「倭の30国は数珠つなぎ説」というのは、もう10年以上も前に考えついてブログに書いてた話。
これがどうも四神で言うところの青龍と結びついてたのかと、気づくことになりました。
ところで先日、自宅で電動工具使って工事した。ドリルでビス締めするとバリバリ音がするのは通常仕様だし、硬い木にビス止めするとキャキャキャー!って音が出ることがあるのだが。以前クラクション連発してたチンピラにキャーキャー騒がれてしまった。
昨日は隣のおばさんに、朝から深夜まで叩きまくられて仕事ができなかった。
そういえば最近、爺さんの死体をミイラにして隠してるという、想像が膨らんで止まらない。
○いつも助かっております
倭の30国は線が交わらない説
「魏志倭人伝」に記されている倭の30国というのは、あれはバラバラ適当に言ってるわけではなかったです。全部ひとつなぎ、数珠つなぎなのでした。
最初の方の、
狗邪韓国・対海国(対馬国)・一大国・末盧国・奴国
ここまではおおむね、朝鮮半島南部から対馬海峡を経て博多湾岸までだという解釈で一致してるのですよね。
つまり線が交わらない、数珠つなぎであると。
ちなみに倭国の最初である狗邪韓国は、今の韓国の金海市~巨済島の付近と見られます。当時は大陸に倭の拠点があったようで、魏志韓伝を見ると朝鮮半島に倭人がウヨウヨいた様子が分かったりします。
話は戻って、これら5つの自治体だけでなくそれ以降の諸国も、全てが線が交わらずに一筆書きで表していると。そう考えたほうが自然な感じがしました
では少し解説を挟みながら進みます。
・対海国・・・対馬(長崎)原文では対海国になってる
・一大国・・・一=壱、壱岐、おそらく一大率の管轄(長崎)
・末廬国・・・maturo→松浦郡(佐賀)
・伊都国・・・糸島半島(福岡)
・奴国・・・那の津(福岡)
このへんまでは多くの歴史家がむかしから提唱してたので、納得する人も多いかと思われました。問題は以下であるが。
これは安本美典さんの邪馬台国朝倉説を採用してますが、個人的には筑後平野、佐賀平野と周辺の山岳を含む一帯が邪馬台国の範囲であったと考えています。それで大和、山門、八女の名が残ってるのだろうと。
投馬国については、太宰府市の宝満宮が関係する。ここは玉依姫を祀る神社で、むかしの国の守護が置かれた太宰府に繋がる場所だった。
投馬→toma→homan→宝満山、あるいは投馬→toma→tama→玉→玉依姫かもしれない。
・斯馬国・・・線が交わらない説で考えれば島原(熊本)
・己百支国・・・熊本の葦北郡はその昔は葦分、iwaki→己百支国→葦分(熊本)
・伊邪国・・・鹿児島西部の伊佐郡(鹿児島)
・都支国・・・線が交わらない説で考えればtoki→都城。当時トキだったのが、今はみやこのじょうになってる(宮崎)
・彌奴国・・・midu→水出、鹿児島西部の出水郡(鹿児島)
・好古都国・・・kogotu・・・鹿児津、鹿児島郡(鹿児島)
・不呼国・・・日向、hiko→hugo→不呼(宮崎)
ここまでが九州西側から南部の諸国を、順番に記してるということになってるようだった。
・對蘇国・・・tuso→土佐(高知)
・蘇奴国・・・sona→さぬ国、讃岐(香川)
・呼邑国・・・koyu→児湯郡(宮崎)
・華奴蘇奴国・・・ka-na-so-na→ku-ni-sa→国東(くにさき)郡(大分)
・鬼国・・・安芸国、芸国で鬼国(広島)
・爲吾国・・・igo→伊予国(愛媛)
・鬼奴国・・・吉備国、鬼ヶ島の国(岡山)
・邪馬国・・・線が交わらない説で行くと出雲(しゅも)、八雲(やも)で邪馬(島根)
・躬臣国・・・櫛磨郡(兵庫)
・巴利国・・・播磨国(兵庫)
・支惟国・・・きい、紀伊(和歌山)
ここまでが豊後水道、瀬戸内海、紀伊水道など の内海の周辺の諸国。海域を囲むように、四国からぐるり円を描くように順番に書いてるようでした。
ちなみに邪馬は大和(奈良)ではないかと考えたんですが、線がどうしても交わってしまうため、出雲説を採用しています。出雲は国譲りによって邪馬台国に制圧されたので、そのあたりを邪馬の字で表したかも。
・烏奴国・・・udo→宇陀郡(奈良)後の邪馬台国
・奴国・・・美濃、信濃の濃→奴(岐阜・長野)
ここまでが本州の中央方面を書いてるようでした。
ちなみに個人的に狗奴国は東海地方から関東の鬼怒川の土地、かなり広範囲だったと考えてるんだけども。
全体の感想としては、こんな感じになってました。
1・倭の30国の基本は国郡名など今も有名な地名を主体とする
2・まず最初に九州の北部から南部を順番に紹介
3・次に内海の周辺をぐるりと順番に
4・最後に本州を東へ紹介していく
5・すべての国はバラバラではなく、一筆書きで線が一切交わることがない
6・それぞれの国が周囲の広範囲を納めていた
まぁそれぞれの諸国の対応する地域は、不満がある人もいるかもですが。この30国の形は、こうでなければいけない明確な理由が他にもありました。
四神の青龍との関係
なんでこの解釈が正解なのか?という話ですけど。これがどうも四神の青龍に関係してるんではなかろうかと。そんな妄想が浮かんできたのです。
むかし中国では、4つの方角を司る霊獣が存在すると言われてました。それが東の青龍、西の白虎、南の朱雀、北の玄武、そして宇宙は5種の元素からなるという五行説を元に、中央に麒麟を配す形だったわけですが。
これらは方位だけでなく、色や季節にも対応してました。
青龍 東 青 春 木
白虎 西 白 秋 金
朱雀 南 赤 夏 火
玄武 北 黒 冬 水
麒麟 中 黄 土用 土
こんな感じで。
四方を青い海に囲まれた日本列島は、昔から龍の姿であると言われてたりもしました。
古代中国から見ると、まさに東方の倭は方角からも形状からも、青龍に当たる国だったわけで。
日本で出土する銅鏡のなかに、方格規矩四神鏡(ほうかくきくししんきょう)という種類がありますね。そこに青龍が描かれてるのですが。
それで倭の30国の形は、個人的な発想によれば「青龍の形」になってるんですよ。
ちょうど卑弥呼も生存してた青龍三年(235年)の銘がある方格規矩四神鏡を見ると、青龍が描いてあります。
ウィキペディアの写真を拝借すると、
おそらく陸地を龍に見立てているので、島しょ部は舌とか角とかになりそうです。
・青龍の頭部 末廬国から邪馬台国までの北部九州
・青龍の長い首 斯馬国など九州西部
・青龍の前足 九州南部の好古都国など
・青龍の胴体 不呼国以降
・青龍の尻尾 先端が奴国
九州の南方がごちゃごちゃしてるのは、青龍の前足を表現してるからですね。胴体がS字にくねってるので、いったん四国に入ってから九州へ戻る形にしてるんです。
そして瀬戸内海を取り囲むように胴体を表し、東の尻尾が伸びていくという形になったよう。
倭国と邪馬台国が銅鏡や漢字など、中国の文化的な要素を取り入れていたのは確実だし。倭の30国の並びが一筆書きで青龍を描いてるというのは、ありそうだなと、日々妄想しています。
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