たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅お仕事中。

「出雲大社本殿=大ピラミッド内部構造」であることを踏まえ48m本殿の復元図を作る

近頃も「出雲大社の本殿はエジプトの大ピラミッドの構造」だとの話題を目にしました。確かこれ、十数年前に「ムー」の本に登場してた話だと思いますが。

これを自分なりに考えてみることにしますた。

 

 

出雲大社と大ピラミッドの比較

出雲大社 - Wikipedia

 

出雲大社本殿    大ピラミッド

位置 出雲の海辺  位置 ナイル川のほとり

地名 出雲     土地 イテル(出る) 

形状 大社造    形状 三角錐

素材 木      素材 石

高さ 48m,96m   高さ 146m

年代 弥生時代後期 年代 紀元前2500年

階段 南向き    大回廊 東向き

屋根 切り妻    王の間の頂点 切り妻状

御神座 東向き   王の間 北向き

 

ギザの大ピラミッドは大回廊と王の間を中心としたものですが、女王の間や地下室、あと意味不明なシャフトがあります。さらに入り口がない秘密の空間も、あちこちにあるとか。

一方で出雲大社本殿は、大床(下段・上段・御神座)に階段が付いてる構造ですが、ちょっと気になることがありました。

 

 

周辺の地理について

出雲大社は今は内陸にあるようですね。しかし実は平安時代の頃までは弥生海進の時期で、平野の内陸のほうまで浅い海が広がっていました。

だから出雲大社は、海辺に高層神殿が建っているような感じだったとか。船でも訪れることができたでしょう。

するとギザの大ピラミッドがナイル川のほとりにあって、船で人々が拝みに来ていたのと一致するわけです。

そういえばナイル川は昔、「イテル」という名前だったらしいです。「イテル→いでる→出る」ということで、出雲の名と合ってるような気がしました。

 

 

入り口と通路と大回廊

ギザの大ピラミッド - Wikipedia

 

大ピラミッドは入り口が東側にあるのです。入り口の近くには、9世紀にアラビアの指導者アル・マムーン氏が開けた通路が掘られているとか。

本来の通路は巨石を詰め込まれて通れないですが、大回廊に繋がる通路の分岐点を過ぎ、地下の間へと伸びてます。かつて大ピラミッドには化粧石があったのですが、その化粧石の表面から分岐点まで測ると、だいたいおよそ24mほどです。

さらに分岐点からは細い通路が38.7m伸び、それに接続して天井の高い大回廊が46.6mほど続いてる。その先に前室含め7mほどの通路があり、その先に王の間があるという形でした。

一方で出雲大社本殿の「金輪造営図」によれば、昔の本殿には109mの通路が接続してたとか。109mの階段がついていたと考えられます。

ここで大ピラミッドの通路の長さと、本殿の通路の長さを比較してみたいのですが。

・大ピラミッド

入り口~分岐:約24m(たぶん)、分岐~大回廊:38.7m、大回廊:46.6m

合計:約109m

 

出雲大社本殿

金輪造営図にある通路:109m(金輪造営図による)

不思議と同じ距離だったりするんですよね。これは偶然じゃないなと。

 

 

王の間と控えの間

ギザの大ピラミッド - Wikipedia 、グーグルマップ

 

大ピラミッドの大回廊を進んで行くと、控えの間という前室があり、45度曲がった先に王の間があるのです。

一方で出雲大社本殿は、階段を進んでいくと前室があり、そこを曲がると御神座があるのです。

通路と御神座の角度差は45度なのは同じですね。これも偶然じゃないなと。

 

重力拡散の間の最上部の、切り妻屋根状の岩に対応しているのが、本殿の切り妻屋根でした。王の間と重力拡散の間を合わせた全体の姿が、出雲大社の本殿全体の姿に対応しているのでしょう。ティカル1号神殿にも近くなっています。

すると紀元前の当初に出雲大社を作った大国主神少彦名命らは、ピラミッドの内部構造を知っていたことになるわけですが。あちらから移住してきた人の末裔だったんですね。

 

 

女王の間と地下の間

出雲大社 - Wikipedia

 

大ピラミッド女王の間にあたる構造が、出雲大社の本殿にあっておかしくないわけです。

出雲大社本殿の写真を見ると、床下に仕切り板があって、床下の小部屋みたいなものがあるとわかるのです。これが大ピラミッドの、女王の間に対応してるようでした。

中に何があるのか不明ですが、女王の間のように、何もないのかもしれないですね。

古代の高層神殿にも、おそらく床下部屋があったんではないかと思いました。

しかし大ピラミッドの地下室に当たる構造は、出雲大社には無かったんですかね。まぁ巨大な柱跡が見つかっていて、そこには加工の跡も見つかってるので、木材を組んで空間を作ってたかもですが・・・。

 

 

未知の空間

いま大ピラミッドでは、未知の空洞の存在が話題になってます。

実は出雲大社本殿には、床下のほかにも未知の空間がありました。

それは屋根裏部屋。

屋根裏は通常は入ることができないので構造は不明ですが、大社造の屋根は合掌造りの内部構造のように、柱と梁が渡されて広い空間になってるんではないですかね。

そこが大ピラミッドの未知の空間に対応しているんではないかと。

 

 

古代出雲イスラエル王国の謎―神社に隠された日本人のルーツ (ムー・スーパーミステリーブックス)

 

 

死者の魂

大ピラミッドは、死者の魂が移動する装置だという記録があるんだとか。すると大ピラミッドと同じであるという出雲大社も、そうなんですかね?

そういえば、出雲大社本殿の天井には「八雲の図」があるのです。ふわふわした雲が飛んでいる絵ですが。

実はあれって死者の魂なんだろうか、という思いがよぎってしまいます。まぁ出雲の大国主命素戔嗚尊は、冥界の神であるというから、そういった設定もあるのかもしれんですね。個人的には「出雲に大陸から人々が来た」ことの現れかと思っていましたが。

 

 

古代出雲大社の適当な復元図を作ってみた

大ピラミッド構造を参考にして、48m時代の出雲大社の復元図を適当に作ってみました。出雲大社に関係していると見られた、ティカル1号神殿の形状も参考にしています。

本殿の通路の長さは、大ピラミッドの内部通路と同じ109mです。通路は大ピラミッドのように、出口に近い所で折れ曲がっていたのではないかと。現在も本殿には折れ曲がり構造がありますし。

109mの通路に屋根が被っているのは、ピラミッドのトンネルを現すためです。

主要な柱を支える梁は、5段にしました。これは大ピラミッドの王の間上部の、重力拡散の間の石が5段になってるのにあわせています。

床下は現状の本殿と同じく格子状の柱と梁が、全体にめぐらされています。鎌倉時代の金輪造営図を見ても外側に線が引いてあるので、古代にも格子状の支えはあったのでしょう。

本殿の地面に近い位置に、ピラミッドの女王の間に対応する部屋を描きました。現在の出雲大社にも謎の床下部屋があるので、あって然るべきでした。

こうしてみると本殿のてっぺんの千木って、ピラミッドの謎のシャフトのようにも見えてしまいますが。どうなんですかね。

まぁ、割と特徴が合致していると思いますが。出雲大社の祭神の大国主命って、クフ王が集合された存在だったんでしょうかね。

謎は尽きま千円。

 

ぽちされたすかります

 

 

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