今回は卑弥呼と大物主の関係が、「魏志倭人伝」に書いてあったのでは?という話。
○いつも助かっております
卑弥呼の特徴
魏志倭人伝は卑弥呼を中心として倭国情勢が淡々と伝えられますが、とくに卑弥呼を表す一文として次の部分が注目されます。
其國本亦以男子為王住七八十年倭國亂相攻伐歴年乃共立一女子為王名卑彌呼事鬼道能惑衆年已長大無夫婿有男弟佐治國自為王以来少有見者以婢千人自侍有男子一人給飲食傳辭出入居處宮室樓觀城柵嚴設常有人持兵守衛
中国正史日本伝より
ココから導き出される卑弥呼の特徴は次の通りです。
・鬼道を用いて民衆を惑わした
・年は既に長大だった
・結婚していなかった
・政治を補佐する弟がいた
・女王となってから見たものはあまりいない
・部下千人を自ら従えた
・一人の男子だけが食事を運び、話を伝えるために居処へ出入りした
・宮室、楼観(やぐら)があり、城柵が厳しく取り囲んでいた
・常に人の姿があり、兵は武器で守衛していた
これ意外にも卑弥呼が狗奴国の卑弥弓呼と不和だったとか、魏へ使いを送ったとか、卑弥呼の死の際には殉死者百人余り、直径百歩の墓を作ったとか、情報はまだあります。
しかし実は魏志倭人伝に「秘密の暗号が含まれている」としたら、どう思いますか。
自分としては暗号が含まれ、表立った意味合い以外に、別の情報が込められていると考えるようになりました。
年已長大
年已長大という一文は、ふつうは「年(年齢は)已(すでに)長大」であると解釈されるとか。
ところが「已」の字を、「魏志」の原文でよく見ると、已ではなくて「巳」の字が使われているのですね。
巳というのは十二支の蛇のこと。「已に=既に」とは全く違う意味合いになってきます。
ちなみに、わたくしは水瓶座で巳年です。。。
このブログでは常々、卑弥呼は崇神天皇であり、卑弥呼は倭迹迹日百襲媛命であるとの説を紹介してまいりました。
「日本書紀」で倭迹迹日百襲媛が三輪山の大物主神と結婚する際、「大物主の正体が蛇」であることが明らかとなります。
そして古事記の崇神紀では、三輪山の語源が、大物主が引いた糸のうち残された三勾(みわ・三巻き分の糸)であると書かれます。
このことから、御間城入彦の御間城には三輪(三勾)の名が隠されており、三輪山と倭迹迹日百襲媛と深いつながりがあることが導き出されます。
卑弥呼を紹介する一文に巳=蛇が登場するのは、一体どうしてなのか。
卑弥呼は蛇と関係しているということになれば、蛇=巳=大物主を祭った「崇神天皇と倭迹迹日百襲媛」との関連は明らかではないですか。
この点はさらに、
・崇神天皇の時代に、たいへんな疫病と百姓の反逆がおきて、それは魏志の倭国大乱と呼べるに相応しいものだったこと。
・日本書紀で倭迹迹日百襲媛が夢を見て占うとの役割を、古事記では崇神天皇自身が担っていること。
・狗奴国の卑弥弓呼との戦争は、崇神天皇の時代に起きた武埴安彦との戦争の記述と流れが一致すること。
・倭迹迹日百襲媛の名には百襲姫の字が含まれ、百人余りを殉死した卑弥呼と符合すること。
・直径百歩の冢(墓)をつくった記述が、倭迹迹日百襲媛の箸墓を造った記述であること
・上記の一連の流れが、魏志倭人伝と崇神紀では、完全に一致していること
・対馬海峡の支配者は卑弥呼であったが、地方の女酋長では対馬海峡を支配することができなかった。それは日本書紀で、天照大神から続き万世一系とも言われる日嗣の天皇だけが、対馬海峡の支配権を持っていたことから明らかなので
他にも色々ありますがこういった理由から、崇神天皇は卑弥呼であり、倭迹迹日百襲媛、阿加留比売まで習合されていると分かってくるのですけども。
そして今回は魏志倭人伝には、鬼道の記述の直後に蛇を表す「巳」という字が登場してきたことで、
「崇神天皇と倭迹迹日百襲媛命と巳神の大物主が、魏志に反映されてる」可能性が浮上すると分かったわけですけども。
それから巳という漢字だけでなく、他にもちょっとこれは・・・と気になる漢字が幾つかありますが、そのあたりは原稿にまとめてますので、続きは生きてればまたいずれ。
~2013年3月29日の追記~
厳密に言うと「魏志倭人伝」の原文は現存しておらず、宋の時代(12世紀)の紹煕本(異なった版木を寄せ集めてひとつの本として印刷した)が岩波文庫版の「中国正史日本伝」だそうです。詳しくはこちら。
ところで「已」と「巳」の違いについて、古代から中世にかけての中国の学者が、漢字を間違ったという可能性もあるかもしれません。
しかし後漢書のなかには似た文章があり、改変を加えられ魏志に記されたのが冒頭でお伝えした一文でした。
後漢書には「巳」の字がなかったところに、魏志では珍寿が意図して「巳」を挿入したと考えます。
珍寿の編纂時から「已」でなく「巳」の字が使われたと断言できる理由は、以下にコメントをいただいた通り、卑弥呼の名前が卑弥=蛇(へみ)を意識していると解釈すれば通じるようです。
卑弥呼が魏から授与された金印も、紐通し部分が蛇型のものと推定されますが、現物は卑弥呼の墓(福岡か奈良にある)か、崇神紀で大物主神が登った三諸山(三輪山、福岡か奈良のいずれかの三輪山)にあるように思われます。
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