前回の続き。日本の地名の秘密についての解明。
正直バカにされてしまうような内容です。個人的な単なる想像、妄想の世界ですけども。当たってるかもしれませんよ。
情報量が多いですが、興味のある方はどうぞ。
西日本編
これが西日本に対応する、大陸の場所をおおまかに示した図です。以下に詳しい解説をします。
まず中国地方の山口県ですが、長門国がありましたが別名が「穴門(Anato)」だったんですよ。これがトルコの別名である、「アナトリア(Anatoria)」にそのまんま鏡合わせっていう感じがします。
穴門とアナトリアは、名前だけじゃなくて形も似てる。
記録上では古代日本に穴門が命名された後に、トルコでアナトリアが命名されたらしいのですが真相は不明です。アナトリアはもっと古い名前なのかも?
アナトなだけに、あなどれない pic.twitter.com/SosgtQjhey
— たっちゃん@古代史研究+アート (@t7a7t0o1) 2024年10月19日
山口(さんこう)なだけに参考になって、穴門なだけにあなどれない。
安芸(Aki)はアレキサンダー(Alexander)大王領(アレクサンドロス大王領)かと思われました。たぶん「Aki」と「Alexa」で合わせてるんではないかと。
アレキサンダー大王領は後にペルシア(Persia)となってたのですが、これが安芸の別名である、広島(Hiroshima)に対応してる感じがします。
広島は古代の音だと「Pirosima」だそうなので、かなり合ってくる感じがします。
A-ki
Ale-xa
Pe-r-sia ペルスィア
Pi-ro-sima ピロスィマ
あと安芸のとなりには吉備(Kibi)があります。アレキサンダー大王領には隣り合って、世界最大の湖であるカスピ海(Kaspi)がありました。KibiとKaspiということで、なんとなく似てますね。
四国の徳島は、古代の別名が「大宜都比売命(おおげつひめのみこと)」っていうんですが。意味わかりませんね。
しかしこれ、「大宜都」は言い換えれば「大月」っぽいのは、何かわかります。
一方で大陸のタジキスタンやアフガニスタンあたりには、バクトリアがありました。バクトリアのあたりは大月氏国もあった土地だったわけです。つまり大月氏に、徳島の大宣都=大月が対応しているわけでした。
大月氏系の地名は他にもありまして、例えば高知県です。高知(Kouchi)は濁音にして「ゴーシ」と言えば「月氏(ゲッシ、ガッシ)」ぽくなるのは偶然じゃないみたいです。
九州地方は中東~地中海周辺
中東と言えば、チグリス川とユーフラテス川がとても有名で、ここの流域にシュメールを含む、メソポタミア文明が栄えてました。
一方で福岡の古名である筑紫(Chikushi)って、なんかチグリス(Tigris)っぽいなと思ってた時期があったのです。そして大分には由布(Yufu)があり、これがユーフラテスなのではないかと気づいてしまいました。つまりメソポタミアの大河の名が2つ揃ってたようです。
メソポタミア文明の初期の王国であるシュメール(Sumer)は、鹿児島の大隅国(Osumi)な感じがしました。あるいは古代エジプトのミスル(Misur)で、スミ→ミスなのかとも思ったりしました。
地中海沿岸のヨルダンあたりにはフェニキア(phenicia)があったんですが、これが熊本の別名「肥の国(Hinokuni)」みたいです。フェニキアはフェニックスの住む土地で、火の鳥、不死鳥なわけでした。肥の国は別名「火の国」なのでぴったり。
すると火の国はフェニ国だったのかと。
ギリシアはたぶん長崎と関係してました。長崎(Nagasaki)の「Gasa」がギリシア(Grecia)ぽいですので。
あとギリシアの別名がエラス(Hellas)だったのですが、これが松浦(Matsuura)の「ura」に対応してる感じがしますね。ellaとuraが似てるという感じで。
大陸に近いところの対馬は、古代の別名が「天之狭手依比売(Ama no sadeyori hime)」という意味不明な名前だったりしたのです。
これがなにかと思ったら、地中海の「サルディニア島(Sardinia)」でした。「狭手依」でサルディニアでした。そんなわけあるかボケと思うかもしれませんが、形も似てました。
形と名前がなんとなく似てるシリーズ
— たっちゃん@古代史研究+アート (@t7a7t0o1) 2024年11月7日
サルディニアと狭手依姫(対馬) pic.twitter.com/Fs4gm2EXRz
「対」という漢字は、2つのものが対極的・対照的であることです。コルシカ島も同様でした。
古代イスラエル系地名
そして古代イスラエル系地名もありました。まぁ最近のイスラエル政府は残念な感じですが。紀元前の古代イスラエル王家の末裔は、日本に到達してたようです(日ユ同祖論)。
そんでもって地名的には、日本の数か所にイスラエルが分散配置されてたかもしれんです。それは福岡の「いそろ国」、宮崎(日向)、「出雲」の3ヶ所。
福岡は古代に「恪勒国(いそろ)」と呼ばれてたようです。「九州の山と伝説」という本に以下のようにあります。
五十迩手(いとて)
『釈日本紀』の第八仲哀天皇紀に曰く、天皇熊襲を討たんと筑紫に行幸の時、筑紫野伊都県主(あがたぬし)五十迩手は天皇の行幸を知り、五百枝(いほえ)の賢木(さかき)を船の舳(とも)に立て、さきの枝に八尺瓊(やさかに)をかけ(中略)天皇の征途を祝した。
天皇が五十迩手をほめ、伊蘇志とのべられたので時の人は五十迩手のもとの国を名付けて伊蘇志という。いま伊都というは訛(なまり)なり。(中略)
『筑前国風土記』には、五十迩手は高麗国の意呂山から天降りし日桙(ひぼこ)の苗裔(子孫)なりと述べる。(中略)
次いで天皇、五十迩手をほめて、恪手(いそて)と宣う。五十迩手の本土を恪勒国というべし。
「九州の山と伝説」(著者天本孝志)p173
このいそろ(Isoro)がイスラエルの、イスラ(Isra)に当てはまってます。「伊蘇」自体もイスに対応しますが、「蘇」の字を使ったのはイエスの伝承を込めている感じがしますね。
そして宮崎も古代イスラエルっぽいところです。まず神武天皇の出発点であることが関係してます。神武天皇は古代イスラエル王家の人物であるようです。
以前に神武天皇の父が「天津日高日子波限建鵜草葺不合命(あまつひこひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)」で、これが古代ユダ王家(イスラエル南朝)の4代の王名だと指摘しました。
「アマツヤ王=アマツ、ウジヤ王=ウガヤ、ヨタム王=フキ、アハズ王=アエズ。ヒコヒコは大勢の王を意味する」。つまりアハズ(アエズ)王の子である神武天皇は、あちらの王家の人だってことです。詳しいことは関連記事で。
それから宮崎県の「宮」は、別の読み方で「いえ」なんです。それで宮崎は「イエサキ」(Iesaki)と読むことができて、イスラエルの「Ies」の名が入ってたりするんではないかと。
そして日向(宮崎)は、上下ひっくり返すと、古代イスラエルの形っぽいみたいです。地名も一致してたりします。
次に出雲について。
日本の出雲大社の本殿が、古代エジプトの大ピラミッドの内部構造であると実しやかです。あと出雲は「イズ」なので、イスラエルを意図してるっぽい感じがします。
大国主の物語などは「旧約聖書」にでてくる内容と、かぶるところもあるみたいです。
紀元前には古代エジプトとイスラエルは、融合していた時代も長かったです。古代イスラエル人はエジプトで奴隷にされてたり、モーセが出エジプトしたりもしました。
そうすると、古代出雲には古代エジプトとイスラエル、両方の要素が入ってるわけで。
その点は古代出雲国の領域を見てもわかります。出雲国を若干細くしてみると、とある時代の古代イスラエルっぽい形になってくるのですよ。この形というのは無視できない要素。
全体像
そしてこれが全体像を表したものです。
日本列島はユーラシア大陸の全体の雛形になってるんですよ。するとユーラシア大陸の各地から、日本に入ってきて、情報をもたらした人々がいたんです。
「日本書紀」にもペルシャ人やらトカラ人など、渡来人の記録はたびたびありますし。そして卑弥呼や大和朝廷らが、大陸地名を日本列島各地に名付けていったと、いうわけでした。
日本人の遺伝子も実際には、大陸全土の遺伝子が含まれるんじゃないですかね。上のマップの繋がりのように。実際日本人って色んな種類の顔が混ざってるし、方言も大陸の言葉を引き継いだものだとしたら?
しかしいま発表されてる日本の遺伝子マップて、東アジアとの繋がりばかり強調されて、遠方の遺伝子はないみたいです。ただし「ディープステート・カルト権力側の専門家は、真実を隠蔽したり都合よい形に書き換える」ので、全然信用してないんですけどね。
・・・そして21世紀の日本に、もう移民は要らないと思う昨今です。
ぽちされたすかりm
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