ずっと以前から卑弥呼のことを考えてると、色々湧いて来るので。俺って前世は卑弥呼だったのか、と妄想したりしてました。
そういえば最近も、苦難の日々・・・しかもなんか、大地震の噂がふつふつ沸いて来て、止まらないですね。
隣のおばさんも連日のようにイジワルだし。終わっても別によいかな。運命の日は、枕元にヘルメットでも置いてみよう。
○いつも助かっております
卑弥呼は夕陽の女王
卑弥呼が「日御子」で、太陽の巫子だというのは、昔からの解釈でした。
それは女王卑弥呼からは、太陽神、天照大神の化身、的な印象が見えるから。
で、なんで夕陽の女王なのか?朝陽じゃだめなの?南中高度の太陽じゃだめなの?と思いますね。
しかし卑弥呼は、太陽のなかでも夕陽がしっくりくる女王だったんですよ、これがまた。
日向三代は「火」の神
天照大神の孫以降の三世代は、天孫瓊瓊杵からあわせて日向三代と呼ばれていました。
・火瓊瓊杵尊 ににぎ、ほのににぎ
・火折尊 ほおり(彦火火出見)
・鸕鶿草葺不合尊(鵜草葺不合命)うがやふきあえず
日向(宮崎)にいたから、日向三代。
系図では、この鸕鶿草葺不合尊の息子が、神武天皇になってます。
この日向三代、名前からわかる通り、火に関係した神々でした。
火瓊瓊杵は火、
火折尊は火。
では鸕鶿草葺不合尊は?
火なんかないじゃん・・・。しかしこのヘンテコな名前には、ちゃんと火に関連した言葉が詰め込まれてました。
・鸕(う)は水鳥の鵜。鵜飼いの鵜。鵜飼いの船は、夜に「鵜飼い火」を灯して漁をしますね。つまり火が関係する鳥。
・鶿(がや)は茅で、火薬(かや)に通じる。
・葺(ふき)は火を吹いて起こす「吹き」に通じ、火に関係する。
・不合は、「ふごう」と読めば、火起こしの「鞴(ふいご)」に通じる。
鸕鶿草葺不合尊が火の神というのは、こんな感じで分かったりします。
つまり天照大神の系譜は、火の神としての神格を持ってたのが明らかでした。
日の丸と天照大神と夕陽
実はこれ、真ん中の日の丸は天照大神という意味が入ってるので、神道色満々な国旗なわけですが。
日の丸の色って、なんか真っ赤ですね。
朝から昼にかけて、太陽を目視すると、どう見ても白い光りではないですか。ありがとうございました。
赤い太陽って、どちらかと言えば夕陽に近いんではないかと。夕陽ってオレンジ、見え方によっては真っ赤に燃えてる感じもするし。
日の丸の色は、実は「夕陽の色」だということになったりします。
武田信玄が所持した日の丸も、真っ赤な色だったとか。平安時代にはすでに日章旗があったとかいいます。
神社の御朱印、鳥居は赤に近い朱色、天皇の大嘗祭の衣服は、もともと大昔から赤い衣だったとか。そう考えると、天照大神が夕日色を象徴したというのはしっくり来ますけど。
この龍の刺繍が入ったキンキラキンの唐服と帝冠たる冕冠が本来の天皇の正装であるが、これ一着で莫大な金がかかるので中世に入ってからは着用する機会が減ったという pic.twitter.com/wMqO5UOeLI
— 少弐雪丸 (@Snow_CandyFace) 2018年12月22日
まぁ沈みゆく太陽は大禍時であって不吉なんていう話もあったりしますが。
逆に日本的な「ハレとケ」で見れば、赤はハレで天晴れ、白はケで穢れが合わさってくるので、天照大神がハレの神というのなら、夕日の赤が相応しかったのかもしれないです。
サンセットはロマンチックだから。夜は盛り場の書き入れ時だし。キリストは、アルファでありオメガであると言ってたように、沈んだ太陽はやがて昇るわけだし。
べつに不吉と捉えなくても、いい話だったりしますが、沈む太陽こそが天照大神の真骨頂だったりすのですかね。
卑弥呼→白虎
卑弥呼からも夕陽の情報が出てくるンですけど。
ひとまず、卑弥呼がこだわった、百の数字からちょっと見てみる。
径百歩の墓、百人殉死と卑弥呼には百がつきまとい、私説では倭迹迹日百襲姫命も、卑弥呼の別人格でした。なにしろ百がついてるので。
卑弥呼が、百にこだわったのは、名前からも百が取り出せることからもわかります。
卑弥呼→ひやこ→ひゃく→百
百といえば、白とよくにてますね。百も白も、「ハク」ではないですか。卑弥呼も、卑の字の上部に白を隠してます。
百 ひゃく ハク
白 しろ ハク
百から一を引いた白は、もしかして「つくも」なのかも。
つくもとは99のことで、付喪神というふうに、百年以上を生きたモノに付く霊魂、いわば精霊や妖怪の類いを表す言葉でもありました。。
白=付喪神言えば、白虎。
白虎は四神と呼ばれた神獣の一柱でした。方位でいえば西の守護、色は白、あるいは西は金色とされますね。
ここで卑弥呼と白虎の関係を見てみる。
卑弥呼→ひやこ→ひゃく→百
卑弥呼→ひやこ→びゃっこ→白虎
卑弥呼が自身の名前のなかに四神の白虎を見い出したのは。ありえなくないです。
何しろ弥生時代の神獣を描いた鏡、方格規矩四神鏡みたいなものを、卑弥呼は身近に置いたと考えられるので。
ちなみに、むかし西の方位は十二時辰で「暮六つ」と呼ばれてました。これは夕陽の沈む、夕方17時の時刻。
まとめると、
・日の丸は天照大神、赤い玉は夕陽の色
・卑弥呼の色は夕日色
・卑弥呼はひやこ、びゃっこ、白虎
・卑弥呼(白虎)は西、日没、暮六つ(17時)、夕陽をあらわす。
こんな解釈もありかと。
卑弥呼が夕陽を纏った意図
卑弥呼が生まれた時代は、倭国の大乱の頃。疫病が蔓延し戦乱を繰り広げる黄昏時の国。
まさに逢魔時、大禍時でありました。
そのために病国(やまい(国と名付けたのかと。拙著でそんな解釈もしてたのは2014年でした。
そんな時代は、火に包まれた世界を想起させたりする。卑弥呼は火の神の化身であるから、もしかして「火弥呼」だったのかも。
一日の太陽のなかで、夕陽が空を染め上げる様子は、時代を問わず神秘性が高い。そして夕陽の色は、夕焼けと呼ぶとおり、天空を焼く、火の色に近い。
だから夕陽は、火の神である天照大神にいちばん近づく瞬間。古代の卑弥呼は、天照大神の化身として振る舞った。
だから卑弥呼は、自身に夕陽を重ねて尊んでいて、おかしくないかと考えてみました。
卑弥呼の居場所は九州だった情報も
あと、卑弥呼の居場所についても、この仮説で説明できます。むかしの偉人は、自身の名前に出身地名を刻んでいました。
これは古代であるほど、その傾向が強かったです。崇神天皇も、九州の名が含まれていたのは、以前の記事で指摘した通り。。
西を象徴する白虎を冠する卑弥呼だから、卑弥呼の居場所は日本列島の西のほうですね。西日本ていうと近畿より西、で確定。
九州は古来より西海道だったので、西、白虎を象徴する土地でした。西日本の中でも、九州の可能性が高いですね。
日向というのも九州全体の別名で、日の向かう島、日没の島、夕陽の島が九州なので、卑弥呼がいるに相応しい感じがしてきますね。
そもそも卑弥呼の名も、ひむかをモジッたものという説はあるのですよ。
九州には火の国、肥国熊本があるので、火の神日向三代と天照大神を彷彿とさせるし、この仮説は信憑性あります。
あと、むかし九州の福岡を、白日別と呼んでたのですが。これも、白虎、卑弥呼を暗示してるかのよう。
卑弥呼はひやこ
ひやこは白虎
白虎は西
西は西海道
西海道には福岡
福岡は白日別
というわけで。
卑弥呼は、九州の中でも白日別にいておかしくなかったす。
で、安本美典さん説の「朝倉説」ですよ。あれが核心であると、個人的には思っています。
以前にもブログで書いてました。
関連記事
・<前回の続き> 崇神天皇の諡号はそのまんま卑弥呼だった件(崇神天皇=卑弥呼説)