たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅お仕事中。

倭の古墳時代のギザギザ住宅とバビロンのイシュタル門(日ユ同祖論)

俺はこの家にいらない子・・・。ついに今週は引っ越し週間。

やっと動ける。

 

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○いつも助かっております

 

 

 

倭の古墳時代の形象埴輪について。

 

奇妙な住宅の姿が見られます。

こんなの。

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柵形埴輪 - Google 検索 より

 

柵型埴輪っていうタイプですが、なんかギザギザとしていて特徴的です。中央に窓がついているので、住居か倉庫兼、塀みたいな役割なのかもです。

当時の住宅自体も、ギザギザとした外観だった様子で、家形埴輪にもまったく同じギザギザつきのものがあります。柵型埴輪は、有名どころでは継体天皇稜といわれる今城塚古墳でも出土しています。

 

ギザギザ+建物=倭の様式

 

これは学校のテストには出ませんが、重要らしいです。

とにかく倭の時代はこんな風景があったなんて、なんか奇妙すぎる。

 

仏教でも、塔婆が連続するとギザギザの形になってたり。あるいは縄文土器でもギザギザ模様の釣手土器が稀にはありますが。

塔婆の場合は人が入る建物ではないし、 縄文土器の釣手土器は香炉や火鉢みたいに、火を灯す役割なので、ギザギザが炎を表しているということだから家屋じゃないみたいです。

 弥生時代のギザギザ建物洋式ですが、アジアでは当時日本だけだったかもしれません。

 

しかし極東を遠く離れた場所では、ギザギザが倭と同様、建物に頻繁に利用されていたみたいなんですよ。

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中東のギザギザ+建物

 

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イシュタル門 - Wikipediaより

イシュタル門


イシュタル門(英語: Ishtar Gate、アッシリア語:ܕܵܪܘܲܐܙܲܐ ܕܥܵܐܫܬܲܪ 音訳: Darwaza D'Ishtar, ペルシア語: دروازه ایشتار、アラビア語: بوابة عشتار)は、バビロンの北域に位置する、8番目の門。

紀元前575年、新バビロニアネブカドネザル2世により建設された。青い釉薬瓦で、バビロンの女神イシュタルと共に、ムシュフシュ、オーロックスの浅浮き彫り(en)などが描かれている。

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イシュタル門 - Wikipediaより

 

ギザギザ+建物=バビロンの様式

だったんですね。

 

古代イスラエル人は、なにかとバビロンとは縁がありましたし。ネガティブな意味でも。

これは「日ユ同祖論」とか「大和民族の中東起源」 から解いてみたほうが、手っ取り早いのではと思ったりします。

つまり倭のギザギザ建築は、バビロンの記憶を受け継いだものなんですかね。他の同祖論的なところにもリンクしてるふうに思います。

 

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