たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅お仕事中。

時の巫女、倭迹迹日百襲姫命はトート・ヘルメスの名を冠した

一応あけおめでございます。本年もできるだけがんばろうかと。

 

倭迹迹日百襲姫命(やまととひももそひめのみこと)は、時を司る巫女ではないかと想像します。今回はそのへんについて。

 

 

名前から湧き出る時間の要素

 

日時計 - Wikipedia

 

倭迹迹日百襲姫命崇神天皇の時代に登場していました。神懸かりの巫女としての役割があり、大物主神を祀るべしと神託をもたらし、大物主神との婚姻を果たしたり、自分自身の死や墓所の造営についてが記されていました。倭迹迹日百襲姫命卑弥呼と同一人物という説は、むかしからまことしやかに語られていることです。

それじゃぁ倭迹迹日百襲姫命は、何故に「時の巫女」といえるのか?

それは名前や事績を見ると分かったりするのです。まず名前を分解してみると、以下のようになっていました。

 

「迹」は物事の後のことで、時間的な意味をもつみたいです。「日」は1日とか日数なので時間のことでした。

「百」は数字で数が多いことで、数字である時間を含むことになります。百は「もも」ですがこれは漢字だと桃で、兆偏が含まれてるんですよ。「兆」は前兆や兆しのことで「起きるタイミング」なので時間の要素です。

「襲」は「おそ」なので、遅い、つまり時間の進み具合を表してました。

「倭」は国名であり「姫」は女性、「命」は尊称であるわけなので、それを除く「迹迹日百襲」のすべてが時間的概念に関わる。

これは例えて言うなら真ん中に5個激辛まんじゅうが並び、外側3個がノーマルまんじゅうだったみたいなことなのです。完全に狙ってないと出来ないと思います。

 

つぎに倭迹迹日百襲姫命の別名と思われる、「倭迹速神浅茅原目妙姫(やまととはやかむあさじはらまくわしひめ」を見てみます。

これも「迹」は物事の後の時間、「速」は速度で時間のはやい進み具合。「目」は目ん玉ですが、「ま」とすれば「間」で時間のことでした。

「妙」は優れているとか不思議の意味があるのですが、「若い」の意味もあるみたいです。若いは年齢、年齢とは年月であり時間なわけでした。

「神浅茅原」は地名です。というわけで別名の方でも、時間にこだわった命名になってるのですよねこれがまたー。

そうすると神浅茅原というところは、時間に関係する儀式をした場所なのかと推測するわけなのですが。兎にも角にも倭迹迹日百襲姫命が時間を司る巫女である。このことは分かったと思います。

 

 

事績から湧き出す時間の要素

 

箸墓古墳 - Wikipedia

 

さらに記紀の伝承を見てみますと、倭迹迹日百襲姫命が時の巫女であることが随所で示されてました。

母親は「意富夜麻登玖邇阿礼比売命(おほやまとくにあれひめのみこと)だそうです。ぶっちゃけてとても変な名前ですが、分解すると分かることがあります。

名前の中に「夜」があり、「麻(あさ)」があるので、時間に関わる巫女的な人物だったようです。しかも「登玖」は「時」なのかもしれんですね。

倭迹迹日百襲姫命は夢占いで神主に太田田根子(おおたたねこ)を選んだのですが、「田田(たた)」なので倭迹迹日百襲姫命の「迹迹」と一致しているのも気になるところ。

 

そして倭の疫病と混乱の最中、倭迹迹日百襲姫命が神懸かりして、大物主神を祭神とすれば国が静まると言って告げてました。

大物主神は「昼は現れず夜に現れた」ということでした。完全に夜勤を好んでたみたいですが、またしても昼と夜という時間があらわれてます。

大物主神については個人的には、古代中国や日本で祀られた崑崙の仙女、西王母が元になってるんではないかと勝手に思ってるわけなのですが。

じゃー西王母は時間の神だったか?

西王母は不老不死をもたらす仙桃を栽培していたとかで、不老不死とは「永遠の時間」なわけなので、やっぱり時間に関係するんではないかと。

あと西王母に対し東王父が存在したので、日の出と日没が表されていまして、これも時間に関係してるところです。

 

倭迹迹日百襲姫命の死後につくられたのが、奈良の箸墓古墳だと伝わります。この箸墓、「昼は人が作り、夜は神が作った」と語り継がれていたそうです。やはりここでも昼と夜が登場しており、時間が関わってることがわかるのです。

魏志倭人伝」によると、卑弥呼が直径百歩の墓を作り「百人殉死した」との話があるのですが。倭迹迹日百襲姫命の名前「百人を襲った姫」と整合してることは無視できないところです。ずっと以前にも記事にしてましたが。

卑弥呼倭迹迹日百襲姫命であり、名前が違って記録されたんだと思いますね。まぁ卑弥呼とは「中国向け」に作った名前だったのかもしれんですよね。

まぁ卑弥呼倭迹迹日百襲姫命であり、男装をして崇神天皇になってるという考えは、依然として自分の中の根幹にあるのですが。

 

セイコークロック(Seiko Clock)

 

 

時間の神トート・ヘルメスと倭迹迹日百襲姫命

 

時の巫女である倭迹迹日百襲姫命は、当然ながら何処かの時間の神さまを崇めていたんではないかと思うわけなのです。

日本神話で時間の神といえば「時量師神(ときはかしのかみ)」がいますが。こちらじゃない気がします。

古代エジプトではトート神が知られていますね。このトートは古代ギリシアではヘルメスと呼ばれました。こちらが倭迹迹日百襲姫命が崇めた神さまでした。

トート - Wikipediaの画像使用

 

実は倭迹迹日百襲姫命が、古代エジプトの叡智の神トートを引き継いでる存在だというのは、以前から考えていたことです。

それは名前が迹迹(トート)日百襲(ヘルメス)姫だから。

迹迹 トート

日百襲 ヘルメス(日=ひる 百=も 襲=そ)

 

トートは創造神で、時間の神、知恵の神、冥界の神でもあり、魔法使い、書記、死者の裁判に関わる神なのですね。これはまさに倭迹迹日百襲姫命の存在と重なるではないですか。

時間の神トートという神格を取り込んで、倭迹迹日百襲姫命の「迹迹」に反映させている気がします。調べたところ、トートは月から時の支配権を得たそうです。それによって夜の守護者になったとか。大物主神は夜にしか現れなかったというのも、なんか関係してる気がしました。

トートは鳥の朱鷺(トキ)の姿、あるいはヒヒの姿の神だったそうなんです。「ヒヒは日々」なので、やっぱり時間を表す名前という感じです。まぁヒヒが日本に知られてたのはいつだったかは不明ですが。

日本語の「時はトキで朱鷺と同じ」だったり、トキの古語は「ツキ」だったりなのも、トート神が絡んでいそうな感じがします。

そういえば天照大神は夕日の神であるという仮説を立てたのとも、整合してる感じがしました。天照大神はその名を見ても分かる通り、ミトラ神、ミトラス神的な神格が含まれてるでしょうが、トートも入ってるのかもしれないです。

すると太田田根子の「田田」もトートなのかもしれんですね、なにしろこの人物は倭迹迹日百襲姫命に選ばれた禰宜なのだし。根子が猫なのかどうかも気になるのですが。

トート神と日本語の一致点

・トート・・・トキやヒヒの姿。ツキから時間の支配をもらった、時間の神

・トキ・・・朱鷺

・トキ・・・時

・トキの古語・・・ツキ

・ヒヒ・・・日々(時間)

 

こうして日本語の中にトート神の影響が見られるのも、倭迹迹日百襲姫命が残した結果なのかもしれんですね。そうすると現代人はまだトート神と倭迹迹日百襲姫命の影響を受け続けてるわけで。そう考えるとなんか不思議ですね。

そういえば、倭迹迹日百襲姫命の儀式の中には、トキ(トート)の姿で舞うものがあったりしたんですかね。たしか弥生時代に、鳥装の人の絵が刻まれた土器があったと思うのですが、あれが倭迹迹日百襲姫命みたいな巫女かもしれんです。

なんで倭迹迹日百襲姫命古代エジプトの叡智をもってたか?それは天皇家にはあちらからの流れがあったんだと、言う感じだと思いますけども。

まぁその隠されてきた証拠も、そのうち出る気がしますね。昨今の「全暴露」の流れからすると。

 

ぽちでたすかりまs

 

 

 

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2025年まで僅か…ミャクミャクとはカレンダーで時間を象徴する説を考える

大阪万博のミャクミャクの役割が、見えた気がしました、思いつきですが、それを書きたいと思います。

 

 

時間の神ミャクミャク

 

 

大阪万博のメインキャラクター、ミャクミャク。キモい、かわいくない、意味不明、やばい、ミュータントなど評判悪すぎですが。

まぁ今の人間自体も、様々な要因で既にキモいヤバい存在になってるし。誰かをキモいとか、言えたことじゃないかもしれないですけど。

なんかミャクミャクは役割があるというか、このストレンジな形によって人々に伝えたいことがあるのだろうと。例えば大災害の発生地点とか?

 

 

人間もどんな人でもヒーロー、悪役、癒し、発見、繋ぎ、ピエロ、きっかけなどさまざまな役割が与えられてますし。

まぁほんとの自分の役割、使命を見つけられるかどうかは別件バウアーですが。

 

そーいえば最近は時間の神について考えてましたが、時間の神といえば日本神話では時量師神(ときはかし)、古代エジプトではトート神です。

それで、実はミャクミャクも、なんか時間の神みたいだなと思ったんですよね。

それはミャクミャクの頭の赤い部分の塊が、12個あるから。時計ならば一周して12時間。2周して24時間。12は12ヶ月に対応しますね。

それでミャクミャクは「脈々」ですし。

 

「脈々と(みゃくみゃくと)」

途切れることなく長く続いていくさま。継続性の力強さなどが込められた表現として用いられることが多い。

「脈々と(みゃくみゃくと)」の意味や使い方 わかりやすく解説 Weblio辞書

 

脈々は時間的な概念が込められた言葉なんですよ。だからミャクミャクが時間を司る存在であるというのは、解釈として間違いなさそう。名は体を現すわけで。

だからあの顔の12個の塊は、12時間、24時間、あるいは12ヶ月に対応してます。後者ならばカレンダー。

目玉という言葉には、人体の目だけでなく、「注目すべき事柄」の意味があります。本日の目玉とか言いますので。

 

 

 

ミャクミャクカレンダーを読み解けば?

 

ミャクミャクの顔がカレンダーなら、2025年までの出来事を表しているのだろーか?と思うわけなのです。何しろ大阪万博の開催は2025年だし。いま2023年12月だから、2024年からの予定ですかね。

まぁ大阪万博真っ只中な2025年7月に、大災難が来るっていう例の予言はこわいですが。ほんとに来るのか?解除された?かはともかく。ミャクミャクの顔カレンダーに照らし合わせると、わかることがあります。

 

見れば目玉の一番大きなものは、「7時の位置」にあるではないですか。これが2025年7月の目玉だと言うのは、あの予言に合わせているような感じがしてしまいましたね。しらんけど。

すると8月にも目玉があり、ほかに4月、11月、12月あたりの目玉も、なんかのイベントがあるという感じ。1月と12月は逆かもしれないですが。

他には日本だけで言うと、関東地震、富士山噴火、南海トラフ地震津波などあるのかと。

最近大阪万博の記者会見の場面を目にしたんですが、なんか円形の波マークがあるんですけど。赤い環を縦にしたものは、なんかフィリピン海の形をしてるようにも見えますね。これらも津波、火山噴火、発生地点の暗示なのかと思ったり。

 

 

ただこれはいわゆるディープステートカルト魔物勢力により作られた予定表でしょうから、dsが終焉してるかもしれない未来の状況では、人工災害は機能しません。でも自然災害、あるいは神の怒りならあるかもしれんですね。

dsが滅びる予定の世界でも、ミャクミャクの目玉は機能するんだと思うのですよね。

まぁ正直いって、悪が世界を支配してディストピアに固定されてしまうみたいな、悲劇の未来は無いという予感はします。その理由は、

 

 

しかし破滅的な状況が来た後、ユートピアが来るような流れが強そうです。「AKIRA」の内容もそうだし。もう来てますが、さらに来るかも。

ただし理想郷に近づけるかどうかは、自分の正しい選択次第かもしれませんけども。知らんけど。

 

dsが終焉した状況を知る方法は…

悪い権力者や金持ちがいなくなる、悪政がなくなる、カルト宗教がなくなる、戦争がなくなる、人工災害がなくなる、極悪企業がなくなる、集団ストーカーがなくなる、トゥルーマンショーがなくなる、毒チンがなくなる、飛行機雲がなくなる、悪い電磁波がなくなる、過剰な税金がなくなる、過剰労働がなくなる、貧困がなくなる…

みたいな、これらの状況が揃ったら、dsは終わったと言えそうです。

あーまだ全然、実現してないですね。

 

ぽちされたすかり

 

 

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平清盛が作った「京都六地蔵」…しかし清盛と平家はご利益を授かれなかった件

以前に京都の小野篁(おののたかむら)が作った閻魔大王の結界の話しました。それにより平安京は守られていたわけです。

それとは別に、小野篁の作った地蔵が元になって、京都六地蔵の結界が作られてたわけなのです。それに関連して、変な要素まで見つけてしまいました。

 

 

平清盛が作った京都六地蔵

 

京都市街地の6か所に、京都六地蔵があります。

その歴史は852年に小野篁が地蔵を手彫りして大善寺に祀ったことが始まりだったとか。

後白河天皇の勅命により、平清盛が保元年間(1156~1159年)に西光に命じて街道口6カ所(下記)にそれぞれ六角堂を建て、六体の地蔵菩薩像を一体ずつ分置したそうな。疫病退散が目的だったというから、やはり京の結界だったようです。これが後の「江戸六地蔵」のモデルになったと伝わっています。

平清盛太政大臣となり、武家中心の世の中を完成させた人物だったとか言いますね。しかしトップに立ってからやりたい放題やってたので、多くの反発を招いて日本はしっちゃかめっちゃかとなり、平家滅亡の引き金を引いたのも平清盛でした。。

 

当初の京都六地蔵はこんな配置で、現在とは若干違っているようです。

六地蔵の街道と寺院

奈良街道、伏見 大善寺

大坂街道、鳥羽 浄禅寺

丹波街道、桂 地蔵寺

周山街道、常盤 源光寺

鞍馬街道、賀茂 深泥池畔(現在は上善寺)

東海道、山科 徳林庵

京都六地蔵 - Wikipedia

 

小野篁の地蔵が当初からあったのは、南方の伏見区大善寺です。

上善寺の地蔵は、当初は平安京の北部の深泥池畔にあったのが、明治時代に現在の上善寺に移されたとか。全体を見ると、意外と綺麗な六角形にはなっていないんですね。

しかし調べてみると、平清盛によって六地蔵がこの配置としたのには、明確な理由があってのことだったと分かるのでした。

 

 

六地蔵平安京の結界であり、清盛お気に入りの場所を囲ってた件

 

まずこの六地蔵は、明らかに平安京をすっぽり取り囲む、結界になってるのは明らかでした。そりゃま時の天皇の肝いり計画だったわけで。しかし六地蔵結界は、平安京よりも東に大幅にずれてます。

これは平清盛と平家に縁のある土地までも、取り囲んで守護する設計だったからだと思われます。その中心地となるのが、平家の拠点となっていた六波羅蜜寺(ろくはらみつじ)です。

六波羅蜜寺空也が創建して、当初から悪病退散や縁結びで知られるお寺でした。六波羅蜜寺の「口からなんか変なの出してる像」は有名ですが、あれは空也像であり、口から出てる変な何かは阿弥陀仏なのでした。

その六波羅蜜寺周囲には、平清盛邸を始めとし、平家の六千軒にも及ぶ邸宅が並んでたとか。

六波羅蜜寺 - Wikipedia

 

しかも六地蔵結界の中には、平清盛が創建した新熊野神社三十三間堂、親族のいた八坂神社、平清盛の邸宅があった泉殿や西八条第跡、信仰した伏見稲荷大社若一神社下鴨神社なども見えるのですね。当然平安京の政治の要だった大内裏も含まれてます。

こうして平清盛に縁のある土地を、ぐるっと囲っていたわけなのです。

 

平清盛に縁のある場所の詳しくは、以下のサイトでどうぞ。

平清盛のゆかりの地めぐり | おすすめの京都観光コース | 京都観光情報 KYOTOdesign

 

あと六波羅蜜寺を中心とした時に、西北側と南側の三角形がほぼ完全な二等辺三角形になっているのも意図的ではないかと。特に六波羅蜜寺~深泥池畔間と、六波羅蜜寺~源光寺間は距離的にほぼ一緒だったりしましたし。

当時の破天荒な平清盛が何を考えて京都六地蔵を設計したのか、これでなんとなく分かったというわけです。

 

 

 

日本書紀に秘められた古社寺の謎──神話と歴史が紡ぐ古代日本の舞台裏

 

 

 

 

結界の中で最後を迎えた平清盛。そして現在まで続く結界の威力

 

あともう1つの謎にも迫ってみました。

平清盛は病死した上、直後に平家は滅亡してしまったので、この結界は平家にとっては全く役に立たなかったわけですが。・・・というか、終末期に鬼として扱われた平家を滅ぼすために、機能してしまったというべきか。

平清盛がどこで亡くなったかの記録があり、それによれば今の京都駅に近い、「平清盛の終焉推定地碑(高倉天皇誕生地)」のあたりだったようです。地図にも記してますけども。

平清盛の終焉推定地は、平安時代の当初は六地蔵の真ん中じゃなかったです。しかしその後時代を超えて明治時代になり、地蔵が上善寺に移された後、何故か六地蔵のド真ん中に位置するようになったのでした。謎ですね。

なんかこれも意図的な感じがしました。南の浄禅寺と北の上善寺は音が一緒であり、平安京朱雀大路に沿って南北に並ぶ形だったりするし。そんでもって六地蔵がなにかオベリスクというか、神道式の墓石の形のようにも見える。

まさに平清盛が作って、自らが結界に組み込まれている京都六地蔵・・・明治時代に上善寺を移転させた人は、その辺を意図したのかもしれません。

「災い転じて福となす」とは、平清盛と京都六地蔵のことを現したことわざのよう。

京都は近世の戦火で消失したことがないのも、小野篁閻魔大王結界と、この京都六地蔵のおかげもあるんですかね。疫病退散をもたらし、人々を守護する力がありそうです。

 

ぽちされでたすかりまs

 

 

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小松左京「物体O」と2025大阪万博「大屋根リング」…共通点と暗示される未来

最近2025年の大阪万博の「大屋根リング」が話題になってました。実はアレも未来の予言に関わるような気がしたのですが。

しかも小松左京の小説にも関係してるのかもしれない、そんな想像も湧いたのです。今回はそんな話。

 

 

大阪万博の大屋根リング

 

大阪万博は2025年に、大阪湾の夢洲(ゆめしま)でやるとか。何故かあの大災厄の予言で知られてる、2025年に合わせてやるとか・・・。

これ、東京五輪と同じように、建設費が莫大になって問題になっているようです。公共事業って建設業界などに対する景気対策なのは当然ですが、政治家や関係者にもお金が入るみたいな感じなので、無理でも容認されちゃうんでしょうね。しらんけど。

参加するはずだった数カ国が参加を取り止めたりと、他にも支障出てるみたいですが。

この大阪万博の「大屋根リング」という木造の円形構造物が、万博のシンボル的な施設なんだと言われてます。これの建設費が莫大になったとかで、問題視されてるみたいですが。

まぁ世の中の偉い人って「一々わざと大問題を発生させてそれに関わる仕事やお金を増やす」との手口を実行してるようです。問題作って解決しないほど、経済が回る仕組みというわけで、「集スト」も同じですけども。まぁそのぶんのしわ寄せは、民衆に行くわけなんです。

計画図とグーグルマップをもとにして、ちょっと描いてみました。

 

サイズ調べてみたらこんな感じだった。

大屋根リングのサイズ

1週 2000m

直径(内径) 615m

幅 30m

高さ 低部12m、高部20m

面積 6万㎡

かなり巨大で、東京でいうと浜離宮恩賜庭園と同じくらいで、富士山の火口に匹敵する程度という感じ。まぁこれは「物体O」だなーと思いました。今では知る人ぞ知るような名前ですが。

こんな立派なものなのに、2025年の万博が終わると壊して跡形もなくなるそうです。もったいない。ただ先日になって、高額な大屋根リングは保存するとか言い出してるようですが。大屋根だけに、「やーね」といったところですけども。

それで大阪万博と言えば、あの変な怪物の「ミャクミャク」ですけども。ミャクミャクもよくよく見れば、赤い部分がリング状なんですよね。見るからに主催してる方々が、おクレイジーでいらっしゃるような感じです。

あの大屋根リングも嫌な意味が込められてるんではないかと。そこで「物体O」だったわけなのですが。以下に詳しく説明します。

 

 

小松左京の「物体O」との関係

 

物体O (1977年) (新潮文庫) 文庫 – 古書, 1977/7/1 Amazon

 

大阪万博の大屋根リングを見てたら、小松左京の「物体O」を思い出したわけですが。「物体O」は1977年の作品なので、「今作ってる大阪万博と関係あるわけないだろ」って思われるかもしれません。

しかし両者には何故か共通点が多々あるので、何かの関係あるかもしれないです。

ここで小松左京の小説「物体O」とはいったい何なのか、説明しておきたいと思います。

これは1977年に出版された、いかれた短編小説ですが、以前に読んだ記憶があります。なにしろ小松左京の小説にやたらハマって、片っ端から読んだ時期があったもので。

直径1000km×高さ200kmの巨大リングが、突如として日本列島に落下したのでした。それを受けて関東と九州は壊滅してしまいます。大阪に臨時政府が立ち上げられたんですが、当然ながら経済は崩壊。研究に酔って巨大リングは銀で出来ているとわかったのですが、翌年には忽然と消えてしまうのです。そのリングの正体は実は・・・といった内容でした。

これがなんか、大阪万博と関係してる気がしたのですよね。比較してみるとわかりますが。

 

 

適当な感じに比較するとこうなる。

物体O      大阪万博

象徴 O型リング 大屋根リング

怪物 表紙に怪物 怪物ミャクミャク

大阪 首都が大阪 開催地が大阪

高さ 高さ200km 高さ20m

消失 翌年消失  翌年消失

海  太平洋   大阪湾

 

これほど共通点が揃ってるので、無視できま千円。特にO型リングであること、怪物がいること、大阪、消失状況などですが。高さは20で合っているし。

「海」というのは、物体Oは日本列島と太平洋に落下したのに対して、大阪万博会場も海上(大阪湾)で行われるので共通しています。

ほかにも類似点があるかもですが。というわけでなんか物体Oと合わせている感じがしてしまいました。ミャクミャクの顔も「O」の形してますし。

まぁ人類破滅を望むカルト権力にとって、小松左京SF小説は格好のネタでありますし。実査に例のコロナパンデミックの出来事を思わせる小説「復活の日」も、小松左京が執筆してましたから。

何らかの破滅的出来事が起こるのが2025年っていう感じが、してしまいますね。しらんけど。

 

 

じゃ2025年にどうなるのか?

 

富士山と津波が描かれた保守党のロゴマーク(2023年9月~)

 

まあ2025年に実際に直径1000kmの「物体O」が日本に落下してくるなんてのは、無いとは思いますが・・・。

2025年の大災厄の予言の中で起きると言われてるものとしては、南海トラフ地震、海底火山噴火、あるいは隕石落下、それに伴う大津波、富士山噴火などです。政党のロゴマークにも、津波が登場しちゃったのは気になるところ。

あとは毒チンの効果が一気に出る年であるとか、大々的に5G電磁波でやられちゃう年だとか、ゾンビが大発生するとか、世界の戦争が本格化するとも言われています。

ここに来て「大屋根リングを作るべきでない」との意見があったのは、無駄遣いのことじゃなかったりして。「物体O的な大破局に結びついてて縁起が悪いから」だとすれば?たしかに作るべきじゃなかったです。

そう言えばツイッターで物体Oと大阪万博に関する書き込みした直後に、気になるニュースが出たのですが。タイミング合わせられた気がしました。

 

 

もしやギャグで作ってるのかと、大阪なだけに。大阪万博とあの宗教組織は関係するのか?と思ってググったのですが、情報は少ないけれど関連はあるようです。

この18日の出来事によって、破滅が解除されたんだろーか?しらんけど・・・。

カルトによる極悪非道な様々な政策が、順次中止になっていく状況が見えたらば、人工災害の解除も見えてくるでしょうけども。

ただ2025年の件がホントのホントに自然災害ならば、回避できるかどうかは自分の行動次第なんですけど。2025年になにが起きるかどうかは、その時になって分かることなので、注意深く見て行きますyo。

まぁ俺は子供時代からカルト権力におもちゃにされたり、ボコボコにされてますが。

しかしそうだとしても、自分の使命である「ボコボコにされても、世界の未知の物事を見つけたり解明したり伝える」を果たしたいなと。

 

ぽちされdたすかりまs

 

 

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先日2025年大地震大津波の予言の記事かいた後、静岡沖で緊急地震速報+フィ国で地震起きた件

先日に2025年に発生予言されてる、地震津波についてのブログを書いたんですが。変なことが起きてしまいますた。それについての話。

 

 

先日のブログ記事について

 

書いた内容は2025年に南海トラフだのフィリピン海だので、大地震とか大津波とか起きる予言があるとかいうものでした。

 

 

その時にとある政党のロゴマークは、静岡の海に津波が来てるみたいな印象だなと思ったわけなのですが。

その翌日に、静岡で緊急地震速報があった件。

 

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緊急地震速報の後の大地震

 

 

緊急地震速報の場所は、伊豆半島のすぐ南あたりで、静岡の海域だった。

緊急地震速報震度5弱以上の地震が想定される時、出るものらしいですが。実際は震度0だったみたいで、誤作動だとか言われてました。

あの記事を書いた直後だったので、焦りました。どんな意味で動いたのか。

 

しかも緊急地震速報が出た時間が10:28。

1028なだけに、・・・たつや(1028)の語呂合わせだったりして。

 

 

しかも11月17日には、フィリピンでマグニチュード7.2の地震が起きたそうで。

まぁフィリピンなだけに、ニアピン賞だったのか・・・。

 

ぽちされたすかり

 

 

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2025年に大地震と大津波の破滅が来る予言・・・何故か保守党もロゴマークに津波

他人をおもちゃにしてるDSカルト権力は、もうすぐ消滅するので、人為的な大地震や大津波は起こらないとか言いますが・・・。

2023年になってから、政治的な権力が大津波発生をほのめかしてるので気がかりです。

 

 

2025年の大津波の予言

 

簡単に言うと、いろんな預言者が2025年の破滅を予言しています。

ググってみると以下のようになってる。

 

 

有名な漫画家、予言者、など複数が予言してますが。南海トラフ巨大地震であるとか、フィリピン海で異常がおこって、大津波になるとか言うのですね。

人工的にやるとか、自然に起こるとか色々言われており、津波の高さは80mとか言ってますが。詳しい内容はググって拝見してみてください。

・・・まぁ予言なんて数撃ちゃ当たる、みたいな感じですが。こんなに予言が存在するのは、それなりに根拠があるのかと。

 

 

高さ80mってどのくらいになるのか調べ

 

Flood Mapsで調べてみた。

 

これは海抜60mまで海面を上げたの図。

予言のとおり津波が80mだと、この図よりさらに内陸にまで行くみたいです。場所によっては100mを超えるかも。

南海トラフ地震の想定される津波高さは30m超とか言ってるので、予言の津波高さはその倍以上。そうすると日本だけじゃなく、東アジア、東南アジア、太平洋沿岸にまで大被害が予想されるんではないかと。

 

 

銀座のソニービル津波マークが描かれた2017年

 

そういえば銀座に津波マークが刻まれたことがあった。調べたら2017年で、ソニービルの防災広告だったとか。

 

 

赤坂御用地津波マークが描かれた2019年

 

そういえば2019年に、赤坂御用地津波マークが描かれたの思い出した。

 

 

東京・港区の赤坂御用地の石垣におよそ30メートルにわたり赤い塗料で書かれた落書きが見つかりました。落書きは24日夜から25日の朝方までに書かれたとみられ、アルファベットや鳥のような絵も描かれていたということです。警視庁は器物損壊の疑いで周辺の防犯カメラを解析して調べています。

 

30mというのは、南海トラフ地震津波の想定高さと同じ。

落書きが完了した25日が、2025年を現していそうです。

 

ここはどこだったか地理院地図でしらべた。

赤坂御用地の東側の「紀伊国坂」でした。標高は20m前後のところ。東京湾日の出桟橋浜離宮からは4kmほど内陸部。

これが津波マークなら、少なくともここは津波が到達することのサインか、ここは海の中のサインなのかも。

そういえば紀伊国坂の紀伊といえば和歌山県のことでして、和歌山の沖合が南海トラフ地震震源になるとか言われてます。

 

 

保守党のロゴマーク津波が描かれた2023年9月

保守党は2023年の9月に結成されてましたが、そのロゴマークも気になりました。

明らかに富士山のある静岡の太平洋沿岸、遠州灘駿河湾などに大津波が来ている構図。富士山の西側に日の丸があるのは、首都が西に移転することを表す気がする。

 

静岡沖が震源だとでもいうのだろーか。保守とか言ってるけれど、立場的にはDSカルト、主権を海外に売り渡してる、自民党と同類みたいな感じなのですね。

2023年9月になってから津波ロゴマークを作ったということは、いまも計画が消えてないってことなんでしょうかね。

 

今後の展開は

 

 

AKIRA(1) (KCデラックス) コミック – 1984/9/14 大友 克洋 (著)

 

2025年まで、あと1年ちょっとのところですが。まぁ多くの人にとって2025年の大破滅予言はハズレたほうが良いでしょうけど。人口削減してる側としては、やりたいのでしょうかね。

先に述べたように、他人をおもちゃにしてるDSカルト権力は、もうすぐ消滅するので、人為的な大地震や大津波は起こらないとか言われてます。

しかしいま緊急事態条項とかWHOの強制、新たな偽パンデミックとか、そういう悪の仕組みが発動する気配がある時期ですよね。

だからひょっとすると、そうした悪の仕組みや大破滅は、実現するのかもしれない。しかし同時に、カルト権力がご破産になるシナリオもあるかもしれないなと思いました・・・。

そうすると漫画の「AKIRA」の展開が現実になる?「AKIRA」では超能力者アキラと鉄男によって日本は壊滅したけれども、生き残った金田の勢力が黄金時代を築く場面で幕を閉じていました。

自分としては「カルト権力のマッチポンプいじめ盗撮トゥルーマンショー」にうんざりしていますし。もし起きる(起こされる)としたら、基本的にはカルト権力は滅亡しても仕方ないですが。マトモな人には、生き残っていただきたいと思います。

 

まぁ、知らんけど。

 

ぽちされでたすかりm

 

 

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日本の原初の神と信仰は、世界樹ユグドラシルだった・・・倭人が持っていた世界樹信仰の痕跡

先日は古代クロマニョン人ゲルマン人が、縄文人と同類だったり、弥生人に入り込んでる可能性が見えました。

そうすると彼らの神話も、日本と同じ要素があるかもしれませんよね。

その証拠になり得るのが、原初の神だった宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこぢ)です。

何しろとある辞書に「宇摩志阿斯訶備比古遅神世界樹的だ」って書いてあるのだから。

 

 

原初の神、宇摩志阿斯訶備比古遅神

 

ヨシ - Wikipedia (アシとヨシは同じ)

 

古事記」の天地開闢の時に、宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこぢのかみ)が登場しています。「日本書紀」では可美葦芽彦舅尊(うましあしかびひこじのみこと)。

定説では「宇摩志」とは素晴らしいと称賛する意味で、「阿斯訶備」は葦芽で、犬や狼のキバのような葦(アシ、ヨシ)の芽が地中から出た姿。「比古遅」とは男性の尊称を表しているとか。

「素晴らしい葦の芽が出たような男神」ということで。ちょっと意味わかりません。葦の芽を神格化したようです。

日本書紀」は基本的に、複数の書物を元に作られた書物でした。そのため内容には「一書によれば(別伝によれば)」という注釈があったりするのですが。

一書によれば、可美葦芽彦舅尊は存在していません。また一書によれば原初の神でした。一書によれば2番めの神だったりしました。また「古事記」では、造化三神に続く4番目に生まれた神となってました。全然違いますね。

 

この摩訶不思議な神の名、実は「日本書紀」で原初の神とされる国常立命にも共通してたりするのです。国常立命は、基本的には龍神としても祀られる神さま。

「立」とは学研漢和大字典によると「葦の芽が出た姿」であり、国常立は「四角い土地(国)から三角形の葦の芽が出たような神」を表すものでしたので。この名からは、ピラミッド的な要素も垣間見えるのですが。

ひょっとすると宇摩志阿斯訶備比古遅神は、国常立神と同一存在、あるいは同種の神さまであるのかもしれないですyo。

 

以下の「神名データベース」を見てみると、興味深い解説がありました。

宇摩志阿斯訶備比古遅神 – 國學院大學 古典文化学事業

宇摩志阿斯訶備比古遅神は、「世界樹的な色彩が強い」とか言ってます。

これは無視できないところ。要するに原初の宇宙空間に葦の芽みたいな神が現れ、それが世界を形作っていったような感じです。

 

 

世界樹ユグドラシル

 

Yggdrasil - Wikipedia

 

世界樹とは何か、自分でもあまりわかってませんでしたので、解説をはさみます。

今の科学では、地中はまん丸な形だとか言われてますが、古代には地球は平坦である、いわゆるフラットアースであると考えられてました。

日本神話では、原初の大地は水に浮かぶ油のようだとか言ってたりしましたし。四方には青龍などの四神が守護してるとか言われてたので、倭人はこの世界はまっ平らだと考えたようです。

それでその平らな世界は、巨大な樹木の階層として存在すると考えられていたのが、世界樹の骨子となります。世界樹には人間が住むエリアのほか、神が住まうエリア、地底の地獄エリアなども存在しました。

この世界樹の神話はアジアやアメリカなど世界中にありましたが、特に色濃く伝えられたのが欧州のドイツや北欧の方面です。

ユグドラシル」は元々はゲルマン系で古ノルド語を使っている、北欧人の神話だったとか。「古エッダ」と呼ばれる古代北欧の神話伝承集があり、その中に登場していました。古代のゲルマン系だったザクセン人も、イルミンスールとして世界樹神話を伝えています。

ユグドラシルは世界を形作るトネリコの巨樹であり、上はアースガルズから下はヘルヘイムまで、9つのエリアを有してるとか。

ユグドラシルは古ノルド語で「恐るべきものの馬」だそうで。ユグ(ygg)は北欧神話最高神オーディンのこと。要するにオーディンの世界だったわけです。

 

ユグドラシルのエリアと特徴を、図に表すとこうなってます。

ユグドラシル - Wikipediaの画像を元に作成。

 

天上界】

アースガルズ(アース神族が住む)オーディンの系統

ヴァナヘイム(ヴァン神族が住む)光り輝く者

アールヴヘイム(エルフ族が住む)

アースガルズにはイザヴェルという平原があり、アース神族はそこに神殿(グラズヘイム、ヴィーンゴールヴ)と祭壇を築き集まっている。鍛冶場があり、黄金によっていろんな道具を作るという。

太陽神、月神、鍛冶神、豊穣神、軍神、雷神など様々な種類をつかさどる神々がいた。

ユグドラシルのてっぺんにはフレースヴェルグ(死体を飲み込む者)というワシがいて、風を起こす。その目の間にいるヴェズルフェルニルというタカは、風を打ち消すという。これは主神オーディンが最初期には風の神、嵐の神だったことが影響してるよう。

ユグドラシルの幹には栗鼠のラタトスクというメッセンジャーがいて、天上から地下まで走り回ってる。

天上界から地上・地下には、神が架けた橋ビフレストがある。

 

【地上界】

ミズガルズ(人間族が住む)

ヨトゥンヘイム(巨人族が住む)

ムスペルヘイム(灼熱の国が住む)

スヴァルトアールヴヘイム(スヴァルトアールヴ族が住む)ドワーフ

四頭の牝鹿がユグドラシルの樹皮を食べている。

地上界の外は全て海であり、その海ではヨルムンガンド(大蛇)が輪っかをつくり取り囲んでいる。

 

【地下】

ニヴルヘイム(霧の国、氷の国

ヘルヘイム(死者の国、悪人の魂が向かう場所)

地下には3つの根がある。

ヘルヘイムは女王ヘルが治める死者の国。

地下には運命を占うウルズの泉と、知恵と知識を与えるミーミルの泉がある。

根っこにもヨルムンガンドがいる。

根の下にはニーズヘッグという黒きドラゴンがいて、週末の日(ラグナロク)には死者を乗せて飛び回るという。

 

 

宇摩志阿斯訶備比古遅神から溢れ出す世界樹の要素

 

上記のとおりユグドラシルには九つの世界があったのですが、大きく分けると天界、地上界、地下の3つの階層でした。

一方日本神話では上空に高天原があり、人間界の葦原の中つ国があり、黄泉や根の国という地下世界に分かれてます。日本神話の階層も3つだったんです。

ユグドラシルと同じような階層構造でありつつ、世界が明らかに植物に例えられていますよね。つまりこの世界は、宇摩志阿斯訶備比古遅神という葦牙が成長した後の、世界樹であるとの思想が根底にあるのかもしれんのですyo。

 

 

「葦牙(あしかび)」という漢字は「イガ」と読めます。

これユグドラシルの神オーディンの別名「ygg(ユグ・イグ)」や、神格である「怒り(ika)」に対応するのです。

「比古遅」は男神であることを表す尊称です。

「阿斯訶」はオーディン系統の神が住むアースガルズの「アースガ」のことのよう。

「宇摩」はdrasill(馬)と完全に一致しているでしょう。

つまり世界樹ユグドラシルオーディンは、「宇摩志阿斯訶備比古遅=葦牙」のなかに表されているというわけでした。

 

・天上界

 

そういえば高天原って、音読みすると「こーでん koden」になるんですよね。

高天原

こーでん(高天)koden…oden

オーデン oden(オーディン

 

これがオーディンを意図したものか、偶然かは不明ですが。

高天原天津神が、アース神族と対応するみたいです。すると国津神ヴァン神族に対応するのかも知れないです。

アースガルズにはイザヴェルという平原には神殿あったのですが、日本で言うと天の安の河原みたいな場所に、八尋殿があったみたいな感じです。

アースガルズの神々はいろんな道具を作ったとあるのですが、日本神話では天照大神高天原の岩戸に引きこもった時、八百万(やおよろず)の神々が様々な道具を作ったことが記されているので似てますね。

ユグドラシルの天界には太陽神、月神、鍛冶神、豊穣神、軍神、雷神など様々な種類の神様がいたように多神教でしたが、これは日本の八百万の神々と似ています。神様の種類までも似てる。

エルフ族もいました。それは日本神話に登場する樹木の精霊久久能智神(くくのち)。久久能智は「九つ」のことであり、ユグドラシルの九つの世界に対応している感じがしました。しかも木の精霊と言えばエルフのことなので、当てはまっている。

記紀神話で久久能智の存在感は小さいですが、日本の神社のご神木には木の精霊がいると言うので、「気のせい」じゃないんですね。

ユグドラシルでは天上界と地上を結ぶ橋「ビフレスト」があったのですが、これがどうやら日本神話における天浮橋(あめのうきはし)と全く同じ機能でした。

あと天御柱というのが地底から天空まで貫いてましたが、これがどうも「木の柱」なので、ユグドラシルの幹という感じがします。天御柱にはバベルの塔やら、なにか別の要素がくっついてるみたいですが。

 

・地上界

 

人間界である葦原の中つ国は、別名「瑞穂国(みずほのくに)」です。これがユグドラシルの人間界「ミズガルズ」の「みず」と一致してるのは、偶然じゃなかったです。

ユグドラシルには巨人族が住んでました。日本ではダイダラボッチ(大太良法師)が思い起こされますが、各地にいたそうです。やたらデッカい人がいたら、ダイダラボッチの生まれ変わりですかね。

ユグドラシルでは人間と巨人族の居住地は別々でしたが、日本の場合は人と巨人族の所在地は重なってました。ダイダラボッチはあちこちに、山や池や川を作ったとかの伝説が各地に残っています。

 

 

・地下

 

葦原の中つ国(人間界)の地下に、「根の国」があります。別名で根の堅洲国(ねのかたすくに)とも言いました。世界は宇摩志阿斯訶備比古遅神(葦牙)という世界樹であるなら、地下に「世界樹の根っこがある」と考えると腑に落ちるわけです。

地下には黄泉という別の異世界もあり、そこはイザナミ=黄泉大神が支配して邪気に満ちたところです。

これらがユグドラシルにおける、ヘルヘイムとニヴルヘイムとに対応してます。

ヘルヘイムは地獄(ヘル)と似たような場所で、神界から追放された女王ヘルが統治した場所でした。日本神話ではイザナミ高天原で死んで、黄泉の女王「黄泉大神」になったのとにてますね。

 

ユグドラシルでは、天界の橋ビフレストで、地上や地下へワープすることが可能でした。一方日本神話では、天界から地上までは天の浮橋が連結していたので、非常に良く似ています。

また天界には地下の黄泉へ行く穴「黄泉平坂」もあったので、ますますビフレストと同じです。天の浮橋がビフレストだとすると、黄泉平坂はそれに連結する道だったのかもしれません。

その他にも出雲の素戔嗚尊の近くから、根の国に繋がる入り口があったようです。

あるいは天界から地下まで貫く、天御柱もそんな役割があるみたいです。「日本書紀」をみれば、太陽と月は天御柱から天に上げられたとありますし。天御柱世界樹の幹と同じく、天から黄泉まで貫くものだったんですかね。

素戔嗚尊が天界の出雲、海原、地下の根の堅洲国までを管轄としたのは、天界と地下を行き来したアース神族と同じ行動パターンと考えればしっくりきますし。

 

一説に地底の黄泉は「常世(とこよ)」の中に含まれるといいますが、多くの場合常世は海の彼方なので曖昧な解釈をするしかないです。もしかすると天界の橋ビフレストが地下に繋がっている特殊構造であるように、常世も天界や地下に繋がる特殊な場所なのかもしれんです。

そういえば大国主神素戔嗚尊からの試練を受けた時に、道案内のネズミが登場しました。あのネズミ、地上で焼け死にそうな大国主を、地下の穴(根の国)導いて命を助け、捜し物の矢を渡したのですよね。まさにメッセンジャーで、役割がユグドラシルにいたラタトスクと被っている感じがします。

 

ユグドラシルでは地下の世界に泉があるのですが、日本神話でも地下は黄泉という泉で表されています。黄泉という言葉は元々古代中国の思想が入ったものですが、地底に泉があるというユグドラシルの認識も合わさったんじゃないですかね。

ユグドラシルの最下層には黒い龍や、ヨルムンガンドという大蛇がいました。黄泉の出入り口がある出雲にはヤマタノオロチがいましたので、龍の存在も関連付けがあるようです。

 

古代メソポタミア全史-シュメル、バビロニアからサーサーン朝ペルシアまで (中公新書)小林 登志子(著)

 

世界樹縄文人の思想や信仰だったかも

 

日本の民族と神話は、ユーラシア各地と日本の土着のものが合さったものでした。日本神話には、古代中国、古代インド、古代エジプト旧約聖書とか、大陸の様々な要素がてんこ盛りなんですよ。

しかしこうして比較してみると、東アジアにある神話より、欧州のユグドラシルとの一致度のほうが高いように思いませんか?不思議ですね。

それは古代の縄文人クロマニョン人ゲルマン人の先祖が、結びついてた仮説を踏まえると無いともいえないですよ。彼らは縄文人と同じ竪穴式住居に住んでたわけだし、古英語調べたら、古日本語に似てますし。

 

どこが世界樹の起源だとか、そういう話は抜きにしたいです。人類がおぎゃーと生まれた時から連綿と育まれてきた、共通した思想だったと思うのですよ、世界樹というのは。ユグドラシル系の世界樹は、ゲルマン系と日本に色濃く残ったんですね。

縄文人だけでなく弥生人に至るまで。倭人は「この地球は世界樹である」との世界観や宗教観を、確かに持ってたような気がしてきます。

 

 

ぽちされてたすかり

 

 

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戸田蕨の立てこもり発砲事件・・・現れた不可解な三角形と目玉

2023年11月1日に、埼玉で80代男性が自宅を燃やし、病院と郵便局で立てこもり発砲する事件ありました。

まぁ犯人さんもストレス溜まってたのかと思ったのですが。詳しく調べたら奇妙な要素を見つけたので記事にしておこうと思います。

 

 

結びつけると現れる三角形

 

いつも興味のある事件の、発生地点をネットで調べるのが日課、というか趣味になっています。気づくことがあったりするので。

今回の調査した場所は、事件が起こった戸田の自宅、戸田の病院、蕨の郵便局の三か所でした。いつも通りグーグルマップをいじって、調べてましたが。

気づいてしまいました。「あれ、これ、結びつけると三角になってる」

 

事件の発生ポイント

・自宅アパート火災 戸田市新曽647

・病院たてこもり  戸田市本町1-19-3(1-18-1)

・郵便局たてこもり 蕨市中央5-8-21

事件発生場所はこの3点。

 

 

いつも人が少ないのに、たった2日で25万view・・・。

 

 

事件の気になるところを見る

 

(1)プロビデンスの目

 

三角の真ん中の目は、「プロビデンスの目」だと指摘されましたが、やっぱりそうですかね。△👁

プロビデンスの目はキリスト教の象徴だそうで、「神の万物を見通す目」を表したもの。フリー(略)の人々が好んで使ってる、人類支配や監視に関わる象徴的な形だとか。

中央の目玉の部分は、役所のエントランスに繋がる道です。

 

 

(2)18番地

 

この目がある場所って、18番地だと指摘がありました。確かに地図を見ると、18ってありますね。

 

 

 

 

666は、3×6、369で、日本では人々の魂を救うため現れるという救世主ミロク(369)のことです。

一方で西洋で666は獣の数字、悪魔の数字だそうで。

相反する意味になります。

18=6+6+6 666

666 ミロク

666 獣の数字、悪魔の数字

なんでプロ目のところが18で666なのか?両方の意味があるのだろーか。

神と魔が重なり動いて行く世界。

 

 

(3)郵便局ーk殺ー役所ー目玉がまっすぐ並ぶ

 

事件が起きた郵便局の南西にk殺署があり、その先に死役所と三角目玉がありますね。寸分も狂わず、一直線に並んでる。

 

 

この事件がやっぱり、カルト権力のマッチポンプなことを現すのだろーか?と想像してしまう。

 

 

(4)事件の3点を結んだら三角になるのは当然か

 

「3点を結びつけたら三角になるのは当然だろ」

左様でございますね・・・。

 

しかし以下の点を考えてみると良いです。

・1人が1日で3か所で重大事件起こす頻度は?(とても稀なこと)

・事件の三角形の真ん中に目の巨大モニュメントが付く確率は?(超低)

・歪な三角形じゃなくて、綺麗な二等辺三角形

 

要するに、3点を結びつけたら三角になるのは当然です。

しかし1人が1日3か所の事件を起こし、綺麗な三角形になり、中央に目が付いてプロビデンスの目みたいになるのは当然じゃありませんyo。

 

 

(5)何故目のある三角形になったのか?

 

この事件、「偶然に目がある三角形になった」か、それとも「犯人が意図的に、目がある三角形になるよう事件起こした」と思うかですが。

しかし答えは「犯人はカルト権力に電波コントロールされ、三角になった」かもしれないです。

 

無線人間リモコン技術は、NTTが1990年代に開発しており、当時NHKでニュースになってました。

おそらく第二次大戦前から米軍で研究されてた技術だとは思いますが。あれから随分と年月が経過しているので、当然進化しているはず。

 

 

電磁波は怖いですよ。人を操ることができます。ずっと前自分自身も時々意味不明な行動を取って、迷惑者になってました。自分の人生はコロナ禍以前から、あまりにも不自然なものだったのですが。

電磁波あてられ、思考や視覚を読み取られるのは当たり前。病気になっても病院で治されず、電磁波当てられ続けて悪化していくから、迷惑者状態が継続したり。

何故か胸に磁石がくっつく体質なので、電磁波を当てられて、幼少時から色々やられてるんだと思いますが。

いつも他人がやってることなのに、俺のせいにされ続けたり。というのは周囲の人も電磁波当てられてることも関係するようです。

電磁波を脳に当てられリモコン操作されて、悪者に仕立て上げられてしまう。それがこの世の真理だろうなと。

最近の電磁波は5Gになってますます強力になっていますので、逃げられませんね。海外では5G電波塔にやられてしまうことを憂慮し、破壊する市民の集団が増えてるようです。

 

今回の事件により三角が描かれた。それは三角の目玉のおやじが、世の中の仕組みの一端を分かりやすく庶民に見せたのかもしれませんよ。

 

 

ぽちされたすかり

 

 

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江戸六地蔵は江戸城を守る結界だった。何故か7地蔵で神田明神にも深く関与してる件

何気なく知ることになった、江戸六地蔵・・・。江戸時代から大きな信仰を集めていたとか。調べてみると、退っ引きならぬ意外な事実がわかったりするのでした。

 

 

江戸六地蔵について

江戸六地蔵は宝永3年(1706年)から江戸市中に設置され始めた、合計で6体の地蔵菩薩坐像でした。

深川の地蔵坊正元という人が、江戸各地の有力な寄進者を得て、各地に作ったそうです。当時の江戸の人口40万人の1/6にあたる、7万2000人がお金を出したと考えるとかなりすごい。

京都六地蔵に倣ったものであり、病気平癒のご利益があるとして人気になったとか。最初の地蔵が旧東海道沿いに作られたように、江戸の各街道筋に作られるのが基本だったようです。

江戸六地蔵 - Wikipedia

 

 

六地蔵の位置を見る

 

位置図がなかったので作ってみたら、左右対称的な図形が現れました。江戸城を中心とした形なので、やはり江戸を守る結界の役割のようです。

当初の六地蔵は五角形に近い形です。一方で明治以降の六地蔵のほうは、なんか弓矢の鏃、あるいは初心者マークのような形に変化してました。

 

それぞれの寺院の位置や、地蔵の製造年をまとめると以下の通りになってます。

 寺院  製造年 街道   所在地

品川寺 1708年 東海道  品川区南品川三丁目

東禅寺 1710年 奥州街道 台東区東浅草二丁目

③太宗寺 1712年 甲州街道 新宿区新宿二丁目

④真性寺 1714年 中山道  豊島区巣鴨三丁目

⑤霊厳寺 1717年 水戸街道 江東区白河一丁目

⑥永代寺 1720年 千葉街道 江東区富岡一丁目

⑥浄名院 1868年 言問通り 台東区上野桜木二丁目

 

⑥番は本来的には、江東区にある永代寺でした。しかし後になり浄名院が重複して「我こそ⑥番じゃ」と主張しています。これは明治元年に永代寺が廃寺となったせいで、代わりに浄名院に地蔵がつくられたことに端を発するんだとか。

ただ江戸六地蔵の元々の寄進者の界隈などでは、浄名院の地蔵は完全に認められてはいないようです。浄名院があるのは街道筋ではなく、上野公園そばの言問通りに面した立地。そのへんでも他とは異質な感じになっています。ちなみにこの浄名院は無数の地蔵が立っていることで有名なところです。

現在は永代寺とお地蔵さんは復興していますが、当初の地点から少しズレており、以前の地蔵は無くなり代替品が立っているとか。

 

この配置は一体何の意味があるのだろーか。そう思って、ひとまず線を引いてみることにしました。

するとこうなってました。

この時点では江戸六地蔵ラインには、何も意味がないように思えますね。適当に配置したのだと、普通は思うかも知れませんね。

しかし調べていくと、江戸六地蔵に秘められている退っ引きならない意図が分かってきました。

 

江戸六地蔵ラインの真意の解明

 

まず当初の江戸六地蔵のほうを見てみる。

①から⑥までの寺院を結びつけたライン上には、有名な神社が幾つも配置されてるような感じでした。これは偶然なのだろうか?

ライン上には、江戸時代以前に創建された、著名な神社仏閣ばかりが並んでる。

しかも神田明神日枝神社がぴったりと重なっている。これは記憶を頼りに考えたところ、江戸の主要な祭りの開催地に関係するような気がしました。何故なら江戸の街には、格式の高いお祭りと寺社があったからです。

・天下祭

神田明神日枝神社

 

江戸三大祭 

神田明神神田祭)、日枝神社山王祭)、富岡八幡宮深川祭

当時の格式が高い神社仏閣は、このようになってます。

神田明神は730年に創建され、祭神は大己貴命少彦名命、さらに平安時代以降には平将門命を祀るようになりました。日枝神社室町時代に創建され、徳川家康江戸城の守護神とした神社です。

天下祭は江戸時代に始まった、徳川将軍家が認めたお祭り。天下祭の2大神社「神田明神」と「日枝神社」は江戸市中の全ての神社より、ずっと格式が高いところだったそうで。天下祭 - Wikipedia

神田明神神田祭は、京都の祇園祭、大阪の天神祭とならんで、日本三大祭にも数えられることでも、存在感の凄さがわかりますけども。

 

これらの神社仏閣が、江戸六地蔵ラインにぴたり重なっていたのです。

おそらく当初の江戸六地蔵は、江戸の著名な神社仏閣の名所を、ラインで結びつけた設計だったのでしょう。

その証拠に天下祭で準ずる地位にあった、小石川の白山神社、浅草の三社権現(浅草神社)、本郷の湯島天満宮富岡八幡宮なども、この六地蔵のライン上に乗っかった位置にあるんですよ。牛込の赤城神社もラインに近い場所に位置づけられているし。

ほかにも日枝神社が守っていた江戸城本丸、不忍池、水天宮、品川神社荏原神社など、当時江戸で重要だった名所を、江戸六地蔵ラインが通るような設計になっているようです。

 

個人的な想像を進めますが。

六地蔵を設計した江戸時代の当初、深川の地蔵坊正元や各寺社の住職など主要な関係者の間で、こういう仕組みを作ったのです。

しかし時代を経て忘れ去られたんだと思いますね。わたすが想像を膨らませ、本来の記憶を呼び覚ましてしまったようですね・・・。

ここで重要なのが、公式なほうは「④真性寺と⑥永代寺を結んで神田明神が浮かびあがる」ところなんですよ。

 

 

明治以降に六地蔵に入った浄名院も神田明神を意図した設計だった件

 

明治以降の江戸六地蔵を見てみる。

先程は「当初の④真性寺と⑥永代寺を結んだライン」が消えてましたね。

その代わりに浮かび上がるのが「①品川寺と⑥浄名院を結んだライン」です。

不思議なことに、こちらの新たなラインのほうにも、天下祭で格付け1位の神田明神が浮かび上がっているんですよ。つまり、

当初の江戸六地蔵では④真性寺と⑥永代寺を結んで神田明神が浮かび上がる

明治以降の江戸六地蔵では①品川寺と⑥浄名院を結んで神田明神が浮かび上がる

ようするに2つは全く違うラインなのに、どっちの六地蔵も江戸で最重視された神田明神を捉えているのは、偶然じゃなかったというわけです。

明治元年以降の六地蔵の浄名院が、「わしが正式な六地蔵じゃ」と主張している理由は、このあたりにあるんじゃないですかね。

まぁ想像に過ぎないですけれども。江戸六地蔵のお寺の方に聞いてみたいところです。

 

とにかく六地蔵は東京を守護する結界であり、病気平癒のご利益があるということで、暇な時に巡ってみたら良いと思います。

 

 

ぽちされでたすかりまs

 

 

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9世紀の京の都に小野篁が刻みつけた三角の結界

数々の不思議な逸話があって今もファンが多い小野篁(おののたかむら)。

このたび小野篁に関して、新たな発見があったのでお伝えしようかと思います。

 

 

小野篁と冥界との関係

小野篁 - Wikipedia

 

平安時代802年に生まれたという小野篁。当時160cm前後が普通だった日本で、身長188cmと巨漢だったことでも知られていたとか。若い頃から文才に優れ、朝廷の太政官として活躍したらしいです。

小野篁と言えば、遣唐使としても選ばれた人物でした。しかし渡航失敗を繰り返したあと、遣唐使を風刺した漢詩嵯峨天皇を激怒させ、隠岐島流しされたことは有名な話です。篁の和歌は「古今和歌集」などに多数残されています。

そんな小野篁が今もよく知られるのは、昼は朝廷で官吏をし、夜はあの世に行って閻魔大王の裁判の補佐をしたとの逸話があるからでした。閻魔大王は死者の生前の罪を裁き、魂を天国や地獄に向かわせることで知られる仏教の神です。

篁は京にある2つの井戸を使って、あの世とこの世を行き来していたんだとか。

藤原高藤(ふじわらのたかふじ)が死んだ時には小野篁が冥土から生還したとか、死んだ藤原良相(ふじわらのよしみ)を蘇らせたとか言うので、蘇りの能力があったようです。

他にも竹から生まれたのはかぐや姫小野篁だったなど、変な話ばかりが伝わっている人物でした。嵯峨天皇との間の「子子子子子子子子子子子子(猫の子の子猫、獅子の子の子獅子)」についての逸話も面白いです。

小野篁 - Wikipedia

 

 

京の都の小野篁に関わる場所を調べる

 

平安時代の始まった794年頃には、東西4.5km×南北5.2kmの範囲に、碁盤の目に作られた平安京が広がっていました。小野篁の自宅は平安京の中にあり、彼にまつわる伝説の地の多くが散在しています。

ところで平安京の頃、死んだ人は風葬されるのが当前で、京の都には町外れに風葬地があったそうです。平安京で三大風葬地(三大墓地)といえば。東は清水寺の近くの鳥部野(とりべの)、西は渡月橋に近い化野(あだしの)、北は金閣寺にも近い蓮台野(れんだいの)という三ヶ所でした。

これら風葬地にも関連して、小野篁の伝説の地が残されています。

 

 

小野篁

朱雀大路の北方には天皇の宮城である大内裏だいだいり)があり、その西の傍らに小野篁邸が構えられていたといいます。勤務地が大内裏太政官の建物だったので、通勤時間は短かったようです。

しかし現在は大内裏小野篁邸もごちゃっとした住宅地になっていて、建物の礎石を探すことも困難です。

 

神泉苑

現在も二条城の南にある神泉苑は、平安京建設と同時に作られた、天皇の宴遊の地だったとか。

812年、11歳の小野篁は立ち入り禁止である神泉苑で勝手に釣りをしていたところ、池に棲む龍神が怒って篁を地獄に堕としたのだとか。その時に初めて閻魔大王に出会い、知能の高さを買われて閻魔大王の補佐を任されたのだと言います。

それにしても龍神って、流動エネルギーを司るだけじゃなく、地獄にまで通じる能力があるんですね。

 

 

六道珍皇寺(死の六道)

六道の辻と呼ばれていた鳥部野のそばに、承和3年(836年)に六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)を建てたのは、空海の弟子の慶俊、あるいは空海本人や、小野篁であるとも言われています。

六道とは地獄道、餓鬼道、畜生道修羅道、人間道、天道の六つの冥界のことで、人の魂は輪廻転生を経ていずれかの世界に向かうとされます。

あの世とこの世の境界がある場所が、この六道珍皇寺だとか。お盆になると六道まいりという行事があって、死者の魂がこの地に戻ってくるそうです。

この寺の境内に「冥土通いの井戸」があります。ここは小野篁が冥土に向かう入り口であったと伝わる井戸。数々の歴史的な書物に登場するそうです。

また境内のそばには黄泉がえりの井戸があり、小野篁が冥土から帰還するのに使った井戸と言われています。そのため往還の2つの井戸は、どっちも六道珍皇寺にあった説が浮上していました。

 

福生寺(生の六道)

京都市街地の西方の嵯峨嵐山エリアのはずれに、化野(あだしの)の風葬地がありました。現在は、あだしの念仏寺というお寺があるあたり。

化野の近くには、清凉寺という大きな寺院があります。その境内にはかつて小野篁が通った福生寺があったそうですが、既に廃寺になっていました。

そして篁があの世の出口として使ったという、生の六道と呼ばれた井戸も存在していましたが、埋められてしまい井戸の痕跡が残っているのみです。

 

・引接寺(千本ゑんま堂)

北の蓮台野の風葬地のそばにあるのが引接寺です。千本ゑんま堂と呼ばれる通り、閻魔大王(閻魔法王)を本尊としています。閻魔と仲良しだった小野篁が、閻魔の彫像を作って祠に祀ったのが始まりだとか。

こちらは閻魔の強運や守護を得られるご利益が大きいと言います。また本堂前の湯のみ茶碗にお賽銭が入ったら、一万倍のご利益があるということです。

 

 

三角形の秘密は

 

京都で小野篁に縁があるお寺は、六道珍皇寺福生寺、引接寺の3か所でした。この3つの寺院を結びつけると、あら不思議。

何故か三角形が現れてしまうのです。これまで気づかれなかったんですかね。

京の三大風葬地も三角形になっていますが。

たぶん死の六道と生の六道の結びつきだけが注目されて、千本ゑんま堂は関連付けられず、三角形が見つけられなかったかもしれませんね。

小野篁の邸宅があった位置は、その三角形のほぼ真ん中になっていました。これは篁が、3つの寺院の位置がきれいな三角になるよう、設計したことが現れているようです。

三角形の秘密と言えば、ポリンキー

あの世に通じる三角形といえば、死に装束の三角頭巾。閻魔大王に会うための正装であるとか、魔除けの意味があると言われています。閻魔に会うのに必要な三角頭巾を表すため、三角形を形作ったのだろーか?

大内裏を囲むようになっているので、閻魔の力を借りた結界を張る目的があったのかも知れないです。

地獄の入口と出口は、どっちとも六道珍皇寺にあったという説がありましたが。この三角形を元にすると、やっぱり福生寺の生の六道のほうが本物である感じがします。

 

 

 

京都六地蔵との関わり

 

 

ちなみに小野篁が作った木彫りの地蔵菩薩像は、大内裏の北にある上善寺に収められています。この地蔵菩薩は篁がいったん死んだあと、あの世で本物の地蔵菩薩に出会った記念に、852年に作成したそうです。

その後に後白河天皇の命を受けた平清盛が、京の各地に地蔵を祀ったことで、京都六地蔵となりました。平清盛小野篁地蔵菩薩六地蔵に加えているので、彼のことを意図していたことが明らかです。

京都六地蔵を全て拝むことで、家内安全、無病息災のご利益があるとか言います。地蔵菩薩と言えば六道全てに存在して、地獄に堕ちても人々の魂を救う存在ってことで、平安時代には大人気だったそうです。

京都六地蔵 - Wikipedia

 

この京都六地蔵と、小野篁の作った三角形を重ねてみたらこうなりました。

平清盛が作った六地蔵の結界は、平安京を覆うような形になってました。

平安京にあった平清盛の邸宅、六道珍皇寺の近くで平家の拠点である鴨川東岸、六波羅蜜寺は、六地蔵の結界のまん中にあります。当時の天皇平安京だけでなく、平家を守るとの意図が強そうです。

 

・・・・・・・

京都六地蔵については、別の発見もあったのですが。それについてはいずれまた。

五山送り火広隆寺との関わりもある気がしますが・・・今回はここまで。

 

 

ぽちされでたすかります。

 

 

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