たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅お仕事中。

家康が江戸を拠点に選んだのは、江戸の地名が気に入ったから説

以前に「江戸」という地名の起源について話しましたが、今回も関連したお話。

しかし人為的計画的に失敗に導かれ、延々嘲笑される人生、はやく終了したいものだ。

 

○いつも助かっております

 

 

 

 

江戸が「いぇど」で余戸だった話おさらい

 

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江戸城 - Wikipedia

 

簡単に以前のお話を要約。

昔の江戸の由来は「江の津→江戸」説が定説。

しかし平安時代以後は発音が「いぇど」だった。しかもそれ以前の豊島郡の地名には余戸(あまるべ)郷が含まれていた。

実は真の江戸の由来は、古代からあった余戸郷かもしれないという内容でした。

現代 江戸 edo えど

中世 江戸 yedo いぇど

古代 余戸郷 yodo よど(あまるべ)

前回の記事

八百八町のお江戸の起源 平安時代の始まりなのか律令時代の余戸郷か

 

 

家康が江戸を拠点に選んだ理由とは?

 

徳川家康征夷大将軍となり関東を統治して以後、慈眼大師こと南光坊天海が街作りを進めた説があります。しかも明智光秀が天海その人に成った説は、世に知られるところです。

では家康はなんで、江戸を選んだのだろうと、考えるとこですよ。

 

江戸を大都市にした天海が、街に仕込んだ「秘密の仕掛け」 | PHPオンライン衆知|PHP研究所 

この記事によると、天海は陰陽五行説に基づいて、四神相応の観点から高台に囲まれた江戸城を選び出して家康に進言したのだとか。

この土地は古くから日比谷入江に港があり、東海道が通っているなどあらゆる有利な条件を併せ持っていたところ。だから家康は天海の助言に基づいて、江戸に拠点を持つことを決めたというのは、なるほどな話です。

しかし想像力を研ぎ澄ましてみると、家康が江戸を選んだ理由にはもう1つの重要な理由があったと想像しました。それは「地名が気に入ったから説」です。

 

 

地名が気に入ったから説

 

前回の記事の地図と照らし合わせてみると、わかってくることなのですが。

実は江戸城の周辺には、家康に関連する地名が多いことに気づきます。それで家康は、土地が気に入ったんではないかという発想なのです。

間違いなさそうなところから、取り上げてみます。

 

▶千代田と竹千代

家康はまず江戸城周辺の地理を知り得た時に、昔からあった城下町の千代田村に目をつけました。

何故なら千代田は、家康の幼名である竹千代と「千代」で一致していたから。これは偶然というか運命的なものを感じさせ、家康にとっては無視できない地名だったで賞。ここがいま神田駅周辺にあたります。

 

▶江戸と家康

「江戸=いぇど」だったわけですが、これも家康の目に止まったかもしれないです。何しろ「いぇ=家」で家康の一文字だったから。

しかも戸は「こ」で、康は「こう」だから、「江戸(いぇこ)=家康(いぇこ)」で一致してしまう。偶然にしても出来すぎなレベルで、これまた運命的な印象。

 

▶平川と松平

徳川氏は元は松平氏であり、家康が徳川に改称したことから徳川家が始まっていました。

したがって家康としては江戸城のそばには平川が流れているから、松平と平川は「平」の字で一致するのが気になったわけです。これも千代田同様、気に入った理由に含まれていそうです。

 

▶小石川と石川数正

家康の懐刀と呼ばれ、若い頃から家康と共に活躍したのが、側近だった石川数正

東京ドームの付近には、小石川という地名がありますが。この地名は23区に南北に流れて江戸郷の日比谷に注いでいた、小石川が由来になっていました。

家康にとって重要だった石川数正と、江戸に流れていた小石川。これも家康が気に入った理由になっておかしくないです。

 

以下は関連があるのか?とちょっと微妙な一致。

 

▶宝田と宝台院

江戸城の至近距離には宝田村がありましたが、ここはいま日本橋や東京駅のあたりです。

家康の側室には、お愛の方と呼ばれた西郷の局(さいごうのつぼね)がいました。この方は秀忠の母であり、後に宝台院が菩提寺となったとか。

江戸城のそばの「宝」の地名が重視されて選ばれる経緯があったなら、宝台院も宝田村を意図して選んだかもしれないです。

(参考:宝台院 https://www.houdaiin.jp

 

▶日比谷と日光東照宮

家康は晩年に自らの墓所である、久能山東照宮日光東照宮の2社を造営させました。その後に全国津々浦々に、家康を祀る東照宮が無数に出現することになります。

江戸郷の地名にこだわった家康だったので、日比谷入り江も何かに繋がると思ったら、日光東照宮でした。

日光は家康の参謀だった天海が建設した東照宮。その名はその昔に弘法大師空海が、二荒山神社の二荒を「にこう」と呼んだことにちなむとか。

家康は江戸城の前に日比谷があることから、「日」繋がりの日光を選びだしたのだろうか。

 

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こうして図に表すと、けっこう一致が見られるではないですか。

江戸城の四方の地名が、徳川家康に関連するのを見ると、天海が常々念頭に置いたという、四神相応の観点に通じるところがあり。

何より名前の一致を見れば偶然にしては出来杉君で、意図的な感じでした。天海がアドバイスしたのだろーか?

 

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