たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅お仕事中。

【出雲御免】 出雲大社の八雲の図と国引き神話から見えてくる穢貊の影

一見して無関係なようで、実はがっちり繋がってるみたいな話です。

最近は世の中かの仕組みと流れが、すこし見えるようになって参りました。

出雲に伝わる「八雲の図」も、そんなワケアリ物件名物件だったようなのですが。出雲、ごめんね。ピザだいすき。

今回は出雲から、思いもよらぬ異国の影が見えました。

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出雲大社 - Wikipedia

 


八雲の図

 

まず八雲って、意味不明な言葉ですね。八雲って何なのかと調べると。

八雲

八雲(やくも)は、八重に(幾重にも)重なり合った雲である。

日本神話においてスサノオが詠んだ「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を」が日本初の和歌とされることから、和歌の別名ともされる。

また、上記の歌に因んで「八雲立つ」・「八雲さす」は出雲にかかる枕詞となっており、八雲は出雲国を象徴する言葉となっている。

 

八雲は出雲の象徴・・・。

八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を。

出雲大社の八雲の図とは、言い換えれば「出雲の図」、出雲の仕組み、出雲の設計図みたいなものかもしれないなと。

出雲の漢字を見れば、誰しも空に雲が出たことを思い浮かべますね。

昔から八は末広がりと言う風に、一点から無限の広がりを見せる意味が付いたんすよ。

だから八雲も、雲が無数に涌き出る、そんな意味合いもありそうですけど。

 

 右側が八雲之図。この絵柄が重要な意味を持っていたようです。

 

 


八雲と魂

 

出雲の八雲ってなんか、第一印象で、キモい、グロい、ヤバい。形と言い、色使いと言い。

空に漂う雲は、人の霊魂の漂う姿であると、むかしの人は考えてたとか。じゃあ空はいつも、魂うようよ状態。大霊界か。

漢字の雨が天を現し、云が人の言葉、転じて魂のことであったわけなのです。

八雲をじっくり見つめると、なんか幾つもの違った魂が絡み合って、1つになったような。

まじまじ見ると、内臓的な不気味さを放ってるような禍々しさも併せ持ってるような。

この発想「幾つもの魂の絡み合い」

が、じつは正解かもしれないな。というのは、出雲の複数の神話からもわかるのですが。

 


八雲の図の特徴

 

それで、八雲の図の特徴を調査したら、以下のような様子が見えてきたんですね。

出雲大社本殿の板張りの天井にある

・絵図は東西南北が明確

・八雲はふわふわした雲や魂の姿

・雲は長い尾を引いている、尾流雲

・ひとつの八雲は色違いの雲が幾つも絡まってる(彩雲)

・雲は虹色(赤、青、黄、緑、橙、紫、黒、、に白を入れたら8色)

・八雲といいながら雲は7つ(未完成、崩壊を避ける意味)

・6つの雲は西、北西から東へ流れる

・1つの雲は巨大(心の雲)

・1つの雲は西向き、(お辞儀してる、他の雲をお出迎え?)

・雲は出雲大社の天井に集まった

・八雲の図とは人々の流れをあらわす

出雲大社の八雲の図は1744年の竹内随流斉甫記の作

神魂神社には9つの八雲の図がある

・つまり八雲は雲の数ではない

・古代から伝えられた絵柄

八雲の図とは人々の流れをあらわす

こうしてまとめると、なんかだんだん見えてくるものがありました。

 

 

 

国引き神話との関係

 

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で、出雲の仕組み、出雲の設計図といえば、「出雲国風土記」の国引き神話ですよ。手元にもあります、この風土記何度もよみました。

それで結論としては、国引き神話とは最初期の出雲建国に、どこの国や地方豪族が関わったか、示しているのは明らかです。国を引けば国民も一緒に付いてくるので。

引き神話で知られるのが、八束臣津怒命(やつかおみつぬのみこと)でした。

日本書紀古事記で、出雲に最初に登場した人物は、出雲国の鳥髪にいた大山津見神の子、足名椎命、手名椎命、その娘の櫛名田比売(くしなだひめ)でした。彼らをヤマタノオロチから救った英雄がスサノオで、櫛名田比売との間に生まれた子がいて、その6代先に、八束臣津怒がいたとか。

国引き神話の骨子は、「八束臣津怒が、出雲から離れた各地の陸地を引っ張ってきて、小さな出雲を大きくした」という謎の神話。

これ、八雲が出雲大社に集まったみたいな、八雲の図みたいな話ではないですか。

つまり「八雲が流れてきて、出雲国に集まった」という八雲の図と、「国を引いて出雲を作った」という国引き神話は、発想が似かよってる感じ。

・八雲の図 八雲が出雲に集まった

国引き神話 陸を引いて出雲に集まった

もしかして根本は同じだから、この2つの絵図と神話が、出雲という狭い場所に揃えられてるのかと。

 


多民族集合体を現す八雲

 

八雲の図を見れば、八雲はほとんど西方や北方から来て大社の空に集まってる感じでございますね。ということは、雲の出所は、大陸にあるということ。

これに、国引き神話を対応させてみたら、どうなるか?

国引き神話では、四つの国を出雲に引いて、くっつけてました。

1・志羅紀(しらき)の三埼

2・北門(きたど)の佐伎(さき)の国

3・北門(きたど)の農波(ぬなみ)の国

4・高志(こし)の都都(つつ)の三埼

国引き神話 - Wikipedia 

 

ここに、方位がちゃんと含まれるのは、ヒントでした。

従来は西の新羅、東の越国(能登)は確定で、その他は「出雲の近所の陸地」を引いた、みたいな仮説がありました。

しかし国引き神話では、新羅、越国という遠国2つに対して、北門の2地域が出雲国内ではあまりに近すぎ、大して引いてすらいないじゃないか、との解釈の批判があるのです。
そこで北門佐伎と北門農波についても、新羅同様に海の彼方であろうと、想像をするわけです。

日本海の北側、いまの北朝鮮やロシア沿海州のあたりですよ。

以前に有名な歴史家の古田武彦さんが語ってましたが。この方は日本海の北のウラジオストクから、出雲の隠岐産の黒曜石が大量に出るという事実を導きだしたらしいんです。

黒曜石 http://www.tiny.jp/~arugacom/suwakou/kokuyose.html

 

島根の古代文化センターに、これについての展示があったとか。

古田さんは出雲の北門は、粛慎(みしはせ)だとか、挹婁(ゆうろう)あたりだといってました。

粛慎が縄文人の先祖に近いというのは、同意できます。以前に関連記事書いてたので・・・。

さらに八雲の図は、西方や北西から雲が流れてきて、出雲大社の天井に集まったと示してますね。

これらを含めて検討すると、個人的にはこんな答えになりました。

出雲を構成する4つの国・地域

新羅=西の新羅

・高志=東の越国(北陸地方

・北門の佐伎=穢貊(高句麗の前身)

・北門の農波=沃沮(濊貊の別種)

こうかと思ったその理由は以下の通りです。

 

 

北門は穢貊(高句麗の前身)だった

 

北の方角は、四神に照らすと玄武です。玄は亀と蛇の合わさった霊獣。

玄(くろ)は黒のことで、つまり黒い武人みたいな感じ。玄は句麗であり、北門とは、まさに武人の国、騎馬民族高句麗のことみたいな感じしますね。

しかし、これは扶余や高句麗の前身である、穢貊(わいはく)ではないかと思いつきました。

 

穢貊

紀元前2世紀の中国東北部にいた「濊」「貊」は、濊貊・沃沮・高句麗・夫余の四種族の前身であり、現在の韓国江原道にいた「東濊(濊貊)」は前漢代の中国東北部にいた濊の後裔とされる。

濊貊系とみられる集団は、他に沃沮・部類(符類、附類)・高夷・東濊などと、貊と同音または近似音の貉・北發・白民などがある。

史書には、夫余の出自が濊とみられる記述があり、また貊を高句麗の別名または別種と記す。

濊貊 - Wikipedia

 

 ・八雲(やも)・・・雲は「も」と読む(漢字の公式的な読み方)

・穢貊は朝鮮半島ではイェマクみたいになり、八雲(やも)、邪馬(やま)に近い

・穢貊(やまく、やま)と八雲(やくも、やも)だから違和感がない

・穢は「きたない」の「きた」で、貊は「も」的な発音ならば、穢貊(きたも)は北門(きたもん)

 

といった理由から、出雲の元になったのは、北門こと穢貊であろうと。

北門の佐伎とは、穢の後の扶余の政治体制から、支配階級だった「諸加」との関連が伺えました。

諸加ショカ →シャキ →サキ →佐伎みたいな。

 

 

 

 

北門の農波は穢貊系の沃沮だった


農波は一見して当てはまる国名がないです。しかし、農波とは濊貊の別種である、沃沮(よくそ)だと考えました。その理由とは

農波の解釈

・農 = たがやす

・波 = なみ→泪(なみだ)

 と発想すれば

沃沮と似てくる

・沃 = 肥沃な大地 → 農の一字で表せる

・沮 → 泪(なみだ)にそっくり

と解釈できて、当時の出雲人が沃沮を農波と、別の呼び方を使ったんだと想像はできました。

北門(濊貊)の農波(沃沮)となるから、穢貊の別種の沃沮であると、ちゃんと認識したんだなと感心するわけでした。

 

これらの民族が、出雲を形づくっていると、八雲の図は言いたいのかなと。

するとずーずー弁というのは、古田武彦サンの言うとおり、日本海北部の言葉の反映なのはありかも。

 


似たような絵柄さがし

 

で、この特徴的な雲の形ですが、ヒントは。大陸にあるんじゃなかろうか?と思いました。
八束臣束怒の時代は新羅が登場するので、2世紀から4世紀ころですかね。

目星をつけた、騎馬民族、あとは中国新疆の西域(タリム盆地/タクラマカン)あたりで探してみました。

すると、新疆ウイグル自治区タリム盆地の、敦煌(とんこう)壁画が目に止まりました。敦煌壁画は4世紀頃からあるもので、源流は紀元前からバクトリアアフガニスタン)やタリム盆地あたりで始まった、仏教壁画に源流があるとか。

飛天、天女の壁画に、八雲の図と似た雲が、描いてあるではないですか。

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每日頭條 那些優美的敦煌天女飛天壁畫,莫高窟發生的奇人奇事之十四原文網址:第397窟供養飛天

 

これ、出雲大社の八雲之図の絵柄と、まるっきり同じですよ。中央アジア仏教美術を元にしたものが、古い時代に出雲に入ってたようですね。

 

 

以下はかなり自分本位の想像ですが

 

当初の騎馬民族は、西から東へ東へと向かいながら新天地を征服し、土地の異民族を殺し、または従順ならば配下に従え交わりながら拡大し、反旗を翻されて栄枯盛衰を繰り返す人々だったのですよ。

かれらは西はイスラエル、サカ、さらにギリシャ人が融合しつつ東進して、西域の烏孫月氏匈奴がうまれ、東の扶余、高句麗などを巻き込みながら、数百年かけて中東的な文化は踏襲しながら、だんだん東洋人的な割合を高めながら、東へ移動したというのは当たってる話なのです。

だから日本人の遺伝子しらべても、中央アジアより西側の遺伝子はなかなか出てこなかったりするのも当然かと。

すると八雲之図についても、鮮やかな仏教壁画の絵柄が中央アジアで彼らの中に取り入れられ、移動とともに満州の東夷の穢貊や沃沮にも入り、やがて海を隔てた倭の出雲まで至った。

だから八雲之図は、西方から雲が出雲大社の天井に集まるような、図柄になっている、という解釈は自然な話であるようでした。

あー、つかれたつかれた。

 

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電磁波から脳を守るアルミ帽子

近頃は一日じゅう雑念がひどくなった。

原因を探したら、毎日のストレスだけでなく、やっぱり電磁波や電波も関係すると確信しますた。

何しろ周囲は電気製品だらけ、電線や高圧線や電話線やスマホやPCの電波や・・・電磁波だらけなので。

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道路が張り巡らされているように、ストリートビューで撮られ尽くしているように、電磁波も人類史上かつてないレベルで地球を覆い尽くしているし。

それで、以前に作ったアルミ帽子をかぶったら、雑念が半減する以上の効果を感じました。

あ、これはこれからの時代には必須アイテムだなと、思った次第でした。

 

 

報告される電磁波による悪影響

 

・頭痛や不快感が止まらない

・脳の病気を起こす

・心臓病や癌を発生させる

・変な思考が湧いてきて止まらない(怒り、殺意、悪意、意地悪、疑心暗鬼、自殺願望)

・奇妙な行動をしてしまう(頭が真っ白になり)

・電磁波で人体が操られる(NTTの実証実験で確定済み)

・思考盗聴、視覚盗撮される

他にもあるかと。

「思考盗聴」とか言うと世の中ではまったくまともに扱ってくれませんが、集スト参加してる人や、メディア関係者の人ならだいたい事実だと知ってますよ。

全てを他人に勝手に読まれ、見られてしまうなんて、普通のひとは耐えられない。

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They Live - ニコニコ動画

 

電磁波だらけの世界なので、もう人の頭がおかしくなって当然でした。それが世界の偉い人の指針なのは、間違いないところですが。

帽子が禁止されることは無いと思うので、抵抗するのは自由じゃないですか。

あ、違った。単純におしゃれや防寒の目的で、帽子をかぶってるだけです、お間違いなく。

 

 

アルミ帽子の作り方

 

買ってもいいですが、手作りが趣味の人なら自作していいです。

1・頭に合わせてアルミホイルをまいて形を作る

2・テープで固定する(帽子に入れて何度使っても、破れないほどの強度にする)

3・ニット帽と合わせる

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普通のアルミホイル、セロテープなどでもおk。アルミホイルは破けやすいので、テープは太いタイプも併用すると良い。

 

 

電磁波の遮断効果を高める要点

 

A・アルミホイルにシワをいっぱい作る

B・前は眉より上、ヨコは耳より上、後ろは後頭部が隠れるように

B・アルミホイルは2重、3重にまくと効果が高くなる

シワを作ると電磁波やいろんな電波を乱反射して、脳に電磁波を近づけにくくなる。

できるだけ脳を包み込む形にすることで、効果が高くなる。

 

 

アルミ帽子をまくことでの効果

 

個人差はありますが、ある一定の効果は期待できます。

・電磁波の過干渉による頭痛や頭の不快感や脳の病気を改善する

・送られてくる電磁波由来の雑念、苛立ちを消せる、弱められる

・自殺願望がなくなる

・電磁波により意地悪に洗脳されている人は、ちょっと人間に戻れる

・思考盗聴、視覚盗撮をある程度は弱められる(かも)

いろんな健康的、精神的な良い効果あります。

スマホをアルミ帽子の内部に入れると、通話電波やワイファイアンテナがぐっと弱くなるので、確認してみてください。

しかし欠点も。

 

 

アルミ帽子の欠点

 

欠点はいくらかあります。

・顔面のほうから脳へ照射される電磁波は防げない

・頭が大きい人が被ると頭が大きく見えてしまう

・通気性が無いので頭が蒸れる

・自作だと強度がない

 顔面からの電波については仕方ないのですが、電磁波反射性能があるサングラス、マスクなどが自作できればある程度は可能かと。

頭が大きく見える点については、てっぺんのアルミホイルは除去するなどの工夫をすれば良いかと。

 頭が蒸れる問題については、脱着を繰り返す、悪い症状がない時はかぶらないなどの工夫で対応。

あるいは通気性の良いものを作ってみるとか。ファン付きヘルメットを使う手もあるかと。

 

 

・・・・・・

 

なんか変な思考が湧いてきて止まらないこと、ないですか。頭痛や不快感が止まらない日がありませんか。

なんであんなことしてたんだろうっていう、黒歴史な奇行をしたことないですか。

平気で誰かに意地悪し放題でやめられない人、なぜか盗撮や意地悪がしたくて仕方ない人、居ませんか。 

電磁波で、人間リモコンされて、誰かに遊ばれてたのかもしれませんよ。

科学的な呪い、洗脳を解く効果、あるかも。

 

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例の爆音が飛んでくる件(Mysterious Booms)について世界の出来事絡めてまとめ直し

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膨大な数の人々から、やりたい放題されるのですけども。お前らなんで、そんなにモメゴト好きなの?トラブルメイカーなの?みたいな。

人のこと言えないけどwそういうわけで。宜しくお願い申し上げ候。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

例の爆音の結論

 

あれ体感した人ならみんな分かるで候。

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こんな感じなんですよ。

ドーン!ドドーン!。

直撃すると、家がグラグラ、ミシミシ揺れるんですよ。重機(油圧ショベルカー)が近くで作業したら、揺れるけど。

 

・家が揺れるのは、重機(ショベルカー)みたいな特大な動力

・あの爆音は家を揺らすから、重機並みかそれ以上のちから

 

なんですよ。普通に考えれば、分かると思いますが。

さらに考えてみれば

 

・ドアをバーン!やっても、数十m離れた家は揺れない

・人(70kg)が地面でジャンプしても数十m離れた家は揺れない

 

こういうことですよ。

うちには重機もないし、力士もいませんよ。

隣のいかれたおばさんが、ドアを思いっきりバーン!やっても、どっかの爺さんが雨戸バーン!やっても、この家も数十m離れた家もおっぱいも揺れませんよ。

 

俺がやってるわけじゃないのに、何年も何年も俺がやってることにされ続けた。

思考停止。上から言われて俺が犯人と思い込んで決めつけて。

連日連日、意地悪、嫌がらせ。ねちねちねちねちねちねちねちねちねち。

埼玉にいた時もそうだった。俺が全ての罪を背負わされた。

 

 

爆音振動の正体ってなんだ

 

以前は爆音の正体は、自衛隊の戦車の砲撃(演習)か、航空機が発生させるソニックブームかと思ってました。

飛行機が上空飛ぶ時ドーン!くる確率が高いので。しかし、

ソニックブーム、速度がマッハ2以上ないと発生しないらしい。

・爆音振動は深夜も発生(自衛隊は深夜にドドーン!という演習しない)

 

国土交通省に爆音ドーンは飛行機がやってて、隣のおばさんが暴れるんです、どうにかしてとメールしてみたら、一応収まってきた。

 

ということで飛行機から爆音を飛ばす仕組みは、以下の候補に絞られました。

・旅客機についてるレーダーで衝撃波を地面に飛ばしてる

・旅客機のジェットエンジンで衝撃波を地面に飛ばしてる

 

ところで、 旅客機のパワーってすごいのですが。

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馬力 - Wikipedia

 

飛行機って、上空5,000~10,000mみたいな、積乱雲並みに高いところを飛んでるわけなのです。

それなのにエンジン音が、ゴーーーーーって地上でも大きく聞こえるわけなのです。

要するに、70,000万馬力もあるからですよ。お馬7万頭分ですよ。

あと旅客機のレーダーについても。

ANA機体メンテナンスセンター(ANA機体MC)で,B787(JA805A)の整備中の場面に出くわしたのですが, ノーズレドームを開いている光景を撮影できましたので, その時の写真を公開したいと思います.この光景相当珍しい光景ではないかと思います. B787の気象レーダーですが,Rockwell Collins社製 XWR2100マルチスキャン気象レーダーです. このレーダーは従来の2倍の600kmまで探知可能な仕様となっています.

JA8094's 航空機 Diary  -  B787がノーズレドームを開くと・・

2013年の時点で、旅客機のレーダーの威力は、600km先まで届くものだった。

気象レーダーとは

気象レーダー(きしょうレーダー)は、気象状況を観測するためのレーダーである。アンテナから電磁波を放射し、反射して返ってくる電磁波を分析することで、雨や雪の位置と密度、風速や風向などを観測している。レーダーの種類にはいくつかあり、それぞれ観測できるものが異なる。

気象レーダー - Wikipedia

旅客機は、強力な各種の電磁波などを、ドーン!と照射するレーダーを持ってるわけでした。

 

だからそんなすごいパワーな飛行機から、電磁波やら衝撃波やら超音波を飛ばした場合、衝撃波はドーン!と届くし、家が揺らせるのも明らか。しらんけど。

・旅客機についてるレーダーで衝撃波を地面に飛ばしてる

・旅客機のジェットエンジンで衝撃波を地面に飛ばしてる

 

これを補足する、以下のようなニュースもあったりするので。

 

 

戦慄! 世界中で鳴り響く謎の爆音『Mysterious Boom』が怖い

 

youtu.be

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戦慄! 世界中で鳴り響く謎の爆音『Mysterious Boom』が怖い - ナゾロジー

 

世界中で最近、ミステリアスブーム、ミステリアスサウンドが鳴り響いてるとか。アポカリプティック・サウンドと呼ばれて、終末の音だなんて形容されてますが。

ミステリアスブームも、多くの場合、飛行機、旅客機が発生源である可能性についてニュースで指摘されてました。

これ、日本ではほとんど知られてなかった話ですが。

 

航空会社は、ケムトレイル放出(毒物の空中散布)を請け負ってるとかいう話もあるので。トランプさんも旅客機のケムトレイル放出は存在すると、ツイッターで暴露してました。

どうも世界中の旅客機は、本来の業務以外のことを色々やってておかしくないようで。

まぁテレビによる政治関連のニュースはあんまり信じてないけども、科学的なニュース報道は、ある程度ほんとのことを言ってることもあるかと。

会社員が防犯集ストに参加して、誰かに意地悪仕掛けるのと似たようなものだと思いますけど。

一般人は車を使ってドアバーン!クラクションプアー!。

パイロットは旅客機を使ってドーン!。

同じじゃないですか。

 

旅客機の高出力のレーダーは超音波、衝撃波、電磁波みたいなものも、照射できそうだし。ジェットエンジンの7万馬力の圧力を遠方まで飛ばす技術も、、まったく不可能ではなさそう。

 

ちなみに近年はこんなのもあるとか。

爆風型衝撃波発生装置「ブラストチューブ」完成防医大防衛医学研究センター(2017年4月7日)

 

医大防衛医学研究センター(所沢)は4月7日、同センター外傷研究部門が開発した爆風型衝撃波発生装置「ブラストチューブ」を自衛隊の医療関係者らに初公開した。

実爆をシミュレート 救命システムや爆傷防護に応用 装置はセンター内の縦8メートル、横12メートル、高さ2.5メートルの室内に設置され、中央にはマッハ約2の爆風と衝撃波を発生させる内径35センチ、外径40センチの衝撃波管が鎮座。衝撃波の発生は「2重隔膜による破膜方式」を採用。

隔膜部に2枚の円形の金属板を管内に設置し、隔膜部の大気を瞬時に開放することで前後に圧力差が生じて金属板が破れ、圧縮空気が放出される。

さらに、爆風や衝撃波を可視化するシュリーレン装置を常備。高速度カメラで衝撃波を撮影し、リアルタイムでコンピューターに記録することができる・・・

 

爆風型衝撃波発生装置「ブラストチューブ」完成 | 電脳工廠・兵器(武器,弾薬)庫

 

俺が引っ越してきた直後に、こんなニュースが出たりしたので意味深です。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

爆音スイッチ、押しまくった人は大勢いたと思うのですが。何時何分に押したか、何十回押したか、どこに向けて放ったか、しっかり記録されてると思いますけど。

 

とにかくドーン!ドドーン!(グラグラ)・・・、は俺じゃないです。

 

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チャーシュー麺はなぜチャーシューラーメンじゃないか?を考えて辿り着いた卑弥弓呼の真相

近頃は、俺って一体何者なんだっていう、悩み事が増えた・・・。

むかしから罵倒されつつ、お前は単なる雑魚だ、◯◯◯だとか、底辺な感じにしか扱われないので。
ほんとのことは、誰も教えてくれないのです。教えて大統領。

 


チャーシューメン

 

真面目な話をしますが、最近は2日に1回食べるほど、ラーメンが好きらしいんですよ。

袋の種類、カップメン、生麺など色々試しましたが、基本は塩ラーメンに落ち着いてしまう。

それでチャーシューメンについて、ふと思うところがあったんです。

味噌ラーメン、ねぎ味噌ラーメン、醤油ラーメン。色々なラーメンがあるんですよね。

でもなんで、チャーシューメンは、チャーシューラーメンじゃないのかと。

「ラー」が抜けて、チャーシューメンになったのかと。疑問が浮かんでパンを2枚ほど食べたくなりました。

ラーと言えば、古代エジプトで信仰された太陽神ラー、のちにアメン神と習合した、アメンラーの、ラーですよ。関係ないですが。

このチャーシュー、中国発祥なんですけれど、漢字では「叉焼」と書くんです。これ簡単にいえば串焼きっていう意味だそうで。

中国のチャーシューは、豚肉に紅麹という調味料を塗って、串刺しにしてじっくり照り焼きにするのだとか。叉が串のことだそうで。

一方で日本のチャーシューは、豚肉に網を巻いて、醤油ベースのたれでぐつぐつ煮込む、煮豚なんだそうで。

つまり日本ではチャーシュー(叉焼)とか書くのに、実態は焼豚じゃないんですよ。
煮こみ豚、煮た豚、煮豚。

例えて言うならあれですよ、焼そばとか言って揚げ玉ボンバーを飛ばしておきながら、じつはお湯でゆでる、茹でそばが実態だったりする、焼そばみたいなもんですよ。日本のチャーシューは。

あるいはあれですよ、千葉にあるのに東京ネズミーランドみたいなものでした。

 

・ところ変われば品変わる

・ところ変われば呼び名も変わる

・郷に入りては郷に従え

と言うように、何事も場所と人が違えば、物の使い方、作り方、呼び名や意味すらもまるで別物になったりします。チャーシューも、そういった範疇の食べものだったんです。

そうしたら、ソーセージを入れたラーメンは、ソーセーメンになるのだろうかなどと考えつつ、コーヒーをがぶ飲みして逡巡する日々が続きました。

しかしこれ、チャーシューメンのラーが抜けた話でしたっけ。脱線しました、すみま千円。

 

さて真面目な話の途中ですが、チャーシューのラーが抜けてるのが、なんでなのかと考えてみました。

 

第1候補 修羅場

ラーメン屋さんはチャーシューラーメンにすると、シューラ(修羅)が入ることを気にした。

修羅とは阿修羅のことで、戦いの神である。修羅場になったら大変だ、だからチャーシューメンにした。

 

第2候補 長いから

味噌ラーメン、醤油ラーメン、短くまとまってる。しかしチャーシューラーメンにすると、長い感じは否めない。

だからラーメン屋さんは考えた。「あ、ラを抜こう」と。するとチャーシューメンと、語感がイイ感じになったじゃありませんか。

しかしねぎ味噌ラーメン、鶏白湯ラーメン、他にも長いのあるわ。

 

第3候補 ら抜き言葉

近年の日本語は、少しづつ変化してるらしい。まぁ古代のやまと言葉から、かなり変容を遂げているわけなので、今後も言葉は変わっていくのだろう。

ら抜き言葉とは、例えば「食べられる」を「食べれる」と言うような表現。

らを抜いたって通じるからいいじゃないか的なことで、ら抜き言葉がが広まったとか。

チャーシューラーメンに「ら」がなくてチャーシューメンなのは、もしかすると、ら抜き言葉なんだろうか。

こんなふうにチャーシューメンについて訳のわからない、くだらない考察をいつものようにしてました。

すると、なんか奇妙に古代のあの謎に符合するなぁと、思うところがありました。

それは、卑弥弓呼についての謎ですよ。(ここでようやく、卑弥弓呼のことを書くことが決まった)

 


卑弥呼と卑弥弓呼

 

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魏志倭人伝 - Wikipedia

 

むかし倭国には、全体の中枢である邪馬台国がありました。そこに女王の卑弥呼がいました。魏志倭人
邪馬台国には、対立して修羅場を起こしたらしき勢力がありました。
それが狗奴国というところ。

狗奴国を支配する王は、「卑弥弓呼」と、伝わってるのですよ。この名前、なんか奇妙ではないですか。

卑弥呼にたいして、卑弥弓呼。

邪馬台国 卑弥呼

・狗奴国  卑弥弓呼

 まさに、この二人は、鏡見合わせに近いというか。卑弥呼を見てると、チャーシューメンの話を、思い出してしまいます。弓を抜いたら卑弥呼、弓を足したら卑弥弓呼なんですよ。

むかし弓のことは「ゆみ」と呼んだでしょうけども。卑弥呼は音読みだから、卑弥弓呼も音読みして、ヒミキュウコ、あるいはヒミクコというのが定説です。秘密弓子。

この人物は一体誰だろうと考えたのですが、「魏志倭人伝」だけ見ても、わかりません。

 

 

だから「日本書紀」をちょっと開きます

 

実は卑弥呼の時代の出来事は、日本書紀でいうところの、崇神天皇の条なのですよ。

崇神天皇は、卑弥呼が男装した姿でした、というのは個人てきな想像です。

日本書紀
崇神天皇のとき、疫病の蔓延や百姓の流離や反逆が起こった。

魏志倭人伝
卑弥呼のとき、倭国乱が起きました。「後漢書倭人伝」では倭国大乱という。

 これらの出来事が同じものだというのは、別の記述からも分かります。

初めての人口調査、これは倭国では卑弥呼の時代に世帯調査があったのが最初です。
日本書紀では、崇神天皇の時に、初めて人口調査したと、書いてあるんですよ。

 

あとは崇神天皇の名前が、卑弥呼に似てます。過去の記事にも書いたんですが。

・御間城 mi-ma-ki

卑弥呼 hi-mi-ko
i-m-kで一致、名前を意図的に似せてるというか、分かるようにしてるような。

御間城はごま塩みたいな語感ですが「みまき」で、崇神天皇の和風諡号の最初のほうです。

他にもありますが、色んな要素が一致してるので拙著では崇神卑弥呼と判断しています。

 


狗奴の卑弥弓呼とは日本書紀のあの人でした

 

さて、魏志倭人伝では、女王に反逆するのは狗奴国の卑弥弓呼でした。対して日本書紀では同じ人が記録されてるの?となるところ。

調べると、崇神天皇の時代、崇神天皇に抵抗した人物が思い浮かぶんです。
建波邇安王(たけはにやすのみこ)。別名は武埴安彦命

このかたは皇位継承権を持ってた人でしたが、妻の吾田姫と一緒に、崇神天皇に反逆しました。

彼が拠点にしたのは山城国、いま京都がある場所です。仮説を元にすると、狗奴国は山城国をふくむ中日本から東日本方面となるわけですが。

魏志倭人伝 卑彌弓呼

日本書紀  建波邇安王 

存在感は似てますが、性別も名前も一致しませんね。しかし。ちょっといじくると名前も似てきます。

 

卑弥呼の弥は本来は「彌」で、これはいよいよみたいな意味ですが、「邇」に似た字を選んだようです。邇は近いという意味だから?

・埴は、羽ではないかと思いました。古代の琉球語では、ハニとは羽のことらしく、昔の日本語の特徴は、いまも沖縄方言にのこってるんだそうで。(弓は空を飛ぶ、羽根は空を飛ぶ)

・古来、弓とは武人の象徴でした。卑弥弓呼は、武人だったんです。タケハニヤスは、頭文字に、武が付いてますね。どっちも武人で一致するのは、偶然ではなさそう。

 

そんなこんなを考えた挙げ句、やっと名前が、一致することに気がついたわけです。

卑弥弓呼 hi-mi-yu-mi-ko

波邇安王 ha-ni-ya-mi-ko

なんか、みたらし団子と、みだらし団子(岐阜の呼び名)くらい似てますね。どっちも中身はおんなじ団子ですが。

 弓を「ゆみ」とし、安を「や」と読むと、両者の名前が、瓜二つになるんですよ。

 

これは例えばヤンヨーステンがヤエスになって八重洲になったみたいなのよりは、変化は小さいかと。

Jan Joosten

jan-joo-sten ヤンヨーステン

ya - e - su 八重洲

 むかし武蔵国には无邪志(むざし)という別の表記があったり、近江(おうみ)は淡海(あふみ)と呼ばれたりしたのですが。

まぁラーメンだって昔はラウメンとか言ったし、漢字では拉麺とか老麺とか、中華そばっていう別名も通じるくらいだから。

卑弥弓呼と波邇安王の違いも、転訛やら文字の選出が影響しているようです。

名前が訛って記録されたというか、弓だけ訓読にしたら、建波邇安になるという言葉遊びを加えてる、そんな気がしました。

つまり卑弥弓呼が建波迩安王と同一人物ならば、魏志倭人伝の記録は間違いなく、日本書紀崇神条です。

しかも、狗奴国は山城国より東にあったと、言えるわけなのです。

 

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邪馬台・大和の名は烏孫を改造したものが起源だった説

久しぶりに、烏孫関係で閃いたので、いちおまとめておきます。

このブログではたびたび日本の烏孫起源説をとりあげてまして、記事数もかなり多いです。一冊本が書けそう。

しかし最近はいいこともあるとは言え、貧乏だわ、ウソみたいな奇妙な出来事はありすぎるわ、頻繁にイライラさせられるで、人生がひどいのは相変わらず。

全てボクチンが悪いのだろうか。

 


烏孫の名前

 

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三足烏 - Wikipedia

 

さて、騎馬民族の国だった烏孫(ウソン、ウスン)という名前は一体何を示すかというのは、以前から議論がありました。

一説には

烏孫」の現代中国語読みは「ウースウェン(Wu-sun)」で、中期中国語では「オスウェン(ɔswən)」、古代中国語では「アスウェン(âswin)」となる。

これは古代インド語で「騎手の複数形」(または双子の騎手の神)を意味する「アシヴィン(aśvin)」に近く、「烏孫」の原名は「アシヴィン(Aśvin)」であったと推測される。[5]

烏孫 - Wikipedia

 

最近は、こんなアスウェンだとかアシヴィンみたいな、ぽっと出の仮説があるようで。

手元の学研漢和大字典の上古音とちがうので、ちょっと意外な感じ。

個人的には、烏孫人は太陽に住むという三足烏を、家紋のようにシンボルマークに使ってたかもしれないとの仮説を考えました。

三足烏が仕える西王母は、中国の崑崙にいたとの記録があるとか。

ここは初期烏孫があった祁連山脈の近く。

この三足足烏は、太陽の中にいる設定なんですよね。これは古代エジプトの太陽神ホルスによくにてる。

つまり三足烏を信仰する人々は、古代エジプトからタリム盆地の西域(新疆)の崑崙に移ったんではないかと。

その叡知は烏の名を持つ烏孫が受け継いだんではないかと。

後にヤタガラスとして日本の熊野へ入り込み、信仰された、という想像ですが。

ちなみに日本書紀では神武天皇は三足烏ことヤタガラスに道案内されてますね。

あの話では、熊野のあたりから兄宇迦斯・弟宇迦斯兄弟、兄磯城・弟磯城がでてきます。

あれ、宇迦斯(うかし)の迦斯は月氏、兄磯城(えしき)はイシク湖であると、考えたのはずっとまえでしたが。

神武東征は中東から出発し、西域にたどり着いて烏孫を建国した物語であると、発想して記事かいてました。どっかに関連記事あります。

はなしはもどって、烏孫は烏の孫、すなわちエジプトという太陽神信仰の本拠地を、まるで孫のように受け継ぐ国みたいな意味合いではないかなと。

烏三としてもあんまり違和感がないのは、三足烏の名前にかけているからかも。

 

そういえば関係ないかもしれないですが、アスウェンと言えば古代エジプトのアスワンとそっくりだけども、偶然だろうか。

アスワンといえば、アスワンハイダムとか、紀元前にできたアブシンベル神殿みたいなのが有名だったりするとこすね。

 


邪馬台と大和は烏孫を受け継いだ

 

さて烏孫が日本に受け継がれたなら、「なんで烏孫の名前が日本にないの?」という話になります。

これは古代中国や、騎馬民族の国を見てもわかる通り、王朝が変われば国名も変わってしまうことが関係するような話かと思いますが。

でもそうじゃなかったです。

これは誰も知らない秘密の一端、というか俺の妄想ですけども。

 

古代に烏孫の中枢である天皇が日本列島に移転するにあたり、

烏孫の名を改造して、邪馬台国や大和の名前ができたんではないかと、考えました。


その理由は以下のとおりです。

 


烏孫、鴉末、邪馬台、大和

(1)まず烏孫というのは、烏+孫でできてますよ。

(2)烏は、別の漢字に置き換え、「鴉」とも表記できるじゃないすか

(3)孫は、日本語の別の言葉で言い換えれば「末(すえ)」と言うのですよ

(4)すると、烏孫は、「鴉末」になるではないすか

(5)鴉末は、音読みすると「ヤマツ」なのですよ

(6)鴉と邪馬台の「邪」は同じ牙編ですね

(7)ヤマツのツの子音がoに転化したら、「ヤマト」ですよ

(8)ヤマトに漢字を当てたら、邪馬台になるじゃないすか

(9)のちに漢字を代えて、大和ですよ

 

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つまり、烏孫➡鴉末➡邪馬台➡大和

という知られざる、烏孫を元にした、国名の改造があったのではないかと。

すなわちそれは天皇が、烏孫=ヤマトから来たことを表すに、他ならないわけですよ。

 

まぁ信じられませんね。信じなくていいです。

 


他の古名が証明する

 

それは、地名によっっても証明できたりします。

むかし日本の古名は「扶桑(ふそう)」といったのですが、これは扶桑(huso)なので「uso」が入ってるのは嘘じゃないです。とすると、烏孫の発音は、むかしはアスウェンではなく、wusonに近い発音だったのかもしれないすよ。

また、葦原の中つ国(あしはらのなかつくに)の異名も、烏孫がアシンだとしたら、葦の発音で一致するような感じ。

あとはかつて奈良の土地が、烏奴国(宇陀)だったことも関係しますね。

何しろ卑弥呼の時代に、日本列島がユーラシア大陸に見立てられ、烏孫は宇陀、サカは大阪(ウサカ)、トハリ(トカラ)は巴利国(播磨)、匈奴信濃、扶桑は総(ふさ)国みたいに、地名が当てはめられて、名付けられてたからですよ。想像ですけど。

あとは弥生時代に魏が編纂しれた「魏志」では、国名が列挙されてる中で、倭だけタイトルが「倭人」なのも気になるところ。これは烏孫ズーズー弁みたいに濁ってウズンと呼ばれたものと、倭人を掛けているからなのではないか?と思ったりしました。

ちなみに10世紀頃、烏孫があった土地のそばには「ウズ人」がいたのです。ウズベキスタン人の先祖ぽいですが。

紀元前から3世紀まで烏孫があり、その土地に10世紀にウズ人がいて、いまはウズベキスタンがある、ということは関連がありそう。

ウソンがウズに訛ったかもしれないという可能性は、大陸にもあったりするのです。

烏孫 ウズン wu-zun

倭人 ワジン wa-zin

 そうすると古代の烏孫の読み方は、アスウィンではなく、やはり「ウソン」に近くて、だからこそ10世紀までウズの名が残ってたのかと。

 

まぁ、上記はぜんぶ以前書いてた俺の想像ですけども。

 

そして、過去の調査で、ユーラシア大陸には、ヤマトの道筋があることが判明してました。

 

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「うそーん」ユーラシア大陸に連続していたヤマト系地名

烏孫のあたりに邪馬台みたいな地名があり、それが東夷の扶余を経て、倭まで繋がってるんではないかということです。

 

こうなると烏孫邪馬台国、大和の繋がりはもう、明らかじゃないですかね。

 

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躑躅の予言

 

偶然なんてあるんですかね。

 

kiji.is
(新潟)胎内市つつじが丘でクマ出没 10月7日午後 | 危険 ...
胎内市によると、7日午後3時ごろ、胎内市つつじが丘にクマが出没しました。(特徴:不明). □出没時や発見時の状況・クマが目撃された。 □現場付近の施設・開志国際高校、櫛形ゴルフ倶楽部、JR羽越本線. トピック.
2週間前
 
 
kiji.is
(石川)金沢市つつじが丘でクマ出没 10月12日未明 ...
金沢市によると、12日午前1時25分ごろ、金沢市つつじが丘にクマが出没しました。(特徴:1頭). □出没時や発見時の状況・クマが目撃された。 □現場付近の施設・つつじが丘会館、つつじが丘公園、犀川. トピック.
1週間前
 
 
kiji.is
(兵庫)神戸市垂水区つつじが丘4丁目付近でサル出没 10 ...
出没時や発見時の状況・サルが目撃された。 □現場付近の施設・つつじが丘小学校、桃山台中学校、つつじが丘公園、神戸つつじが丘郵便局、☆トーホーストアつつじが丘店.
2週間前
 

 

偶然は全部必然だっていう話もあるけども。

 

新潟、石川、兵庫という離れた3ヶ所の「つつじが丘」。

2週間以内にクマとかクマとかサルとか出没して、それぞれのつつじが丘を騒がせてました。

 

で、先日の東京の調布では、つつじヶ丘で道路陥没。

 

調布市の住宅街で道路陥没 1カ月以上前から騒音や振動の「異変」
陥没で大穴の開いた現場は京王線つつじヶ丘駅から南東に約400メートルの住宅街にある市道。住民らによると穴の大きさは長さ約5メートル、横幅約2・5メートルで深さは約5メートルほどあり、道路だけでなく、一部 ...
3日前

緑色の家に面した道路が、陥没してました。

原因は住宅地の地下の高速道路のトンネル工事だなんて言ってましたが、それが真相だと素直に受け取れるわけがない。

そういえばうちの近くでも、大規模に道路陥没して、長期間通行止めになってましたね・・・。山の中なんで、何が起こってもニュースにならないんですけどね。何が起こってもw

 

ところでつつじってなんだろうと調べると、こんな質問と回答があったんですが。

 

Q0481

ツツジは漢字で「躑躅」と書きますが、2文字とも「足へん」です。どうしてですか?

 

A

「薔薇」はバラ、「葡萄」はブドウ、「菖蒲」はアヤメ。いかにむずかしい漢字でも、「草かんむり」が付いててくれれば、草花の名前であることはわかります

。でも「躑躅」ときた日には、これがあのきれいなツツジを表すなんて!難読漢字のクイズによく出題されるのも、もっともです。

この「躑躅(音読みではテキチャク)」を小社『大漢和辞典』で調べてみると、意外なことがわかります。まず最初に出てくる意味は、「足で地をうつ」。2番目は「行きつもどりつする」。3番目は「躍(おど)りあがる」。てな具合で、なかなかお目当てのツツジが出てこないのです。でも、「躑躅」の意味が本来はこの3つだったとすれば、「足へん」が付いているのはナットクできるところ

でも、こんな意味を持つ漢字2文字が、どうしてツツジの花を表すことになったのでしょうか。

大漢和辞典』の「躑躅」のところでは、ツツジという意味が書かれているのは4番目になるのですが、そこに、「羊躑躅(ヨウテキチャク。ツツジの一種)」に関連して、5~6世紀ごろの学者・陶弘景(とうこうけい)の意見として、次のような興味深い話が載っています。

羊がその葉を食べると、「躑躅」して死ぬ。それで「羊躑躅」というのだ。また、別の本には、次のようにあるとも書いてあります。

食べれば死ぬので、羊たちはこの葉を見ると「躑躅」して散り散りに分かれてしまう。だから「羊躑躅」という名を付けたのだ。

どちらの場合も「躑躅」するとは、「おどり上がる」ことなのでしょうか?後の説では、羊さんもちょっと賢くなったようですね。何にしろ、このあたりが、ツツジを「躑躅」と書く由来のようです。でも、本当でしょうかねえ。ちょっと、おもしろすぎやしませんかねえ。

 

ツツジは漢字で「躑躅」と書きますが、2文字とも「足へん」です。どうしてですか?|漢字文化資料館

 

躑躅・・・右往左往、おどり上がる、怯えて逃げる、みたいな

・羊が食べると躑躅して死ぬ。死因、躑躅死・・・。

・羊が見ると躑躅して散り散りになる

こんな感じ。

 

各地のつつじが丘でここ2週間で野生動物がでて、住人が躑躅した。

調布のつつじヶ丘で道路が陥没して、住人が躑躅した。

世界中がコロ中で、羊のような人々が躑躅したような世界になってるわけだったのですが。その中でさらにつつじと羊が、なんかを示し始めたような。

個人的には、どこからか「来年まで待て」なんていうお告げ?があったような気が。このお告げは2019年もあったんですけどね、コロ中になってしまった。

 

それでこの調布の事故はなにかを予告、予言しているようで怖いと思ったのは、こんな映像があったから。

 

まなちゃんぽん on Twitter: "普通に動画みて一瞬しか映らないのに目がいった😭

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ニュース映像の中に、なんか髑髏が映ってたとかで、話題でした。

もうみんな躑躅

 

躑躅ヶ丘の受難が何を意味するのか、今のところは経過を見てるしかなさそう。

今度は何が起こるんだか。

 

 

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魏志倭人伝の倭の三十国の配置と青龍の関係・・・国の順番と形に意味があった

 

 

「倭の30国は数珠つなぎ説」というのは、もう10年以上も前に考えついてブログに書いてた話。

これがどうも四神で言うところの青龍と結びついてたのかと、気づくことになりました。

ところで先日、自宅で電動工具使って工事した。ドリルでビス締めするとバリバリ音がするのは通常仕様だし、硬い木にビス止めするとキャキャキャー!って音が出ることがあるのだが。以前クラクション連発してたチンピラにキャーキャー騒がれてしまった。

昨日は隣の閉じ込められおばさんに、朝から深夜まで叩きまくられて仕事ができなかった。氏ねばいいのに。

そういえば最近、隣のおばばが爺さんの死体をミイラにして隠してるという、想像が膨らんで止まらない。

 

 

倭の30国は線が交わらない

 

魏志倭人伝」に記されている倭の30国というのは、あれはバラバラ適当に言ってるわけではなかったです。全部ひとつなぎ、数珠つなぎなのでした。

 

最初の方の、

狗邪韓国・対海国(対馬国)・一大国・末盧国・奴国

 ここまではおおむね、朝鮮半島南部から対馬海峡を経て博多湾岸までだという解釈で一致してるのですよね。

つまり線が交わらない、数珠つなぎであると。

ちなみに倭国の最初である狗邪韓国は、今の韓国の金海市~巨済島の付近と見られます。当時は大陸に倭の拠点があったようで、魏志韓伝を見ると朝鮮半島倭人がウヨウヨいた様子が分かったりします。

話は戻って、これら5つの自治体だけでなくそれ以降の諸国も、全てが線が交わらずに一筆書きで表していると。そう考えたほうが自然な感じがしました

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 では少し解説を挟みながら進みます。

 

・狗邪韓国・・・当時の倭の最北端、弁韓金官伽耶加羅

・対海国・・・対馬(長崎)原文では対海国になってる

・一大国・・・一=壱、壱岐、おそらく一大率の管轄(長崎)

・末廬国・・・maturo→松浦郡(佐賀)

・伊都国・・・糸島半島(福岡)

・奴国・・・那の津(福岡)

このへんまでは多くの歴史家がむかしから提唱してたので、納得する人も多いかと思われました。問題は以下であるが。

 

・不弥国・・・fumi→宇美町穂波郡(福岡)

・投馬国・・・toma→homa(宝満宮、宝満山)、玉依姫、のちの大宰府(福岡)

邪馬台国・・・最初の邪馬台国は、奈良と地名が同じ筑後平野(福岡)

これは安本美典さんの邪馬台国朝倉説を採用してますが、個人的には筑後平野佐賀平野と周辺の山岳を含む一帯が邪馬台国の範囲であったと考えています。それで大和、山門、八女の名が残ってるのだろうと。

投馬国については、太宰府市の宝満宮が関係する。ここは玉依姫を祀る神社で、むかしの国の守護が置かれた太宰府に繋がる場所だった。

投馬→toma→homan→宝満山、あるいは投馬→toma→tama→玉→玉依姫かもしれない。

 

・斯馬国・・・線が交わらない説で考えれば島原(熊本)

己百支国・・・熊本の葦北郡はその昔は葦分、iwaki→己百支国→葦分(熊本)

・伊邪国・・・鹿児島西部の伊佐郡(鹿児島)

都支国・・・線が交わらない説で考えればtoki→都城。当時トキだったのが、今はみやこのじょうになってる(宮崎)

彌奴国・・・midu→水出、鹿児島西部の出水郡(鹿児島)

好古都国・・・kogotu・・・鹿児津、鹿児島郡(鹿児島)

不呼国・・・日向、hiko→hugo→不呼(宮崎)

姐奴国・・・sona、曽の国 曽於郡大隅半島(鹿児島)

 ここまでが九州西側から南部の諸国を、順番に記してるということになってるようだった。

 

對蘇国・・・tuso→土佐(高知)

蘇奴国・・・sona→さぬ国、讃岐(香川)

・呼邑国・・・koyu→児湯郡(宮崎)

華奴蘇奴国・・・ka-na-so-na→ku-ni-sa→国東(くにさき)郡(大分)

・鬼国・・・安芸国、芸国で鬼国(広島)

・爲吾国・・・igo→伊予国(愛媛)

・鬼奴国・・・吉備国、鬼ヶ島の国(岡山)

・邪馬国・・・線が交わらない説で行くと出雲(しゅも)、八雲(やも)で邪馬(島根)

躬臣国・・・櫛磨郡(兵庫)

・巴利国・・・播磨国(兵庫)

・支惟国・・・きい、紀伊(和歌山)

ここまでが豊後水道、瀬戸内海、紀伊水道など の内海の周辺の諸国。海域を囲むように、四国からぐるり円を描くように順番に書いてるようでした。

ちなみに邪馬は大和(奈良)ではないかと考えたんですが、線がどうしても交わってしまうため、出雲説を採用しています。出雲は国譲りによって邪馬台国に制圧されたので、そのあたりを邪馬の字で表したかも。

 

・烏奴国・・・udo→宇陀郡(奈良)後の邪馬台国

・奴国・・・美濃、信濃の濃→奴(岐阜・長野

ここまでが本州の中央方面を書いてるようでした。

ちなみに個人的に狗奴国は東海地方から関東の鬼怒川の土地、かなり広範囲だったと考えてるんだけども。

 

全体の感想としては、こんな感じになってました。

1・倭の30国の基本は国郡名など今も有名な地名を主体とする

2・まず最初に九州の北部から南部を順番に紹介

3・次に内海の周辺をぐるりと順番に

4・最後に本州を東へ紹介していく

5・すべての国はバラバラではなく、一筆書きで線が一切交わることがない

6・それぞれの国が周囲の広範囲を納めていた

まぁそれぞれの諸国の対応する地域は、不満がある人もいるかもですが。この30国の形は、こうでなければいけない明確な理由が他にもありました。

 

 

四神の青龍との関係

 

なんでこの解釈が正解なのか?という話ですけど。これがどうも四神の青龍に関係してるんではなかろうかと。そんな妄想が浮かんできたのです。

むかし中国では、4つの方角を司る霊獣が存在すると言われてました。それが東の青龍、西の白虎、南の朱雀、北の玄武、そして宇宙は5種の元素からなるという五行説を元に、中央に麒麟を配す形だったわけですが。

これらは方位だけでなく、色や季節にも対応してました。

青龍 東 青 春  木

白虎 西 白 秋  金

朱雀 南 赤 夏  火

玄武 北 黒 冬  水

麒麟 中 黄 土用 土

こんな感じで。

四方を青い海に囲まれた日本列島は、昔から龍の姿であると言われてたりもしました。

古代中国から見ると、まさに東方の倭は方角からも形状からも、青龍に当たる国だったわけで。

日本で出土する銅鏡のなかに、方格規矩四神鏡(ほうかくきくししんきょう)という種類がありますね。そこに青龍が描かれてるのですが。

それで倭の30国の形は、個人的な発想によれば「青龍の形」になってるんですよ。

 

ちょうど卑弥呼も生存してた青龍三年(235年)の銘がある方格規矩四神鏡を見ると、青龍が描いてあります。

ウィキペディアの写真を拝借すると、

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銅鏡 - Wikipedia

おそらく陸地を龍に見立てているので、島しょ部は舌とか角とかになりそうです。

・青龍の頭部 末廬国から邪馬台国までの北部九州

・青龍の長い首 斯馬国など九州西部

・青龍の前足 九州南部の好古都国など

・青龍の胴体 不呼国以降

・青龍の尻尾 先端が奴国

九州の南方がごちゃごちゃしてるのは、青龍の前足を表現してるからですね。胴体がS字にくねってるので、いったん四国に入ってから九州へ戻る形にしてるんです。

そして瀬戸内海を取り囲むように胴体を表し、東の尻尾が伸びていくという形になったよう。

倭国邪馬台国が銅鏡や漢字など、中国の文化的な要素を取り入れていたのは確実だし。倭の30国の並びが一筆書きで青龍を描いてるというのは、ありそうだなと、日々妄想しています。

 

関連記事

倭の諸国分析5

 

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生まれる前からの運命操作の痕跡探し

 

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久しぶりに自分探しをしようと思い、過去の出来事や書物など探してました。

自分探しの目的は、

「俺の人生の失敗て、人為的なんじゃなかろうか」

という、長年の疑問の答えを導くことにあるわけですが。

でも人はどうせ「自己責任のくせに」とか「またこいつ人のせいにしてるよ」みたいに言うのですよね。

しかしこの話を読んだあとには、ちょっと俺に対する印象、変わってるかも。

それにしても、毎日隣のおばばにイライラさせられる出来事が続くので、はやく全部転換してほしいと思うしかないですが。

 

 

奇妙な住所の数字

 

実は少し東京にいたことがあって、その時も色んな圧力を受けて気が狂いそうでした。

住んでたのは不動産に紹介された、住宅密集地の普通の汎用的な仕様のアパート。

で、その時の住所の数字の並びをまとめると、「22117」だったんすよね。これは当時はなんにも気にしなかったですけど・・・。

しかし10年経って別の場所に引っ越したら、おかしな事実がわかりました。

引っ越した静岡の90%事故物件と言って過言ではなかった家は、俺の年齢より古かった中古住宅です。

この新たな住所の数字が、東京の住所と、ほぼ同じ数字になると気づいてしまったんですよ。

その数字の並びは、0を抜くと「222117」なのです。

 

15年前の東京の住所 22117

いまの静岡の住所 222117

 

( ̄▽ ̄)なんて国体(こったい)・・・狙っても無理です、こんなポーカーやったらツーペアが2連続みたいな住所が出るのは。

この別荘地の住所って「俺が生まれる前からあった」のが確実です。

国土地理院の航空写真を見ても、古い画像にもはっきり屋根が写ってるので、ほんとに不思議過ぎる。

偶然にそっくり住所番号を選んでたとしたら、どんだけの確率だろう。

あるいは秘密裏に誘導されてた、と言う話ですよ。

 


130

 

で別荘地の別荘番号に1と30が入ってたのもなんか出来すぎてました。
何故ならば、俺の誕生日が、130だから。

で隣の車のナンバー見ても、30と01が入ってたりするわけですよ、すげーなっと。

 


運命の鍵・・・

 

それで、この生前から存在する家の鍵番号4桁に、例の呪いの数字が入ってたのは、なんか意味深でした。呪いの家かと。

と書いてるのは10月6日ですが、隣のおばばがやたら反応して、ゴンゴン叩き出すわけですよ、あ、やっぱ呪われてるわ。はやく警察に捕まれよ。たたりじゃー(1977年の八つ墓村の流行語)。


で、この家に来て庭の掃除やら自宅修理してたら、こんな謎のふるい鍵を発掘したわけです。

この鍵はなんの扉のか不明ですが、書いてある文字見て、うわーっと思うしかなかったっす。

「H637」


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この数字、じつは「幼少からすんでた住所の数字」だったわけで。

要するにぜんぶ総合すると、俺がここに来ることが、予め決まってたみたいじゃないですか。生前から決まってたみたいな。

 

ここまでをまとめると、

15年前の住所番号 22117

今の住所番号 222117

 

俺の誕生日1月30日

今の今の別荘番号に1と30

隣の爺の車に1と30

 

今の家の鍵に呪いの数字

 

幼少から住んでた家の住所637

今の家の庭におちてた鍵番号H637

 

生まれる前から出来すぎでした、毎度ありがとうございました。

こんなの誰も教えてくれませんよ、辞書引いてもダニしか出てきせんよ。

 


生前から運命の操作してるなら何の目的で?

 

今俺がここにいるのは、人間関係がいやになって、なんにもうまくいかなくて、安い山奥の物件のほうに引っ越そうと思ったからですよ。

その理由は、

・まいにち膨大に動員される集ストに嫌気

・一々臭いとかイジメられるのに嫌気

・人付き合いから疎遠になりたいため

ですよ。

するとそんな人生で沸いてきた憂鬱な欠点やら、纏わる失敗的な出来事すらも、数字で示されたように、運命操作の一角であっておかしくないじゃないですか。

生前から誘導されてたんでしょ。

関連記事にもあるのですが、俺がネガティブ思考になり破滅思想を持つよう、誘導されてきたのかと。

周囲が一々取り憑いてストレスまみれにするのと合わせ、極めて呪術的な感じがする。

俺のあらゆるものが、波及してしまうみたいな。そこに繋げてるのかと。


そうすると、足元がグラつくのが、巷を席巻してる「自己責任論」ですよ。

俺がこんな人生を辿ったのは、果たして全てが自己責任なのだろうか。

ほかにも見つけたオイオイ的な事実があるので、今後もおいおい語ってみよう。

 

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尽、次、突、作、時・・・月の名の由来考

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日本では昔から、月にはウサギがいると信じられてきたとか。

これは中国では金烏玉兎、つまり太陽にはカラス、月にはウサギとする不思議な神話に由来するのですが。

しかし現代人は、月にウサギがいるなんて話には否定的。
たしかに、近代には月面には生物は生存しないとの話が、教科書にも書かれてる常識となってるし。

でも果たしてほんとに、月面に生命体がいないのは事実なんですかね?
自分で月面歩いて確かめた人なんか、ほとんどいないんですよね。

月面の生命体の動画

 

昔の人のほうが、宇宙の摂理をしってたかもしれんですよ。

ウンサンギガ(ウサギ)は月にいるかも。

 

 

「つき」とは何か

 

日本では昔から月を「つき」と呼びますが、その語源は定かでないです。

中国では上古にはゲツやガツ、明代からはユエ、韓国ではダルと呼んでるのとはあまりに違うし。

 

公式的には、月の名前には幾つかの由来があるとか。

 

(1)尽き説

月の満ち欠けで、光る部分が日々尽きる様子。これが繰り返されるから「尽き=月」。

これは実は、漢字の月の由来もまったく同じでした。

月とは月が欠けていく三日月を描いた象形文字だったりするから。だから「月は尽き」と言っても過言ではなかった。

角川の古語辞典や学研の漢和字典を読みふけると、むかし月のことを別名で「カクル」とかいったとある。

雲間に「隠る」は、月が「欠ける」ことに関係しますね。かぐや姫月姫なんだろう、という話は、電子書籍に書いたのですが。

だから欠けるに近い尽きるなら、月に相応しく無いこともないすね。

 

(2)次説

創造神イザナギは、太陽神の次に、月神を世に送り出しました。

日と月は常にセットで語られる。月は太陽の次の神だから、「次=月」でいいかも。

 

(3)突(舂)説

月のウサギは、日本ではなぜか餅を突いてる姿。

春に似たような「舂」はうすづく(臼突く)で、穀物を臼に入れて突く意味。

臼は上から見ると真ん丸で、正月の鏡餅も真ん丸。月で餅突くウサギと偶然であるまいようで、「突き=月」。

 

(4)作・造(つく)説

これは個人的な思い付きですが。つきは作、または造なのかもしれないです。

月は神が作り出したと、人々が言うわけですが。

月の公転・自転の周期は地球の自転にあわさり、奇跡的に完全に同じ月面しか見せない。裏側が見えないのはまさに神業。

地球から見ると、月と太陽のサイズは同じ。奇跡的に同じに見える距離にあるから。だから皆既日食が起きる。

神が作った作り物、造り物。月の神は月読(つくよみ)。つく。

だから「作=月」でいいかと。

 

(5) 時説

これも思い付きの1つ。

月は古来から、日付を知る道具でした。いわば天然の時計。

時を計る存在が月だから、時がなまって「時=月」。

to-ki

tsu-ki

発音も似てる。

 

(6)turk説

これもちょっと想像してみた話。

夏に猛暑の砂漠地帯がある中東や中央アジアでは、涼しい夜の神、月神こそが人々に尊ばれました。そこにはturkの民もいた。

トルコや中央アジアのトゥルク系は、古代からギリシアの月の神アルテミスを崇めました。

現在でもイスラム国家のうち半数が、月と星のマークを国旗に採用するのも、そうした意味があったようで。

その流れを組む人々は、弥生時代に日本の中枢に入ったらしく、日本語にはトルコ語によくにた言葉が多かったりする。邪馬台国の要人の名前だ中央アジア系だから察しがつくのですが(過去記事参照)。

turkは月神を崇める民で、彼らは月を倭国で「turk=つき」と表した。

天に浮かぶ月の荒野に、自分の故郷と自身の存在を投影したのだった。

 

(7)ノルマン語説

さらに想像してみると。

アイスランド人はゲルマン系ノルマン人で、中世にいわゆる欧州各地にいたヴァイキングに繋がる一民族だったとか。

彼らは月のことをTunglið(トゥングル)と呼んでた。欧州では月のことをmoon、luna、ayみたいに呼ぶ場合が多いから、一線を画する月の呼び名。

どこか、つきに似てるところがあるようです。

Tunglið(トゥングル)

Tsu-ki
トゥングル➡トゥギル➡ツギ➡ツキ

 日本語にはゲルマン語との共通点もあるような感じがするので、あながち無関係とは言えないかと。

 
 
などと考えてみました。
 
 
物(番外編)
 
ちなみに、思い付きの番外編ですけども。
昔の日本には欧州のムーンとかルナやアイみたいな月の名が、和名として存在したのでは?という仮説を立てました。
それで、それらしき名の名残を探してみました。すると候補があったりする。それは「物」。
 
これは物部氏が、ひょっとすると月氏系の人々ではないか?と以前に仮説を立てたときに浮かんできた話。
ものは空間に存在している、有形無形の形ある全ての物体を表す言葉。
「学研漢和大字典」によると、物の解字では「牛+勿」とあって、勿(もち)は水中に隠すさまで、物は色がはっきりしない牛、はっきり見分けられない物体の意味があるだとか。
それって、勿が月だったからなのではなかろうか。月日が経過するごとに変化して、形がはっきりしない月。
勿(もち)は餅に通じ、それが「うさぎの餅つき」に通じるといった具合に。
 
とすると古代の倭では、月にはmoonみたいな名前もあって、それが今では物=monoの中に集合されて隠されてるのかと思う。
天皇家烏孫からの流れを組む、八咫烏に守護された人々であったので金烏。歴史上で当初から天皇家の守護者となっていた物部氏
物が月なら、物部氏東トルキスタンの地域で烏孫に寄り添った月氏に該当するのではないかと。想像するだけですが。

 

 

関連記事
ウンサンギガは月に居るか - たっちゃんの古代史とか

 

 

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上毛野を象徴する赤城山の由来は崇神天皇にあったか

ずっと偉い人におもちゃにされて、世界が偉い人のおもちゃなことにも気づいたので、人生くだらねーという感じでいっぱいなので、出来るだけ好きなように生きたいというか、好きなように終わりたいです。

 

 

赤城山の神

 

 f:id:kl117cr233:20200920221135j:plain

赤城神社 - Wikipedia

 

びゅーっと平野部に赤城おろしが吹く赤城山は巨大な火山で、上毛三山日本百名山にも入る屈指の山だとか。

この山は全国に300社ある、赤城神社の総本社がある山だったりします。その本社は赤城山てっぺんの大洞赤城神社など複数の説があるようですが、いまだ確定せず。

赤城神社赤城山そのものを御神体としてますが、それぞれの赤城神社では祭神が違ってたりするようです。

赤城神社の総本社候補の主祭神

 

大洞赤城神社 

赤城大明神大国主命磐筒男神磐筒女神経津主神豊城入彦命

 

三夜沢赤城神社

大己貴命豊城入彦命

 

二宮赤城神社

豊城入彦命、大己貴尊

これ見ると、崇神天皇の子で、3世紀後半以降に関東を治めた豊城入彦命、国土開拓や医療の神である大国主神(別名大己貴/おおなむじ)。この二方が確実に入っているようです。

で、ここに赤城大明神という謎の神が含まれていました。この神は記紀神話には登場しないので、神奈備である赤城山そのものを神格化したという見方ができます。

 

しかしどうも赤城大明神の正体を考えていくと、赤城山の大蛇と同一なのだろうかとの疑念は消えませんでした。

 

 

赤城山の神話の大蛇

 

むかしから赤城山では、こんな神話があったりした。

日光市男体山の北西麓の戦場ヶ原には、男体山の神と赤城山の神がそれぞれ大蛇と大ムカデになって戦い、男体山の神が勝利をおさめた、という伝説がある。

赤城山の北にある老神温泉の地名は、このとき落ち延びた神が追われてやってきたことに由来するといわれ、「アカギ」という山名も神が流した血で赤く染まったことから「赤き」が転じたという説もある。

戦場ヶ原で負けた赤城山の神は老神温泉で傷を癒した後に男体山の神を追い返したという。

また、開湯伝説では、赤城山の神が大蛇、男体山の神が大ムカデとなっており、大蛇が勝利したという説になっている。

赤城山 - Wikipedia

 

「戦場ヶ原神戦譚」には、地名の由来となった伝説が記されている。すなわちこの湿原は、当時下野国(現在の栃木県)の二荒神(二荒山(男体山))と上野国(ほぼ現在の群馬県)の赤城神(赤城山)がそれぞれ大蛇(男体山)と大ムカデ(赤城山)に化けて戦った戦場であるというもの。なお、争いの原因は中禅寺湖を巡る領地争いで、この伝説で勝ったのは二荒神男体山)であったとされる[1]。

戦場ヶ原 - Wikipedia

 

神話によると日光の戦場ヶ原で、大蛇と大百足が戦ったとか。赤城山の神が大蛇なのか大百足なのか、はっきりしないところですが。

「戦場ヶ原神戦譚」という書物では、二荒神と呼ばれた男体山が勝ったとか。この男体山二荒山神社は、大巳貴命(大国主)を祀っているところです。

大ムカデがいなくなった赤城山赤城神社の祭神となっているのは、大国主神で、別名として大物主神と記されてるのです。

この大物主が蛇神であるとは、「日本書紀」を読むとわかることです。

 

ちなみに蛇というのは昔、おろち、はば、とか呼びましたが、かが、かがちという呼び名があったりしました。

 a-ka-gi(赤城)

 a-ka-ki

ka-ga(かが)

ka-ga-chi(かがち)

カガチというのは、赤いほおずきの意味も持っているので、赤い蛇みたいな意味合いになるかと。

そうするとどうして赤城山が赤で、大蛇なのかという理由もわかってくる気がしました。本来は神話の赤い大蛇を、赤城という名で示したのが、いつしか風化したんだろうかと。

 

 

 

崇神天皇赤城山赤城大明神

 

しかし赤城山の名前の由来は、大蛇だけでは語れないのです。ここには当時の統治者の出自が大きく関係しました。

むかし赤は紅色、くれない、緋色などと呼びました。赤というのは沈む夕日の色で、太陽神天照大神をあらわす色でした。

日の神こと天照大神の子孫が日向三代、その先に神武天皇がいて、21世紀までその系譜が続いているというわけなのですが。

日本書紀」を見ると、崇神天皇倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめ)に、大物主神を祀らせることで、百姓の反乱と疫病を治めたとか。

大物主=大国主古代ギリシア神話のアスクレピオスに繋がる、蛇を司る医療神であったので、疫病を沈めるには必要だったんすね。

この「日本書紀」の記述が、「魏志倭人伝」における倭国大乱の、卑弥呼の祭祀を表したと、考えることもできます。

個人的な発想でいうなら、卑弥呼が男装して崇神天皇卑弥呼が巫女の姿になって、倭迹迹日百襲姫命を演じ、大物主を祀ったと想像しますが。

 

崇神天皇赤城山に関係するのは、間違いないことです。

何しろ赤城神社の祭神である豊城入彦命の親は、崇神天皇なので。

日本書紀」では、崇神天皇が豊城入彦に東国(関東)を治めよと指示したわけで、上野(こうずけ)国(群馬)に豊城入彦が入って赤城神社が創始されたのも、崇神天皇の意向が関与していたんだろうなと。

だから豊城入彦が赤城山に、崇神天皇の名を刻んでもおかしくないです。古代の天皇絶対主義みたいな時代を考慮すれば。

 

そして崇神天皇諡号を見ると、赤城山との関係が見えてくるのですよね。

崇神天皇謚号は、御間城入彦五十瓊殖(みまきいりひこいにえ)とあるのですが。

「瓊」とは、赤い玉の意味を持っている漢字だったりします。

名に赤い玉、城、を持つわけなので、赤城とは崇神天皇の名前を意図したものかもしれないと、想像がつくところ。

さらにさらに。

御間城の名前が、どうも赤城そのものだったようです。

御間城(みまき)

おかぎ

あかぎ

赤城

御を「お」と読み、それを読み替えて赤城と命名してるのではなかろうかと。

つまり赤城山とは、御間城山の名を元にしたもので、豊城入彦命による命名だったのではないかと。

 

崇神という後の漢風謚号も、なにか関係してました。これは8世紀に淡海三船が選び出した漢字でしたが、なぜか赤城山と関係してるようです。

崇は「あが」で、「あか」にも似た読み方。赤城は崇城(あがぎ)にしてもしっくりくるじゃないすか。


そうすると赤城山の大蛇とは、崇神天皇が祀った大物主神であり、赤城とは崇神天皇のことであろうという想像が付くわけです。

そうすると、「日本書紀」で崇神天皇大物主神を祀った出来事が、そのまま赤城山の名前に対応してるわけです。

 大蛇対大ムカデの神話は、崇神天皇の軍勢(豊城入彦命)と、それより以前から赤城山にいた土着勢力・大百足が敵対した出来事を表しているのかと。

 

こうして古代の情報を元にすると、こんな結論に至ってしまいました。

まぁ当たりかわからんですが、想像を巡らすことで、未知の真相に近づくのは確かなのでは。

 

 

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