西殿塚古墳の記事を書く前に、こっちを先に公表しておきます。
当時としては自分の最大限の表現でしたが、付け焼き刃的な情報と知識しかなく、想像力を完全に発揮させることができていませんでした。
奈良県天理市の西殿塚古墳が、卑弥呼=崇神天皇の情報をたっぷり蓄えた古墳であることを書くことができなかったのも、大変残念なところです。
でも重要なのは「崇神天皇に封印された卑弥呼と壱与」というタイトルで表したことでした。
他に唱えている人がいませんでしたので。これにより崇神天皇=卑弥呼+壱与説の第一人者的な立場になったわけなので。まあ俺みたいな低学歴の兵六玉の三太郎がこんなこと提唱しちゃってすいませんが。
この結論については、2017年9月になった今も変わっていません。支持はあんまりない様子です。
ずっと研究をしていたのですが、もうそろそろ結論が出てもいいんじゃないかと思うのですが。崇神天皇が卑弥呼と壱与の集合体だってことに。
最近の研究によれば、崇神天皇の諡号自体が、卑弥呼という名のアナグラム、暗号として機能していることがわかってきましたので尚更です。
○いつも助かっております
崇神天皇の諡号、称号的な追号を含めて幾つかあります。「古事記」と「日本書紀」、それに「常陸国風土記」などに登場しており、それぞれで用いる漢字が異なりました。
・御眞木入日子印恵命(みまきいりひこいにえのみこと) - 『古事記』
・所知初國御眞木天皇(はつくにしらししみまきのすめらみこと) - 『古事記』
・御間城入彦五十瓊殖天皇(みまきいりびこいにえのすめらみこと) - 『日本書紀』
・御肇國天皇(はつくにしらすすめらみこと) - 『日本書紀』
・美萬貴天皇(みまきのすめらみこと) - 『常陸国風土記』
こんなふうに。
パッと見て女王卑弥呼という文字が入っているわけじゃないのでわかりませんね。でもここに卑弥呼の情報が入っていたのです。画像で明らかにします。
では以下の画像に目を通していただきます。 これを本来2012年に本に挿入できていればと悔やまれるところですが。
ということになってたのですが、詳しく解説したいと思います。
(1)・卑彌呼の印
本来の「魏志倭人伝」や「後漢書倭伝」における卑弥呼の表記は「卑彌呼」です。
「彌」という字は古代の中国で、公用印を表していました。倭國で卑弥呼のころの印鑑といえば倭人伝に出てくる「親魏倭王」の金印しかないです。
それで卑彌呼の彌が、おそらく金印を踏まえて用いられた漢字だとがわかります。卑弥呼の名は完全に相応しい文字が当てられていますが、その点は別記事参照。
一方の「古事記」では崇神天皇の諡号は「入日子印恵」なのですが、こちらははっきりと「印」が入っているではないですか。印とは彌と同系統の漢字で、天子の用いるものは璽と書き、これも弥=彌と同じく公用印をあらわしています。
これによって、崇神天皇と卑弥呼は、名に共通して「彌=印」を含むと理解できるのです。こんな卑弥呼の情報を含む天皇は、崇神天皇の他には見当たりません。
まぁこれだけだと偶然なんて言えますよね。しかし偶然は続くものです。
太安万侶の「古事記」では、崇神天皇の諡号には「入日子印恵」とあります。昔の人はキラキラネームだったんだと言えば確かにそうでした。
この名は「日子=彦」が含まれるので、男を現すようでありますが、この性別はフェイクでした。
卑弥呼に対応するのは、諡号の真ん中の「日子印」です。並べ替え、「弥=彌=印」であることをあわせれば「日・印(彌)・子」となり、崇神天皇の諡号に卑弥呼が隠されていたことが判明します。こんな卑弥呼の情報を含む天皇は、崇神天皇の他には見当たりません。
まぁこれもたまたま偶然、同じ音や意味の漢字が、崇神天皇と卑弥呼の間で重なっただけだよなんていえますよね。でも極めて狭い範囲で、3つ続く偶然はありえません。必然的、計画的です。
(3)・女王
一方で崇神天皇は男性天皇なのが常識でしたが「古事記」で「賢しき后」とあり、「后」は女性の高貴な奥様に対して使われる妃(きさき)、女性を現す文字でした。だから崇神天皇が女性だという情報源が、おそらく太安万侶にはあったんじゃないかと思われました。
崇神天皇の諡号には「日本書紀」では御間城があり、異名には御肇國がありますが、これがどうも音訓を混ぜて発音する事によって、一つの重要な情報を含めていたようです。これもいわば暗号みたいなものです。
そうすると画像の通りに、御間城と御肇國には「オ・ジョウ」というお嬢様的な音が入っていることがわかります。
これが女王(ジョオウ)の音を置き換えて配置したものだと気づくんですよね。
御肇國天皇は、「王女国天皇」という意図を含めたものであって、女王が天皇であるとの情報も、ここから取り出すことができたのです。
女王と同じ、ジョ・オウという僅か2つの音が、偶然に崇神天皇の諡号の一番最初のところから取り出せるのはなぜだと思いますか?
考えてみれば、ハツクニシラススメラミコトを現すのに、全く関係ない御を頭に載せて、知らす意味の漢字も抜きにして、御肇國天皇と書いてハツクニシラススメラミコトと読ませるだなんて回りくどい書き方は、意味がわかりませんでした。だいたいものすごい当て字だし。それもこれも、女王国=王女国を発音で表せるように、御肇國=女王国と表記しているんだとすれば納得でした。
こんな卑弥呼の情報を含む天皇は、崇神天皇の他には見当たりません。
(1)と(2)で卑弥呼情報が取り出せて、(3)で女王情報が取り出せるという念の入れようです。
これで記紀編者の舎人親王や太安万侶は、崇神天皇が卑弥呼だという情報は保持していたけど、あからさまに公表しなかった、との疑惑が出てくるのです。これは何でなのかと首をかしげるところです。
ともかく崇神天皇=卑弥呼説を解くには、両者の歴史的出来事の比較、漢字の意味の検討、言霊とよばれる漢字伝来以前の発音の検討も大切だったみたいです。
関連している、以前書いた記事はこちら。
・卑弥呼を象徴する数字と三角形から導かれる「女王卑弥呼は天皇だった」
・「イザナギが黄泉から帰還する場面」≒「倭国大乱」≒「崇神天皇時代の疫病と反逆」
・卑弥呼は男装して出歩いてた・・・複数の記録に分断された卑弥呼
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