以前から個人的運命とか世界的な運命については書いてたのですが。今回は卑弥呼ちゃんが教えてくれる、運命的むすびつきについてちょっと。
本日の散歩の写真(2月5日)
ところで爆音飛んできたり、隣のおばさんに深夜から朝まで壁をぶっ叩かれ過ぎて動悸が酷くなった心臓、近ごろもまだ胸が苦しかったりする。股間の異常があったり、なにより思考の異常で悩まされていたりする。
それにしても、接続が頻繁に切れて一生懸命かいた仕事用記事が全部消えたり。
連日爆音が飛んできたり、隣のおばさんはそれを俺のせいにして叩き返したり。
世の中や芸能人がうざかったり。年上な複数の大人からも、中学生のいじめや差別みたいなことされ続けたり・・。
山で引きこもりで暮らしていても、なにかとイヤなことはあるものだなと。
とりあえず複数の医者から放置プレイされ周囲にも教えられず悪化した蓄膿症は、消毒のおかげか沈静化したとか。
とにかく今は自宅で出来ることをやる。たまに自転車ダウンヒルとかバイク乗れるくらいまで、リハビリしようかと。
それにしても、冬の樹木は影絵みたいで魅力的だと感じますね、今回もすぐ自衛隊が飛んできたのもいつも通り。
○いつも助かっております
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異端児卑弥呼
異端過ぎる筆者がいうのもアレですが、卑弥呼ちゃんは異端性に満ちていました。
そのあたりについては、陳寿がのこした「魏志倭人伝」でも語られていましたが。
・倭国で長い間の殺し合いが続く狂気の中、倭人を代表して幼い卑弥呼が女王に擁立された(救い主)
・鬼道を用いて民衆を惑わせた(鬼道=祈祷という神道的なだじゃれ?)
・奴婢1,000人を居城で従えた
・魏の皇帝が金印紫綬を卑弥呼に送った(当時のアジアでは最高の評価)
・城にこもって民衆に姿を見せなかった(ひきこもりの元祖)
どんだけ個性的で酔狂な女王様だったかと。普通とかけ離れた異端児だったかと。
それで以前、卑弥呼にはこんな秘密があるのではと、想像して本やブログに書いたことありました。
一・卑弥呼は海を渡って九州へ入った
一・卑弥呼は男装して外に出てた
一・卑弥呼は桃太郎のモデルだった
一・卑弥呼の名は自ら希望し名付けた
一・卑弥呼の名に徐福が込められた
一・卑弥呼の名前は三角形で表される
他にもあるかもですが。まぁ筆者が想像しただけの仮説なんですけど。
世の中に出回っていない誰も知らない超テキトウな仮説がどんどん湧いてくるので、俺の前世は卑弥呼だったので、遺伝子レベルでテキトウに知ってたのだろうかと考えてみたりしました、テキトウだけど。
まぁ、それぞれの仮設はブログに納めてありますので、暇つぶしに読んでみてください。
倭人は言葉遊びを好んだ
むかしの人が文字に頼らなかった頃、伝達は話し言葉が中心を成した。
古来の大和言葉は音韻(音と響き)が重視されて、呪術を司る巫覡や巫女の役割を持った人々が、霊力や呪詛を蓄えた言葉「言霊」として作用させていました。
それで言葉は呪詛としての役割を持って、人を祝い呪い、生かし殺す武器にもなったわけなのでした。
たとえば罵声と嘲笑と嫌がらせを受けて、人が自殺するような出来事。これは呪詛や言霊を意図してなくても、自然と呪詛や言霊として機能をしてしまって、人の命を奪うに至ったと考えることができたりします。
それから適当な話をしますが、じつは大和言葉というのは、大陸の西から東へと縦断してきたのではないかと、誠しやかです(自分のなかで・・・)。
そのために、大陸各所の言語をやたら混ぜこんだようなものが、大和言葉であるようだと感じとれます。
仮に中東や中央アジアあたりで「bc3~ad3あたりに使われ始めた複数の単語」があり、それとそっくり似通った大和言葉がみつかるとすればどうですか。
するとそれらが偶然の範囲を逸脱して多数含まれるなら、大和言葉というのは縄文時代由来じゃない、中東や中央アジア由来な言語であることが、浮き彫りになるのではないかと。これはあとで調べてみたいですが。
さらにこれはホントの話ですが、漢字を取り入れてまた変化をし、時代を経て訛りの影響を受け合い、転嫁を続けていまの日本語になったようなのですが。
あとは、だじゃれ的な言葉遊びというものは、「万葉集」のなかでも見られたりしますよ。「日本書紀」をみれば、弥生時代の頃、頭に角がある人なので「都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)」という名前で知られるかたもいました。
弥生時代からだじゃれという言葉遊びは、あって然るべきでした。
しかも卑弥呼という人が、どうも指摘したとおりに言葉遊びを好んでいたような感じなのですよ。わずかな三文字から取れる情報量がすごいですから(自分のなかで)。
ちょっとおすすめ
・封印された叡智の回復 (1): 前方後円墳と神社に秘められた矢印機能 (たっちゃんの古代史とか出版) Kindle版
未来と繋がる言葉遊び
それで卑弥呼が未来に繋がる謎のメッセージを残してるのですう。
たぶんそれは彼女が意図した、というよりは、自然とそうなってしまった方が強い気がします。それは運命だからです。
或いはこの時代にそぐわない未来を知る存在が、卑弥呼に御近づきになり過ぎたがために、こうなっているのではないかと。
その辺の想像力を、いま開示しようかと。
1・卑弥呼の居城は「東経ヒミコ度」
そんな妄想を炸裂させるようになったのは、近年のことでした。
卑弥呼の語呂合わせというのは、
卑・・・ひ=1
弥・・・み=3
呼・・・こ=5(ご)、9(ここのつ)
この語呂合わせ。
これがどうも、弥生時代末期よりあったかも知れないなと、考えられたので酢。
それは「古事記」の物語から、紡がれちゃった話ですよ。大物主神にまつわる記述があり、そこには
「糸を3回巻いた回数=三勾(みわ)」と、「三輪(みわ)山」を掛け合わせた一文が出てくるのです。
はたと気づいたのですが。卑弥呼の時代から、数字の語呂合わせがあるんだと。
それで、以前に筆者がテキトーに書いた記事が、ここで関与するんですよ。
緯度経度というものが運命的に或いは陰謀的に結び付くというアレですが。
近世にはいってより一般化したはずの緯度経度は、どうも卑弥呼のいた土地または卑弥呼の関与する土地では、「東経ヒミコ度」が当てはまってしまうという奇想天外な想像力なのですが。
福岡の平塚川添遺跡
まず個人的に最初に卑弥呼の居城があったと直感するのが、筑紫平野でした。ここは佐賀平野とか筑後平野とかややこしい地名ですが、邪馬台国の範囲を考えると、筑紫平野全域に渡っていておかしくないかと。
中枢となる城が、おそらく吉野ヶ里遺跡と平塚川添遺跡なのではないかと
で、何で平塚川添遺跡かといえば安本美典氏の一説「奈良と筑紫平野の地名の一致」が確かな証拠だからですね。それにこの遺跡の北には、三輪山と名前も見た目もそっくりな大三輪山もありますのでね。
・卑三輪だったかもしれない卑弥呼と三輪山の地形から求める邪馬台国の所在地
あ。
あと地名で言うと、平塚川添遺跡のそばには杓子(しゃもじ)の地名が残ってることは必見でした。
何しろ卑弥呼の卑は、しゃもじの意味を持つのだから・・・・。
あ。
それで、この地点の東経が、130度39分なのは興味深いですね。
平塚川添遺跡
130度39分
13039
139
1+3+9=13
あらま。
というわけで、杓子の平塚川添遺跡の130度39分は、卑弥呼的に意味があった。
果たして偶然だろうか?と。
奈良の纏向遺跡
次に、奈良の纏向遺跡が卑弥呼の居城だという学者もいるのですが。ここは卑弥呼と同一視される倭迹迹日百襲姫命に縁の深い、大物主を祭る三輪山が近いこともあり、たしかに無視できない土地なのですが。個人的にも、邪馬台国東遷説を支持していて、卑弥呼の拠点の2か所目と考えます。
この土地の東経が何度かといえば、135度でした。
135度
135
ひみこ
あらら。
・・・・・・・・・
緯度経度というのが九州で正確に130度、奈良で135度が西洋世界で定まったのは、江戸時代だったのです。
・弥生時代の最高に高い評価の人物
・当時から現代まで、135、139が当てはまる位の高い人物といえば日本では卑弥呼
これはなにか、卑弥呼がこの場所に居城を築いた出来事が、遠い2~3世紀の過去から運命的に決まってたかのような感じなのですよね。
なにか邪馬台国といいうのも、もしかすると邪馬台(サバト)国で、魔女の国でもおかしくない、そんな気にさえなりました。
卑弥呼の逆さ読み
もう1つ、卑弥呼の未来的な不思議要素があるのです。
卑弥呼という名は2世紀の頃に命名されたのですが、どうもアルファベット表記すると違うものが見えたりします。
ヒミコ
himiko
何の変哲もなくて、なんとなくセレブ感がでるhimikoです。
これを逆から読むと、
okimih
オオキミ
大王
大王(おおきみ)・・・天皇の古称ですコレ。つまり、
・卑弥呼は天皇だった情報が、アルファベットの逆さ読みに秘められていた
・アルファベットが日本に導入される江戸時代以降になって、初めて分かることだった
という話になり、やはり緯度経度の135、139の時と一緒で、過去と未来の繋がりが、卑弥呼から現れたじゃないっすか。
これも、偶然なのだろーかと。運命なのだろうかと。奇妙キテレツ摩訶不思議ではないですか・・・。
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