たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅お仕事中。

モーセの出エジプトと「イザナギの出黄泉」は同じだった

死ぬほど苦しくなって、もうそろそろ黄泉から醜女のお迎えが来るのかと思っていたら、あれよあれよと3週間生きてます。

ということで、黄泉言えばイザナギイザナミのことを思い出したので、ちょっと日ユ同祖論ネタで。

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The Ten Commandments (1956 film) - Wikipedia

 

○いつも助かっております

 

 

 

イザナギイザナミに習合された大陸神話

 

かねてより日ユ同祖論では、日本の神代の世界に、旧約聖書の世界観までもが習合されていると言われてきました。 

そこでこんな等式が成り立つのではないかと。

神世=日本列島の出来事+大陸の伝承や祖先の出来事(旧約聖書含む

中央アジアにあった、素戔嗚命と八岐大蛇退治の神話

 

イザナギイザナミというのは特に「イザ」の名を持つことで、イザヤのことだとかいう説があったりしました。しかし名前が似ているだけで、事績の一致は乏しかったのです。

 実際には、イザナギイザナミに習合された大陸の登場人物は、以下のような方々でした。

 

イザナミが黄泉(冥界)へと降っていく神話は、よく指摘されていますが、シュメールのイシュタル(イナンナ)の冥界下りとよく似ているのでした。

さらにイザナギが黄泉から帰還し、左目から天照大神、右目から月読命、鼻から素盞嗚命が生まれた件は、中国の道教の神である盤古の神話そっくりそのままであるし。

ほかにも大陸各地の神話が、イザナギ神話の中に組み込まれていました。たとえばカグツチから見いだせるニムロドだとか。

バベルの塔の建設者ニムロドが日本神話に居るのでは1

 

そしてイザナミの中には、旧約聖書の主役のひとりだった、モーセが含まれていました。その場面とは、出エジプトにつながる下りです。

 

 

出エジプトと出黄泉の流れ

 

 旧約聖書の、出エジプトの出来事は、以下の構成でした。

エジプト脱出

ヤコブ後のエジプトにおけるユダヤ人の状況(1章)
モーセの物語(2章 - 4章)
・ファラオとの交渉と十の災い(5章 - 11章)
・民のエジプト脱出と葦の海の奇跡(12章 - 15章)
シナイ山への旅(16章 - 19章)

出エジプト記 - Wikipedia

ヘブライ人(イスラエル人)はエジプトで奴隷としてこき使われて不満が鬱積しているなか、モーセが誕生。モーセはエジプトのファラオと対立し、神から授かった杖で十の災いを起こし、エジプトを脱出するときには海を真っ二つに割いて海底を進み、シナイ山へと向かうのでした。

 

一方で「古事記」や「日本書紀」のイザナギの記述を見ても、出エジプトなんかあるわけないと、そう考えてしまいますね。

 

黄泉の流れ(日本書紀

イザナギが、死んだ妻イザナミの後を追って黄泉へ入る

・黄泉のイザナミに再会すると、腐った死体だったので逃走した

・怒ったイザナミは冥界の鬼女(黄泉日狭女)8人を放ってイザナギを追わせた

イザナギは不思議な力を駆使して逃走する

イザナギは黄泉平坂で出口を塞ぎ、イザナミと別れた

・穢れたと言って日向の檍原で禊祓いをした

 じっと見ていると、浮き上がってくる接点がありました。巧妙に、「日本書紀」のイザナギの記述に隠れているようでした。

 

 

十戒 (字幕版)

 

 出エジプトと出黄泉の比較

 

 

まず、ゾンビみたいな気持ち悪い黄津日狭女(よもつひさめ、古事記では黄泉醜女)が、イザナギを追った場面。

怒ったイザナミは冥界の鬼女(黄津日狭女・よもつひさめ)8人を放ってイザナギを追わせた

 これが、出エジプトの時に、ファラオが軍隊を出してモーセヘブライの民を追跡した出来事と、重なり合うようでした。

しかもこの時、イザナギは、「海を渡った」ことを示唆させる魔法を使っていました。

一説では伊奘諾尊(いざなぎのみこと)は大樹に向って放尿された。これが大きな川となった。黄津日狭女がこの川を渡ろうとする間に、伊奘諾尊はもう黄泉平坂につかれたともいう。

日本書紀 (上)全現代語訳p27

 ほーにょー。

 

そして、イザナギが黄泉平坂に到達して、もう一歩で地上に出るというところです。

するとここで、呪怨の伽椰子が知性を残したかのような黄泉大神(イザナミ)と、イザナギが対峙することになりました。

この時にイザナギは色んな神を生み出すのですが、この神々の名を見た時に、モーセ出エジプトの代表的なシーンが脳裏をよぎりました。

 

 黄泉でイザナギが生み出した神々

1・岐神(ふなとのかみ)・・・杖から生まれた

2・長道磐神(ながちわのかみ)・・・帯から生まれた

3・煩神(わずらいのかみ)・・・衣から生まれた

4・開囓神(あきくいのかみ)・・・猿股(褌)から生まれた

5・道敷神(ちしきのかみ)・・・履(くつ)から生まれた

6・道返大神(ちかえしのおおかみ)・・・ふさがる磐

 

これらの神の名が、モーセが起こした海が割れる奇跡に対応しているようでした。

ヘブライ人がエジプトを出ると、ファラオは心変わりして戦車と騎兵からなる軍勢を差し向けた。葦の海に追い詰められ、絶体絶命の状況に陥った。これに対し、奴隷的な状態のままであってもエジプトにいた方がよかったと不平をもらす者もいたが、モーセが手にもっていた杖を振り上げると、葦の海で水が割れたため、イスラエル人たちは渡ることができた。しかし、後を追って葦の海を渡ろうとしたファラオの軍勢は海に沈んだ[14]。

モーセ - Wikipedia

 

 この「葦の海を渡った出来事」が、先ほどの「日本書紀」の神々の名前として集約してあったので、解読してみます。

 

(1)・まず杖から生まれた岐神により、モーセが杖を天に掲げた場面を表していました。

ここではモーセ役がイザナギで、追うファラオ軍がイザナミと黄津日狭女軍なのであります。

(2)・帯から生まれた長道磐神が、モーセの杖により、海が割れて出来た、細長い道筋を示していました。

(3)・煩神の煩いとは心を悩ませること。海に出来た長い道を見て、当然ながら人々は煩いを見せます。

(4)・モーセと民は、ぽっかりと開いた海の道に囓(食)われるように、歩き始めたので、ここで開囓神の名が出てきました。

(5)・靴から生まれた道敷神は、まさに海の道を靴で踏みしめて歩く様子でした。

(6)・道返大神は、塞がる磐。つまりモーセ一行は海の道を渡り切ると、道がふさがり、ファラオ軍は海に飲み込まれました。この出来事は黄泉日狭女 が道返大神を超えてこなかったことで示されていました。 

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というふうに、イザナギが生み出した神々の名に、モーセの海の奇跡が封印されていたようではないですか。ほーにょーの出来事と合わせて。

 

 

出来事と人物の対比

 

ということは、イザナギが向かった黄泉とはエジプトのことである可能性が高くなるようです。ここで登場する場面や人物を対比してみれば、

イザナギ・・・・・・・・モーセ

黄泉・・・・・・・・・・エジプト

敵対するイザナミ・・・・敵対するファラオ

追う黄津日狭女・・・・・追うファラオ軍

黄泉平坂・・・・・・・・葦の海

イザナギが生んだ神・・・海の割れる奇跡

 こんなふうにバッチリ対応したではないですか。

 

ではモーセとアロンが神の杖によって起こした、「十の災い」も、日本のイザナギ神話の中に存在するのでは?という点も気になってきました。

 

 その点は、まだ生きてれば次回に。

 

 

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