卑弥呼と天照大神、それは本当によく似ているのだが、崇神天皇も含めてどのへんが似ているのかまとめてみました。
○いつも助かっております
倭国大乱とは神代の「伊邪那岐が伊耶那美(黄泉大神)と敵対する出来事」か
つまり、天照大神 = <卑弥呼(倭迹迹日百襲姫命)+壱与> = 崇神天皇(男装)
よくわからなかったのが、「魏志」や「後漢書」の「倭国大乱」に対応する、天照大神の頃の出来事。これについて以降ですこし述べます。
ヒントはいくつかあった。
一つは倭国大乱とはおそらく九州を中心にして起きたであろうこと。実際近畿地方では大乱に相応しいほどの武器が出土していないのに較べて、北部九州では大量の武器が見つかっている。だから、倭国大乱の舞台としては北部九州が相応しく見えること。
もう一つはイザナギが黄泉国から脱出する間際に、イザナミ(黄泉大神)とイザナギの気になる会話。
イザナミ「私はあなたが治める国の民を、1日に千人づつ絞め殺そう」
イザナギ「私は1日に千五百人づつ生ませよう」
おそらくイザナギとイザナミの間には、1日に千人規模で死ぬという大きな戦争が起こったことを示唆するようです。黄泉の出来事で、天照大神の父親イザナギに対するのは、イザナミ(黄泉大神)の軍であり、それに含まれるのは「黄泉醜女(よもつしこめ、泉津日狭女)」や「雷神」。
すると、イザナギが黄泉へ出かけて、イザナミ軍と戦った出来事が、「魏志倭人伝」の倭国乱、「後漢書」で言われるところの倭国大乱に当てはまるとしたら。
どうしてこう考えられるかというと
・黄泉での戦闘は、天照大神が生まれて間もない頃に起きている(あるいは一書の別伝によれば天照大神が生まれる前に起きた)
(2)首長として擁立される時系列の一致
これは偶然とはいい難いように見えますと。
したがって「魏志倭人伝」の倭国大乱とは、「日本書紀」ではイザナギが黄泉から帰還するシーンのなかに投影されていると見ることができたんですが。
まあおそらく黄泉の場面には、大陸の神話をふくめていろんな要素が含まれているようですけれど・・・。
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で、この場面は崇神天皇の5年から6年にかけての出来事と≒なのではないかと。
5年 国内に疫病多く、民の死亡するもの、半ば以上に及ぶほどであった
6年 百姓の流離するもの、あるいは反逆するものあり、その勢いは徳を以て治めようとしても難しかった
これが倭国大乱であり、黄泉の戦争の場面と同じでしょう。大乱の時期が崇神天皇5年からとなっているのは何故なのかは考えたいです。黄泉醜女というのはゾンビのようなもので、疫病の患者をあらわしたようです。
倭に蔓延した疫病は、大陸からもたらされたと考えられますね。インカ帝国の人々が、スペインからもたらされた疫病にかかったことが滅亡の主要因ともされますし。インカ帝国人は、ヨーロッパの疫病にたいする抵抗力がなかったようで。九州の倭人もおそらく同じだったのですね。
ということで、個人的に考えている倭国大乱の正体とは、
桓帝・霊帝の頃(147~188年)、朝鮮半島の韓人・ワイ人が隆盛となって南へ押し寄せた時期、「朝鮮半島の倭にいた卑弥呼(崇神天皇)の率いる倭人」が、「朝鮮半島の倭から九州の倭へと移住した時」にぶつかって起きたんではないかと、そんなふうに想像していますが。日本史学の人からは何言ってんだこいつ扱いですが。倭国大乱が朝鮮半島の混乱と時を同じくして起きたことは、ひとまずわかるはず。
これについては過去記事参照
これとか
これとか
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