大摩邇の掲示板で書かれてましたが、べつに俺は在日人じゃないし朝鮮カルトではないし、イスラエル人じゃないし、個人的な好奇心から日ユ同祖論を調べているだけですのでー。まあ従来の歴史観だけじゃ、ほんとの日本史を説明しきれないと勝手に思ってますのでー。
大摩邇(おおまに) : (日ユ同祖論)ユダ王朝の系譜がウガヤフキアエズと神武天皇に封印されてた
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○いつも助かっております
・「倭=委」 は何故「ユダ」なのか
日本の地名の中には、明らかに日ユ同祖論で解けるものまで含まれているのを、ご存知だったですか。
日本の異名で代表的なのは倭国です。
中国は倭の漢字を当てましたが、倭人自身は自らを「わ」と呼んでました。わの意味わかりませんが。
「倭」という国名は「委」という文字でも使われていました。
この漢字は大和言葉で言うところの「ユダねる」の「ユダ」なんですよね。なんでこの倭人をあらわす漢字に、「ユダ」が当てられてるのでしょうね。謎すぎる件。倭とは「人委」なのでユダ人じゃないかって思うんですが。
古訓だとユツルとかユタカナリなんかもありましたが。
それにしても、弥生時代には膨大に漢字が存在したなかで、なんで「わ国」を表す漢字がよりによって「ユダ」なんですかね?
日ユ同祖論で言えば、倭は「ユダ」という国だったから、委の字が当てられている。で通用するのですよ。
そういえば「後漢書」や志賀島の金印では倭の「委奴國」が登場しています。金印は「漢委奴國(かんのわのなのこくおう)」と読むのですが。
これは「委奴(イド)」と読めますが、これもユダの転訛だったとすればどうですか。
委奴(イド)=ユダなのであれば、倭という国号に「委」が使われた意味や、ユダと呼んで構わない理由が分かってくるじゃないですか。
それとも偶然なんですかね。
そういえば奈良時代に日本の国号が大倭国から、一時期「大養徳国」に改称されていましたが。
これ、大養徳国と書いて「おおやまとのくに」って読ませてるのですが。養徳にやまとって無理矢理感がハンパない件。
養徳って「ようとく」、「よーど」で、「ユダ」を意識しているんじゃないんですかね。なぜこんな国号にしたのかは、やっぱり先祖があちらで、元々の国号が「倭・委(ユダ)」という認識が影響してるからに他ならないんですが。
これも偶然なんですかね。
あと、「後漢書」などによれば、倭人は漁の名人だったそうですね。これについては後ほど関連する記述をします。
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・筑紫のI-S
個人的に邪馬台国であって、その後に奈良に邪馬台国が東遷した「邪馬台国東遷説」を支持しているのですが。
元邪馬台国だった筑紫のあたりには、イスラエル(ISRAEL)っぽい名の子音「I-S-R」の羅列が残っているのですよ。それを探ってみます。
伊蘇国
むかし筑紫国に五十跡手(いとて)という人がいまして、「筑紫国風土記」によればこの人は高句麗人であり天日矛(あめのひほこ)の子孫でした。
五十跡手は仲哀天皇によって「伊蘇志」という名をつけられて、それを元にして五十跡手がいた国は「伊蘇国」と呼ばれたんですね。ここが後の伊都国であり怡土郡であり、糸島郡や糸島市の名の元になっていました。これは「日本書紀」や「筑前国続風土記」の仲哀天皇の条出て来る記述。
伊蘇志→伊蘇国
イソってI-Sですね。
恪勒国
「筑紫国風土記」によれば、五十跡手(いとて)の別名は恪手(いそて)。I-Sですね。
恪手のいた国は恪勒国(いそろ国)とあるのですよね。I-S-Rですね。
伊都国の一大率
「魏志倭人伝」の伊都国の元の名は伊蘇国ということになるのですが、ここには一大率という監視機関の本部が置かれていました。一大率って、イダ率ですよね。これもユダが転訛したのでは。壱岐国の別名は一大国なので、壱岐も同じ系統かと。
漁り火
昔の日本では、漁のことを「漁り(いさり)・漁る(いさる・いざる)」と言いました。これもI-S-Rなのですね。そういえば漁という漢字は、魚が入っているんですよね。
魚といえば
頭文字の符牒
イクテュスはギリシャ語で「魚」という意味を持つが、同時にΙΗΣΟΥΣ ΧΡΙΣΤΟΣ ΘΕΟΥ ΥΙΟΣ ΣΩΤΗΡ (ギリシャ語でイエス、キリスト、神の、子、救世主)の頭文字を並べたものでもある。
聖書の魚に関する記述
イエスやその信徒を魚で表すようになった経緯を直接確認できる文献はないが、イクテュスは、聖書の寓話に由来するという説もある。12使徒の中でペテロ、アンデレ、ゼベダイの子ヤコブ、ヨハネの4人が元漁師であり、聖書には魚にまつわる話が多い。
漁師だったペテロが「これからは魚でなく人間を取る漁師になるのだ」とイエスに諭され、弟子になる(ルカ 5章10節)。
2匹の魚と5つのパンをイエスが奇跡をおこして5000人に食べさせたという「パンと魚の奇跡」(ヨハネ 6章5-13節)。
神殿税を請求されて困っているペテロに、「釣りに行けば捕まえた魚の口に税金分の4ドラクマ銀貨が入っているだろう」とイエスが語った箇所(マタイ 17章27節。ガリラヤ湖畔では今もティラピアを「聖ペテロの魚」 (St. Peter's Fish) と呼ぶ。)。
漁や魚自体が、イスラエルでは神と使徒を表す言葉だったのでした。
だからこそ、日本で漁を「漁り(イスラ)」といったのだとしたら?
それとも漁や魚がイスラエルの神・使徒に関係する言葉なのは偶然?
イクトゥスについてはまだ書きたいことがありますが、後ほど。
鰰(はたはた)
これに関連して、「鰰(はたはた)も取り上げてしまいますが。
鰰というのは見ての通り、編が魚でつくりが神で、魚神なんですが。
一方で秦氏というのは、一説にはローマ帝国とかヒッタイトだとかイスラエルだとか言われますが、ともかく秦氏は中東系出身だとか。
そうすると、鰰という名前には「ハタハタ氏は魚神を崇める土地から来た人々だ」っていう暗号が込められてるんじゃないかと。たぶん秦氏自身がこの読み方を付けたんですが。
魚の神といったら、中東のキリスト。もしくはシュメールのエンキか半魚人のオアンネスかといったとこなんですよね。まさに秦氏の出身とされる土地に、一致するではないですか。
伊蘇国つづき
もう一回伊蘇国の話がよみがえってしまってすみませんが。
「よみがえる魚」って、明らかにキリストですよね。
そもそも伊蘇はイソでイーシュとも呼ばれたイエス・キリストの名前そのものなんですよね。おそらく高句麗出身の五十跡手さんは、イスラエルのキリストのことを聞き及んで知っていたのでしょうね。あるいは大陸の西から流れてきた景教徒系統の人なのか。
だから日本の古代の国号や地名や名前から、日ユ同祖論的なユダ、イスラエル、キリストの要素が取り出せるのは、全然偶然じゃないっていう話なのですが。
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ここまでまとまってきましたが、これらの全てが「偶然だ」を貫き通したり、これでも「倭人は縄文人だ!」を貫くとしたら、それはもう信心深い縄文教みたいなものだと思うので、俺としては何も言えないわけなんですが。
日ユ同祖論というのは、奥が深いってことは、分かったかと。
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