数々の不思議な逸話があって今もファンが多い小野篁(おののたかむら)。
このたび小野篁に関して、新たな発見があったのでお伝えしようかと思います。
小野篁と冥界との関係
平安時代の802年に生まれたという小野篁。当時160cm前後が普通だった日本で、身長188cmと巨漢だったことでも知られていたとか。若い頃から文才に優れ、朝廷の太政官として活躍したらしいです。
小野篁と言えば、遣唐使としても選ばれた人物でした。しかし渡航失敗を繰り返したあと、遣唐使を風刺した漢詩で嵯峨天皇を激怒させ、隠岐へ島流しされたことは有名な話です。篁の和歌は「古今和歌集」などに多数残されています。
そんな小野篁が今もよく知られるのは、昼は朝廷で官吏をし、夜はあの世に行って閻魔大王の裁判の補佐をしたとの逸話があるからでした。閻魔大王は死者の生前の罪を裁き、魂を天国や地獄に向かわせることで知られる仏教の神です。
篁は京にある2つの井戸を使って、あの世とこの世を行き来していたんだとか。
藤原高藤(ふじわらのたかふじ)が死んだ時には小野篁が冥土から生還したとか、死んだ藤原良相(ふじわらのよしみ)を蘇らせたとか言うので、蘇りの能力があったようです。
他にも竹から生まれたのはかぐや姫と小野篁だったなど、変な話ばかりが伝わっている人物でした。嵯峨天皇との間の「子子子子子子子子子子子子(猫の子の子猫、獅子の子の子獅子)」についての逸話も面白いです。
京の都の小野篁に関わる場所を調べる
平安時代の始まった794年頃には、東西4.5km×南北5.2kmの範囲に、碁盤の目に作られた平安京が広がっていました。小野篁の自宅は平安京の中にあり、彼にまつわる伝説の地の多くが散在しています。
ところで平安京の頃、死んだ人は風葬されるのが当前で、京の都には町外れに風葬地があったそうです。平安京で三大風葬地(三大墓地)といえば。東は清水寺の近くの鳥部野(とりべの)、西は渡月橋に近い化野(あだしの)、北は金閣寺にも近い蓮台野(れんだいの)という三ヶ所でした。
これら風葬地にも関連して、小野篁の伝説の地が残されています。
・小野篁邸
朱雀大路の北方には天皇の宮城である大内裏(だいだいり)があり、その西の傍らに小野篁邸が構えられていたといいます。勤務地が大内裏の太政官の建物だったので、通勤時間は短かったようです。
しかし現在は大内裏も小野篁邸もごちゃっとした住宅地になっていて、建物の礎石を探すことも困難です。
・神泉苑
現在も二条城の南にある神泉苑は、平安京建設と同時に作られた、天皇の宴遊の地だったとか。
812年、11歳の小野篁は立ち入り禁止である神泉苑で勝手に釣りをしていたところ、池に棲む龍神が怒って篁を地獄に堕としたのだとか。その時に初めて閻魔大王に出会い、知能の高さを買われて閻魔大王の補佐を任されたのだと言います。
それにしても龍神って、流動エネルギーを司るだけじゃなく、地獄にまで通じる能力があるんですね。
・六道珍皇寺(死の六道)
六道の辻と呼ばれていた鳥部野のそばに、承和3年(836年)に六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)を建てたのは、空海の弟子の慶俊、あるいは空海本人や、小野篁であるとも言われています。
六道とは地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人間道、天道の六つの冥界のことで、人の魂は輪廻転生を経ていずれかの世界に向かうとされます。
あの世とこの世の境界がある場所が、この六道珍皇寺だとか。お盆になると六道まいりという行事があって、死者の魂がこの地に戻ってくるそうです。
この寺の境内に「冥土通いの井戸」があります。ここは小野篁が冥土に向かう入り口であったと伝わる井戸。数々の歴史的な書物に登場するそうです。
また境内のそばには黄泉がえりの井戸があり、小野篁が冥土から帰還するのに使った井戸と言われています。そのため往還の2つの井戸は、どっちも六道珍皇寺にあった説が浮上していました。
・福生寺(生の六道)
京都市街地の西方の嵯峨嵐山エリアのはずれに、化野(あだしの)の風葬地がありました。現在は、あだしの念仏寺というお寺があるあたり。
化野の近くには、清凉寺という大きな寺院があります。その境内にはかつて小野篁が通った福生寺があったそうですが、既に廃寺になっていました。
そして篁があの世の出口として使ったという、生の六道と呼ばれた井戸も存在していましたが、埋められてしまい井戸の痕跡が残っているのみです。
・引接寺(千本ゑんま堂)
北の蓮台野の風葬地のそばにあるのが引接寺です。千本ゑんま堂と呼ばれる通り、閻魔大王(閻魔法王)を本尊としています。閻魔と仲良しだった小野篁が、閻魔の彫像を作って祠に祀ったのが始まりだとか。
こちらは閻魔の強運や守護を得られるご利益が大きいと言います。また本堂前の湯のみ茶碗にお賽銭が入ったら、一万倍のご利益があるということです。
三角形の秘密は
京都で小野篁に縁があるお寺は、六道珍皇寺、福生寺、引接寺の3か所でした。この3つの寺院を結びつけると、あら不思議。
何故か三角形が現れてしまうのです。これまで気づかれなかったんですかね。
京の三大風葬地も三角形になっていますが。
たぶん死の六道と生の六道の結びつきだけが注目されて、千本ゑんま堂は関連付けられず、三角形が見つけられなかったかもしれませんね。
小野篁の邸宅があった位置は、その三角形のほぼ真ん中になっていました。これは篁が、3つの寺院の位置がきれいな三角になるよう、設計したことが現れているようです。
三角形の秘密と言えば、ポリンキー。
あの世に通じる三角形といえば、死に装束の三角頭巾。閻魔大王に会うための正装であるとか、魔除けの意味があると言われています。閻魔に会うのに必要な三角頭巾を表すため、三角形を形作ったのだろーか?
大内裏を囲むようになっているので、閻魔の力を借りた結界を張る目的があったのかも知れないです。
地獄の入口と出口は、どっちとも六道珍皇寺にあったという説がありましたが。この三角形を元にすると、やっぱり福生寺の生の六道のほうが本物である感じがします。
京都市街地
— たっちゃん@古代史研究+アート (@t7a7t0o1) 2023年10月17日
小野篁が現世と冥土を繋いだ伝説の地3か所
六道珍皇寺(死の六道)
福生寺(生の六道)
引接寺(千本ゑんま堂)
3つを結びつけると何故か二等辺三角形…
その中央に小野篁邸っていうのは計画的だ pic.twitter.com/q1VO34mA9t
京都六地蔵との関わり
ちなみに小野篁が作った木彫りの地蔵菩薩像は、大内裏の北にある上善寺に収められています。この地蔵菩薩は篁がいったん死んだあと、あの世で本物の地蔵菩薩に出会った記念に、852年に作成したそうです。
その後に後白河天皇の命を受けた平清盛が、京の各地に地蔵を祀ったことで、京都六地蔵となりました。平清盛は小野篁の地蔵菩薩を六地蔵に加えているので、彼のことを意図していたことが明らかです。
京都六地蔵を全て拝むことで、家内安全、無病息災のご利益があるとか言います。地蔵菩薩と言えば六道全てに存在して、地獄に堕ちても人々の魂を救う存在ってことで、平安時代には大人気だったそうです。
この京都六地蔵と、小野篁の作った三角形を重ねてみたらこうなりました。
平清盛が作った六地蔵の結界は、平安京を覆うような形になってました。
平安京にあった平清盛の邸宅、六道珍皇寺の近くで平家の拠点である鴨川東岸、六波羅蜜寺は、六地蔵の結界のまん中にあります。当時の天皇や平安京だけでなく、平家を守るとの意図が強そうです。
・・・・・・・
京都六地蔵については、別の発見もあったのですが。それについてはいずれまた。
五山送り火や広隆寺との関わりもある気がしますが・・・今回はここまで。
ぽちされでたすかります。
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