たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅お仕事中。

中央アジアの地形と地名がなぜか伊勢湾周辺にあったりしたら

日本が変というのは、今現在起きている変な事だけでなく、古代世界で起きた変なことまでも関係すると思うこの頃なのです。

ところで世の中は「なんかおかしい」って、少なからず誰でも感じ取ってると思いますけど。

お前が言うなという感じかもしれませんが。何故か誰も口にしない代わりに、フルボッコされてきた俺が、ついでに言ってあげてるわけですが・・・。

 

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○いつも助かっております

 

 

おなじ

 

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今回は中央アジアに日本と同じ地形・地名があるっていう変なことをテーマにします。

 

そういえば、ココ数日のブログの閲覧者数。

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先月から500前後で、ずっとなだらかな訪問者数でした。ほそぼそ続けていたんですが、16日はブログのカウンターで1000超え、ブログ管理画面のカウンターで2000超えた。3日連続で1000超えということにもなり、なにか熊本地震の発生と時を同じくしているような・・・。

こんなに増えたのは初めてだったんで、感動したんですよね。人気ブログからすると1000でも2000でも少ないとは思いますが。何があったのか。1日1000人以上が見てるって、考えると凄いことなのですが。

 

 神武天皇の出発点を古代イスラエル・ユダ連合王国として、到着地点の近畿地方中央アジア

この移動経路をユーラシア大陸に当てはめると、ぴったりと歴史的な国家・民族名、そして国家の形までもがあてはまるという仕組みでした。

これを基礎として踏まえてたわけでした。過去記事参照。

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 あらためて 日本の伊勢湾のあたりを考えてみることにした。2016年は伊勢サミットが行われることだし。

伊勢というのは言わずと知れて、伊勢神宮と呼ばれる日本人が昔から信仰してきた天照大神を祀る内宮、豊受大神を祀る外宮のある聖なる土地。

伊勢神宮の内宮は崇神天皇のころに移設場所の調査が行われはじめ、垂仁天皇の時代に今の場所に定着したんですが。

 

この伊勢を中心とする近畿~東海地方は、個人的な想像を働かせた結果、実は中央アジアの地名と一致してるわけでした。 

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伊勢(ise)  イッセドネス(issedones) 
美濃(mino) マナス(manas)    
揖斐川(ebi)  エビ湖(ebi)
知多(chita)  チータ
飛騨(hida)  匈奴(hundo)
信濃(shinano) 匈奴(shonnu)
弓月岳    弓月
宇陀(uda)  烏孫(wuson/uzun)
宇治(uzi)   烏孫(uzun)
宇智(uzi)   烏孫
丹敷(tajiki)  タジキスタン
牟婁(muro)  ムルガブ(murgab)
大阪(osaka) サカ
堺(sakai)  サカ
淡路(ahaji) エフタル(eftal)

中国新疆ウイグル自治区からキルギス方面にかけての、天山山脈を中心とする地方との比較になってます。

新疆のイッセドネスというのは民族名で、サカ系の民族という。かつてのアラル海の北方のカザフステップに居住した説があるのだが、今となっては定かでない。別の地図だと新疆の天山山脈のふもとのこのあたりだとか。伊勢にイッセドネスを照らし合わせると、地図上にあらわしたジュンガル盆地の位置になるんでは。

この手の記事はすでに幾つか書いているので、参考に、

「騎馬民族の影響を完全否定するのはトンデモ(2)」 日本史の中の月氏

 

こうした数多くの地名の相似を目の当たりにした時の、日本史研究者の反応はこんな感じかもしれない。「たまたま」「偶然に決まってる」「遠いから関係ないし」「ノーコメント」「妄想乙」

偶然の一致、たまたまだっていう発想から先に進めないのは、仕方がないことであるんだけど。 

じゃあもう一つの偶然の一致を提示してみますが。これはどうですかね。

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青い線のところ、見て欲しいんですけど。青い線は全体でタツノオトシゴみたいに見えます。

不思議な事に、中央アジアの①、②、③、④と、日本の伊勢周辺の①、②、③、④の線の形状が、一致しているように見えませんか。

中央アジア・新疆の場合には、高地や山岳地帯が周辺を取り囲む砂漠から、一段階浮き上がってるではないですか。

この中央アジアの地形と、日本の三重県~愛知県あたりの海岸線の形状が、よく似てるということになってました。知多半島のところがチータイだったり、エビ湖が揖斐川に一致したり、という新たな発見も。

陸の孤島」とか言いますけど、まさに海の中の陸地と形容されたかもしれないってことで。中国のチベット高原東部を「青海」と呼んでることからも、ありがちだと思うわけですが。たぶん砂漠の民は、海がなくても海と呼び、砂漠を海と表現し、砂漠=海から浮き上がった高台を陸地と表現するんですよ。

 

たしかにこの地形の相似は、完全に偶然起きたこと、あるいは日本雛形論としていえば創造神による御業であるのですが、古代の中央アジア人が日本列島へやってきて伊勢周辺の地形を見た時、

「これって中央アジア付近にぴったり当てはまってるみたいだな~」

と発想するに違いないのですよね。で、日本書紀崇神天皇の皇女豊鍬入姫命と、垂仁天皇の皇女倭姫命が、伊勢神宮遷座地の探索をしたではないですか。彼女らは皇族でしたが、もし先祖のいた土地中央アジアの地形を知っているとしたら、

「先祖の故郷(中央アジア)と地形が一致するので、地名も合わせる」

んじゃないんでしょうかね。その役割をしたのが彼女らだったと思うわけなのですが。

 

こうして日本雛形論の祖形が、崇神天皇のころにすでにあったことが分かってくるわけなのですが・・・。日本の地名の多くが、中央アジアの1世紀~3世紀頃の地名を移植してあるという。

こんな結論に至ってしまうと、「日本の地名は縄文人由来だ、「アイヌが、日本人が編み出した」とする従来の考え方とは全く相容れない様相です。

拙著で「日本の地名の真の由来と神武東征のカラクリ仕掛け(上下)」を出してますが、この作品の続編を書く必要があるということで。今後書けるかどうか。

 

 

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などなど。

 

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