たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅お仕事中。

「関東の大和三山」が確かに大和三山っぽい根拠の追加

関東に大和三山みたいなものがあったら、面白いと思いませんか。以前からその場所は想像して特定してたのです。

このたび追加で、巨根じゃなくて根拠が探し出せたので、お伝えしようと思います。

 

関東の大和三山とは

これはわたすが想像してるだけに過ぎないですが、関東の大和三山の候補地はここでした。

成田山・・・・・・・千葉県成田市

香取神宮・・・・・・千葉県香取市

・陸平(根火山?)・・茨城県美浦(みほ)村

成田山新勝寺て有名です。香取神宮は関東でも屈指の聖地な感じがします。陸平(おかだいら)は、陸平貝塚やゴルフ場にこの名があるので、一応こう呼んでます。

ではこの3か所の山(丘)が、関東の大和三山な理由について少し解説。

 

 

名前が似てる

 

これらの山々は、奈良の大和三山と名前が似てるのです。

「関東の三輪山」であろう、三輪野山も併せて説明すると、

https://twitter.com/t7a7t0o1/status/1764975685842747460

千葉の成田山の「成」は、耳成山(みみなしやま)と共通してます。

千葉の香取神社は、天香久山(あめのかぐやま)と「香」で一致してますね。

茨城の美浦村の陸平には大字「根火」があり、かつて奈良の畝傍(畝火/うねび)と重ね合わせて見られた名残と考えられました。

というわけで、奈良の大和三山と、名前に似た要素が含んでることがわかるのでした。

そして千葉の三輪野山は、そのまんま三輪山をもじったものだと考えられますね。

 

 

三輪山と結びつけると三角形やひし形が現れる

 

これはとても重要なところです。

奈良の大和三山耳成山畝傍山、天香具山)は、三輪山と組み合わせることで、三角形やひし形の図形が現れる構造になってるのでした。

そして関東の大和三山と三輪野山と組み合わせると、三角形やひし形が現れてるではないですか。これが大和三山で間違いなさそうな証拠でした。

 

ちなみに以前、九州の大和三山も見つけていました。奈良の大和三山と同じような名前で、こちらでも三輪山(大三輪山)と組み合わせることで、三角形やひし形の図形が現れる構造になってたのです。

 

 

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山の祭神や要素までも一致

 

それだけじゃなかったんです。関東の三輪野山と大和三山は、それぞれの山の由来、神社の祭神などまでも、ぴたりと一致してたりするのです。

三輪山と三輪野山

奈良の三輪山には大神(おおみわ)神社、千葉の三輪野山には茂侶(もろ)神社があり、共に大物主神を祀る神社が付属してます。

しかも三輪山の別名が「三諸山(みもろやま)」で「もろ」なのに対し、三輪野山の神社は「茂呂神社」で「もろ」で完全一致してました。

 

耳成山成田山

「成」で共通してるだけに見えましたが、神社を調べると共通性が見えます。

耳成山には耳成山口神社があるんですが、祭神が大山津見神イザナミの子です。

一方で成田山のそばにある埴生神社ですが、祭神が埴山姫で土の神で、イザナミの子でした。「山と土」は関わる言葉なので、合わせられてる感じですよ。

 

・天香具山と香取神宮

「香」で共通する天香久山は「香久が「kagu,kaku」ですね。一方で香取神社がある場所は「亀甲山(かめがせやま)」で、亀甲が「kiko」なので似た感じですね。

また天香具山には天香山神社があり、祭神の櫛真智命(くしまちのみこと)は占卜(せんぼく)の神なわけなのですが、占卜といえば亀の甲羅をつかった亀卜(きぼく)でした。そのへんでもあわせられてるのかと。

あと天香具山は「岩戸神話」の舞台でしたが、香取神宮は摂社大戸神社があり、天手力男神を祀ってるのです。岩戸つながりでした。

また天香具山には畝尾坐健土安(うねおにいますたけはにやす)神社があるのですが、ここは埴安姫を祀っているのです。一方で香取神宮の摂社の返田神社も、埴安姫を祀っているという共通点も存在しました。

 

畝傍山と陸平

「火」で共通する奈良の畝傍山のあたりは古代に忌部氏の拠点で、祖神の天太玉命(あめのふとだまのみこと)を祀る、天太玉命神社があるのです。一方で茨城の陸平・根火のあたりも、実はかつて忌部氏が収めた土地でした。

天太玉命神社では大宮売命(おおみやめのみこと)を祀ってますが、陸平には大宮神社があるんです。これは大宮神社がもともと大宮売命を祀った名残な感じがしますね。

また天太玉命は天の岩戸神話の中で、榊を使い天照大神を外に出す役割をしました。一方で大宮神社の祭神を調べると、天照大神となっていて関連しているようでした。

 

 

結論

関東の大和三山は、明らかに大和三山っぽいです。むかしの偉い人が作ったとしたら、誰が関わったんですかね。

 

 

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聖徳太子の墓所を調べたらキリスト的要素など未知の情報が出た件

聖徳太子こと厩戸皇子って、実在しなかったなんて言われてたりもする、謎の人物です。実は明らかにキリスト的な要素を備え持ってたりもするんですが。

このたび聖徳太子とキリストの関係や、聖徳太子墓所についての、新たな情報を発掘できたのでご紹介します。

 

 

聖徳太子のキリスト的な要素とお墓について

 

「昔の記録を見ると、聖徳太子は厩(馬屋)で生まれたから厩戸皇子なんだとかの話があり。しかも「日本書紀」の聖徳太子に関する記述には「死んで蘇ったキリスト的なおっさん伝説」まであるんです。

しかも「聖」はキリスト教で聖人のことであるし、「聖」はseiで逆はiesだから、SAY YESとか言っちゃったりして、キリストっぽい。

まぁ聖徳太子神道と仏教の両方とも信仰するよう広めた人物みたいですが、こうした特徴を見ると、じつは隠れ景教徒(キリスト教徒)だったのかもしれんです。しかも出身は西域の亀慈みたいだし。これについては過去記事参照。

大阪の太子町の叡福寺は、聖徳太子の死後の神亀元年(724年)に創建されたところ。叡福寺北古墳は「磯長墓」と呼ばれ、ここが聖徳太子墓所と伝わってきました。こんかいの調査対象となるのがここです。

叡福寺北古墳 - Wikipedia

聖徳太子のお墓のほうにも、キリスト的な要素が入ってておかしくないと思って調べました。調べる方法は以下の通りです。

 

 

聖徳太子磯長墓の前方向説(前方後円墳矢印説)

 

前方向説(前方後円墳矢印説)は、古墳の中心軸を測って、その延長線上に被葬者に関係する土地や、名前などの情報を置いて、本人の墓の証明要素にしてるとの仮説です。

聖徳太子の墓は円墳ですが、入り口が南向きであるため、前方向説の適用が可能でした。その中心軸から南北に線を伸ばし、線上に聖徳太子の名前(厩戸、豊聡耳など)や関連する土地が複数あれば、聖徳太子墓として相応しくて未知の情報まで導き出せるていう寸法です。

手元の「天皇陵総覧」を見ると、磯長墓の詳細図がありました。

 

中心軸はこうなってました。ほぼ南北に向いてますが、少し傾いています。

叡福寺の磯長墓には唐破風の拝殿があるのですが、これが中心軸に沿ったものでした。矢印で示した方角ですが、この方向で調査をすれば分かることがあるというわけです。

ちなみに「Googlemap」と「Google My maps(地図編集機能)」では、ちょっと指し示す方位がずれるのは意味不明。

そういえば以前に古墳の前方向説(前方後円墳矢印説)を電子書籍で出したのですが。その後暇がなくて疲れちゃって、続編が書けませんね。絵もかけないし。

今の生活では、続編はまったく期待できませんが・・・。

 

 

聖徳太子を祀る神社仏閣

 

聖徳太子の磯長墓を調べると、中心軸のラインに、聖徳太子に関係する神社仏閣を多数見つけました。以下の画像にある通り。

・長楽寺(福井県大飯郡おおい町

西暦586年、用命天皇の勅願により聖徳太子が建立したと伝わる。

・光久寺(福井県大飯郡おおい町

過去に聖徳太子が作った仏像を本尊としたという。

愛宕念仏寺(京都府京都市右京区

聖徳太子が創建した寺と伝わる。

清凉寺聖徳太子殿(京都府京都市右京区

法隆寺の夢殿を模した建物だとか。割と古そうだが創建年は不詳。

・月読神社 聖徳太子社(京都府

月読尊を崇敬していた聖徳太子を祀る。秦河勝と関係が深かった聖徳太子のために、古代に秦氏が創建したとか。

・願徳寺(京都府京都市西京区

聖徳太子二歳像を安置する。

十輪寺京都府京都市西京区

兵庫にある同名の寺院が聖徳太子創建で、線上にあるので関連する可能性あり。

・若山神社(大阪府三島郡島本町

神像(聖徳太神像、聖徳太子七歳御像)がある。平安時代貞観年間(859~877)か後期ころの作であるという。

・大龍寺(大阪府東大阪市

聖徳太子により創建され、自作の観音像を安置したと伝えられる。

・梅岩寺(大阪府八尾市)

587年(用明天皇2年)に聖徳太子による開基と伝えられる寺。日本で最も古い仏教寺院の一つ。

・恩智神社(大阪府八尾市)

聖徳太子は十一面観音の像を作らせ、恩智神社に安置した。

太平寺大阪府柏原市

聖徳太子建立の46ヶ寺の一つ。かつて智識寺と呼ばれた。

 

聖徳太子の名に関する地点

・馬谷、馬谷川(大阪府南河内郡河南町

厩戸皇子の「うま」を当てた土地。叡福寺のすぐ近くにある。

・耳神大明神(奈良県吉野郡野迫川村

耳にご利益があるとか。線上にあるし聖徳太子の別名である豊聡耳の「耳」なので、元々は聖徳太子に縁があったかと。

・豊原(和歌山県田辺市面川)

かつてあった豊原村の場所。別名である豊聡耳の「豊」。ここにある三豊神社は近代に登場した名称。

 

キリスト関連の地点

飯盛山・飯盛(福井県小浜市

飯盛山の北山麓のあたりの地名。音読みすると「いいせい(iisey)」なのが気になった。イエスっぽい。

飯盛山大阪府四条畷市

これも「いいせい(iisey)」。福井の飯盛と同じライン上に同じ地名。福井の飯盛山から83kmも離れてるのに、磯長墓からのライン上に2ヶ所。とても計画的な感じがする。両方とも、聖徳太子による命名だったりするかも。

・石切劔箭(いしきりつるぎや)神社(大阪府東大阪市

紀元前の創建だとか。祭神は饒速日尊、可美真手命。腫れ物を治す神。イエスキリストを略して「イシキリ(石切)」みたいな感じなので、ここを通るように墓の中心軸を設定したのかも。

・石川郡(大阪府南河内郡太子町)

叡福寺がある太子町のあたりが、古代の石川郡だった。イエスは「イェシュア」なので、「イェシュ=石」だからこの土地が選ばれたのかと。全国の石川さんが唖然。

・江住(和歌山県西牟婁郡すさみ町)

「江」は昔の発音だと「イェ」だと思われる。江住や江須で「イェス」。

・江須崎(和歌山県西牟婁郡すさみ町)

これが最南端にあった、すさみ八景の1つ。「イェス崎」であった。江須崎明神は聖徳太子に関係ないのだろーか?

 

たずねる・わかる 聖徳太子 (淡交ムック) 古谷正覚(法隆寺管長代務者〈現在管長〉) (著)

 

 

結論:磯長墓は聖徳太子墓所でキリスト情報も込められた

 

こうして前方向説で解釈すると、色々わかったのですが。

偶然じゃありえないほど、聖徳太子の磯長墓の中心軸ラインに、聖徳太子に関する神社仏閣や仏像が並んでる結果…。これはまぁ、聖徳太子本人や関係者が、意図的に計画的に並べたんだと思いました。

これで叡福寺の磯長墓が、聖徳太子墓所である確かな証明になる感じがします。

あとキリスト関係の地名も、確かにあったのでした。特に最北端の飯盛山、中央にも飯盛山や石切、最南端にイェスとかの配置が絶妙。

日本書紀」などの中で、聖徳太子がイエスに関連付けられていますのでね。これらの地名は無関係ではないと思われます。

 

ぽちされでたすかりまs

 

 

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全部ひっくり返ってる件・・・日月神示から読み解く

土俵際まで追い込まれてから、ひっくりかえる。最近は魔界が進めてた計画がひっくり返り、破綻していく傾向があるようです。まとめてみました。

 

 

日月神示のひっくり返る

 

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「今度は世界中、神神様も畜生も悪魔も餓鬼も外道も三千世界の大洗濯ざから、そんなチヨロコイ事ではないのざぞ。ぶち壊し出来ても建直し分かるまいがな。日本ばかりでないぞ、世界中はおろか三千世界の大洗濯と申してあろうがな、神にすがりて神の申す通りにするより外には道ないぞ。大地震、ヒ(火)の雨降らしての大洗濯であるから、一人のがれ(逃れ)ようとて、神でものがれることは出来んぞ、天地まぜまぜとなるのぞ、ひっくり返るのぞ。」(天つ巻第四帖。富士の巻第二十帖。紫金之巻第五帖)

 

「世が引繰り返って元の神世に返るといふことは、神神様には分って居れど、世界ところどころにその事知らし告げる神柱あるなれど、最後のことは九(こ)の神でないと分らんぞ。」(下つ巻第二十三帖)

 

「地つちの軸(地軸)動くぞ。またたきの間に天地引繰り返る様な大騒動が出来るから、くどう気つけてゐるのざ、さあといふ時になりてからでは間に合はんぞ、用意なされよ。」(磐戸(一八十)の巻第五帖。下つ巻第二十八帖)

 

「一日のひのまにも(日の間にも)天地引繰り返ると申してあろがな、ビックリ箱が近づいたぞ。」(天つ巻第三帖)

 

「天地唸るぞ、でんぐり返るのざぞ、世界一度にゆするのざぞ。神はおどすのではないぞ、迫りて居るぞ。」(天つ巻第二十九帖)

日月神示 - Wikipedia

 

 

日月神示 謄写版 第一訳文 単行本 – 2022/7/30 岡本天明 (著), 髙橋守 (編集) amazon

 

 

 

魔界(カルト悪魔崇拝人類破壊シオニストDS権力)

 

魔界は古代からずっと、世界じゅうの文化や習慣や思想や人間性の破壊を目指し、戦争と暴力の世界を追求してました。1970年代からは、俺のこともおもちゃにしてました。

人類はその悪い流れに、まんまと乗っかり続けてました。2019年末か2020年の1月から始まったコロナ禍も、当初は魔界の成功例の真骨頂に見えていました。

しかしコロナ禍になってから、世界に変化が起こったようです。それは魔界が進めてた計画が、次々とひっくり返り、頓挫していく状況見て分かる通り。

 

・コロワクによる人口削減計画が頓挫

魔界が推進したウイルス計画の結果、コロワク注射で死亡や病気の副作用の被害は拡大したようです。ここまでは魔界の計画どおりでした。

しかし魔界の製薬会社と政府は、薬じゃなく毒物を作ってることが知れ渡ったのでした。最近は薬害を認めざるを得ない論調が増えてきましたし。

普及させた政治家や医師や専門家や製薬会社やメディアは、当初「コロワクの責任取らなくて良い」って言われてました。しかし最近は、世界中で責任を追求されている状況みたいです。

 

・芸能界の頓挫

なんか芸能人って、やたら死ぬ人が多すぎる。人口比で言っても。芸能界って格付けが高い特権階級だとか言われてたのに。まぁ魔界の中での話でしたが。

芸能人がやたら死んだり病気になったり。重鎮が不祥事お越しまくってたり、引退したり忙しい。全然特権階級な感じがない。断捨離されてる感じがする。

 

・メディアの頓挫

魔界の一部であるAMラジオ局13社34中継局が、みんな放送休止するんだそうです。

メディアの拡大路線は終わりで、滅亡路線になりました。人口減少や芸能界縮小や、断捨離と、歩調あわせて。

地方のテレビ局や新聞やネットメディアも資金難やらで、どんどん倒産するんじゃないですかね。

 

・ウク戦争から第三次大戦に発展させる計画が頓挫

魔界である西側NATOウクライナの政府は、ロシア様に敗北してますね。欧米政府は資金や兵器の援助を停止しました。最後まで支援する悪の枢軸は、極東の島国の政府さんみたいですね。

 

アメリカのバイデン政権が頓挫しそう

悪魔崇拝総本部であり、世界の戦争起こす本部みたいなのが、アメリカ民主党の政治です。

虎さんの復帰により魔物は処分されると言われているので、悪魔崇拝総本部が根こそぎ終わりを迎えるようですね。

 

・中国が日本の土地を取得し支配する計画が頓挫

中国政府は海外の資産を手放して、中国株を買うよう国民に指示し始めたそうです。これは状況がひっくり返ることが確定な感じがします。しかし中国株ってもう駄目そうなのに…。

現在の法律ではニホンの土地は外人に売りたい放題だったとか。世界では「外人に土地売っちゃ駄目」なのが常識らしいですが…。魔界に支配された日本は、外人に土地売って、国を滅茶苦茶にしようとしてるわけなのです。

その結果北海道ではかなりの市街地や山林や農地が、中国人の土地になってしまったんだとか。これは日本中で進んでる由々しき事態っていうやつなのですが。

しかしこれまで中国人が日本で入手した土地は、ぜんぶ日本に戻ってくるのかも知れないです。日本の偉い人もやっと、「外人に土地売るの規制しよう」とか言い出したようですし。

すると日本の悪徳せーじ家と中国企業が作った数々のメガソーラーも、営業停止するのかも試練ですよね。

メガソーラーは森林破壊しつつ土壌を汚染しつつ、山林の吸水力を低下させて水の災害を起こしつつ、大量の産廃を生み出すものです。各地で大問題になるんでしょーね。

そもそもメガソーラーは、大地震で壊滅し廃墟になるのは確実です。

 

・中国が世界経済を支配する妄想が頓挫

去年あたりまで中国は、将来は世界一の経済大国になるとか予想されてました。

しかし中国はあらゆる景気指数が崩壊しており、国民の10億人が貧困層だったりして。もう駄目駄目だとか。

次々と新しい伝染病が大発生したり、時々各地で一揆が起こっていたりするし。中国は以前から、共産党が消滅するとか言われてますね。

 

・コオロギ食の頓挫

魔界の重鎮大臣さんが推進してたコオロギ食は、一般に不人気で普及せず。

コオロギ養殖の会社も倒産しました。

コオロギは食べると毒物だそうで、だめになって当然でしたよ。

 

マイナンバーカードが頓挫しそう

魔界が推進したマイナカード利用率、たった4%。停電や災害時には使えない。中国に大量にデータ流出し、カード偽造されまくってる件。

もはやリスクの固まりで、紙の保険証がずっとマシと判明しており、何兆円も使ったマイナカードは頓挫しそうです。マイナカードは任意となって、紙の保険証が併用されるんじゃないですかね。

(k野さんが推進してるもの・・・コロワク、コオロギ、マイナンバー、移民流入など。全部不要なものばっかりだった件)

 

そごう西武の広告

 

 

今後終わりそうなもの一覧

 

上に取り上げた頓挫するものは一部です。ほかにも色々あるでしょう。

カルト宗教、極悪権力者、nwo、極悪組織(who、wef、nasa、jimintoなど)、過剰な監視社会、人類奴隷化、現行医療制度、抗がん剤、過剰な薬の使用、過剰な添加物の使用、宇宙詐欺、世界に金バラマキ、人身売買組織、外国人参政権、過剰重税、消費税、炭素税、不正選挙システム、クレジットカード、害悪な5G、SDGSLGBT、ポリコレ、動物実験、メガソーラー、移民政策、ケムトレイル、外人による日本支配計画、集団ストーカー、トゥルーマンショー

・・・などなど。

 

 

世界は何故ひっくり返り、終わりを迎えるのか?

それは、魔界の関係者が秘密裏に処分されてるからですね。それで魔界が推進してる悪の計画は、だいたいひっくり返る(頓挫する)わけです。

なんか「ヨハネの黙示録」や「日月神示」などにもありますね。世界に悪が満ちて絶体絶命の危機になったあと、その全てがひっくりかえり、清浄な世界になるっていう話。

 

 

大災害は頓挫するのか?

 

Noah's Ark - Wikipedia

2025年に予言されてる隕石衝突による大津波、首都直下大地震南海トラフ地震、富士山噴火は頓挫するんだろうか?

しかし世界の各地で火山やら地震は活発なので、自然現象ならば頓挫するとは言えませんけども。それに大災害が起こるから、政府が食糧増産指示だしたのか?という感じもしますが。

悪が蔓延ったノアの方舟の世界なので、最後の仕上げのひっくり返しは、あるかもしれないと思っています。お気をつけてー。

 

ぽちされでたすかりまsu

 

 

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どんと焼き(左義長)は知恵神トートのお祭りだったかも試練

日本の正月には、たこ焼きじゃなくてどんど焼き左義長と呼ばれる火まつりが各地で開催されるのですが。これがなんか、古代エジプトの神さまと関わる気がしました。

 

 

どんど焼きとは

 

左義長 - Wikipedia

どんど焼きは日本各地にある、古くからの正月の火祭りです。別名はどんと焼き、とんど焼き、左義長(さぎちょう)、鬼火、お焚き上げなど。

三角型に骨組みを作ったうえに藁や枝葉を乗せた形で、正月の注連飾りや門松やだるまなどの飾りをつけたりするなど、地域ごとに違いがあるそうです。

1月15日頃にそれを燃やすことで、厄除け、病気平癒、学問上達といったご利益があると、信じられてきました。一説によれば、正月に出迎えた歳神を見送る儀式だとか。

 

左義長 - Wikipedia

調べてみると、どんど焼きは古代出雲に発祥するとかで。左義長は毬杖(ぎっちょう)という古代中国の球技のスティックのことで、毬杖を3本使って三角を作ったことから三毬杖→左義長と呼ばれた説があります。まぁこじつけっぽいです。

あるいは韓国の風習「タルチッテウギ(月の家を焼く)」が、出雲に伝わったとの説があるようです。出雲のどんど焼きの掛け声は、韓国語だと言う人もいました。

 

 

トート神&どんど焼き

 

Thoth - Wikipedia

 

個人的にはどんど焼きは、古代エジプトから入って来ていると思っています。その理由を説明しましょう。

実際のところ弥生時代には、古代エジプトからの人の流れがあったと思われます。それは古代イスラエルからの、天皇家の移動に関わるものだったのですが。いわゆる日ユ同祖論的なものに関わります。

 

古代エジプトの大ピラミッドは、知恵神であるトートが建設したと言われています。

それで以下のような想像ができました。

 

こんな想像しました・・・

どんど焼きが何故ピラミッド型なのかと言えば、それは古代エジプトの記憶を持つ人々が、始めた風習だから。

どんど、どんとは、トートがどんどんなまってどんどになったんど。

つまりピラミッドを建設したのがトートなので、ピラミッド型のどんどになってる。というわけなんです。

 

次にご利益を見てください。

どんと(左義長)・・・厄除け、病気平癒、学問上達のご利益

トート神・・・・・・・守護、病気平癒、学問上達のご利益

あらま。どんど焼きとトート神は、得られるご利益も同じであるところにも、現れていますね。

 

 

そして以前に示した記事でも、関連する事を書いてましたが。

トートは時間の神さまであり、トキの姿だったのですが。トキは日本語で時間を意味し、トキという鳥の姿でもあるのです。

古代エジプト トート神 トキ(鳥)の姿、時間の神

古代日本   トキ   朱鷺(鳥)、時間

偶然というか、必然なのだと思います、彼らは倭人となって溶け込んでるので。

だからトート神が古代日本に入ってきていることは、言葉でも証明されてるし、どんど焼きでも証明されたということになるんですよ。

ひょっとすると「尊、貴(とうとい)」という言葉も、関係するのかもしれんですね。

まぁぶっちゃけ、どんど焼きが何処発祥でも、べつに良いんですけども。中国起源説韓国起源説よりは、古代エジプト起源説のほうがしっくり来るかんじはしませんかね。

 

アイリスオーヤマたこ焼き器着脱式2way

 

・・・・・・

まぁたこ焼き、じゃなくてどんど焼き。ありがたいご利益があるのは、事実だと思いますよ。どんど焼きが古代、はるばるエジプトから持ち込まれた文化だとしても。どんど焼きは良いものなんじゃないですかね。

昨今はカルトや不良外人が、日本を支配したがってたり、外国の変な文化が日本を席巻してたり、カルトや外人が日本を破壊してたりしますが・・・。もうへんな外人、いらねーよって感じですけども。外人による日本支配だとか、変な文化入れたり、破壊するのは止めてほしいもんですね。

まぁ世も末でありまして、これから2年の間に破滅的な展開がある感じもしますが。どうなるんだか。しらんけど。

 

ぽちされたすかりまs

 

 

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吉野ヶ里遺跡の神殿は、日時計・カレンダーの施設だった件(卑弥呼が使った鴨)

前々回には、倭迹迹日百襲姫命(やまととひももそひめ)は、時間を司る巫女だとか言ってました。前回には家屋文鏡には日時計が描いてあるとか言ってました。

今回は日時計が設置されていた場所が、見つかったとか言ってます。

 

 

吉野ヶ里遺跡の変な環濠集落

 

 

弥生時代の後期、倭迹迹日百襲姫命が時間を日々測ったのは神浅茅原。それは奈良だと言われてるのですが。どうもそうとは限らない感じがします。

というのも奈良の三輪山と同じ名前の山が、福岡の筑前町にもあるからなのです。現在は小鷹城山と呼ばれてますが、その昔は大三輪山だったそうですよ。

その福岡の大三輪山に向かって中心軸をむけてるのが、弥生時代に作られた吉野ヶ里遺跡の北内郭でした。つまり吉野ヶ里遺跡の北内郭は、大三輪山に関わる施設だったんですよ。

記紀の伝承にある三輪山といえば、崇神天皇倭迹迹日百襲姫命大物主神を祀ったところ。

倭迹迹日百襲姫命は以前に記事にした通り「時の巫女」でした。しかも卑弥呼と同一人物だと思われます。個人的には崇神天皇と同一人物だと思っていまして、三者が同一存在なわけですが・・・。

すると本来は福岡の大三輪山が本来の三輪山であり、吉野ヶ里遺跡が、宮殿の場所だったのかも知れないと思ったわけですが。

 

北内郭の構造はそのまんま「ディスくん」で環濠が取り巻いています。4ヶ所に張り出し構造があり、それぞれに物見やぐらが配置されてたらしいです。そしてひときわ大きな建物が、あったりするのです。

ここは環濠集落と言われてますが、明らかに異質なところ。住居よりは宮殿であり、政治や宗教的な役割を兼ねたと想像できます。

 

 

夏至冬至を観測した

 

しかもこの環濠、夏至冬至の太陽にむかって左右対称の形になっている。そのため、太陽の観測所だった可能性が見えてくるのです。

吉野ヶ里遺跡の公式サイトのほうに、これについて書いてあります。

 

北内郭の中心線

北内郭の形は英語のAの形に似ています。この形は真ん中からちょうど左右対称に分かれる形をしていますが、この左右対称に分ける線については夏至の日の出と冬至の日の入の点を結ぶ太陽の運行線に合っていると言われており、当時の人々の精神生活を知る上でとても興味深いものと言えるでしょう。

北内郭の中心線

北内郭|吉野ヶ里歴史公園

 

以下でこの環濠の、さらなる秘密に迫ってみます。

 

 

吉野ヶ里遺跡の北内郭の日時計カレンダー

 

この環濠の施設は、時計やカレンダーの役割があったんじゃないかと思うわけなのです。

それでは北内郭の構造は、古代のカレンダー「二十四節気」や東西南北に当てはめると、どうなるか見てみましょう。

 

北内郭を見ると、複数の建物があります。大きな建物、櫓(やぐら)、小屋など。これらは発掘した時に見つかった柱跡をもとにして、復元されたものだとか。

そしてその建物の配置を見て下さい。ちょうど環濠の膨らんだ部分の方位に、櫓が建ってるではあーりませんか。

これらの櫓がちょうど冬至夏至、南(南中高度)、北の方角に対応してることが分かります。太陽を観測し、日時計やカレンダーとした証拠です。

おそらく中心あたりに、長い棒を斜めに一本たてたんじゃないですかね。家屋文鏡にあるように。

柱を立てることで、その影が移動して、時計と冬至夏至にあるやぐらを示す役割になったと思います。

現地の中央に斜めの長い棒を立てまして、日時計カレンダーとしてどんなふうに表示されるか、実験してみたらいいです。

 

古代中国の二十四節気(にじゅうしせっき)の一部は、倭人も取り入れてました。夏至冬至春分秋分などですが。

古代の夏至冬至は、いまと時期が違ったようですが。この場所にあった観測所で、田植え時期などを調べたのかもです。収穫、祭りの時期なども、ここで見計らったのかも。

東西南北の方角もだいたい合っているので、弥生時代と現代では四方の方角はズレてないのかもしれないです。日本列島は弥生時代から、あんまり動いていない?

古代人は日の出と共に1日を始め、日没と共に1日の仕事が終わったのでしょう。

現代で言うと5月末には日の出の朝4時台から活動しはじめて、夜の7時くらいに仕事を終えるという生活リズム。おそらく銅鐸をジャンジャンと鳴らして、正午や日没の時報としてたんじゃないですかね。

鐘を叩くアルバイトの巫女が、雇われてたかもしれんですね。

そうした太陽で時間や時期を測る役割を担ったのは、当時から神主、巫覡、巫女だったんじゃないですかね?地鎮祭する時も、太陽の方位にこだわってるので分かる通り。

だから巫女である倭迹迹日百襲姫命は、時を司る巫女でしっくりと来るわけで。

吉野ヶ里遺跡 - Wikipedia

 

安本美典著「天照大御神卑弥呼である」にもあるのですが、奈良(大和)と福岡(筑紫)の古地名はほとんど一緒なんです。それでむかし福岡が大和=邪馬臺国だった名残ではないかというわけなのですが。三輪山筑紫平野に存在しましたし。見た目も似てますね。

ということで、倭迹迹日百襲姫命が時間に関わる祭祀をした場所。それは大物主神を祀る三輪山(大三輪山)に向いていて、日時計の役割もあったここ、吉野ヶ里遺跡だったかもしれないなと、妄想するのですが。

 

 

全国各地の遺跡にも日時計・カレンダーが設置された可能性

 

まぁ古代の集落には、こうした日時計二十四節気カレンダーを設置した場所が、他にもあったのかもしれんですね。

それはストーンサークルじゃなく、家屋文鏡にある絵みたいに、建物に付属して柱一本立てるみたいな感じで。

夏至冬至、南中高度のほうに石や建物を配置すれば、見る人が見れば分かるカレンダーになるわけですし。

ただ奈良の唐古鍵遺跡だとか、他の場所ではこの北内郭の環濠みたいなものは、見つからないですが・・・。二十四節気を感じさせる何かがあったら、日時計カレンダーの可能性があるんじゃないかと。

全国にある遺跡や神社など、見直してみれば、各地の日時計らしき痕跡が見つかるかも知れませんよ。

 

ぽちでたすかりまs

 

 

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倭人日時計を使ってたという、明確な証拠はないようです。しかし実際には、日時計を駆使してたのではないかと思います。というわけで今回は、倭人が使った日時計の具体的な物証についての話。

 

 

倭に日時計はあったのか?

 

前回に、卑弥呼と同一視される倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみことは、知恵や時の神トート・ヘルメス神の名を冠した時の巫女だって話しましたが。

つまり日本の古代にも、当然ながら時や暦を知ったり、活用する文化があったわけでした。

古事記日本書紀みると、頻繁に日付けが登場してます。正式な太陽暦が日本に導入されたのは、欽明天皇の頃の6世紀(553年)だそうです。干支による紀年法のほうは、4~5世紀だったとか。

しかしそれ以前の弥生時代から、季節を知る方法はありました。自然の様子を見たり気温を感じて春夏秋冬の季節を区分けし、太陽の動きを見て大まかな時間を識別してました。

一年で日が一番長い日が夏至、一番短いのが冬至、中間が春分秋分です。弥生人は稲作をしたので、二十四節気の中のこれらの要素は把握してたはず。

季節ごとの日が昇る方角や沈む方角や南中高度を確かめ、方角を見定め、方角を等分する。それにより四季や時期がわかり、太陽がのぼっている昼間の時間もわかるのでした。

因みに昔の夏至は5月にあったそうです。

古代中国の暦

春 1月2月3月

夏 4月5月6月

秋 7月8月9月

冬 10月11月12月

こんなふうな感じでして、夏至は5月末にあったとか。今の夏至が6月21日なのにくらべ、随分早いです。春夏秋冬の時期は、全体が1ヶ月前倒しでした。倭の季節感もこれに習ったのかも。

 

二十四節気の方角や時間を知るための道具が日時計ですが、弥生時代の遺跡からは、日時計は見つかってないとか。

古代の大湯環状列石みたいなストーンサークル日時計だったと言われますが、これが完全に日時計という証拠は無いようです。

大湯環状列石

 

しかし古代から「神社や神道があった」ことが、二十四節気を知っていたり、時間を得たり、日時計を使ったことの証拠になると思われます。

「大祓祝詞(おおはらえのことば)」を見ると、「此(か)く依(よさ)し奉(まつ)りし四方(よも)の国中(くになか)」とあって、四方を奉ったことがわかるのですが。

神道の祭事で四方を奉ることは、太陽を観測して、東西南北の四方を理解したってこと。地鎮祭では正確に東西南北を見極めて、南向きに祭壇を設置するのですが。これにより太陽光を一日中受けて、神の恵みをいっぱいに受け取ることになったわけです。

 

古代の地鎮祭では、神主や巫女が朝から現場に出向いて、日の出や南中高度を見定め、祭壇を設置したんでしょうね。その時には中央に棒を立て、日の影の方角や長さを見定め、南中高度を確かめたならば立派な日時計です。

すると古代の日本で日時計みたいなものを駆使したり管理する役割は、神主や巫女だったんではないかと。倭迹迹日百襲姫命が時を司る巫女だという話と、整合性ありましたね。

そうした日時計の現物は弥生遺跡からは見つからないのですが、絵に残ってる気がしました。それは「家屋文鏡」です。

 

 

 

Froiny 赤道 日時計 木製 10 X 8.5 X 11cm 科学モデル

 

 

 

 

家屋文鏡に描かれた日時計

 

家屋文鏡 - Wikipedia

 

家屋文鏡が出土したのは、奈良の佐味田宝塚古墳だったとか。4世紀後半の古墳だとか言うので、卑弥呼より100年ほど後。

家屋文鏡といえば、弥生時代の家屋の姿が刻み込まれてるのですが、上下左右に家屋があるので、東西南北の方角を示す道具だったかもしれんです。

しかし今回注目したいのが、家屋の絵にある長い傘みたいなやつです。ななめに配置されてますが、何の役割か不明。高貴な人物に日陰をつくる道具、衣笠みたいに見えますけども。

実はこれ、日時計の指針だったのではないかと、想像するのですが。

 

 

日時計の指針は太陽の動きにあわせ、地軸に平行になるよう斜めに配置することで役立つのでした。この家屋文鏡の家に付いてる棒が、日時計の指針に似てますね。

日時計ですねこれ。まぁ公式的にはそういう見解は存在しませんけども。

庭に日時計を設置して、日の出や南中高度や日没を見定め、おおまかな時間割をしたのでしょう。線を書いたり石や建物を配置したりで。

そして東西南北はもちろん、冬至夏至春分秋分などの暦を観測し、稲作やら祭事に役立てたんではないかと。

ステップ5 | 日時計の作り方 |セイコーキッズ

 

その役割は神主や巫女なので、この描かれた指針がある建物は、神社か神主の家だったんじゃないですかね。

この家屋文鏡自体も四方に建物を配置して、冬至夏至の方角にも模様を描いてあるみたいなんです。家屋文鏡を使って、方角を測ることもできるんじゃないですかね。実際そういう使い方があったのかもしれんです。

家屋文鏡 - Wikipedia

 

まぁというわけで、弥生時代倭人日時計を使ってたのは間違いないだろうと思いました。個人的にも酷い人生なだけに、ひど計を作りたくなってしまいました。

 

ぽちされたすかりまs

 

 

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時の巫女、倭迹迹日百襲姫命はトート・ヘルメスの名を冠した

一応あけおめでございます。本年もできるだけがんばろうかと。

 

倭迹迹日百襲姫命(やまととひももそひめのみこと)は、時を司る巫女ではないかと想像します。今回はそのへんについて。

 

 

名前から湧き出る時間の要素

 

日時計 - Wikipedia

 

倭迹迹日百襲姫命崇神天皇の時代に登場していました。神懸かりの巫女としての役割があり、大物主神を祀るべしと神託をもたらし、大物主神との婚姻を果たしたり、自分自身の死や墓所の造営についてが記されていました。倭迹迹日百襲姫命卑弥呼と同一人物という説は、むかしからまことしやかに語られていることです。

それじゃぁ倭迹迹日百襲姫命は、何故に「時の巫女」といえるのか?

それは名前や事績を見ると分かったりするのです。まず名前を分解してみると、以下のようになっていました。

 

「迹」は物事の後のことで、時間的な意味をもつみたいです。「日」は1日とか日数なので時間のことでした。

「百」は数字で数が多いことで、数字である時間を含むことになります。百は「もも」ですがこれは漢字だと桃で、兆偏が含まれてるんですよ。「兆」は前兆や兆しのことで「起きるタイミング」なので時間の要素です。

「襲」は「おそ」なので、遅い、つまり時間の進み具合を表してました。

「倭」は国名であり「姫」は女性、「命」は尊称であるわけなので、それを除く「迹迹日百襲」のすべてが時間的概念に関わる。

これは例えて言うなら真ん中に5個激辛まんじゅうが並び、外側3個がノーマルまんじゅうだったみたいなことなのです。完全に狙ってないと出来ないと思います。

 

つぎに倭迹迹日百襲姫命の別名と思われる、「倭迹速神浅茅原目妙姫(やまととはやかむあさじはらまくわしひめ」を見てみます。

これも「迹」は物事の後の時間、「速」は速度で時間のはやい進み具合。「目」は目ん玉ですが、「ま」とすれば「間」で時間のことでした。

「妙」は優れているとか不思議の意味があるのですが、「若い」の意味もあるみたいです。若いは年齢、年齢とは年月であり時間なわけでした。

「神浅茅原」は地名です。というわけで別名の方でも、時間にこだわった命名になってるのですよねこれがまたー。

そうすると神浅茅原というところは、時間に関係する儀式をした場所なのかと推測するわけなのですが。兎にも角にも倭迹迹日百襲姫命が時間を司る巫女である。このことは分かったと思います。

 

 

事績から湧き出す時間の要素

 

箸墓古墳 - Wikipedia

 

さらに記紀の伝承を見てみますと、倭迹迹日百襲姫命が時の巫女であることが随所で示されてました。

母親は「意富夜麻登玖邇阿礼比売命(おほやまとくにあれひめのみこと)だそうです。ぶっちゃけてとても変な名前ですが、分解すると分かることがあります。

名前の中に「夜」があり、「麻(あさ)」があるので、時間に関わる巫女的な人物だったようです。しかも「登玖」は「時」なのかもしれんですね。

倭迹迹日百襲姫命は夢占いで神主に太田田根子(おおたたねこ)を選んだのですが、「田田(たた)」なので倭迹迹日百襲姫命の「迹迹」と一致しているのも気になるところ。

 

そして倭の疫病と混乱の最中、倭迹迹日百襲姫命が神懸かりして、大物主神を祭神とすれば国が静まると言って告げてました。

大物主神は「昼は現れず夜に現れた」ということでした。完全に夜勤を好んでたみたいですが、またしても昼と夜という時間があらわれてます。

大物主神については個人的には、古代中国や日本で祀られた崑崙の仙女、西王母が元になってるんではないかと勝手に思ってるわけなのですが。

じゃー西王母は時間の神だったか?

西王母は不老不死をもたらす仙桃を栽培していたとかで、不老不死とは「永遠の時間」なわけなので、やっぱり時間に関係するんではないかと。

あと西王母に対し東王父が存在したので、日の出と日没が表されていまして、これも時間に関係してるところです。

 

倭迹迹日百襲姫命の死後につくられたのが、奈良の箸墓古墳だと伝わります。この箸墓、「昼は人が作り、夜は神が作った」と語り継がれていたそうです。やはりここでも昼と夜が登場しており、時間が関わってることがわかるのです。

魏志倭人伝」によると、卑弥呼が直径百歩の墓を作り「百人殉死した」との話があるのですが。倭迹迹日百襲姫命の名前「百人を襲った姫」と整合してることは無視できないところです。ずっと以前にも記事にしてましたが。

卑弥呼倭迹迹日百襲姫命であり、名前が違って記録されたんだと思いますね。まぁ卑弥呼とは「中国向け」に作った名前だったのかもしれんですよね。

まぁ卑弥呼倭迹迹日百襲姫命であり、男装をして崇神天皇になってるという考えは、依然として自分の中の根幹にあるのですが。

 

セイコークロック(Seiko Clock)

 

 

時間の神トート・ヘルメスと倭迹迹日百襲姫命

 

時の巫女である倭迹迹日百襲姫命は、当然ながら何処かの時間の神さまを崇めていたんではないかと思うわけなのです。

日本神話で時間の神といえば「時量師神(ときはかしのかみ)」がいますが。こちらじゃない気がします。

古代エジプトではトート神が知られていますね。このトートは古代ギリシアではヘルメスと呼ばれました。こちらが倭迹迹日百襲姫命が崇めた神さまでした。

トート - Wikipediaの画像使用

 

実は倭迹迹日百襲姫命が、古代エジプトの叡智の神トートを引き継いでる存在だというのは、以前から考えていたことです。

それは名前が迹迹(トート)日百襲(ヘルメス)姫だから。

迹迹 トート

日百襲 ヘルメス(日=ひる 百=も 襲=そ)

 

トートは創造神で、時間の神、知恵の神、冥界の神でもあり、魔法使い、書記、死者の裁判に関わる神なのですね。これはまさに倭迹迹日百襲姫命の存在と重なるではないですか。

時間の神トートという神格を取り込んで、倭迹迹日百襲姫命の「迹迹」に反映させている気がします。調べたところ、トートは月から時の支配権を得たそうです。それによって夜の守護者になったとか。大物主神は夜にしか現れなかったというのも、なんか関係してる気がしました。

トートは鳥の朱鷺(トキ)の姿、あるいはヒヒの姿の神だったそうなんです。「ヒヒは日々」なので、やっぱり時間を表す名前という感じです。まぁヒヒが日本に知られてたのはいつだったかは不明ですが。

日本語の「時はトキで朱鷺と同じ」だったり、トキの古語は「ツキ」だったりなのも、トート神が絡んでいそうな感じがします。

そういえば天照大神は夕日の神であるという仮説を立てたのとも、整合してる感じがしました。天照大神はその名を見ても分かる通り、ミトラ神、ミトラス神的な神格が含まれてるでしょうが、トートも入ってるのかもしれないです。

すると太田田根子の「田田」もトートなのかもしれんですね、なにしろこの人物は倭迹迹日百襲姫命に選ばれた禰宜なのだし。根子が猫なのかどうかも気になるのですが。

トート神と日本語の一致点

・トート・・・トキやヒヒの姿。ツキから時間の支配をもらった、時間の神

・トキ・・・朱鷺

・トキ・・・時

・トキの古語・・・ツキ

・ヒヒ・・・日々(時間)

 

こうして日本語の中にトート神の影響が見られるのも、倭迹迹日百襲姫命が残した結果なのかもしれんですね。そうすると現代人はまだトート神と倭迹迹日百襲姫命の影響を受け続けてるわけで。そう考えるとなんか不思議ですね。

そういえば、倭迹迹日百襲姫命の儀式の中には、トキ(トート)の姿で舞うものがあったりしたんですかね。たしか弥生時代に、鳥装の人の絵が刻まれた土器があったと思うのですが、あれが倭迹迹日百襲姫命みたいな巫女かもしれんです。

なんで倭迹迹日百襲姫命古代エジプトの叡智をもってたか?それは天皇家にはあちらからの流れがあったんだと、言う感じだと思いますけども。

まぁその隠されてきた証拠も、そのうち出る気がしますね。昨今の「全暴露」の流れからすると。

 

ぽちでたすかりまs

 

 

 

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2025年まで僅か…ミャクミャクとはカレンダーで時間を象徴する説を考える

大阪万博のミャクミャクの役割が、見えた気がしました、思いつきですが、それを書きたいと思います。

 

 

時間の神ミャクミャク

 

 

大阪万博のメインキャラクター、ミャクミャク。キモい、かわいくない、意味不明、やばい、ミュータントなど評判悪すぎですが。

まぁ今の人間自体も、様々な要因で既にキモいヤバい存在になってるし。誰かをキモいとか、言えたことじゃないかもしれないですけど。

なんかミャクミャクは役割があるというか、このストレンジな形によって人々に伝えたいことがあるのだろうと。例えば大災害の発生地点とか?

 

 

人間もどんな人でもヒーロー、悪役、癒し、発見、繋ぎ、ピエロ、きっかけなどさまざまな役割が与えられてますし。

まぁほんとの自分の役割、使命を見つけられるかどうかは別件バウアーですが。

 

そーいえば最近は時間の神について考えてましたが、時間の神といえば日本神話では時量師神(ときはかし)、古代エジプトではトート神です。

それで、実はミャクミャクも、なんか時間の神みたいだなと思ったんですよね。

それはミャクミャクの頭の赤い部分の塊が、12個あるから。時計ならば一周して12時間。2周して24時間。12は12ヶ月に対応しますね。

それでミャクミャクは「脈々」ですし。

 

「脈々と(みゃくみゃくと)」

途切れることなく長く続いていくさま。継続性の力強さなどが込められた表現として用いられることが多い。

「脈々と(みゃくみゃくと)」の意味や使い方 わかりやすく解説 Weblio辞書

 

脈々は時間的な概念が込められた言葉なんですよ。だからミャクミャクが時間を司る存在であるというのは、解釈として間違いなさそう。名は体を現すわけで。

だからあの顔の12個の塊は、12時間、24時間、あるいは12ヶ月に対応してます。後者ならばカレンダー。

目玉という言葉には、人体の目だけでなく、「注目すべき事柄」の意味があります。本日の目玉とか言いますので。

 

 

 

ミャクミャクカレンダーを読み解けば?

 

ミャクミャクの顔がカレンダーなら、2025年までの出来事を表しているのだろーか?と思うわけなのです。何しろ大阪万博の開催は2025年だし。いま2023年12月だから、2024年からの予定ですかね。

まぁ大阪万博真っ只中な2025年7月に、大災難が来るっていう例の予言はこわいですが。ほんとに来るのか?解除された?かはともかく。ミャクミャクの顔カレンダーに照らし合わせると、わかることがあります。

 

見れば目玉の一番大きなものは、「7時の位置」にあるではないですか。これが2025年7月の目玉だと言うのは、あの予言に合わせているような感じがしてしまいましたね。しらんけど。

すると8月にも目玉があり、ほかに4月、11月、12月あたりの目玉も、なんかのイベントがあるという感じ。1月と12月は逆かもしれないですが。

他には日本だけで言うと、関東地震、富士山噴火、南海トラフ地震津波などあるのかと。

最近大阪万博の記者会見の場面を目にしたんですが、なんか円形の波マークがあるんですけど。赤い環を縦にしたものは、なんかフィリピン海の形をしてるようにも見えますね。これらも津波、火山噴火、発生地点の暗示なのかと思ったり。

 

 

ただこれはいわゆるディープステートカルト魔物勢力により作られた予定表でしょうから、dsが終焉してるかもしれない未来の状況では、人工災害は機能しません。でも自然災害、あるいは神の怒りならあるかもしれんですね。

dsが滅びる予定の世界でも、ミャクミャクの目玉は機能するんだと思うのですよね。

まぁ正直いって、悪が世界を支配してディストピアに固定されてしまうみたいな、悲劇の未来は無いという予感はします。その理由は、

 

 

しかし破滅的な状況が来た後、ユートピアが来るような流れが強そうです。「AKIRA」の内容もそうだし。もう来てますが、さらに来るかも。

ただし理想郷に近づけるかどうかは、自分の正しい選択次第かもしれませんけども。知らんけど。

 

dsが終焉した状況を知る方法は…

悪い権力者や金持ちがいなくなる、悪政がなくなる、カルト宗教がなくなる、戦争がなくなる、人工災害がなくなる、極悪企業がなくなる、集団ストーカーがなくなる、トゥルーマンショーがなくなる、毒チンがなくなる、飛行機雲がなくなる、悪い電磁波がなくなる、過剰な税金がなくなる、過剰労働がなくなる、貧困がなくなる…

みたいな、これらの状況が揃ったら、dsは終わったと言えそうです。

あーまだ全然、実現してないですね。

 

ぽちされたすかり

 

 

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平清盛が作った「京都六地蔵」…しかし清盛と平家はご利益を授かれなかった件

以前に京都の小野篁(おののたかむら)が作った閻魔大王の結界の話しました。それにより平安京は守られていたわけです。

それとは別に、小野篁の作った地蔵が元になって、京都六地蔵の結界が作られてたわけなのです。それに関連して、変な要素まで見つけてしまいました。

 

 

平清盛が作った京都六地蔵

 

京都市街地の6か所に、京都六地蔵があります。

その歴史は852年に小野篁が地蔵を手彫りして大善寺に祀ったことが始まりだったとか。

後白河天皇の勅命により、平清盛が保元年間(1156~1159年)に西光に命じて街道口6カ所(下記)にそれぞれ六角堂を建て、六体の地蔵菩薩像を一体ずつ分置したそうな。疫病退散が目的だったというから、やはり京の結界だったようです。これが後の「江戸六地蔵」のモデルになったと伝わっています。

平清盛太政大臣となり、武家中心の世の中を完成させた人物だったとか言いますね。しかしトップに立ってからやりたい放題やってたので、多くの反発を招いて日本はしっちゃかめっちゃかとなり、平家滅亡の引き金を引いたのも平清盛でした。。

 

当初の京都六地蔵はこんな配置で、現在とは若干違っているようです。

六地蔵の街道と寺院

奈良街道、伏見 大善寺

大坂街道、鳥羽 浄禅寺

丹波街道、桂 地蔵寺

周山街道、常盤 源光寺

鞍馬街道、賀茂 深泥池畔(現在は上善寺)

東海道、山科 徳林庵

京都六地蔵 - Wikipedia

 

小野篁の地蔵が当初からあったのは、南方の伏見区大善寺です。

上善寺の地蔵は、当初は平安京の北部の深泥池畔にあったのが、明治時代に現在の上善寺に移されたとか。全体を見ると、意外と綺麗な六角形にはなっていないんですね。

しかし調べてみると、平清盛によって六地蔵がこの配置としたのには、明確な理由があってのことだったと分かるのでした。

 

 

六地蔵平安京の結界であり、清盛お気に入りの場所を囲ってた件

 

まずこの六地蔵は、明らかに平安京をすっぽり取り囲む、結界になってるのは明らかでした。そりゃま時の天皇の肝いり計画だったわけで。しかし六地蔵結界は、平安京よりも東に大幅にずれてます。

これは平清盛と平家に縁のある土地までも、取り囲んで守護する設計だったからだと思われます。その中心地となるのが、平家の拠点となっていた六波羅蜜寺(ろくはらみつじ)です。

六波羅蜜寺空也が創建して、当初から悪病退散や縁結びで知られるお寺でした。六波羅蜜寺の「口からなんか変なの出してる像」は有名ですが、あれは空也像であり、口から出てる変な何かは阿弥陀仏なのでした。

その六波羅蜜寺周囲には、平清盛邸を始めとし、平家の六千軒にも及ぶ邸宅が並んでたとか。

六波羅蜜寺 - Wikipedia

 

しかも六地蔵結界の中には、平清盛が創建した新熊野神社三十三間堂、親族のいた八坂神社、平清盛の邸宅があった泉殿や西八条第跡、信仰した伏見稲荷大社若一神社下鴨神社なども見えるのですね。当然平安京の政治の要だった大内裏も含まれてます。

こうして平清盛に縁のある土地を、ぐるっと囲っていたわけなのです。

 

平清盛に縁のある場所の詳しくは、以下のサイトでどうぞ。

平清盛のゆかりの地めぐり | おすすめの京都観光コース | 京都観光情報 KYOTOdesign

 

あと六波羅蜜寺を中心とした時に、西北側と南側の三角形がほぼ完全な二等辺三角形になっているのも意図的ではないかと。特に六波羅蜜寺~深泥池畔間と、六波羅蜜寺~源光寺間は距離的にほぼ一緒だったりしましたし。

当時の破天荒な平清盛が何を考えて京都六地蔵を設計したのか、これでなんとなく分かったというわけです。

 

 

 

日本書紀に秘められた古社寺の謎──神話と歴史が紡ぐ古代日本の舞台裏

 

 

 

 

結界の中で最後を迎えた平清盛。そして現在まで続く結界の威力

 

あともう1つの謎にも迫ってみました。

平清盛は病死した上、直後に平家は滅亡してしまったので、この結界は平家にとっては全く役に立たなかったわけですが。・・・というか、終末期に鬼として扱われた平家を滅ぼすために、機能してしまったというべきか。

平清盛がどこで亡くなったかの記録があり、それによれば今の京都駅に近い、「平清盛の終焉推定地碑(高倉天皇誕生地)」のあたりだったようです。地図にも記してますけども。

平清盛の終焉推定地は、平安時代の当初は六地蔵の真ん中じゃなかったです。しかしその後時代を超えて明治時代になり、地蔵が上善寺に移された後、何故か六地蔵のド真ん中に位置するようになったのでした。謎ですね。

なんかこれも意図的な感じがしました。南の浄禅寺と北の上善寺は音が一緒であり、平安京朱雀大路に沿って南北に並ぶ形だったりするし。そんでもって六地蔵がなにかオベリスクというか、神道式の墓石の形のようにも見える。

まさに平清盛が作って、自らが結界に組み込まれている京都六地蔵・・・明治時代に上善寺を移転させた人は、その辺を意図したのかもしれません。

「災い転じて福となす」とは、平清盛と京都六地蔵のことを現したことわざのよう。

京都は近世の戦火で消失したことがないのも、小野篁閻魔大王結界と、この京都六地蔵のおかげもあるんですかね。疫病退散をもたらし、人々を守護する力がありそうです。

 

ぽちされでたすかりまs

 

 

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小松左京「物体O」と2025大阪万博「大屋根リング」…共通点と暗示される未来

最近2025年の大阪万博の「大屋根リング」が話題になってました。実はアレも未来の予言に関わるような気がしたのですが。

しかも小松左京の小説にも関係してるのかもしれない、そんな想像も湧いたのです。今回はそんな話。

 

 

大阪万博の大屋根リング

 

大阪万博は2025年に、大阪湾の夢洲(ゆめしま)でやるとか。何故かあの大災厄の予言で知られてる、2025年に合わせてやるとか・・・。

これ、東京五輪と同じように、建設費が莫大になって問題になっているようです。公共事業って建設業界などに対する景気対策なのは当然ですが、政治家や関係者にもお金が入るみたいな感じなので、無理でも容認されちゃうんでしょうね。しらんけど。

参加するはずだった数カ国が参加を取り止めたりと、他にも支障出てるみたいですが。

この大阪万博の「大屋根リング」という木造の円形構造物が、万博のシンボル的な施設なんだと言われてます。これの建設費が莫大になったとかで、問題視されてるみたいですが。

まぁ世の中の偉い人って「一々わざと大問題を発生させてそれに関わる仕事やお金を増やす」との手口を実行してるようです。問題作って解決しないほど、経済が回る仕組みというわけで、「集スト」も同じですけども。まぁそのぶんのしわ寄せは、民衆に行くわけなんです。

計画図とグーグルマップをもとにして、ちょっと描いてみました。

 

サイズ調べてみたらこんな感じだった。

大屋根リングのサイズ

1週 2000m

直径(内径) 615m

幅 30m

高さ 低部12m、高部20m

面積 6万㎡

かなり巨大で、東京でいうと浜離宮恩賜庭園と同じくらいで、富士山の火口に匹敵する程度という感じ。まぁこれは「物体O」だなーと思いました。今では知る人ぞ知るような名前ですが。

こんな立派なものなのに、2025年の万博が終わると壊して跡形もなくなるそうです。もったいない。ただ先日になって、高額な大屋根リングは保存するとか言い出してるようですが。大屋根だけに、「やーね」といったところですけども。

それで大阪万博と言えば、あの変な怪物の「ミャクミャク」ですけども。ミャクミャクもよくよく見れば、赤い部分がリング状なんですよね。見るからに主催してる方々が、おクレイジーでいらっしゃるような感じです。

あの大屋根リングも嫌な意味が込められてるんではないかと。そこで「物体O」だったわけなのですが。以下に詳しく説明します。

 

 

小松左京の「物体O」との関係

 

物体O (1977年) (新潮文庫) 文庫 – 古書, 1977/7/1 Amazon

 

大阪万博の大屋根リングを見てたら、小松左京の「物体O」を思い出したわけですが。「物体O」は1977年の作品なので、「今作ってる大阪万博と関係あるわけないだろ」って思われるかもしれません。

しかし両者には何故か共通点が多々あるので、何かの関係あるかもしれないです。

ここで小松左京の小説「物体O」とはいったい何なのか、説明しておきたいと思います。

これは1977年に出版された、いかれた短編小説ですが、以前に読んだ記憶があります。なにしろ小松左京の小説にやたらハマって、片っ端から読んだ時期があったもので。

直径1000km×高さ200kmの巨大リングが、突如として日本列島に落下したのでした。それを受けて関東と九州は壊滅してしまいます。大阪に臨時政府が立ち上げられたんですが、当然ながら経済は崩壊。研究に酔って巨大リングは銀で出来ているとわかったのですが、翌年には忽然と消えてしまうのです。そのリングの正体は実は・・・といった内容でした。

これがなんか、大阪万博と関係してる気がしたのですよね。比較してみるとわかりますが。

 

 

適当な感じに比較するとこうなる。

物体O      大阪万博

象徴 O型リング 大屋根リング

怪物 表紙に怪物 怪物ミャクミャク

大阪 首都が大阪 開催地が大阪

高さ 高さ200km 高さ20m

消失 翌年消失  翌年消失

海  太平洋   大阪湾

 

これほど共通点が揃ってるので、無視できま千円。特にO型リングであること、怪物がいること、大阪、消失状況などですが。高さは20で合っているし。

「海」というのは、物体Oは日本列島と太平洋に落下したのに対して、大阪万博会場も海上(大阪湾)で行われるので共通しています。

ほかにも類似点があるかもですが。というわけでなんか物体Oと合わせている感じがしてしまいました。ミャクミャクの顔も「O」の形してますし。

まぁ人類破滅を望むカルト権力にとって、小松左京SF小説は格好のネタでありますし。実査に例のコロナパンデミックの出来事を思わせる小説「復活の日」も、小松左京が執筆してましたから。

何らかの破滅的出来事が起こるのが2025年っていう感じが、してしまいますね。しらんけど。

 

 

じゃ2025年にどうなるのか?

 

富士山と津波が描かれた保守党のロゴマーク(2023年9月~)

 

まあ2025年に実際に直径1000kmの「物体O」が日本に落下してくるなんてのは、無いとは思いますが・・・。

2025年の大災厄の予言の中で起きると言われてるものとしては、南海トラフ地震、海底火山噴火、あるいは隕石落下、それに伴う大津波、富士山噴火などです。政党のロゴマークにも、津波が登場しちゃったのは気になるところ。

あとは毒チンの効果が一気に出る年であるとか、大々的に5G電磁波でやられちゃう年だとか、ゾンビが大発生するとか、世界の戦争が本格化するとも言われています。

ここに来て「大屋根リングを作るべきでない」との意見があったのは、無駄遣いのことじゃなかったりして。「物体O的な大破局に結びついてて縁起が悪いから」だとすれば?たしかに作るべきじゃなかったです。

そう言えばツイッターで物体Oと大阪万博に関する書き込みした直後に、気になるニュースが出たのですが。タイミング合わせられた気がしました。

 

 

もしやギャグで作ってるのかと、大阪なだけに。大阪万博とあの宗教組織は関係するのか?と思ってググったのですが、情報は少ないけれど関連はあるようです。

この18日の出来事によって、破滅が解除されたんだろーか?しらんけど・・・。

カルトによる極悪非道な様々な政策が、順次中止になっていく状況が見えたらば、人工災害の解除も見えてくるでしょうけども。

ただ2025年の件がホントのホントに自然災害ならば、回避できるかどうかは自分の行動次第なんですけど。2025年になにが起きるかどうかは、その時になって分かることなので、注意深く見て行きますyo。

まぁ俺は子供時代からカルト権力におもちゃにされたり、ボコボコにされてますが。

しかしそうだとしても、自分の使命である「ボコボコにされても、世界の未知の物事を見つけたり解明したり伝える」を果たしたいなと。

 

ぽちされdたすかりまs

 

 

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