たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅お仕事中。

委奴国は出雲人の領域だったのかも知れぬ

近ごろは出雲についてちょっと気づいたことがあり。それを語る前に2~3世紀頃にあった、委奴国について知る必要があったようです。今回は委奴国と出雲についての、知られざるお話。

 

 

委奴国は出雲系の国だったか

 

国史書やら金印にある九州の筑紫の「委奴国」。「漢の委の奴の国(かんのわのなのくに」と読むとか言われますが、「委奴国」だと思います。

これはどうも、出雲系の勢力であるという想像していました。その理由のひとつは、名前が出雲に似てるからです。

委奴(ido、idu、inu

伊豆毛(idu-mo、ido-mo

伊弩毛(idu-mo、ido-mo

出雲(idu-mo

出雲の別名である伊豆毛や伊弩毛。これらの「毛」を取ってみれば、発音が似ているし。

伊弩毛(いずも)の「弩」は本来「ど」なのに「ず」と読ませている。てことは委奴の「奴」は「ず」と読めるということ。

委奴は「いず」と読めるわけだとしたら、出雲にとても近いん出すよ。

 

 

 

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伊都国の官吏は出雲人だったかも

 

 

倭人伝を読み解いてみると、委奴国の後継は伊都国でした。名前も委奴・伊都で関連が伺えたりする。

伊都国の長官の名は「爾支」という記録があり、「にき」「じし」って読まれてます。そういえばニキと言えば二木の菓子…。

この爾支という名前には、知られざる隠された意味がありました。

 

もし爾支が出雲人であるならば、彼らの祭神は大国主神大己貴命で疑いようがないところ。じゃあ爾支には、出雲的な要素があるとでもいうのか?

ありました。訓読みしてみたら、

爾 なんじ

nanji=namji

なむじ (穴牟遅、奈牟知、己貴)

 

大国主の別名:大穴牟遅、於保奈牟知、大己貴

 

支 ささえる

「爾」というのは「なむじ」なんです。

出雲の大穴牟遅(大国主神)の名前の一部をいただいており、「大穴牟遅神を支える存在」の意味にしてたわけなのです。すると彼らは大国主信仰をしていたわけで、出雲人であるでしょう。

弥生時代後期にはすでに、漢字に倭語の訓読みを当てはめていたわけですが。爾という字は禰宜に通じますので、禰宜であり政務官であり、一大率のボスだったのですかね。

 

あと副官が泄謨觚と記録がありましたが、この名は「せもこ、せつぼこ」などと読まれています。かまぼこの仲間みたいですが、意味不明ですね。

しかしこちらも出雲の大国主神に関わるとしたら、こんな解釈できます。

泄謨觚 せぼこ

泄謨觚 se- bo-ko

少彦  sew-biko

少彦名 すくなびこな

謨觚(ぼこ)が彦(びこ)であるなら、大国主と共に出雲の国造りをした、スクナビコナです。

大国主の官吏がいるわけなので、大国主の相棒の少彦名命の名までも用いて、官吏の名にしたんじゃないですかね。

 

もう1人の副官の柄渠觚も、出雲人かどうか。「へくこ、へきょこ」などと読まれますが。

記紀神話出雲国の記述には、蟇蛙(ひきがえる)の多邇具久と、かかしの久延毘古が出てきます。彼らは大国主の側近でした。

ひきがえること多邇具久は、国土の隅々までを知り尽くした存在となっています。柄渠觚とは、この多邇具久ではないかと。

柄渠觚 へくこ

柄(ひしゃく)+渠(みぞ)で溝を掘る土木工事

 

蟇 ひき  hiki(ひきがえる)

柄渠 へく heku

 

渠觚 くこ  kuko

かえるの古名 kuku(具久)

溝を掘る土木工事で、水辺にいて地面を掘って冬眠する蟇蛙を表しています。溝を掘る蛙だと、柄渠觚は建設担当官ですかね。

古代には蟇蛙(ひきがえる)とは「蟇(ひき)の蛙(くく)」でした。

そのために「柄渠」により蟇蛙の「ひき」を表し、「渠觚」により「蛙(くく)」が表されているんじゃないかと。

柄渠觚が出雲系で蟇蛙の名を持つ官吏ということは、出雲の多邇具久に合わせた役職ってことになるわけです。

そうすると

出雲      委奴・伊都

出雲の大穴牟遅 爾支

出雲の少彦名  泄謨觚

出雲の多邇具久 柄渠觚(蟇蛙)

出雲の名と、出雲の建国の神々が、伊都国に揃ってることになるわけです。

 

 

なんで伊都国には出雲系がいなきゃいけなかった?

 

疑問が湧くのは当然ですね。

伊都国があった当時は、女王卑弥呼邪馬台国の統治下であったわけですが。

なんで伊都国という一大率のある重要な拠点のトップに、出雲人を配置しなきゃいけないのかと。

邪馬台国以前は、出雲が倭の本州の中心だった時代があったわけでしょう。それは記紀の神話時代を見れば、出雲についてやたら長ったらしく記されていることでも示されていますし。

それはやっぱり出雲の国譲りによって、出雲がヤマトの軍門に下ったことが理由の第一ではないかと。ヤマト王権の配下に出雲の神の名を持つ官吏がいることが証明ですね。

 

あとは、北部九州に基盤を作って全国統治を目指した邪馬台国としては、蛙のごとく本州の隅々まで知るために、本州の出雲の人材が必要だったみたいです。

出雲の国譲り後は、日本列島を隅々まで知ってる出雲人に政治を任せたほうが、安心だったんじゃないですかね。😐

なにしろ倭国乱で疫病が流行ったあと天皇がお祀りした神さまは、元々出雲の神だった大物主神だったりしたのだし・・・。

 

それには、日本の支配勢力が大陸から移動して来ている、という理由も関わってますが。古代出雲や天皇家の正体については、当ブの過去記事を見てもわかったりします。

 

ぽちされでたすかります

 

 

 

 

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