たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅お仕事中。

倭王帥升はシャマシュで、倭面上国はイスラエルだったか(日ユ同祖論)

実は倭国で最初の王様「帥升(すいしょう)」って、定説とは違った存在だったかも知れないんです。今回はそんな話。

 

 

倭國王帥升

 

帥升(すいしょう)は、西暦107年に倭国で始めて記録された倭王だったとか。中国の歴史書をみると、以下のようにあります。

 

後漢書』「巻五」の「安帝紀

(「孝安帝紀第五」)及び「巻八十五」の「東夷伝」(「列伝第七十五」)  

安帝永初元年 冬十月倭國遣使奉獻(本紀)安帝永初元年 倭國王帥升等獻生口百六十人 願請見(列伝)

安帝の永初元年(107年)冬十月、倭国が使いを遣わして貢献した。(本紀)安帝の永初元年、倭国王帥升等が生口160人を献じ、謁見を請うた。(列伝)

 

『翰苑』「蕃夷部」「倭国」の条

後漢書曰 安帝永初元年 有倭面上國王帥升

後漢書に言われていることには、 安帝の永初元年、倭面上國王帥升が来た。

 

北宋版『通典』

安帝永初元年 倭面土國王師升等獻生口

安帝永初元年 倭面土國王師升等が生口を献じた。

 

帥升 - Wikipedia

 

帥升についての情報量は少ないです。西暦107年だったこと、当時の倭面上国王(倭王)だったこと、海を渡って漢に行き、生口(奴隷)を献じたことは分かっていますが。その他の詳しいことは、記録にないようです。

もしかすると1世紀の「漢委奴國王金印」をもらった王の子孫だったり、筑紫に拠点があったかもしれないと想像できるのですが。

そして「帥升」という漢字を調べると、分かることがありました。

 

「師」には元々、技術者、かしら、軍隊の意味がある

「𠂤」は軍隊に関する文字という。あるいは「阜(阝)」と同じとすれば、段の付いた土の山のことで、大きい、盛ん、多いなどの意味になる

「帀」は巡る、巡らす、あまねし、そろい

「升」は水をすくう柄杓のかたちで、持ち上げる、昇る、四角いマス

帥升」は「すいしょう」「ししょう」「します」と読むことができる

 

これを元にすると、帥升は軍隊や技術者を組織した人みたいです。あと「巡る」や「昇る」からは太陽を思わせるので、太陽信仰があったんではないかと。なんか軍事と信仰の両面で偉そうな感じがしました。

それで帥升を「します」と読んでみたら、ふと外国の太陽神の名前が思い浮かんだわけです。

 

 

シャマシュ

 

Shamash - Wikipedia

 

それは古代メソポタミアの太陽神シャマシュでございマシュ。

・古代メソポタミアの神。シュメール語ではウトゥ

・紀元前4000年の昔からバビロニアで信仰された

・太陽、太陽神、戦いや正義の神

・生者を死者の冥界から護る神

・東の門から出て、西の門へ入る、夜は冥界で過ごす

シャマシュは万物を見通し占いを司る

・冥界の諸霊に起因する疫病や災厄からの救いを願うアッカド語の祈祷が、シャマシュに最も多く捧げられていたという

・古代ヘブライ語のシェメシュ、アラビア語のシャムスも、シャマシュと同源で太陽の意味

こんな特徴があったようです。この神が帥升となんの関係があるのか?そのへんをよろしくお願いシャマシュ

 

 

帥升シャマシュの比較と考察

 

 

名前だけ似てるだけって思われるかもですが、実は帥升との一致点が多いようでした。その点を比較すると以下のようになります。

 

・「師」「𠂤」は戦う軍隊の意味だが、シャマシュは戦いの神

・「帀」「升」は巡る、昇るで太陽の動きを表すが、シャマシュは太陽神

・「升」は水をすくう意味だが、シャマシュは病気や災厄から救う神

帥升を「シマス」と読めば「シャマシュ」に似る

帥升は「ししょう」とすれば「死生」に通じるが、シャマシュは生者を死者の冥界から護る神

帥升は「すいしょう」なので水晶に通じる。奈良時代には水晶=水精であり、古代から占いに使われた。一方シャマシュは占いの神

 

比較すると一致点が見られるのでした。

帥升を「シマス」と読めば太陽神シャマシュに似てたり。「ししょう」とすれば「死生」で、シャマシュが生者を死者の冥界から護る神なことに一致したり。

「すいしょう」とすれば占いの道具で、シャマシュが占いの神だったことに一致する。こうした解釈ができるのは、興味深いところ。

たまたま一致するというより、この当時から、漢字に大和言葉の音や意味を当てること、語呂合わせの言葉遊びが存在した、ことの証拠になる気がします。

 

あと当時帥升が献上した生口(奴隷)ですが、この数が160人というのも、なんか意味がある感じがしました。

むかし日没のあとにしばらくしてから昇る16日の月のことを、「いざよい」と言ったそうですが。これは躊躇うこと、なかなか進まないことの意味だそうで。すると当時の帥升は、生口を選んで漢に送り出すことには、ずいぶんと躊躇いがあり、なかなか選抜が進まなかったんではないか、などと想像してしまいます。

それで「百六十」と書いて「いざよい」だなと思ったりします。まぁいざよいとの呼称が、西暦107年からあればの話ですが。

 

 

倭面上はイスラエルだったのか

 

2世紀の倭面上国って、倭国の別名だったようですが。よく考えたら、あることを思いついてしまいました。

 

 

気になるのは「倭面上国」を訓読すると、「イズラウエ(izuraue)」や「イズラウェ(izurawe)」になってイスラエルっぽいことです。

歴史学の専門家によると、倭面上は「ヤマト」だと言う人多いですが。「倭面上」をヤマトなんて読めませんね。倭面上が「ワメンジョウがヤマト」「ワメジョがヤマト」。なんかワカメみたいで、ワケワカメですし。

むしろ倭面上は「イズラウエ」「イズラウェ」と読むならば、あーイスラエルなんじゃないの?と意味が通じてしまうではないですか。

そう言えば筑紫国の旧名には「恪勒(いそろ)国」という名があり、これも「イソロエル→イソロ国」という感じではないですか。

あと古代には伊都国は「伊蘇」と呼ばれてたりしましたし。

「委奴国」の場合は「委(ゆだ)+奴(や)」で「ユダヤ」って読めるのも、やっぱりそういうことなんじゃないかと、思ってしまいますね。

 

倭面上国 イズラウエ・イズラウェ

恪勒国 イソロ

伊蘇国 イソ

委奴国 ユダヤ

筑紫国のあたりは、そんなふうに何故かやたら、イスラエルユダヤっぽい地名のところだったようです。これはなかなか無視できないこと。

すると帥升や倭面上国というのは、あちらからの人々の血筋、思想が混じりこんだ文化だったと思われますね。

もしかすると彼らは徐福の民の子孫だったかと思うのですが。徐福は「ヨフ」でヨセフの名だったのではとの説があります。

徐福の福は「お酒のとっくり」の意味があるのですが、帥升の「升」は酒を入れる道具でもあるわけなので、お酒の徐福の後継者の名として相応しい感じもしますので。

 

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ちなみに・・・

というふうに日ユ同祖論はアリだと思ってますが、悪事やりたい放題な、NWO・DSカルトや、シオニズムイスラエルは好きじゃないです。従ったら滅茶苦茶にされるし、従わなくても滅茶苦茶にされるし。

あと重税、移民、外人優遇、中国のメガソーラーだらけ、SDGS、毒まみれ、トゥルーマンショーとか変な政策いらないですね。

 

ぽちされでたすかりm

 

 

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