岩戸神話の大禍時(おおまがどき)
大禍時。むかしから「逢魔が時」と言い替えられてました。
この世には古来より、大禍時が支配する時空があったと、昔の人は考えていたとか。それはどこか、聖書の語る終末や、日月神示の言う国常立大神による夜の建て替えと重なっているような。
まぁ俺はもうこの世界ではコソコソ変なことばかりされるし、何故かなんにも上手く行かないし、諦めや苛立ちばかりが募るもので、魑魅魍魎あふれる大禍時が来ても別に良いんですけどね。
○いつも助かっております
逢魔時(おうまがとき)、大禍時(おおまがとき)は、夕方の薄暗くなる、昼と夜の移り変わる時刻。黄昏どき[1]。魔物に遭遇する、あるいは大きな災禍を蒙ると信じられたことから、このように表記される[2][3]。
以前の記事で日の丸の赤色は暮六つの夕日であるとか、天照大神は夕日を象徴するみたいに書いてましたが。
夕日や夕焼けの太陽は1日のうちでもっとも綺麗と表現されるのに、それに反して災禍に関係する逢魔時と表現されるのは不思議。
考えてみると天照大神を象徴する日の丸はもちろん、日本の信仰に関わる神社の社殿や鳥居まで、その多くが夕焼け空の色だったりしますね。
そんな夕陽の大禍時、なにか有名な岩戸神話と重なるものがあると感じました。
そもそも「日本書紀」の中で大禍時が高天ヶ原に具現したのは、天照大神が体験した岩戸神話のときだけです。
誓約で身の潔白を証明した天地開闢道統之七世之「秦」建速須佐之男命は、「河洛道統」~ 「高天原に居座った。そして、田の畔を壊して溝を埋めたり、御殿に乱暴を働いた。他の神は天照大御神に苦情をいうが、天照大御神は「考えがあってのことなのだ」と須佐之男命をかばった[1]。 しかし、天照大御神が機屋で神に奉げる衣を織っていたとき、建速須佐之男命が機屋の屋根に穴を開けて、皮を剥いだ馬を落とし入れたため、驚いた1人の天の服織女は梭(ひ)が陰部に刺さって死んでしまった。
ここで天照大御神は見畏みて、天岩戸に引き篭った。高天原も葦原中国も闇となり、さまざまな禍(まが)が発生した[2][3]。
そこで、八百万の神々が天の安河の川原に集まり、対応を相談した。思金神の案により、さまざまな儀式をおこなった。常世の長鳴鳥(鶏)を集めて鳴かせた。
第七段一書(一)では、この後、稚日女尊(わかひるめ)が清浄な機屋で神聖な衣を織っていると、素戔嗚尊が天斑駒の皮を逆さに剥ぎ御殿の中に投げ入れた。「稚日女尊は驚きて機墮ち所持せる梭によりて体を傷め神退(かむざ)りき」。
天照大神は素戔嗚尊に、「汝は黒心(きたなきこころ)あり。汝と相い見えんと欲(おも)わず」と語り、天石窟に入って磐戸を閉じた。「是に天下(あめのした)恆(つね)に闇(くら)く、また昼・夜の殊(わかち)無し」とある。
天照大神が岩戸に隠れるときは、夕やけ空から漆黒の闇夜へと変わっていった、そんな様子が想像できます。
ところで記紀をみても、天照大神が岩戸に閉じこもったとき、外界で何が起きたかは事細かには書いてないです。
国書に大禍時を書くのは、良くないことだと判断されたかもです。高貴な人物や物事に対しては、正中を外す、本名を口にしない、みたいなのと似たようなもので。
仮によく言われる通り、天照の岩戸隠れが皆既日食だとするとたったの数分ですが、神話によれば岩戸隠れの暗闇は常闇、ようするに長きにわたったとなるので、別ものなのかも。神話のおとぎ話だから、で話をまとめることもできるけれども。
ところで岩戸神話で分かる大禍時の情報は、
・高天原も葦原中国も闇となり、さまざまな禍(まが)が発生した
・天下(あめのした)恆(つね)に闇(くら)く、また昼・夜の殊(わかち)無し
読み取れるのはこのくらい。
しかし天照の引きこもり、素戔嗚命の黒心(きたなきこころ)などから察するに、禍、闇、疫病、物の怪、魑魅魍魎、絶望といったネガティブなものに覆われたと想像することは容易です。
だからこの大禍時が支配したものとは、「黄泉の世界観」そのものだったと考えておかしくないかと。
黄泉とはギリシア神話のハデス、仏教の地獄に対応するものと考えられるやつですよ。
天照大神が隠れたことにより、地獄が地上に顕現したと言えば間違ってないかもです。
いま2020年、世界に黄泉が湧いてるような常軌を逸したコロナ禍の事態は、黙示録の世界の終末の前兆現象とも例えられるので、岩戸隠れにも似てるのかと思ったりしました。
黄泉の世界の禍(まが)
この天岩戸神話で発生した禍、黄泉から帰還した伊弉諾命(いざなぎのみこと)の禊ぎ祓いの出来事にも関係していました。
神話では、黄泉の門を封じて帰還したイザナギは、日向の橘の小門(おど)の阿波岐原(あはきはら)の河原で禊ぎ祓いしました。
この行為によって三貴士(みはしらのうずのみこ)と呼ばれる最高神の天照、夜を治める月読、荒ぶる素戔嗚が生み出されたわけなのですが。
この時イザナギは、黄泉の成分から大禍津日神、八十禍津日神という、あらゆる悪・闇・疫病、混乱、魑魅魍魎、化け物、絶望的な要素を、高級お歳暮ギフトセットのごとくふんだんに配合した邪悪な神々まで、地上に誕生させていました。
これがいわゆる黄泉という地獄にまんべんなくはびこる成分、巣食う正体であり、岩戸隠れの時に発生した大禍時の正体もこれでした。
そもそも「三貴士は黄泉にルーツがある」ってことはあんまり考えなかったりしますが。でもこれは紛れもない事実だったりします。
イザナギが黄泉を訪れ、黄泉のエッセンスをたっぷり身体に染み込ませて誕生した神、それが天照大神を始めとする三貴士であったわけでした。
別の伝承では、天照の別名とされる大日孁貴神(おおひるめのむちのかみ)と月神が、地底から誕生してる描写もあるのです。このことからも、太陽神がなぜか地底の黄泉出身という妙な事実が判明するのでした。
だから月読が夜を支配し、素戔嗚が黒心を持ち、天照大神が闇に引きこもると地上が禍々しい姿に変わるという全てが、黄泉の要素が染み込んでいたわけなのですけどね。
ちなみに21世紀のリアルな人間の中でも、例えばとあるキーパーソン1人を絶望に追い込んで、その絶望を世界に波及させるみたいな、そんな呪詛的なことを闇の組織が真面目にやってる痕跡は見つかるのですが・・・・
ほかにも禍々しきものは、黄泉の中に見て取れたりします。
イザナギは出雲の黄泉比良坂をくだって、地底世界に降りますと、そこには妻だったイザナミがゾンビと化して、雷神が取り憑いてるといった香ばしい姿があったとか。
雷神
『古事記』に記された神話の中では、火之迦具土神を生んだ事で女陰を焼いて死んだ妻の伊邪那美命を追って伊邪那岐命が黄泉の国に下った際、伊邪那美命は黄泉の国の食物を食べた事により出る事が出来ないと伊邪那岐命に応じた。
しかし自分を追って黄泉まで来た伊邪那岐命の願いを叶え地上に戻るために黄泉の神に談判すると御殿に戻った。その後に何時まで経っても戻られぬ伊邪那美命の事が気になり、伊邪那岐命は櫛の歯に火を点けて御殿に入った。
そこで伊邪那岐命は、体に蛆が集かり、頭に大雷神、胸に火雷神、腹に黒雷神、女陰に咲(裂)雷神、左手に若雷神、右手に土雷神、左足に鳴雷神、右足に伏雷神の8柱の雷神(火雷大神)が生じている伊邪那美命の姿を見たとされる。
伊邪那美命の変わり果てた姿に恐れおののいた伊邪那岐命は黄泉の国から逃げ出したが、醜い姿を見られた伊邪那美命は恥をかかされたと黄泉の国の醜女に伊邪那岐命を追わせた。伊邪那岐命はそれを振り払ったが、伊邪那美命は今度は8柱の雷神に黄泉の軍勢を率いて追わせたとある。
イザナミという創造神の女神が、地底に落ちて邪悪な黄泉大神(よもつおおかみ)になるというのは、西洋で言えば、明けの明星ことルシファーが有名ですけども。
しかしなんで地底の黄泉の世界に雷神が関係するかというのは、ちょっと不思議に思うところ。
しかしその答えは単純冥界じゃなくて単純明快。
雷光が闇の象徴だからです。雷は四方八方に光を放つもので、闇夜の中でこそ真価を発揮するではないですか。
さらに雷というのは観察してみれば、天空から地上へと落下するもの。
これがまた天から地に落ちたルシファーをなぞる感じで、雷は地中深くに潜るものであると昔の人は考えたようです。
雷神は地底の黄泉に溜まり、それが黄泉大神にまとわりつくことは、至極自然な流れだったみたいな。
そしてイザナギは黄泉大神となったイザナミと、その手下である雷神軍団に追われました。
さらにまるっきりゾンビみたいな、黄泉醜女(よもつしこめ・よもつひさめ)という死者軍団にも、延々と追いかけられたりもしたわけです。
雷神も黄泉醜女も、天岩戸神話の大禍時に関係したと考えたりします。
天照の岩戸隠れの時に起きた大禍時
イザナギがまるっと体験しちゃった黄泉の出来事の流れ、そして天照大神が黄泉のエッセンスを取り入れてること踏まえると、天照大神が岩戸に隠れたときに何が起きたかは想像が付きました。
以下は日本書紀には記されてませんが、黄泉の神話から想定される、天の岩戸神話の大禍々時の内容です。
岩戸に天照大神が籠もるや、天地は黄昏時から闇に覆われ始め、禍々しい風景の中に黄泉大神がぬーんと姿をあらわした。
その黄泉の神は姿は無数の雷神をまとわせ、視線を合わせるだけで泡を吹いて死ぬかというほどおぞましいものであった。
八百万の神は恐れおののきながらも対峙するのであったが、闇の密度がブルドッグ特濃ソースほどまで濃すぎる中では、黄泉大神に真っ向から対抗する術は皆無だった。
それはかつて創造神であるイザナギですら、黄泉に下ればただその逃げ足とラッキーを披露するだけだった様子を鑑みればわかったりする。
地上に湧き上がり力を得てニタリと微笑む黄泉大神は、身にまとう八雷神を空中に放つと、黄泉の雷光が高天ヶ原の神々と、葦原の中つ国の青草人を襲い始めた。
さらにゾンビを地で行く黄泉醜女の軍団を黄泉比良坂より地上に溢れ出させて、天の神々と地を這う人々を襲わせ、あらゆるネガティブなものを地に満ちさせるのだった。
まさに阿鼻叫喚、ヨハネの黙示録の終わりが世に出たような惨状。大地は地獄のような惨状となるのだったが、八百万神の側は手をこまねいて暇つぶしをしてるばかりではなかった。思金神が黄泉の長鳴鶏を持ち出して鳴かせ出し、天照大神を呼び起こし、魑魅魍魎をひるませた。
天児屋根命(あめのこやね)が天香久山(あめのかぐやま)の榊(さかき)に八坂瓊之五百箇御統(やさかにのいほつみすまる)と八咫鏡などの神器を掛け、天照大神を無事に外に出し闇をしりぞける結界を築いた。
天鈿女命(あめのうずめ)が裸で舞い踊ることで、天照大神に失われた天の霊気をみなぎらせた。
天照大神を引き出せる力を持つ天手力男命(たぢからお)が、微笑みを取り戻した天照大神の手をとって、岩戸から外へといざなった。
そうした一連の儀式をすることで、闇の勢力に風穴をあけたのだ。
そして天の霊気をムンムンみなぎらせた天照大神が岩戸から出ると、その輝いて眩しい体から天照フラッシュを放射、世界を照らし出して禍々しい者を全て消滅させ、黄泉大神を地底の世界へ追いやるのだった。
(以上、ぜんぶ妄想)
大禍時に対抗できるのは、黄泉生まれの太陽神、天照大神だけだった、というわけです。
黄泉についての下りが、そのまんま鏡合わせのように高天原や芦原の中つ国(地上)に再現されていたと、そう考えるとしっくり来るではないですか。
大禍時を抑え込む目的で、天照大神を岩戸から出さなければいけなかった、これが天の岩戸神話に隠されている真髄だったりします。俺の中では。