辰国
古代の韓国に、辰国というのがありました。これが三韓の大元になったと言われたりします。
しかし歴史的な資料がまるで乏しいので、何とも言えないのです。この辰国があったらしいのは、紀元前から2世紀までの数百年。
日本でいうと、倭の女王卑弥呼さまのご登場より前で、ちょうど倭国王帥升がいた頃。
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辰国
辰国(しんこく、?-?)は『史記』や『漢書』の朝鮮伝によれば、衛氏朝鮮の時代(紀元前2世紀)に現在の朝鮮半島の南部にあったという国である。しかし、後述のように、これは写本のミスによって生まれた錯誤でそもそも実在しなかったという説もある(→後述)。記録は少なく、その詳細はほとんどわからない。民族系統は不明であり、群小の国々の総称なのか一国の名なのかもわからない。
初出箇所の問題点
衛氏朝鮮の滅亡とほぼ同時代史料といえる『史記』の朝鮮伝の中で「真番旁衆国」として書かれたのが初出である。 この部分は版本によっては「真番旁辰国」になっている
約200年後の『漢書』ではこの部分を「真番辰国」と書いているが、単なる誤写なのか、『漢書』が新しい情報に基づいて訂正したのかが論争となる。
またこれらの諸例から類推して「真番衆国」が原形だったと想像することも論理上は可能である。原形がどうであったかによって解釈も以下のように分かれる。
真番旁衆国 - のちの真番郡に該当する地域に隣接して、諸々の小国が存在する一帯があった
真番旁辰国 - のちの真番郡に該当する地域に隣接して、「辰国」なるものが存在した
真番辰国 - (A)のちの真番郡に該当する地域と「辰国」
真番辰国 - (B)のちの真番郡に該当する地域である「辰国」
真番衆国 - (A)のちの真番郡に該当する地域と諸々の小国
真番衆国 - (B)のちの真番郡に該当する地域である諸々の小国
といったふうに、辰国の名は、真番旁衆国、真番旁辰国、真番辰国、真番衆国とありました。
真番とはのちの前漢の真番郡のことで、もと真番という地名もあったようす。
真番(シンバン)、旁衆(ボウシュウ)国、旁辰(ボウシン)国、辰(シン)国、衆(シュウ)国。
仮に辰国が実在するとしたら、色々と想像ができました。妄想ですが。
(1)シン
真番の真と辰は音が同じなので、やはり「シン」的な国名だったかと。
一見して、倭との接点全然なし。この辰、真番、シンが何を意味するのかは、謎を解いて明らかにしたいと思います。
(2)倭人と辰人と粛慎
真番、辰国は、倭人の居住地(倭)と重なる。もと倭人は、任那(加羅)に拠点をもった。ここが倭の拠点だった時代が、bc1~ad2頃のことでした。
一方で粛慎・挹婁という民族が東夷にいましたが、彼らの風習は縄文人によく似ていた。
だから、紀元前の辰の人々も、縄文人のような暮らしをする人だったかもしれない。
実際韓国の紀元前の遺跡を見ると、なんか竪穴式住居とか高床式倉庫とか、ヒゲモジャの原始人とか、まるっきり縄文文化だったりするので。
以前に縄文人は、粛慎のような民族名を持っていたかもしれない、と発想したことがあるんですが。辰と粛慎と真番郡はシンで共通するので、あながちアリかもしれない。
(3)卑弥呼
これは個人的見解ですが。
卑弥呼がヤマトトヒモモソヒメなら、夫余にいた天皇家に出自すると見る。
卑弥呼は南へ移動した。それに際して、辰のあった、馬韓や弁韓に拠点をもったと思われる。
名残が「魏志」に記録のある、馬韓の卑弥国なのかもしれない。卑弥呼は任那から南下して、倭の大乱の後、邪馬台国(白日別・福岡)で擁立された。
(4)辰は龍
辰は干支の動物で龍。
当時漢から見て東(東南東)にあった辰国が、干支の辰をもとに国名を決めたことにあまり違和感はないです。
辰国が龍なのは、龍神信仰があったから、なのかもしれない。
そもそも倭の日本列島は龍型、天皇は龍体と呼ばれました。
先祖の神は蛇神(イザナギ、イザナミ、大物主など)が多い。イザナギとイザナミは龍神だというのは、秩父など日本の地方につたわる話です。
(5)辰は日・月・星の総称
辰といえば、天体の全てをあらわす、要するに今でいう宇宙そのもの、天であります。
ならば天津神、日の神天照大神を頂点とする倭人を現すにも、相応しいような感じでした。
(6)辰は秦から来ている説
20年以上前の飛鳥昭雄説には、辰国とは「秦」の人々が建国したみたいな話があったと記憶してます。
秦が辰となっている理由は、紀元前4世紀に秦から旅立った徐福の一向が、東へ向かい、建国したみたいな話だったかと。
日本の徐福伝説については、3世紀の「後漢書」にあるのでありえる話ですよ。
(7)ヘブル
辰は日本語では「ふるう」だから「ヘブル(ヘブライ)」に通じる。
フルは騎馬民族に好まれた地名だったとか。倭人に繋がる人々がいたという前提なら、辰国とはフル国であり、ヘブルに通じる騎馬民族の国という可能性はないこともない。
これも同様に飛鳥説で、日ユ同祖論の仮説にあった(確かめる気力がない)。
(8)トート
辰は「ととのう」。
だから「トト、トート(thoth)」に通じるのではないかと。
トート神は、トキの姿をした、古代エジプトの知恵を司る神様でした。
魔法使いで、時間の支配者。古来より日本語で時間をトキと言うのは、時間の支配者トートがトキだからだろうと、想像しています。
ヤマトトヒモモソヒメは、卑弥呼と同一存在だったが、知恵神トートを意図したかもしれないですよ。卑弥呼は鬼道を用いて衆を惑わせた、というのもなんかあちらの奇術を取り入れたのかと。そういえば「漢書」に、古代ローマから漢へ渡った、奇術師の話が出て来ると記憶してますが。
辰や龍は「たつ」だから「ta-ts」で、やはりトートに通じる。もとはトート神だったのが、とと→たつ、辰、龍になったかも。
すると龍が飛ぶのは、元はトキの姿のトートだから、というわけなのか。
辰(龍)は宇宙の星々なので、その宇宙の知恵を知るという意味では、知恵の神さまとしては、しっくりです。
(9)倭人は倭辰?
そういえば、「魏志東夷伝」は多数の国を紹介してるのですよ。高句麗、沃沮、濊、百済、馬韓、辰韓など。ところが倭だけなぜか国名ではなく「倭人」でした。
これは過去記事で「烏孫(wu-zon)-倭人(wa-zin)」にかけ合わせたものと解釈したのですが、「倭+辰の関係を含ます」意味があるのかと。「倭辰→倭人」としているのかと。いう妄想もでました。
辰や真番はジッポンになったか
日本の名の由来については、「旧唐書」に「倭の名を憎み、日の本にあるから日本とした」みたいな取って付けた話があります。
日本いまはニッポンですか、古代の当初には「ジッポン」の読みだったという説があるんですよ。
これは13世紀のベネチアの商人マルコ・ポーロが「東方見聞録」に伝えた、黄金の国ジパングと似てる。
だから、ジッポン、ジパン、むかしはそんな呼び名だったのではないかという仮説なのです。
ところで辰はシン、ジン。
なんか「日(ジッ、ジ)」と通じるものがありますね。日本は、辰本(ジッポン)だったのか・・・。たつもとか。
それより真番郡、真番という地名が、なんかジッポンやジパングに近いような感じなのも、偶然ではないような。
真番 ジッポン
と読めるではないですか、これがかつての倭人の拠点だった任那にあったのもまた、必然的だと思います。
真番→辰本→日本
日本とは、倭人がもといた真番・辰の名を、日本という漢字に置き換えたものなのですかね、謎です。
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