たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅お仕事中。

欧州の2万年前からの竪穴式住居文化。古代ゲルマン人と縄文人は、共通する生活様式や言語文化だったのか

たぶん縄文人の正体って、日本国内だけの視点で見ても、実際のことが分かんないかも知れないです。

それは縄文人が大陸の果てから日本に流れ着いた人々であり、何故か古代ゲルマン人と同じような文化をもってたから。今回はそんな話。

 

 

縄文人の竪穴式住居

 

竪穴式住居は古代の日本独自のものだ、って思っている人は多いみたいです。日本では縄文時代から平安時代の頃まで使われたとか。

有名な「家屋文鏡」というむかしの銅鏡や、弥生時代の土器に竪穴式住居の絵が刻まれています。その姿は復元された建物からも伺い知れたりもします。

竪穴式は地面を掘り下げていることで、夏は涼しく、冬は暖かく過ごせる仕組みになっているとか。高温多湿な日本の風土に合っているらしいです。

縄文時代の竪穴式住居は、縄文土器土偶と共に世界でも最古の部類の高度な文化の象徴になってるわけですが。

ただこの竪穴式住居、日本固有のものではなく、大陸にも存在してました。それは一体どういうことなんですかね。

 

 

ヨーロッパの竪穴式住居

 

日本の近隣では中国や韓国でも、竪穴式住居が出土してるようです。アメリカ大陸にも見つかってるらしく、万年単位での古代世界では、同一の文化が蔓延っていたのかもしれません。

なかでも特に多いのはヨーロッパ方面です。ドイツから東欧にかけて広く分布する傾向にあるとか。

Amrum – Wikipedia

これはドイツのアムルム島にある、大型のタイプの竪穴式住居(ピットハウス)の復元。茅葺屋根や入り口の形状など見ると、青森の三内丸山遺跡の大型住居と良く似てると思いました。

ドイツの竪穴式住居は、コーカソイドの先祖であるクロマニョン人や、ゲルマン人が住んでたらしいです。

ふるくは紀元前2万年~紀元前1万2000年頃の中石器時代から見つかるそうで。ちょうど縄文時代と同じころ。

 

 

Nachbau eines eisenzeitlichen Hauses – Wikipedia

内部の画像見ると、中央に柱と梁で立方体を作り、その周囲に放射状に骨組みを作り上げ、藁を載せて屋根としている。家の中央に一段低い囲炉裏を据えて、その周囲に居住スペースを作っている。

 

ドイツはクロマニョン人ゲルマン人の縦穴式住居遺跡が多いみたいですよ。

 

Pit-house - Wikipedia

ヨーロッパのピットハウスの竪穴式構造。屋根に千木や鰹木が付いてるのは、なにか日本の神社建築に通じるものがあるような感じもする。

 

 

欧州と日本の間で起こった人の移動

 

竪穴式住居という家の形式がおんなじだったということは?

数万年前に欧州経由で、クロマニョン人と同系の人々が日本列島に入っているのですかね。

人の移動の歴史 - Wikipedia

 

原初の段階での人類の移動経路をみると、5万年ほど前に中東あたりからアジア方面へ移動が始まり、3万8000年前頃から日本列島に入り始めてるみたいな形ですが。

人類の移動図を見ると、黒海カスピ海あたりからシベリアを通って樺太経由で日本列島に向かうルート、インド半島や東南アジアを経て朝鮮半島経由で日本列島に入るルートなど、幾つかあったみたいです。

 

あと気になるのは、黒海北岸のあたりに紀元前3000年頃にあった、ヤムナ文化だとか、クルガン文化です。クルガン仮説っていうのがあります。

クルガン仮説 - クルガン仮説の概要 - わかりやすく解説 Weblio辞書

先史時代のヤムナ文化が、ゲルマン民族の故地であると言われてるのでした。このゲルマン民族から古英語が発生し、現在の英語に繋がっていました。

ゲルマン人 - Wikipedia

 

以前に記事にした通り、古英語と日本語は明らかに単語レベルで似てたのです。

だから紀元前3000年頃に古英語の祖語を使ったヤムナ文化の人々、あるいは古代ゲルマン人は、日本列島に向かっていたんじゃないですかね。

そして紀元前4世紀には徐福が引き連れた民、4世紀には秦氏の一行が日本に入っていました。縄文~弥生~古墳時代の頃には、幾度となく大陸人が日本列島に入っているようです。

 

あるいは日本列島の縄文人が太平洋を渡ったり、ユーラシアを西に行ったとかいう説もあるみたいです。

しかし古代にユーラシア大陸から日本列島に持ち込まれた植物は多いですが、古代に日本列島から欧州や中東に持ち込まれたらしき植物って、見当たらないんですよ。そのへんはよく考えてみたいところ。

 

 

上古の日本語と古英語は単語レベルでは似てる件

 

欧州の古代人(ヤムナ文化人か古ゲルマン人)が、縄文時代弥生時代倭人に入り込んでると言いましたが。

それは古代ゲルマン民族がA.D以降に使った古英語が、上古の日本語(倭語)と似てることも大きな理由でした。

以前に書いた記事ですが、

日本語と英語は似てるのか。メソポタミアのバベルの塔で分かれたのか

これに以下の表を添付してました。


これはごく一部の一致を表してますが、まぁ似てるもの色々あるのです。

すると倭語はもともとインドヨーロッパ語族で、文法が何処かの段階で入れ替わっているという感じなのだろーか?

この言語的結びつきが、何時の時代に起きたのか、解明したいところです。

 

 

日本のナマハゲとドイツのクランプス

 

なまはげ - Wikipedia

 

気になるのは、日本とドイツあたりは、どちらにも「悪い子を戒め幸福をもたらす鬼」の風習があることです。

秋田のナマハゲは「悪い子はいねーか」と言って練り歩く行事ですが。怖ーい鬼が人の怠け心を戒め、厄災を払い、豊作や豊漁をもたらすんだとか。

ナマハゲは来訪神(まれびと)の一種であり、日本各地のナマハゲ的な来訪神は、海の彼方から来るとか、常世やあの世から来ると言われています。もともとは鬼ではなくて神だったけれど、その見た目から鬼とされたとか。

 

Krampus – Wikipedia

 

一方でドイツのクランプスは、聖ニコラウスに従う神の使いでした。その語源は、krampen(鉤爪)にあるというように、角と爪をもった怪物の姿で、夢魔であるともいいます。

クランプスの役割はナマハゲと同じで「悪い子がいたらお仕置きをする」「人々の怠け心を戒め幸福をもたらす」だそうです。

クランプスは3~4世紀に司祭だった、聖人ニコラウスが始めたキリスト教の行事だそうで。ニコラウスは使い魔を使役した(住人に魔物の格好をさせて演技させた)みたいです。

この聖ニコラウスが、後にクリスマスに子どもたちにプレゼントをもたらす、サンタクロースになったとか。

 

ナマハゲのハゲを調べてみました。「hag」は古英語hægtesの短縮形で、古ゲルマン語hagatusjonが元だそう。魔女、魔術師、魔法使い、激怒の意味だとか。ハゲは魔術師だったのか😅。

hag の意味、語源、由来、翻訳・英語語源辞典・etymonline

ナマハゲを見れば魔術師や激怒という言葉がぴったりなので、これに無関係ではなさそうな感じもしました。

ナマハゲの風習は、3世紀以降に日本に入ったキリスト教文化である可能性があるんではないかと。

すると弥生時代にドイツあたりから日本に至る、キリスト教集団の移動があったのではないかと思いますが。まぁ通説ではそんな話は見たこともないですけども。

4世紀頃からのゲルマン民族大移動の時に、日本列島にまで到達しているんですかね。もしかするとむかしの日本にも、ナマハゲと共にサンタクロースも存在したのかもしれないです。

 

 

従来の縄文時代の認識は怪しいのか?

 

コロナウイルスとか、コロナワクチンの情報がデタ◯メだった件があり、世界の様々な学会がホントのこと言ってるか、疑わしいと思うようになりました。

まぁ世界の学問というのは、人々を騙し支配することが得意な、極悪カルトに支配されてるわけですし。

抗がん剤などの癌治療の方法だとか、縄文時代の年代であるとか、日本人の遺伝子情報だとか、宇宙の仕組みなどについては、コロナ関係の話と同様、カルトが関与する機関が広めてるわけなので、極めて怪しいものだなと思うしかないです。

以下のような話もありますし。

これ元にすると、人類の歴史は現在の認識の半分しか時間を掛けておらず、ひょっとすると1/10程度だったかも知れず。5万年前と言ってることが、実は5000年前だったりしたら拍子抜けしてしまいますね。・・・まぁこれもタイムマシンでもないと、確かめようはないですけども。

教科書に載ってるような話が真実なのか嘘なのかについては、今後も自分なりに調べて見極めたいと思います。

 

ぽちされたすかります

 

 

 

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