たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅お仕事中。

(前回の続き)神武天皇ご一家はキルギスで記録されていたとの調査結果

 

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謎の猫さん「え~っ?」

 

前回

神武天皇ご一家のお名前が~何故かそのまんま中央アジアのキルギスで記録されてた件

これの続き。

 

前回はキルギスの王族のお子様、神武天皇一家のお子様の解説をこころみました。

今回は残りの父ちゃん母ちゃん。つまり神武天皇と皇后について解説をしたいと思います。 

最近はグーグル翻訳で、世界じゅうの言語の翻訳ができちゃうのです。それで日本語をキリル文字に翻訳するのも簡単。以前はキリル文字だけが表示され、読むことが難しかったのですが、いまは発音は英語表記されるようになってるから、グーグル翻訳は研究にもってこいです。

 

○いつも助かっております

 

 

キルギスの王様ビシケク

 

古代イスラエルからの流れを汲むらしきビシケクは、紀元前のキルギスの伝説的な王様であり、今回神武天皇と比較対象になっている主役です。キルギスではいわば昔話の桃太郎的な国家的英雄かもしれません。

ビシケクって、一体何の意味があるんだろう。そう思って検索してみました。すると以下のような結果が。

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なんと、ビシケクのbishを英語翻訳すると、「saver」。

これは簡単に言えば救世主のこと。

ではkekはなんだろうと翻訳してみると、「revenge」。これは原義は「復讐」のことで、なんかよっぽど腹に据えかねて復讐して、民に喜ばれることがあったのかと想像。

ようするにbishkekとは、「救世主の復讐」もしくは「復讐の救世主」という意味深な言葉が出てきたわけなのです。これは意外なことでした。

昔は復讐のことですが、近ごろのリベンジは仕返しとか雪辱を晴らす意味で使われたりする。 

そしてビシケク氏の奥方の名前はわかりませんでしたが、地名はヒントになると思って解釈を進めてみました。以下の通りになりました。 

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妃はタラス谷の娘という情報が出てきました。なんとか情報量を増やすために、valleyという言葉に関係するキルギス語も調べています。 

 

神武天皇の調査結果

 

次にビシケクと対応していると見られる、神武天皇についても詮索を進めてみました。この神武天皇は別名やら称号やら色々あるのですが、関係しそうなものを取り上げると以下の通りです。

伊波礼(磐余)については以前に書いた記事で「エフライム」の短縮だと解釈したので、それを使用します。なにしろビシケクキルギスは、古代イスラエルの民族の到達地であると判明しているので。

神武天皇の皇后については、ふたりいるうち、媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめ)のほうを取り上げることにしました。

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 神武天皇の称号については「ハツクニシラススメラミコト(始駆天下天皇」がよく知られてますが、「日本書紀」の原文を読むと気になる文字が含まれていたのです。それも加味してみました。

すると想像以上にビシケク夫妻と一致する点が見えてきたのでびっくりしました。そのあたりを最初の謎の猫さんの表情に込めています。

 

ビシケク神武天皇の比較

 

ではひとつひとつ、一致点を見てみます。

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 (1)救世主と神

ビシケクは復讐の救世主でした。おそらく古代イスラエル人としてバビロニアに捕えられ、バクトリアのあたりで囚人となった彼らが、東方へと旅立って自らの国を建国しました。だからそのあたりで復讐、リベンジの建国者ビシケクは「救世主」という存在になったのかもしれないと考えました。

一方で神武天皇ですが、こちらは「神」を頭文字にしてます。救世主キリストは、ビシケクよりも後の時代に登場すると思われますが、救世主とは神そのものと言われることがあります。

 

 

(2)shikの一致

 

ビシケクの名前にはshikがあるのですが、神武天皇にもshikがありました。それは称号である「始駆天下天皇」から導き出すことができます。

 始駆を音読みすれば、「シク」ですからね。シックといえば病気のことなので、なんか病んだ状況から復讐したみたいな連想もしてしまいます。

始駆はshikuであるので、ビシケクのshikと一致していました。

「始駆天下」とは、普通に読んでも「ハツクニシラス」なんて読めませんね。これにはそれなりに意味があるんだろうと考えたのですが、どうやら舎人親王が、ビシケクという名前に対応させるため、音読みで「始駆(シク)」という漢字を選んだとしか思えませんね。

記紀編者の舎人親王太安万侶あたりは、この神武天皇の真相をしってたようですが。

 

(3)イシク湖の名前が含まれている

日本書紀」の原文を読むと、始駆天下天皇の前に、「而」の一字があるんですね。コの字は江戸時代ころまでは「而して(しかして)」とか使われましたが、今はとんと使われない死語です。「しかして、しかるに、すなわち」なんていう意味があります。

原文では、この「而」が頭について、「而始駆天下天皇」という文章になっているのでした。この文字は音読みをすると「二」とか「ジ」とか読むんですね。

ビシケクの方は「ishik」という言葉が含まれます。キルギスとは、イシク湖という大きな湖が象徴的な国ですから、これが名前に入っているのがわかります。

一方で神武天皇のほうも、而始駆で「nishiku」となってイシクの発音がにじみ出てくるかんじなのです。しかも奈良盆地には、磯城という土地がありますので、これがイシク湖に対応しています。

かつて奈良盆地にあった大和湖の本来の名はイシク湖だったりして

 

(4)タラス谷が含まれた媛蹈鞴五十鈴媛命

まさか神武天皇の奥様から、「タラス谷」が出てくるとは驚きました。「日本書紀」のなまえ媛蹈鞴五十鈴媛の「鞴五十鈴」が「taraisu」を含んでいて、これが「taras」に似てます。

また、「古事記」の名「比売多多良伊須気余理比売」のほうでも、「多良伊須」に「taraisu」とあり、tarasによく似た名称が含まれてたんです。

あとは「谷」についても含まれました。キルギス語で谷は合致しませんでしたが、谷によく似た「沢」を調べると、「saz」という言葉が出てくるんですね。媛蹈鞴五十鈴媛命のほうは、「鈴(suzu)」を含んでいるではないですか。

 

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「tarais suzu」が、taras saz(タラス谷)なんですね。

 

神世鈴というのは天照大神が天の岩戸開きで外に出るときに、神が用いたという神器ですね。おそらくタラス谷の娘と媛蹈鞴五十鈴媛命は、どちらも巫女的性格だったんですね。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 というふうに、ざっと一致点を検証してみました。

あとは烏孫の昆莫一家とビシケク神武天皇の3者の名前比較ですね。このへんもやっとこうかと。

 

 

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ニギハヤヒに対応するのがクルマンベック・ハン

 

ビシケクの物語をみると、最初のキルギスの王様として、クルマンベック・ハンなる人物が登場しています。最初の王様ですが、いつの間にかビシケクのほうに王位が移っているのですね。

いっぽう神武天皇の前には、大和にニギハヤヒという人がいました。こちらも最初ニギハヤヒが大和の王様だったのですが、同族出身の神武天皇のほうに、大和の権利を譲ってしまったのですね。

全く同じことが起きていたのです。

で、Курманбек(クルマンベック)の名前はなんなのだろと思って翻訳してみると、

Курманбе(Sacrifice)、つまり「犠牲」という意味が出てくるのです。このかたはキルギスの素地を作って、神の犠牲となった人だったんです。

Курмаだけでみると、「日付」とでてきます。

一方で鞍馬天狗の「クラマ」にも似てるのは偶然じゃないようです。サナート・クマラ信仰のあったヒンドゥー教の本拠地インドから、キルギスは目と鼻の先なので。

そういえばインドで空飛ぶ乗り物ヴィマナといいますけど、ニギハヤヒも天鳥船により天から飛来だったと伝わるので、そうするとニギハヤヒが乗ってた天鳥船とは、ヴィマーナなのかと納得ですが。

あ、クルマンベックの「クルマ」ですけどね、インドではヴィマナのことを「神の車」と呼んでいたのです。だから完全にこれ日本語と一致する言葉です、「車ンベック・ハン」とか書いて良いくらい。

というように、もしかするとクルマンベックハンとは、ヒンドゥー教の人であり、ニギハヤヒも同じ人物かもしれませんよ。

ヴィマナ - Wikipedia

 

神武天皇は西から東へ向かったとある

 

だから、この答えは、簡単に言えばこうです。f:id:kl117cr233:20180120233002j:plain

(1)神武東征とは元々ユーラシア大陸を舞台にして起きた。古代イスラエル・ユダから中央アジアへ向かった人々の話。

(2)キルギスではビシケクとして記録され、漢では烏孫の昆莫として記録し、扶余や高句麗では朱蒙として記録した。

(3)神武天皇の子孫は烏孫、扶余、三韓朝鮮半島の倭を経由して、日本列島へ向かった。

(4)ハツクニシラススメラミコトが神武・崇神の2人いるのは、神武天皇が大陸の初めての天皇崇神天皇が日本列島の最初の天皇という意味

(5)弥生時代以降、日本列島にその出来事をあてはめて、あたかも日本列島で起きたように見せかけた。それが大陸の王者である天皇家が、日本の支配者としての地位を固めるために必要だった

(6)そのために日本列島に、大陸の古代国家の名もあてはめることにした

 フェニキアの土地には肥国(ヒノクニ)、アナトリア(トルコ)の土地には穴門(アナト)、トハリスタンの場所には播磨(ハリマ)、サカの土地には大阪(大サカ)、匈奴(ションヌ)は信濃(シンノ)、漢は神奈川、扶桑(倭)は総国(ふさ)など。

(7)古代の段階で、ユーラシアの神武天皇の出来事の真相は、封印されてしまった。

 

 

 ということだった、のかもしれません。

まぁ日ユ同祖論的には、役立つかも。しかし日本の歴史学会みたいなとこの偉い人に取り上げられるとは、思ってませんので。

 

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