なんか道志村の女児失踪事件は、妙に目に見えないけれど存在する物というキーワードに満たされてるから、事故説は否定的に見てるのです。
○いつも助かっています。
道志村と精神と霊魂
政府のムーンショット目標の1つに「2050年までに、人が身体、脳、空間、時間の制約から解放された社会を実現」というのがあるのです。
あと28年ということはすでにかなり研究開発が進み、実験が繰り返されているんでは。実はこれに、コロナ禍も関係していると見てるのですが。
道志村の事件についても、なにか無関係ではないような気がしてきました。というのもこの行方不明事件というのが、精神や霊魂という、目には見えないけれど存在するようなものという方向性を有していることに気づいたからですよー。
目と耳を貸して
山岳の森の捜索が進む中で、こんな話がありました。
「目と耳を貸して」
これは少女を探すため、大勢の人の精神を、五感を貸して欲しいという願望でしたが。これを見て、なにか一連の事件の真相は、精神の誘導に関わっているような感じがしました。
自分の目と耳と思考は、誰かに勝手に使われてるというのは、昔から感じ取っていたことだったりするんですよ。これは集ストされてる人、関わっている人なら理解できると思います。
しかも2020年からのコロナ禍になってからというもの、「人間のデジタル化」という現象、政策が進んでることが見えだしましたので。
これは政府のムーンショット目標が、密かに実現されつつあるのを示しているようです。何事も人々が望まない理不尽な物事は、こっそり確実に進むもの。
道志村 首+心 透視
古くは平安時代の官吏職に由来するといわれ、源頼朝もここを通ったとか。現在の道志道は、神奈川の平野部から、丹沢山を経て富士山につながる国道413号となっていました。
道志村という地名を分解してみると、
辶+首+士+心
首と心が入っているではないですか。実は人の精神に係わっている土地なので、これを利用する人もいるのかも。
どうしの濁点を抜けば「とうし」で、透視、つまり五感の視覚や超能力的なものが現れてくることも意味深なところです。
そしてこうした精神と五感に係わる要素は、数多く確認することができました。
ミサキ 霊的存在、神の出現の先駆け、御先
行方不明になった女児の名前でしたが、これは古くは御先で霊的な存在を表しました。神の出現の先駆け的なものである場合は、八咫烏がそれにあたります。
また怨霊の場合は、七人ミサキなど人を霊界に連れ去る存在としても語り継がれていました。良くも悪くも、霊的な力をもった言霊(ことだま)だったわけです 。
そんな能力者としての意味を好んでいる人がいるか分かりませんが、新生児の名前としての人気は中の上といったところです。
志村 死んでも生きてる(心霊的な存在感)
道志村といえば志村県を思い起こしてしまうのは、俺だけじゃないと思いますけど。
そういえばコロナ禍の中で彼が亡くなった時期と、道志村で女児が行方不明になった事件の、日付が気になってたわけですが。
道志村女児失踪事件・・・2019年9月21日
567禍の始まり・・・・2019年12月末~
4村死去・・・・・・・・2020年3月29日
なんか名前が一致するだけに、関係するのだろうか。
そう言えば、数字を足して解釈するというカバラをやるのは悪い癖ですが。
これをやると最終的に事件発生の数字は6。567は足すと18=666。彼の数字からは18=666が出てくる。だから何か陰謀めいた物を感じたりします。
志村県といえば「死んでるのに生きてる」と、やたら話す爺さんがいるので。そうするとやはり彼という存在からは「死してなお心霊的な存在感」を感じてしまうところなのです。
道志村の幼女失踪と志村県は、無関係ではないかもしれない?ネットの陰謀系の記事を見てると、彼に対するネガティブな情報がわんさか出てくるのは気になります。
大室山 オーム 瞑想(心) 聖音
行方不明地点となったのは道志村のあのキャンプ場でしたが、この場所は大室山のふもとにあたるところでした。
大室山はオームという音があるんですけど、オームはヒンズー教やバラモン教のほうだと、神聖視されてる呪文(聖音)だということなんです。
オームはブラフマン(宇宙の根理)であり、瞑想の象徴であるんだとか。大室山という名の由来には無いとは言え、接頭部からオームという聖音があるわけなので、自動的に心や精神に関係するわけなのです。
またブラフマンとは、「世界を変える儀式の力、生贄の儀式の力」を意味するというふうに、辞書に解説があるんですよね。
まぁ、ブラフマンは光も闇も含め、全てを統括するものであると思っていますが。
すると一連の事件の真相になにか、精神的な充足感を満たす目的の、宗教的なものが関与している感じがしました。新興宗教みたいなものに関連するような。あの、サリン事件やサティアン事件で知られたオウム真理教も、このオームでしたので。
オート
オートキャンプ場のオートは、オートマチックの略ではないですか。
オートマチックの意味調べると、自動的、無意識的、機械的、必然的といった意味が出てくるんです。
んで無意識ならば、ひとの精神に関わるということになっているではないですか。自動的や機械的となれば、この事件は第三者によるコントロールがされてることの現れという感じもするわけですが。
そう言えば、失踪から身元不明遺体発見までの一連の流れが、なんか不自然でヤラセっぽいと感じていました。
探したと言われる場所に、急に骨や遺留品が見つかったり。kさつの重点捜索地点は骨の場所を避けられ、3年も捜索してたり。もしかすると、シナリオ通りに進んでいるせいかと。
椿 首が落ちる
このキャンプ場の土地の名前が椿で、ツバキと言えば昔から繁栄を象徴したり、魔除けの木としても好まれていました。
一方でツバキの花については、「花がぽとりと落ちる姿が斬られた首が落ちるようである」とも表現され、不吉な植物という話も語られることがあったんですよね。吉凶両面、備えている植物なのでした。
また椿事(ちんじ)と書けば「思いがけない大変な出来事」のことであり、まさにこの事件を表す地名のように見えるのも偶然と思えなかったりします。
ツバキは、首=頭部=精神に関わるし、首が落ちる=人の死に関係しているということで。やはり道志村の精神霊魂といった要素に関連づいてるということなのですが。
頭蓋骨
事件発生から3年がすぎた2022年4月23日、大室山の西山と呼ばれる斜面の枯れ沢で、子供の頭蓋骨が発見されました。失踪の後、最初に発見された人体の骨が頭蓋骨だったわけです。
しかし野ざらしになって肉や血液が分解された骨からは、DNA鑑定が難しいという話もありますので。ホントに失踪女児の骨かは、確定的ではないのですけど。
かと言って全くの別人の骨だとすると、別の死体遺棄事件が発生してたことになるわけで。ますます闇が濃い。
頭蓋骨の話を見ても、道志村の精神を司るキーワードが、集約されていることがわかります。
それにしても、骨や衣服発見現場、事件直後に大規模捜索をしたというのですよね。しかし骨はずっと土の中にあったような状態だったと。
ということは事件発生当時から、土の中に埋まってたことが考えられるので、事件性が十分あるんですが。kさつは「単なる事故」と断言しているのが、世論誘導のよう。
西山
頭蓋骨発見現場となった大室山の西山も、じつは精神や霊魂に関係するんです。
それは浄土宗西山派。浄土宗といえば「南無阿弥陀仏を唱えれば死後に極楽浄土に行ける」みたいな教えですが。
これがなんかやはり宗教に関わるという印象を、濃くするんですよね。先程のブラフマンの話に関係し。
たまたま南無阿弥陀仏に係わる山名だったというより、この場所が選ばれたのが意図的という感じがしました。
事件は近未来の予型だとしたら
精神と霊魂に関係する要素がこんなに1ヶ所に集まってる時点で、全ては偶然んじゃあるまいとの思いが強くなってきました。
少女の名が示すように、これは未来の出来事の雛形であり、先駆けとして機能したんだろうか。親が子を失い、真相を探し求めるような苦痛の時代が、予告された形になったというわけで。
それは事実上の戦争と言えるコロナ禍という未曾有の出来事で既に示されているし、あるいはこれから起きるさらなる未曾有まで予期したものなのかも?
さらに精神・霊魂がより間近になった世界の到来が、予告されてたのではないかと思いました。あのムーンショット目標にあったように。
死んでも生きてる。生きてるけど死んでる。目と耳と思考など、五感がデジタル化、可視化される。霊魂がみえるようになる。見えないものが見える。知らなかったものが分かる。神さまが現れる。みたいなことで。実際すでにそうなってると思いますけど。
全ては繋がっているような感じがしました。
という本日の妄想でした。
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