弓呼。 ・邪馬台国 卑弥呼 ・狗奴国 卑弥弓呼 まさに、この二人は、鏡見合わせに近いというか。卑弥呼を見てると、チャーシューメンの話を、思い出してしまいます。弓を抜いたら卑弥呼、弓を足したら卑…
…烏孫の名を改造して、邪馬台国や大和の名前ができたんではないかと、考えました。 その理由は以下のとおりです。 烏孫、鴉末、邪馬台、大和 (1)まず烏孫というのは、烏+孫でできてますよ。 (2)烏は、別の漢字に置き換え、「鴉」とも表記できるじゃないすか (3)孫は、日本語の別の言葉で言い換えれば「末(すえ)」と言うのですよ (4)すると、烏孫は、「鴉末」になるではないすか (5)鴉末は、音読みすると「ヤマツ」なのですよ (6)鴉と邪馬台の「邪」は同じ牙編ですね (7)ヤマツのツの…
…の大宰府(福岡) ・邪馬台国・・・最初の邪馬台国は、奈良と地名が同じ筑後平野(福岡) これは安本美典さんの邪馬台国朝倉説を採用してますが、個人的には筑後平野、佐賀平野と周辺の山岳を含む一帯が邪馬台国の範囲であったと考えています。それで大和、山門、八女の名が残ってるのだろうと。 投馬国については、太宰府市の宝満宮が関係する。ここは玉依姫を祀る神社で、むかしの国の守護が置かれた太宰府に繋がる場所だった。 投馬→toma→homan→宝満山、あるいは投馬→toma→tama→玉→玉…
…葉が多かったりする。邪馬台国の要人の名前だ中央アジア系だから察しがつくのですが(過去記事参照)。 turkは月神を崇める民で、彼らは月を倭国で「turk=つき」と表した。 天に浮かぶ月の荒野に、自分の故郷と自身の存在を投影したのだった。 (7)ノルマン語説 さらに想像してみると。 アイスランド人はゲルマン系ノルマン人で、中世にいわゆる欧州各地にいたヴァイキングに繋がる一民族だったとか。 彼らは月のことをTunglið(トゥングル)と呼んでた。欧州では月のことをmoon、lun…
…底湖」の入り口があるのかという想像が湧いてきたりするのですが、 まぁ全ては想像に過ぎないですけど。 複数の要素が関連付くということは、偶然ではなくて必然的なほうなんじゃないかと。 つまり日本神話に、古代エジプトや中国神話が受け継がれたように、エヌマエリシュも日本の神話にじわじわ溶け込んでいるということです。 関連記事 ・神世七代の埿土煑尊(ういじに)と沙土煑尊(すいじに)からスフィンクスが出てきてコンニチハ。 ・日本の神話と邪馬台国からにじみ出てくる北欧の世界樹・ユグドラシル