神道を語る上で欠かせないのが、天岩戸(あめのいわと)神話です。しかし実は「天岩戸神話は日本固有のお話じゃなかった」のはご存知でしたか。
しかも中国神話と比較すると、日本に「太陽神が複数いた」ことも分かったりするのです。今回はそんなお話。
ぽちでたすかります
天岩戸神話
この神話のあらすじを簡単に説明すると、
「素戔嗚尊(すさのおのみこと)が天上界で暴れ、稚日女尊(わかひるめのみこと)を死に至らしめたので、もう嫌になった天照大神は天の岩戸の中に閉じこもり、出てこなくなってしまいました。
すると世界は真っ暗闇。
という感じになっていました。
まぁ天の岩戸神話では太陽神が闇に隠れてしまうというので、「皆既日食」を現すんじゃないかとうのは、半ば定説になってたりします。
この神話は日本独自のものだって、多くの人が思っていると思いますが。しかしアジアの神話を調べていると、天岩戸神話の内容がべつに日本独自のお話じゃないことが分かってしまうのです。
アジアの天岩戸神話
アジアの広範囲に、射日神話・招日神話が存在してるとのことです。東南アジアではインドネシアやタイ、西アジアではトルコ、東アジアではモンゴルや中国南部やサハリンなどの付近。
特に注目したいのは中国南部の少数民族のほう。彼らは日本同様に照葉樹林文化圏で、納豆から家屋の形まで、衣食住の文化風習が日本と似通ってることで知られてます。神話などまで一致してるようで、天地開闢、イザナギの国生みといった話もあるようです。
そして中国南部の少数民族が伝えてきた、日本の天岩戸神話とそっくりな神話は、こんな感じでした。
苗(ミャオ)族九個の太陽と八個の月が一斉に出てきた。弓矢で八個の太陽と七個の月を刺し殺す。残った一つずつの日月は隠れてしまった。天地は真っ暗。
知恵者を集めて相談しオンドリを鳴かせる。オンドリは翼を叩いて三度鳴くと日月が顔を出した。
プーラン族
太陽の九姉妹と月の十兄弟は、揃って天地の間にやって来て一斉に照りつける。八個の太陽と九個の月を射落し、さらに残った月も射殺そうとした。逃げ出した太陽と月は洞窟に隠れ夫婦になった。
世界が真っ暗になったので、オンドリを遣わし太陽と月を洞窟から出るよう説得させる。一人は昼もう一人は夜に別々に出てくること、ただし月の初めと終わりには洞窟の中で会っていいとした。
月と太陽が洞窟から出ようとしたとき大きな岩が邪魔をして出られない。そこで力自慢のイノシシが岩を動かして入口を開け太陽と月を外に出してやった。
日本の天岩戸神話に登場する神が、中国南部では動物になってますが、話の流れとしては同じような感じではないですか。
内容をあちこちのサイトで調べ、比較してみましたらこうなりました。
日本神話
場所:高天原の天岩戸
隠れた:天照大神(太陽)1人
苗(ミャオ)族(貴州省)
場所:洞窟
原因:人間が8個の太陽と7個の月を殺す
隠れた:太陽1つと月1つ
外に出す:知恵者と色んな動物と鶏
プーラン族(雲南省)
場所:洞窟
原因:人間が8個の太陽と9個の月を殺す
隠れた:太陽1つと月1つ
外に出す:知恵者と鶏と猪
ペー族(雲南省)
場所:天眼洞
原因:蛙と鶏の兄弟が9個の太陽を殺す
隠れた:太陽1つと月1つ
外に出す:蛙と鶏
天の岩戸神話では常世の長鳴き鶏が登場して天照大神を外に出すことに貢献します。一方で苗族の神話などでも、鶏のオンドリが鳴いて太陽を外に導いたそうです。
どうやら中国南部~東南アジアのベトナムあたりが、家畜用ニワトリの産地だとのことでした。日本には元々に鶏がいなくて、大陸のあちらを経由して入ってきたわけなんです。
だから日本の天岩戸神話は、納豆などの文化同様、中国南部の影響を受けているのは確実視できます。日本に鶏が入ってきたのは、弥生時代の紀元前2世紀頃だったとか。
そして岩戸を開く天手力雄命の正体は、どうやら猪だったことも明らかになるようです。
日本の天岩戸神話には祭祀や鍛冶師や道具屋や踊り子など各種の職業が登場するので、他の神話よりも充実した感じになってる感じもしますが。これは弥生時代から産業が確立されていたことの証拠になる感じです。
しかし中国南部では、「太陽と月」まで隠れたという設定なのが意外なとこでした。そうすると天岩戸が皆既日食をあらわすという説は、否定されることになってしまいますが・・・。
中国では紀元前8000年から、古代エジプトでは紀元前15世紀からすでに鶏が家畜になったとか言います。だから神話の発生地点は、ちょっと特定は難しい感じがします。しかし個人的には中央アジア発祥か経由なんじゃないかな、という感じもしていますが、その理由はまた後ほど。
日本には天照大神の時代、太陽神が複数いた
説明しました通り、中国神話では太陽や月が8個も10個もあったとか言ってるので、とても奇妙な感じがしますね。
そういえば日本の太陽神と月神、「日本書紀」を見ると2か所で登場してるように見えるのも変なことでした。
1ヶ所目はイザナギが日向のあわき原で禊ぎをした時、左目を洗って太陽神が生まれ、右目を洗って月神が生まれたとの記述。これ実は、中国の盤古という神さまの神話がそっくりそのまんま日本神話に取り込まれたようなものでした。
そしてもう1ヶ所が、大地から生まれた太陽と月を、イザナギが天御柱を使って空に上げたというシーン。こちらは太陽の名前が大日孁貴(おおひるめのむち)とまったく違って登場するので、まるで別の神さまのよう。
つまり日本の太陽神は、2柱を習合して1つにしてる可能性があるわけですが。中国南部の神話で、「太陽が複数あった」とかいう内容と一致してる感じがしました。
そして天照大神が登場している記述では、もう1柱の太陽神の存在が見えてしまったんですよね。
天岩戸の前に死んだ稚日女尊(天服織女)も太陽神だった
素戔嗚尊が暴れる場面で、馬を落とされたことで死んでしまった(コロされてしまった)神がいました。
稚日女尊(わかひるめのみこと)、別名天服織女(あまのはたおりめ)です。
女陰に機織り道具(梭/ひ)が刺さって死んだとかで😓、この死に様が倭迹迹日百襲姫命の死に様とそっくりなので気になります。同一人物なのかと。
稚日女とは天照大神の付き人で機織りの神さまであると言われてますが、名前が大日孁(おおひるめ)に似ているために、天照大神の別名、あるいは幼名とも言われてるとか。
すると稚日女尊はあきらかに太陽神であるわけです。神話の中では天照大神とは別の役割をになう神格となっているわけなので、「太陽神が複数」という状況がここで示されています。
中国の神話をもういちど読むと、他の多数の太陽が殺されたあとに、残った1つの太陽が洞窟に隠れてます。それが天照大神ということです。
すると日本神話で稚日女尊がコロされたあと、天照大神という太陽が洞窟に隠れるという流れは、完全に一致しているわけなのです。
苗族の神話
9個の太陽→8個の太陽を殺す→太陽1つが残った
日本の神話
まぁ天岩戸神話が苗族の話と一致していることを踏まえると、この解釈が正解だったと思います。とくに「日本書紀」の成立以前は。
死んでしまった稚日女尊とは、天照大神とは別の太陽神の1柱だったようで。天照大神の頃はもともと太陽神と月神が何人もいたと伝承があったけど、日本書紀成立以降は都合が悪かったので、大和朝廷によって削除されたようです。
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ということで
まぁ日本神話は旧約聖書から中国神話まで大陸の各神話を取り込んで、都合が良いように作り変えられたものでしたことは事実だと思います。
古代天皇家や有力豪族とは、それだけ大陸につながる多様な人々から構成されてたことの証拠ではないかなと。だから日本人は単一民族だったとの話は、ぜんぜん信じていません。
それにしても太陽複数というのは、事実を反映してるんですかね?そして実際に地底の黄泉で幾つも誕生するものなんですかね?それが事実なら、地底空間に太陽は幾つもあるのだろーか。
黄泉にいた黄泉大神(伊邪那美)が八雷神をまとっていたという話の、八雷神が太陽のことかとおもったり・・・。謎は尽きません。
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