日本では昔から、月にはウサギがいると信じられてきたとか。コレに関するお話です。
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月のうさぎ
月のうさぎとは、中国では金烏玉兎といい、つまり「太陽にはカラスがいて月にはウサギがいる」との不思議な神話に由来するのですが。
しかし現代人は、月にウサギがいるなんて話には否定的。
たしかに、近代には月面には生物は生存しないとの話が、教科書にも書かれてる常識となってるし。
でも果たしてほんとに、月面に生命体がいないのは事実なんですかね?
自分で月面歩いて確かめた人なんか、ほとんどいないんですよね。
月面の生命体の動画
昔の人のほうが、宇宙の摂理をしってたかもしれんですよ。
ウンサンギガ(ウサギ)は月にいるかも。
「つき」とは何か
日本では昔から月を「つき」と呼びますが、その語源は定かでないです。
中国では上古にはゲツやガツ、明代からはユエ、韓国ではダルと呼んでるのとはあまりに違うし。
公式的には、月の名前には幾つかの由来があるとか。
(1)尽き説
月の満ち欠けで、光る部分が日々尽きる様子。これが繰り返されるから「尽き=月」。
これは実は、漢字の月の由来もまったく同じでした。
月とは月が欠けていく三日月を描いた象形文字だったりするから。だから「月は尽き」と言っても過言ではなかった。
角川の古語辞典や学研の漢和字典を読みふけると、むかし月のことを別名で「カクル」とかいったとある。
雲間に「隠る」は、月が「欠ける」ことに関係しますね。かぐや姫は月姫なんだろう、という話は、電子書籍に書いたのですが。
だから欠けるに近い尽きるなら、月に相応しく無いこともないすね。
(2)次説
日と月は常にセットで語られる。月は太陽の次の神だから、「次=月」でいいかも。
(3)突(舂)説
月のウサギは、日本ではなぜか餅を突いてる姿。
春に似たような「舂」はうすづく(臼突く)で、穀物を臼に入れて突く意味。
臼は上から見ると真ん丸で、正月の鏡餅も真ん丸。月で餅突くウサギと偶然であるまいようで、「突き=月」。
(4)作・造(つく)説
これは個人的な思い付きですが。つきは作、または造なのかもしれないです。
月は神が作り出したと、人々が言うわけですが。
月の公転・自転の周期は地球の自転にあわさり、奇跡的に完全に同じ月面しか見せない。裏側が見えないのはまさに神業。
地球から見ると、月と太陽のサイズは同じ。奇跡的に同じに見える距離にあるから。だから皆既日食が起きる。
神が作った作り物、造り物。月の神は月読(つくよみ)。つく。
だから「作=月」でいいかと。
(5) 時説
これも思い付きの1つ。
月は古来から、日付を知る道具でした。いわば天然の時計。
時を計る存在が月だから、時がなまって「時=月」。
to-ki
tsu-ki
発音も似てる。
(6)turk説
これもちょっと想像してみた話。
夏に猛暑の砂漠地帯がある中東や中央アジアでは、涼しい夜の神、月神こそが人々に尊ばれました。そこにはturkの民もいた。
トルコや中央アジアのトゥルク系は、古代からギリシアの月の神アルテミスを崇めました。
現在でもイスラム国家のうち半数が、月と星のマークを国旗に採用するのも、そうした意味があったようで。
その流れを組む人々は、弥生時代に日本の中枢に入ったらしく、日本語にはトルコ語によくにた言葉が多かったりする。邪馬台国の要人の名前だ中央アジア系だから察しがつくのですが(過去記事参照)。
turkは月神を崇める民で、彼らは月を倭国で「turk=つき」と表した。
天に浮かぶ月の荒野に、自分の故郷と自身の存在を投影したのだった。
(7)ノルマン語説
さらに想像してみると。
アイスランド人はゲルマン系ノルマン人で、中世にいわゆる欧州各地にいたヴァイキングに繋がる一民族だったとか。
彼らは月のことをTunglið(トゥングル)と呼んでた。欧州では月のことをmoon、luna、ayみたいに呼ぶ場合が多いから、一線を画する月の呼び名。
どこか、つきに似てるところがあるようです。
Tunglið(トゥングル)
Tsu-kiトゥングル➡トゥギル➡ツギ➡ツキ
日本語にはゲルマン語との共通点もあるような感じがするので、あながち無関係とは言えないかと。
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