昨今は日本が移民の植民地にされてひどい有り様ですが。もぅ日本と僕ちんを破壊して楽しむ悪の仕組みは、はやく終了してくれyo。
高天原の田んぼの謎
日本神話では、神様が住まう高天原(たかまのはら)には、田んぼが2つある。
田んぼの名は天狭田(あめのさなだ)、長田と言って、天照大神の御田であるとか言ってます。
そして神代に最高神天照大神の孫である瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)は、天狭田の稲を天から日本列島に持ち込み、増やしたということでした。
日本(倭人)の稲作の歴史って、一昔前は弥生時代後期が始まりだとか言ってましたが、最近では紀元前1000年の縄文時代晩期だというそうですね。
すると日本神話の天照の時代というのは、縄文時代なんですかね。
しかし縄文時代の神代の高天原に馬(斑馬)がいたのに、実際の日本列島の馬の出現は弥生時代末期か古墳時代だったりして、年代が噛み合わない。
イザナギが神代に黄泉でぶとうを投げてたが、日本のぶとうは奈良時代に大陸から持ち込まれたのが始まりなので、年代が噛み合わない。という不都合があったりする。
まぁ高天原って天界だし、時間の概念なんかねぇ、そんなの関係ねぇ~場所だと言えば、それはそれで良いかもしれんですが。
長田は長江の「長」に合わせてるのかyo
現在では稲作は、長江流域で紀元前8000年頃に始まったとか言われてます。
稲作の起源は、長江流域の長江文明だったわけです。
それで、はっと気づくわけですよ。日本神話の原初の田んぼの1つの名前が「長田」であると。
要するに最古の稲作地の長江の「長」に合わせて、日本最古の田んぼは「長田」にしてるわけですよ。長田は無関係じゃながった(プロ級のだじゃれ)。
もしかしたら日本の先祖って、稲作の発祥地が長江であることを知ってて、長田と記録してたのかもしれませんね。
ちなみに長江文明が世に知られたのは1970年代だったそうで。日本書紀は720年ですから。日本の古代人のほうが、現代人より先にお見通しだったようです。
天狭田はアッサムに合わせてるのかyo
するともう一ヶ所の最古の田んぼ、天狭田ってどこかと気になってくる。「天狭」は地名かもしれないなと。
稲作に関わる土地を調べてると、インド東部のアッサム地方が目に止まったんですが。
稲の原種の原産地は、インドから雲南省のあたりとか言われてるらしく、アッサム地方は有力地点だとか。
そういえば一昔前、稲作の起源の場所も、長江じゃなくてアッサム地方と言われてましたが、いまは否定されてるらしいです。
そんな稲の原産地のアッサムと、天狭田はどう関係するのか?考えてみるとこうなった。
天狭=アメセマ amesema
天が「ア」だとすると、天狭=アセマ、アサ、アッサ asema、assa
狭=セマ=sema
アッサム assam
なんか、アッサムぽい。
・稲の起源=印度のアッサム説あり(紀元前◯万年
— たっちゃん@古代史研究+アート (@t7a7t0o1) 2025年9月11日
・稲作の起源=長江文明(紀元前8000年頃
これらは1970年代以降に判明…
一方、日本書紀で最初の田んぼ2か所は、
天狭田(あめのさなだ)と長田だった
・天狭田=アメセマ、アセマ、アサ=アッサムぽい
・長田=長=長江
何か言い当ててる感じがする
という感じで、天狭田はアッサムに通じてました。
日本の古代人は、アッサムが稲の原産地であることを知ってて、「天狭」の字でアッサムに合わせてるのかも知れんです。これはアッサムなだけに(略…
・・・・・
要するに稲の原産地アッサム、稲作の発祥地長江、両方の要素を、日本神話の最古の田んぼに練り込んでいる可能性があるわけなんですよ。
古代の倭人が日本神話を成立させる上で、稲作はどうしても外せない要素だったと思います。稲作は大陸から齎された文化だったのですが、とりあえず神さまの恵みってことにして、話を丸く収めたのかもしれんですね。
しかし稲の原産地、稲作発祥地などの情報はあったので、それを無視できずに田んぼの名前に練り込んであるのかもしれんですよ。
1970年代近に判明した稲作の長江文明、稲の原産地に含まれるアッサム。その情報まで分かっている、古代日本の神さまと倭人なのでした。
ぽちされたすかり
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