最近、ようやく2013年を生きる決心をしました。いまだに、ふとした瞬間に死を想うことがあり、精神的に不安定なのですが、一年づつ寿命を伸ばして行こうと思ってます。
生きる決意というのは、次の本を書くということでもあり、出版社側の採用・不採用はともかく、日々原稿をまとめています。
○いつも助かっております
これは日本書紀を読んだことがあるなら分かると思うのですが。
なぜ対馬海峡の支配者は天皇しかありえないか、すこし説明します。
天照大神と素盞鳴尊の姉弟が誓約を行った際、御子である天忍穂耳命と共に、対馬海峡の神「宗像三神」が生み出されました。
宗像三神は別名を道主貴と言います。
道の主とは「北の海路=朝鮮半島と九州を結ぶ道の貴い主」であるということです。
この宗像三神は天照大神により生み出され、従う存在です。その子孫は水沼君とのことでした。
つまり元々、宗像神社の水沼君が、3世紀以前から対馬海峡を任されていたということかもしれないですね。
この記述を、魏志倭人伝の中に当てはめるとこうなります。
「対馬海峡の狗邪韓国、対馬国、一大国(壱岐)、末盧国は、天つ神の子孫に従う立場である」
狗邪韓国、対馬国、一大国、末盧国
が誰に従ってたかというと、女王卑弥呼です。
つまり「女王卑弥呼は、天つ神の子孫、日嗣である、天皇である」ということなのですね。
じゃあ卑弥呼は、記紀のどの天皇に当てはまるのか?崇神天皇=卑弥呼です。
次の図は、弥生時代後期を中心とした青銅器の分布をプロットしたものです。
正確性には欠けていますが、だいたいこんな感じです。
出雲では荒神谷遺跡から358本の銅剣が見つかりました。
福岡県からは大量の銅矛が出ています。対馬からも同様。考古学には全く疎い、素人に毛がはえたレベルの知識しか持っていませんが・・・。
古語拾遺によれば、崇神天皇のシンボルは「鏡と剣」でした。銅鐸らしき青銅器は、日本書紀にも古事記にも登場してきませんね。
銅鏡は全国的にまんべんなく分布します。
しかし銅剣、銅矛、銅戈といった武器類と、銅鐸の分布は、ある程度明確に分かれていることが、この図で分かると思います。
崇神天皇=卑弥呼のシンボルが「剣=武器」で、これが銅剣・銅矛・銅戈などの武器と同一のものだとすると
対馬海峡の支配者卑弥呼と、崇神天皇のシンボル「武器」が重なりあうところがありますね。
北部九州です。
つまり崇神天皇が卑弥呼であり、北部九州に拠点=邪馬台国があったことが、わかるということです。
じゃ~銅鐸は何なのか?
「銅鐸は狗奴国の最大勢力範囲」を表すと思います。
卑弥弓呼は崇神天皇に謀反を起こした、武埴安彦と同一人物だと思います。
武埴安彦の拠点は山城国(京都)でした。
ちょうど銅鐸文化圏の中心に山城国があるのは、偶然じゃないみたいです。銅鐸文化圏と呼ばれる地域は、ほぼ狗奴国の最大勢力範囲。
で、九州にちらほらと見つかる銅鐸は、崇神天皇=卑弥呼と武埴安彦(卑弥弓呼)がまだ対立していなかった頃には、銅鐸を祭祀具とする人々が混在してたということかもしれんです。
銅鐸文化は、西から順に衰退していくのです。
そういえば、狗奴国のkunaは、銅鐸を鐘(かね)と呼び表した場合の鐘(kane)に掛けている気がしますね。まさに狗奴国とは、鐘国だったようです。
まとめ
銅剣銅矛銅戈=北部九州
狗奴国の最大勢力範囲=銅鐸文化圏(狗奴kuna=鐘kane)
卑弥弓呼=武埴安彦
武埴安彦の山城国=銅鐸文化圏の真ん中。
以下は追記(2012年12月24日)
最新の崇神天皇=卑弥呼説についての研究を簡単に纏め、図解つくりました。
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