まだ酷い人生が続いてるまんまですが、そんな中で吉野ヶ里遺跡について新たな仮説を思いついたのでまとめてみました。
○いつも助かっております
吉野ヶ里遺跡の当時の地名を考える
以前はこんなこと考えてました。
・アテネのアクロポリスの要素が吉野ヶ里遺跡の設計図に含まれていたか
今回はもう少し記紀の記述に沿った名前はないかと、考え直してみたのです。
奈良や平安の時代の古典には国郡里の地名が記載されていて、飛鳥時代以前の地名まで知ることができるんです。
しかし奈良や平安時代はすでに、弥生時代から数百年を経ている時代。だから卑弥呼の生前の情報は、神話化して曖昧になっていました。
記録されている各地の地名自体も、発音だけのところに適当な漢字が付けられたり、訛ったり変化しているんです。だから奈良時代であっても、弥生時代の地名を完全に復元するのは難しかったりします。
九州の佐賀県の吉野ヶ里遺跡は、日本最大級の弥生時代の都市遺跡ですけども。この吉野ヶ里遺跡の当時の呼び名は、明確に現在まで伝わってないです。古墳時代にはすでに、吉野ヶ里遺跡の集落は離散していたということで、名前も消えた、消されたんですかね。
周囲も含めて5千人暮らしたという大きな都市でしたが、その記録が日本書紀や古事記のほうにも見当たら無かったりするんです。
しかし当時の吉野ヶ里遺跡の地名を知る手がかりは、記紀や風土記といった古典にあるのは事実です。
むかしの佐賀の地名を見ると、吉野ヶ里遺跡のあたりは神埼郡でした。ウィキペディアを見るとこうある。
概要
文献『肥前国風土記』(奈良時代初期・8世紀前半頃)では、神崎郡(かむざきのこほり)と表記された。少なくとも大正時代までは「神崎郡」と表記され、昭和初期から半ばの間までは使用されていたと思われる。
歴史
奈良時代 三根郷・蒲田郷・琴木岡・宮処郷を始めとする九郷
中世 蒲田郷・中郷・竹村郷・上條郷・倉戸郷・東郷・西郷・土師郷・本告郷・賀﨑郷
これが手がかりの1つです。
あと吉野ヶ里遺跡の西1.3kmのところに鎮座する、櫛田宮にも手がかりがありました。
櫛田宮の由来を記した『櫛田宮由緒(くしだぐうゆいしょ)』という書物には、景行天皇(ケイコウテンノウ)が1920余年前に櫛田宮をつくってから、神の幸を受ける平和な里になったといわれています。「神の幸」が「かむさち」となり、これが後の「神埼」の由来になったとされています。櫛田宮は、皇室領の荘園「神埼荘」の総鎮守として、中央と密接な関係を持った神社で、肥前鳥居(ヒゼントリイ)や中世の多くの古文書が残り、太神楽・締元行列(ダイカグラ・シメモトギョウレツ)が奉納されるみゆき大祭が2年ごとに行なわれます。櫛田宮参道に建つ1602年に建立された石造の鳥居は、2本の柱の基礎が太いなど、肥前地方独特のかたちをしています。櫛田宮の樹齢およそ700年の琴の楠(コトノクス)は、心の清浄な人が息をとめて楠のまわりを7回半廻れば琴の音が聞こえると伝えられている大木です。
櫛田宮は櫛田三神(須佐之男命、櫛稲田姫命、日本武命)を祀ってるところ。
景行天皇の実在年代については、渋谷向山古墳(景行天皇陵)の年代などから見て、4世紀の実在と考えていますが、彼が櫛田宮を創建したんだとか。
「神の幸」が神幸(かむさち)になり、神埼(かむさき)に転訛したようです。
で、景行天皇が最初とはいいますが、実際は吉野ヶ里遺跡という神殿の近くにあったことが、この土地に神を刻んだ理由だったんではと考えたりします。
吉野ヶ里遺跡のあたりは神岬だった
弥生時代後期当時、世界の海面の高さは今より2~5メートル高かったです。これは弥生時代の小海進(海面上昇)の影響。関東平野も東京湾が埼玉北東部まで伸びていました。また茨城は1,000年前まで香取海という浅い海域があり、龍ケ崎や柏のほうまで海だったりしました。その名残がいまの霞ヶ浦。
そういえば以前縄文海進と弥生海進をごっちゃにしていたことがあり、
当時は佐賀平野、筑後平野のあたりも水没地帯であったんですよ。んで海岸線は背振山地の近くにありました。じつは吉野ヶ里遺跡からも、港の跡地が見つかっているとか。
Flood Mapsで吉野ヶ里遺跡を見てみます。
当時の海面に近い数値(海水面+5m)を入れると、こんな風に吉野ヶ里遺跡は海に接した、海辺に位置することがわかります。
吉野ヶ里遺跡は港を有し、幾多の船が行き交う港町であり、大陸方面まで繋がる交易都市でした。その証拠として、吉野ヶ里遺跡からは琉球のイモガイの腕輪が見つかったり、大陸の遺物が見つかったりしていました。
景行天皇が創建した櫛田宮は、卑弥呼のいた3世紀当時は海のに囲まれた岬。景行天皇が登場した4世紀前半頃には水が引いて、佐賀平野が拡大したようです。
土地が増えたことで、神の幸と言ったかも。櫛田宮のあたりもひょっとして吉野ヶ里遺跡と関連した弥生遺跡が出るのだろうか。
弥生時代に吉野ヶ里遺跡の名前はなんだったと考えると、「神岬(かむさき」だったと思います。するとかむさきとう地名が元々あって、その後に海岸線が後退して土地が増え、それを「神の幸」と言ったのかもしれません。
想像できる名の変遷
卑弥呼時代 3世紀 かむさき(神岬)
景行天皇時代 4世紀 神の幸と表現される、海岸線後退、櫛田宮創建
飛鳥時代以降 6世紀以降 漢字で神埼が当てられる
吉野ヶ里遺跡の当時の呼び名とは
弥生時代後期までは岬であったので、「かむさき」とよ呼ばれた、でいいかと思います。しかしこれは岬の名前であって、祭祀と政治の中心だった宮殿の名称は、別にあったと考えます。
ところで神崎の吉野ヶ里遺跡では、一体なにが崇められたか、ですが。
それは多分、大物主(大国主)で確定だと思います。以前に電子書籍「封印された叡智の回復」出してましたが。(続きは卑弥呼総集編で、資金難のため完成未定・・・)
このほんの中にも実は、吉野ヶ里遺跡のこと書いてました。それについては別の記事を見ていただくとして。
吉野ヶ里遺跡の名称のヒントは、風土記に登場した国郡郷名です。
奈良時代 三根郷・蒲田郷・琴木岡・宮処郷
ここに「宮処郷(みやどころ、みやこ)」というのがあります。
これが多分、吉野ヶ里遺跡あたりの、奈良時代以前の地名であろうという感じがしました。
宮処といえば宮は宮殿のことであり、みやこと読めば「都」になりますので。邪馬台国の宮殿があった都だから、宮処であるという感じです。
神の名が付いているのは祭祀を行う神殿があったから、もしくは卑弥呼がいたからかもしれません。
「かむさき(神岬)の宮処(みやどころ、みやこ)」
が当時の呼び名だった可能性はありそうです。
卑弥呼の男装の姿である崇神天皇(と勝手に解釈)は、実は2ヶ所の宮殿を有していたことが、日本書紀に記されています。すると卑弥呼も2ヶ所宮殿を持っていたことになるのですが。
崇神天皇が主要な宮殿としていたのは瑞籬宮(みずかきのみや)で、古事記を見ると水垣宮とあります。当ブログではこれが邪馬台国の主要な首都であって、福岡の朝倉市の環濠集落の平塚川添遺跡であろうと推察しているところです。
それで第一邪馬台国が奈良の第二邪馬台国へ東遷し、奈良の三輪山のそばに九州の土地の名と施設が移され、同時に崇神天皇の瑞籬宮も第二瑞籬宮が奈良に建設されたものと考えられます。
で日本書紀をじっくり読んでいくと、崇神天皇は桑間宮を創建していたことがわかります。これが卑弥呼が利用した、邪馬台国の平塚川添遺跡と並ぶ主要都市であると考えます。この場所は不明だったのですが、桑間宮という名称でちょっと思いついたことがありました。
まず桑間宮の桑をウィクショナリーで調べてみると、
「叒」(ジャク。大きな葉をつけた樹木、「くわ」の木)+「木」。
音読み
呉音 漢音 : ソウ(サゥ)
訓読み : くわ
名詞 蚕の餌として古来重要な作物であり、また果樹としても利用されるクワ科に属する落葉樹。 (花:春の季語, 実:夏の季語)
これが重要だと思ったのは、邪馬台国との類似が見られるからです。
叒間 ジャクマ、ジャマ
邪馬 ジャマ
この辺を意図しているようです。桑間宮は邪馬台国にあったということを示すような気がします。
神の幸こと神埼郡には宮処郷のほか、蒲田郷もあります。これらの発音を比較してみると
神埼 神 かむ ka-mu
神の幸 かむ ka-mu
蒲田 蒲 かま ka-ma
桑間 くわま kwa-ma
という風に、同じ系統の音だったりします。
つまりかむさきの宮処は、別名でkamu宮、kwama宮=桑間宮と呼ばれたんではなかろうかといった感じもしてるわけです。
ここが邪馬台国の首都だったとすると。そう言えば「魏志倭人伝」の中で、邪馬台国までは「不弥国から投馬国まで水行二十日、投馬国から水行十日と陸行一月で邪馬台国」みたいな記述ありますが。途中からデタラメということです。
あるいは奈良の第二邪馬台国までの行程と、混同しているといった感じになります。ここは過去の記事で記しているので見てください。
ちなみに天照大神は養蚕の神様でしたので。卑弥呼は天照大神を踏襲した女王でした。したがって吉野ヶ里遺跡のかむさきの宮処、桑間宮の主要産業に、養蚕があったのは間違いないです。
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かむさき、宮処(みやこ)、神の幸、桑間宮。
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