近頃は、俺って一体何者なんだっていう、悩み事が増えた・・・。
むかしから罵倒されつつ、お前は単なる雑魚だ、◯◯◯だとか、底辺な感じにしか扱われないので。
ほんとのことは、誰も教えてくれないのです。教えて大統領。
○いつも助かっております
チャーシューメン
真面目な話をしますが、最近は2日に1回食べるほど、ラーメンが好きらしいんですよ。
袋の種類、カップメン、生麺など色々試しましたが、基本は塩ラーメンに落ち着いてしまう。
それでチャーシューメンについて、ふと思うところがあったんです。
味噌ラーメン、ねぎ味噌ラーメン、醤油ラーメン。色々なラーメンがあるんですよね。
でもなんで、チャーシューメンは、チャーシューラーメンじゃないのかと。
「ラー」が抜けて、チャーシューメンになったのかと。疑問が浮かんでパンを2枚ほど食べたくなりました。
ラーと言えば、古代エジプトで信仰された太陽神ラー、のちにアメン神と習合した、アメンラーの、ラーですよ。関係ないですが。
このチャーシュー、中国発祥なんですけれど、漢字では「叉焼」と書くんです。これ簡単にいえば串焼きっていう意味だそうで。
中国のチャーシューは、豚肉に紅麹という調味料を塗って、串刺しにしてじっくり照り焼きにするのだとか。叉が串のことだそうで。
一方で日本のチャーシューは、豚肉に網を巻いて、醤油ベースのたれでぐつぐつ煮込む、煮豚なんだそうで。
つまり日本ではチャーシュー(叉焼)とか書くのに、実態は焼豚じゃないんですよ。
煮こみ豚、煮た豚、煮豚。
例えて言うならあれですよ、焼そばとか言って揚げ玉ボンバーを飛ばしておきながら、じつはお湯でゆでる、茹でそばが実態だったりする、焼そばみたいなもんですよ。日本のチャーシューは。
あるいはあれですよ、千葉にあるのに東京ネズミーランドみたいなものでした。
・ところ変われば品変わる
・ところ変われば呼び名も変わる
・郷に入りては郷に従え
と言うように、何事も場所と人が違えば、物の使い方、作り方、呼び名や意味すらもまるで別物になったりします。チャーシューも、そういった範疇の食べものだったんです。
そうしたら、ソーセージを入れたラーメンは、ソーセーメンになるのだろうかなどと考えつつ、コーヒーをがぶ飲みして逡巡する日々が続きました。
しかしこれ、チャーシューメンのラーが抜けた話でしたっけ。脱線しました、すみま千円。
さて真面目な話の途中ですが、チャーシューのラーが抜けてるのが、なんでなのかと考えてみました。
第1候補 修羅場
ラーメン屋さんはチャーシューラーメンにすると、シューラ(修羅)が入ることを気にした。
修羅とは阿修羅のことで、戦いの神である。修羅場になったら大変だ、だからチャーシューメンにした。
第2候補 長いから
味噌ラーメン、醤油ラーメン、短くまとまってる。しかしチャーシューラーメンにすると、長い感じは否めない。
だからラーメン屋さんは考えた。「あ、ラを抜こう」と。するとチャーシューメンと、語感がイイ感じになったじゃありませんか。
しかしねぎ味噌ラーメン、鶏白湯ラーメン、他にも長いのあるわ。
第3候補 ら抜き言葉
近年の日本語は、少しづつ変化してるらしい。まぁ古代のやまと言葉から、かなり変容を遂げているわけなので、今後も言葉は変わっていくのだろう。
ら抜き言葉とは、例えば「食べられる」を「食べれる」と言うような表現。
らを抜いたって通じるからいいじゃないか的なことで、ら抜き言葉がが広まったとか。
チャーシューラーメンに「ら」がなくてチャーシューメンなのは、もしかすると、ら抜き言葉なんだろうか。
こんなふうにチャーシューメンについて訳のわからない、くだらない考察をいつものようにしてました。
すると、なんか奇妙に古代のあの謎に符合するなぁと、思うところがありました。
それは、卑弥弓呼についての謎ですよ。(ここでようやく、卑弥弓呼のことを書くことが決まった)
卑弥呼と卑弥弓呼
むかし倭国には、全体の中枢である邪馬台国がありました。そこに女王の卑弥呼がいました。魏志倭人
邪馬台国には、対立して修羅場を起こしたらしき勢力がありました。
それが狗奴国というところ。
狗奴国を支配する王は、「卑弥弓呼」と、伝わってるのですよ。この名前、なんか奇妙ではないですか。
卑弥呼にたいして、卑弥弓呼。
・狗奴国 卑弥弓呼
まさに、この二人は、鏡見合わせに近いというか。卑弥呼を見てると、チャーシューメンの話を、思い出してしまいます。弓を抜いたら卑弥呼、弓を足したら卑弥弓呼なんですよ。
むかし弓のことは「ゆみ」と呼んだでしょうけども。卑弥呼は音読みだから、卑弥弓呼も音読みして、ヒミキュウコ、あるいはヒミクコというのが定説です。秘密弓子。
この人物は一体誰だろうと考えたのですが、「魏志倭人伝」だけ見ても、わかりません。
だから「日本書紀」をちょっと開きます
実は卑弥呼の時代の出来事は、日本書紀でいうところの、崇神天皇の条なのですよ。
崇神天皇は、卑弥呼が男装した姿でした、というのは個人てきな想像です。
これらの出来事が同じものだというのは、別の記述からも分かります。
初めての人口調査、これは倭国では卑弥呼の時代に世帯調査があったのが最初です。
日本書紀では、崇神天皇の時に、初めて人口調査したと、書いてあるんですよ。
あとは崇神天皇の名前が、卑弥呼に似てます。過去の記事にも書いたんですが。
・御間城 mi-ma-ki
・卑弥呼 hi-mi-ko
i-m-kで一致、名前を意図的に似せてるというか、分かるようにしてるような。
御間城はごま塩みたいな語感ですが「みまき」で、崇神天皇の和風諡号の最初のほうです。
他にもありますが、色んな要素が一致してるので拙著では崇神は卑弥呼と判断しています。
狗奴の卑弥弓呼とは日本書紀のあの人でした
さて、魏志倭人伝では、女王に反逆するのは狗奴国の卑弥弓呼でした。対して日本書紀では同じ人が記録されてるの?となるところ。
調べると、崇神天皇の時代、崇神天皇に抵抗した人物が思い浮かぶんです。
建波邇安王(たけはにやすのみこ)。別名は武埴安彦命。
このかたは皇位継承権を持ってた人でしたが、妻の吾田姫と一緒に、崇神天皇に反逆しました。
彼が拠点にしたのは山城国、いま京都がある場所です。仮説を元にすると、狗奴国は山城国をふくむ中日本から東日本方面となるわけですが。
・魏志倭人伝 卑彌弓呼
・日本書紀 建波邇安王
存在感は似てますが、性別も名前も一致しませんね。しかし。ちょっといじくると名前も似てきます。
・卑弥呼の弥は本来は「彌」で、これはいよいよみたいな意味ですが、「邇」に似た字を選んだようです。邇は近いという意味だから?
・埴は、羽ではないかと思いました。古代の琉球語では、ハニとは羽のことらしく、昔の日本語の特徴は、いまも沖縄方言にのこってるんだそうで。(弓は空を飛ぶ、羽根は空を飛ぶ)
・古来、弓とは武人の象徴でした。卑弥弓呼は、武人だったんです。タケハニヤスは、頭文字に、武が付いてますね。どっちも武人で一致するのは、偶然ではなさそう。
そんなこんなを考えた挙げ句、やっと名前が、一致することに気がついたわけです。
卑弥弓呼 hi-mi-yu-mi-ko
波邇安王 ha-ni-ya-mi-ko
なんか、みたらし団子と、みだらし団子(岐阜の呼び名)くらい似てますね。どっちも中身はおんなじ団子ですが。
弓を「ゆみ」とし、安を「や」と読むと、両者の名前が、瓜二つになるんですよ。
これは例えばヤンヨーステンがヤエスになって八重洲になったみたいなのよりは、変化は小さいかと。
Jan Joosten
jan-joo-sten ヤンヨーステン
ya - e - su 八重洲
むかし武蔵国には无邪志(むざし)という別の表記があったり、近江(おうみ)は淡海(あふみ)と呼ばれたりしたのですが。
まぁラーメンだって昔はラウメンとか言ったし、漢字では拉麺とか老麺とか、中華そばっていう別名も通じるくらいだから。
卑弥弓呼と波邇安王の違いも、転訛やら文字の選出が影響しているようです。
名前が訛って記録されたというか、弓だけ訓読にしたら、建波邇安になるという言葉遊びを加えてる、そんな気がしました。
つまり卑弥弓呼が建波迩安王と同一人物ならば、魏志倭人伝の記録は間違いなく、日本書紀の崇神条です。
しかも、狗奴国は山城国より東にあったと、言えるわけなのです。