たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅お仕事中。

倭の諸国分析6

 ここで、改めて邪馬台国の位置について、考えてみたいと思います。
 全国に邪馬台国候補地は、おそらく100箇所以上あるとみられるのですが、その大部分は日本列島内に位置付けられて考えられていますけれど、海外に邪馬台国の場所を求める見方も少なくないです。その中には日本列島からは、かなりの遠隔地に答えを求める見方もあります。アマチュア古代史研究者も含めて、回答が一致しないのが邪馬台国の位置付けということですが、その中で、記・紀との整合性と遺跡発掘調査を踏まえて、最も有力な候補地とされているのが畿内説と九州説です。
 畿内説とは奈良盆地説と言い換えることも可能です。九州説には、2つの大きな勢力があるようです。福岡県を中心とした北部九州説と、宮崎説です。外にも熊本だとか大分だとか沖縄だとか、四国であるとか、中国地方、近畿地方、中部地方など数えきれない諸説が入り乱れ、未だに統一見解が存在しないのですが、今回は畿内説と九州2説に絞って考えています。
 
 これまでに「倭の諸国は古代日本列島の大きな地名に符合する」との見方で話を進めてきました。そうすると避けて通れないのが投馬国と邪馬台国の位置付です。投馬国も邪馬台国の名も、現在まで残されている大きな地名に関連すると見られます。仮に邪馬台国の位置は、国内研究者の間で最も有力視されるところの大和=機内説が正解だとして線を引いてみると、次のようになります。福岡の不弥国推定値から、畿内へ引いたラインです。
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 赤線が、黒線と交錯しちゃってます。或いは、黒線のほうが間違ってるのかもしれませんけど(となると今回の考察自体が破綻。人生\(^o^)/オワタ)。
 邪馬台国畿内説だと、必然的に邪馬台国へ繋がる中継地である投馬国の位置は、出雲(島根)か玉野(岡山)の2択になってきます。図上で「投馬国」と表示が示されている場所が、畿内説を取った場合の投馬国の推定位置です。この説は投馬国の「to-ma」が出雲(i-zu-mo)、玉野(ta-ma-no)に似ていることや、古代の有力な遺跡が見つかっていることなどから導き出されているようです。
 玉野投馬国説の場合、線が数カ所で重なります。一本の線上で交錯せずに諸国が数珠つなぎであることがテーマでしたので、玉野説は合致しないことになります。一方で出雲投馬国説を取ったとしても、一箇所交錯する箇所が出てきてしまいます。邪馬台国の次の斯馬国が、三重県の志摩半島としても、長崎の島原半島付近としても、それ以降の諸国を結びつける線と、確実に数カ所で重なり合います。
 邪馬台国説は海外説も含めて100箇所以上と前述しましたが、同様に倭の31国の位置についても、研究者間で多くの意見はあると思います。例えば狗奴国は熊本だとか、北関東だとかいう話です。
 この図と同様に、ご自分が思っている31国の位置を結びつける線を引いてみてください。恐らく、今回の「倭の諸国分析」以外の説を取った場合、よっぽど「連鎖」を意識しない限り、線が幾重にも交錯してしまう筈です。。その場合、魏志倭人伝の諸国は、日本列島各地の国をランダムに、バラバラに取り上げて記録したことになります。
 もちろんそれでも良いんですけれど、1番目の狗邪韓国から7番目の不弥国までが、一本の線上に一糸乱れず並んでいたことを踏まえると、それ以降の諸国も並んでいると考えたほうが、自然ではないでしょうか。

 邪馬台国畿内説を否定するわけではないのですが、今回の考え方だと、邪馬台国畿内に当てはまらないようです。次は九州説を元に、ラインを引いてみます。

7に続く。