たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅お仕事中。

欧州の2万年前からの竪穴式住居文化。古代ゲルマン人と縄文人は、共通する生活様式や言語文化だったのか

たぶん縄文人の正体って、日本国内だけの視点で見ても、実際のことが分かんないかも知れないです。

それは縄文人が大陸の果てから日本に流れ着いた人々であり、何故か古代ゲルマン人と同じような文化をもってたから。今回はそんな話。

 

 

縄文人の竪穴式住居

 

竪穴式住居は古代の日本独自のものだ、って思っている人は多いみたいです。日本では縄文時代から平安時代の頃まで使われたとか。

有名な「家屋文鏡」というむかしの銅鏡や、弥生時代の土器に竪穴式住居の絵が刻まれています。その姿は復元された建物からも伺い知れたりもします。

竪穴式は地面を掘り下げていることで、夏は涼しく、冬は暖かく過ごせる仕組みになっているとか。高温多湿な日本の風土に合っているらしいです。

縄文時代の竪穴式住居は、縄文土器土偶と共に世界でも最古の部類の高度な文化の象徴になってるわけですが。

ただこの竪穴式住居、日本固有のものではなく、大陸にも存在してました。それは一体どういうことなんですかね。

 

 

ヨーロッパの竪穴式住居

 

日本の近隣では中国や韓国でも、竪穴式住居が出土してるようです。アメリカ大陸にも見つかってるらしく、万年単位での古代世界では、同一の文化が蔓延っていたのかもしれません。

なかでも特に多いのはヨーロッパ方面です。ドイツから東欧にかけて広く分布する傾向にあるとか。

Amrum – Wikipedia

これはドイツのアムルム島にある、大型のタイプの竪穴式住居(ピットハウス)の復元。茅葺屋根や入り口の形状など見ると、青森の三内丸山遺跡の大型住居と良く似てると思いました。

ドイツの竪穴式住居は、コーカソイドの先祖であるクロマニョン人や、ゲルマン人が住んでたらしいです。

ふるくは紀元前2万年~紀元前1万2000年頃の中石器時代から見つかるそうで。ちょうど縄文時代と同じころ。

 

 

Nachbau eines eisenzeitlichen Hauses – Wikipedia

内部の画像見ると、中央に柱と梁で立方体を作り、その周囲に放射状に骨組みを作り上げ、藁を載せて屋根としている。家の中央に一段低い囲炉裏を据えて、その周囲に居住スペースを作っている。

 

ドイツはクロマニョン人ゲルマン人の縦穴式住居遺跡が多いみたいですよ。

 

Pit-house - Wikipedia

ヨーロッパのピットハウスの竪穴式構造。屋根に千木や鰹木が付いてるのは、なにか日本の神社建築に通じるものがあるような感じもする。

 

 

欧州と日本の間で起こった人の移動

 

竪穴式住居という家の形式がおんなじだったということは?

数万年前に欧州経由で、クロマニョン人と同系の人々が日本列島に入っているのですかね。

人の移動の歴史 - Wikipedia

 

原初の段階での人類の移動経路をみると、5万年ほど前に中東あたりからアジア方面へ移動が始まり、3万8000年前頃から日本列島に入り始めてるみたいな形ですが。

人類の移動図を見ると、黒海カスピ海あたりからシベリアを通って樺太経由で日本列島に向かうルート、インド半島や東南アジアを経て朝鮮半島経由で日本列島に入るルートなど、幾つかあったみたいです。

 

あと気になるのは、黒海北岸のあたりに紀元前3000年頃にあった、ヤムナ文化だとか、クルガン文化です。クルガン仮説っていうのがあります。

クルガン仮説 - クルガン仮説の概要 - わかりやすく解説 Weblio辞書

先史時代のヤムナ文化が、ゲルマン民族の故地であると言われてるのでした。このゲルマン民族から古英語が発生し、現在の英語に繋がっていました。

ゲルマン人 - Wikipedia

 

以前に記事にした通り、古英語と日本語は明らかに単語レベルで似てたのです。

だから紀元前3000年頃に古英語の祖語を使ったヤムナ文化の人々、あるいは古代ゲルマン人は、日本列島に向かっていたんじゃないですかね。

そして紀元前4世紀には徐福が引き連れた民、4世紀には秦氏の一行が日本に入っていました。縄文~弥生~古墳時代の頃には、幾度となく大陸人が日本列島に入っているようです。

 

あるいは日本列島の縄文人が太平洋を渡ったり、ユーラシアを西に行ったとかいう説もあるみたいです。

しかし古代にユーラシア大陸から日本列島に持ち込まれた植物は多いですが、古代に日本列島から欧州や中東に持ち込まれたらしき植物って、見当たらないんですよ。そのへんはよく考えてみたいところ。

 

 

上古の日本語と古英語は単語レベルでは似てる件

 

欧州の古代人(ヤムナ文化人か古ゲルマン人)が、縄文時代弥生時代倭人に入り込んでると言いましたが。

それは古代ゲルマン民族がA.D以降に使った古英語が、上古の日本語(倭語)と似てることも大きな理由でした。

以前に書いた記事ですが、

日本語と英語は似てるのか。メソポタミアのバベルの塔で分かれたのか

これに以下の表を添付してました。


これはごく一部の一致を表してますが、まぁ似てるもの色々あるのです。

すると倭語はもともとインドヨーロッパ語族で、文法が何処かの段階で入れ替わっているという感じなのだろーか?

この言語的結びつきが、何時の時代に起きたのか、解明したいところです。

 

 

日本のナマハゲとドイツのクランプス

 

なまはげ - Wikipedia

 

気になるのは、日本とドイツあたりは、どちらにも「悪い子を戒め幸福をもたらす鬼」の風習があることです。

秋田のナマハゲは「悪い子はいねーか」と言って練り歩く行事ですが。怖ーい鬼が人の怠け心を戒め、厄災を払い、豊作や豊漁をもたらすんだとか。

ナマハゲは来訪神(まれびと)の一種であり、日本各地のナマハゲ的な来訪神は、海の彼方から来るとか、常世やあの世から来ると言われています。もともとは鬼ではなくて神だったけれど、その見た目から鬼とされたとか。

 

Krampus – Wikipedia

 

一方でドイツのクランプスは、聖ニコラウスに従う神の使いでした。その語源は、krampen(鉤爪)にあるというように、角と爪をもった怪物の姿で、夢魔であるともいいます。

クランプスの役割はナマハゲと同じで「悪い子がいたらお仕置きをする」「人々の怠け心を戒め幸福をもたらす」だそうです。

クランプスは3~4世紀に司祭だった、聖人ニコラウスが始めたキリスト教の行事だそうで。ニコラウスは使い魔を使役した(住人に魔物の格好をさせて演技させた)みたいです。

この聖ニコラウスが、後にクリスマスに子どもたちにプレゼントをもたらす、サンタクロースになったとか。

 

ナマハゲのハゲを調べてみました。「hag」は古英語hægtesの短縮形で、古ゲルマン語hagatusjonが元だそう。魔女、魔術師、魔法使い、激怒の意味だとか。ハゲは魔術師だったのか😅。

hag の意味、語源、由来、翻訳・英語語源辞典・etymonline

ナマハゲを見れば魔術師や激怒という言葉がぴったりなので、これに無関係ではなさそうな感じもしました。

ナマハゲの風習は、3世紀以降に日本に入ったキリスト教文化である可能性があるんではないかと。

すると弥生時代にドイツあたりから日本に至る、キリスト教集団の移動があったのではないかと思いますが。まぁ通説ではそんな話は見たこともないですけども。

4世紀頃からのゲルマン民族大移動の時に、日本列島にまで到達しているんですかね。もしかするとむかしの日本にも、ナマハゲと共にサンタクロースも存在したのかもしれないです。

 

 

従来の縄文時代の認識は怪しいのか?

 

コロナウイルスとか、コロナワクチンの情報がデタ◯メだった件があり、世界の様々な学会がホントのこと言ってるか、疑わしいと思うようになりました。

まぁ世界の学問というのは、人々を騙し支配することが得意な、極悪カルトに支配されてるわけですし。

抗がん剤などの癌治療の方法だとか、縄文時代の年代であるとか、日本人の遺伝子情報だとか、宇宙の仕組みなどについては、コロナ関係の話と同様、カルトが関与する機関が広めてるわけなので、極めて怪しいものだなと思うしかないです。

以下のような話もありますし。

これ元にすると、人類の歴史は現在の認識の半分しか時間を掛けておらず、ひょっとすると1/10程度だったかも知れず。5万年前と言ってることが、実は5000年前だったりしたら拍子抜けしてしまいますね。・・・まぁこれもタイムマシンでもないと、確かめようはないですけども。

教科書に載ってるような話が真実なのか嘘なのかについては、今後も自分なりに調べて見極めたいと思います。

 

ぽちされたすかります

 

 

 

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キルギスと日本の神話が似通ってる件について考える

キルギスには「肉が好きな人々はキルギス人になり、魚が好きな人々は日本人になった」という言い伝えがあるとか。それ以外にも色々あるようでした。

よく「日ユ同祖論」では、キルギス古代イスラエル~日本列島までの経由地になってるとは言われてましたが。恐らくキルギスにあった烏孫がその大元であり、烏孫には日本神話の原型があったんじゃないかと思うわけですが。

今回はキルギスと日本の神話比較から、真相に迫ってみようかと。

 

 

創造神ジャラトカンと国常立神

 

Genesis creation narrative - Wikipedia

 

ジャラトカンはキルギスで最も重要な神さまだったとか。

 

キルギス族の神話において,宇宙とその中の万物を創造し,作成した者は「ジャラトカン」と言い,かれは人間以前に宇宙を創造し,その後に天,地,コイカプの万物を創造した。その時,世界,自然と人類に必要なものに合わせて,ジャラトカンは土地,水,森林,動物,生きとし生ける物を創造した。それらのすべてに日々の糧,御馳走を分け与え,さまざまな食物をつくったと説明されている。

 

「ジャラトカン」(創造神・造物主)は天(蒼天)を六層に創造し,それにその神々,福と恩恵をそなえた。天には日,月と星がつくられた。天上のすべての星は地上の人びとの生命であると考えられていた。「ジャラトカン」は大地を七層につくり,地上には命,動物や人類がそなえつけられた。大地の自然の一部はすべてそれ自身が守護者,神であると考えられた。

キルギス族の神話と伝説(PDF)

 

日本神話でいうと、国生み神産みをしたイザナギに対応するような感じがします。旧約聖書天地創造と日本の天地開闢は似てると思ってましたが。キルギス創造神話も似た印象がありますね。

大地を七層に作ったところが、神世七代に対応するような気もしますが。

そしてジャラトカンという名前だけ見ると、日本の創造神である国常立神(くにとこたちのかみ)のような感じもあります。

常ジャウ ジャラ

立タチ  ト

神カン  カン

ジャラトカンという神は、国常立神とイザナギを併せたような存在だったのだろーか。

 

 

テングルと高天原とお天道さま

 

Khan Tengri - Wikipedia

 

テングルは天や自然の神格化であり、ジャラトカンの後に崇拝されるようになったとか。

 

キルギス族の神話では,ジャラトカンより後には,テングルを崇拝することがたいへん有力であった。テングルは人類だけはなく,宇宙の日や月,それに「森,火,動物」のテングルであると見なされていた。キルギス族の神話的な説明では,「テングル」すなわち天は蒼天であると言われ,テングルに何かを求めるとき,テングルにものを頼むとき,蒼天を見ながら話した。テングル(蒼天)から,日々の糧,福運,幸福が運命を与えられた。

 

テングルが人間の語る言葉や希望を聞いていると考えられていた。誤ったことや悪いことを行うと,テングルは罰したり,凶暴になると恐れられ,清潔なテングルの支持によって神は行うと考えられている。「テングルよ,助けたまえ,テングルよ,罵ろ,テングルよ,踏みつけろ,従わせろ,テングルよ,仕事を行え」という貴重な言葉が語られている。

キルギス族の神話と伝説(PDF)

 

日のテングル、水のテングル、火のテングルなどが記録されてるが、人々は蒼天(青空)を見てテングルに祈ったとか。テングルは天の神格化というのは、日本でいうと高天ヶ原の天津神のことを言うんですかね。

テングルは人を常に見ていて、良いことをすれば幸福をさずけ、悪いことをすると罰を与えるという。

これは何か、日本の「お天道様」によく似通ってるのは気になりますね。お天道様とは高天原天津神、天地の神々のことであり、「お天道様が見ているよ」「悪いことしたらお天道様のバチがあたるよ」という天神信仰は、テングル信仰そのまんまみたいであるし。

日本の天道思想は中世からだとも言うのですが。こうして比較すると、お天道様信仰は古代から地方にあり、テングルが元になっているとも考えられそうな感じがしますね。

 

 

母神ウマイは天照大神

 

ウマイはキルギスの男女の性別を司る女神で、母子の守護神だった。

 

母親の腹の中で子どもが母神ウマイに向かって「娘となろう,息子となろう」と泣いていた。その時,母神ウマイはその性質によって調整し「娘になろう」と泣いていた者を息子にし,「息子になろう」と泣いていた者を娘にし…

 

幼児の顔を「母神ウマイが洗ってくださる」と言って太陽の光を浴びせる。

キルギス族の神話と伝説(PDF)

 

ウマイは生まれる赤子と対峙して、男を女に、女を男にする神だとか。男女の逆転をするという不思議な感じがしますが。

これはもしかすると、日本の最高神である女神、天照大神との共通点があるようです。天照大神素戔嗚尊と対峙するにあたり、男装してました。天照にはむかしから女神ではなく、男神だったとの伝承もあるとかで。ようするに男女融合、男女入れ替わりの神であったわけです。

邪馬台国の女王卑弥呼天照大神の化身を自称したのなら、生き様を真似たでしょう。卑弥呼が男装をして崇神天皇になったのだろう、というのは個人的な発想ですが。

 

「うまい」は食べ物の味。キルギスのそばのパミールは漢字で書くと「拍米」で「はくうまい」食べ物。天照のアマは「あまい」。

あるいはウマイは美味しい食べ物で女神だから、豊受大神伊勢神宮では天照と豊受の両方を祀っているし。

日キ同祖論をもとにすれば、伊勢神宮は古代烏孫のウマイ信仰を踏襲している聖地なのかもしれないです。

 

 

土人は青人草

 

マンドレイク - Wikipedia

 

キルギスでは人間は地母神と呼ばれる泥土から生じたものと、伝えられているとか。

 

キルギスの神話では「地母神」についての説明として,それが「泥土」だという考えが見られる。その神話的な説明によれば,人間は泥土から生じ,泥土に入って,泥土から日々の糧を得て暮らしていたと考えられていた。それに,キルギス人は「地母神」(泥土)だと知っていた。

キルギス族の神話と伝説(PDF)

人間が泥土から生まれたというのは、聖書やギリシャ神話にありますね。

新約聖書「神は最初の人間を土から造った」

ギリシャ神話「プロメテウスは粘土から人間を造った」

キルギス人はギリシャイスラエル、トルコだとか、地中海地方にルーツがあると言われてるのです。

一方日本では、イザナギが黄泉の国で「青人草」と呼んでいるものが人間だとか言われています。青人草とは地面から生えている草のことで、古代には草と人間は同じようなものだと考えられていたようですね。相当卑下してる感じですが…。

草は土から生えるわけなので、聖書やギリシャ神話にある「土から人を造った」のと似たような発想が垣間見える気がしました。

そう言えば青人草というと、引っこ抜くとヤバいというマンドレイク(マンドラゴラ)みたいですが・・・。日本人って、マンドレイクだったのか。😳

 

 

イカ

 

イカプはあらゆるネガティブが集まる場所で、地底にあったと言いますが。

 

「ジャラトカン」は大地の周囲に置くようにたくさんの大きな山脈をつくり,その側に「コイカプ」と名づけられたところをつくったときに,コイカプに妖怪,マムミト,魔術師,鬼婆,アルプ・カルカシ,プラタナスなどのようなものがそなえられた。コイカプのものたちが地上に顔を出すと,人類にいつも恐怖が生まれ,「コイカプの入り口」のところで遮っている嵐や疾病が現れ,地上に「自然からの力」と名づけられたコイカプの恐ろしい力をもたらしたと考えられている

 

キルギス族は,世界を三つに,すなわち天(蒼天),大地,コイカプというものに分けて,そこに場所と住民を出現させたのである。

 キルギス族の神話と伝説(PDF) 

 

イカプは、日本でいえば黄泉の世界であるようです。天、地、コイカプという世界の構造は、日本で言う所の天上界(高天原)、地上界(葦原の中つ国)、地底(黄泉や根の国)という構造に対応しており、そっくり同じでした。

イカプには各種の魔物がいて、魔物が生まれる。これは黄泉には黄泉大神や闇の雷神がいて、黄泉醜女という魔物が生まれ出る状況と同じです。

イカプの入り口から嵐や疾病が現れたというのは、イザナギが黄泉から帰還した後に禊ぎ祓いをして、嵐の神である素戔嗚尊が生まれ、八十禍津日神、大禍津日という災厄の神が生まれた所によく対応しているような感じがしますね。

 

 

おおかみ伝説を比較する

 

オオカミ - Wikipedia

 

キルギスの先祖は、アセナという雌のオオカミだったとかいう話があります。

 

アセナ(Asena、アセナ)はテュルク神話に登場する雌狼、および、雌狼の生んだ10人の息子のうちの一人の名前。オオカミはテュルクの神話で重要な役割を果たし、現在もトルコではトルコ民族を象徴する存在とされている。

 

テュルクの祖先は大きな戦いに敗れ、少年一人だけが生き残った。アセナという名の、空のように青いたてがみをしたメスのオオカミが傷ついた彼を助け傷をいやした。やがてオオカミと少年の間に10人の子供たちが生まれた。オオカミと人間の血をひく、アセナに率いられたこの子供たちがやがてアシナ氏族(阿史那氏)を築き、突厥帝国(Göktürk)の中核となったという。この神話はウイグル人の民話など、他のテュルク系民族の神話とも共通する。

 

またアセナはエルゲネコン伝説とも結びついている。[要出典]テュルクの祖先がモンゴル人との戦いに敗れ、[要出典]一握りの生き残りがアルタイ山中の奥深くにある細道を抜け、豊かな谷間・エルゲネコン(Ergenekon)にたどりつき、そこで数世代にわたり暮らして勢力を回復した。やがてエルゲネコンから外の世界へ出ようとした子孫らは出口の細道が分からずに行き先を見失うが、そこに現れたメスオオカミの導きで[要出典]エルゲネコンから出ることができ、モンゴル人を打ち負かしたという

アセナ - Wikipedia

 

日本神話ではオオカミを先祖としているような伝承は無いです。しかし太陽の女神である天照大神は「おおかみ」なので、アセナなどテュルク系の神話の面影か、影響を残している可能性があります。

狼はオホカミで、oho-kami。狼は英語でwolfですが。

oho-kami(オホ) 上古日本語

wulf(ウルフ) 古英語

ウルフ→ウフ→オホ、と考えると近い発音な気がしますね。ということで関係ありそうだなと。

 

また日本武尊が山で迷った時、白い狼が道案内をして窮地を脱出したとの伝説があったりもしますし。キルギスの伝承に似通っているではないですか。

この道案内の白い狼が大口真神やお犬様と同じ神でした。日本は古代から狼信仰は盛んな土地だったようで、狼とは魔除けや五穀豊穣や火伏せのご利益がある動物だと考えられていたようです。

 

 

・・・・・・・・

この他にも神武天皇一家と似てるキルギスの王様一家の話もあるのですが。それについては関連記事を見てください。

 

 

ぽちされたすかり

 

 

 

関連記事

(前回の続き)神武天皇ご一家はキルギスで記録されていたとの調査結果

かつて奈良盆地にあった大和湖の本来の名はイシク湖だったりして 

日本の神武朝は「中央アジアの烏孫の昆莫王朝」と同一視できることのまとめ

 

キルギス の検索結果 - たっちゃんの古代史とか

 

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イエスに関わる複数の漢字の存在・・・聖徳太子の仕業かも

日本語は古代からの言葉の読み方や音を、ぜんぶ保存してきた驚くべき言語でした。中国では消え去った2000年前の本来の音までも、日本の漢字を見れば確認できてしまいます。それは漢字1字1字に音読と訓読があり、漢音、呉音、唐音、大和言葉の読み方など、時代ごとの発音がすべて保存していったからなのですが。

・・・漢字を見ていると、ふと気づくことがありました。それは漢字の中にはイエスに関わる文字があるんではないかと。

以前に「癒」「卑」「医」はイエスに関連するかもしれないことを書いてましたが。

癒(いやし)の語源と邪馬壱国(病国)から気づいた「卑弥呼のキリスト信仰らしきもの」と言霊の仕掛け

これに続く話。

 

 

家と暮と「豚に真珠」

 

 

久しぶりに「学研漢和大事典」を開いてみました。「家」のところにこんな読み方があるんですが。

「いえす」

これはネットで調べても情報は出てこなかった。家は古来より「いえ」であり「うち」であり「いえす」だったようで。

 

学研漢和大事典で、「家」を開くとこうなってる。

 

そして家に関連しているのが、暮らすという漢字。

学研漢和大事典で、「暮」を開いてみるとこんな感じ。

 

家という字の由来は、「宀+豕」なわけなのですが。これは古代中国では人間の家と豚小屋が一体化していたことの現れだとかいうのです。

エス古代ローマ帝国アウグストゥス王の時代、パレスチナのナザレの厩で生まれたという伝承が知られて来ました。

それで家という字に、ある時にイエスという読みを付け加えているんじゃないかと思うわけで。

この仮説を補強するのが、「暮」という漢字。家とは暮らす場所であるわけで、関連がとても強い文字同士です。しかも暮らすってなにかChristに似てる感じがするわけです。

かつてキリストは聖書の中で、太陽を象徴する存在でもありました。暮とは夕暮れの太陽のことであるため、滅びゆくローマ帝国や、磔にされたキリストを象徴する文字のようにも見えたりします。

太陽を家は暮、いえすはChrist、これを表しているんでないかと。

 

しかもキリストはブタに深い縁があり、新約聖書「マタイによる福音書」に登場するイエスキリストの説教に、「豚に真珠」というものがあります。

これは日本人は誰でも知ってる話で、豚に真珠を投げてはならない、つまり豚みたいな価値のわからない者に高価なものを与えても何の意味もないみたいな意味。

この豚の説法も、家にいえすが当てられてることに関係するのかとおもったり。

 

まぁ時の権力者がキリストを知っていて、信仰対象にしていたならばこの読みを加えていてもおかしくないんではないかと。その時代は弥生末~奈良時代の間である気がします。

 

 

読みを付けたのは聖徳太子かも知れぬ

 

聖徳太子 - Wikipedia 8世紀に制作された「唐本御影」にある聖徳太子

 

そういえば「日本書紀」に登場する聖徳太子は、厩戸皇子(うまやどのみこ)と同一人物だと言われてますが。

当時の天皇の摂政だった聖徳太子の生きた時代は、西暦になおすと574年~622年のころ。

厩戸皇子こと聖徳太子は、明らかにイエスキリストの伝承と関わる存在でした。それは「厩戸」というキリストを彷彿とさせる名をもっていたり、「厩の前で生まれた」との出生譚を残してることにも現れてるようですね。

しかも「日本書紀」には「片岡飢人伝説」が記録されてたりもするし。

片岡飢人伝説・・・ある時に聖徳太子が飢えた人を見つけました。食べ物と衣服を与えるも、後日に従者が見に行くと飢え人は死んでいたので、丁重に葬られました。

しかし何故かその後に飢え人は蘇り、墓はもぬけの殻で衣服だけが残されていたとか。聖徳太子は何故だか、その飢え人の衣服を身に着けて過ごしたそうです。従者はその飢え人と聖徳太子の出来事を思って「聖人は聖人を知るのだな」と言ったとか。

飢えた聖人が死に、死者が蘇る。これはまさしくイエスキリストのことですが。その聖人の衣服を聖徳太子が身につけているので、聖徳太子自身が聖人と同一人物、生まれ変わりみたいな感じの話になっています。

 

家と暮の訓読みがいつの時代からあるのかは不明ですが・・・

厩戸、厩戸の前で生まれた、片岡飢人伝説などの伝承を踏まえたら、「家がイエスで暮がキリスト」の読みをくっつけたのも、聖徳太子だったのかもしれんです。

 

 

ぽちでたすかっております(予期せずスケベ広告が出たらすいません)

 

 

 

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【口耳王】聖徳太子が亀茲から来たことは叡福寺と太子墓が証明する

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邪馬台国以前は出雲が日本列島の広範囲を統治してた件

世界情勢見てると、これまでの常識や日常が、変わるというか「終わる」のは確実な気がしますね。準備ほとんどできてないですが・・・。

今回は邪馬台国以前には、出雲が日本列島を統治してた話について。

 

 

卑弥呼以前には出雲が九州~本州統治した

 

 

通説では出雲というのは、島根県の狭い領域であると言われてるのですが。

これ、間違ってるんじゃないかと想像しています。

 

日本神話には、なぜか出雲について語る時代が長いじゃないですか。

それは天岩戸事件のあと、高天原から素戔嗚尊が追放され、出雲の八岐大蛇を退治し、大国主が出雲を開拓、天照に国譲りする時代まで。やたら出雲が古代の日本各地で幅を利かせてることも分かっています。

これは「かつて倭国全体を統治したのが出雲だった」ことを意味しているわけなんです。

 

その証拠を集めました。

 

 

出雲の別名は葦原中国大和国だったと日本書紀にある

 

その証拠は「日本書紀」にもありました。

日本書紀」の神代を見れば、高天原天照大神から追放された素戔嗚尊が八岐大蛇を退治したあと、大国主神による国造りについて記されています。

そこに興味深い話があるのです。

 

 

大国主少彦名命との国造りの最中に、こう言ってました。

「葦原の中つ国は元から荒れて広いところだった・・・けれども私が皆くだき伏せて、今は従わないという者はない」

「今この国を治めるものはただ私一人である」

 

そしてそんな大国主神の元に、ある日海を越えて大物主神が現れました。すると

大国主「あなたは私の幸魂奇魂です」と、大物主は自分と同一の存在であるような不思議なことを言ってました。

 

大国主が「今何処に住みたいと思われますか」とたずねると、

大物主神は「私は日本国の三諸山(奈良の三輪山)に住みたいと思う」

と答えたので、大国主は奈良の三輪山に宮殿を立て住まわせたとあります。

 

まぁ奇妙な話ですが、ここから分かるのは、

大国主神が支配した出雲とは葦原の中つ国だった

出雲の別名は、葦原の中つ国、日本国だった

大国主神は奈良に自分で宮殿を建てたのだから、奈良も出雲の領域だった

この時点で本州の統治者は大国主神ただ一人である(天照大神邪馬台国の影響力が皆無)

 

つまり「日本書紀」によれば、この時点での出雲は山陰地方のみならず、「奈良まで含む本州の広範囲」なんです。

しかもこの出雲の国造りの起きた時点では、大国主神の対立勢力であるはずの天照大神邪馬台国)の影響が無いと言っている。

つまり本州には天照大神高天原がなかった。天照大神の物語の舞台は、本州以外のところにあった、ということになるわけですが。

 

 

 

本州には出雲系地名が多い

 

出雲が本州の広範囲を統治した証拠、それを証明するのが日本の地名でした。

 

 

本州のいず(izu)、azuma、こうゆう大きな地名が各地にあるのは、出雲だった名残りだったりするんじゃないか、そんな気がしました。

九州の委奴国も出雲に似たidu的な地名であるし、本州から北部九州が出雲の支配地になってたんじゃないですかね。

 

 

4世紀の雄略天皇のときに奈良盆地にいたという土蜘蛛、国栖っていうのも、かつての出雲人の生き残りだったんじゃないですかね。

 

 

出雲の野見宿禰はわずか1日で奈良盆地に来た

 

 

むかし垂仁天皇奈良盆地にいた頃、出雲の野見宿禰が相撲に招かれたのですが、たった1日で奈良に来たと言います。

地元の伝承ではもともと出雲は桜井市だというのである。

日本書紀によると垂仁天皇の時代に、国内で初めて天皇の前で相撲が行われたとされている。当麻蹶速(たいまのけはや)という力自慢が「自分より強いものがいるならぜひ戦ってみたい」と豪語しており、それを耳にした天皇が対抗できる力自慢を探させ、呼び寄せたのがこちらの出雲の野見宿禰(のみのすくね)だということである。

出雲国より「即日に招集」したという記述が日本書紀にあることから、「島根(出雲)から奈良まで即日に招集できたのか?」と考え、実は山陰の出雲ではなく、桜井の出雲から呼び寄せたというのである。

国号地名。桜井市出雲、吉備、豊前、長門 : 奈良・桜井の歴史と社会

 

グーグルで調べると、奈良の橿原市から島根の出雲市までは最短距離で357.2kmあり、徒歩での所要時間は75時間だそうで、だいたい1日10時間歩いても、7日ちょっと。

即日招集って「使者がその日のうちに本人を呼んで連れてくる」わけなので、出雲と奈良の間を往復するわけです。往復だと150時間になり、1日10時間歩いた場合の日数にすれば15日。

むかしは綺麗な道も橋も整備されておらず、遠回りになったり足元が悪かったのを考えれば、1週間じゃ済まない感じがしますが・・・・。古代人の足が速いとしてもやはり7~10日は見ておかないと。

歩いて往復で10日かかるところ、往復で1日で到着できるのは不思議ですが。

実は当時、奈良のあたりには、出雲と呼ばれる土地が広がっていたんじゃないですかね。それは、奈良が出雲人の土地だった時代があったから。

いまでも三輪山の南側の桜井市には、大字出雲という地名が残ってたりするのです。これは信ぴょう性あります。

 

 

東鯷人と二重亀甲剣花菱

 

 

3世紀の倭人について記した「後漢書」には、「東鯷人」が登場するんです。

これは倭人の別名と言いますが、実は想像すると出雲人だと思います。

東は「あずま」で出雲のことです。鯷はひしこって言うんですけど。今で言う「かたくちいわし」のことです。

「東鯷=とと」であるなら、たたら製鉄の「たた」のことで、たたら製鉄を始めた出雲人のことではないですかね。

 

あと、出雲国造の家紋が「二重亀甲剣花菱」なんですが、「ひしこ=菱甲」で亀甲剣花菱をあらわす言葉だったりするんじゃないですかね。するとこの紋様は3世紀以前にはすでにあったことになりますが。

東鯷人が倭人として書かれてるということは、倭国の統治者は出雲人だったことの証拠です。

 

 

出雲は「狭布」だった

 

 

出雲国風土記」には、出雲は狭い布のようだ、つまり細長い形だったとかいう話があるのです。

昔は宍道湖より北部が、東西に細長い島だった説がありますが。

出雲全体を見れば、上に示した地図のとおり、細長くないわけなんです。すると、出雲が狭布と言う表現は当てはまっていません。

実は「狭布」という表現は、細長い本州のことを表したんではないかと。それは出雲が本州を統治していたから。

すると古来より伝わってた国引き神話も、元々本州全体に当てはめてたのかもしれんですね。

 

 

出雲人は本州全域を統治した記録

 

沼河比売 - Wikipedia

 

本州の各地には、出雲人が開拓の主であり先祖になったとの伝承が残っています。それをちらっと見てみることにしました。

 

中国地方を支配した出雲族

兵庫県には播磨一之宮の伊和神社があるのですが、ここは大国主の国造りの最後に手掛けた土地だったとか。

出雲の国造りなのに、兵庫県まで開拓してるということで、「国造りは出雲だけ」と思い込んでる人にとっては意味不明ですね。

しかし本州の広い範囲が出雲だったならば、兵庫までも出雲の国造りに含まれていて当然てことになります。

ちなみに中国地方の山陰がわや、吉備や播磨など含む東側は、だいたい当初から出雲族が開拓した土地だったようです。

 

近畿を支配した出雲族

奈良の三輪山に移転した大物主神は、出雲の大国主神と同一存在とされています。

その大物主神から、三輪氏や賀茂氏などが現れたそうです。賀茂氏と言えば八咫烏であり京都の一之宮である賀茂神社を営んでおり、京都一帯を統治していた存在です。

 

出雲の素戔嗚尊の子である五十猛命は、紀伊国一之宮である伊太祁曽神社の祭神です。かつて五十猛命は、妹である大屋津姫命と都麻津姫命と一緒に、新羅から持ち帰った木の種を九州から順に日本中に蒔いて国中を青山に変え、最後に紀伊に降り立ったとか。この不思議な神話も、出雲人が日本中を統治した証拠のようではないですか。

 

北陸や信濃を支配した出雲族

大国主の父である天之冬衣神(あめのふゆきぬのかみ)は、出雲から出て能登半島を平定したと、重蔵神社の社伝に記されていました。

またかつて大国主神自身も、少彦名命と共に、北陸の能登半島を平定し開拓したとの伝承が存在しています。

また大国主は高志国(新潟)にいる沼河比売(奴奈川姫)を妻にするため、出雲から当地へ旅立ったとの伝承が知られています。特に新潟の糸魚川付近に、沼河比売の言い伝えが色濃いようです。

そして大国主神の子である建御名方神が、信濃を統治し諏訪大社の祭神になったそうです。

 

東海を支配した出雲族

天照大神の子でありながら出雲に鞍替えした天穂日命は、出雲族の祖とされる存在の1柱でした。その孫である櫛瓊命(くしにのみこと)は、別名が伊勢津彦。伊勢に拠点をもっていたそうで、それが伊勢国の由来になったとか。

つまり伊勢は出雲系の土地でした。櫛瓊命は東へ去ったというので、伊勢より東側も出雲人の土地だったようです。

伊豆の一之宮三嶋大社の祭神は、事代主で出雲系です。伊豆という地名自体も、出雲を元にするような感じがします。

さらに静岡の駿河国遠江国三河国の一之宮の祭神はぜんぶ大国主神であるのは、偶然じゃなかったりするでしょう。だいたい東海地方も出雲族が開拓した土地でした。

 

関東を支配した出雲族

 

 

大宮氷川神社は、埼玉にある300社の氷川神社の総本社です。出雲の神である、須佐之男命、奇稲田姫命大己貴命を祀っています。最初に紀元前の第5代孝昭天皇の頃に創建され、4世紀頃の成務天皇の時代に、出雲族が本格移住してきたと社伝にあるようでした。そのため武蔵国造は出雲国造と同族であるとか。武蔵は紀元前から出雲人の支配下だったんです。

 

天穂日命の曾孫である身狭耳命は、関東の国造の祖となった人物でした。

身狭耳命が祖となった国造は相模(神奈川)、武蔵(埼玉・東京)、総(千葉)、常陸(茨城)の4国。武蔵国造・上海上国造・下海上国造・相武国造・千葉国造・伊甚国造・菊麻国造・安房国造・新治国造・高国造があります。

国造の多くは崇神朝以降、景行天皇成務天皇の頃に設置されたとか。その実年代としては3世紀~4世紀の頃ではないかと。(天皇陵の年代などから考慮すれば)

伊勢国風土記」ではこの人物の時に初代の神武天皇がいたというのですが、各天皇の古墳年代(3~4世紀)より神武が後になってしまうので、神武天皇に関わる逸話は後付されたようです。

 

鹿島神宮天照大神から派遣され、東国を平定した経津主命を祭神とするところ。

境内には要石があり、大ナマズを押さえつけていると伝えられています。大なまずとは「大穴牟遅(おおなむじ)=出雲の大国主神」のことで、大穴牟遅が統治してた国を、経津主命が押さえつけたことの象徴である感じがしますね。

すると常陸も、かつては出雲の範囲だったことが分かるわけですが。

 

北部九州を支配した出雲族

以前にお知らせした通り、委奴国=伊都国とは出雲の土地だったのであり、官吏が出雲の神々の名を踏襲した名前になってたりしたのでした。

伊都国は全国の隅々まで監視を行う「一大率」の拠点でしたけども。その代表者が伊都国人だったのは、彼らが出雲族であり、本州の出雲族のことを良く知ってるからこそであろうと思うわけです。

 

 

出雲の歴史を時系列で並べると

 

縄文時代(紀元前7世紀以前)

弥生時代(紀元前7世紀以降)

出雲(東鯷人)が倭国(九州北部~本州)を統治し国造りを始める

弥生時代前期~後期)

※もし大国主神が徐福と同一人物なら紀元前3世紀~

邪馬台国が台頭、北部九州を統治。出雲と対立(2世紀末から)

出雲の国譲り=倭国大乱(2世紀末~3世紀前半)

邪馬台国崇神天皇卑弥呼)の本州統治(3世紀前半)

邪馬台国が筑紫から奈良に遷都(3世紀前半)

こんな感じかと想像するばかりです。

 

大国主の時代には、日本列島に覇邪は大国主だけしかいなかったって「日本書紀」にありますし。ぶっちゃけ邪馬台国卑弥呼崇神天皇は、後から日本列島に乗り込んできた勢力だったと思いますが。それ考慮してこんな感じになりました。

出雲と邪馬台国のルーツがどこにあったか、それについても記紀神話を見ればわかりますが、そのへんは過去の記事だとか見てください。

 

 

ぽちされでたすかりまs

 

 

 

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わたすが嘲笑罵倒される状況は1977年時点で計画された証拠「キネマ旬報」から

運命操作トゥルーマンショーでおもちゃにされてることの証拠探し。

続報ですが、生年である1977年に出た「キネマ旬報」にも、ほのめかしがありました。

 

 

キネマ旬報の6月号

 

 

この表紙は、1977年のホラー映画「HOUSE」がテーマになってますが。

今すんでる家に構図が似てる。

山の上で樹林に囲まれた平屋。隣の家が三角屋根。猫がいる。猫をモチーフにした俺。

 

映画の内容自体も「別荘地を訪れたらおばばに酷い目に合わされた」ものであり、わたすの状況に似てる。住所情報も入ってる

 

 

キネマ旬報の5月号

 

 

この表紙の画像の上のほうに、白い家が描いてありますね・・・。

1977年の映画「白い家の少女」をモチーフに白い家を描いたようですが、映画の家と違うような気がする。

むしろいまが住んでる家の玄関前に似てる。

この時点で、この家にスポットライトが当たることになると言いたいのだろーか。

なぜかインドクジャクがいる。クジャクは本来はエメラルド色を貴重とするのだが、真っ暗な中で光り輝いている。

インド(ind)と伊豆(idu)は地名も、島がぶつかって半島になった成り立ちも似てるので、伊豆を示唆しているようだ。

クジャクが光り輝いてる意味はよくわからないが、良い兆候でもあるのだろーか。

 

 

トゥルーマンショーのポスター

 

 

トゥルーマンショーのポスターが、家に似てる。

 

 

名前と誕生日と住所の数字が入ってる

 

 

まとめると

 

わたすが運命操作をされて臭い人にされ、トゥルーマンショーの主人公になり、未来にここに住むこと。それを当時のカルト界隈の人々は聞かされており、こうして映画など作品内に情報を入れ込んでいると見られる。

 

ずっと「お前の失敗は自分が原因だろ、お前が悪いんだろ」とか、一々バイキンみたいに扱われ、嘲笑罵倒されたりとかするのだが。
以前前の記事に書いた通り、どう考えたってカルト権力が生前から計画し、身体をおかしくして盗撮して悪者にして、みんなで嘲笑罵倒の的にしてた形だと思うのですよ。それが奴らのビジネスになってたわけなのだが。
いくら俺が問題を起こしてるように見えても、その真相は元凶のカルト勢力の悪影響があり、常々悪影響を与えられ続けた結果だった。
そういうマッチポンプなのに、いつまでもいつまでも万人から悪者や嘲笑の的や物事の出汁にされ続けるのが、納得いかないし酷いと思うわけなのですが。
酷いとおもいませんか。そんなの。
 
わたすは自分の責任じゃないことまで、ずっと責任取らされてきた。
それも大勢の前で嘲笑されたり、思考や視覚を電磁波で読み取られ配信され続けたり、電磁波で失敗に誘導されたり、「作品や物事に誹謗中傷情報を入れ込まれる」という屈辱的でとんでもなく残酷な方法ばかりだった。
普通の人生がカルト権力の連中によって、破壊されてなくなった。全てが妨害されて夢も希望も失った。ろくに働くことも稼ぐこともできない、気力も湧かない。大切な人間関係も破壊されてなくなったんだよ、カルトのアホどものせいで。
だから嘲笑、罵倒、ノゾキ、ネタにして稼ぐ、みたいなことをやってた方々も、生きてる間にかならず根こそぎ責任を取ってくれよ。その方法はどういったものになるかは知らないけれど。責任取って返してくれよな😀。
 
 
というわけで、また陰謀の証拠を探してきますのでお楽しみに。

 

 

ぽちられたすかり(変な広告でたらすいません)

 

 

 

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委奴国は出雲人の領域だったのかも知れぬ

近ごろは出雲についてちょっと気づいたことがあり。それを語る前に2~3世紀頃にあった、委奴国について知る必要があったようです。今回は委奴国と出雲についての、知られざるお話。

 

 

委奴国は出雲系の国だったか

 

国史書やら金印にある九州の筑紫の「委奴国」。「漢の委の奴の国(かんのわのなのくに」と読むとか言われますが、「委奴国」だと思います。

これはどうも、出雲系の勢力であるという想像していました。その理由のひとつは、名前が出雲に似てるからです。

委奴(ido、idu、inu

伊豆毛(idu-mo、ido-mo

伊弩毛(idu-mo、ido-mo

出雲(idu-mo

出雲の別名である伊豆毛や伊弩毛。これらの「毛」を取ってみれば、発音が似ているし。

伊弩毛(いずも)の「弩」は本来「ど」なのに「ず」と読ませている。てことは委奴の「奴」は「ず」と読めるということ。

委奴は「いず」と読めるわけだとしたら、出雲にとても近いん出すよ。

 

 

 

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伊都国の官吏は出雲人だったかも

 

 

倭人伝を読み解いてみると、委奴国の後継は伊都国でした。名前も委奴・伊都で関連が伺えたりする。

伊都国の長官の名は「爾支」という記録があり、「にき」「じし」って読まれてます。そういえばニキと言えば二木の菓子…。

この爾支という名前には、知られざる隠された意味がありました。

 

もし爾支が出雲人であるならば、彼らの祭神は大国主神大己貴命で疑いようがないところ。じゃあ爾支には、出雲的な要素があるとでもいうのか?

ありました。訓読みしてみたら、

爾 なんじ

nanji=namji

なむじ (穴牟遅、奈牟知、己貴)

 

大国主の別名:大穴牟遅、於保奈牟知、大己貴

 

支 ささえる

「爾」というのは「なむじ」なんです。

出雲の大穴牟遅(大国主神)の名前の一部をいただいており、「大穴牟遅神を支える存在」の意味にしてたわけなのです。すると彼らは大国主信仰をしていたわけで、出雲人であるでしょう。

弥生時代後期にはすでに、漢字に倭語の訓読みを当てはめていたわけですが。爾という字は禰宜に通じますので、禰宜であり政務官であり、一大率のボスだったのですかね。

 

あと副官が泄謨觚と記録がありましたが、この名は「せもこ、せつぼこ」などと読まれています。かまぼこの仲間みたいですが、意味不明ですね。

しかしこちらも出雲の大国主神に関わるとしたら、こんな解釈できます。

泄謨觚 せぼこ

泄謨觚 se- bo-ko

少彦  sew-biko

少彦名 すくなびこな

謨觚(ぼこ)が彦(びこ)であるなら、大国主と共に出雲の国造りをした、スクナビコナです。

大国主の官吏がいるわけなので、大国主の相棒の少彦名命の名までも用いて、官吏の名にしたんじゃないですかね。

 

もう1人の副官の柄渠觚も、出雲人かどうか。「へくこ、へきょこ」などと読まれますが。

記紀神話出雲国の記述には、蟇蛙(ひきがえる)の多邇具久と、かかしの久延毘古が出てきます。彼らは大国主の側近でした。

ひきがえること多邇具久は、国土の隅々までを知り尽くした存在となっています。柄渠觚とは、この多邇具久ではないかと。

柄渠觚 へくこ

柄(ひしゃく)+渠(みぞ)で溝を掘る土木工事

 

蟇 ひき  hiki(ひきがえる)

柄渠 へく heku

 

渠觚 くこ  kuko

かえるの古名 kuku(具久)

溝を掘る土木工事で、水辺にいて地面を掘って冬眠する蟇蛙を表しています。溝を掘る蛙だと、柄渠觚は建設担当官ですかね。

古代には蟇蛙(ひきがえる)とは「蟇(ひき)の蛙(くく)」でした。

そのために「柄渠」により蟇蛙の「ひき」を表し、「渠觚」により「蛙(くく)」が表されているんじゃないかと。

柄渠觚が出雲系で蟇蛙の名を持つ官吏ということは、出雲の多邇具久に合わせた役職ってことになるわけです。

そうすると

出雲      委奴・伊都

出雲の大穴牟遅 爾支

出雲の少彦名  泄謨觚

出雲の多邇具久 柄渠觚(蟇蛙)

出雲の名と、出雲の建国の神々が、伊都国に揃ってることになるわけです。

 

 

なんで伊都国には出雲系がいなきゃいけなかった?

 

疑問が湧くのは当然ですね。

伊都国があった当時は、女王卑弥呼邪馬台国の統治下であったわけですが。

なんで伊都国という一大率のある重要な拠点のトップに、出雲人を配置しなきゃいけないのかと。

邪馬台国以前は、出雲が倭の本州の中心だった時代があったわけでしょう。それは記紀の神話時代を見れば、出雲についてやたら長ったらしく記されていることでも示されていますし。

それはやっぱり出雲の国譲りによって、出雲がヤマトの軍門に下ったことが理由の第一ではないかと。ヤマト王権の配下に出雲の神の名を持つ官吏がいることが証明ですね。

 

あとは、北部九州に基盤を作って全国統治を目指した邪馬台国としては、蛙のごとく本州の隅々まで知るために、本州の出雲の人材が必要だったみたいです。

出雲の国譲り後は、日本列島を隅々まで知ってる出雲人に政治を任せたほうが、安心だったんじゃないですかね。😐

なにしろ倭国乱で疫病が流行ったあと天皇がお祀りした神さまは、元々出雲の神だった大物主神だったりしたのだし・・・。

 

それには、日本の支配勢力が大陸から移動して来ている、という理由も関わってますが。古代出雲や天皇家の正体については、当ブの過去記事を見てもわかったりします。

 

ぽちされでたすかります

 

 

 

 

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わたすがカルト権力により計画的に臭い存在にされた証拠「情報入れ込み」

わたすは自分が、何らかの臭いを放っていることを否定しない。それの強弱があるにしても。その対処ができなければ、「正直スマンカッタ」と思うしかない。

 

 

しかしずっと、疑問に思っていたのだが🙄

 

世界と日本には、計画的に人々を失敗に導き嘲笑し、娯楽ビジネスにするカルト権力がいる。彼らは様々な趣向を凝らした工作を、大勢で延々と仕掛けてくる。

生まれる前から人生をコントロールされ、見世物にされるトゥルーマンショーは当たり前だった。

個人情報入れ込み、タイミング合わせて嫌がらせ仕掛けるのは当たり前、関連付けた事件事故起こし当たり前、人が死んでもお構いなし、やたらと嘲笑し罵声を浴びせからかってくるのも日常茶飯事。

計画的に妨害し失敗させておいて、「自分が悪いんだ」と思わせ攻撃するのがカルト権力の特徴だから、疑問だったんですよね。

「俺が臭いに囚われてる状態も、カルト権力による仕業なんじゃないの?」と。

 

 

カルト権力による仄めかしから探る

 

仄めかしはメディア(テレビ、ネット)、商品などあらゆる物事に、「特定のターゲット情報を入れ込む」という嫌がらせビジネス。

あらゆるカルト系の業界がやってる。わたすはずっと「仄めかし」を受けており、作品中に登場しているのは珍しくもなかった。

名前、住所番号、誕生日、日常の出来事や仕事内容など、あらゆる情報が入れ込まれ。

わたすの場合は名前のエノ、タツヤ、達、たつ、tar、tat、(中国語で達はdar)

達と同じ音の龍、竜、立など

住所の637、2202、117、

生年月日の1977、130、30、52などが多い。

以下に含まれているようでした。

 

 

トゥルーマンショー(The Truman Show)」1998年

 

 

<あらすじ>

1998年のアメリカ映画。生まれる前から撮影されて見世物にされ、世界220カ国に配信されている主人公の話。ドームに閉じ込められ、運命を操作されているトゥルーマン。周囲の人はみんな指定された役を演じて金をもらってる。

 

<仄めかしポイント>

thetrumanを逆から読むと俺の名前みたいになってる。映画の時間103分が俺の誕生日1月30日を示唆している。俺が盗撮され配信されている状況が表されている。

トゥルーマンショーのポスターが2017年以降に引っ越した現在の家に似ているし、220が現在の住所番号なのも、意図的な感じがする。未来にこの家に来るよう、運命操作がされたのではないか。

主人公の名前が、トゥルーマン・バーバンクだった。「ババ」で臭いもの関連付けがあると思うしか無い。

 

 

「メモリーズ(Memories)」1995年

 

MEMORIES (映画) - Wikipedia

 

<あらすじ>

1995年の大友克洋監督の映画作品。「彼女の想いで」「最臭兵器」「大砲の町」の三部作。

「彼女の想いで」は、宇宙船コロナのゴミ回収業者の男たちが、宇宙船の墓場でバラの形をした遭難船を発見し、エヴァというAIの幻想世界に囚われてしまう様子を描いている。

「最臭兵器」は、「人体から異臭を放つ薬」をうっかり飲んでしまった主人公が、政府の自衛隊に総攻撃を浴びながら東京を目指す話。

「大砲の街」は大砲だらけで砲撃の音がずっと鳴り響く街に住む、17番放題の一家の少年を描いた物語。

 

<仄めかしポイント>

1番目「彼女の想いで」の原作漫画は、わたすが3歳だった頃、ヤングマガジンの1980年11月17日号掲載で、30ページだった。

俺の現住所の番号と誕生日が含まれているので、これも運命操作計画があった証拠みたいだ。

彼女の想いでを直訳すると「her thoughts」発音トーツ、ターツで名前が出てくる。

 

2番目「最臭兵器」では、日本政府がなぜか製薬会社に「人体から異臭を放つ薬」の製造を依頼していることが判明している。

その試作品を主人公が飲んでしまったということで、明らかに「人為的に臭い人にされた」わけでいわゆる人災なのです。

しかも政府が臭い人を生み出すことに加担しておきながら、軍事的な総攻撃を仕掛けて潰そうとする。という理不尽な状況が、わたすの人生と結びついている感じがする。

 

3番目「大砲の街」の砲台の番号が17番で、大砲の音が鳴り響き続けるという様子も完全に一致しているところ。

この三部作はわたすに関する未来予言の仄めかしを入れているんじゃないかと思うしか無い。memories・・・メモリ伊豆。

 

 

Akira」 1982年 12月20日号 - 1990年6月25日号

 

<あらすじ>

1982年から大友克洋が漫画アキラの連載をスタートした。

第三次世界大戦後の2020年のネオ東京が舞台。金田ら不良グループは政府が研究する超能力者らと遭遇する。国家の最高機密であるアキラが復活すると、東京は再び破壊の渦に飲み込まれていくのだった。

 

<仄めかしポイント>

わたすが5歳の時に連載が始まった漫画でした。主人公の金田は、漫画の中で臭いって言われてるんですよね。それでいま俺が住んでる家は、1970年代からあった当初、何故か金田さんの家だった。2020って住所の数字に似てる。隣にはなんか盗撮を駆使して延々つきまとってくる貞子婆さんがいる。

アキラは「実験体の28号」で、何故か俺の名前たつやは1028、あるいは128の語呂合わせがされるので、関連付けがあるようだ。

 

 

「銀座に流氷の写真」1977年1月30日

 

カルトって、写真や映像の中にターゲットの個人情報や誹謗中傷を入れ込み、仄めかしをするんです。

たとえばターゲットを臭いと表したいなら、名前と「クサ」が含まれる看板を写し込むことで、誹謗中傷メッセージが完成する。

この1977年の写真を調べると、銀座の松屋前での撮影だとわかったのですが、まつやでたつやを仄めかしている。

しかも写真の背景にサエグサという看板があって「グサ」が入っていますでしょう。

 

流氷は「drift ice」ですが、driftの意味には「知らぬ間に(…に)陥る」と、運命操作みたいな意味があるみたいです。全部計算ずくみたいな。

「Memories」にあるような、政府がわたすのこと臭い人にする計画があったという感じがしました。

 

 

 

ロッキード事件田中角栄初公判」1977年1月

 

わたすが生まれる前にロッキード事件があり、田中角栄の初公判があったのですが。これも仄めかしみたいな事件でした。

 

 

まぁなんか汚いものに関連付けた事件なんじゃないですかね。

俺の誕生日直前に初公判。当時の田中角栄の秘書が榎本だった。しかも2月22日と住所番号で合わせ、運命操作を暗示。何にでも関連付けるらしい。

 

 

品川青酸カリ無差別殺人事件 1977年1月

 

時を同じくして、東京で青酸カリ事件が起きてました。

 

これは臭いに関連づいてないですが、「毒を入れて体をおかしくする」っていう意味で、最臭兵器やコロナ禍に共通してます。

発生日1977年1月3日、住所10-30…誕生日そのまんまですね。ここは毛利元道公爵邸だったそうで、毛利元道は毛利家30代目だったとか。

品川スポーツランドの後、地上17階建てと40階建ての品川プリンスホテルが開業したのが、1978年7月11日。ここにも17、117が。

生まれる前に誕生日が合わせられてるというのは、とても奇妙なことですが。未来予知だの、運命操作だのが使われているわけなのです。

 

他にも

 

 

 

 

 

臭くして悪者にする仕組み

 

世の中では薬害というものが昔からあり、国や製薬会社が人為的にエイズ、癌、肝臓病、脳障害、肝臓病などさまざまな症状を引き起こして問題視されてきた。

コロナ禍では「謎の柔軟剤臭に取り憑かれた人々の大量発生」がしてるのご存知ですか。個人差もあるようですが、これは薬害の一環であろうというのは想像に難くないことですが。

わたすの場合、

 

1・幼い頃に臭くなる病原菌や薬剤を植え付けられた可能性

2・病院行っても幾度となく治されないことが続いた

3・俺の行動に合わせ悪臭を発生させる工作員が存在する

4・臭くなるよう干渉されてる(薬物、電磁波など)

 

1と2が、わたすの問題点の元凶であると思うのですが。このへんは「Memories」でも政府が人体を臭くする薬の開発を製薬会社に指示していたことで現れているし。

蓄膿症が幼少からずっとあってそれが尾を引いてるのはありますが。虫歯にもなりやすくて苦労が絶えません。

病院行っても治療されなかった。これは集団ストーカーではありがちですが。間違った治療されたり。外出ると迫害されるから出られなくなったりして。それで悪化していったわけです。

コロナ禍でも病気を治されない人が続出したそうですが。

さらに漏らしたとか、ありもしない酷い噂をたてられたり、酷い目にあってますた・・・。どうしたら良いのか誰も教えてくれず、自分でも分からず、そういう状態が長く続いていました。

外に外出するのに合わせ、みんなで焚き火だの肥料だので悪臭はなったり、するんですよ集団ストーカーって。それも俺が外的要因で臭くされたことの暗示かと。

 

電磁波によって思考を読み取られたり、目をカメラにされたりっていうのは、電磁波を照射し続けていないとできないことですが。それもずっとやられてるのですが。

電磁波を当てられた人が、臭くなるというのは証明されています。電磁波を当てると、人体の癌細胞や細菌が活性化するためです。

身体に雑菌が多かったり免疫力が低いような人は、電磁波を当てられると臭くなりやすい、病気にかかりやすくなるというわけです。

だからコロナ禍に毒チン5Gを合わせて実施してるのも、関係が大ありってことです。

 

 

カルト権力が「汚い臭い」を好むことは知られた話

 

いわゆるカルトの権力というのは計画的な悪事をやりたい放題。

環境破壊し文化を破壊し、汚い臭い状態を好んでいるのが事実だ。

 

SDGSとか言ってソーラーパネルで森林破壊し毒で地下水を汚染

・福島の放射性物質を日本中に拡散して汚染を広める

・有害な5G電波を世界中に広めている

ケムトレイルをばらまいて世界中の陸海空を汚染している

・有害物質を多く含む食品だらけにしている

・花粉が大量にでる針葉樹を植えまくって花粉症を拡大させた

・電柱電線を使いまくって環境を汚くしている

・世界中の海から山まであらゆる場所をゴミだらけにしている

・毒チンをうちまくって病気と体調不良を拡大している

・人体から謎の柔軟剤臭が大発生してるらしい

 

まぁこんな感じで。人体に対しても汚くする、病気にする、臭くするということをやっているじゃないですかね。

それで俺は羅針盤のような、未来を暗示するような役割りも担わされていたらしく、人類に先駆けてやられてました。

こんなふうに。

 

すると「わたすは生前から、カルト権力によって人為的に臭くされる計画を実行されていた」ってことになると考えて、おかしくないなと、想像するんですけどね。

まぁ色々と関与して来た人なら、割とご存知だったりするでしょう。

「じゃあ何かい?あんたはそんなに影響力ある重要人物なのかい?」っていう話しですが。わかりません。金づるという意味で重要なのか、悪の仕組みや悪人をまとめて炙り出せる要素としてなのか。それとも他に意味があるのか?

 

以上本日の想像でした。

 

 

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ほんとうの敵の見分けは、2020年以降には簡単になった

世の中のほんとうの敵の存在は、2019年頃まではなかなか見分けられませんでした。

極悪非道な連中って、表向きはマトモなふりして、裏の見えないところで悪事を進めるみたいな習性があるもんだから。

しかし2020年以降は分かりやすくなって、お子様でも見分けが簡単になりました。

 

 

ほんとの敵を見分ける方法

 

以下の要素で、神に仕える狛犬に噛まれる敵が誰かがわかるでしょう。

 

1・あなたを不健康に導き、命を奪い取る毒物を与える奴らが敵だった

(食べ物や水を添加物や農薬や危険な薬剤や細菌だらけの毒まみれにし、人体に毒を注射する)

 

2・環境に毒をばらまいてる奴らは敵だった

(放射性瓦礫、ケムトレイル、5G電波で異常発生や脳コントロールSDGSソーラーパネルで地下水汚染、衝撃波爆音とばす)

 

3・あなたを困窮に追い込んでくる奴らは敵だった

(税率50%越え、低収入化、食べ物もろくにない人々、生活保護もらえない人々の発生)

 

4・私利私欲を満たしている偉い人と取り巻きは敵だった

(偉い人と関係者は給与up、毒入れに関わると利益得られる、悪事参加でキャッシュバック受け取り、公的資金を私物化)

 

5・あなたの人権を奪い取り、外国人ばかり優遇する奴らは敵だった

(イジメ正当化する、基本的人権を無視する、緊急事態条項すすめようとする、移民推進、外人参政権推進)

 

6・支配欲が強い奴らは敵だった

(やたら行動管理、カメラだらけにし監視、マイナンバー、ICチップ、盗撮して支配しようとする。日本の土地を買い漁る外国人も、やたら嫌がらせ仕掛けてくる人も)

 

7・あなたを悪に誘導する奴らは敵だった

(犯罪行為に誘ったり、盗撮嫌がらせ集団ストーカーに参加させたりする)

 

8・電波であなたをコントロールする奴らは敵だった

(電波で行動や思考をコントロールする、メディアで洗脳する)

 

他にも色々あるだろうけども、代表的なところはこんな感じかもしれま千円ね。わかりやすいですね。

 

 

 

不幸まみれにする敵の正体はカルト権力

 

九字護身法 - Wikipedia

 

こうした人々を不幸まみれにする敵対行為を全部やってるのが、カルト悪魔崇拝DS統一自◯党◯府のカルト権力であるのだった。

そのことは国民も分かってるらしく、インターネットでのキッ◯ー支持率は0%~5%、高くても10%程度しかない。

しかしカルト権力側は、西側DS悪魔崇拝カルト親分どもに認められたいため、人々を不幸に導き人口削減を進めるため、私利私欲を満たすため、日々力を注いで頑張っているらしい。

新聞テレビなどの極悪メディアはカルト権力の手下なので、40%とか50%とか捏造した支持率を提示して偉そうに振る舞っている。

SNSでもカルト権力を応援する声がやたら多いのは、動員かけられていたり、騙されている人々が多いためかもしれま千円。

 

カルト魔物に敵対して改善の行動を進めている人々が、人類の希望であり善意なのではないだ廊下。そのへんをちょっと考えたほうがいいんでは内科。

まぁこういうこと書いてると、カルト権力からお仕置きされたのが従来の世界だが、カルトの奴らに人生滅茶苦茶にされているし、もうボコボコにされようがどうでも良い。カルト権力の消滅を願うのみ。

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。 沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。

カルト悪魔崇拝DS統一自◯党◯府のカルト権力の消滅祈願。

祓い給え清め給え~、悪霊退散~、おんまりしえいそわか~、臨兵闘者皆陣烈在前~、南無阿弥陀仏~。

 

 

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板付遺跡と平塚川添遺跡は完全に結びついてる件

今回も従来の遺跡の調査では、知られてなかった謎を解明しています。

 

 

板付遺跡

 

板付遺跡 - Wikipedia

 

まるで堤防が取り囲んでいる遊水地みたいな円形の広場。ここが弥生時代の輪壕集落の跡である、板付(いたづけ)遺跡でした。

板付遺跡は福岡市博多区板付にあり、縄文時代晩期から弥生時代後期にかけて営まれた遺跡だそうです。環濠自体は弥生時代初期なのかもしれないですが。環濠集落としては日本で最初期のものだとか。

 

調べてみると、江戸時代以前にこの場所は筑紫国那珂郡の板付村でした。

那珂郡 (福岡県) - Wikipedia

那珂は「奴国」の名が残ったものではないかと見られ、弥生時代には倭奴国、伊都国(もしくは倭の奴国)の領域だったようですた。

奴国 - Wikipedia

 

それで、もし板付村が古代からあった地名だとすると、思いつくことがあるんですが。

板付とは「いた付」で、「いた」も那珂と同じく、「倭奴国、伊都国」の名残りかと思ったりするのです。

つまり倭奴・伊都に付いている村だから、「いたづけ(倭奴付)」となって、その名が江戸時代までに板付になり現代まで残っているんだろうと。

まぁ想像に過ぎないですけども。

 

 

板付遺跡は平塚川添遺跡と深く関わる

 

輪壕は左右対象な楕円形をしてるので、吉野ヶ里遺跡や平塚川添遺跡と同じく、中心軸を導けました。

 

これをずーっと伸ばしてみると、26.2km先で平塚川添遺跡に当たったわけなのですよね。これについては何処にも仮説がなかったです。

板付遺跡と平塚川添遺跡が結びつくのは、当時の国策みたいな感じで、複合的な計画なのだと思いました。

 

 

2つの遺跡がむすびつくので、板付遺跡の技術者らが関与し、平塚川添遺跡の測量やら建設に関与しているような気がします。

この近くには那珂遺跡群などもありますが、巨大な環濠はここだけなので、有力者の政治の中心であり、住居兼用だったと考えられますね。

板付遺跡というのは奴国の有力者であった兕馬觚(じまこ)、副官の卑奴母離(ひなもり)らもいたし、当然ながら卑弥呼も立ち寄っていたんじゃないかと思いますけども。

想像が膨らみます。

 

 

 

 

ぽちされでたすかりまs

 

 

 

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筑紫の平塚川添遺跡までも、大三輪山と大物主神を信仰する卑弥呼の拠点だった件

この前は佐賀の吉野ヶ里遺跡が、大三輪山を指し示すことをお伝えしました。

今回は福岡の平塚川添遺跡も、まったく同じ役割なんじゃないか?という不思議なお話。

しかしカルト権力の連中が植え付けられた、臭い攻撃とうるさい攻撃によって精神的に削られている。

 

 

平塚川添遺跡とは

 

筑紫平野の朝倉の平野部にある、平塚川添遺跡。弥生時代中期から古墳時代初頭(紀元前1世紀~西暦4世紀)にかけての多重の環濠集落遺跡でした。

1990年ころ、工業団地の造成中に発見され保存復元に至ったらしい。

竪穴式建物300軒、掘建柱建物100件と大規模。すぐ近くの集落も含むと倍の規模だとか。吉野ヶ里の集落と並んで当時の拠点だったそうです。

 

 

中心軸を求めて線を引いてみると大三輪山に向いていた件

 

この多重環濠、最初はいびつな形だと思ったのですが、最近よくよく見ると左右対称に見えてきました。何か吉野ヶ里遺跡の北内郭と同じく、形に意味があるような。

左右対称となれば中心軸を求めたくなるのは、箱があったら入りたくなる猫同様に自然の摂理。

水色の線が左右対称に見える環濠です。

なにかまるっきり「牡蛎(かき)」みたいな形してました。牡蛎の画像を検索して見たら貼る気が湧きませんでしたが・・・。

真ん中にオレンジの線を引いてますが、これはここから北5.4kmほどのところにある、大三輪山(小鷹城山)の頂上に向けて引いた線。

ちょうど環濠を、左右にきれいに分割できるところに通る。

 

次の図は広域的なものになってます。

こうして環濠の中心軸の線を北に伸ばしていくと、平塚川添遺跡が大三輪山に向いてることは明確なわけです。

その理由は、彼らにとっての信仰対象だったからではないかと。

 

三輪山といえば奈良の三輪山と同じ名前。

筑紫平野一帯は、古代から奈良盆地と同じ地名が並ぶところでした。だから「奈良の三輪山の前身」だった可能性があります。筑紫平野の奈良的地名が、奈良盆地に移された証拠の1つなんじゃないですかね。

古来より奈良の三輪山では大物主神を祀ってたので、大三輪山でも同様に大物主神を祀ったと思われます。

その証拠としては、大三輪山のそばに大巳貴(おおなむち)神社があること。この神社は大国主神を祀っていますが、大国主神の別名には大物主神が含まれているのも一致点。

日本書紀」によれば大物主神は神代のころ、出雲の大国主の元に渡来した神で、三輪山に移ったとの伝承があります。

崇神朝では疫病や反乱が起きてましたが、これが「魏志倭人伝」の倭国乱、倭国大乱と同じ出来事なんだろうという感想です。疫病という病が起こったので、「邪馬壱国=病国」と表しているでしょう。

その崇神天皇のご時世の混迷の時、倭迹迹日百襲姫命が神懸かりし、三輪の大物主神を祀り、神主に太田田根子を用いれば疫病は収束するとのお告げがあり、それを実行して混乱を鎮めたとか。

つまり大物主神崇神天皇直々に歓迎した神であった。当時の都や瑞籬宮(みずかきのみや)といった宮殿の場所は、きっと大三輪山の近くにあったたと、言えるんじゃないですかね。

「和名抄」によればこの付近は律令制下では上座(かみつあさくら)郡と下座(しもつあさくら)郡となっていて、その「座」の名からは「高貴な人物の座する所」といった印象も受けます。

 

そうすると平塚川添遺跡がなぜ「牡蛎」の形であるかを考えたらいいんですよね。

瑞籬(みずかき)とは、水牡蛎であるから、拠点を牡蠣の形にして名前を表してるんだろうという感じがします。

 

ダークフィン水かきグローブ

 

 

西方の吉野ヶ里遺跡との関係

 

前回の記事のほうでは、吉野ヶ里遺跡の主要部である北内郭が、大三輪山を指し示す話をしました。

いっぽうで平塚川添遺跡も左右対称であり、大三輪山を指し示す意味で全く同じでした。

弥生時代後期の筑紫平野の2大拠点都市が、どちらも大三輪山を示しているのは、この平野一帯が、大物主神を信仰した証拠である感じがします。

そして両遺跡の統治者が、同一権力だったことの現れです。

それは倭国乱、倭国大乱時に崇神天皇大物主神を祀ったことに、由来するんではないかと思うわけですが。すると邪馬台国はこのへんにあり、その中枢が平塚川添遺跡、吉野ヶ里遺跡だと、言える気がします。

以前の記事では平塚川添遺跡が磯城の瑞籬宮であり、吉野ヶ里遺跡が桑間宮(くわまのみや)であるとしました。

個人的に言うと崇神天皇とは「賢しき后」なので女性天皇であり、女王卑弥呼の男装した姿です。

 

 

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