最近は奇妙な第3次大戦の、真っ最中でした。
イザナギがさ迷った黄泉の世界。天照が岩戸に隠れて顕現した黄泉の世界。黄泉があふれ出ているような世界。
俺がいる場所の人々が狂い、俺を見る人々が狂い、自分自身が狂わされたのも、その一環なんだろうなーと思ったり。
去年からずっと汚い言葉が脳裏に湧いてしまう現象が止まりません。悪気はないのに、なんか湧いてきてしまう。ちょっと精神疾患みたいになってますが。電磁波的な現象だろうか。御免那差異。
諦めて堕落しきって、生活保護でだらだら生きることも可能だけれども。いまはやれる範囲で努力しようかと。
○いつも助かっております
パルミラの三神と日本の三神
古代の中東では、パルミラが有名だったりしますね。なんか破壊されたらしいですが。
そのパルミラで崇拝された神は、太陽、月、嵐の神、三柱を崇めていたようでした。
パルミラの三神については、wikipediaに画像があったので、引用しています。以下の写真はルーブル美術館所蔵のレリーフで、左がアグリボル、中央がバアル、右がマラクベル。日本の三貴子図とは、神の配置が違っていますが、太陽神、月神、荒(嵐)神という三神の属性が共通しています。
ようするに、日・月・嵐の神をワンセットにしてたパルミラと、古代の日本は、全く同じ信仰を持っていた。
日本では太陽の天照大神、月の月読命、荒ぶる素戔男尊(スサノオ)という、いわゆる三貴士(みはしらのうずのみこ)。
これは偶然こうなったのではなく、必然的なことだったんではないかと。
なぜなら、日本の建国主の系譜をたどれば、シュメール、イスラエル、エジプト、ギリシャ、トルコとか、あちらのほう出身だったから。色々と日本文化とあちらの文化が整合するのは全然偶発的なんかじゃないと思っています。
ところで太陽と月は地球からみると全く同じサイズで、光を放つという共通点があるんですが。
荒ぶる神のバアル、スサノオは、ちょっと狂暴な荒ぶるおっさん神様。なのになんで太陽と月と、セットになってるのだろう?
スサノオと嵐と雷光
「日本書紀」によれば、イザナギが黄泉から帰還したとき、日向の小戸の橘の阿波岐原で禊ぎをしたとか。その時に左目を洗うと天照が、右目を洗うと月読が、鼻を洗うとスサノオが生まれたとかありました。
別伝では、オオヒルメ(天照)と月読は地から生まれて、イザナギがたてた天御柱から天空に上げられたとか。
どちらにしても日本の最高神は、地底から誕生して、イザナギにより天の支配者とされてるのですよ。
これは天照が岩戸神話で地中に隠れた話とも、整合性のあるお話し。天照は地底の黄泉生まれだから、岩戸神話で地底に戻ったわけなのです。
スサノオについても、根の国(地底・黄泉)を支配する者であるから、やはり天照同様でした。
地底には雷神がいたという話が、黄泉の物語に登場したりもします。空にとどろき光が駆ける雷が、なんで地底にいるんだよと。
これも、雷とは「天から地に落ちるもの」であり、雷は地底に溜まり、地中に留まるものと、解釈がされたからです。
それはともかく。
スサノオが荒ぶる神であることは、鼻に関係してました。
鼻とは酸素で生きる生物の呼吸の要であり、息とは時に激しくなり、風を起こすもの、だから。
鼻→鼻息→息→風→嵐→荒→荒ぶ(すさ)→スサノオ
という感じで、スサノオは鼻と関連ついてました。さらに以下のような解釈ができます。
スサノオ→荒(すさ)→荒天→雷雲→雷→雷光
悪天候といえば、雷、雷光が発生するもの。
スサノオといえば出雲で、八雲たつ出雲。雲とは時に雷雲を発生させる。
さらにスサノオがヤマタノオロチを退治して手にした、草薙剣。三種神器でしたが、別名を天叢雲剣、雲でした。
実際に雲を発生させる神器で、アロンの杖との共通点については、以前に記事に書いてました。
そして雷神は地底の黄泉にいた話と、スサノオが地底の支配者であること、雷を伴う嵐の神であることは、ぜんぶ繋がるというわけでした。
実は中東のバアルも、嵐の神であり、雷を司る存在だった。まさにスサノオのバアル説は、信憑性が高いお話しでした。
三貴士は光に通じる
すると三貴士は、「光繋がり」なのが明らかではないですか。
日光 天照
月光 月読
雷光 須佐之男
昼の光、夜の光、嵐の光。
光は闇を照らすので、むかしから尊ばれていました。
俺も明るい人生設計みたいな無縁なものを、体験してみたいものです。
ところで、一つの疑問があるのですが。
「天照大神以前には太陽神はいなかったので、暗かったのか?」と。これ、以前どっかで書いてたかと思いますが、太陽というのは実は日本神話では複数回登場してるのです。
「太陽が複数あった」とか言うとファンタジーですが、実際にあっても不思議はないかと思います。
天照以前に高天原を照らした、太陽みたいな神様。ちょっと気になるのでまた調べます。
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