たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅お仕事中。

モーセ五書と「伊邪那岐の黄泉の物語」を比較するとわかる一致。イザナギモーセ

今回は久しぶりに、日ユ同祖論に関する妄想です。これの一部は何年も前に一部だけ書いたんですが、2022年版はわりと集大成な感じになってしまいました。

日本神話は国内と大陸の出来事の融合なのですが、イザナギの中にはモーセが隠れていてることを証明します。

 

助かつております

 

 

 

イザナギの黄泉紀行をみる

 

イザナギ - Wikipedia

 

では古事記日本書紀にある、イザナギの黄泉紀行をちょっとあらすじ。

 

火の神カグツチを生む時に焼かれた妻イザナミが亡くなり、黄泉(よみ)へ旅立った。するとイザナギは妻を追って、黄泉の世界に足を踏み入れてしまった。

しかし黄泉で再会した妻は、全身が腐り雷神が巣食う化け物の黄泉大神となって、旦那を殺しにかかるのだった。恐妻か。

絶望と恐怖を抱いたイザナギは、黄泉から一目散に逃げ出した。しかし黄泉大神は死者の軍を操り、イザナギをぶち殺そうと追いすがる。

イザナギは様々な技や能力を駆使して、命からがら脱出するのだった。そしてイザナギは、日向の檍原(あわきはら)で禊ぎ祓いをし、数多くの神と三貴士(アマテラス、ツクヨミスサノオ」)を生み出した。

こんなふうに、なかなか面白いストーリーになってるのです。

 

 

モーセ五書モーセの物語を見る

 

では「旧約聖書」の出エジプト記にある、モーセ(モーゼ)の脱出劇のあらすじも見てみます。

エジプトで奴隷となっていた、ヘブライ人(イスラエル人)の中に現れたモーセ。やがて燃える柴の前で神に出会い杖(アロンの杖)を得ると、ヘブライ人の奴隷解放を求め、エジプト国王(パロ)と敵対することになる。神は十の災いを起こして、国中を破壊した。

モーセ率いるヘブライの民はエジプトを脱出するのだが、パロは軍隊を率いて追いかけ殺そうとする。モーセは神の杖の力を借りて海を割り、海底を歩いて逃げていく。軍隊も後に続くのだが、彼らは海に飲み込まれてしまうのだった。

このあとモーセらはシナイ山へと向かい、マナの壺や十戒石板を授かる。

モーセはカナンまであと一歩のところで亡くなるのだが、子孫たちは目的地カナンにたどり着くのだった。

Ten Commandments - Wikipedia

 

まぁ普通は日本書紀と聖書は、何の関連もないだろうと思ってしまいますね。

しかし実はイザナギの「黄泉からの脱出」と、モーセの「エジプトからの脱出」は、テーマや流れが非常に似通っていると思っています。

実際比較神話学では、そのことは既に知られてることですし。

比較神話学の見地から見るとイザナギイザナミ神話は各地の様々な神話を組み合わせて形成されたと考えられている[8]。

出典:少年社、後藤然、渡辺裕之、羽上田昌彦 『神道の本 八百万の神々がつどう秘教的祭祀の世界』 学研

イザナミ - Wikipedia

ここにある「各地の様々な神話」の中の中心に、旧約聖書があったと考えているところです。

 

 

黄泉とケメト

 

黄泉(よみ)がエジプトに対応してる理由の1つには、地名の一致があります。

古代にエジプトは歴史上、ローマ時代にはアイギュプトスと呼ばれ、その後はミスルとかエジプトになったのです。エジプトという国名は、アイギュプトスが転訛したものだったとか。

それ以前はどうだったか。紀元前15世紀頃には、ケメト(kemet)の名がありました。モーセが実在した時代は紀元前12世紀とかそのあたりなんじゃね?とか言われますが、その頃もケメトだったわけでした。

一方でイザナギが向かった黄泉ですが、これは日本古来の地名として知られています。出雲に黄泉の出口である伊賦夜坂(いふやさか)があり、これが黄泉平坂であると言われています。だから出雲あたりの地下に黄泉があるんだなとか、思うわけですが。

しかしモーセイザナギの物語が同じなら、黄泉もなんかヒントになってるんじゃないかなと。

そこで黄泉がよみではなく「キミ」と読めることに注目。

黄泉

キ-ミ

ke-met

そうなのです、イザナギが向かった世界はケメトに対応しているから、黄泉(きみ)が当てられているというわけです。

 

 

モーセイザナギの出来事の一致点を見出す

 

イザナギが黄泉から脱出するシーンが、モーゼがエジプトから脱出するシーンに合致してます。

そうならば、「旧約聖書日本書紀の文章そのものが一致する」はずですね。

これは古文献の流れや、登場する神様の名前を見ると、分かることでした。

 

 

(1)イザナギ天安河原(’あめのやすのかわら)から黄泉へ向かう

モーセがミディアンからエジプトへ向かう場面に一致

 

ミディアンは、モーセが幼少の頃に過ごした土地でした。ここはサウジアラビア北西部のタブーク州だとか。

ここで地名に注目してみたいのですが。

天安河原・・・天安・・・テンアン

ミディアン・・・ディアン・・・テンアン

という風に天安河原モーセが過ごしたミディアンを指しているように見えるのですが。

偶然じゃないような。

 

(2)イザナミの体に虫がたかり、声はむせびふさがり、八雷神が取り憑いた姿

モーセが神の杖を使い十の災いを起こす場面に一致

 

黄泉大神の姿と、十の災いを比較してみる。

黄泉大神の姿 十の災い

・体が腐れ  = 腫れ物ができた

・蛆がたかり = 害虫が大発生し食害

・大雷 = 大規模な落雷が発生した

・土雷 = 土からぶよが大発生した

・黒雷 = 暗闇に覆われ続けた

・火雷 = 落雷から火災が発生した

・折雷 = 雹が降り作物は悉く折られた

・若雷 = エジプトの幼子(長子)は殺された

・鳴雷 = ナル=ナイル?の水が血に変化。或いは雷鳴や虫の羽音や狂騒

・伏雷 = 疫病で家畜が伏せた(死んだ)

ここでいう雷が災いのことでした。まぁ個人的な妄想の解釈も含まれていますが。

黒は闇、折は雹で作物が折られた、若は若子に関する、伏は死んだ意味だと、なんとなく分かりませんか。

かなり一致してるんではないかと思われますね。

 

(3)イザナギの逃走

モーセヘブライ人の逃走劇に一致

この部分で一致してるなぁと、最初に気がついたわけです。

 

(4)八雷神と黄泉醜女(よもつしこめ)がイザナギを追撃する

パロの戦車と兵隊が、モーセを追撃する場面に一致

 

たぶん「日本書紀」にでてくる八雷神(ほのいかづちのかみ)という名前が、パロ(王)に対応するんです。

八雷・・・パライ

パロ・・・パロ

それで雷神と言わず、わざわざ「八」を付けてあるわけです。

まぁ追ってくる軍隊は、醜女みたいな奴等だったんでしょうかね。

 

(5)黄泉比良坂を通過する

モーセの神の杖が海を割り、人々が渡った場面に一致

 

わたすはこの黄泉比良坂が、モーセが奇跡を起こし海を渡る場面だと思ってますが。それには理由があります。

日本書紀」を見ればイザナギの逃走中、幾柱もの神々が登場するのです。それらの神の名がモーセの渡海を表すと見られるからなんですよ。では解釈してみると、

 

・岐神(ふなと)イザナギが杖を投げると岐神になった。これはモーセが神の杖を持って、船戸=海辺に立ったことに一致

・長道磐神(ながちは)イザナギが帯を投げ現れた神。モーセの道のりが長いことに一致

・煩神(わづらひ)イザナギが衣を投げて現れた神。モーセが軍の追撃をかわす道のりは、とても煩わしいことに一致

・開囓神(あきぐひ)イザナギが袴(はかま)を投げて現れた神。モーセヘブライ人は、海中に開かれた口に食われるように進んだことに一致

・道敷神(ちしき)イザナギが靴を投げて現れた神。モーセと神が道を作り、足を進めたことに一致。

・道返大神(ちがえし)イザナギが黄泉の坂を封じた岩の神。モーセらが海を抜けた時に道を閉じ、軍隊を海に封じた(道を返す=道を閉ざした)ことを示す。

・千引の岩(ちびき)道返大神の別名。イザナギは千人が引いて動くほどの大岩で坂道を塞いだ。モーゼは千人単位の人々を率いたことを示す。

・渡海の場所はナイル川デルタの場合。古代にケメトのナイル川はiteru(イテル)川だった。一方で黄泉比良坂伝承地は伊賦夜坂であるが、これは出雲にある。

iteru

イテル

出る(いでる) 雲

モーセが海を渡った地点は、地中海沿岸の浅い海か、ナイル川(イテル川)の下流域だったと言われてます。自然現象で海が割れたと説明する向きがあるんですが、奇跡を起こす機械的なものがあってもおかしくないんじゃないかなと思うこの頃です。

それで、出雲は「出る(いでる)雲」だから。ケメトの「イテル」とすれば、黄泉が出雲にあることに一致してるし、発音も近いではないですか。

古事記」だと禊ぎの後に出てくる神に一致してますが。年月が経過したので曖昧になっているのは仕方ないところです。

とにかく黄泉比良坂とは「モーセの神が海に作った逃げ道」というわけです。

 

(6)イザナギは海を抜けた後、日向の橘の檍原に向かい、みそぎ払いした

モーセはエジプトを脱出し、シナイ山に移動してすごしたことに一致

 

シナイ山 - Wikipedia

黄泉から脱出したイザナギが禊ぎをしたのが、筑紫の日向の橘(たちばな)の小戸(おど)の阿波岐原(あわきはら/檍原)です。ここは宮崎市阿波岐原町産母の江田神社のあたりだと言われています。

日本書紀」にシナイという名前は無いみたいで、対応シナイのですが。

シナイ山と日向の阿波岐原は、関連つく土地なようです。

シナイ山はホレブ山、ジェベルムーサ山、ラウズ山など別名が多いですが、いずれも対応はしませんね。残念。

しかし日向の形は古代イスラエルなことは、以前に解説しました。シナイ半島イスラエルのすぐ近くです。

そして阿波岐原がもしアーク原だったら?

阿波岐原

アハキ

アーキ

アーク(十戒石板を納めた聖櫃)

そうすると阿波岐原はアーク原であり、十戒を受け取りアークを作ったシナイ山を表しているようですね。

すると小戸(おど)はエドムかと思いました。紀元前7世紀、シナイ半島シナイ山あたりまで、エドム国の領域になってたので(世界史年表地図によると)。

まぁ妄想なんですけどね。

そういえば、イザナギが生んだ神に級長津彦命(しなつひこ)がいて、風の神でした。風といえば乾燥。乾燥といえば砂漠。シナイ半島は乾燥した風が吹きつける砂漠。ということで、しなつひこ。ということなのかもしれない。

 

(7)イザナギは三貴士を生み出した

モーセシナイ山で、神から三種の神器を授かったことに一致する。

 

三貴士とは、イザナギが右目と左目と鼻を洗ったことで生まれた、天照大神、月読尊、素戔嗚命のことです。

日本の天皇が受け継ぐ「三種の神器」のうち、八咫鏡八尺瓊勾玉は天照の所有物、草薙の剣はスサノオの所有物でした。いわば三貴士こそが、本来の三種の神器の保持者をあらわします(まぁ月読尊は所有者じゃなくて、丼斗魚利ーな感じですけども)。

いわばイザナギが三貴士を生んだことは、三種の神器の誕生と係わるわけです。

一方でイスラエル三種の神器といえば、アークに納められた十戒石版、アロンの杖、マナの壺。

これらのうち十戒石板はモーセシナイ山の頂上で神から授けられたものであり、マナの壺はシンの荒野という場所で神に与えられたものでした。

これらのうち、アロンの杖は草薙剣、石板はヤタの鏡、マナの壺が勾玉に一致すると考えられます。

そしてイザナギ天照大神高天原を治めよ、月読尊は蒼海原を治めよ、素戔嗚命は天下を治めよと言っています。これがモーセヨシュアに対して後継者となり、カナンの地へ入るように言ったことに対応するのかと。

 

(8)イザナギのみそぎでは禍々しい神と穢れを祓う神も現れた

モーセに付き従ってきた人々の反乱と鎮圧に一致する

 

イザナギが黄泉から持ち込んだ黄泉のエキスから、八十禍津日(やそまがつひ)、大禍津日という忌々しい神が出てしまいました。そこで神直日神、大直日神といった穢れを祓う神も現れて、静められた出来事がありました。

これは旧約聖書では、以下の出来事に一致するような。

モーセシナイ山で石板を授かったあとに下山すると、アロンと人々が金の牛の像を作って崇めているのを見ました。自分たちの神でなく、禁止されてる偶像を崇拝していたのでモーセはキレて石板を破壊し「大いなる罪だ」と言っていたんです。

これが古事記に登場する「大禍津日(大いなる災の日)」のことなのかもしれないなと思ったりします。しかしせっかく神さまに貰った石板、破壊しちゃっていいのかとつっこみどころですね。怒られた人々は猛省(もーせー)したとか、モーセなだけに😓。

 

(9)イザナギは晩年に淡路島の多賀の幽宮で過ごした

モーセヨルダン川近くのネボ山で死に、モアブの谷に葬られたことに一致。

 

多賀の幽宮(かくれみや、かくりのみや)は、いまの伊弉諾神宮だと言われています。

モーセが亡くなった場所はネボ山で、モアブの谷に墓所があるんだとか。しかしその場所は行方不明になってるようです。

モアブの「アフ」が、もしかすると淡路の「淡(アフ)」に合わせてあるのではないかと。

伊弉諾神宮境内の末社に根神社があり、これがネボ山に対応するのかもしれません。「ネ」だけなんとか覚えてたのかも根。

モアブ・・・アブ・・・アフ

淡路・・・淡・・・アフ

 

ネボ山・・・ネボ

根神社・・・根(ネ)

するとイスラエルのモアブ谷に、タガやカクレみたいな地名があれば、そこにモーゼの墓があるかもしれないです。妄想ですけども。

 

 

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というわけで

 

むかしから記紀旧約聖書の古代日本版なのではないかと、仰る人がチラホラといました。こうして見ていくと、確かに似すぎているなと感じるところがあります。

旧約聖書の伝承地を、日本各地に当てはめている、となると意外に思うところですが。

まぁ日本神話が聖書だとすると、かなりの独自進化バージョンであるのは間違いないところ。何しろ別の日本や大陸の伝承神話まで、記紀神話のなかに融合しちゃていますので。

このイザナギモーセの伝承が一致するのは単なる妄想かもしれないですが、興味深いことだと思っています。

 

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