どうも、人生酷い目にしか合ってないらしい、たっちゃんの古代史研究室の管理者です。レタッチ仕事決まったかと思ったら、まだでした無念。
それにしても世間では、イスラエルに関しての陰謀的お話が多いようです。しかしかの国にも政府に反発する人が大勢いるから、世界と同様に人々の思想が分裂してるような感じです。
まぁ闇が深いと言っても古代イスラエルの物語は魅力的。古代史の探索と妄想は悪いことじゃないです。
それにしても最近も俺に盗撮や嘲笑や拷問など、ネガティブを与える者がいるのは相変わらずな様子。しかし何か俺をイジメることを、自制する人が増えてるのは気の所為だろうか・・・。
○いつも助かっております
筑紫の謎の地名「恪勒国」を知ってるだろうか
筑紫にかつて恪勒国があったと聞いても、たぶん知る人は少ないです。
そもそも低学歴じゃ、読めなかった。かくろく国
いえこれは「恪勒国(いそろ国)」。いそろカツオがいそうです。
今やもう出回ってない「九州の山と伝説」は伝説的歴史本ですが、そこに以下のようにあり。
五十迩手(いとて)
『釈日本紀』の第八仲哀天皇紀に曰く、天皇熊襲を討たんと筑紫に行幸の時、筑紫野伊都県主(あがたぬし)五十迩手は天皇の行幸を知り、五百枝(いほえ)の賢木(さかき)を船の舳(とも)に立て、さきの枝に八尺瓊(やさかに)をかけ(中略)天皇の征途を祝した。
天皇が五十迩手をほめ、伊蘇志とのべられたので時の人は五十迩手のもとの国を名付けて伊蘇志という。いま伊都というは訛(なまり)なり。(中略)
『筑前国風土記』には、五十迩手は高麗国の意呂山から天降りし日桙(ひぼこ)の苗裔(子孫)なりと述べる。(中略)
次いで天皇、五十迩手をほめて、恪手(いそて)と宣う。五十迩手の本土を恪勒国というべし。
「九州の山と伝説」(著者天本孝志)p173
五十迩手。伊都県主、伊蘇志、恪手、恪勒国。新羅のヒボコの子孫。
いま糸島市になってるあたりが伊都国でしたが。本来は伊蘇志だったとか。伊都国の情報も見といたほうがいいです。
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「伊都国」の解説
伊都国 いとこく
邪馬台国をはじめ 30ヵ国あまりからなる倭国連合の一つ。「魏志倭人伝」の記事に名が見え,この地には諸国を検察するための一大率(いちだいそつ)と呼ばれる地方官が置かれた。彼らは朝鮮半島諸国や魏の帯方郡との外交にもあたった。場所は福岡県糸島市の怡土にあたる。
伊都国には、一大率が置かれてました。今で言うところの外交官や入管やkさつ、あるいは戦時中の憲兵をあわせたような組織だったのか、人々に畏れられたとか。
そういえば中部の三重県の伊勢のお隣は志摩ですが。糸島半島にも志摩町がありましたので。伊蘇志摩の地名が、三重の伊勢志摩に移されてるかと思われます。
これは天照大神が、大和から伊勢に移されたという日本書紀の話と整合するところ。そうするとやっぱり日本書紀崇神天皇条にでてくる大和は、北部九州であるようです。
恪勒と五十迩手と弥勒ミスラ
なんで恪なのか。こんな当て字的な漢字を、使う必要があったのかと考える。
すると漢字の意味を重視して、合わせたことは明らかです。
勒は弥勒(ミスラ、ミトラ、マイトレーヤ)をあらわす漢字。ミスラの起源は中東イランのほうです。
ミスラ(Miθra)は、イラン神話に登場する英雄神として西アジアからギリシア・ローマに至る広い範囲で崇められた神。インド神話の神ミトラ(मित्र mitra)と起源を同じくする、インド・イラン共通時代にまで遡る古い神格である。その名は本来「契約」を意味する。
ゾロアスター教のミスラ
ミスラ(右側)ミスラは司法神であり、光明神であり、闇を打ち払う戦士・軍神であり、牧畜の守護神としても崇められた。古くはアフラ・マズダーと表裏一体を成す天則の神だったが、ゾロアスター教に於いてはアフラ・マズダーが絶対神とされ、ミスラはヤザタの筆頭神に位置づけられた。このような変化があったものの、「ミトラはアフラ・マズダーと同等」であることが、経典の中に記され、初期の一体性が保存された。中世の神学では特に司法神としての性格が強調され、千の耳と万の目を以て世界を監視するとされる。また、死後の裁判を司るという。
たぶん五十迩手や恪勒国が、あちら方面に関係することを表してるのでは、と想像します。
この契約の神ミスラが、記紀神話でスサノオと契約する天照大神の大元であることも明らかです。
また、五十迩手が新羅のヒボコの後裔で、金官伽耶の首露王の妃がインドのサータヴァーハナ朝から来た伝説があるのですが。こうした話を見ても、五十迩手が弥勒の本拠のほうに縁があるという話と、妙に整合してる。
じゃ「恪」てなんだろう、と調べてみると。
デジタル大辞泉「恪」の解説
[音]カク(漢) [訓]つつしむ きまじめに身を持する。「恪勤(かっきん・かくごん)・恪守」 [名のり]たか・つとむ・つむ
つつしむ。きまじめ。2字あわせて恪勒。
これは五十迩手がきまじめだと褒められたことに、関係するかと。あとは弥勒ミスラが光明神であり、闇を打ち払う戦士・軍神であることと関係するだろうか。
古代中東・イスラエルとの関係
恪勒がイソロだと、あの国を思い浮かべました。
恪勒(isoro)
イスラエル(israel)
i-so-ro
i-s - rael
似てますね。福岡にこんなイスラエル的な地名があったのです。
偶然と言われてしまいそうですが、たぶん偶然じゃないです。恪勒とイスラエルを、古来より関連付けてる。関連すると言うには、根拠があります。
・ミスラがイラン発祥で古代ローマ帝国でも崇められたこと
古代イスラエルのあたりは、紀元前2世紀頃から7世紀に至るまで、ローマ帝国に統治されていました。つまり古代のイスラエルでも、日本同様にミスラ(弥勒)は崇められてたのです。日本とイスラエルはミスラ信仰でもつながってましたが、これはヨーロッパから日本まで全体なので、ミスラの人気が凄かったらしい。
・古来日本列島がユーラシア大陸の雛形であったこと
過去記事でも頻繁に取り上げてましたが、九州が中東で、近畿が中央アジア新疆で、関東が東アジアです。
これが古代における日本大陸雛形論の、じぶんなりの解釈でした。
筑紫 ツロの紫(フェニキアの色は紫)
筑紫(チクシ) チグリス川(チグース→チクシ)
白日別(シラヒ) シリア(白日訳は福岡の古名)
白日 バビロン(白日ロン)
佐賀(サガ) サカ、イッサカル
肥国(ヒノクニ) フェニキア(フェニキニ→ヒノクニ)
熊襲(クマソ) ケモシュ(クマシュ→クマソ)
松浦(末羅) アフラ・マズダー(マズラー→末羅)
想像すると、こんなかんじです。なかなか合ってるようではないですか。
筑紫がなんでフェニキアと関連するかと言えば、フェニキアを象徴する色が紫だったから。
カナン人は近東の広範な地域において、商人としての評判を獲得していた。メソポタミアの都市ヌジで発見された銘板では、赤あるいは紫の染料の同義語として "Kinahnu" の用語が使われ、有名なカナン人の輸出商品を指すと言われている。また、「ツロの紫」で知られるフェニキア人と関連付けることが可能である。染料は大抵の場合、その出身地にちなんだ名を付けられた。同様に、旧約聖書に時折例示されるように、「カナン人」は商人の同義語として用いられ、カナン人を熟知した者によってその容貌が示唆されたものと思われる。
ほかにも関係する地名あるかと。詳しくは過去記事で。
・地名に含まれる神の意味
伊都、伊蘇志には、伊が入ってますね。これ、もともと神さまに関係する漢字です。
伊
字源 会意形声 「人」+音符「尹」。
「尹」は、手で神杖を持った様を表わす象形文字。伊は神の意志を伝える聖職者。治める人の意を表す。
調和をさせる様、殷初期の伝説の宰相伊尹(いいん)に因み嘉字とされ、人名、地名に用いられる。
ふだん全く意図しないですけど、こんな意味があったのですよ。伊都は神さまに仕える人の都ですかね。ここ伊豆は、神の意志を伝える人の、豆が為ったのだろうか。
そしてイスラエルも神さまに関係する地名だった。
東京都立図書館
イスラ・エル(Ysra-el)は、イスラエル12族の族祖ヤコブに授けられた名前で「神と闘う人」という意味がある。 以来、その子孫もイスラエル人と呼ばれた。
Weblio辞書
イスラエルはヘブライ語で「神の支配」を意味する言葉である。ヤコブは古代イスラエルの王の祖先であり、伝統的にはユダヤ人の祖先と考えられている。
神と闘う人、神の支配。解釈が違うようですけども。
神と闘う人がいて、神の支配する都イスラエル。良くも悪くも神さまに近いとこらしい。
五十迩手は漢字を替えると伊蘇手であり、「神の蘇る手」となるのでなんか神職だったようですね。
卜部氏と阿比留文字
古代に対馬にいた卜部氏が、筑紫の宗像神社に仕えたとか。
この卜部氏の特殊な文字として、神代文字に数えられる阿比留文字があったのですが。一説にはハングル文字の素だとかいいます。しかし神代文字自体は江戸時代以降に創作されたものが多いことは、念頭に置いて考えたほうがよいような。
阿比留文字(あひるもじ)は、神代文字の一種である。
対馬国の卜部氏・阿比留氏に伝わったといわれる文字で、阿比留家の文書に阿比留草文字や対馬文字と共に書かれている。江戸時代の国学者である平田篤胤が『神字日文伝』で「阿比留文字」として紹介し「日文四十七音」とも呼んだ。
とは言え、イスラエルに縁のありそうな筑紫に、阿比留文字が伝わってたというのは無視できないところ。
なぜなら古代イスラエルの起源に、「アピル」が関わっていたから。
イスラエル民族の起源
前14世紀頃には「アピル」と呼ばれる集団がパレスチナ(カナン)で略奪行動を行っていたことがエジプトの文書で確認できる。このアピルは、シリアやメソポタミアの文書では「ハピル」ないしは「ハビル」とも呼ばれており、民族名を指すのではなく、奴隷や傭兵にもなった非土着系のアウトロー的な社会階層を指す言葉である。多くの学者がこのアピルとその後のヘブライ人(エジプト語でイブリー)のカナン進出に何らかの関係があったと考えている
卜部氏 阿比留(アヒル、アピル、アビル)
カナン アピル
古代イスラエルとアピルの流れを受け継ぐ筑紫に、恪勒国と阿比留文字がある。これは関連してるんだゾと、アピールしてる感じがしました(^o^;)。
こんなふうに、地名や文化などからも古代の筑紫とイスラエルの繋がりが見えてくるのでした。真相は如何に。
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