2~3世紀の女王だった卑弥呼の箸墓。想像でしかないですが、箸墓は2つあったんではないかと思いついたのでまとめ。
箸=2本で1膳だから
何故箸墓が2つあるのか?それは単純にいえば、箸は2本で一膳だから。
箸(はし)って、2本で一膳なのだから、
— たっちゃん@古代史研究+アート (@t7a7t0o1) 2024年5月1日
「箸墓は2つで1つ」だったりして
2つの候補は
やっぱり、箸墓古墳(倭迹迹日百襲姫大市墓)と、西殿塚古墳かな
「箸=2本ならば箸墓=2つ」を前提に考える必要があると思いました。箸墓という名前自体、そんな暗示を込めたのかもしれんです。
女王卑弥呼の墓所が、箸のように2つあったということは、現在の奈良の箸墓古墳の他にもう一か所、箸墓古墳があったということ。
そういえば中世以降、平将門は日本最大の怨霊と恐れられ、東京の首塚などの墓所や、祭神として祀る神社などは、全国に20か所以上も作られたんです。
あと徳川家康の墓所は、日光東照宮、久能山東照宮、高野山など各地にあったりします。偉人はお墓が幾つも作られる、そんな傾向があるみたいなんです。
すると女王卑弥呼のモニュメントが、箸のように2か所あって不思議じゃない。
あるいは、女王卑弥呼と女王壱与(台与)の墓所が、2つとも箸墓と呼ばれたかもしれないとも考えるのですが。その証拠の1つは後に取り上げたいと思います。
箸墓2つとは、卑弥呼と壱与の墓、合わせて2か所だとすると?「卑弥呼墓が箸墓古墳であり、壱与墓が別の場所」か。あるいは「壱与墓が箸墓古墳で、卑弥呼墓が別の場所」なのかといった感じです。
最初の候補は箸墓古墳
箸墓古墳(倭迹迹日百襲姫大市墓)は昔から卑弥呼の墓と呼ばれてるし、卑弥呼の墓の候補地としては昔から筆頭格でした。ただ絶対に卑弥呼の墓だと、確定したわけではないですけども。
箸墓古墳は女王壱与(台与)の墓かもしれないと思ったりもします。「大市墓」は壱与の「壱」と「イチ」で一致してたりするし。
「前方向法則」は、古墳の中心軸の延長線上に、被葬者情報が刻まれているという仮説です。これを元にすると、箸墓古墳からの線上には、壱与の名前の「イヨ」「イチ」「トヨに関わる地名が幾つも見つかるのも気になるところ。
近くでは十市郡、大田市町、十市町、豊田町、遠方の方では伊予国、豊国など。
箸墓古墳は卑弥呼か壱与、どっちの墓所なのか、曖昧な存在になってる感じがしました。
2つ目は西殿塚古墳と想像
ではもう1つは何処かと考えたのですが、やっぱり西殿塚古墳です。
あそこは古来より、6世紀の継体天皇皇后の手白香皇女の墓所とか伝わってたのです。しかし調査の結果、西殿塚古墳は3世紀の巨大古墳だと判明してるのですよ。
「王女の墓」と伝わってた上に、3世紀の古墳、3世紀の女王と言えば卑弥呼というわけで、条件は揃ってる。
しかも古墳の中心線の先に被葬者情報が隠されているという骨子の「前方向法則」で調べてみると、かなり卑弥呼の墓っぽいな、という感じがしたのです。
この古墳の拝所は南南東向きに付いてますが、本来の中心軸は正確に南北に貫いている形ですので、それに沿って線を引いて、以下に解説図を作ってみました。
・ふすまについて
西殿塚古墳の南方をみると、ご覧のように熊野三山の三角形があり、なんか計画的な配置だと感じました。熊野三山のうち熊野本宮大社は、崇神天皇の御代に創建されてまして、私見としては卑弥呼の時代だと思っています。
熊野三山で最も重要な神さまが、女神の熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)です。熊野三山のうち2か所で、最も重視される第一殿に祀っているのもその証拠。
実は西殿塚古墳は古来より「衾田陵(ふすまだのみささぎ)」と呼ばれてたとか。この「衾」は布団のことです。おそらく「死者の寝床」みたいな意味で、古墳を衾に例えたのかもしれないですが。
「真床追衾(まとこおうぶすま)」の意味があるとしたら、重要性も増すようです。個人的に女王卑弥呼・壱与は崇神天皇と同一人物で、男装してたと思ってますし。
熊野夫須美大神の「夫須美」が、「衾(ふすま)」に対応するような感じがします。
この「夫須美大神」は別名で「牟須美大神」でして、「結び」のことだとか言われてまして、縁結びの神さまだとか。
北のほう見ると京都の伏見の地があり、ふしみ、ふすまは似てますね。南には紀伊大島があり、大島を「おほしま」とする場合、「ほしま」はふすま、ふすみに似てますね。意図的にふすま的な地名や神さまを、南北に並べて結びつけている感じです。
ふすまの情報
(中心) 西殿塚古墳・・・・衾田 ふすま 王女の墓
(北部) 伏見区・・・・・・伏見 ふしみ(ふすまと一致)
(南部) 熊野本宮大社・・・夫須美 ふすみ(ふすまと一致) 女神
(南端 紀伊大島・・・・・大島(おほしま)ほしま(ふすまと一致)
ローマ字表記にすると
衾 fu-su-ma(西殿塚古墳)
伏見 fu-shi-mi
夫須美 fu-su-mi(熊野の神)
大島 o-ho-shi-ma
・ひみこについて
しかも熊野三山の家津美御子大神(けつみみこのおおかみ)は「美御子」が「びみこ」になって、なんか卑弥呼っぽい。
そして熊野三山ではそれぞれ天照大神を祀ってます。女王卑弥呼は天照大神を踏襲した人物だとか、天照大神のモデルだ、同一人物だとか言われたりするんですよ。
あと最北端の常神半島には、卑弥呼の名をもじったような「日向(ひむか)」の地名があったりします。常神、神子などの地名は神なので、神格化された卑弥呼に相応しい感じがしました。
女王卑弥呼の名前情報
(北端) 日向・・・・・・・ひむか(卑弥呼と一致)
あと西殿塚古墳のすこし南には、大神神社(おおみわじんじゃ)があるのも気になるところ。卑弥呼は倭迹迹日百襲姫命(やまととひももそひめのみこと)と同一人物とされてまして、倭迹迹日百襲姫命の旦那が、大神神社の大物主神です。
この大物主神は大国主神こと大己貴命(おおなむちのみこと)と同一視されており、熊野那智大社の祭神にもなってたりするんですよね。
これらは無関係じゃない感じがしますね。西殿塚古墳で卑弥呼を埋葬した情報を、正確に南北に位置する土地、神社の祭神によって示してると想像するばかり。
しかし最近改めて調査してみたら、このライン上には、壱与に関する名前も散見できるようにも見えるんですよね。卑弥呼壱与の両者は、混同されたことの現れかと。
他の古墳は?
実は卑弥呼の墓の候補地は、全国各地に幾つかあるみたいです。
奈良のホケノ山古墳、玉手山。徳島の八倉比売神社。福岡の平原遺跡、石塚山古墳、祇園山古墳。あと赤村の卑弥呼の墓と呼ばれてる地形。佐賀の吉野ケ里遺跡の墓。
他にもあるみたいですが。時間があったら調べてみようかと思います。
ぽちされたすかり
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