中央アジアの紀元前2世紀、烏孫の王である昆莫。実は昆莫の本名が「イワレビコ」という名前で、「漢書」「史記列伝」に記録されていたとしたらどうしますか。
もしそんなことがあったら、神武天皇の諡号「イワレビコ」なので、昆莫と神武天皇が同一人物か、かなり関係していると見ざるを得なくなります。
○いつも助かっております
断言法
・・・「絶対にこうである」「私の意見こそ正解である」というのが「断言法」ですが。
デジタル大辞泉の解説
だん‐げん【断言】
[名](スル)確信をもってきっぱりと言いきること。「絶対に失敗はないと―する」
こういうのは、定説から外れた意見を述べてる場合、間違ってるリスクが発生しています。
そもそも断言しておいて、外れてしまい、後で間違ってました(てへ)と、訂正する時のことをまるで考えてないんじゃないかということで、難しい所なんですが。
これはアマチュアの自分自身にも、当てはまってくることなんすけど。
逆に断言しておいて正解だったと証明された場合、さすがと尊敬されることになるんですけど。
たとえば歴史じゃなくてオカルトの世界でいうと、
・ノストラダムスの予言によれば1999年に世界が破滅する
・マヤの予言によれば2012年に世界が破滅する
・2012年に人類はライトボディになり次元上昇しアセンションする
・マヤの予言によれば正しくは2015年9月に世界が滅亡する
・ユダヤの終末論によれば2015年9月に世界が破滅する
・あいつが毎日騒音出してるんだよ(騒音を俺のせいにされた)
・・・これらはぜんぶ外れてましたね。マヤの予言なんかは訂正しても外しましたので。なんで彼らは、大々的に外すんだろうか。
リスクありすぎなのが断言法である(断言)。「絶対に破滅する間違いない!」とか言っておいて外れるのだから。
「もしかしたら世界が破滅しちゃうかもよ(外れたらスマソ)」みたいに言っとけば問題ないと思うのですが。
断言法の対局にあるのが「推量用法」とかいうもので
「~ではないか」「~と考えられる」「~と推定(想像)する」「可能性がある」「かもしれない」「おそらく」などと推定して可能性を提起するものですが、たぶん歴史作家や研究者でこちらの表現法を好む人のほうが多い、というのは断言法のリスクを知ってるからでせう。
デジタル大辞泉の解説
すい‐りょう〔‐リヤウ〕【推量】
[名](スル)
1 物事の状態・程度や他人の心中などをおしはかること。推測。「胸中を推量する」「当て推量」
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まあ関係ない話をしてみましたが、烏孫の昆莫について新たにわかったことがあるのです。こちらがメインの題目。
あえて断言してみましたが、少なくとも可能性はあるということは言えます。
いままで神武天皇が烏孫の昆莫と同一人物であることについて、適当に研究したことの記事はこちら。
日本の神武朝は「中央アジアの烏孫の昆莫王朝」と同一視できることのまとめ
神武東征は「烏孫王の中央アジア東征だった」を、登場する人物名と地名から検証してみる
中国史書の「日本の神と天皇」を見分ける方法 からわかる烏孫の神武天皇
まあ想像してるだけなので暇つぶしにどうぞう。
で、いままでのおさらいとしては、
神武天皇を分解すると神武(Jin-Mu)で、これは(Kan-Mu)(Kan-Bu)と読むこともできるんです。
一方で烏孫の王、昆莫です。
昆莫は漢字の上古音で(Kuen-Mo)ですが、漢音だと昆莫(Kon-Bak)で、神武天皇と全く同じになることに気づきま専科。
神武 │ Jin │ Mu │
神武 │ Kan │ Mu │
神武 │ Kan │ Bu │昆莫 │Kuen│ Mo │
昆莫 │Kon │Bak │一致していますよね。
神武は淡海三船によって、意図的に昆莫の名に合わせられているというわけなのです。え?疑わしいですか。。
では神武天皇と昆莫の皇后の名前が、仮に一致していたらどうですか。え?神武天皇だけにとどまらず皇后名までも?ときたら。まさか・・・。
神武天皇の后は媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)です。
一方で烏孫の昆莫の皇后は、江都公主というんですが、本名は劉細君(リュウ・サイクン)というのです。
媛蹈鞴五十鈴媛命、江都公主、劉細君・・・・・・ぜんぜん接点が無いですね、残念でしたというのが、従来の短絡的な見方です。
でも媛蹈鞴五十鈴媛命というのは、漢字を充てていることを念頭に置いて見てみると、違った答えが出ます。
鞴五十鈴の部分が、劉細君に一致していたんです。
鞴五十鈴 │ Rai │ Su │ zu │
劉細君 │Ryu │ Sai │Kun │
古事記の方を見ると
劉細君 r - iu- sai - kun
良伊須須岐 ra-i- susu -ki
良伊須気 ra-i - su - ki
一致しているように見えませんか。別の解釈でも。
五十 │Go │ To │(五=ゴ、十=トオと読んだ場合)
江都 │Go │ Tu │(江=ゴウと読んだ場合)五十 │ I │ To │(五=イと読んだ場合)
江都 │E │ Tu │(江=エと読んだ場合日本語の漢字の読みをした時に、暗号のようにして一致するように、日本書紀では漢字を選んでいるんです。
で、子息の名も一致してましたら、どうしますか。
神武天皇の御子に手研耳命(たぎしみみのみこと)という人物がいます。
耳を手で研いだんですか?いや、そんなんじゃありません。これも本来「たぎしみみ」という音に、漢字を充てているだけです。
で、烏孫の昆莫の王子に、大禄という人がいました。当時の発音だと多分「ダルク」というのです。
で、これも一致して無いように見えて、却下というのが一般の捉え方になるんだと思います。しかしなにか一つの特徴が見えてくるのですが、烏孫というのは、テュルク系の土地にあるのですよ。突厥、東湖、鐵勒、突騎施。これらユーラシア中央~東部の古代国家は「テュルク」の音写なのですね。テュルクが突厥、東湖、鐵勒、突騎施になってるんです。
で、手研耳に戻ると、これはTa-Gi-Si。突騎施はTur-Gi-Sh。なので完全一致ですよね。要するに手研耳命は中央アジアにいて、テュルクの名を持っていたから、手研耳なのだと。これはまず覚えておいてください。
そしてつぎに大禄がダルクなのも、すぐわかりますけど、ダルクとはテュルクであると。
つまり
神武の息子 手研 タギシ 突騎施 トゥルギッシュ=テュルク
昆莫の息子 大禄 ダルク=テュルク
もうひとつ。
諱(本名)は「日本書紀」によると「神渟名川耳」っていうのですよ。
「古事記」では「神沼河耳」で、「かんぬなかわみみ」、「かむぬなかはみみ」。
この名前、烏孫の昆靡名(王名)にありました。
烏孫の3代目は「軍須靡(クンシュミ)」というんですが、名前比べてみたら、
神渟名 kan-jou-mei(日本書紀)
神沼 kan-sho(古事記)
軍須靡 kun-shu-mie(秦・漢時代の音)
神渟名をカンジョウメイと音読みした場合、なんでこんなに似てるんですかね。。
「渟」は音読でジョウ。
さらに軍須靡には別名があって、「岑陬(ジンゾー・またはジンス/ジンシュ)」っていうのですが、これも神渟名川耳の中にちゃんとありました。
神渟 jin-jou
神沼 jin-sho
岑陬 jin -zou(jin-su/jin-shu)
神渟でも神沼でも、岑陬と一致させることができるんです。こんな偶然は無いんじゃないかと。つまり必然なんじゃないかと。
中国史書の「日本の神と天皇」を見分ける方法 からわかる烏孫の神武天皇
日本の神武朝は「中央アジアの烏孫の昆莫王朝」と同一視できることのまとめ - たっちゃんの古代史とか
この2つの記事を合わせた。
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ではここから、今回さらにわかったこと。
昆莫は君主号ですが、本名を「猟驕靡」といいました。「漢書」「史記列伝」などに書いてあります。
これは日本の漢字の読みでは「りょうきょうび」なんですが。
りょうきょうび。りょうきょう?・・・琉球ってもしかして、もしかする?沖縄に神武天皇がいたという仮説があるらしいんですよね。すると、(1)烏孫の猟驕→(2)沖縄に伝播で猟驕が琉球→(3)沖縄に神武天皇がいた説完成、みたいな感じかもしれませんが。
それにしても神武天皇の諡号や諱に当てはめてみても、ぜんぜん一致しませんね。それで一度は断念してたのですが、先日わかりました。
猟驕靡というのは、ある解釈法を用いることで、神武天皇の名前と一致しているようでした。
神倭伊波礼琵古命(かむやまといわれひこのみこと)古事記
神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)日本書紀
始馭天下之天皇(はつくにしらすすめらみこと)日本書紀
若御毛沼命(わかみけぬのみこと)古事記
狹野尊(さののみこと)日本書紀
彦火火出見(ひこほほでみ)日本書紀
こんな感じになります。他にもあるかもですが。
そして、昆莫の本名である「猟・驕・靡」の漢字の意味を調べると、
猟・・・
りょう【猟〔獵〕】[漢字項目]
[常用漢字] [音]リョウ(レフ)(呉)(漢) [訓]かる かり
1 狩りをする。狩り。
2 さがし求める。あさる「学研漢和大字典を引くと、古訓に「カサヌ」がありました。
驕・・・
きょう【驕】[漢字項目]
[音]キョウ(ケウ)(呉)(漢) [訓]おごる おごり
おごり高ぶる。
威張る(いばる)/おごる/付け上がる(つけあがる)/高ぶる(たかぶる)
靡・・・
び【靡】[漢字項目]
[音]ビ(漢) [訓]なびく
1 他の力に従う。なびく。「靡然/風靡」
2 衰える。「萎靡(いび)」
3 はでで美しい。「猗靡(いび)」
4 おごる。ぜいたく。
関係する言葉が出てきました。
猟 カサヌ・・・ サヌ 狹野(サノ、サヌともいう)
驕 威張る・・・ イバル 伊波礼(イハレ)
靡 なびく・・・ ビク 毘古(ビコ)、彦(ビコ)
つまり烏孫の昆莫の「猟驕靡」で、神武天皇の「狹野・伊波礼毘古」に合致しているように、見えてくるのですが。多少の誤差はあっても。
漢人が、烏孫の昆莫の名前「サノ・イワレビコ」を漢字に翻訳して、「猟驕靡」という漢字を当て、「漢書」「史記列伝」で猟驕靡の名が使われているということが考えられるのですよ。
そうすると烏孫の言語は日本語に似てるということになりますけど。
すると烏孫の昆莫は、神武天皇であり、神武天皇は烏孫に居たのが真相なんではないかと。それで淡海三船は昆莫に合わせて「神武」としたんではと。いろんな要素を組み合わせて考えると、そんな気がするだけですが・・・。
これは、やっぱ偶然ですかね。
といった感じのところも、歴史論文にちょっとづつまとめてますので、生きてたら公開します(無料で)。
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