不思議の要素は日本の国土や俺の存在だけでなく、古代の世界にも詰まってる。そんなことを実感させるのは、古代の言語を眺めてるときです。
○いつも助かっております
古代の日本語には古典ラテン語が入ってる
日本語はユーラシア語のごった煮が正解なのだと、低学歴的な直感で考えるのですが。以前にも色々と記事にしてました。
古ラテン語を学んだことはないですが、どうやらイタリア語やフランス語など、南欧言語の古い形態だとか。古ラテン語は、英語の元になってる古ゲルマン語にも近く、印欧語の祖語に最も近いというレベルの、とにかく古いやつです。
「古典ラテン語」の範囲で言えば、紀元前1世紀から数世紀に限定的になってくる。
その古典ラテン語、じーっと見ていると、どうも日本語とのいろんな一致が見えてきたりして、面白かったりします。筆者なりの解釈で考えてみました。
古典ラテン語 日本語
audeo(あえて行う) aete(あえて)
あえて申し上げるなら、あえては古典ラテン語のアウデオが起源だったとか。
ago(行う) okonau(行う)
昔は「アゴなう」と言っていたのかもしれない。
ark(箱) hako(箱)
箱にはアークが入ってる。
abeo(立ち去る) abayo(あばよ/さよなら)
古来より「あばよ」と言って立ち去るのが倭人の決まりだった。じつはこれ、古典ラテン語の「アベオ」が倭人間で流行った結果だった。
aqua(水) waku(湧く)
湧き水とはすなわちアクアなのだ。
bos(牛) ushi(牛)
ボシ(bos)→オシ(os)→usiという変遷をたどったのかもしれない。
caeruleus(青) kaeru(蛙といえば青蛙)
むかし古典ラテン語を使う人々が倭へ入ってきた時、青蛙をカエルレウス、カエルレウスと言っていたので、いつしか青い蛙はカエルになった。
femina(女) omina(女)
女の古語おみなは、ふぇみなと比べても違和感ない。
frater(兄弟) harakara(はらから/兄弟)
兄弟を意味するフラーテルは、倭へ入るとハラーテル→ハラーカラという古語になったのか。
fluctuat(揺られる) huru(振る)
揺られることを振ると言ってこんにちに至る。
finis(終わり) fui(駄目になる/fuinis不意にす)
不意とは駄目になることで、不意にするは物事の終わりを意味する。だからフィニッシュとは意味として極めて近い印象だった。
ira(怒り) iraira(イライラ)
怒りが2度も募ってイライラなのは理にかなった用法だったのだ。
mico(輝く) iko(威光/輝き)
威光はミコーだったのか。
mergo(沈める) shizumeru(沈める)、umeru(埋める)
「める」とは沈む、埋める意味の怖い言葉だった。
nasus(鼻) hanasuji(鼻筋)
ナスジ(鼻筋)が通ってればラテン系かもしれない。
penna(羽根) hanne(羽根)
そのまんまで通用する。パネェ。
rus(田舎) rusu(人がいない)
留守なのは人がいない田舎だから、といって間違ってなかった。
sol(太陽) sora(空)
古今東西、ソラといえば太陽なのだった。
subito(急に、ただちに) subaya(素早)
すばしっこい、素早いの「すば」は古典ラテン語につながったのか。
古典ラテン語の参考
http://incunabula.sonnabakana.com/ratinapage.html
ちょっと自分流に探したのですが。たぶん、これは一部を見つけただけに過ぎないんですけども。
古語をもっと引っ張り出すとさらに一致率は上昇する気がします。
古典ラテン語がいつ日本語に入り込んだか
こうした一致は、もう偶然ではありえない量を確保できています。そこでいつの頃、この言葉の融合がどんなふうに起きたのだろうと考えてみます。
時代の候補のひとつは縄文時代以前。
縄文人の先祖が中東あたりにいたときのものであると、考えることもできますね。「旧約聖書」を頼るならばバベルの塔の崩壊以前に、世界の言語が1つだった頃のこと。
縄文人が東南アジアのスンダランド以前、中東にいたのは5万年前とか言います。
しかし古典ラテン語は、紀元前1世紀からせいぜい西暦4世紀くらいに流通した言語でした。だからもう一つの仮説では、このキリスト以後に日本に入ってきている可能性が浮かびます。
もし牛の語源がボス(ボス→オス→ウス→ウシ)なのだとすれば、牛が日本に入ってきた経緯も関係していそうです。
なぜなら牛が大陸から海を船で渡り、倭国でも一般的に見られるようになったのは、古墳時代の頃からだったので。
この時に全国的に牛という名前も普及したハズですが、その語源が何故か古典ラテン語由来で訛った名称、ウシだったわけです。
だから他の古典ラテン語も含めて倭に入り込み出したのは、弥生時代後期から古墳時代が一番当てはまるようです。
古典ラテン語を使う南欧系人種の、倭国までの移動ルートはこんなふうに検討しました。
彼らは欧州や中東に起源があって、当然ながら古典ラテン語を駆使するローマ帝国出身も含まれていました。
アレクサンドロス大王の遠征、遊牧騎馬民族の東征といった流れに乗って、ひとまず烏孫や月氏など、中央アジアの西域諸国に入っています。
さらに遊牧民として東アジアへ進出して数世代も婚姻するうち、人種がそっくり東アジア系と融合したり入れ替わったりしました。
彼らがいわゆる渡来人(帰化人)として倭国に流入していると考えるのですが。その渡来系が大挙として押し寄せたのは、紀元前の徐福の時代、倭国大乱の時代、秦氏渡来の時代などがありました。
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などと記事をしたためる間も、自宅の工事は進めて1週間が経過しました。
しかし思ったより屋根解体と再構築の工事は大変です。体力的な問題から1日3~4時間しか工事できないし。あんまり無理すると古典(コテン)と倒れそうですし。
それで2週間の工期の予定が、どうやら4週間になりそうです。ブログも今月も2記事が限界かもです。それではabeo(abayo)。