日本は世界の雛形と言ったのは、入口にいても出口の王仁三郎さんでした。
しかし日本をユーラシア大陸の雛形として最初に考えたのは、卑弥呼あたりだったかと考えます。
ちなみに俺の人生は、ガタ形でございます。最近は光とか闇とかの話に引っ張られましたが、嫌な空気を受けたので距離を置いて眺めることにしました。
○いつも助かっております
日本はユーラシア
律令制の諸国はもちろん、それ以前の弥生時代の「後漢書」「魏書」の倭人伝にでてくる諸国名があるんですが。
実は個人的に、それら古代の地名は、日本列島雛形論に関連すると考えてました。
つまり日本の律令時代以前の国郡郷名は、大陸諸国や部族の名をもとに作られたものが多いと。いうわけで。
以前に作った地図がこれ。
古代天皇と大和民族のユーラシア大陸移動経路のまとめ - たっちゃんの古代史とか
日本の関東は、ユーラシア大陸東部にあたる。
千葉が、日本列島に対応する。というわけなのですが。
ユーラシア東部の扶桑(日本)や倭が、日本列島東部における総(ふさ)や安房(あわ)なのであると言えました。
総や安房は、いま千葉とよばれる地方です。
・ユーラシア東方の、扶桑(ふそう)・倭、大倭(おおわ)
・日本列島東方の、総(ふさ)・安房(あわ)
発音も似てます。
すると、総国(上総国、下総国)の地域には、日本各地の主要な地名が付けられてるんではないかと、想像できました。
まず形が似てるという話
地図を見ると分かるのですが、総の領域はなんとなく日本列島風味です。
こんなふうに。三日月型をしているので。
詳しく言えば、
・下総=東日本と北陸あたり・上総=西日本と東海道あたり
・安房=九州
といった感じ。
これがなんとなく分かるのは、
・総国に、武射郡といういかにも武蔵(埼玉)っぽい名前があった
・海上郡(うなかみ)が2つあるのは、忌部氏が阿波から関東の安房へ移動しているからではないか
ということに気づいたのでした。
ということは、千葉の各地の名も、全国の有名な地名をモジッたのが由来かもしれないと思って調べました。
総・安房と日本列島の地名を比較する
下総の地名 日本の地名 解説
東北
・結城ユウキ郡 陸奥(むつ) 奥州(むす)と結(むす)
・猿島郡 出羽 猿➡手哀(てあ)→でわ
・岡田郡 三陸(おか)、盛岡、男鹿(おが)
・豊田郡 東北の北部
関東
・相馬郡 群馬 馬
・印旛イニワ郡 茨城 いんば→いば
・埴生ハニュウ郡 常陸(日立) 総
・匝瑳ソウサ郡 総 匝(そう)と総(そう)、総
・香取郡 総 総
北陸・日本海側
・千葉郡 丹波 たんば→たば→ちば
上総の地名 日本の地名 解説
関東
・武射ムサ郡 武蔵 むさ
中部
近畿
・埴生ハニュウ郡 羽曳野、埴生 埴生(はぶ)羽曳(はび)
・海上ウナカミ郡 淡路島 むかし海は泡(あわ)、淡
・市原郡(菊麻)京都 市=取引、大きな街、菊花紋、で京都になる
西日本
・周淮スエ郡 周防(山口) 周、周防→周淮
・畔蒜アヒル郡 阿波(徳島) 阿波(あは)→畔蒜(あひ)
・天羽アマハ郡 阿波(徳島) 阿波(あは)→天羽(あは)
・夷隅イスミ郡 出雲 いすみ→いすも
その他
・望陀モウダ郡(馬来田) 不明。馬来=馬韓、来田=百済かも
安房の地名 日本の地名 解説
九州
・安房アワ郡 大倭 おおわ→あわ、わ
・平郡 肥国 へい、ひい
・長狭郡 長崎 ながさ
・朝夷アサヒナ郡 日向 あさひな=朝日 日向(日の出の方)
解説
かつて千葉の国を治めていたのは、天日鷲命を祖とする忌部氏でした。
忌部氏は阿波に拠点があり、そこから総の国へ入って開拓した記録が古典三書の「古語拾遺」に残ってるんですよね。
上総には阿波に対応する地名が多数あるのは、その現れかと。
海上は、阿波から忌部がでて安房にむかったから、海上という地名で表してると見られます。
とすると彼らは、千葉全体を扶桑(日本)として見て、全国の有力な地名を各地に名付けていったと、いうことはあると思うのですよ。
つまり従来の千葉にあった、地名の由来の定説はぜんぜん違ったみたいな話でした。
ちなみに日本列島のその他の地域はユーラシア大陸各地なのですが、もう少し詳しく調べていますので。
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