日本神話の内容や成立には謎が多いですが、今回ちょっと素戔嗚尊(すさのおのみこと)のことで、思いついたことがありました。
ポチでたすかっております
三貴士は黄泉の成分を持って生まれた
日本神話は大陸神話との融合でした。肝心要の天照の誕生も、じつは中国神話を取り込んでいたりしました。
黄泉の神話によると、イザナギは黄泉に出向いたことで、黄泉の成分を体に取り込んでしまいました。それで黄泉から帰還した後に、日向の阿波岐原(あわきはら)で禊祓いをして、黄泉の穢れを洗い流したというわけでした。
その時に天照は左目を洗って誕生し、月読は右目を洗って誕生。素戔嗚尊(すさのおのみこと)は鼻を洗って誕生したわけでした。
だから天照、月読、素戔嗚という三貴士(みはしらのうずのみこ)が、黄泉の成分を持って生まれたのが明らかです。
それは天照が天の岩戸という「地底世界」に閉じ込もった神話を見ても、整合性が取れたりしますし。天照は地底という、生まれた場所に戻ってしまったわけなのです。
また別の三貴士の誕生説によると、天照=太陽、月読=月は大地から誕生し、イザナギにより天御柱から天に上げられたとあるのです。
つまり黄泉の地底から生まれて、空に上げられたことが、示されてるということ。
え?地底から、太陽と月が生まれた?
まぁちょっと変だと思われることですね。しかし桃太郎は桃から生まれていると伝えられたのと、同じようなもんではないかと。
インドの「リグ・ヴェーダ」には原初にはプルシャが存在したと言われ、プルシャから太陽や月や全てが誕生したとか。なんだか盤古に似てますね。
あと地底世界アガルタの伝承は、ちょっと出どころが怪しいとも言われてるのですが。アガルタには地底に太陽のような光源があったとか言います。
重要なのが中国の道教などで伝わってた盤古の神話ですが。大地である盤古の体内から、太陽と月が生み出されているとあって、プルシャの神話と完全に同一の要素があったりするのです。
素戔嗚は盤古=地球だった
三貴士の三柱の神は、天照大神が太陽で左目、月読が月で右目で、どっちも球体をあらわすもの。それに対して素戔嗚だけが鼻から生まれたのが気になります。鼻は三角型、三角錐の形で表されたりしますが。
それに太陽と月が太陽系の天体なのだから、スサノオも太陽系の天体でなければ、三者は釣り合わないではないかと思いますね。
じつは「素戔嗚=地球である」という話は、むかしの日本に存在したのです。それは中国の盤古(ばんこ)の神話に関係する解釈で。
以下に盤古の神話を引用している、「簠簋内伝(ほきないでん)」を取り上げます。これは陰陽道の書物であり、10世紀の陰陽師だった安倍晴明が編纂したものだったとか。
簠簋内伝の一部
天は初めにはその形が無く地もまたその姿かたちを持ってはいなかった。その様子は鶏卵のように丸くひとかたまりであった(宇宙卵生説)。この天地の様態のことを「最初の伽羅卵」という。
この時、計り知れない大きさの蒼々たる天が開き、広々とした地が闢いた。そして、これら天地に生まれた万物を博載することの限りなさは想像すらできない。
盤牛王はその世界の原初の人であった。その身の丈は十六万八千由旬であり、その円い顔を天となし、方形の足を地となした。そりたつ胸を猛火とし、蕩蕩たる腹を四海となした。頭は阿迦尼吒天に達し、足は金輪際の底獄に、左手は東弗婆提国に、右手は西瞿陀尼国にまで届いた。顔は南閻浮提国を覆い、尻は北鬱単越国を支えた。
この世の万物で盤牛王から生じなかったものは一切ない。彼の左目は太陽となり、右目は月となった。
といったふうに創造神である盤牛王(盤古)の神話は、日本の天地開闢のシーンにもよく似ているし、しかも日神と月神の誕生までを包括してたんです。
盤古の左目から太陽が生まれ、右目から月が生まれているのは、日本神話とまるで一緒です。
太陽 天照 左目 球体
月 月読 右目 球体
地球 素戔嗚 鼻 三角錐
古代には盤牛王=盤古とは、地球を表している存在でした。
盤牛王は円い顔、方形の足、金輪際の底獄みたいな不思議な形状ですが。平面な大地の上にドームがあって、角や足の生えて台座のある姿を総合すると、どうやら丸みを帯びたピラミッド、仏教の須弥山になるようです。
須弥山は全体として見れば三角錐の形をしていて、平面の皿のような地上世界があり、それが実は地球そのものであるという解釈になります。であるとすれば地球のフラットアース説を元にしているわけですが。
須弥山の形状=鼻ではないですか。
「イザナギの鼻を洗って素戔嗚(すさのお)が生まれた」のと、鼻が須弥山=盤古の形状なのは関係があったんでしょうね。
古来より本地垂迹説では、素戔嗚が牛頭天王(ごずてんのう)と同一視されて「牛の王」であり、盤牛王と完全に一致するのもうなづけます。
日本神話の中でも、素戔嗚が地球そのものであると言う記述は、実は存在してました。
素戔嗚は暴風雨をもたらす存在で、それで荒ぶる神や嵐の神と言われているのですが。素戔嗚は地上の全ての暴風雨をつかさどるわけだから、地球の覇者、地球そのものを表すと解釈できる感じがしました。
記紀を読むとイザナギが素戔嗚を生んだ時、「素戔嗚は葦原の中つ国と海原を治めよ」みたいに言っているのですよね。葦原の中つ国とは古代の日本の異称ですが、古代の日本では、地上の全てを表す言葉でもあります。海原とは全ての海のことです。地底世界の「根の堅州国」までも治めていました。
盤古(盤牛王)
牛の王
支配地:地球の全て
須弥山の形
牛頭天王(牛の王)
支配地:地上と冥界と海(地球の全て)
鼻:須弥山の形
ということで、素戔嗚尊は当初は地球そのものを表しており、盤古であったいうことは、揺るぎない印象を受けるわけなのでした。
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素戔嗚は地球そのものから人型の神となった
ということは盤古=素戔嗚が、地球型から人型神に変わったということになるようです。
人型をした素戔嗚の神格、神性というものを見れば、「荒ぶる神、悪神、嵐の神、冥界の神、武神、邪気祓いの神、正義の神」といった感じのようです。
高天原では最初は天照大神の妨害をする悪神でありましたが、高天原を追放されたあと八岐大蛇(やまたのおろち)を退治して人助けをしました。これによって素戔嗚尊は堕落した状態から一転し、正義を司る救世主に変化したのでした。
素戔嗚とは地球=盤古から生まれた分身体、あるいは盤古の生まれ変わりの姿であるという事ができます。
これは太陽の分身体が人型の天照大神で、月の分身体が人型の月読であるのと同じと考えれば、おかしくないことでした。
太陽→ 天照大神という人型の神
月 → 月読という人型の神
地球→ 素戔嗚という人型の神
古代の段階で、素戔嗚尊の地球型としての姿は、おそらく神世七代とよばれる原初の神々のほうに受け継がれたかもしれません。とくに国常立という原初の神が、盤古であり原初の素戔嗚尊(地球)なのだろうかと思ったりもします。
盤古をもとにした地球型素戔嗚があり、しかし三貴士に素戔嗚を組み込むがために、素戔嗚を人型の神としたのかと。そういった神話の基礎が作られたのがいつの時代だったかは不明ですけども。
しかも素戔嗚尊は古代の段階で、中東の神であるバアルだとか、サタンなどの大陸の他の神や大いなる存在までも習合してるようです。なんか素戔嗚を見ると1枚のしっかりした岩という感じは全然なくて、幾つもを組み合わせて素戔嗚になっているんですよね。
日本列島の有力者をも取り込んで、今の姿になってるんじゃないかと。素戔嗚が幾多の神の集合体であるのは、紛れもない事実だろうなと思ったりします。
高天原という場所自体も、宇宙に浮かぶもの、大陸の特別な山、古代中東やギリシャのエリアなどを、色々集合したものじゃないかと思ったりするのですが。
そういえば素戔嗚尊が地球であるなら、「地球が高天原から追放されたのか?」という疑問があるのですが。
素戔嗚=地球って、別の所から現在の空間に飛んできた情報も、含んでいるような気がします。まぁ素戔嗚尊とは、とってもカオスな存在なのでした。
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