前回
の続きっぽい。
前回は「イザナギの逃走劇とは、モーセとヘブライの民の逃走劇(出エジプト)に等しい」という結論を導きました。
つまり先祖の逃走があってこそ、今の世界があるということでした。「逃げるが勝ち」というのはもしかしてイザナギやモーセが起源なのかもしれないなと。
人が物事から逃げると嘲笑する風潮っていうのは、勝者の理論かもしれないですが、神様は弱者の立場を応援する傾向があったわけなのでした。
それにしても日ユ同祖論とは、「英単語が漢字に置き換えられたようなもの」ではないかと。漢字化していても、調べれば中身が似たものだとわかってくるみたいな。
さて、イザナギの逃走劇が、モーセ率いるヘブライ人(イスラエル人)の出エジプトであるとしたら、それの前後に起きている出来事も同じで然るべきでした。
だからエジプトで起きた「十の災い」も、イザナギの描写に含まれているのではないかと。
○いつも助かっております
十の災い
災いの内容について
出エジプト記に記載されており、概要は以下の通り[1]。
なお、理由は定かではないがローマ時代にこれらを説明しているフラウィウス・ヨセフスの『ユダヤ古代誌』と偽フィロンの『聖書古代誌』といった本の記述では4番目の災いに当たるものがヘブライ語の記述とも七十人訳聖書の「犬蝿」とも異なり、「様々な種類の野獣」としている[注釈 1]
1.ナイル川の水を血に変える(7:14-25)
2.蛙を放つ(8:1-15)
3.ぶよを放つ(8:16-19)[注釈 2]
4.虻を放つ(8:20-32)
5.家畜に疫病を流行らせる(9:1-7)
6.腫れ物を生じさせる(9:8-12)
7.雹を降らせる(9:13-35)
8.蝗を放つ(10:1-20)
9.暗闇でエジプトを覆う(10:21-29)
10.長子を皆殺しする(11章、12:29-33)
古代エジプトでモーセとアロンが、神の杖を使って見せた神業というのはこんな感じでした。魔法、魔術といわれるものですが、日本神話でも魔法的な描写はかなり多いようです。
では記紀神話に、モーセらが起こした「十の災い」が、そのまんま入ってるかと言えば、何処にも入ってませんでした。
ちゃんちゃん。おわり。
・・・しかし記紀神話からは、何か十の災いに似通った流れみたいなものは、感じ取れて来るので、まだ終わらせません。
旧約聖書の十の災いの分類
まずエジプトで起きた十の災いを分類してみます。十の災いは、生物の大量発生、気象現象、疫病などに大別できることがわかります。
・生物の大量発生系: 2蛙、3ぶよ、4虻、8蝗(いなご)
・気象現象系: 7雹、9暗闇
・病気系: 5家畜の疫病、6腫れ物
・その他: 1川の水が血に、10長子皆殺し
ということに。
目立って生物の大量発生系の神業が最も多く、とくに昆虫が3つを占めていました。気象現象や疫病も複数ありました。
その他、川の水が血になるのは、自然現象に含められるかもしれません。近頃も世界のあちこちで、水が赤くなる現象が報告されてますが、それは有害な工場排水だったり、なんらかの物質の化学反応だったり、生物由来の現象(赤潮や生物の大量死に寄る血液)だったりするわけです。
エジプトの長子だけを皆殺しにしたというのは、自然のチカラでは不可能なことですが、単純な子供が死ぬという話に置き換えれば、病気に含めて良いかも知れないです。
これらに似た現象が、記紀神話のイザナギの黄泉下りの記述から、出てくるかどうかを探しました。
苦難
紀元前2,000年頃、エジプトにはヘブライの指導者ヨセフがいました。ヨセフの兄弟と一家は飢饉に苦しんでいましたが、実り多いエジプトへ移住することで飢饉を逃れて当初は優遇され、苦しみと無縁になりました。しかしヨセフがいなくなって数百年後、彼らは奴隷となってこき使われていました。その子孫のモーセ が、時のファラオと対立する場面は、彼らの苦難の歴史を表しました。
それに対して、イザナミが死んだ後、イザナギが黄泉の国へ追いかけて行くと、魑魅魍魎の親分と化したイザナミが。2人が出会う出来事は、イザナギにとっての苦難であり、これらを以てモーセらの苦難に対応させたのではないか考えられました。
なにしろその後、両者とも苦難の地から逃げているのだから。
生物の大量発生
記紀神話を読んでいくと、最初に昆虫の文字が登場するのは、国生みの時の「蛭児・水蛭子」ですが、これは神の名に蛭が使われているのでした。
明確に「昆虫が昆虫のままに登場する」場面は、イザナギが黄泉の世界に入ってからの場面です。
「日本書紀」によれば、腐ったゾンビと化したとイザナミの体には、うじが湧いていたと書いています。これにより「生物の大量発生」が表されていました。
気象現象
イザナミは、八種の雷神を体にまとっていたと書いてあります。雷という気象現象で、旧約聖書の十の災いの雹が降る出来事に対応しているようです。どちらも雨雲、積乱雲など雲から発生する気象現象です。あるいは「様々な種類の野獣」とは雷神により表されているかも。
疫病
イザナミの肉体は腐って虫がわき、まるで疫病の患者の成れの果てみたいな姿でした。これが、十の災いの各種の疫病発生に対応していました。
暗闇
イザナミは、地下空間の暗闇のなかにいました。ここで十の災いの暗闇の要素に対応しています。
不思議な神技
モーセとアロンは、ファラオに対して、神の杖を用いて十の災いという不思議な技を見せつけました。それに対応させていると見られるのが、イザナギがイザナミから逃走する時の描写です。
蔓草の飾りを投げて葡萄に变化させ、爪櫛を投げて筍(たけのこ)に变化させ、放尿して大河に变化させたなどの魔法の数々で、ゾンビの泉津日狭女軍団から逃げ延びました。
禍事
ここまで読んでみて、「10個ないじゃん」と思ったかもしれないですね。
しかしここは10個とかそういう数で数える出来事じゃなく、全てを1つとして捉えたほうがいい出来事かもしれません。
エジプトの古代名としては、ミスルだとかケムトなんていう呼び名もありました。「旧約聖書」では古代エジプトを「ミツライム」と呼んでいました。
それで十の災いは、原語では「makot mitzraiym」と表記し、英語ではPlagues of Egypt(エジプトの疫病)と呼ばれています。10という数字を用いず、全ての災いを、ひとつの出来事としてひとくくりにしているからです。だから日本で言われているところの「十の災い」とはニュアンスが違うのです。
マコト・ミツライム(疫病 エジプト)というのは、なにか日本語的な響きだと思いました。なぜならマコトは「誠」「実」であり、ミツライムという地名も何か日本神話に似た響きを見い出せるから。美豆良、御稜威、見辛い、忌む?
マコトは濁らせればマゴトですが、これは「禍事(まがごと)」を縮めたような響きをもっています。現代人は「禍々しい」と畳語(繰り返し語)でしか使われない「禍」は、日本の古代にあっては「災い、災厄、不幸」の意味で使われました。
疫病と言えば悪性の伝染病のことで、これを古代の日本では禍事の要素に含めて、恐れられていました。
要するに比較してみれば、
古代エジプト語 makot(疫病=禍事)
日本語 magoto(禍事=災い、疫病)
というふうに、両者は似通った意味合いを 備えていたのですね。もしかして古代エジプト語が日本語の中に入っているんではないか、そういった仮説に関わる見方です。
とすると古代の倭人の髪型「美豆良(角髪)」というのも、ミツライムの髪型だったから美豆良と言っていておかしくない気がしました。なにしろ古代エジプトの王族や、イスラエル人は、美豆良みたいな髪型をしていたのだから。
話の流れの一致
ではこれまでのまとめ。話の流れが一致しているところを、答え合わせ。
日本神話
1ヨセフがエジプトへ行く
1伊弉冊(イザナミ)が黄泉へ行く
2ヨセフの兄弟がエジプトへ行く
3両者はエジプトで出会う
3両者は黄泉で出会う
4イスラエル人が奴隷になる
4イザナミが黄泉に囚われる
5十の災い(疫病や不幸)
5イザナミの体の状態が疫病や不幸を表す
6モーセと民のエジプトからの逃走
6イザナギの黄泉からの逃走
7葦の海の奇跡
7ここでイザナギが生み出した神々の名に、葦の海の奇跡が描写されていた(前回の記事)
8新天地(シナイ半島)にたどり着く
8日向の檍原にたどり着き、禊ぎ祓いをする
というふうに旧約聖書のヨセフからモーセまでの物語が、イザナギの出来事に一致するのではないかと。これは日ユ同祖論的に言えば、日本神話は旧約聖書の形を変えて、取り込んでいるという話になりそうです。
しかし日本に入り込んだ他の大民族の神話や、日本列島の出来事や地名と一体化しているために、分かりづらいものに なっていると。そういった気がしています。
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