先日に吉野ヶ里遺跡で、歴史的にとても重大な発見があったそうで。今回は吉野ヶ里遺跡に関する、変な話。
近年は神社の境内から、古墳が見つかる出来事が相次いでるようです。古来よりの聖地となっている神社は、やはり大昔から重要な意味を持っていたようで。
弥生時代に創建された小高い丘の神社、多くが元々古墳なのであり、有力者の石棺が埋まってるのかもしれない。そんな気がしました。
さて佐賀の吉野ヶ里遺跡は邪馬台国の候補地として知られてますが、当方も筑紫平野一帯は、卑弥呼のいた邪馬台国だったと思っているのでした。
吉野ケ里最大の石棺「謎のエリア」で出土 表面に線刻、有力者の墓か https://t.co/8QSEr3u0lG
— 朝日新聞(asahi shimbun) (@asahi) 2023年5月29日
佐賀県は29日、国特別史跡の吉野ケ里遺跡(佐賀県吉野ケ里町)で、弥生時代後期の石棺墓が出土した、と発表した。邪馬台国の時代と重なる2世紀後半~3世紀半ばの墳墓とみられ、同遺跡では最大。
吉野ヶ里遺跡には日吉神社が鎮座していまして、そこは長らく未発掘の「謎のエリア」だったとか。そこが石棺の発見場所だそうです。
そういえば、ここ数日で奇妙な出来事がありましたが・・・。
5月28日 山梨 日吉神社で放火
— たっちゃん@古代史研究+アート (@t7a7t0o1) 2023年5月31日
5月29日 佐賀 日吉神社(吉野ヶ里)石棺出土
5月31日 神奈川 日吉駅で発煙
何か、因縁めいたものを感じてしまいます。深い所で結びついているのだろうか。
出雲の神と山の神。そこの地下に1800年間も横たわっていた石棺ということで。そんな神さまを崇めていた邪馬台国の王族やら皇族みたいな、歴史的な人物なんですかね。
妄想すると石棺の主はフェニキア人の末裔
まぁいつもの妄想ですが、あの石棺からはフェニキア的なものがふつふつと湧いてくる感じがします。その理由を簡単に解説しますが・・・。
佐賀や熊本や長崎のあたりは、古代には火の国でした。
個人的な「日本列島大陸ひな形論」によれば、火の国はフェニキアに対応する場所なのですよ。
古代の大陸と日本列島を照らし合わせてしまった妄想地図の最新版 - たっちゃんの古代史とか
名前を見てもそれが証明されたりするのです。
火の国 hi-no-kuni
フェニキア phoe-ni-cia(fe-ni-cia)
フェニキア→フィノクニ→火の国
不死鳥 フェニックス・フェニキア
フェニキアの「キア」とは 地名接尾辞の一種で、「国とか地域」の意味があるのだとか。
フェニックスとは火の鳥で不死鳥ということも踏まえると、なにかフェニキアと火の国は似通っていますね。火の国には不死鳥を思わせる「不知火海」がありますし。不知火は光の怪奇現象だとか言いますが。
そういえばフェニキア人は紀元前600年にアフリカ大陸一周したそうで、航海術に長けてましたが、海の民である倭人に似てますね。
そのアフリカ一周を頼んだのはエジプト王「ネコ2世」だったそうなのですね。
それで熊本はケメト(エジプト)に対応する土地であり、火の国熊本には根子岳があるのも、やはり必然的なものを感じてしまいました。
妄想すると石棺の記号はフェニキア文字
しかも石棺には、フェニキア文字らしきものがあるではないですか?
まぁ一般的には「記号」であるっていうかもしれないですが。誰がどう見てもフェニキア文字ですよね。
フェニキア文字あたりじゃないかね
— たっちゃん@古代史研究+アート (@t7a7t0o1) 2023年5月24日
佐賀は位置的にフェニキアだし
石ぶたに「×」「+」「卅」…吉野ケ里遺跡「謎のエリア」で出土 深まる謎にファン注目 佐賀県文化課「意図感じさせる」(佐賀新聞)#Yahooニュースhttps://t.co/ZTzLrsN3fM
sāmekh(魚、柱)tāw(印)
— たっちゃん@古代史研究+アート (@t7a7t0o1) 2023年5月24日
魚はイクトゥス、キリスト教を暗示するhttps://t.co/blcmc02V1C pic.twitter.com/r9zfZs0HCa
フェニキアと鏡合わせの火の国で、フェニキアの末裔の王であるから、石棺にフェニキア文字が刻まれている、ってなるとスムーズな展開だと思うのですが。
もし石棺の記号がフェニキア文字だとすると、日本の最古級の文字は漢字や神代文字や、ペトログリフだけではなかったことになりますね。倭国ではフェニキア文字も使われてたことが、明らかになってくるわけですが。
まぁシルクロードで中央アジア、中東と繋がっていて、古代にペルシア人が来ていた記録もあるわけなので、中東の人々や文物や文化風習が到達していてもおかしくないわけですけども。
ホシサン デコポン 火の国ぽん酢
石棺がフェニキア形
それで石棺の写真をじっと見つめたのですが。分割したサツマイモか、埼玉みたいにいびつな形で奇妙な感じを受けますね。
佐賀・吉野ケ里「謎のエリア」に石棺墓https://t.co/jf6KQuH3OU
— 西日本新聞me (@nishinippon_dsg) 2023年5月30日
佐賀県は29日、#吉野ケ里遺跡 で弥生時代後期後半-終末期のものとみられる石棺墓1基が出土したと発表した。形状や出土場所などから、同遺跡でこれまで見つかっていなかった「邪馬台国時代」の有力者の墓である可能性があるという。
だいたい全国で見つかってる墳丘墓や古墳の埋葬部は、木棺や石棺を用いて左右対称な立方体型だったりするのに。吉野ヶ里遺跡から発見されてるお墓も、そんな感じでしたし。
なぜいびつな形なのだろう?と小一時間考えたのですが。
なんかあの石棺、フェニキアの形に見えてきました。
以下はフェニキアの当初の拠点であった、レバノンあたりの地図です。
桃色のとこですが。一見すると、あんまり似てませんね。
しかしフェニキアの南部を切り取ってみると、あら不思議。石棺の形と一致する気がしますね。
まぁ妄想ですけども。
偶然が幾つも重なるということは、偶然んじゃないことを意味するんではないかと。
フェニキアの流れを汲む有力者…
— たっちゃん@古代史研究+アート (@t7a7t0o1) 2023年5月30日
だからフェニキア文字が刻まれてる
𐤎サメク(魚)
𐤀アレフ(雄牛)
𐤆ザイン(武器)
文字はお供え物みたいな役割で、弔った人々が刻んだ
石棺が奇妙な形なのは、先祖の国フェニキアの地図を表したからと妄想https://t.co/u2u9IVuClc
フェニキアの流れを汲む有力者だから、フェニキア文字が刻まれていて、フェニキア(南部)の形をした石棺になってる、と考えたら自然ではないかと。
実は以前に吉野ヶ里遺跡とは、ギリシアの古代都市アテネのアクロポリスを模したものではないかとの仮説を立ててたのですが。
ギリシアとフェニキアは紀元前の地中海で、覇権を争った海洋民族でした。両者は別物ではありますが。
「火の国という土地にあっては、彼らの子孫も融合した」んだろうなと思うわけです。
フェニキア人は地中海沿岸のチュニジアに、カルタゴを建設したんだそうですね。海の民であるがゆえに、海辺に拠点を構えたというわけです。
一方で吉野ヶ里遺跡は当時、海辺の町だったことが分かっています。
筑紫平野は弥生海進かなにかで現在より海面が高く、有明海(不知火海、筑紫海)が内陸まで入り込んでいたからです。
古代に吉野ケ里町は神崎郡とか言われてましたが、崎とは岬のことを表すので、比較的海に近いところだったことが地名にも現れています。「神の岬」なので神殿の場所にはぴったり。
ここが仮に邪馬台国だと、船の移動は容易だったでしょうね。しかし対外的には場所を知られては不味いので、「魏志倭人伝」では「水行20日とか陸行1月」とかでたらめを書いておかねばならなかった気がしますですね。
そしてこの吉野ヶ里遺跡は、どうもアテネのアクロポリスのような気がしました。
・アテネのアクロポリスの要素が吉野ヶ里遺跡の設計図に含まれていたか
配置も良く似ているようでした。まぁ妄想ですけども。
そういえば佐賀には「ヶ里地名」がありまして、これが謎とされてるのですが。
カルタゴ kar
ギリシア graecia
ヶ里 gari
ヶ里の正体は、これだったりして。
・・・・・・・・・・・・
というわけで、吉野ヶ里遺跡が古代フェニキアに関係する理由はこんな感じになっています。また発掘が進んだら、詳しくわかるかもしれませんね。
ぽちでたすかります
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