これまでに導き出してきた線の断片を、図案化するとこんなふうになりました。
これはまだ分かりやすい諸国を、線で繋いだだけですが、朧気にではあるけれど、全体の輪郭が浮き出てきているように思います。
ではこれに、新たな解釈を加えてみるとします。
解明しづらい国名に、「16・不呼国」がありました。19・蘇奴国と18・対蘇国は、四国に隣接している、讃岐と土佐であると考えてみましたが、そうすると、「魏志倭人伝」の国順を逆から言えば、本州→瀬戸内海沿岸諸国→四国という順に、紹介が行われていたことになり、四国の次は九州でしか有り得ないというところは説明しました。
九州のどこかというと、不呼国は日向国・日向国造のあった、日向(ひむか)国だと思われます。不(ふ)が日(ひ)、呼(こ)が向(こう)に、それぞれ対応していたようです。後の時代に、国の呼称が変わったとしても、用いる漢字には過去の地名を想起させるものを用いたようです。
従って日向(不呼国)の南方、と鹿児島(好古都国)の東方にある17・姐奴国とは、曾県主(そのあがたのぬし)、曽於郡がピタリと当てはまってくるようです。これで四国と九州が、無理なく結ばれました。下の[図3]参照。
で、前々回、26・躬臣国を笠臣国造とか書いてましたが、これは間違っていたようです。正しくは、北陸の「越」が当て嵌まるようです。現在でも北陸地方は上越・中越・下越などと言いますが、本来は越(こし)で、これが躬臣国になるようです。[図3]で確認してみるとわかりますが、越国の地域はかなり広大です。律令制以降、北陸道と言われた地域は全部これに該当します。 極小地域限定の笠臣国造より、ずっと広大な越国が、無視されるわけが無いし、相応しいと考えられました。この部分は、かなり主観的ですけども。(というか最初からそうだが・・・)
線で結ぶと、こうなります。
じゃ、5に続く。