予定を変えまして、以前の崑崙山の話の続き。今回は奈良の三輪山の神さま、大物主神の正体についての一考です。
大物主神って?
大物主神は日本書紀に登場する神。大国主の国造りの時に西の海を超えてやって来た、幸魂奇魂とあります。古来より大国主神と同一視されたりもしてきました。
しかし神話からは、西の大陸から海を超えて倭に入って来たことが伺い知れるんです。どこの国の神だったのかは判明してませんが。出雲に入ってからは、何故か奈良の三輪山に移動して留まったということでした。
大物主神の真の力が判明したのは、のちの崇神天皇の時代に起きた出来事です。百姓の反乱と疫病蔓延がひどかったというのですが、これがいわゆる「倭国大乱」だったかと思います。すると崇神天皇の時代は卑弥呼と同じ、2世紀末~3世紀の頃。
その時に巫女である倭迹迹日百襲姫命(やまととひももそひめのみこと)が「太田田根子(おおたた猫)を祭主として大物主神を祀れば禍事は静まる」との夢のお告げを受けたのでした。
崇神天皇はそれを実現して、その倭国の乱れを終わらせたとのことです。まぁ俺にまつわる禍事も、大物主さまに祈れば収まるんですかねぇ・・・。
大物主神は奈良の大神神社の祭神となってますが、背後にある三輪山自体がご神体となっています。
またその後に倭迹迹日百襲姫命が大物主神と過ごした時に、その神の正体が蛇であったことが明らかになりました。その時に倭迹迹日百襲姫命は箸によって死んだことから、その墓所を箸墓と名付けたとの伝説も残っています。
大物主神は蛇神であり、水神であり、また雷神の性格もあり、疫病を治し酒の神と言った顔もあるようです。
まぁ大物主神は蛇神であり医療の神。ということで、西洋のアスクレピオスの杖みたいな信仰が入り込んでるようでもあるのですが。それはまた別の話で。
それで大物主神は、どこから来たんだろうと考えたのです。出雲の大国主の分身ともいいますが、個人的には全く別の神が正体であろうと考えます。
それは以前に取り上げた、「崑崙山」の神でした。
三輪山が崑崙山の鏡写しであることは、以前の記事で解説しました。それならば大物主神とは、「西王母」なのは確実だろうと考えているんですこれがまた。
名前を比較するとわかります。
崑崙山の西王母 王母=おうも
三輪山の大物主 大物=おうもの
どっちも「おうも」だったんです。おーもいがー(オーマイガー)・・・。
まぁ三輪の大物主神とは崑崙山の西王母だった、あるいは習合されているというわけなのですね。
これは天照大神が男装したのと同様に、女王卑弥呼が男装し、崇神天皇を演じているためです(妄想)。大物主神も、男女を逆転させる必要があったんではないかと。
蛇神というのは西王母の崑崙山が龍神の山だったことの反映であり、水神雷神というのも、本来は龍の性質を現すものです。蛇神と龍神の性質は、とても似たようなものですので。
また疫病を鎮める役割に選ばれたのも、西王母が蟠桃園(ばんとうえん)の仙桃によって病を治し、不老長寿のご利益をもたらす力を持っていたからではないかと。
倭迹迹日百襲姫命が大物主神と関わったのも、西王母が桃という神の実を育てていて、桃の名を持っていたことで関係していたからでした。
大物主神
— たっちゃん@古代史研究+アート (@t7a7t0o1) 2022年12月19日
西の海から来た三輪山の神
蛇神、水神、金刀比羅神社(金)、医療神、酒の神、ヤマトトトヒモモソヒメ(トト=鳥、モモ=桃)
西王母
不老不死を司る崑崙山の仙女
崑崙は龍脈、瑶池金母(水神)、金色、医療神、酒の神、青鳥(眷属)、仙桃
まぁもう少しわかりやすく書くと、以下のようになるわけです、これがまた。
おうも おうも
蛇神 龍神
水神 水神
金刀比羅 金色
医療神 医療神
酒の神 酒の神
とと(鳥) 青鳥
もも(桃) 仙桃・蟠桃園
三輪(侖) 崑崙(侖)
龍王山 龍脈
こうした神の性質(神格)や居場所の情報が完全一致してるのも、偶然じゃなかった。三輪山信仰には、崑崙の西王母信仰が習合してる証拠になるのであります。
だからこそ三輪山近くの黒塚古墳で大量の三角縁神獣鏡が見つかったり、纒向遺跡で桃の種が大量に見つかったり、といったことになってるんではないかと。
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そうすると大物主神は「幸魂奇魂」とは、サカと月氏であろうと思われます。崑崙山地に接するタリム盆地とは、サカと月氏の土地だったからです。
大物主 おうも 西王母 おうも
— たっちゃん@古代史研究+アート (@t7a7t0o1) 2023年1月20日
幸魂 さきみたま サカ
奇魂 くしみたま 月氏
おそらく西王母信仰を持ち込んだ大陸の天皇と大和民族は、崑崙を経て烏孫を経て、サカ人と月氏人を引き連れ、倭に入り込んだといった感じで。
あと、大物主が蛇神で医療の神で、アスクレピオスの杖みたいな感じがしましたね。結局は中央アジアや西域あたり、ギリシャ人やら景教徒やらが入り込んだ地域だから、当然ちゃ当然な感じだったんではないかと。
秦の始皇帝が神仙思想の崇拝者で、不老長寿の仙薬を求めて倭に調査の移民を送ったのでしたが。始皇帝が崇めたのも結局は仙界の王である西王母、大物主神だったんですかね。蟠桃園があるという崑崙も調べたんでしょうが、見つからなかったんですかね?
あと、三輪山に大物主神が移動する以前から、三輪山には神の信仰があったようですが。三輪山に元々いらした神の性質も、蛇、龍、水といったところで西王母や大物主神に似通っていたので、習合したんじゃないですかね。
いわば全ては引き寄せの法則が発動した結果というわけなんです、これがまた。
ぽちられたすかります
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