たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅お仕事中。

邪馬台国が筑紫国にあったことは「卑彌呼」に示されてました

以前から邪馬台国の謎を解くなら、「魏志倭人伝」の原文をよく読み解く必要があると思ってました。それで今回は「卑彌呼」の文字の分析をしてみた結果ですが、面白いことが分かってしまいました。
 
 
 
卑彌呼を調べる

 

 

名は体を表す。
ということで、卑弥呼という名前自体に、女王の秘密があるんではないかと。秘密子なだけに・・・。
ここで重要なのは卑弥呼という漢字を、偏と旁と冠などにバラバラにしてみること。「魏志倭人伝」の原文では、旧字体で「卑彌呼」なのを間違えてはいけないところでした。

 

 

卑弥呼のいた邪馬台国が白日別=筑紫にあったことが示されてる?

 

 卑弥呼の居場所は、邪馬台国でしたが、これについての一考。

 福岡県の古地名は、「筑紫(つくし、ちくし)」です。

そしてさらに古い地名は、「白日別(しらひわけ)」がありました。 筑紫と白日別、これ覚えておいてください。

 
白には「つくも」という知られざる読み方があるとか。
白(つくも)によって「筑紫(つくし)」が暗示されてる感じがしました。
 
しかも「つくも」は九十九のこと。つくも髪とは白髪を意味するではないですか。ここでも「白と筑」が関わっていたりするわけで、偶然じゃないわけでした。

 

一方で、卑彌呼の「卑」の上半分に「由」ありますね。「よし、よる」と読むそうですが。「由」を分解すると、「白日」が出るのです。

これで卑弥呼邪馬台国の場所が、白日別=筑紫だと言い表しているのかと。
まぁ漢の時代の漢字を見ると、上の飛び跳ねている部分が無かったりするので、微妙な仮説ではありますが。
 
ところで白の解字をみると
陰を表わす「入」と陽を表わす「二」の組み合わせ。
ってありますね。「卑」が陰陽を現しているなんて、何か意味深。
 
 
 
卑彌呼の中に隠されていた「ちくし」
 

こっちの仮説のほうが、信ぴょう性は高いです。
 
「卑」の下には、「千」があるのですが。
魏志倭人伝」によれば卑弥呼は奴婢千人を従えていたとのことで、名は体を表すってのはこういうことかと。
しかも、これも筑紫に係わるものだとは思いませんでした。
 

 

ということで、卑彌呼を分解した時に、「千」「弓」「爾」が出てくるんですよね。
これををつなげてみると、
千弓爾
ちくし
筑紫

卑彌呼の名前には、筑紫の地名がちゃんと入っているのではないかと。

偶然にしては、出来過ぎ君なかんじがしました。これが一流の言葉遊びかと。それはやっぱり、筑紫に卑弥呼邪馬台国があったからだろうと。

 

当研究室では、以前から邪馬台国東遷説を念頭に置いてます。

安本美典さんの「福岡の朝倉甘木説」にあります、平塚川添遺跡説は有力だなと思ってますが。あと佐賀の吉野ヶ里遺跡卑弥呼の居城だと考えてました。

 

 

日本史探偵コナン 2 弥生時代: 名探偵コナン歴史まんが

 

 

筑紫という地名と卑彌呼の関係

 

福岡県 - Wikipedia

 

ついでに気になったので、筑紫という地名も分解してみました。すると卑弥呼に係わる要素がくっつけられてる、そんな気がしました。
 
「筑」を分解すると竹冠、工偏、凡旁、「紫」を分解すると止、匕、糸と出ます。
 
「竹」は月と発音が似てますね。竹が月に係わるのは、かぐや姫の物語を読んでも分かる通りです。月の姫かぐや姫は、竹から生まれました。
月とは日(太陽)とセットであり、月日は陰陽を表すものでした。つまり卑弥呼の名前が陰陽を表すのと一緒。
 
「工」の解字によれば本来「貫く」意味があるのですが、卑弥呼の「弓」が矢で貫くのと合っているようです。
 
「凡」には「あまねし」という読みがあるのですが、「彌」にも「あまねし」があるのも偶然じゃないということが分かったりします。
 
「紫」は卑弥呼が魏から受け取った金印紫綬で、高貴な色なので女王卑弥呼にぴったりな印象です。
 
「止」は「呼」に対応する言葉でした。なぜなら人を止めるには呼ぶからです。
 
「匕」はさじですね。卑弥呼の「卑」は本来お酒のひしゃくを意味するものでした。さじとひしゃく、どっちもすくい上げる道具ということで共通するようでした。
 
「糸」は古来より筑紫の拠点であった、委奴(いど)国、あるいは伊都国の名を反映するものかもしれないです。
 
 
・・・・・
何故こうして、筑紫の中に卑弥呼の情報が入っているのか?
それはやっぱり卑弥呼が、「筑紫を意図して卑弥呼と名乗ってる」からでしょう。
 
そして「卑弥呼がいた邪馬台国は、筑紫にあった」から。
そう思っているわけなのです。
 
 
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盾形銅鏡が出た富雄丸山古墳。モーセの十戒石板みたいな形だった意味とは?平群木菟宿禰の墓所?

奈良の富雄丸山古墳から、凄いやつが出土したとか言ってました。それで被葬者からアレの正体に至るまで、気がついたことを取り上げてみました。

まぁいつも通り、トンデモの領域まで入るので気をつけてください。

 

 

富雄丸山古墳とは

 

盾形銅鏡と蛇行剣が見つかって話題の、富雄丸山古墳。奈良県北西部、奈良市富雄に所在する4世紀後半の古墳だそうです。

大きな作り出しがあって、前方後円墳のようにも見えますが、分類は円墳ってことにしてるようです。円墳としては日本最大で直径が109mもあるらしい。

富雄丸山古墳 - Wikipedia

 

4世紀後半といえば、ちょど神功皇后の時代であるかと思いますが。

神功皇后陵こと五社神(ごさし)古墳は、4世紀後半です。神功皇后百済からもらった七支刀には「泰■四年」とあるのですが、あれは「太和四年(369年)」となるようです。

 

 

富雄丸山古墳は平群木菟宿禰(へぐりのつくのすくね)の墓所かも

 

古墳の持ち主は誰かって、いろんな意見があるかもしれないですが。古墳ができた4世紀頃、あの付近は平群氏が支配した土地でした。

記紀に登場し、長く天皇家に仕えたという武内宿禰(たけうちのすくね)。彼の息子に平群木菟宿禰(へぐりのつくのすくね)がいて、その人が平群氏の祖となったとか。

武内宿禰神功皇后の時代まで存在したと言うことで。

すると年代的に、平群氏の祖である平群木菟宿禰墓所であろうと、そういった想像がつくわけです。

 

拙著「封印された叡智の回復(1)」にあります、「前方後円墳矢印説の法則」では、

前方後円墳の中心軸や造出の延長線上に、名前や関連する土地を並べることで、被葬者が誰かを示している

という叡智なわけですが。(2巻目を作る気力がない・・・)

 

この円墳の場合は、「作り出しの方角を見ろ」ということになります。

そちらで「木菟(つく)」とか「木」「うさぎ」に関係する地名を適当に探すと、

・木津町・・・木、津(つ)

・木津川・・・木、津(つ)

・和束(わつか)・・・つか→つく

伊吹山・・・日本武尊小碓尊)の伝説(うす→うさ)

 

やはり平群木菟宿禰の情報が出てくるようでした。詳しく調べたらもっと出るかも。

祖先の日本武尊小碓命(おうすのみこと)で、「うす」が「菟(うさ)」っぽい。

おそらく造出が北東に向いているのは、名前と関連する地名を結びつけて、被葬者が平群木菟宿禰であることを示しているのだろうなと。

 

 

盾形銅鏡はモーセが授かった十戒石板なのか

 

銅鏡って、神さまに祈って、邪気を祓う道具だったらしいですね。銅鏡がくっついてる盾形銅鏡って、かなり威力がすごいやつだったんでは。

 

形が似てるから同じだとは言いませんが。「名は体を表すように、形は正体を表す」ものだと思っております。関連付けちゃって申し訳ありませんが。

旧約聖書」にある、神さまがモーセに授けた十戒の石板に、似てますね。

 

気づいた人もいたかもしれないですが。これ、偶然ですかね?

これだけじゃないんですけど。

被葬者がもし平群木菟宿禰の場合、木菟(つく)・・・木菟(もうさ)・・・

平群木菟宿禰

木菟

もうさ

モーセ

平群木菟宿禰という名前の中に、十戒石版を授かった、モーセの名があるんですけど。

彼がモーセを信仰していたから、木菟(モーセ)の名を名乗り、盾形銅鏡を十戒石板の形にして、アロンの杖で蛇行剣を置いてるんですかね?

ぜんぶ偶然だろうか?

しかしこの宇宙では、なにごとでも偶然が重なると意図的であるでしょう。

 

 

蛇行剣とはアロンの杖だったりするのか

 

 

モーセものがたり(旧約聖書)―エジプトからのがれて (みんなの聖書・絵本シリーズ) 日本聖書協会

 

ツイッター十戒石板みたいだと言ったら、「蛇行剣はアロンの杖だ」との意見を得ました。

たしかに盾形銅鏡が石板ならば、古代イスラエル三種の神器である、アロンの杖もセットになってるはずですね。

蛇行剣とは実用性に乏しいので、祭祀用に使われたと考えられてる古墳時代の剣。

その手がかりは記紀からは得られませんが、記紀に登場する神剣はやたら蛇に関連づいていました。天津神の神威の象徴であり、用いることで御神徳を得ていたのではないかと思いますが。

 

アロンの杖とは、モーセがエジプトで授かった、神の奇跡を起こすアーモンドの杖です。

旧約聖書」の出エジプト記では、蛇に变化させることができたり、10の災いを起こしたり、海を割ったり、契約の箱と合体して奇跡を起こしたりしました。

じつは日本の三種の神器である草薙剣は、アロンの杖と特徴が重なってると思うのですが。「ナギ」とは凪で、波際の意味です。蛇行剣は「~~~」という形状なので蛇や凪のようだし。

これとモーセ十戒の石版みたいな盾形銅鏡が、セットになってたのは意味深。お買い得なハッピーセットなのか。

 

 

古墳がマナの壺なのか

 

十戒石板とアロンの杖があるということは、マナの壺もないとおかしいですね。

ありました。富雄丸山古墳の形状自体が、マナの壺でした。

 

発掘調査図を適当に写し取ってみたら、こんな感じでした。北東の造出のところで、盾形銅鏡と蛇行剣が出たそうです。鬼門に盾形銅鏡と蛇行剣が配置しているので、たしかに邪気を祓う意味合いがあるかと。

まぁ盗掘されているらしいですが、これから発掘が進むといろいろ出てくるかもしれないです。

 

・・・

2023年の1月に、邪気を祓う神器が発掘され、それは古代イスラエル三種の神器みたいな感じでした。個人的には平群木菟宿禰墓所であるとおもったわけですが。

コロナ禍に現れたということで、邪悪なる存在が一掃されると示された感じもします。

以上、最新の妄想でした。

 

ぽちされでたすかりまs

 

 

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日本語と英語は似てるのか。メソポタミアのバベルの塔で分かれたのか

わたすは英語は苦手という感じもしますが、妄想の中ではペラペラなのです。

まぁ理不尽きわまりない昨今、日本語の特に古語には、なぜか英語に似たものが多いと気づいてずっと調べていました。今回はそのへんの話。

 

 

日本語と英語の単語は似てる?

 

文法的にはかけはなれてる、日本語と英語。

しかし古代からあった名詞や動詞やらを比較してみると?似てるのが見つかる感じがするのです。結果は以下のようになっています。

まぁ現代~上古の英語と一致するものは、他にもけっこうあるんではないかと。

この表の解説をします。

 

厳密な意味は違うけど、通じてる単語は無視できないかと。分かりづらいものがあり、以下のような解釈を付けました。。

「わた(海)」は海水で水なので、wæterワテル(水)に一致する。

「禍」とは災いなので、magan(禁止)。禍事の呪詛が禁止なのか。

「いにしえ」がonceなのは、o(い)n(に)c(し)e(え)。

「おほかみ」がwolfなのは、おほ=woho=wolf(wolf+神→おほかみ)。

「カラス」crowを複数形にすればcrowsになる。カラスとクロス。

「申す」は口で言うことだからmouth(口)につながる。

「相手」はfightのf音を抜いてaightとするとaiteに似てくる。

「かはひらこ」はkahahirakoの「hahira」が古英語のfifaldeに一致。

ちなみに専門家じゃないので、完全に解釈が合ってるかわかりません。

 

気になったのは、上古日本語のh音は古代には「p音だった」という定説との矛盾点です。

たとえば上古、橋は「pasi」、母は「papa」だったとか。ママなのにパパ・・・😅。

しかし古代日本語と英語の発音が近かったことを踏まえると、「絶対的にh音は古代にp音だったわけではない」感じも受けてしまいましたね。

例えば「平たhiratai」は古代にはp音で「pirata」とされますけど、古英語の「flat」は明らかに「hirata」のほうが近いですし。

 

参考

古英語基礎150語 - 七誌の開発日記

英語の語彙の変化 (古英語) - Wikipedia

カテゴリ:古英語 - ウィクショナリー日本語版

BABEL 〜世界の言葉〜

 

まぁ不思議な一致が多いですよね。比較言語学的には興味深いんではないかと。

 

 

バベルの塔で言葉が乱れて拡散した

 

バベルの塔 - Wikipedia

 

旧約聖書を開くと「バベルの塔」の話が出てきます。世界最古クラスの王朝であるメソポタミア文明のシュメール王朝は、紀元前3,000年頃、いまから5,000年も前にイラクに存在したとか。

ちょうどその頃に「ジッグラト」と呼ばれる階段状の塔が建てられてまして、大きいものでは高さが100m近くに達したと言われます。

このジッグラトが、バベルの塔のモデルになったとか言うのでした。

バベルの塔の物語は、かつて人間たちが天まで届く塔を建て始めると、天の神さまがイラっと来てしまい、言語をバラバラにして混乱させてしまったという内容。

最初は言語は1つだったのに幾つもの言葉に分かれてしまい、言語ごとに民族は散り散りになったとのことでした。現地語でバベルとは、混乱を意味するそうで。

日本語だと何だろうって考えたのですが、「びびる、びび」じゃないかと。びびるとは怖気づく、恐い、震えるという意味の平安時代の文書にもある言葉。バベルの塔で人々が混乱して怖気づいて、バベルの塔の高所が震え、神さまが恐かったことなどに関連付く感じがしますので。

 

 

古代メソポタミア全史-シュメル、バビロニアからサーサーン朝ペルシアまで (中公新書)小林 登志子(著)

 

 

バベルの塔は実際の人類史だった

 

https://en.wikipedia.org/wiki/Sumer

 

バベルの塔の物語は、人類と言語が1か所にあり、そこから分岐したことの例え話かもしれないですが。実際の人類史に当てはめると、どうなるんだろーか。

シュメールの頃、あるいは数万年前まで「人類は同じ言葉を使ってたのが、世界中の違う言語に分岐した」みたいなことですかね。古代のメソポタミア、古代インド、古代縄文人。彼らが話す言葉って、実は元は同じだったのか?という疑問が出てくることになりますが。

あるいは「ユーラシアの人類は同じ言葉を使ってたのが、違う言語に分岐した」という風に局所的な話なのか。こっちのほうが整合する感じはしますけども。

比較言語学では、人類の言葉はかなり共通性があるって言うのが、分かってきてるとこです。それはアフリカ、欧州、アジア、南北アメリカなどあらゆる言語について。

しかし人類は各地で同時多発的に誕生したとも言うのですが、よくわかりませんね。

 

古英語を使ってたのは古代のイギリス人でしたが、彼らは元は欧州の中央にいたケルト人と、古代のドイツあたりにいたゲルマン人の融合であるとか。

英語の基礎となったのは古代のゲルマン語だそうな。ゲルマン人の元の起源は、東ヨーロッパのウクライナあたりの、ヤムナ文化にあったようです。

ヤムナ文化 - Wikipedia

ヤムナ文化はいわゆるスキタイ(サカ)の土地。古代ゲルマンのザクセン人は、「自分たちはスキタイの末裔だ」と言ってたそうで。

そうするとやっぱり古ゲルマン語や古英語は、ヤムナ文化の言葉から繋がってるようですが。(yamato以外にyamaみたいな地名があるようなんですね・・・)

 

ちなみにハプログループDの移動経路の絵を見ると、とても興味深いのですが。

ハプログループD (Y染色体) - Wikipedia

メソポタミア→イギリス】バベルの塔があったメソポタミアから北部に流れた人々が東欧でヤムナ文化を作り、西のゲルマン人になり、ブリテン島に入って古英語を使ってるのではないかと。

メソポタミア→日本】一方でバベルの塔があったメソポタミアから、東欧から東へと流れた人々が、縄文人になって古代の日本語を使ったという感じがしますけど。

まぁ縄文人の先祖がアフリカ人やメソポタミア人だったのは、5万年以上も前だとは言われますけど。メソポタミア縄文人は、各年代ごとに何回も日本列島に入って来ているでしょう。旧石器時代縄文時代弥生時代古墳時代と。

 

そういえば文化的にみても一致するところもありますし。

秋田のナマハゲって明らかにドイツのクランプスですし。ナマハゲもクランプスも、どっちも「悪い子がいたら懲らしめる鬼」なので。

クランプス - Wikipedia

そうすると日本人とイギリス人の言葉に一致が見られるのも、当然のことだったかと。

 

・・・・・・・・・・

しかも日本語にはヘブライ語トルコ語などユーラシア各地の言語もかなり入り込んでるようですが。

原初の言葉(縄文語)に幾度となく大陸諸民族と言語が重なり、融合して日本語になっているみたいな感じなのです。

ほんじつの妄想でした。

 

ぽちられたすかります

 

 

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古代に三輪山の大物主神になったらしき崑崙山の西王母

予定を変えまして、以前の崑崙山の話の続き。今回は奈良の三輪山の神さま、大物主神の正体についての一考です。

 

 

大物主神って?

 

アスクレピオスの杖 - Wikipedia

 

大物主神日本書紀に登場する神。大国主の国造りの時に西の海を超えてやって来た、幸魂奇魂とあります。古来より大国主神と同一視されたりもしてきました。

しかし神話からは、西の大陸から海を超えて倭に入って来たことが伺い知れるんです。どこの国の神だったのかは判明してませんが。出雲に入ってからは、何故か奈良の三輪山に移動して留まったということでした。

大物主神の真の力が判明したのは、のちの崇神天皇の時代に起きた出来事です。百姓の反乱と疫病蔓延がひどかったというのですが、これがいわゆる「倭国大乱」だったかと思います。すると崇神天皇の時代は卑弥呼と同じ、2世紀末~3世紀の頃。

その時に巫女である倭迹迹日百襲姫命(やまととひももそひめのみこと)が「太田田根子(おおたた猫)を祭主として大物主神を祀れば禍事は静まる」との夢のお告げを受けたのでした。

崇神天皇はそれを実現して、その倭国の乱れを終わらせたとのことです。まぁ俺にまつわる禍事も、大物主さまに祈れば収まるんですかねぇ・・・。

大物主神は奈良の大神神社の祭神となってますが、背後にある三輪山自体がご神体となっています。

またその後に倭迹迹日百襲姫命大物主神と過ごした時に、その神の正体が蛇であったことが明らかになりました。その時に倭迹迹日百襲姫命は箸によって死んだことから、その墓所を箸墓と名付けたとの伝説も残っています。

大物主神は蛇神であり、水神であり、また雷神の性格もあり、疫病を治し酒の神と言った顔もあるようです。

まぁ大物主神は蛇神であり医療の神。ということで、西洋のアスクレピオスの杖みたいな信仰が入り込んでるようでもあるのですが。それはまた別の話で。

 

それで大物主神は、どこから来たんだろうと考えたのです。出雲の大国主の分身ともいいますが、個人的には全く別の神が正体であろうと考えます。

それは以前に取り上げた、「崑崙山」の神でした。

 

 

大物主神西王母だったのは名前をの一致でも分かる

 

崑崙山脈 - Wikipedia

 

三輪山が崑崙山の鏡写しであることは、以前の記事で解説しました。それならば大物主神とは、「西王母」なのは確実だろうと考えているんですこれがまた。

名前を比較するとわかります。

崑崙山の西王母 王母=おうも

三輪山の大物主 大物=おうもの

どっちも「おうも」だったんです。おーもいがー(オーマイガー)・・・。

まぁ三輪の大物主神とは崑崙山の西王母だった、あるいは習合されているというわけなのですね。

 

 

大物主神西王母は神格やご利益がおんなじだ

 

三角縁神獣鏡 - Wikipedia

 

大物主神男神西王母は女神という違いがあるのですが。

これは天照大神が男装したのと同様に、女王卑弥呼が男装し、崇神天皇を演じているためです(妄想)。大物主神も、男女を逆転させる必要があったんではないかと。

 

蛇神というのは西王母の崑崙山が龍神の山だったことの反映であり、水神雷神というのも、本来は龍の性質を現すものです。蛇神と龍神の性質は、とても似たようなものですので。

また疫病を鎮める役割に選ばれたのも、西王母蟠桃園(ばんとうえん)の仙桃によって病を治し、不老長寿のご利益をもたらす力を持っていたからではないかと。

倭迹迹日百襲姫命大物主神と関わったのも、西王母が桃という神の実を育てていて、桃の名を持っていたことで関係していたからでした。

 

まぁもう少しわかりやすく書くと、以下のようになるわけです、これがまた。

大物主神  西王母

おうも   おうも

蛇神    龍神

水神    水神

金刀比羅  金色

医療神   医療神

酒の神   酒の神

とと(鳥) 青鳥

もも(桃) 仙桃・蟠桃

三輪(侖) 崑崙(侖)

龍王山   龍脈

こうした神の性質(神格)や居場所の情報が完全一致してるのも、偶然じゃなかった。三輪山信仰には、崑崙の西王母信仰が習合してる証拠になるのであります。

だからこそ三輪山近くの黒塚古墳で大量の三角縁神獣鏡が見つかったり、纒向遺跡で桃の種が大量に見つかったり、といったことになってるんではないかと。

 

 

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そうすると大物主神は「幸魂奇魂」とは、サカと月氏であろうと思われます。崑崙山地に接するタリム盆地とは、サカと月氏の土地だったからです。

 

おそらく西王母信仰を持ち込んだ大陸の天皇大和民族は、崑崙を経て烏孫を経て、サカ人と月氏人を引き連れ、倭に入り込んだといった感じで。

あと、大物主が蛇神で医療の神で、アスクレピオスの杖みたいな感じがしましたね。結局は中央アジアや西域あたり、ギリシャ人やら景教徒やらが入り込んだ地域だから、当然ちゃ当然な感じだったんではないかと。

秦の始皇帝が神仙思想の崇拝者で、不老長寿の仙薬を求めて倭に調査の移民を送ったのでしたが。始皇帝が崇めたのも結局は仙界の王である西王母大物主神だったんですかね。蟠桃園があるという崑崙も調べたんでしょうが、見つからなかったんですかね?

 

あと、三輪山大物主神が移動する以前から、三輪山には神の信仰があったようですが。三輪山に元々いらした神の性質も、蛇、龍、水といったところで西王母大物主神に似通っていたので、習合したんじゃないですかね。

いわば全ては引き寄せの法則が発動した結果というわけなんです、これがまた。

 

ぽちられたすかります

 

 

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「これから麒麟が現れる」って言うので何かと思ったら、東京で麒麟が闇を抜けて光を浴びようとしてる件

先日に不思議なコメントを貰ってそれが気になってたのですが、答えが少し見つかった気がしました。

 

 

これから麒麟が来るという話

 

麒麟 - Wikipedia

 

まずブログのうさぎの記事に書かれた、通りすがりさんのコメント。

通りすがり2023-01-06

はい。「艮金神の復活(弥勒)→兎歳(早朝)以降は夜明けの時代で明るくなっていく」と読めると思います。蘇民将来ですから、八坂神社・祇園信仰的な話であり、牛頭天王の復活により疫病が治まっていく、という台本でしょうか。 麒麟は、阿吽の「吽」で,ユニコーン(一角獣)の象徴は,ユダヤ12支族だとエフライム族です。陰謀論寄りの古代史筋でよく言われる「徐福の前に、既にエフライム族が日本で王国をつくっていた」という話ですね。 その、記紀から隠されていた(ウガヤ朝や東日本の津軽王国や越国→出雲王国→)邪馬台国の、古代王の「麒麟族」の隠れていた真の王族が、長い封印から解かれて復活し、王権に返り咲くのだと思われます。 大患難の7年が終われば,黙示録の通り,千年王国が(ユダヤの王である一番下の子の)エフライムによりもたらされるという、計画済みの最終目標へ向かっていく「劇」です。 蘇民とあるように、(疫病で)一度死んでから蘇るというストーリーもあり、これはフェニックスや不死鳥フェニキアの不死身(富士,伏見)の思想でもあります。日本いうと月を拝む縄文海人の思想や、弓月王の発想を感じます。 ブログ主さまも昔から書かれている、中央アジアやスキタイ・サカ族方面からの「月派系」渡来人の「月・女性を崇拝する」思想も、かいま見ることができる気がします。月派のうち、隼人(赤黒白)系の王族は、「シン(秦)時代」が来るとアピールしていますね。

 

朝日が昇るうさぎ年。地獄の本番の中に天国エリアが広がっていくだろーか

通りすがりさんのコメントでした。まぁコメント欄で、何度かやりとりがあったのです。気になる話が色々出てきました。

艮金神の復活(弥勒)、夜明けの時代、蘇民将来牛頭天王の復活、麒麟ユニコーンユダヤ12支族のエフライム族、徐福以前の日本のエフライム王国、麒麟族の復活、王権返り咲き、大艱難7年の終わり、千年王国、計画済み、フェニキアの不死身の思想、月・女性崇拝、隼人、シン(秦)時代・・・・・・

まぁ、麒麟族とか、シン時代とか初耳のお話もあるのですが、総仕上げが来るといった感じになっていました。

 

それで

邪馬台国の、古代王の「麒麟族」の隠れていた真の王族が、長い封印から解かれて復活し、王権に返り咲く

これが気になったのですよ。麒麟族ってなんだろうと。

麒麟四霊に数えられる霊獣で、鹿やら龍やら牛やら角などの特徴を併せ持つ姿。そして麒麟鳳凰霊亀応竜と各方位に対応してるのは知ってましたが。

四神は四方の守護神なのに対して、四霊とは吉兆をもたらす瑞獣という違いがあるようでした。

ウィキによると麒麟というのは、

「王が仁のある政治を行うとき現れる、神聖な生き物」

だそうで。この麒麟がこれから現れる、もしくは既に現れてるんだと。しかし「麒麟族」って、調べてもわかんなかったんですけど・・・。

「幼少から秀でた才を示す子どものことを、麒麟児や、天上の石麒麟

と言うってことなので、「麒麟児や天上の石麒麟が誰か」ってことなんですよね。どこらへんに麒麟児がいますかね。黄色いんですかね?

 

それでモヤモヤしてるなかで、いつものようにサイトやグーグルマップを徘徊してました。

東京の日本橋首都高速の解体と地下化工事について調べている時。そこに麒麟がいることを思い出しました。

 

 

【ビール】キリン ラガービール[350ml×24本]

 

 

首都高速の解体で日陰を脱出し光の下に現れる麒麟

 

 

首都高速道路日本橋区間地下化事業がすでにスタートしていました。

この工事は日本橋川日本橋の上にかぶさる首都高速を無くして地下化し、再開発も進めて景観と環境を良質にする計画だとか。

解体工事は徐々に進んでるのですが、日本橋という交通の起点になってる橋に、麒麟がいました。

この麒麟日本橋が完成した1911年(明治44年)当時から存在しているものでした。麒麟にはつばさが付いていて、「飛躍する東京」を表す麒麟であるとか。「トキオが空を飛ぶ」っていうのも、日本橋麒麟を意図してのことだったりして。見た感じ龍になっているのも気になるところ。じつは龍神だったりして。

しかし戦後のオリンピック前になり、麒麟の上空に首都高速が建設されてしまいました。毎日毎日ずっと首都高速の影となり、麒麟は飛躍どころか暗い場所に延々と閉じ込められてるような感じになってしまっていたのですよね。

まぁ「東京の飛躍を阻害する呪い」のような意図を感じますよね。

その暗い場所に閉じ込める首都高速が解体されており、2023年中にも麒麟は陽の光を浴びるように成るわけです。

これってまさに「麒麟の復活」ではないですか・・・。

 

 

すべては計画通りなのだった

 

日本橋 (東京都中央区の橋) - Wikipedia

 

ここで疑問に思ったのは、なんで首都高速の解体で麒麟が光を浴び始めるのが、2020年以降のコロナ禍地獄の最中なのだろーかってことでした。

この前の記事で地獄の中に天国が現れること、救世軍が活動してることは話してたのですが。麒麟の復活までも合わせられているわけですよね。

戦前から現在にかけずっと極悪DSカルトが世界を牛耳っており、日本もカルト権力によって滅茶苦茶になってたことは世間でも騒がれてる話題ですが。

 

・1911年(明治44年)、日本橋麒麟像の完成

・1950年代、麒麟を閉じ込める日本橋の首都高(闇の力の象徴)

・2020年 大河ドラマ麒麟がくる

・2022年から首都高解体、2023年に麒麟が光を取り戻す(復活)

・地獄化する中で極悪闇カルト勢力の終焉が近づき、天国勢力の拡大

麒麟の王が仁のある政治を行いはじめる

 

大昔から今に到るまで、ぜんぶ繋がった1セットになってる感じがしたのですよね。

2020年の大河ドラマ麒麟がくる」もあったし。あれは魔王(信長)を倒す話だったとか。

そうすると明治の末に日本橋麒麟像が完成した段階から、極悪闇カルト勢力による支配時代はいずれ終わりを迎えることは決まってたんではないかと。

全部計画的だったのかと思うのですが。

まぁ計画的に不幸に落とされボコボコにされてきたけれど、闇勢力が終了するんならちょっとは生きた甲斐があったような感じもしますけどもね。

それにしても、艮金神(国常立神=龍神)=エフライム王=麒麟の王?って、いるんですかね。

 

ポチられてたすかります

 

 

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失われた任那・金官伽耶の真実は、日本語と仏教用語で解明できてしまう件

2~3世紀の卑弥呼のことを考えていると、どうしても韓国南部の任那加羅の地域は無視できないのです。それでとても興味深いことに気づいたりしました。

 

 

任那金官伽耶についての気付き

 

伽耶 - Wikipedia

 

むかし韓国の南方の任那加羅(伽倻、弁韓)という地域には、倭人がいっぱいいました。この地域は倭系の古墳が多く、倭と同じ遺物が発掘されたりするとか。

そして中国の魏王朝が残した「魏志韓伝」、韓国の「三国遺事」、日本の「日本書紀」の記録を見ても、倭国の領域が朝鮮半島にあったことがわかるわけですが。

倭・倭人関連の朝鮮文献 - Wikipedia

日本書紀」に出てくる任那加羅)は、高句麗の「広開土王碑」にも登場するんです。しかし任那日本府は史実じゃなく、大和朝廷の創作だったとか言う人もいますが・・・。

 

任那の語源は、馬韓だと思っていました。

任=まか、那=な

むかし3世紀はじめ頃まで、朝鮮半島の西部には馬韓(ばかん)がありました。馬韓任那の領域は、被っているところが多い。

そうすると、「馬韓」を「まかん」と読むと答えが出る感じがしました。

馬韓(まかん)→まかな→任那→みまな」

馬韓がまかなで、任を当てて任那。そんな馬鹿な?😓

こんな変遷があったかと、妄想するのです。任那馬韓を元にして古代の日本で作られた呼称であるでしょう。

 

魏志倭人伝」を見ると、狗邪韓国が倭国任那に含まれております。

この狗邪韓国は3世紀中頃まで、金海市だとか巨済島にあって、倭人伝に登場することから、倭の属国だったことが分かるのでした。

しかし狗邪韓国は3世紀中葉以降に倭から分離し、伽倻全域を収める金官伽耶国とっています。

金官伽耶任那倭人地にあったので、当然彼らの言語は倭人語、日本語に近いものであったでしょう。扶余系言語も倭語に近かかったようですけども。

そんな金官伽耶は、古代にインドの王家が入り込んでいるという伝説もあったりするのは面白いところです。

そして金官伽耶王朝の真実は、日本語+サンスクリット語仏教用語で解明できてしまうことがわかりました。

 

 

金官伽耶王朝の名前解読

 

 

・許黄玉

このかた、古代インドの1~2世紀にあったという阿踰陀国(あゆだ国)の王女で、船でやって来て、金官伽耶の初代王、首露王(スロ王)に嫁いだそうです。

許黄玉 - Wikipedia

阿踰陀国というのは北部のアヨーディヤーという地域が有力らしくて、南部のサータヴァーハナ朝を経由して金官伽耶に入ってきたとか。

1世紀以前からいたとか言いますが、息子や孫の年代を調べると、実在したなら2世紀半ば~後半頃かと思います。

 

許黄玉って当然ながら韓国読みで「ホ ファンオク」で韓国人ぽい呼び名になってます。しかしこれは伝承される名前でした。完璧インド人だったし、本来は違った名前だったんじゃないですかね?

「黄玉」って、日本語で読むと「コータマ(kotama)」になるんですよね。これってアレじゃないですか。

インドの聖人と言えば釈迦、ブッダ。その本名が「ゴータマ・シッダールタ」っていうんです。

ゴータマは「もっとも優れた牛」を意味するらしいです。最高級のA5級で美味しいかどうかはともかく、気立ての良い、頭のよい牛みたいな表現で。

そういえばインドでは、牛は神聖な生き物とされているらしいです。しかしインド人って、牛肉よく食べるらしいですけどね・・・😅。

すると「ゴータマ→コータマ→黄玉」という経緯で、黄玉と名が付いているんじゃないかと。

つまり黄玉とはゴータマであり、釈迦の名前を元に命名された感じがしました。

シッダールタは「目的がかなえられた」だったり、「全てのことが皆成就した」という意味になるとか。

 

「許」のほう見ると言偏と「牛」旁ですね。つまりゴータマの「もっとも優れた牛」を元にして、牛の入った「許」が選ばれているんです。言偏が付いた牛なので、「言葉を理解する頭が良い牛」みたいなニュアンスだと思います。

許黄玉

許=言牛・・・言葉を理解できるもっとも優れた牛

黄玉=ゴータマ・・・ゴータマ・シッダールタ=釈迦

だからこの方は熱心な原始仏教徒で、釈迦の崇拝者だったと思われます。

そうすると金官伽耶でも「玉」のことを「tama」と倭語(日本語)で発音したのは明らかでしょう。伽倻とは倭語を使う倭人の地域だったんだろうな、と想像するには十分です。

 

 

・居登王

この方は首露王と許黄玉の子で、金官伽耶の2代目王でした。年代的にはちょうど卑弥呼と同じ頃で、2世紀末~3世紀前半と言われています。

居登王 - Wikipedia

韓国語読みでコドゥンワンですが、これも許黄玉と同じで、日本語読みにすると意味が分かるんではないかと思うのですが。

居登は日本語では「いと(ito)」と読めるのですが、これってどう見ても、居登王と同じ頃に九州にあった、委奴国(いど)、伊都国(いと)、と同じ読みですね。それは偶然じゃない感じ。

すると居登王の読み方とは、「いと王」だったのでは?

 

または別の解釈もできました。

同じ時代に倭国には崇神天皇がいたのです。崇神天皇は本名である諡号に「御間城入彦五十瓊殖(みまきいりひこいにえ)」とあります。

この時代に「日本書紀」に登場する任那王の蘇那曷叱知(そなかしち)が、新羅の奈解尼師今(なかいにしきん)であると思ってるんですが。

崇神天皇についての記述は「魏志倭人伝」と一致するので、崇神天皇は3世紀の在位だと考えます。

蘇那曷叱知 そなか叱し

奈解尼師今 ---なか尼し (3世紀前半の王)

名前が一致してます。

なか

知(し)=師(し)

叱=尼(口+匕)

 

同一人物というか、兄弟とか関連する人物かもしれないです。

新羅は古代には倭に属したとの文書が、2011年に発見されていました。通説では新羅王だけれど、「日本書紀」では任那王になってるのもそのためかと。

 

崇神天皇諡号には、「入(いり)」が含まれてるんです。これが居登王の「居(いる)」と同系であるように思いました。

イリ、イルというのは、実は古代騎馬民族で共通した王名に使われてたりするんです。扶余にも3世紀にイリ王、イラ王がいたし。同じ時代の東夷諸国(東アジア諸国)の王が共通の名を持っていたことは、元々東夷諸国の王族は騎馬民族の同一の先祖から発生していることを意味していて、無視できないです。

倭 御間城入彦(イリヒコ)

金官伽耶 居登王 居(イル)

扶余 依慮王(イル)依羅王(イラ)

百済 蓋婁王(ガイル)

あと「登(のぼる)」はひょっとすると、仏教用語かもしれないです。仏教は紀元前2世紀に前漢に入って以降、漢訳が進んで行きましたので、首露王と許黄玉も立場上、手に入れることも可能だったかもです。

いわゆる仏教における神である如来、菩薩、明王、天部には真言があり、唱えることでその超常的な力を得たり守護を得たり、極楽浄土に行けるられると信じられてました。

日本に古墳時代に入った仏典は漢文ですが、元はインドのサンスクリット語で書かれたものでした。

例えば不動明王は「ノウマク サマンダ バザラダン カン」という真言。これは「帰命したてまつる。あまねき諸金剛尊よ。ハーン」という意味だとか。

「ノウマク」はサンスクリット語のお辞儀、敬礼、崇拝などの意味で、漢訳されると帰命、敬礼になったとか。

ノウマクはnamah(ナマハ)、namo(ナモー)に変化し、漢訳では「ノウボウ」になってる場合もあるようでした。

ノウマクを漢字で書くと「曩莫」「納莫」、「ノウボウ」は「曩謨」「南無」なんですよね。つまり日本語の「登(のぼ)」と似たようなかんじになるわけです。

 

居登王=いと王・・・委奴国(いど)、伊都国(いと)

居・・・イル(騎馬民族の王

登・・・納莫=namah・・・帰命

すると居登王とは「委奴(いど)」で倭人を示すと共に、「居(イル)」で騎馬民族王家の出自を示し、「登」で仏教の納莫を表して出自が仏教のインドにあることを示す。と言う感じがするわけなのです。

 

 

・慕貞

居登王の妻が慕貞(ぼてい)でした。韓国読みでモジョンだとか。

父親の申輔と娘の慕貞、この親子も、インド南部のサータヴァーハナ朝から来てるのだといいますね。

慕貞 - Wikipedia

慕貞とは日本語で読むと「ぼてい」ですが、これに近い仏教用語があるんですよね。菩提寺の「菩提」。

菩提とはサンスクリット語の「bodhi(ボーディ)」で、「仏の覚りの境地」とかいう意味があるそうです。覚りの境地を得たものが仏陀こと釈迦如来であり、それを目指す者が菩薩であるとか。

菩提 - Wikipedia

許黄玉と同じく、インド人慕貞も釈迦に関わる名を名乗ってたのは偶然じゃないです。このかたも熱心な仏教徒だったのでしょう。

 

 

・申輔

すると父親の申輔(シンポ)は何か。しんほ、しんすけ。

申が「もうす、話しかける」で輔が「たすける」意味。「言葉で助ける」だから、通訳だったのかもしれないです。

「しんほ」に近い仏教用語に「三宝(さんぽう)」がありました。仏陀と法と僧伽の3つを合わせることで、正式な仏教徒だとか。

あるいは「辛坊」。辛い苦しいのを我慢することで、もとは「心法」で仏教用語らしいです。祖国を離れての移住は辛かったのだろうか😅。

 

 

・麻品王

この王は金官伽耶の3代目の王さまです。韓国語ではマプムワン。日本語の訓読みではマヒン王となります。

259年~291年に在位したとか言いますが、これもどのくらい正確なのかは分からないですが、女王壱与と同じ頃の王さまでした。

麻品王 - Wikipedia

この名前、もしかすると紀元前3世紀の、古代インドのマウリヤ朝の仏僧、マヒンダを元にしてるかもしれないです。マヒンダ→マヒン→麻品王、そのまんまですね。

僧侶のマヒンダは仏教を学んだあと、船でスリランカに渡って伝導した偉大な人物だったとか。「海を渡った」ということで、インドから海を渡った許黄玉らに結び付けられ、命名されたのかと思いました。

マヒンダとは - コトバンク

 

あるいは「呪い(まじない)=麻品」が元になっているのですかね。

おまじないは神仏の力を借りて災いから逃れたり、奇跡を起こしたりすること。王がお呪いを司る存在であるのは、日本を見ても同様でしたし。

 

 

・居叱弥王

金官伽耶の4代目の王さまで、韓国語で言うとコジルミワンです。291年~346年頃に在位したとか。

居叱弥王 - Wikipedia

日本語で訓読みしてみると、色々読み方を検討できます。キョシツビ、コシツミ。イシツヤ。「いしや」とすると、なにか意味が通じるような感じがしました。

居叱弥がイシヤで、「イーシャ」ならば、サンスクリット語で「神」という意味になるようです。これも神である釈迦にあやかっている命名な感じがしました。

 

 

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というわけで

 

適当に名前の暗号解読を進めてたら、話が長くなってしまいました。

というわけで金官伽耶の偉い人は、倭語を使っていた人々だったようですね。だからこそ日本語で解くことができるわけでした。そして彼らは熱心に釈迦を崇拝する、仏教徒だったのは、その出自からも名前からも分かるのでした。

まぁそうすると金官伽耶のあった任那と関わった倭人は、3世紀頃からなんとなく仏教を知ってた人も居たことになるわけですが。

日本の正史だと仏教伝来は6世紀の欽明天皇のころとなってますけどね。リアルな古代の出来事と、現在の教科書の内容は違うのでしょうね?

それでこの話が、崇神天皇卑弥呼の出自を解く上で、とても重要だったりするのです。次回は金官伽耶と密接に関わった崇神天皇卑弥呼の話。

 

ぽちされでたすかります

 

 

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朝日が昇るうさぎ年。地獄の本番の中に天国エリアが広がっていくだろーか

コロ中で死者が増大していたり、戦争の不安がつきまとう日々。干支の暦を照らし合わせると、意味深な情報が出てきて、未来予知ができる感じがしました。

今回は卯年にまつわる変な話。

 

 

干支の歴からわかる未来の行方

 

きゅ~

 

あけおめ😅😨😥😱

 

以前の記事で作った、干支の時間の絵。東アジアでは、古代から暦として使われていたものでした。干支の時間は日本では廃れましたが、現在でも丑三つ時、三時のお八つなどは残ってますね。

この干支の暦に、ずっと続いてるという第三次世界大戦とコロナ禍に合わせてみると、どんな感じになるのかと考えてみたのですが。

 

 

2020 子 ねずみ 夜更け 23時~01時

2021 丑 うし  夜更け 01時~03時

2022 寅 とら  暁   03時~05時

2023 卯 うさぎ 日の出 05時~07時

2024 辰 たつ  朝方  07時~09時

 

こうなってました。

卯の刻とは寅の暁(あかつき)が終わった、夜明け6時前後の2時間のことです。

それで今も継続してるコロ中に照らし合わせてみると、

2020年の夜更け コロ中地獄が本格化

2021年の夜更け コロ中地獄の最盛期

2022年の暁 場所によって地獄拡大、地獄の終焉の二極化

2023年の日の出 地獄の中で真実と救済が拡大(あるいは闇権力の終焉?)

 

卯年は日の出6時頃に対応する時刻で、世の中の闇が太陽に照らし出されます。

うさぎ年で明るくなるということは、これまで秘密にされて見えなかった、魑魅魍魎の姿、禍々しい悪事が全て陽の光にさらけ出される感じになるのかと。

ゴムマスクの偉い人も「現在が転換点」であり、「戦後に積み重なった多くの問題を今年に解決する」とか言ってるので偶然ではない感じですが。

まぁ日の出といっても冬だし?徐々に明るくなるものだから、場所によっては地獄のように寒い日々が続くような感じは残るんじゃないですかね。

実際コロ中での死者は、2023~2025年にかけて激増するという予測がありますし。今後何年にも渡って戦争が続くとも言われてます。偉い人も「2023年が本番」とか意味深なこと言ってましたし。

しかし世の中には朝日が昇るように、それらの恐ろしい出来事はすべて明るい時間に起きることです。

全ての闇が照らされて真実が暴露され続けるのでしょう。そして救世軍が動いて、地獄の中に安全な場所や支援も広がっていくと言った感じなのかと。妄想するところです。

 

 

月のうさぎは自らを犠牲にした

 

月の兎 - Wikipedia

うさぎと言えば月ですが。月の模様がうさぎに見えるとか言うのも、月にうさぎがいるという神話にちなんでいるようです。

まぁわたすなんか、ウンサンギガことシュメール人が月にいると思ってますが・・・。

この話、実は仏教説話に起源があるとか。

ある時に猿、狐、兎の3匹が、山の中で倒れたみすぼらしい老人を見つけた。老人を助けようと猿は山で木の実をとり、狐は川で魚をとって与えた。しかし兎だけは何も出来ないことに嘆いて悩んだ結果、焚き火の中に飛び込んで自らの体を老人に差し出した。これに老人は感激し本来の帝釈天の姿を表し、兎の魂を月に昇らせた。

これが月にうさぎがいる理由で、悲しい物語でした。まぁ自分を捨て身にして誰かを助けるだなんて、なかなかできないですね。

昔からうさぎは食用肉にされてたんで、こういう話ができたのかもしれないですが。

世界を救うには、うさぎのような捨て身の犠牲が必要な感じもしますけども。「ゼイリブ」でも主人公が捨て身の犠牲になってました。

まぁ俺なんか長年カルト権力のおもちゃにされて、世の中の仕組みを伝えているので、捨て身の犠牲みたいなもんですけどね。

 

そういえば童謡「ふるさと」の「うさぎ美味し、かの山~」が思い起こされるところ。

子供の頃は、なんでうさぎを食べるんだって思ってませんでしたか。大人になってもうさぎ美味しいって思ってる爺さん、どうしようもないですが。😅

実際には「うさぎ追いし」で、うさぎを追いかける話だったので。

それで「何故うさぎを追うのか」という問題も出てくるわけです。

その答えを調べてみると、うさぎは昔から畑を荒らす害獣扱いされてて、日本ではうさぎ猟が当たり前で、時にぶち殺すのが娯楽だった時代があったとか言う話。

なんか「ふるさと」って色んな意味でつっこみどころ満載で、納得できない童謡ですね。もう歌わないほうが良いかと。

話が脱線しますた。

 

 

グリーティングライフ 2023年 アニマルダイカット カレンダー 卓上 うさぎ

 

 

戦後に積み重なった解決すべき問題って?

 

「闇の側にいる人々が、絶対に口にしない問題」。それがたぶん、ほんとうに解決すべき日本の課題だったりするのかと。

例えばイルミDS米軍とカルト権力によって、戦後ずっと日本が統治されてるとか。カルト権力が私利私欲のためにやりたい放題やってるとか。

すべてはこれに関係する気がしますけども。

人口削減のための政策、全て穢れ毒まみれにする、重税奴隷化、悪事蔓延させる、集団ストーカーやいじめ盗撮を娯楽ビジネス、俺を人為的に汚い存在にしてみんなでおもちゃにしてること含め。まぁ世の中の噂レベルのものを含むと、色々とあるのですが。

これらの問題が解決するということなのだろーか?偉い人の逮捕や、仕組みの改革が進んでいくことを意味しますけども。世界中で注射してないはずの偉い人が同時多発的にしんじゃったりしてるのも、無関係では無いと言われてますし。

日の出の最大の見せ場は、貧乏人を陽の光で暖める、ベーシックインカムの始まりではないかと。まぁ毎月20万円くらいもらえたら、殆どの庶民は問題なさそうですけど。

個人的にはベーシックインカム、ゲサラとかいう救済のはじまりは「ヨハネの黙示録」に関連づいていて、地獄の世界が進むのと同時進行になると考えてましたが。大量死の時代を迎えてるの見ると、もうそんな時期なのではと思います。

 

地獄の中に、天国エリアが広がっていく卯年。

天国と地獄の本番なのか。どうなることやら。

 

 

ぽちされてたすかります

 

 

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鶏(かけ)は光で影だった。天岩戸神話に登場するニワトリの違った見方

日本神話の天の岩戸の場面では、常世の長鳴鶏が登場しますね。あれ、実は天照大神を外に出す以外に、別の意味があったんです。今回も低学歴の妄想の話。

 

常世の長鳴き鶏は「光=影」だった

 

Chicken - Wikipedia

 

こんな解釈してみた。

 

 

 

天照大神が天の岩戸に隠れた時、常世の長鳴き鶏がコケコッコーと鳴くことで、天照大神を外に出すことに貢献していました。

なぜ天照大神を出す役割は、鶏じゃなくちゃいけなかったんですかね?

それに関係してると思うのが、鶏の別名です。古語や方言などに、別名がのこされていて、色々とあるようです。

にわとり・庭鳥・鶏

にはつとり(古語)

かけ(古語)

時告げどり(古語)

長鳴きどり(古語)

かけろ(富山)

とてこっこ(全国)

とっと、とと、とーと(全国)

こっこ、こけこっこ(岐阜)

といとい(宮崎)

実は古代には鶏は、「かけ」と呼ばれてたのですが、この呼び名に関係してるかもしれないです。

天照大神が日の神なのに対し、鶏(かけ)は「影」。要するに「影にかけ合わせた」ということなのかも。つまり駄洒落が重要だったと。

古語で影とは、光そのものを指す言葉でした。まばゆい光あるところ、必ず影ができるということで。そのために鶏が光を導くものとされたようです。

一方で光と影とは陰陽の関係。天照大神が隠れた世界は影に没していたので、かけが登場してる感じもします。

まぁ八百万の神さまは、鶏(かけ)に色々と掛け合わせて、賭けたわけなんですね。😥

 

 

「時告げ」に係わっている鶏

 

日時計 - Wikipedia

 

英語のクック(コック)と、鶏(かけ)、似てる感じがしませんか。カッケ、クック、コック。どう見ても同系です。

日本の方言ではこっこ、こけこっこという呼び名もあったので、そうするとほとんど英語の鶏と同じように呼んでたことに。

言葉には言霊としての意味があるし、運命的な繋がりも示されている場合もあるので、遠く離れた言語の一致も無視できないです。

 

「刻(とき、こく)」と言えば、「刻々と」と言うように、時間をあらわす言葉でした。

古代から太陽とは、365日をあらわし、空の位置や日時計により1日の時間を表す象徴になってました。

ツイッターで「日時計」は時間をあらわし、光の影であるとのお話をいただいたりもして、まさにその通りだなーと思ったりもしました。

一方で鶏は世界のどこでも早朝にコケコッコーと鳴いて時間を示すので、時間を象徴する動物です。別名には時告げどりなんていうのもありますし。

そのへんで太陽と鶏には、とても深い関連があるわけでした。

英語でも時を示すオクロックという言葉がなんか鶏の鳴き声みたいで、かっけこけこっこ、クック、と同系に思えたりしますし。

古い日本語と英語が、発音も意味も通じてるとは、なかなかやるではないですか。

 

あと気になるのが、日本の鶏の方言である「とと、とっと、とーと」です。古代エジプトでトートと言えば、トート神です。

この神さまはギリシアではヘルメスであり、知恵の神、魔法使いとも言われますが、時を支配する「時の神」でもあったんです。

鶏(とーと)は天照大神と似たような性格であるために、天岩戸の場面に関わっていたわけです。

(そういえばトートが時の神でトキの姿なのと、日本語で時間をトキと言う事の関係もありますが・・・)

トート - Wikipedia

 

 

レゴ(LEGO) マインクラフト ニワトリ小屋

 

 

十二支に照らし合わせると・・・

 

以下の図は十二支と時間の対応です。

天岩戸神話と関係があるんじゃないかと。

 

常世の長鳴鶏は朝の時間と東を象徴する。と同時に「酉」で18時前後で西を表すので、日没の夕日象徴でもあるようです。

いっぽうで天照大神とは太陽。東から昇って西に沈む。昼間であり、卯~酉の間。時間にすると朝6時前後~夕18時前後を支配している陽の神さま。

逆に陰を支配するのが月神です。

そうすると常世の長鳴鶏と天照大神の行動パターンが、重なってます。だからこそ、酉=鶏が天の岩戸から出す役割になったようです。

常世の長鳴鶏 朝の象徴、酉は夕方   朝6時前後~18時前後

天照大神   朝日から夕日までの太陽 朝6時前後~18時前後

 

要するに天岩戸神話というのは、陰陽(光と影)と時間と十二支に関係してるということかもしれないです。

中国の雲南省などに伝わる天岩戸神話でも、実は同じ意味があるんじゃないですかね?

雲南省の神話では岩戸を動かしたのは猪だったと伝わっていました。だからあの場面に登場した全ての神々も、干支に対応しているかも知れないなと思ったりします。

亥 手力男(たぢからお)手力=腕力、腕=かいな、いな(猪)

卯 天宇受売(あめのうずめ) 宇=卯、卯受(うさ)

子 天兒屋根(あめのこやね) 兒→鼠、こ(子)、根=子

まぁこんな感じで。当てはまってたりして。

 

 

・・・・・

それでツイッターで述べていた、

スキタイ人ザクセン人と倭人に入っているので、日本の古語と英語が似通ってるんだろうか」

この点については別の記事にしたいと思います。

 

ぽちされでたすかります

 

 

 

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「崑崙山と西王母の神仙思想」は奈良の三輪山周辺に秘められていた件

古代中国人にとって、崑崙はとても重要な意味を持つ聖地でした。そして倭人自体も、実は崑崙と深く関わりを持つ人々が含まれていたのです。

今回はそこらへんに関係するお話ですが、内容はやや長めになってしまいました。

 

弥生時代倭国で流行ってた崑崙山・西王母信仰

 

 

むかしから日本の各地では銅鏡が発見されていましたが、中でも注目度が群を抜くのが三角縁神獣鏡でした。この銅鏡は卑弥呼が実在した弥生時代のもので、全国で三百枚以上も見つかっていたりするとか。

魏志倭人伝」に記述のある、卑弥呼が魏から贈られた銅鏡百枚とは三角縁神獣鏡であり、数が多いのは国内でどんどん鋳造されたからだと言われます。

三角縁神獣鏡 - Wikipedia

この三角縁神獣鏡の表面を見ると人物や動物が描かれてますが、これは崑崙山に始まった神仙思想を図案化したものでした。

崑崙山の主神である西王母が描かれ、それに対応する東王父、それに名のある仙人である王喬と赤松子なども描かれてるようです。

さらに守護する四神は青龍、白虎、朱雀、玄武などがいて、神鹿までも含まれているとか。

この神鏡を祭祀に使うことによって、崑崙の龍脈パワーを得たり、四神の守護の力を得たり、西王母の桃の実の病気平癒や不老長寿のご利益などを願ったようです。

倭人にとって神に通じる宝物が、遠く新疆の崑崙山に由来したわけですけども。

じゃあなんで崑崙山の西王母の神鏡を、倭の偉い人たちは重視してたのだろう。そして日本書紀古事記には、どうして崑崙山や西王母が登場しないんだろう。

という疑問があったりしますね。

実は当時大和民族のみやこがあった場所を見たら、答えが分かったりするのです。

 

 

崑崙山と三輪山は名前が似てるのは偶然じゃない件

 

三輪山 - Wikipedia

 

三輪山は元々縄文時代から信仰されてきたとも言われ、当初は御諸(みもろ)山と言ったとか。

弥生時代になって、三輪山をご神体とした大神神社が創建されました。そこでは大物主神をはじめとし、様々な神さまが祀られたわけですが。

この三輪山のそばに、黒塚古墳があります。黒塚古墳では33面の三角縁神獣鏡が見つかって世間を賑わせました。

西方の広陵町の新山古墳では9面が見つかってますね。これらは一ヶ所で発掘された枚数としては、全国有数です。

まぁ奈良は大和の中心であり古墳が多いため、全国では三角縁神獣鏡の出土がダントツに多いようです。

 

それでこの三輪山自体にも、どうやら「崑崙山の信仰を入れ込んでいる」んじゃないかと気が付きました。

それは黒塚古墳の三角縁神獣鏡だけでなく、三輪山という名前自体にも現れていますよ。

例えば三輪山がなんで「輪」なのかは従来の由来などでは説明できないですが。

しかし「崑崙山を三輪山に鏡写しにしている」とすれば説明がつきます。

崑崙山 →山山山=三つの山

kunulu くぬる(チベット名)

崙→侖

 

三輪山 →三つの山

輪=車侖→くるろん

輪→侖

 

ツイッターで指摘いただいたのですが、崑崙山は「山」が三つ並んでる。

これが三輪山という名前で対応してるわけです(三山)。

しかも崑崙と三輪は「侖」の字で一致してたりもするし。

チベット名で崑崙は「クヌル」となるのですが、車侖を「くるろん」とすれば崑崙(こんろん)に似ている感じがしました。

こんなふうに、三輪山に崑崙山を重ね、鏡写しにしていると思うわけなんです。

すると記紀神話三輪山が登場するシーンとは、実は崑崙山を重ねている感じになってるようです。

 

 

見た目も似てる件

 

西域から崑崙信仰を持ち込んだ古代大和民族の先祖は、大和盆地と三輪山の山地を見て、「崑崙山脈に似てる」と思ったかもしれないです。

比較してみました。

崑崙山脈三輪山付近の比較 崑崙山脈 - Wikipediaとグーグルマップ使用

 

長く連なる崑崙山脈の山並みと、手前のタリム盆地タクラマカン砂漠)。

長く連なる三輪山の山並み(笠置山地)と、手前の大和盆地。

山脈と盆地という構図もあわせ、とても似てますね。大和盆地とは、タリム盆地の鏡合わせの存在なよう。

まぁ笠置山地は標高がせいぜい200~500m台、一方の崑崙山脈は標高5000~7000m台と途轍も無い規模で、標高差は10倍以上あるんですけどね・・・。

市街地がなかった昔はもっと似てたでしょうね。特に奈良が砂漠色に染まる秋や、冠雪した冬には。

すると崑崙山脈を実際に見たことある人々は、「崑崙と三輪山って似てるねぇ🙃」と思ったに違いないです。それで三輪山を崑崙の鏡写しと選んだのは想像できるところ。

実際に風景を知ってないと無理だから、彼らはわずかな年数で崑崙から三輪山に辿り着いてるかもしれないです。

古代にはペルシャとか西域あたりから多くの渡来人が、日本まで数年~10年ほどかけて到達していました。そうした旅路は命懸けとはいえ、不可能ではなかったです。

 

 

崑崙の龍山と三輪山に接する龍王

 

龍王山城 - Wikipedia

 

笠置山地の三輪山の北側には、龍王山があります。この龍王山は戦国時代の龍王山城として知られてまして、古代には水神である八大龍王を祀る山だったとか言われてるところです。

不思議なことに、周辺を見れば龍・竜の地名や、龍を祀る神社だらけだったりするんです。九頭神社や龍王神社など数十ヶ所もあり、もはや異常なレベル。

龍王山が八大龍王を祀っていたように、風水の思想では龍神が住まう崑崙山脈の付近は八大龍脈の中心地になるところと言われていました。これは偶然の一致ではない感じがしますね。

古代風水師:崑崙山是眾山之祖、龍脈之源

三輪山を見れば八大龍王辨財天大神(龗神神社)があり、龗神という龍神水神を祀っていましたし。この神は罔象女神(みずはのめのかみ)、瀬織津姫とも同一視されたりもするとか。

もう三輪山龍王山付近は龍脈の龍穴だらけで、ご利益をもたらす宝石箱みたいなところのようです。

神仙思想によると、崑崙山はエネルギーを放出する龍脈でありました。仙人に昇華する人の魂は龍の背に乗って、崑崙山に向かうと考えられたとか。

西王母がいたのは、崑崙山の中にある龍山、あるいは西亀山だとか伝わってました。

龍王山というのは、龍の王の山、つまり大地と水の神である龍と、西王母という仙人の女王とが住まう場所として相応しい命名になっています。龍山の鏡合わせが龍王山というわけです。

また仏教の世界観は、中央の須弥山の周囲の金輪に9つの山脈と8つの海が取り巻き、海には人間の住む島があるといいます。そして金輪際を境界とし、その下に水輪と風輪があるというわけですが。ここで九龍金輪が出てくるのと、崑崙が龍脈龍穴の場であること、龍神が水神風神であることは無関係ではないです。

そして三輪山の南に目を向けると竜門山地があって、その中心には竜門岳の姿。龍王山付近の龍脈は北から南へと長く伸びて紀伊山地へ向かっています。

 

 

風水龍脈ツアー

 

 

三輪山周辺に崑崙山やタリム盆地あたりの地名が残る

 

すると奈良盆地のあたりには、崑崙山とタリム盆地のような地名があるんではないかと深夜から朝方まで思い込みました。実際に探してみますと、気になる地名が幾つもあったのでまとめています。

 

・タリム

奈良盆地タリム盆地の鏡合わせになっています。するとタリムやタクラマカン的な地名が、奈良盆地にあって然るべきですね。

ありました。三輪山の南側にある鳥見山。トリミ(torimi)タリム(tarim)そのまんまです。鳥見山は神武天皇が天神を祀ったと伝わってるところです。

 

・ニヤ

タリム盆地に尼雅(ニヤ/niya)があって、紀元前の遺跡が残っているのです。ニヤとミワ(miwa)なんか似てますね。三輪山には崑崙だけでなく、尼雅が影響してるのかと。

 

・ホータン

タリム盆地にはホータンがあり、古代西域の中心となるオアシスでした。ここはおそらく奈良盆地では、三輪山の目の前にある「太田」という土地かもしれないです。

ホータン、オータン、似てますし。

隣の豊田も「ホータン」ですし。

ホータンは「和田」と書くのですが、日本語だと「オタ」とも読めるので太田と一致するんですよね。ということで、全国の太田さんも和田さんもびっくり。

そして奈良の太田には、ちょうど弥生時代纒向遺跡があるのですが。個人的な見解を言えば、纒向遺跡とはホータンに関わる遺跡じゃないかと思ったりしますね。

纒向遺跡では3,000個近い大量の桃の種が見つかってますが、神仙思想の祭祀跡であるとか言います。崑崙山の西王母蟠桃園の仙桃の実により不老長寿をもたらすと信じられてました。

纒向遺跡をホータンに見立て、三輪山西王母の崑崙山の鏡写しとして、3,000個の桃をお供えしたんでしょうかね。

崇神天皇の時に神がかりして大物主神を祀れと言った太田田根子も、「ホータン田根子」だったのかと。三輪山には大直禰子(おおたたねこ)神社があります。

 

・西亀山

西王母の居場所は、龍山か西亀山でした。西亀は音読みすればセイキで現地音だとシキに近かったんじゃないかと思います。

すると三輪山の前にある土地が「磯城(しき)」だったのも、西王母の居場所に合わせてたのかと。

 

タクラマカン

崑崙山の目の前の盆地はタリム盆地で、タクラマカン砂漠とも呼ばれます。

この名がもしかすると、高天原の元になってるのかという感じもしました。

高天原はタカマガハラ、タカマノハラですが、タクラマカンが「タクラマハン」と転訛していればほとんど一緒の名前になるんですよね。

天岩戸神話の舞台が西域であったという話や、崑崙山が三輪山だという話をもとにすると、タリム=タクラマカンこそが高天原でおかしくない感じがしました。

 

・弓月

新疆のタリム盆地の北方の天山山脈の付近は烏孫でしたが、4世紀頃になると弓月国があったのです。ここは景教徒(ネストリウス派キリスト教)の国でした。

新羅百済から渡来したという秦氏は、弓月国から来たと言ってます。これ、百済から来たという意味ではなくて、天山山脈の弓月国の方だと思っています。

それで奈良盆地のほう見てみると、やっぱり三輪山のすぐ北のところに、弓月ヶ岳があるんですよね。ここが弓月国と鏡合わせになってる証拠です。

 

烏孫

そして以前にもお伝えしましたが、奈良盆地とは烏孫の居場所をも示していました。

イシククル(イシク湖)は西域の天山山脈のふもとにある湖で、このあたりに烏孫があったんです。

奈良盆地でいうと、安堵町や斑鳩町のあたりは3世紀頃まで大きな湖があり、大和湖とか奈良湖と呼ばれてました。ここがおそらくイシク湖に鏡合わせになったと考えられます。それで石切とか石上とか磯城という、イシク的な地名が残ってるわけなんです。

 

・ハンテングリ(天山山脈

西域の天山山脈はハン・テングリといって騎馬民族が崇拝する山でした。テングリとは天上界、天神のことで澄み渡った青空がその象徴だったとか。そして天山山脈もテングリの山でした。日本でいうところの高天原の天神と言った感じです。

このテングリ山を表しているのが、平群(へぐり)という地名だったかもしれないです。テングリ→ヘングリ→平群

生駒山は別の表記だと胆駒山だったとかで、タンコマだったとするとテングリからの転訛したものかと思ったりもします。

 

簡単な地図にまとめるとこうなります。

以前に作った地図

かつて奈良盆地にあった大和湖の本来の名はイシク湖だったりして

 

上記の記事のマップを元に、新たに作成したマップ

西域の地名を重ねて比較してみました。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

まぁこんなふうに考えていくと、三輪山が崑崙山、奈良盆地タリム盆地に対応した土地だったと理解できたんではないかと。妄想ですけども。😓

そして忘れていけないのが、崑崙山の神様である西王母の存在でした。次回はこの神さまの、知られざる正体を明らかとします。

 

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前回の記事では、天岩戸神話のルーツを探すと中国の少数民族の神話にたどり着くことを示しました。

そしてさらに追求してみると、中央アジアと西域(新疆)のパミール高原や崑崙山あたりに関連づいていることが、分かったりもするのです。今回はそんな話。

 

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天岩戸神話の神々

 

天岩戸 - Wikipedia

 

まずざっと岩戸神話に係わる八百万(やおよろず)の神さまについて確認。

記紀神話からリストアップすると、こうなっています。

思兼神(おもいかねのかみ):思慮をめぐらし、常世之長鳴鳥を鳴かせた

手力雄命(たぢからおのみこと):岩戸を開き天照大神を引き出した

天鈿女命(あめのうずめのみこと):舞い踊った

天児屋根命(あめのこやねのみこと):天香山の榊を振るった

天明玉(あめのあかるたま):八坂瓊之曲玉を作った

天日鷲(あめのひわし):木綿(ゆふ)を作った

太玉命(ふとだまのみこと):榊(さかき)を持って祈祷した

天糠戸神(あめのぬかどのかみ):あらとのかみ。鏡を作った

石凝姥(いしこりどめ):天糠戸の子。天香山の鉄から日矛を作った

豊玉神(とよたまのかみ):玉を作った。龍宮の豊玉姫(乙姫)ともいう

山雷神(やまつち):玉飾りの榊を作った

野槌神(のづち):鹿屋野比売神。玉飾りの小竹(ささ)を作った

常世の長鳴き鶏:岩戸の前で鳴いた

もっといるかも知れないですが。神格や役割は省略しました。

 

この神々は、岩戸に引きこもった天照大神を外に出し、暗闇に支配され禍々しい状態となった高天原と地上を救うために行動しました。

しかしなんでこんな道具や儀式が必要だったのだろうか。

 

 

手力雄命に気付かされた天の岩戸神話の中央アジア起源

 

ムスタグアタ山 - Wikipedia

 

日本人のルーツは幾つかありますが、天皇や多くの豪族のルーツは大陸のはるか果てにありました。古代エジプトや中東、中央アジアの方面から日本列島に入り、土着の人々と融合してるわけです。

日本書紀古事記の内容が「旧約聖書」とか古代中東方面の神話と似ていたりすることからもわかることです。しかしこれは正式な歴史学では、扱われることはほぼないようですけども・・・。

この天岩戸神話も大陸で発祥した神話と、日本の伝承が融合したものだったのだろうと考えています。

天照大神と天の岩戸神話のルーツが、中国南部の少数民族にあったことは前回に示しました。しかも岩戸神話は、さらに遡ると中東方面に到達するのは確実です。

 

名前を見ても分かることでした。例えば手力雄命(たぢからおのみこと)。

高天原の天岩戸の出来事で、重要な登場人物が手力男命です。天照大神が岩戸に隠れたときに、天手力雄命が岩戸を開けて引っ張り出したとか。

その時に岩戸を放り投げたものが、長野の戸隠山になったとか言います。まぁ、すると天照大神がいた天岩戸は、とんでもない巨大なものだったようですが・・・。

しかしこの名前を見ると、なんか中央アジア的だなと感じてしまいました。

 

 

中央アジアパミール高原に接する、中国新疆の標高3,240m地点。ここにタシュクルガン(塔什庫爾干)という街があるのですが。

手力雄命の名前に、似てるのですね。

新疆観光サイト - 塔吉克民族文化小镇タシュクルガン・タジク民族文化タウン

 

パミール高原は標高5,000mを超えて、世界の屋根といわれて天上界の象徴的な場所。崑崙は古代から中国では仙人の住む仙界と呼ばれ、不老不死の秘薬を持つ人頭獣身の西王母が住まう場所として、道教や神仙の信仰対象になった山でした。

パミール高原と崑崙山の間にある塔什庫爾干は、紀元前の前漢時代からある名前でした。当時からタジク人が住んでいて、地域の中心地だったとか。すると手力雄命って、タジク人に関係があるのかと。

 

長野の戸隠山については、ちょっと気になる妄想が出ました。

タシュクルガンのそばには、ムスタグアタ(慕士塔格山)という7,546mの山があるんです。

戸隠山はこの「塔格山」「塔格士山」の鏡写しなんじゃないかと思ったり。

つまり、慕士戸隠山

慕士塔格山(ムスタグ山)

塔格士山 とがくし山(順番を入れ替えた場合)

塔格山 とかく山

戸隠山

これは両者が合わせ鏡であることの暗号、アナグラム、だったんではないかと。これ見ても日本神話が、あの辺に関係してることが分かる感じです。

そうすると手力雄が投げた岩戸は、塔什庫爾干の慕士塔格山の鏡写しである戸隠山、ということで。天の岩戸神話が、パミール高原、塔什庫爾干の慕士塔格山にもあったと、いうことになる。

戸隠山の周辺の地名を探して見ても、たぶん崑崙山あたりと一致しているものがあるんじゃないかと。たぶん田道間守とかもタジキスタン出身なんじゃないですかね。田道間(タジカン)なので。

このムスタグアタと戸隠山の関連については、実は他にも発見があるのです。別の機会でお知らせしたいと思います。

 

 

天岩戸神話の神々は中央アジア・西域の地名を冠する

 

西域 - Wikipedia

 

手力雄命と崑崙の塔什庫爾干の関係は、偶然じゃないです。

と思うのは、天岩戸神話に登場する他の神々の名前もすべてが、パミール高原や崑崙山あたりの地名に似ているように思ったからでした。

神々を1柱づつ検証してみました。

 

天鈿女命(あめのうずめのみこと) 

ウズなので、ウズベキスタンのウズです。古代からパミール高原には、ウズベク人がいました。ウズベク人の巫女なのかも。あの辺は独特な民族舞踊があるんですよね。パミール高原の巫女の踊りが、アメノウズメの踊りなのかと。

こういった要素が日本の土着の神や巫女と関連づいて、アメノウズメを形作ったような感じがします。

 

天児屋根命(あめのこやねのみこと)

パミール高原はタジク人からは、「世界の屋根」と呼ばれてきました。天児屋根命は「天の屋根」なのでパミール高原を現すようです。

パミールは別名が葱嶺(そうれい)で葱(ねぎ)の発祥地でしたが、天児屋根は神主で禰宜(ねぎ)だったことに関係してるような。

イスラエルのレビ族は司祭でしたが、レビがネギになっているかもしれないなと、妄想してたのですが。

そして榊を取った天の香具山とは、慕士塔格山の「格山=香久山」かと。

 

思兼神(おもいかねのかみ) 

崑崙山の「崑」とは混ざり合うこと、「崙」とは順序立てる、思うことだとか。すると思兼の思とは、崑崙山を表しているようです。

また思兼が天の岩戸の一連の流れを、順序立てた存在であることも示しているかと。そして天の岩戸では様々な役割の神々(民族)が集まったので「崑」の字があてはまっている感じがしました。

 

天明玉(あめのあかるたま)

パミール高原の東のタリム盆地や崑崙山は、玉(翡翠)の産地でした。タシュクルガンも玉の産地で知られたので、やはりこのへんであるかと。

 

天日鷲(あめのひわし)

タシュクルガンのあたりのタジク人は、鷹を崇めシンボルとする人々でした。鷲と鷹は同じ猛禽類なのでそのあたりの関係なのかと。

 

太玉命(ふとだまのみこと)

玉はタリム盆地をあらわすなら、太はホータンかと。ホータン・タリムで太玉という命名方法。あの辺出身の神主なのかと。

 

天糠戸神(あめのぬかど)

米を精製するとでるのが糠(ぬか)ですね。糠漬けのぬか。パミールは紀元前からの漢字で書くと「帕米爾」で、白米みたいな名前なのです。お米の産地だったようで。

すると白米から出た糠とは、帕米爾から出た天糠戸・・・。パミール高原にいた鏡の職人でした。

 

石凝姥(いしこりどめ)

パミール高原の北にイシククル(イシク湖)がありました。イシコでイシクのようなので、烏孫人かと。慕士塔格山の鉄を使って矛を作った武器職人かと。

 

豊玉神(とよたまのかみ)

名前が龍宮城の豊玉姫(乙姫)と同じなので、同一の神とも言われています。系図をみると、神武天皇の祖母にあたります。

玉なので玉の産出地である崑崙やタリム盆地を現すのかと。豊玉を別の読みにすれば「ホータマ」なので、やはりタリム盆地のホータンを現している感じ。

 

山雷神(やまつち)

パミール高原には前漢時代に無雷国があったのです。無雷出身のかたであるかと。

 

野槌神(のづち):鹿屋野比売神

カヤはカラに転訛する言葉で、あのへんでカラと言えば崑崙から流れてタリム盆地にそそぐ、黒玉川(カラカシュ川)。そしてカラコルム山脈。ちょうどパミール高原の南東に接していました。

 

天照大神

天岩戸の主人公である肝心の天照大神も、同じように考えてみます。するとパミール高原あたりで崇拝された神と関係するようです。

マイトレーヤ my- t- ra-ya

ミトラ    mi- t - ra

ミトラス   mi- t - ra-s

アマテラス a-ma-te- ra-su

ミトラスにアを付けたら天照。ユーラシアの太陽神は、みんな元は同じ神さまなのです。それが日本の古代に入ってきました。

マイトレーヤこと弥勒菩薩は、元々太陽神だったようです。まぁこうして並べてみると納得出来る感じがしますね。

岩戸神話が崑崙山に当てはまるとすると、天照大神もまたパミール高原や崑崙の付近で崇拝されていたんですかね。

 

 

新宿銀の蔵 天然石 勾玉 翡翠

 

 

西域の高天原

 

というわけで天岩戸神話の根源が、中央アジアと西域のパミール高原や崑崙山に関連付くことはわかってきました。

すなわち日本の天皇家や豪族は、かつてパミール高原や崑崙に拠点を持った時代があったんじゃないかと思うのですが。

日ユ同祖論などの大和民族の大陸起源説では、移動した経路が推定されますが、彼らが移動するときにパミール高原あたりを通ったというのは間違いない感じがします。その後に烏孫に入って、日本に向かっていると考えているわけです。

しかも天の岩戸神話に当てはまるということは、天皇とヤマトの民の拠点が置かれたことが推定できるし、ここが高天原として認識されていた証拠にもなるのではないかと。

西域にはヤマトの地名があることも、当ショボい研究室では以前に明らかにしていました。全ては偶然じゃなかったようで。

 

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