以前に「大陸と日本の地名を照らし合わせた図」を作ったのは、2015年?ずっと前のことでした。早いものであれから月日が経ってしまいました。
あの頃も今も苦悩は絶えない状況でしたが、振り返れば色々と進歩したことはあるんではないかと。今回の地図の最新版もその1つです。
今回は長くなってしまいましたが、余興や研究用にどうぞ。
古代の大陸と日本各地を照らし合わせた図
これが作ってみた図ですが。以前より詳しくなりました。よっこいしょういち。
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紀元前から西暦3世紀あたりを中心とした、大陸国家の地名を元にしています。
大陸と日本列島の、国郡名や大河や島など、大きな地名のみを比較対象として、余計なものは入れていません。
参考にしたのは「世界史年表地図」や「日本史年表地図」、古代の律令制時代の地図、グーグルマップなどです。
以下に比較リストと解説を付けています。
解説
一般的な日本列島ひな形論は、北海道=アメリカ、本州=ユーラシア、九州=アフリカ、四国=オーストラリアと言った感じですが。
わたすが考えていたのは、極東=関東、中央アジア=近畿、中東・地中海=九州と言った感じの、実用的な日本列島の大陸ひな形論でした。これにはちゃんとした根拠があります。
まず中国の関東は、日本の関東であるのは、わかりやすい一致です。そして大陸の古代国家と、似通っている名前の日本の律令時代の国郡名は、同じような配置になっているのは明らかでした。
大陸の主要な国名や地理的な名前が、日本の各地に当てはめられて国郡名や地理的名称になっているようです。
大きな地名で一致しているほど、日本人に関係が深い土地なのかもしれません。例えば大勢が移住してきていたり、天皇家や豪族の先祖に関わっていたりするんではないかと。
・東北地方
【東北地方との対応】
勿吉motskits 陸奥mutsu(東北)
マガダmagadha 山形yamagata
インディアindia 出羽ideha(山形・秋田)
むかし東北は広範囲が陸奥(むつ)でしたが、これはおそらくユーラシアの日本海沿岸にあった勿吉(もつきつ)や靺鞨(まつかつ)の名を取っているんではないかと。粛慎(しゅくしん)や挹婁(ゆうろう)の後衛で、扶余に支配されてたらしいです。
もしかすると日本の蝦夷というのは粛慎、勿吉、靺鞨と同系の民族だったんじゃないかという気がします。以前に記事にしてましたが、山形県というのは古代インドの紀元前にあったマガダ国の形状をしているのですし。
あと山形の古名は出羽ですが、これがインディアに対応して出羽(いでは)になっていると思います。india、出羽=idehaと書くとわかります。
しかも山形で聖徳太子の頃に活躍していた蜂子皇子(はちこのみこ)は色黒で彫りが深い容姿だったので、インド系サカ人だったんじゃないかという仮説も立ててるのです。詳しくは下のほーにある関連記事で。
そうするとユーラシアの勿吉靺鞨のあたりには、インド系の人々が住んでいたことが、地図上に反映されてる気もするのです。
黒水靺鞨というのは、黒い肌のインド系の人々を意味するのだろーかと。あと靺鞨というのも、マガダが元だったりして。
すると粛慎や挹婁や勿吉は、南アジアのほうから移動してきた人々だったんではないですかね。
・関東地方
【関東地方に対応する土地】
関東(中国) 関東(日本)
扶桑fuso 総fusa(千葉)
馬韓 馬来田(千葉)
扶余fuyo(buyo)武蔵buzo(埼玉)
新羅 茨城 「らぎ」で一致
蝦夷ebisu 茨城 「ebi,eba」で一致
辰(辰韓) 日立(茨城)「たつ」で一致
突厥totskets 栃木tochigi(栃木)
東胡 多胡(群馬)
高車 車kuruma(群馬)
漢kan 神奈kana(神奈川)
千葉というのは西は東京湾と江戸川、北は利根川、東と南は太平洋で隔てられて、完全に島のようだと言われています。
古代に総国(ふさのくに)だった時代も同じように島みたいなものでした。
むかし日本は扶桑(ふそう)の異名がありましたが、これが千葉の総国に対応しています。これに気がつくことで、全体像が見えてくるようになりました。
すると千葉南端の安房国は、大倭=九州に対応しています。昔の中国の地図では、日本と倭が分かれている状況が見えましたが、千葉で総国と安房国に分かれている状況により、それが再現されてるわけです。それが史実だったのではないかと思わせますね。
かつて大和朝廷は朝鮮半島からの移民を関東に集めていました。その結果生まれたのが新羅移民をあつめた新羅郡(新座郡)、高句麗移民を集めた高麗郡です。
どうして彼らを関東の武蔵に置いたのかといえば、大陸と日本列島を照らし合わせて、符合する場所に配置したからではないかと思われました。
栃木と群馬は、形状自体がテュルク系の突厥であることは以前に記事にしていたと思いますが。突厥の都ウト県ウテュケン山は、宇都宮に対応していました。
群馬はむかし車国(くるまのくに)と言ったのです。それが突厥と同族である、高車の名と一致するようです。
茨城は新羅に関係があるようでした。辰国と日立(常陸)は「たつ」で一致するのはそのためでしょう。もともと辰国は騎馬民族系の国で「フル」だったので神武天皇の神剣「布留御魂剣」、その所有者である石上神宮の物部氏と関係するところなような気がします。
あるいは北海道の蝦夷が、茨城に対応するのかもです。千葉が総=扶桑=本州であるから、本州の北は北海道だというわけで、総=扶桑の北の茨城は北海道に対応するだろうとの理由でした。しかも茨城のイバは、なんか蝦夷のebiに似てるではないですか。
神奈川は位置的には漢でしょうかね。神奈kanaが漢kanに対応するような気がします。まぁカンですけども。
・中部地方
【中部地方に対応する土地】
魏gi 甲斐kai(山梨)
インダスindas 伊豆izu(静岡)
シュンガ朝shunga 駿河suruga(静岡)
匈奴fun na 飛騨hida(岐阜)
匈奴 美濃mino(岐阜)
秦shin 信shin(長野) 信濃は秦の形に似てる
吐蕃toban 尾張owari(愛知)「obari」とすると一致。尾張に丹波郡tanbaがある
イシクisyk 伊勢ise(三重)
プレートテクトニクス論によれば、ユーラシア大陸にインド大陸がぶつかって、インド半島になったとされてますね。
不思議なことに本州にくっつく伊豆半島も、かつては島だったものが、本州にぶつかって伊豆半島になったと言われてたりするんです。
だから地名を一致させてるのか?・・・古代人がそういったことまで知ってたか?という疑問はあるのですが。
静岡の駿河は、たぶん古代インドのシュンガ朝がもとになってるのです。駿は「シュン」で駿河=シュンガそのまんまだし。
伊豆がインドの語源のインダス(indas)と一致するのを見てもそんな印象です。それで静岡はインド料理店が多くなってるのかはわかりませんですが・・・。
中部地方は広範囲に渡って匈奴の名が刻まれているようです。信濃、飛騨も匈奴の発音をもとにするんではないかと。美濃の「濃」は信濃と同じなのでこれも匈奴の「奴」に対応するんではないかと。
ただ信濃の場合は秦の始皇帝の秦の形にも似ており、「信」なので秦に関連を持たせている気がします。
甲斐の国は三国志の曹操で知られる、魏が元になってる気がします。魏→ぎい→がい→甲斐みたいな。
・近畿地方
【近畿地方に対応する土地】
匈奴kyodo 京都kyoto
タングートtangut 丹後tango(京都)
烏孫wusun 宇陀uda(奈良)
イシクisyk 磯城siki(奈良)
アショカ王ashoka 飛鳥asuka(奈良)
タジクtajik 但馬tajima(京都)
西域・烏孫 磯輪上の秀真国(しわかみのほつまのくに)
アフ・エフaf,ef 淡路awaji
トハリスタンtohari 針間harima(兵庫)
そして京都と言う名も、なにか匈奴とかけ合わせてる感じがしました。
そう言えばかつて7世紀のころ、チベットの吐蕃の北東にあった羌族の領域から、タングートtangutが独立したのです。吐蕃はその後、羌族の領域も支配して羌族と一体化してました。
一方で日本では、丹波tanbaから丹後tangoが独立する出来事がありました。吐蕃と丹波、タングートと丹後なので、名前はかなり一致してますね。
しかもタングートの独立のあとに、丹後が独立してるわけなので、これが無関係なわけがないです。武蔵に新羅郡や高麗郡を置いたのと同様、大陸の位置と地名や、歴史的出来事を踏まえた上で、日本の地名に練り込んでいるのは明らかではないかと。
中央アジアにはアフガニスタン、エフタル、粟弋(ぞくよく)など、アフ、エフ、アワの国名が目立つのですが、これが日本の淡路島、阿波などに対応するようでした。すると日本神話で最初に生まれたのが淡路島というのは、中央アジアあたりが日本の起源に関係すると、解釈があったのかもしれんですね。
中央アジアのあたりは四大文明のインダス文明や、アーリア人の活動するところでしたが。
「崑崙山と西王母の神仙思想」は奈良の三輪山周辺に秘められていた件
奈良京都あたりには、烏孫的な地名が多いと思います。烏孫がウジ、ウズ、と訛った形で伝わってる感じがします。それで発音が転化した宇治、宇陀、宇智などがあり、「魏志倭人伝」に出てくる烏奴国も同様です。
それに烏孫にあったイシククル湖、イシク湖の名前が磯城、信貴、志紀などの地名に反映されてるのかと。伊勢神宮のある三重の伊勢という名も、イシクが元かもしれないなと思います。
奈良盆地そのものは西域(タリム盆地)に対応しておりました。龍王山、大物主の三輪山などが西王母の聖地の写し鏡です。奈良盆地には西域の地名が色々残っているようですが、そのへんは以前の記事を見ていただければと。
そういえば「日本書紀」で神武天皇が口にした日本の異称として「磯輪上(しわかみ)の秀真国」がありましたけど。これ、磯城の磯と三輪の輪が付くので奈良盆地ではないかと。
しかし磯輪(しわ)はおそらくサイワク、シーワイで「西域」を表し、秀真はシュウシンで「ウシン=烏孫」のことではないかと。すると地図上でも対応することになりますね。
つまり「磯輪上(しわかみ)の秀真国」とは、「西域上の烏孫国」で、神武天皇がいたのは実はアチラだったんじゃないか、烏孫の昆莫が神武天皇なんじゃないかっていうのが、ずっと以前からの妄想です。
・中国地方
【中国地方に対応する土地】
イスラエルisrael 出雲izumo(島根) 形が似てる、伝承で一致
スキタイskythai 周吉suki(隠岐)
カスピkaspi 吉備kibi(岡山)
ペルシアpersia 広島hiroshima(pirosima)
アナトリアanatoria 穴門anato(山口)
中国地方の西の端っこは横長の形ですが、これにトルコの小アジア半島が合わせてあります。名前もアナトリアに対して、山口の古名は穴門(アナト)でほとんど同じですね。これは侮(あなど)れませんね。😅
当初スキタイは無いとおもったんですが、隠岐の島に周吉郡sukiがあり、これがスキタイに対応してました。
隠岐は古代の因幡の白兎の舞台となっており、「先代旧事本紀」に応神天皇の時代(4世紀)に観松彦伊侶止命(みまつひこいろどのみこと)が意岐国造(おきのくにのみやつこ)として統治した記録があるようでした。
一方で隠岐に対応しているのは、もしかするとウクライナかもしれないと思いました。調べてみると、中世ルーシ語で国や辺境の内地を意味するとか、ロシア語では「オクライナ」は場末や辺境の意味があったとか。ウィキにかいてありました。
日本の辺境の隠岐はokiであり、どうやらスキタイの周吉郡(suki)を含み、okuが辺境という意味になるということなので、無関係じゃない気がしました。隠岐はウクライナに対応するという感じですが、ウクライナの歴史上の初見が中世で、古代のほうは確認できてないため地図には含んでいません。
あとロシア南西部から中央アジアにかけて古代からいたタタールは、鳥取として記録されているんではないかと。鳥取のおとなり島根は古代製鉄の「たたら製鉄」の拠点でしたが、もしかするとタタール人が持ってきたのかもしれんですね。
吉備はわからなかったのですが、カスピ海なのかもしれないです。隣の広島がペルシアですし、タタールの鳥取、アーリア人の四国と隣接していますので。桃太郎の鬼退治的な伝承「ロスタム」も、カスピ海のあるイランには存在しているようですし。
そしてイスラエルが出雲に対応しています。場所的になにか微妙ですが、出雲の形状が古代イスラエルに似ているので、あたっているかと。あと古代イスラエルから烏孫に向かう流れがあったと見ていて、これが神武東征の動きと重なっていると思うのですが。そういう意味で出雲は烏孫にも対応するでしょう。
世界史年表・地図(2022年版)
・四国地方
【四国地方に対応する土地】
粟弋zokyok 粟国awa(徳島)
大月氏 大宣都姫oogetu=大月(徳島)
アーリア人aryan 飯依比古iiyori(香川)
アーリア人aryan イヨiyo(愛媛)
アーリア人aryan 伊予之二名嶋iyo(四国)
四国の地名には長い間ずっと意味不明なものが多かったのですが、近ごろになってアーリアが訛って入っているんじゃないかと思いつきました。アーリア人と言えば中央アジアからインドにいて、ヒンドゥ教、仏教、ゾロアスター教の成立に関わった人々でした。
四国の讃岐の古名に「飯依比古(いいよりひこ)」とあったのですが、これがアーリア人のことではないかと思います。
アーリヤ、の「リヤrya」だけ残ってイイヨiiyo、イヨiyo、愛媛の愛aiもアーリアの短縮みたいな感じかもしれないなと。
西アジアのイランという国名も、アーリアから派生したんだそうです。aryan→iranで最初のaとyが抜けているんですね。なにか伊予や飯依と同じ感じではないですか。
あと「古事記」を見ると四国はかなり最初期に登場しているのは気になりました。それは4大文明時代に登場した、アーリア人の登場に合わせている感じがします。
基本的に日本民族大和民族に関係する国ばかりを採用してるとみられるので、日本人の根本にアーリア人がいたと、見られるようです。
・九州地方
【九州地方に対応する土地】
チグリス川tiglis 筑紫chikushi(福岡)
シリアsiria 白日別sirahi(福岡)
イスラエルisrael 恪勒isoro(福岡)
ケモシュkemosh 熊曾kumaso(熊本)
フェニキアphoenicia 肥の国hinokuni(熊本)
フェニキアphoeni 建日向豊久士比泥別(比泥hine)(熊本)
ケメトkemet 熊本kumamoto(熊本)
ユーフラテス川euflates 由布川yufu(大分)
シュメールsumer 大隅osumi(鹿児島)
筑紫というのは位置的に見てチグリス川(ティグリス川)のことだと思いました。するとセットの関係であるユーフラテス川もあるはずだと思ったら、それは大分の由布川ではないかと。
チグリス川のあたりはシリアなので、福岡の古名である白日別のシラがシリアに対応してるようです。
あと福岡は古名で恪勒(いそろ)国という、居候(いそうろう)みたいな意味不明なものがあったのです。これがイスラエルに対応するんだとすると、意味が通じて腑に落ちるではありませんか?なにしろisraとisoroで良く似ているので。
古代イスラエル地域では神に抵抗するモアブがいまして、彼らの神がケモシュだったのでケモシュとも呼ばれてたらしいです。そのケモシュが、日本では朝廷に抵抗した熊曾(熊襲)だったとの説は、ヨセフ・アイデルバーグの本の中にもありました。
熊本長崎のあたりって、火国(ひのくに)って呼ばれたのですが。通説では景行天皇が夜間に船で移動する時に、村の火の光で無事に着いたので火の国だとか、火山の阿蘇山があるから火の国だなんて言いますが。
しかし今回の大陸と日本列島を照らし合わせた地図をもとにすると、火国とはフェニキアのことでした。phoeni=hinoで、国や土地を意味する地名接尾辞のcia=kuniというわけです。
そういえば九州の火国の別名が「古事記」では「建日向豊久士比泥別(たけひむかとよくじひねわけ)」というものでひねくれた感じで意味不明なのですが。比泥が火国と同様の地名だとするとhineでphoeniなのだろうなと勝手に妄想しています。
この地図にはないのですが、対馬の別名である、天之狭手依姫(あめのさでよりひめ)というのが、イタリアのサルディニア島ではないかと。
sa-de-yori-hime
sar-di-nia
あらゆる要素で一致するカモ
ヒュドラー - Wikipedia すっぽんぽんのヘラクレス
おそらく卑弥呼の時代には、こんな大陸情勢を日本列島に組み込むようになってたんではないかと思っています。
古代の大陸出身の人々が東へ東へ向かって、海の向こうの国に辿り着いたみたいな伝承は、実はイスラエルの聖書やキルギスにもありますし。
古代ローマ人やユダヤ人や騎馬民族は、大陸を東へ東へと向かっていましたし、みんなみんな、大陸人の吹き溜まりだった日本に入りこんだんではないですかね。大和民族と呼ばれる人々、古代天皇家も豪族も含め。
それで大陸と日本の神話はそっくりなものが多かったりするんですが。ヘラクレスとヒュドラの対決は素戔嗚命と八岐大蛇の対決だったり、聖書の中の出来事が記紀神話に反映されていますし。
日本語の中に英語やトルコ語やラテン語そっくりなものが多いのも、その現れでした。日本各地で方言がぜんぜん違うのは、それの反映というわけです。
【日ユ同祖論】「大陸のヤマト地図」の検証。歴史作家の推定移動ルートに照らし合わせる
おそらくこれらの大陸と日本列島で一致する場所は、単に一致してるだけじゃないんです。
遺伝子、文化、風習、言語、地形に至るまで似通っていることが期待できるのではないかと思うのですが。まぁ本格的な研究者のレベルで調べたら、詳しいことがわかるかもです。
以上ほんじつの妄想でした。
※ちなみにこの記事は純粋な歴史研究であって、移民推進をする思想などは一切ありません。
ぽちされでたすかります
2015年版
・関東地方が東アジア、近畿地方が中央アジア、に対応する土地の証明。新日本雛形論
関連記事
・中央アジアの烏孫の昆莫は「イワレビコ」の名前を持ってた」かもしれない件について
・【日ユ同祖論】「大陸のヤマト地図」の検証。歴史作家の推定移動ルートに照らし合わせる
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