たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅お仕事中。

中央アジア の検索結果:

尽、次、突、作、時・・・月の名の由来考

…砂漠地帯がある中東や中央アジアでは、涼しい夜の神、月神こそが人々に尊ばれました。そこにはturkの民もいた。 トルコや中央アジアのトゥルク系は、古代からギリシアの月の神アルテミスを崇めました。 現在でもイスラム国家のうち半数が、月と星のマークを国旗に採用するのも、そうした意味があったようで。 その流れを組む人々は、弥生時代に日本の中枢に入ったらしく、日本語にはトルコ語によくにた言葉が多かったりする。邪馬台国の要人の名前だ中央アジア系だから察しがつくのですが(過去記事参照)。 …

大嘘鳥が証明する、古代ギリシア~烏孫~日本の繋がり

…数多くのギリシア人が中央アジアやインドに移住したとか。 紀元前2世紀からは中央アジアからインド北部にかけては、ギリシア人が支配していました。(インドグリーク王朝)。そのためクシャーンはギリシア文字を公用語として採用してたりしたとか。 烏孫のあった頃にタリム盆地に栄えた月氏(小月氏)、バクトリアに移住した大月氏はイラン系とも言いますが。国名自体はギリシアの音写とも考えられるし(ギリシア→ゲッシ→月氏)。 天山山脈には、ギリシアのヒュドラや、日本のヤマタノオロチのような多頭竜退治…

武漢と武蔵・・・過去からの出来事と今が繋がる不思議

…日本は中東 ・畿内は中央アジア ・関東は東アジア といったふうな関係を表していると考えてまとめていました。 おそらくこれを始めたのは、卑弥呼率いる邪馬台国だったかという気がするだけです。 関連記事 ・古代天皇と大和民族のユーラシア大陸移動経路のまとめ ・古代天皇家は「西から東」へ移動して来ている 2 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2019年の総(千葉)の崩壊が雛形なのだとしたら、扶桑(日本)の崩壊も待ったなしだなと、昨年中からおもっていたりして、ツイッターでもつぶや…

親魏倭王と崇神天皇の瑞籬宮の関係

…純粋な倭人というか、中央アジアや西域から帰化した倭人だったのだから。 難升米という名前は、明らかに烏孫王、難兜靡の名を受け継いでました。 都市牛利はタジキスタン人の住むタシュクルガンの古名、塔什庫爾干を元にしてる印象を受けます。 難升米 nan-sho-bei 難兜靡 nan-to-bi(烏孫の王) 都市牛利 to-shi-gyu-ri 塔什庫爾干 ta-shi-ku‐ru-gan(タジキスタン人の街) そういうことなのではないかと。 以前の記事 ・中国史書を見る限り倭国の中…

【口耳王】聖徳太子が亀茲から来たことは叡福寺と太子墓が証明する

…iūzī)は、かつて中央アジアに存在したオアシス都市国家。現在の中華人民共和国新疆ウイグル自治区アクス地区クチャ県(庫車県)付近にあたり、タリム盆地の北側(天山南路)に位置した。丘茲、屈茲とも書かれ、玄奘の『大唐西域記』では屈支国(くつしこく)と記されている。 亀茲 - Wikipedia その記事をまとめると以下のようになる。 聖徳太子が亀茲から来た理由 (1)・聖徳王と承徳王 聖徳太子の名は、亀茲の王だった承徳王とにてる。 (2)・聖徳と亀茲 聖徳には耳、口、目、心という…

イライラの語源はイラ、アバヨの語源はアベオだった。古代日本語に古典ラテン語が含まれている件

…まず烏孫や月氏など、中央アジアの西域諸国に入っています。 さらに遊牧民として東アジアへ進出して数世代も婚姻するうち、人種がそっくり東アジア系と融合したり入れ替わったりしました。 彼らがいわゆる渡来人(帰化人)として倭国に流入していると考えるのですが。その渡来系が大挙として押し寄せたのは、紀元前の徐福の時代、倭国大乱の時代、秦氏渡来の時代などがありました。 関連記事 ・鳥取県の梶山古墳の「イクトゥスの壁画」が表す、天皇家がユーラシア大陸を横断した記録 ・日本語は夫余語か ・トル…

アテネのアクロポリスの要素が吉野ヶ里遺跡の設計図に含まれていたか

…のアクロポリスとして、佐賀に再現されてたとして、決しておかしくない気もしてしまいます。 倭の卑弥呼の周辺には、古代ギリシアの情報もかなりあったかもしれんです。先祖伝来の記憶や大陸から収集した情報によって。 関連記事 ・鳥取県の梶山古墳の「イクトゥスの壁画」が表す、天皇家がユーラシア大陸を横断した記録 ・福岡県の珍敷塚古墳はエジプトからの民族移動を示す大陸地図だった件 ・中央アジア の検索結果 - たっちゃんの古代史とか にほんブログ村 ↑ クリックお願いしますm(_ _)m。

天武天皇の八色の姓にはイエス・キリスト信仰と大和民族大陸起源に繋がる思想が隠されていたかもしれない件

…民族の流れに乗って、西域まで入っていたんではないかと考えられました。 こうしてなんで「八色の姓」が、キリストを表す八色と、西域諸国の名前という、異なるキーワードで繋がっているのか、真相が見えてきたわけですが。と言っても、これも想像に過ぎないんですけどね。 関連記事 ・聖徳太子は東トルキスタン地域の亀茲から来たことの証明 ・神武天皇ご一家のお名前が~何故かそのまんま中央アジアのキルギスで記録されてた件 ・烏孫 の検索結果 にほんブログ村 ↑ クリックお願いしますm(_ _)m。

「東経ヒミコ度」が示唆する運命の存在

…れます。 仮に中東や中央アジアあたりで「bc3~ad3あたりに使われ始めた複数の単語」があり、それとそっくり似通った大和言葉がみつかるとすればどうですか。 するとそれらが偶然の範囲を逸脱して多数含まれるなら、大和言葉というのは縄文時代由来じゃない、中東や中央アジア由来な言語であることが、浮き彫りになるのではないかと。これはあとで調べてみたいですが。 さらにこれはホントの話ですが、漢字を取り入れてまた変化をし、時代を経て訛りの影響を受け合い、転嫁を続けていまの日本語になったよう…

緯度・経度から導かれる数秘術と運命的つながり

…数秘術で突き詰めると中央アジアも関係ある つねづねこのブログ、烏孫起源説というのを取り上げてました。個人的に烏孫の昆莫とは、地中海沿岸の古代イスラエル王国とユダ王国から流れた王族の末裔で、神武天皇と同一の存在だったとしています。その子孫がさらに東行を重ねて日本の天皇になってると。考えてるのですが。 「うそーん」ユーラシア大陸に連続していたヤマト系地名 - たっちゃんの古代史とか 烏孫起源説も、数秘術で分かってくることがありました。 烏孫の場所は北緯43度、東経81度なので、経…

「うそーん」ユーラシア大陸に連続していたヤマト系地名

… bc2~ad4まで中央アジアにあった烏孫がヤマトの前衛国家であったがために、烏孫の段階的崩壊と共にヤマト地名が東へ流出、2世紀頃に扶余を経て、ヤマトの王権が倭へ入り込んでいる と。そうすると大陸にヤマトが散らばってもおかしくないです。 ところで素人が妄想で学問について話すと、専門知識を持ってる人からやたら攻撃される経験があるのですが。ここはひとつ「想像力」という知的能力を踏まえた話するだけなので、専門知識を持ってるかたも参考にとどめてください。 今の科学技術というのは、表向…

ヒルコはヴァンパイアだったか

…ていたのです。 あと中央アジアの遊牧民イッセドネス人は人肉食をしていたし、匈奴は死者の血を飲んだというのですね。このへんの遊牧騎馬民族の風習がヴァンパイアの起源としてもおかしくなかったです。 事実古代ペルシアは、リリスという人の血を飲む悪魔の少女について、記録していたのでした。これは地理的な位置から検討すると、スキタイ人のことでおかしくない気がします。 しかし欧州のほうでは、意外にも初期の吸血鬼といえば、ドラクエに登場するスライムみたいな不定形の生命体でした。吸血鬼が形のない…

モーセの出エジプトと「イザナギの出黄泉」は同じだった

…事(旧約聖書含む ・中央アジアにあった、素戔嗚命と八岐大蛇退治の神話 イザナギ・イザナミというのは特に「イザ」の名を持つことで、イザヤのことだとかいう説があったりしました。しかし名前が似ているだけで、事績の一致は乏しかったのです。 実際には、イザナギとイザナミに習合された大陸の登場人物は、以下のような方々でした。 イザナミが黄泉(冥界)へと降っていく神話は、よく指摘されていますが、シュメールのイシュタル(イナンナ)の冥界下りとよく似ているのでした。 さらにイザナギが黄泉から帰…

奈良・明日香村 酒船石遺跡の正体は「天皇家の血統の視覚的表現」だった件

…話ですが、この時代、中央アジア人やら、ペルシャ人やらが、多数日本に来ていたのです。ヒンズー教、キリスト教、ユダヤ教のことも知ってたはずですね。 斉明天皇は、大陸人など遠方からの使者を特別扱いで饗応して、一々諸国の最新情報や歴史的な話を聞き出したことが想像できます。 ちなみに須弥山とは。 古代インドの世界観の中で中心にそびえる聖なる山であり、この世界軸としての聖山はバラモン教、仏教、ジャイナ教、ヒンドゥー教にも共有されている。 インドで形成された宗教のうち、とりわけ仏教が中国や…

聖徳太子は東トルキスタン地域の亀茲から来たことの証明

…してみればキュウト。中央アジアから東アジアまで席巻した匈奴と似てます。馬とはそもそも紀元前の中央アジア原産の動物でしたので。これもアッチから来たことを表すのかも。 (5)・耳 「馬の耳に念仏」というのは「念仏唱えたって何の効果もない」ことの比喩的ことわざでした。しかし実はこれ、聖徳太子を示唆することわざだということに気づくのですが。 「馬の耳」というのが「厩舎で生まれた豊聡耳」こと聖徳太子を表していました。 念仏というのは聖徳太子も学んだ仏教のことで、「仏法を知り尽くした聖徳…

欠史八代の孝元天皇「大日本根子彦国牽」が牽牛と高句麗の名を持ってた

…の本では、欠史八代が中央アジアの烏孫の昆莫王から出た後、1~2世紀頃に東アジアの東夷(扶余・高句麗・半島)の土地を通って、倭に移ってきたことを書いてました。 同時に崇神天皇が卑弥呼と同一人物であり、朝鮮半島の倭から九州に渡ってきたということも書いていました。 いわゆるトンデモ本で良いわけなのですが。近頃はなんか、トンデモのほうが真実だったと、明らかになってきてるらしいですね。 これは日ユ同祖論とか、天皇の大陸起源説で、ユーラシア大陸を超えてきたという発想を理解できる立人なら、…

天照大神は純粋に卑弥呼じゃない 複数の時代の神と人を重ねた存在な理由

…されたものとされる。中央アジアの遊牧民であったインド・アーリア人がインドに侵入した紀元前18世紀ころにまで遡る歌詠を含む。 紀元前12世紀ころ、現在の形に編纂された[3]。 リグ・ヴェーダ - Wikipedia ミトラ 太陽神 契約の神 - mi - tra 天照大神 太陽神 契約の神 a - ma - tera - su こんな風に特徴も名前も一致してるのは、偶然じゃなかったです。 しかしミトラが本来男神なのに、天照大神は女神。これは自身を天照大神の生まれ変わりとした可能…

むかしの烏孫人は倭人と似た衣服を身につけていた

…などの壁画を見ると、中央アジアは概ね、こんな格好だったとか。 サマルカンド 壁画 - Google 検索 この衣服って、昔の日本の衣と袴みたいではないですか。 ヤマトタケル - Wikipedia 古墳時代以前の日本は、埴輪を見ればいろんな形態の衣服がありました。それこそ1つの民族と言えないほどに。 一方で倭の貴族の衣服は、ヤマトタケル像みたいに、こんな衣と袴だったんですよ。これ、着物とは全然違って不思議に思ってませんでしたか。東アジアでも特異な衣服だとは思っていましたが。 …

大陸のタングートと日本の丹後国が関係ある件

…つまり、 よくある日本列島雛形論・・・日本の大きな島の全てが世界の大陸に対応 個人的な日本列島雛形論・・・日本に対応する土地はユーラシア大陸が基礎 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ こうして丹後が日本列島雛形論を証明する鍵だったわけ、なんとなくわかりましたね、独りよがりで。 関連記事 ・古代チベット・吐蕃の起源は古代トルコのタバルか ・関東地方が東アジア、近畿地方が中央アジア、に対応する土地の証明。新日本雛形論 にほんブログ村 ↑ クリックお願いしますm(_ _)m。

(前回の続き)神武天皇ご一家はキルギスで記録されていたとの調査結果

…が~何故かそのまんま中央アジアのキルギスで記録されてた件 これの続き。 前回はキルギスの王族のお子様、神武天皇一家のお子様の解説をこころみました。 今回は残りの父ちゃん母ちゃん。つまり神武天皇と皇后について解説をしたいと思います。 最近はグーグル翻訳で、世界じゅうの言語の翻訳ができちゃうのです。それで日本語をキリル文字に翻訳するのも簡単。以前はキリル文字だけが表示され、読むことが難しかったのですが、いまは発音は英語表記されるようになってるから、グーグル翻訳は研究にもってこいで…

神武天皇ご一家のお名前が~何故かそのまんま中央アジアのキルギスで記録されてた件

…・ 「神武天皇一家が中央アジアで記録されているだって?」 まぁこれは、ちょっと日本の歴史について保守的なかたには、耐えられないかもしれません。日ユ同祖論みたいな証拠もはっきりしない話は。 しかし俺の場合は、別に日本に対する愛国心も希薄な感じだし、しがらみも何もないので自由に発想しております。 天皇家は古代イスラエルにいたのであれば、当然ながら、日本に到達する時には必ず「中継地点」が大陸各地に存在してるわけなのですよ。駅伝競争みたいに。 それがどうやら、中央アジアのキルギス民族…

そういや日本の「犬」という言葉の起源を調べたらエジプトのアヌビス神とセト神が出てきて

…神武東征は「烏孫王の中央アジア東征だった」を、登場する人物名と地名から検証してみる こんな関連記事がありました。 と、ここでも何かエジプト風味がよぎってくる感じなわけですが・・・。 古代に「唸り」は犬のことだったか もう一つ気づいたことがありました。 よく犬の「唸り声(うなりごえ)」っていいますが、これを使う機会があるのは、ぶっちゃけ犬がほとんどです。「うー」。 実際、唸り・唸るという言葉は古代に犬の唸りから発生した日本語だとも言われているようです。これはウナルが転訛してイヌ…

同じ系統だった肥国・兵庫・武蔵

…と。 以前の関連記事 ・日向と熊野。同一系地名の仮説が現実に結びついたとか ・大和三山に対応する山を関東地方に発見した鴨(1)天香具山編 ・浅間山は阿蘇の名を移植したのか。日本語の噴火を表す言葉はローマ神話のvulcanusを語源としたかも 更に広域的に ・かつて奈良盆地にあった大和湖の本来の名はイシク湖だったりして ・関東地方が東アジア、近畿地方が中央アジア、に対応する土地の証明。新日本雛形論 ほかにもいろいろあり。 にほんブログ村 ↑ クリックお願いしますm(_ _)m。

ニビルは蛭児なのか素戔嗚尊なのか

…ジプト、シュメール、中央アジア方面の神話・出来事などを記録していると考えてるのですが。 そこで、もしシュメールで知られていたというニビルが存在するなら、日本書紀や古事記にも出てきていないかと思うのですよね。 なぜならば記紀神話は、太陽=天照大神、地球=淤能碁呂島、月=月読命、金星=天津甕星、などの重要な恒星・惑星・衛星のほか、遠方のひこぼしなどの恒星・すばるなどの星団、ほかに彗星なども記録していたわけなので。 それに加えて、中国の惑星の知識を得ていたならば、倭人も火星、木星、…

崑崙山の西王母が日本と古代イスラエルを結びつける(日ユ同祖論)

…いる、月氏や突厥など中央アジアの遊牧騎馬民族が居住したところです。 とくにアルティン山脈はテングリ(天)の神が住まう場所として、遊牧騎馬民族の信仰対象となっていた山です。 テングリ - Wikipedia すると西王母が、遊牧民のテングリに関係があるのかと考えたのですが、これがドンピシャで正解だったようでした。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 西王母の拠点が何故か古代イスラエル王国にあったとか 古来より中国では西王母の拠点は崑崙山で決まっていましたが、実はもう一か所…

<烏孫起源説>中国二十四史ではどうして倭だけ「倭人」と表記するのか

…った、西域と呼ばれる中央アジア地域のことも、東夷の倭人のことも、同様に見識を深めている人でした。 魏の国の都だった洛陽の皇帝の宮殿には、しばしば倭人が朝貢しに訪れていたし、地理志編纂者の陳寿は、東西南北の蛮夷と接する機会もあり、実際倭へ赴いていなくても、洛陽で倭人から話を聞く機会はありました。だからこそ魏志倭人伝も完成させることができたのだと想像します。 だから陳寿は、東西の民族の違いを見分ける目を持っていたので、倭人のなかに西域人が入り込んでいれば、きっとそれも気づいたに違…

神武天皇が派遣した天富命、始皇帝の下から旅立った徐福は奇妙な一致を見せる

…どの伝統芸能で昔の演目を繰り返すこと、天皇の即位の儀である大嘗祭では古代の儀式を再現すること、そうしたものに近いのではないかと。 もう一つ加えるなら、個人的には、ユーラシア大陸と日本列島の雛形論が、天富命の話にも入り込んでいるのではないかと考えてしまいます。 関連記事 ・関東地方が東アジア、近畿地方が中央アジア、に対応する土地の証明。新日本雛形論 ・神功皇后と父親が夫祖(沃沮)から来たならば欠史八代大陸説に信憑性でます にほんブログ村 ↑ クリックお願いしますm(_ _)m。

竹取物語の「かぐや姫」はそもそも「月の姫」という意味だったかも

…た。中国の青海省から中央アジアにかけて拡大していた月氏。 近頃、月氏というのはギリシャの音写ではないかという発想があるのです。 天照をアマテラスと書けば、ギリシャ神話の月の女神、アルテミスに似てくるのも、偶然ではないですね。必然かと。 かぐや姫の物語にそっくりな話がチベットに残っていると、ウィキペディアで見ました。これは月氏の土地だったチベットに、月氏の物語が残ったんではないかと。元々、竹取物語は、月氏の話だったものが、倭に入り込んだのではという考えも浮かんでいます。 関連記…

福岡県の珍敷塚古墳はエジプトからの民族移動を示す大陸地図だった件

…進出していました。 中央アジアのバクトリア(のちの大月氏の地)、タリム盆地の西域諸国(歴史的に月氏の地)、甘粛省や青海省土地(のちの小月氏の地)を経ていることが、壁画の靫=月で表されてるのではないかと。 そういえば思い出した。 日本の奈良県と、神武東征記録に月氏系の地名や人物名が、とにかく多いことについての記事はこちら。 ・神武東征は「烏孫王の中央アジア東征だった」を、登場する人物名と地名から検証してみる ・蕨 蕨は縄文時代からある植物で、倭人やアイヌの絵柄にもよく使われてい…

鳥取県の梶山古墳の「イクトゥスの壁画」が表す、天皇家がユーラシア大陸を横断した記録

…らはじまり、真ん中は中央アジアの烏孫や月氏を経て、東は扶余や呉や三韓を通って倭に到達したと考えていて、過去記事もこんなのがあります。 関連記事 ・古代天皇と大和民族のユーラシア大陸移動経路のまとめ この梶山古墳の地図というのは、妄想している経路とぴったり合うものなのではないかと。 西のミカドと輪(倭人)は、シルクロードを経て、東に移転しているんですよ。 それを2つの△と◎と魚の進行方向とシルクロードの地図で表した、っていうことです。 出発点となるのが西はエジプト、古代イスラエ…