ひじりとひじき
ひじり(聖)とひじき、似て(煮て)ますね。
聖と言えば、字のごとくに聖人として名を馳せた聖徳太子です。
○いつも助かっております
厩戸皇子が正式名と認識され、聖徳太子の実在せいは怪しまれてましたが、でもお墓はちゃんとあるんですね。俺はお墓いらないので、ぱっぱと散骨されて風に飛ばされたいです。
で、調べてみると聖徳太子霊跡は全国にかなり多数。一体ドコなのか正式には決まってなかったりします。
ところで最近もひどい目にあってばかり。
隣のおばさんはうざい、芸人はむかつく、イライラが募り過ぎて大地震が起きそう。
聖は耳口の王様とかく漢字ですが、人間は目、耳、鼻、口、皮膚、五感で生きてる生物で、その王が聖人なんですね。
じゃあひじきは?・・・たまに食べたい海藻です。
聖徳太子といえば亀茲だらけ
ところで聖徳太子については、以前にこんな記事書いてました。
これの内容はタイトル通りな感じですが。
要するに聖徳太子は西域(中国新疆、タリム盆地)にあった、亀茲から海を超えて来て、帰化した人物なのではないかと。
と言うと、日本の歴史を破壊するなと怒られそうですが。でもこれが真相だったら、21世紀まで教えられてきた常識のほうが、破壊のまかり通った状態だったと言えてしまいますよ。
亀茲
亀茲(きじ、きゅうし[1]、拼音:Qiūzī)は、かつて中央アジアに存在したオアシス都市国家。現在の中華人民共和国新疆ウイグル自治区アクス地区クチャ県(庫車県)付近にあたり、タリム盆地の北側(天山南路)に位置した。丘茲、屈茲とも書かれ、玄奘の『大唐西域記』では屈支国(くつしこく)と記されている。
その記事をまとめると以下のようになる。
聖徳太子が亀茲から来た理由
(1)・聖徳王と承徳王
聖徳太子の名は、亀茲の王だった承徳王とにてる。
(2)・聖徳と亀茲
聖徳には耳、口、目、心という頭部の機能が含まれる。一方で亀茲も、かめ(か=口、め=目、茲=心)という頭部の機能がとりだせる。亀茲の別名はクチャ。日本語ではクチャクチャいう口の音、クチャとはクチ(口)でのこと。
(3)・亀は未来を占う、未来記の存在に一致する
聖徳太子といえば兼知未然(まだ起きてないことを知ってた)といわれ、未来記なる予言書を残したと言われてますね。
亀というのは古来より中国では亀の甲羅を割る「占卜」で使われた、つまり未来予知の動物なのでした。
亀茲とは亀心の意味で、これを占卜での未来予知の心とするなら、聖徳太子の存在を言い表す国名のようでないですか。
(4)・厩戸
厩戸は音読みすればきゅうどで、紀元前後に大陸を席巻した匈奴に似てる、あるいは厩戸(きゅうじ)と読ませて亀茲の別名の丘茲(きゅうじ)かも。尸は屍のことであり、音読みは「シ」になるから。
(5)・耳
聖徳太子は別名を豊聡耳といって耳に通じるが、トルコ語で耳はklak(クラック)と言った。中央アジアはクルジャ、タクラマカン、カラコルムなど、やたらカラ、クリ、クル、などの地名が多い。耳により聖徳太子の出身がアチラなことが示されてる
(6)・慧慈
聖徳太子の師匠は慧慈。このなは聖徳と似た意味を持つが、漢字の読みを亀茲と見比べると一目瞭然
亀茲ki-ji
慧慈kei-ji
師匠も亀茲出身だったんでは。
(7)蘇因高
聖徳太子と同じ時代の官吏に小野妹子がいたが、彼は隋書に記される蘇因高だった説が有力。その頃亀茲の王様は蘇氏を名乗り、蘇尼姪という男なのに女的な王がいた。小野妹子が蘇妹子なら、繋がりがあっておかしくない。
などと、聖徳太子が亀茲から来たことをにおわす要素は色々でした。
するとやっぱり用明天皇の子息というのは嘘で、子供の頃に慧慈と一緒に亀茲から渡ってきて、養子として天皇家に入っているのではないかと。
まぁ亀茲なだけに机上(きじょう)の空論と言われてしまう話でしたが。
ネット調べてたら、この発想に近い話を発見してびびりました。
・聖徳太子講の伝承「雉を獲る箸」とは? - ブログ 古代からの暗号
こちらの内容を読むと、「雉を獲る箸の逸話」を元に亀茲にたどり着いていたので、このブログと内容は全然違っっています。しかし、自分の専売特許にはならなかったようで。
それで、前回の拙記事には、気になる続きがありました。
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仮に聖徳太子が亀茲から来たなら、たぶん墓所にもその情報を入れた。
そう考えて、ググールマップを眺めていました。すると幾つか見えてくるものがありました。
まず叡福寺。
このお寺は確かに封印された叡知を保存してました。
叡福寺
福・・・示畐。「畐」は音読みでフク、ヒキ。
畐示と逆転すれば、ヒキジ。
ここにキジ(亀茲)が出るのです。
叡福寺の聖徳太子墓は、磯長墓。
磯長墓
磯長は「石」+「幾長」で、キチョー、濁音化してキヂョー、キヂ
やはり亀茲が出ました。
叡福寺は神亀元年(724年)に聖武天皇の勅願で、伽藍を整えたとかいうのです。
神亀を裏返すと亀神で、キジン、キジ
となるので、やはり亀茲ですよ。
ぁ、あと気になるのが、聖徳太子墓前に立ってるという廟窟偈碑(びょうくつげひ)ですが。
廟窟偈碑
これ、石亀の上に碑があり、昇り竜と降り竜が掘られているとか。
竜
亀
亀がいるなら、その上の竜は、「茲」のことなのではと考えました。
辞書ひくと、茲の源字は玄玄で、玄は幻と同源らしいです。つまり茲とは、幻幻。
幻
名詞(まぼろし)
実体がないのに実在するように見えること。すぐ消える儚いもの。実在するかどうか確認されていないもの。
竜は存在するかわからない幻の動物、幻獣であり、昇り・降りの二頭がそろう。だから、
茲→玄玄→幻幻→竜竜
としたのではないかと。
すると廟窟偈碑が意味するのは、じつはやっぱり亀茲なのではないかと思ったりします。
聖徳太子の亀茲的要素まとめ
ココまで登場した聖徳太子の亀茲的な要素をまとめてみます。
まず亀茲の別名から
亀茲(きじ)、Qiūzī(きゅうじ)、クチャ(庫車)、丘茲、屈茲、は屈支国(くつし)
きじ、きゅうじ、クチャ、くつしなど。
では聖徳太子の亀茲的要素を見てみる。
・厩戸王・・・尸は屍(しかばね)、音読みは「シ」だから厩戸は「きゅうし」
・聖徳・・・聖徳は耳口目心、亀茲は口目心(かめこころ)
・慧慈・・・けいじ
・叡福寺・・・福は示畐、畐示とすれば「ひきじ」
・磯長墓・・・磯長は石幾長、幾長は「きぢょー」、きぢ
・神亀・・・亀神とすれば「きじん」
・廟窟偈碑・・・亀の上に2頭の竜で、亀玄玄→亀茲
あと忘れてならないのが
・聖・・・口耳王と書いて、「くじ王(亀茲王)」
だから聖の一字を選んだのかと。
といったふうに、聖徳太子の記録や縁のある 場所には必ずといっていいほどに亀茲が隠れていました。
こんなに亀茲的要素が集まると、偶然じゃ片付けられない感じ。
当時の日本は亀茲から来た聖徳太子が、先進的な手法を日本に持ち込んで、丘茲(牛耳)ってた可能性があるというわけです。