従来まであった「弥生時代に帆船なかった説」は、近々終わるかもしれんです。そんな話。
弥生~古墳時代には帆船がなかった説
長い間、「むかしの倭人の船はみんな丸木舟や準構造船だった」「帆船なかった」みたいに考えられてたそうです。
なにしろ帆船の現物はもちろん、帆船ぽい線刻画やら埴輪も、僅かしか見つかってなかったので。わたすも以前は無いんだと思ってました。
人類が1万年前から使ってた丸木舟は、大木をくりぬいた単純な小型のパドルボートで、日本では4000年前の縄文時代からあったそうな。
そして倭人の準構造船は弥生時代からあり、丸木舟に船体構造を付け、操作性や乗り心地を向上させたタイプ。

大阪歴史博物館 - Wikipedia 準構造船
古墳時代の巨大な船の埴輪は、準構造船の種類が幾つかあります。
そして帆で風を受けて動く、帆船が日本に初めて登場したのは、古墳時代の頃だったとか言われています。
そんな中で資料を漁ってたところ、倭人の船のなかに帆船ぽいもの見つけた。
ここに描かれてる弥生~古墳時代の船の絵、
— たっちゃん@古代史研究+アート (@t7a7t0o1) 2024年11月30日
パドル船じゃなくて、帆船の可能性があるんでは
各船の中央にあるのがマストとセイル
埋蔵文化財調査室(pdf)https://t.co/hWnzGwpdcb pic.twitter.com/zMFAIqUn0f
上は広島県の埋蔵文化財調査室の画像ですが、まぁこれは帆が描いてあるかもしれませんね。
帆とマストが風で変形した姿を描いていておかしくないですし。
https://www.harc.or.jp/gyouji/pdf/y2015/26kataru_shiryo.pdf
しかし公式には、帆船であるという説明はないです。
御陵遺跡の船の絵は、「旗」であるとの説明があったりしますし。やはり弥生時代に帆船は無いという認識みたい。

他の資料探してると、こんなのありました。
「古墳時代の大型船に帆はあったのか」
https://researchmap.jp/read0156269/published_papers/1430394/attachment_file.pdf
この論文では過去の学者による「帆船があった説」を提示してます。
古墳時代前期から帆船があった可能性はあるけれども、証拠が乏しいので断言できない、という結論になってます。
威杖はマストとセイルである
あと三重県の宝塚1号墳(5世紀初頭)の船形埴輪を見ると、「王のもつ杖とされる威杖(いじょう)」というもの(¥形の物体)があるのですが。
https://x.com/t7a7t0o1/status/1866471533209940477
実はこれ、「小型のマストとセイル」だったりするかも知れんと思いました。

帆とするとサイズが小さい感じですが、船全体をデフォルメしているので、実際はもっと大きいのかもしれないし。
なにしろ「威杖」は「威」なので。
「威」で辞書ひくと、「人をおそれ従わせる勢い。勢力」とあり。
これは風の威力を受けて推進する杖状の設備だから、威杖と名付けたんではないかと。
たぶん杖とあるから木で作られた風受けで、軸を回転させて風向きに合わせ使ったみたいです。
まぁ威杖がマストと木製セイルの構造であるとは、専門家は誰も言ってませんけども、可能性はありそうです。
帆船の絵がある場所と年代まとめ
上の論文に登場した、2~6世紀の帆船らしき線刻画や壁画や埴輪、古文書の記録などをまとめると、以下のようになってました。
広島 御領遺跡 絵画土器(旗とされる) 2~3世紀
奈良 東殿塚古墳 線刻埴輪 3世紀末~4世紀初頭
京都 カラネガ岳Z号 4世紀前半
大阪 長原高廻り2号墳 船形埴輪(マストの穴付き説)5世紀前半
大阪 新池埴輪窯 円筒埴輪 5世紀中頃
熊本 ヤンボシ塚古墳 石室壁画 5世紀前半
大阪 今城塚古墳 円筒埴輪 6世紀前半
熊本 珍敷塚古墳 装飾壁画 6世紀
熊本 桂原1号2号墳 石室壁画 6世紀
「日本書紀」の神功皇后は、私見では350~390年頃の統治だったと思われますので、古墳時代前期の帆船の記録です。
ここに三重の宝塚1号墳(5世紀初頭)船形埴輪などの、「威杖」はマストとセイル説も、付け加えたいところ。
結論としては「弥生時代に帆船あったかも」
帆船ぽい線刻土器があった東殿塚古墳は古墳時代初期なので、弥生時代末期にはすでに帆船はあったかもしれんですね。まぁ今後の調査で、弥生時代の帆船の線刻画はみつかる可能性あると思いますし、今後に期待。
ぽちされたすかりまs
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