たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅お仕事中。

小松左京「物体O」と2025大阪万博「大屋根リング」…共通点と暗示される未来

最近2025年の大阪万博の「大屋根リング」が話題になってました。実はアレも未来の予言に関わるような気がしたのですが。

しかも小松左京の小説にも関係してるのかもしれない、そんな想像も湧いたのです。今回はそんな話。

 

 

大阪万博の大屋根リング

 

大阪万博は2025年に、大阪湾の夢洲(ゆめしま)でやるとか。何故かあの大災厄の予言で知られてる、2025年に合わせてやるとか・・・。

これ、東京五輪と同じように、建設費が莫大になって問題になっているようです。公共事業って建設業界などに対する景気対策なのは当然ですが、政治家や関係者にもお金が入るみたいな感じなので、無理でも容認されちゃうんでしょうね。しらんけど。

参加するはずだった数カ国が参加を取り止めたりと、他にも支障出てるみたいですが。

この大阪万博の「大屋根リング」という木造の円形構造物が、万博のシンボル的な施設なんだと言われてます。これの建設費が莫大になったとかで、問題視されてるみたいですが。

まぁ世の中の偉い人って「一々わざと大問題を発生させてそれに関わる仕事やお金を増やす」との手口を実行してるようです。問題作って解決しないほど、経済が回る仕組みというわけで、「集スト」も同じですけども。まぁそのぶんのしわ寄せは、民衆に行くわけなんです。

計画図とグーグルマップをもとにして、ちょっと描いてみました。

 

サイズ調べてみたらこんな感じだった。

大屋根リングのサイズ

1週 2000m

直径(内径) 615m

幅 30m

高さ 低部12m、高部20m

面積 6万㎡

かなり巨大で、東京でいうと浜離宮恩賜庭園と同じくらいで、富士山の火口に匹敵する程度という感じ。まぁこれは「物体O」だなーと思いました。今では知る人ぞ知るような名前ですが。

こんな立派なものなのに、2025年の万博が終わると壊して跡形もなくなるそうです。もったいない。ただ先日になって、高額な大屋根リングは保存するとか言い出してるようですが。大屋根だけに、「やーね」といったところですけども。

それで大阪万博と言えば、あの変な怪物の「ミャクミャク」ですけども。ミャクミャクもよくよく見れば、赤い部分がリング状なんですよね。見るからに主催してる方々が、おクレイジーでいらっしゃるような感じです。

あの大屋根リングも嫌な意味が込められてるんではないかと。そこで「物体O」だったわけなのですが。以下に詳しく説明します。

 

 

小松左京の「物体O」との関係

 

物体O (1977年) (新潮文庫) 文庫 – 古書, 1977/7/1 Amazon

 

大阪万博の大屋根リングを見てたら、小松左京の「物体O」を思い出したわけですが。「物体O」は1977年の作品なので、「今作ってる大阪万博と関係あるわけないだろ」って思われるかもしれません。

しかし両者には何故か共通点が多々あるので、何かの関係あるかもしれないです。

ここで小松左京の小説「物体O」とはいったい何なのか、説明しておきたいと思います。

これは1977年に出版された、いかれた短編小説ですが、以前に読んだ記憶があります。なにしろ小松左京の小説にやたらハマって、片っ端から読んだ時期があったもので。

直径1000km×高さ200kmの巨大リングが、突如として日本列島に落下したのでした。それを受けて関東と九州は壊滅してしまいます。大阪に臨時政府が立ち上げられたんですが、当然ながら経済は崩壊。研究に酔って巨大リングは銀で出来ているとわかったのですが、翌年には忽然と消えてしまうのです。そのリングの正体は実は・・・といった内容でした。

これがなんか、大阪万博と関係してる気がしたのですよね。比較してみるとわかりますが。

 

 

適当な感じに比較するとこうなる。

物体O      大阪万博

象徴 O型リング 大屋根リング

怪物 表紙に怪物 怪物ミャクミャク

大阪 首都が大阪 開催地が大阪

高さ 高さ200km 高さ20m

消失 翌年消失  翌年消失

海  太平洋   大阪湾

 

これほど共通点が揃ってるので、無視できま千円。特にO型リングであること、怪物がいること、大阪、消失状況などですが。高さは20で合っているし。

「海」というのは、物体Oは日本列島と太平洋に落下したのに対して、大阪万博会場も海上(大阪湾)で行われるので共通しています。

ほかにも類似点があるかもですが。というわけでなんか物体Oと合わせている感じがしてしまいました。ミャクミャクの顔も「O」の形してますし。

まぁ人類破滅を望むカルト権力にとって、小松左京SF小説は格好のネタでありますし。実査に例のコロナパンデミックの出来事を思わせる小説「復活の日」も、小松左京が執筆してましたから。

何らかの破滅的出来事が起こるのが2025年っていう感じが、してしまいますね。しらんけど。

 

 

じゃ2025年にどうなるのか?

 

富士山と津波が描かれた保守党のロゴマーク(2023年9月~)

 

まあ2025年に実際に直径1000kmの「物体O」が日本に落下してくるなんてのは、無いとは思いますが・・・。

2025年の大災厄の予言の中で起きると言われてるものとしては、南海トラフ地震、海底火山噴火、あるいは隕石落下、それに伴う大津波、富士山噴火などです。政党のロゴマークにも、津波が登場しちゃったのは気になるところ。

あとは毒チンの効果が一気に出る年であるとか、大々的に5G電磁波でやられちゃう年だとか、ゾンビが大発生するとか、世界の戦争が本格化するとも言われています。

ここに来て「大屋根リングを作るべきでない」との意見があったのは、無駄遣いのことじゃなかったりして。「物体O的な大破局に結びついてて縁起が悪いから」だとすれば?たしかに作るべきじゃなかったです。

そう言えばツイッターで物体Oと大阪万博に関する書き込みした直後に、気になるニュースが出たのですが。タイミング合わせられた気がしました。

 

 

もしやギャグで作ってるのかと、大阪なだけに。大阪万博とあの宗教組織は関係するのか?と思ってググったのですが、情報は少ないけれど関連はあるようです。

この18日の出来事によって、破滅が解除されたんだろーか?しらんけど・・・。

カルトによる極悪非道な様々な政策が、順次中止になっていく状況が見えたらば、人工災害の解除も見えてくるでしょうけども。

ただ2025年の件がホントのホントに自然災害ならば、回避できるかどうかは自分の行動次第なんですけど。2025年になにが起きるかどうかは、その時になって分かることなので、注意深く見て行きますyo。

まぁ俺は子供時代からカルト権力におもちゃにされたり、ボコボコにされてますが。

しかしそうだとしても、自分の使命である「ボコボコにされても、世界の未知の物事を見つけたり解明したり伝える」を果たしたいなと。

 

ぽちされdたすかりまs

 

 

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先日2025年大地震大津波の予言の記事かいた後、静岡沖で緊急地震速報+フィ国で地震起きた件

先日に2025年に発生予言されてる、地震津波についてのブログを書いたんですが。変なことが起きてしまいますた。それについての話。

 

 

先日のブログ記事について

 

書いた内容は2025年に南海トラフだのフィリピン海だので、大地震とか大津波とか起きる予言があるとかいうものでした。

 

 

その時にとある政党のロゴマークは、静岡の海に津波が来てるみたいな印象だなと思ったわけなのですが。

その翌日に、静岡で緊急地震速報があった件。

 

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緊急地震速報の後の大地震

 

 

緊急地震速報の場所は、伊豆半島のすぐ南あたりで、静岡の海域だった。

緊急地震速報震度5弱以上の地震が想定される時、出るものらしいですが。実際は震度0だったみたいで、誤作動だとか言われてました。

あの記事を書いた直後だったので、焦りました。どんな意味で動いたのか。

 

しかも緊急地震速報が出た時間が10:28。

1028なだけに、・・・たつや(1028)の語呂合わせだったりして。

 

 

しかも11月17日には、フィリピンでマグニチュード7.2の地震が起きたそうで。

まぁフィリピンなだけに、ニアピン賞だったのか・・・。

 

ぽちされたすかり

 

 

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2025年に大地震と大津波の破滅が来る予言・・・何故か保守党もロゴマークに津波

他人をおもちゃにしてるDSカルト権力は、もうすぐ消滅するので、人為的な大地震や大津波は起こらないとか言いますが・・・。

2023年になってから、政治的な権力が大津波発生をほのめかしてるので気がかりです。

 

 

2025年の大津波の予言

 

簡単に言うと、いろんな預言者が2025年の破滅を予言しています。

ググってみると以下のようになってる。

 

 

有名な漫画家、予言者、など複数が予言してますが。南海トラフ巨大地震であるとか、フィリピン海で異常がおこって、大津波になるとか言うのですね。

人工的にやるとか、自然に起こるとか色々言われており、津波の高さは80mとか言ってますが。詳しい内容はググって拝見してみてください。

・・・まぁ予言なんて数撃ちゃ当たる、みたいな感じですが。こんなに予言が存在するのは、それなりに根拠があるのかと。

 

 

高さ80mってどのくらいになるのか調べ

 

Flood Mapsで調べてみた。

 

これは海抜60mまで海面を上げたの図。

予言のとおり津波が80mだと、この図よりさらに内陸にまで行くみたいです。場所によっては100mを超えるかも。

南海トラフ地震の想定される津波高さは30m超とか言ってるので、予言の津波高さはその倍以上。そうすると日本だけじゃなく、東アジア、東南アジア、太平洋沿岸にまで大被害が予想されるんではないかと。

 

 

銀座のソニービル津波マークが描かれた2017年

 

そういえば銀座に津波マークが刻まれたことがあった。調べたら2017年で、ソニービルの防災広告だったとか。

 

 

赤坂御用地津波マークが描かれた2019年

 

そういえば2019年に、赤坂御用地津波マークが描かれたの思い出した。

 

 

東京・港区の赤坂御用地の石垣におよそ30メートルにわたり赤い塗料で書かれた落書きが見つかりました。落書きは24日夜から25日の朝方までに書かれたとみられ、アルファベットや鳥のような絵も描かれていたということです。警視庁は器物損壊の疑いで周辺の防犯カメラを解析して調べています。

 

30mというのは、南海トラフ地震津波の想定高さと同じ。

落書きが完了した25日が、2025年を現していそうです。

 

ここはどこだったか地理院地図でしらべた。

赤坂御用地の東側の「紀伊国坂」でした。標高は20m前後のところ。東京湾日の出桟橋浜離宮からは4kmほど内陸部。

これが津波マークなら、少なくともここは津波が到達することのサインか、ここは海の中のサインなのかも。

そういえば紀伊国坂の紀伊といえば和歌山県のことでして、和歌山の沖合が南海トラフ地震震源になるとか言われてます。

 

 

保守党のロゴマーク津波が描かれた2023年9月

保守党は2023年の9月に結成されてましたが、そのロゴマークも気になりました。

明らかに富士山のある静岡の太平洋沿岸、遠州灘駿河湾などに大津波が来ている構図。富士山の西側に日の丸があるのは、首都が西に移転することを表す気がする。

 

静岡沖が震源だとでもいうのだろーか。保守とか言ってるけれど、立場的にはDSカルト、主権を海外に売り渡してる、自民党と同類みたいな感じなのですね。

2023年9月になってから津波ロゴマークを作ったということは、いまも計画が消えてないってことなんでしょうかね。

 

今後の展開は

 

 

AKIRA(1) (KCデラックス) コミック – 1984/9/14 大友 克洋 (著)

 

2025年まで、あと1年ちょっとのところですが。まぁ多くの人にとって2025年の大破滅予言はハズレたほうが良いでしょうけど。人口削減してる側としては、やりたいのでしょうかね。

先に述べたように、他人をおもちゃにしてるDSカルト権力は、もうすぐ消滅するので、人為的な大地震や大津波は起こらないとか言われてます。

しかしいま緊急事態条項とかWHOの強制、新たな偽パンデミックとか、そういう悪の仕組みが発動する気配がある時期ですよね。

だからひょっとすると、そうした悪の仕組みや大破滅は、実現するのかもしれない。しかし同時に、カルト権力がご破産になるシナリオもあるかもしれないなと思いました・・・。

そうすると漫画の「AKIRA」の展開が現実になる?「AKIRA」では超能力者アキラと鉄男によって日本は壊滅したけれども、生き残った金田の勢力が黄金時代を築く場面で幕を閉じていました。

自分としては「カルト権力のマッチポンプいじめ盗撮トゥルーマンショー」にうんざりしていますし。もし起きる(起こされる)としたら、基本的にはカルト権力は滅亡しても仕方ないですが。マトモな人には、生き残っていただきたいと思います。

 

まぁ、知らんけど。

 

ぽちされでたすかりm

 

 

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日本の原初の神と信仰は、世界樹ユグドラシルだった・・・倭人が持っていた世界樹信仰の痕跡

先日は古代クロマニョン人ゲルマン人が、縄文人と同類だったり、弥生人に入り込んでる可能性が見えました。

そうすると彼らの神話も、日本と同じ要素があるかもしれませんよね。

その証拠になり得るのが、原初の神だった宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこぢ)です。

何しろとある辞書に「宇摩志阿斯訶備比古遅神世界樹的だ」って書いてあるのだから。

 

 

原初の神、宇摩志阿斯訶備比古遅神

 

ヨシ - Wikipedia (アシとヨシは同じ)

 

古事記」の天地開闢の時に、宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこぢのかみ)が登場しています。「日本書紀」では可美葦芽彦舅尊(うましあしかびひこじのみこと)。

定説では「宇摩志」とは素晴らしいと称賛する意味で、「阿斯訶備」は葦芽で、犬や狼のキバのような葦(アシ、ヨシ)の芽が地中から出た姿。「比古遅」とは男性の尊称を表しているとか。

「素晴らしい葦の芽が出たような男神」ということで。ちょっと意味わかりません。葦の芽を神格化したようです。

日本書紀」は基本的に、複数の書物を元に作られた書物でした。そのため内容には「一書によれば(別伝によれば)」という注釈があったりするのですが。

一書によれば、可美葦芽彦舅尊は存在していません。また一書によれば原初の神でした。一書によれば2番めの神だったりしました。また「古事記」では、造化三神に続く4番目に生まれた神となってました。全然違いますね。

 

この摩訶不思議な神の名、実は「日本書紀」で原初の神とされる国常立命にも共通してたりするのです。国常立命は、基本的には龍神としても祀られる神さま。

「立」とは学研漢和大字典によると「葦の芽が出た姿」であり、国常立は「四角い土地(国)から三角形の葦の芽が出たような神」を表すものでしたので。この名からは、ピラミッド的な要素も垣間見えるのですが。

ひょっとすると宇摩志阿斯訶備比古遅神は、国常立神と同一存在、あるいは同種の神さまであるのかもしれないですyo。

 

以下の「神名データベース」を見てみると、興味深い解説がありました。

宇摩志阿斯訶備比古遅神 – 國學院大學 古典文化学事業

宇摩志阿斯訶備比古遅神は、「世界樹的な色彩が強い」とか言ってます。

これは無視できないところ。要するに原初の宇宙空間に葦の芽みたいな神が現れ、それが世界を形作っていったような感じです。

 

 

世界樹ユグドラシル

 

Yggdrasil - Wikipedia

 

世界樹とは何か、自分でもあまりわかってませんでしたので、解説をはさみます。

今の科学では、地中はまん丸な形だとか言われてますが、古代には地球は平坦である、いわゆるフラットアースであると考えられてました。

日本神話では、原初の大地は水に浮かぶ油のようだとか言ってたりしましたし。四方には青龍などの四神が守護してるとか言われてたので、倭人はこの世界はまっ平らだと考えたようです。

それでその平らな世界は、巨大な樹木の階層として存在すると考えられていたのが、世界樹の骨子となります。世界樹には人間が住むエリアのほか、神が住まうエリア、地底の地獄エリアなども存在しました。

この世界樹の神話はアジアやアメリカなど世界中にありましたが、特に色濃く伝えられたのが欧州のドイツや北欧の方面です。

ユグドラシル」は元々はゲルマン系で古ノルド語を使っている、北欧人の神話だったとか。「古エッダ」と呼ばれる古代北欧の神話伝承集があり、その中に登場していました。古代のゲルマン系だったザクセン人も、イルミンスールとして世界樹神話を伝えています。

ユグドラシルは世界を形作るトネリコの巨樹であり、上はアースガルズから下はヘルヘイムまで、9つのエリアを有してるとか。

ユグドラシルは古ノルド語で「恐るべきものの馬」だそうで。ユグ(ygg)は北欧神話最高神オーディンのこと。要するにオーディンの世界だったわけです。

 

ユグドラシルのエリアと特徴を、図に表すとこうなってます。

ユグドラシル - Wikipediaの画像を元に作成。

 

天上界】

アースガルズ(アース神族が住む)オーディンの系統

ヴァナヘイム(ヴァン神族が住む)光り輝く者

アールヴヘイム(エルフ族が住む)

アースガルズにはイザヴェルという平原があり、アース神族はそこに神殿(グラズヘイム、ヴィーンゴールヴ)と祭壇を築き集まっている。鍛冶場があり、黄金によっていろんな道具を作るという。

太陽神、月神、鍛冶神、豊穣神、軍神、雷神など様々な種類をつかさどる神々がいた。

ユグドラシルのてっぺんにはフレースヴェルグ(死体を飲み込む者)というワシがいて、風を起こす。その目の間にいるヴェズルフェルニルというタカは、風を打ち消すという。これは主神オーディンが最初期には風の神、嵐の神だったことが影響してるよう。

ユグドラシルの幹には栗鼠のラタトスクというメッセンジャーがいて、天上から地下まで走り回ってる。

天上界から地上・地下には、神が架けた橋ビフレストがある。

 

【地上界】

ミズガルズ(人間族が住む)

ヨトゥンヘイム(巨人族が住む)

ムスペルヘイム(灼熱の国が住む)

スヴァルトアールヴヘイム(スヴァルトアールヴ族が住む)ドワーフ

四頭の牝鹿がユグドラシルの樹皮を食べている。

地上界の外は全て海であり、その海ではヨルムンガンド(大蛇)が輪っかをつくり取り囲んでいる。

 

【地下】

ニヴルヘイム(霧の国、氷の国

ヘルヘイム(死者の国、悪人の魂が向かう場所)

地下には3つの根がある。

ヘルヘイムは女王ヘルが治める死者の国。

地下には運命を占うウルズの泉と、知恵と知識を与えるミーミルの泉がある。

根っこにもヨルムンガンドがいる。

根の下にはニーズヘッグという黒きドラゴンがいて、週末の日(ラグナロク)には死者を乗せて飛び回るという。

 

 

宇摩志阿斯訶備比古遅神から溢れ出す世界樹の要素

 

上記のとおりユグドラシルには九つの世界があったのですが、大きく分けると天界、地上界、地下の3つの階層でした。

一方日本神話では上空に高天原があり、人間界の葦原の中つ国があり、黄泉や根の国という地下世界に分かれてます。日本神話の階層も3つだったんです。

ユグドラシルと同じような階層構造でありつつ、世界が明らかに植物に例えられていますよね。つまりこの世界は、宇摩志阿斯訶備比古遅神という葦牙が成長した後の、世界樹であるとの思想が根底にあるのかもしれんのですyo。

 

 

「葦牙(あしかび)」という漢字は「イガ」と読めます。

これユグドラシルの神オーディンの別名「ygg(ユグ・イグ)」や、神格である「怒り(ika)」に対応するのです。

「比古遅」は男神であることを表す尊称です。

「阿斯訶」はオーディン系統の神が住むアースガルズの「アースガ」のことのよう。

「宇摩」はdrasill(馬)と完全に一致しているでしょう。

つまり世界樹ユグドラシルオーディンは、「宇摩志阿斯訶備比古遅=葦牙」のなかに表されているというわけでした。

 

・天上界

 

そういえば高天原って、音読みすると「こーでん koden」になるんですよね。

高天原

こーでん(高天)koden…oden

オーデン oden(オーディン

 

これがオーディンを意図したものか、偶然かは不明ですが。

高天原天津神が、アース神族と対応するみたいです。すると国津神ヴァン神族に対応するのかも知れないです。

アースガルズにはイザヴェルという平原には神殿あったのですが、日本で言うと天の安の河原みたいな場所に、八尋殿があったみたいな感じです。

アースガルズの神々はいろんな道具を作ったとあるのですが、日本神話では天照大神高天原の岩戸に引きこもった時、八百万(やおよろず)の神々が様々な道具を作ったことが記されているので似てますね。

ユグドラシルの天界には太陽神、月神、鍛冶神、豊穣神、軍神、雷神など様々な種類の神様がいたように多神教でしたが、これは日本の八百万の神々と似ています。神様の種類までも似てる。

エルフ族もいました。それは日本神話に登場する樹木の精霊久久能智神(くくのち)。久久能智は「九つ」のことであり、ユグドラシルの九つの世界に対応している感じがしました。しかも木の精霊と言えばエルフのことなので、当てはまっている。

記紀神話で久久能智の存在感は小さいですが、日本の神社のご神木には木の精霊がいると言うので、「気のせい」じゃないんですね。

ユグドラシルでは天上界と地上を結ぶ橋「ビフレスト」があったのですが、これがどうやら日本神話における天浮橋(あめのうきはし)と全く同じ機能でした。

あと天御柱というのが地底から天空まで貫いてましたが、これがどうも「木の柱」なので、ユグドラシルの幹という感じがします。天御柱にはバベルの塔やら、なにか別の要素がくっついてるみたいですが。

 

・地上界

 

人間界である葦原の中つ国は、別名「瑞穂国(みずほのくに)」です。これがユグドラシルの人間界「ミズガルズ」の「みず」と一致してるのは、偶然じゃなかったです。

ユグドラシルには巨人族が住んでました。日本ではダイダラボッチ(大太良法師)が思い起こされますが、各地にいたそうです。やたらデッカい人がいたら、ダイダラボッチの生まれ変わりですかね。

ユグドラシルでは人間と巨人族の居住地は別々でしたが、日本の場合は人と巨人族の所在地は重なってました。ダイダラボッチはあちこちに、山や池や川を作ったとかの伝説が各地に残っています。

 

 

・地下

 

葦原の中つ国(人間界)の地下に、「根の国」があります。別名で根の堅洲国(ねのかたすくに)とも言いました。世界は宇摩志阿斯訶備比古遅神(葦牙)という世界樹であるなら、地下に「世界樹の根っこがある」と考えると腑に落ちるわけです。

地下には黄泉という別の異世界もあり、そこはイザナミ=黄泉大神が支配して邪気に満ちたところです。

これらがユグドラシルにおける、ヘルヘイムとニヴルヘイムとに対応してます。

ヘルヘイムは地獄(ヘル)と似たような場所で、神界から追放された女王ヘルが統治した場所でした。日本神話ではイザナミ高天原で死んで、黄泉の女王「黄泉大神」になったのとにてますね。

 

ユグドラシルでは、天界の橋ビフレストで、地上や地下へワープすることが可能でした。一方日本神話では、天界から地上までは天の浮橋が連結していたので、非常に良く似ています。

また天界には地下の黄泉へ行く穴「黄泉平坂」もあったので、ますますビフレストと同じです。天の浮橋がビフレストだとすると、黄泉平坂はそれに連結する道だったのかもしれません。

その他にも出雲の素戔嗚尊の近くから、根の国に繋がる入り口があったようです。

あるいは天界から地下まで貫く、天御柱もそんな役割があるみたいです。「日本書紀」をみれば、太陽と月は天御柱から天に上げられたとありますし。天御柱世界樹の幹と同じく、天から黄泉まで貫くものだったんですかね。

素戔嗚尊が天界の出雲、海原、地下の根の堅洲国までを管轄としたのは、天界と地下を行き来したアース神族と同じ行動パターンと考えればしっくりきますし。

 

一説に地底の黄泉は「常世(とこよ)」の中に含まれるといいますが、多くの場合常世は海の彼方なので曖昧な解釈をするしかないです。もしかすると天界の橋ビフレストが地下に繋がっている特殊構造であるように、常世も天界や地下に繋がる特殊な場所なのかもしれんです。

そういえば大国主神素戔嗚尊からの試練を受けた時に、道案内のネズミが登場しました。あのネズミ、地上で焼け死にそうな大国主を、地下の穴(根の国)導いて命を助け、捜し物の矢を渡したのですよね。まさにメッセンジャーで、役割がユグドラシルにいたラタトスクと被っている感じがします。

 

ユグドラシルでは地下の世界に泉があるのですが、日本神話でも地下は黄泉という泉で表されています。黄泉という言葉は元々古代中国の思想が入ったものですが、地底に泉があるというユグドラシルの認識も合わさったんじゃないですかね。

ユグドラシルの最下層には黒い龍や、ヨルムンガンドという大蛇がいました。黄泉の出入り口がある出雲にはヤマタノオロチがいましたので、龍の存在も関連付けがあるようです。

 

古代メソポタミア全史-シュメル、バビロニアからサーサーン朝ペルシアまで (中公新書)小林 登志子(著)

 

世界樹縄文人の思想や信仰だったかも

 

日本の民族と神話は、ユーラシア各地と日本の土着のものが合さったものでした。日本神話には、古代中国、古代インド、古代エジプト旧約聖書とか、大陸の様々な要素がてんこ盛りなんですよ。

しかしこうして比較してみると、東アジアにある神話より、欧州のユグドラシルとの一致度のほうが高いように思いませんか?不思議ですね。

それは古代の縄文人クロマニョン人ゲルマン人の先祖が、結びついてた仮説を踏まえると無いともいえないですよ。彼らは縄文人と同じ竪穴式住居に住んでたわけだし、古英語調べたら、古日本語に似てますし。

 

どこが世界樹の起源だとか、そういう話は抜きにしたいです。人類がおぎゃーと生まれた時から連綿と育まれてきた、共通した思想だったと思うのですよ、世界樹というのは。ユグドラシル系の世界樹は、ゲルマン系と日本に色濃く残ったんですね。

縄文人だけでなく弥生人に至るまで。倭人は「この地球は世界樹である」との世界観や宗教観を、確かに持ってたような気がしてきます。

 

 

ぽちされてたすかり

 

 

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戸田蕨の立てこもり発砲事件・・・現れた不可解な三角形と目玉

2023年11月1日に、埼玉で80代男性が自宅を燃やし、病院と郵便局で立てこもり発砲する事件ありました。

まぁ犯人さんもストレス溜まってたのかと思ったのですが。詳しく調べたら奇妙な要素を見つけたので記事にしておこうと思います。

 

 

結びつけると現れる三角形

 

いつも興味のある事件の、発生地点をネットで調べるのが日課、というか趣味になっています。気づくことがあったりするので。

今回の調査した場所は、事件が起こった戸田の自宅、戸田の病院、蕨の郵便局の三か所でした。いつも通りグーグルマップをいじって、調べてましたが。

気づいてしまいました。「あれ、これ、結びつけると三角になってる」

 

事件の発生ポイント

・自宅アパート火災 戸田市新曽647

・病院たてこもり  戸田市本町1-19-3(1-18-1)

・郵便局たてこもり 蕨市中央5-8-21

事件発生場所はこの3点。

 

 

いつも人が少ないのに、たった2日で25万view・・・。

 

 

事件の気になるところを見る

 

(1)プロビデンスの目

 

三角の真ん中の目は、「プロビデンスの目」だと指摘されましたが、やっぱりそうですかね。△👁

プロビデンスの目はキリスト教の象徴だそうで、「神の万物を見通す目」を表したもの。フリー(略)の人々が好んで使ってる、人類支配や監視に関わる象徴的な形だとか。

中央の目玉の部分は、役所のエントランスに繋がる道です。

 

 

(2)18番地

 

この目がある場所って、18番地だと指摘がありました。確かに地図を見ると、18ってありますね。

 

 

 

 

666は、3×6、369で、日本では人々の魂を救うため現れるという救世主ミロク(369)のことです。

一方で西洋で666は獣の数字、悪魔の数字だそうで。

相反する意味になります。

18=6+6+6 666

666 ミロク

666 獣の数字、悪魔の数字

なんでプロ目のところが18で666なのか?両方の意味があるのだろーか。

神と魔が重なり動いて行く世界。

 

 

(3)郵便局ーk殺ー役所ー目玉がまっすぐ並ぶ

 

事件が起きた郵便局の南西にk殺署があり、その先に死役所と三角目玉がありますね。寸分も狂わず、一直線に並んでる。

 

 

この事件がやっぱり、カルト権力のマッチポンプなことを現すのだろーか?と想像してしまう。

 

 

(4)事件の3点を結んだら三角になるのは当然か

 

「3点を結びつけたら三角になるのは当然だろ」

左様でございますね・・・。

 

しかし以下の点を考えてみると良いです。

・1人が1日で3か所で重大事件起こす頻度は?(とても稀なこと)

・事件の三角形の真ん中に目の巨大モニュメントが付く確率は?(超低)

・歪な三角形じゃなくて、綺麗な二等辺三角形

 

要するに、3点を結びつけたら三角になるのは当然です。

しかし1人が1日3か所の事件を起こし、綺麗な三角形になり、中央に目が付いてプロビデンスの目みたいになるのは当然じゃありませんyo。

 

 

(5)何故目のある三角形になったのか?

 

この事件、「偶然に目がある三角形になった」か、それとも「犯人が意図的に、目がある三角形になるよう事件起こした」と思うかですが。

しかし答えは「犯人はカルト権力に電波コントロールされ、三角になった」かもしれないです。

 

無線人間リモコン技術は、NTTが1990年代に開発しており、当時NHKでニュースになってました。

おそらく第二次大戦前から米軍で研究されてた技術だとは思いますが。あれから随分と年月が経過しているので、当然進化しているはず。

 

 

電磁波は怖いですよ。人を操ることができます。ずっと前自分自身も時々意味不明な行動を取って、迷惑者になってました。自分の人生はコロナ禍以前から、あまりにも不自然なものだったのですが。

電磁波あてられ、思考や視覚を読み取られるのは当たり前。病気になっても病院で治されず、電磁波当てられ続けて悪化していくから、迷惑者状態が継続したり。

何故か胸に磁石がくっつく体質なので、電磁波を当てられて、幼少時から色々やられてるんだと思いますが。

いつも他人がやってることなのに、俺のせいにされ続けたり。というのは周囲の人も電磁波当てられてることも関係するようです。

電磁波を脳に当てられリモコン操作されて、悪者に仕立て上げられてしまう。それがこの世の真理だろうなと。

最近の電磁波は5Gになってますます強力になっていますので、逃げられませんね。海外では5G電波塔にやられてしまうことを憂慮し、破壊する市民の集団が増えてるようです。

 

今回の事件により三角が描かれた。それは三角の目玉のおやじが、世の中の仕組みの一端を分かりやすく庶民に見せたのかもしれませんよ。

 

 

ぽちされたすかり

 

 

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江戸六地蔵は江戸城を守る結界だった。何故か7地蔵で神田明神にも深く関与してる件

何気なく知ることになった、江戸六地蔵・・・。江戸時代から大きな信仰を集めていたとか。調べてみると、退っ引きならぬ意外な事実がわかったりするのでした。

 

 

江戸六地蔵について

江戸六地蔵は宝永3年(1706年)から江戸市中に設置され始めた、合計で6体の地蔵菩薩坐像でした。

深川の地蔵坊正元という人が、江戸各地の有力な寄進者を得て、各地に作ったそうです。当時の江戸の人口40万人の1/6にあたる、7万2000人がお金を出したと考えるとかなりすごい。

京都六地蔵に倣ったものであり、病気平癒のご利益があるとして人気になったとか。最初の地蔵が旧東海道沿いに作られたように、江戸の各街道筋に作られるのが基本だったようです。

江戸六地蔵 - Wikipedia

 

 

六地蔵の位置を見る

 

位置図がなかったので作ってみたら、左右対称的な図形が現れました。江戸城を中心とした形なので、やはり江戸を守る結界の役割のようです。

当初の六地蔵は五角形に近い形です。一方で明治以降の六地蔵のほうは、なんか弓矢の鏃、あるいは初心者マークのような形に変化してました。

 

それぞれの寺院の位置や、地蔵の製造年をまとめると以下の通りになってます。

 寺院  製造年 街道   所在地

品川寺 1708年 東海道  品川区南品川三丁目

東禅寺 1710年 奥州街道 台東区東浅草二丁目

③太宗寺 1712年 甲州街道 新宿区新宿二丁目

④真性寺 1714年 中山道  豊島区巣鴨三丁目

⑤霊厳寺 1717年 水戸街道 江東区白河一丁目

⑥永代寺 1720年 千葉街道 江東区富岡一丁目

⑥浄名院 1868年 言問通り 台東区上野桜木二丁目

 

⑥番は本来的には、江東区にある永代寺でした。しかし後になり浄名院が重複して「我こそ⑥番じゃ」と主張しています。これは明治元年に永代寺が廃寺となったせいで、代わりに浄名院に地蔵がつくられたことに端を発するんだとか。

ただ江戸六地蔵の元々の寄進者の界隈などでは、浄名院の地蔵は完全に認められてはいないようです。浄名院があるのは街道筋ではなく、上野公園そばの言問通りに面した立地。そのへんでも他とは異質な感じになっています。ちなみにこの浄名院は無数の地蔵が立っていることで有名なところです。

現在は永代寺とお地蔵さんは復興していますが、当初の地点から少しズレており、以前の地蔵は無くなり代替品が立っているとか。

 

この配置は一体何の意味があるのだろーか。そう思って、ひとまず線を引いてみることにしました。

するとこうなってました。

この時点では江戸六地蔵ラインには、何も意味がないように思えますね。適当に配置したのだと、普通は思うかも知れませんね。

しかし調べていくと、江戸六地蔵に秘められている退っ引きならない意図が分かってきました。

 

江戸六地蔵ラインの真意の解明

 

まず当初の江戸六地蔵のほうを見てみる。

①から⑥までの寺院を結びつけたライン上には、有名な神社が幾つも配置されてるような感じでした。これは偶然なのだろうか?

ライン上には、江戸時代以前に創建された、著名な神社仏閣ばかりが並んでる。

しかも神田明神日枝神社がぴったりと重なっている。これは記憶を頼りに考えたところ、江戸の主要な祭りの開催地に関係するような気がしました。何故なら江戸の街には、格式の高いお祭りと寺社があったからです。

・天下祭

神田明神日枝神社

 

江戸三大祭 

神田明神神田祭)、日枝神社山王祭)、富岡八幡宮深川祭

当時の格式が高い神社仏閣は、このようになってます。

神田明神は730年に創建され、祭神は大己貴命少彦名命、さらに平安時代以降には平将門命を祀るようになりました。日枝神社室町時代に創建され、徳川家康江戸城の守護神とした神社です。

天下祭は江戸時代に始まった、徳川将軍家が認めたお祭り。天下祭の2大神社「神田明神」と「日枝神社」は江戸市中の全ての神社より、ずっと格式が高いところだったそうで。天下祭 - Wikipedia

神田明神神田祭は、京都の祇園祭、大阪の天神祭とならんで、日本三大祭にも数えられることでも、存在感の凄さがわかりますけども。

 

これらの神社仏閣が、江戸六地蔵ラインにぴたり重なっていたのです。

おそらく当初の江戸六地蔵は、江戸の著名な神社仏閣の名所を、ラインで結びつけた設計だったのでしょう。

その証拠に天下祭で準ずる地位にあった、小石川の白山神社、浅草の三社権現(浅草神社)、本郷の湯島天満宮富岡八幡宮なども、この六地蔵のライン上に乗っかった位置にあるんですよ。牛込の赤城神社もラインに近い場所に位置づけられているし。

ほかにも日枝神社が守っていた江戸城本丸、不忍池、水天宮、品川神社荏原神社など、当時江戸で重要だった名所を、江戸六地蔵ラインが通るような設計になっているようです。

 

個人的な想像を進めますが。

六地蔵を設計した江戸時代の当初、深川の地蔵坊正元や各寺社の住職など主要な関係者の間で、こういう仕組みを作ったのです。

しかし時代を経て忘れ去られたんだと思いますね。わたすが想像を膨らませ、本来の記憶を呼び覚ましてしまったようですね・・・。

ここで重要なのが、公式なほうは「④真性寺と⑥永代寺を結んで神田明神が浮かびあがる」ところなんですよ。

 

 

明治以降に六地蔵に入った浄名院も神田明神を意図した設計だった件

 

明治以降の江戸六地蔵を見てみる。

先程は「当初の④真性寺と⑥永代寺を結んだライン」が消えてましたね。

その代わりに浮かび上がるのが「①品川寺と⑥浄名院を結んだライン」です。

不思議なことに、こちらの新たなラインのほうにも、天下祭で格付け1位の神田明神が浮かび上がっているんですよ。つまり、

当初の江戸六地蔵では④真性寺と⑥永代寺を結んで神田明神が浮かび上がる

明治以降の江戸六地蔵では①品川寺と⑥浄名院を結んで神田明神が浮かび上がる

ようするに2つは全く違うラインなのに、どっちの六地蔵も江戸で最重視された神田明神を捉えているのは、偶然じゃなかったというわけです。

明治元年以降の六地蔵の浄名院が、「わしが正式な六地蔵じゃ」と主張している理由は、このあたりにあるんじゃないですかね。

まぁ想像に過ぎないですけれども。江戸六地蔵のお寺の方に聞いてみたいところです。

 

とにかく六地蔵は東京を守護する結界であり、病気平癒のご利益があるということで、暇な時に巡ってみたら良いと思います。

 

 

ぽちされでたすかりまs

 

 

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9世紀の京の都に小野篁が刻みつけた三角の結界

数々の不思議な逸話があって今もファンが多い小野篁(おののたかむら)。

このたび小野篁に関して、新たな発見があったのでお伝えしようかと思います。

 

 

小野篁と冥界との関係

小野篁 - Wikipedia

 

平安時代802年に生まれたという小野篁。当時160cm前後が普通だった日本で、身長188cmと巨漢だったことでも知られていたとか。若い頃から文才に優れ、朝廷の太政官として活躍したらしいです。

小野篁と言えば、遣唐使としても選ばれた人物でした。しかし渡航失敗を繰り返したあと、遣唐使を風刺した漢詩嵯峨天皇を激怒させ、隠岐島流しされたことは有名な話です。篁の和歌は「古今和歌集」などに多数残されています。

そんな小野篁が今もよく知られるのは、昼は朝廷で官吏をし、夜はあの世に行って閻魔大王の裁判の補佐をしたとの逸話があるからでした。閻魔大王は死者の生前の罪を裁き、魂を天国や地獄に向かわせることで知られる仏教の神です。

篁は京にある2つの井戸を使って、あの世とこの世を行き来していたんだとか。

藤原高藤(ふじわらのたかふじ)が死んだ時には小野篁が冥土から生還したとか、死んだ藤原良相(ふじわらのよしみ)を蘇らせたとか言うので、蘇りの能力があったようです。

他にも竹から生まれたのはかぐや姫小野篁だったなど、変な話ばかりが伝わっている人物でした。嵯峨天皇との間の「子子子子子子子子子子子子(猫の子の子猫、獅子の子の子獅子)」についての逸話も面白いです。

小野篁 - Wikipedia

 

 

京の都の小野篁に関わる場所を調べる

 

平安時代の始まった794年頃には、東西4.5km×南北5.2kmの範囲に、碁盤の目に作られた平安京が広がっていました。小野篁の自宅は平安京の中にあり、彼にまつわる伝説の地の多くが散在しています。

ところで平安京の頃、死んだ人は風葬されるのが当前で、京の都には町外れに風葬地があったそうです。平安京で三大風葬地(三大墓地)といえば。東は清水寺の近くの鳥部野(とりべの)、西は渡月橋に近い化野(あだしの)、北は金閣寺にも近い蓮台野(れんだいの)という三ヶ所でした。

これら風葬地にも関連して、小野篁の伝説の地が残されています。

 

 

小野篁

朱雀大路の北方には天皇の宮城である大内裏だいだいり)があり、その西の傍らに小野篁邸が構えられていたといいます。勤務地が大内裏太政官の建物だったので、通勤時間は短かったようです。

しかし現在は大内裏小野篁邸もごちゃっとした住宅地になっていて、建物の礎石を探すことも困難です。

 

神泉苑

現在も二条城の南にある神泉苑は、平安京建設と同時に作られた、天皇の宴遊の地だったとか。

812年、11歳の小野篁は立ち入り禁止である神泉苑で勝手に釣りをしていたところ、池に棲む龍神が怒って篁を地獄に堕としたのだとか。その時に初めて閻魔大王に出会い、知能の高さを買われて閻魔大王の補佐を任されたのだと言います。

それにしても龍神って、流動エネルギーを司るだけじゃなく、地獄にまで通じる能力があるんですね。

 

 

六道珍皇寺(死の六道)

六道の辻と呼ばれていた鳥部野のそばに、承和3年(836年)に六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)を建てたのは、空海の弟子の慶俊、あるいは空海本人や、小野篁であるとも言われています。

六道とは地獄道、餓鬼道、畜生道修羅道、人間道、天道の六つの冥界のことで、人の魂は輪廻転生を経ていずれかの世界に向かうとされます。

あの世とこの世の境界がある場所が、この六道珍皇寺だとか。お盆になると六道まいりという行事があって、死者の魂がこの地に戻ってくるそうです。

この寺の境内に「冥土通いの井戸」があります。ここは小野篁が冥土に向かう入り口であったと伝わる井戸。数々の歴史的な書物に登場するそうです。

また境内のそばには黄泉がえりの井戸があり、小野篁が冥土から帰還するのに使った井戸と言われています。そのため往還の2つの井戸は、どっちも六道珍皇寺にあった説が浮上していました。

 

福生寺(生の六道)

京都市街地の西方の嵯峨嵐山エリアのはずれに、化野(あだしの)の風葬地がありました。現在は、あだしの念仏寺というお寺があるあたり。

化野の近くには、清凉寺という大きな寺院があります。その境内にはかつて小野篁が通った福生寺があったそうですが、既に廃寺になっていました。

そして篁があの世の出口として使ったという、生の六道と呼ばれた井戸も存在していましたが、埋められてしまい井戸の痕跡が残っているのみです。

 

・引接寺(千本ゑんま堂)

北の蓮台野の風葬地のそばにあるのが引接寺です。千本ゑんま堂と呼ばれる通り、閻魔大王(閻魔法王)を本尊としています。閻魔と仲良しだった小野篁が、閻魔の彫像を作って祠に祀ったのが始まりだとか。

こちらは閻魔の強運や守護を得られるご利益が大きいと言います。また本堂前の湯のみ茶碗にお賽銭が入ったら、一万倍のご利益があるということです。

 

 

三角形の秘密は

 

京都で小野篁に縁があるお寺は、六道珍皇寺福生寺、引接寺の3か所でした。この3つの寺院を結びつけると、あら不思議。

何故か三角形が現れてしまうのです。これまで気づかれなかったんですかね。

京の三大風葬地も三角形になっていますが。

たぶん死の六道と生の六道の結びつきだけが注目されて、千本ゑんま堂は関連付けられず、三角形が見つけられなかったかもしれませんね。

小野篁の邸宅があった位置は、その三角形のほぼ真ん中になっていました。これは篁が、3つの寺院の位置がきれいな三角になるよう、設計したことが現れているようです。

三角形の秘密と言えば、ポリンキー

あの世に通じる三角形といえば、死に装束の三角頭巾。閻魔大王に会うための正装であるとか、魔除けの意味があると言われています。閻魔に会うのに必要な三角頭巾を表すため、三角形を形作ったのだろーか?

大内裏を囲むようになっているので、閻魔の力を借りた結界を張る目的があったのかも知れないです。

地獄の入口と出口は、どっちとも六道珍皇寺にあったという説がありましたが。この三角形を元にすると、やっぱり福生寺の生の六道のほうが本物である感じがします。

 

 

 

京都六地蔵との関わり

 

 

ちなみに小野篁が作った木彫りの地蔵菩薩像は、大内裏の北にある上善寺に収められています。この地蔵菩薩は篁がいったん死んだあと、あの世で本物の地蔵菩薩に出会った記念に、852年に作成したそうです。

その後に後白河天皇の命を受けた平清盛が、京の各地に地蔵を祀ったことで、京都六地蔵となりました。平清盛小野篁地蔵菩薩六地蔵に加えているので、彼のことを意図していたことが明らかです。

京都六地蔵を全て拝むことで、家内安全、無病息災のご利益があるとか言います。地蔵菩薩と言えば六道全てに存在して、地獄に堕ちても人々の魂を救う存在ってことで、平安時代には大人気だったそうです。

京都六地蔵 - Wikipedia

 

この京都六地蔵と、小野篁の作った三角形を重ねてみたらこうなりました。

平清盛が作った六地蔵の結界は、平安京を覆うような形になってました。

平安京にあった平清盛の邸宅、六道珍皇寺の近くで平家の拠点である鴨川東岸、六波羅蜜寺は、六地蔵の結界のまん中にあります。当時の天皇平安京だけでなく、平家を守るとの意図が強そうです。

 

・・・・・・・

京都六地蔵については、別の発見もあったのですが。それについてはいずれまた。

五山送り火広隆寺との関わりもある気がしますが・・・今回はここまで。

 

 

ぽちされでたすかります。

 

 

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欧州の2万年前からの竪穴式住居文化。古代ゲルマン人と縄文人は、共通する生活様式や言語文化だったのか

たぶん縄文人の正体って、日本国内だけの視点で見ても、実際のことが分かんないかも知れないです。

それは縄文人が大陸の果てから日本に流れ着いた人々であり、何故か古代ゲルマン人と同じような文化をもってたから。今回はそんな話。

 

 

縄文人の竪穴式住居

 

竪穴式住居は古代の日本独自のものだ、って思っている人は多いみたいです。日本では縄文時代から平安時代の頃まで使われたとか。

有名な「家屋文鏡」というむかしの銅鏡や、弥生時代の土器に竪穴式住居の絵が刻まれています。その姿は復元された建物からも伺い知れたりもします。

竪穴式は地面を掘り下げていることで、夏は涼しく、冬は暖かく過ごせる仕組みになっているとか。高温多湿な日本の風土に合っているらしいです。

縄文時代の竪穴式住居は、縄文土器土偶と共に世界でも最古の部類の高度な文化の象徴になってるわけですが。

ただこの竪穴式住居、日本固有のものではなく、大陸にも存在してました。それは一体どういうことなんですかね。

 

 

ヨーロッパの竪穴式住居

 

日本の近隣では中国や韓国でも、竪穴式住居が出土してるようです。アメリカ大陸にも見つかってるらしく、万年単位での古代世界では、同一の文化が蔓延っていたのかもしれません。

なかでも特に多いのはヨーロッパ方面です。ドイツから東欧にかけて広く分布する傾向にあるとか。

Amrum – Wikipedia

これはドイツのアムルム島にある、大型のタイプの竪穴式住居(ピットハウス)の復元。茅葺屋根や入り口の形状など見ると、青森の三内丸山遺跡の大型住居と良く似てると思いました。

ドイツの竪穴式住居は、コーカソイドの先祖であるクロマニョン人や、ゲルマン人が住んでたらしいです。

ふるくは紀元前2万年~紀元前1万2000年頃の中石器時代から見つかるそうで。ちょうど縄文時代と同じころ。

 

 

Nachbau eines eisenzeitlichen Hauses – Wikipedia

内部の画像見ると、中央に柱と梁で立方体を作り、その周囲に放射状に骨組みを作り上げ、藁を載せて屋根としている。家の中央に一段低い囲炉裏を据えて、その周囲に居住スペースを作っている。

 

ドイツはクロマニョン人ゲルマン人の縦穴式住居遺跡が多いみたいですよ。

 

Pit-house - Wikipedia

ヨーロッパのピットハウスの竪穴式構造。屋根に千木や鰹木が付いてるのは、なにか日本の神社建築に通じるものがあるような感じもする。

 

 

欧州と日本の間で起こった人の移動

 

竪穴式住居という家の形式がおんなじだったということは?

数万年前に欧州経由で、クロマニョン人と同系の人々が日本列島に入っているのですかね。

人の移動の歴史 - Wikipedia

 

原初の段階での人類の移動経路をみると、5万年ほど前に中東あたりからアジア方面へ移動が始まり、3万8000年前頃から日本列島に入り始めてるみたいな形ですが。

人類の移動図を見ると、黒海カスピ海あたりからシベリアを通って樺太経由で日本列島に向かうルート、インド半島や東南アジアを経て朝鮮半島経由で日本列島に入るルートなど、幾つかあったみたいです。

 

あと気になるのは、黒海北岸のあたりに紀元前3000年頃にあった、ヤムナ文化だとか、クルガン文化です。クルガン仮説っていうのがあります。

クルガン仮説 - クルガン仮説の概要 - わかりやすく解説 Weblio辞書

先史時代のヤムナ文化が、ゲルマン民族の故地であると言われてるのでした。このゲルマン民族から古英語が発生し、現在の英語に繋がっていました。

ゲルマン人 - Wikipedia

 

以前に記事にした通り、古英語と日本語は明らかに単語レベルで似てたのです。

だから紀元前3000年頃に古英語の祖語を使ったヤムナ文化の人々、あるいは古代ゲルマン人は、日本列島に向かっていたんじゃないですかね。

そして紀元前4世紀には徐福が引き連れた民、4世紀には秦氏の一行が日本に入っていました。縄文~弥生~古墳時代の頃には、幾度となく大陸人が日本列島に入っているようです。

 

あるいは日本列島の縄文人が太平洋を渡ったり、ユーラシアを西に行ったとかいう説もあるみたいです。

しかし古代にユーラシア大陸から日本列島に持ち込まれた植物は多いですが、古代に日本列島から欧州や中東に持ち込まれたらしき植物って、見当たらないんですよ。そのへんはよく考えてみたいところ。

 

 

上古の日本語と古英語は単語レベルでは似てる件

 

欧州の古代人(ヤムナ文化人か古ゲルマン人)が、縄文時代弥生時代倭人に入り込んでると言いましたが。

それは古代ゲルマン民族がA.D以降に使った古英語が、上古の日本語(倭語)と似てることも大きな理由でした。

以前に書いた記事ですが、

日本語と英語は似てるのか。メソポタミアのバベルの塔で分かれたのか

これに以下の表を添付してました。


これはごく一部の一致を表してますが、まぁ似てるもの色々あるのです。

すると倭語はもともとインドヨーロッパ語族で、文法が何処かの段階で入れ替わっているという感じなのだろーか?

この言語的結びつきが、何時の時代に起きたのか、解明したいところです。

 

 

日本のナマハゲとドイツのクランプス

 

なまはげ - Wikipedia

 

気になるのは、日本とドイツあたりは、どちらにも「悪い子を戒め幸福をもたらす鬼」の風習があることです。

秋田のナマハゲは「悪い子はいねーか」と言って練り歩く行事ですが。怖ーい鬼が人の怠け心を戒め、厄災を払い、豊作や豊漁をもたらすんだとか。

ナマハゲは来訪神(まれびと)の一種であり、日本各地のナマハゲ的な来訪神は、海の彼方から来るとか、常世やあの世から来ると言われています。もともとは鬼ではなくて神だったけれど、その見た目から鬼とされたとか。

 

Krampus – Wikipedia

 

一方でドイツのクランプスは、聖ニコラウスに従う神の使いでした。その語源は、krampen(鉤爪)にあるというように、角と爪をもった怪物の姿で、夢魔であるともいいます。

クランプスの役割はナマハゲと同じで「悪い子がいたらお仕置きをする」「人々の怠け心を戒め幸福をもたらす」だそうです。

クランプスは3~4世紀に司祭だった、聖人ニコラウスが始めたキリスト教の行事だそうで。ニコラウスは使い魔を使役した(住人に魔物の格好をさせて演技させた)みたいです。

この聖ニコラウスが、後にクリスマスに子どもたちにプレゼントをもたらす、サンタクロースになったとか。

 

ナマハゲのハゲを調べてみました。「hag」は古英語hægtesの短縮形で、古ゲルマン語hagatusjonが元だそう。魔女、魔術師、魔法使い、激怒の意味だとか。ハゲは魔術師だったのか😅。

hag の意味、語源、由来、翻訳・英語語源辞典・etymonline

ナマハゲを見れば魔術師や激怒という言葉がぴったりなので、これに無関係ではなさそうな感じもしました。

ナマハゲの風習は、3世紀以降に日本に入ったキリスト教文化である可能性があるんではないかと。

すると弥生時代にドイツあたりから日本に至る、キリスト教集団の移動があったのではないかと思いますが。まぁ通説ではそんな話は見たこともないですけども。

4世紀頃からのゲルマン民族大移動の時に、日本列島にまで到達しているんですかね。もしかするとむかしの日本にも、ナマハゲと共にサンタクロースも存在したのかもしれないです。

 

 

従来の縄文時代の認識は怪しいのか?

 

コロナウイルスとか、コロナワクチンの情報がデタ◯メだった件があり、世界の様々な学会がホントのこと言ってるか、疑わしいと思うようになりました。

まぁ世界の学問というのは、人々を騙し支配することが得意な、極悪カルトに支配されてるわけですし。

抗がん剤などの癌治療の方法だとか、縄文時代の年代であるとか、日本人の遺伝子情報だとか、宇宙の仕組みなどについては、コロナ関係の話と同様、カルトが関与する機関が広めてるわけなので、極めて怪しいものだなと思うしかないです。

以下のような話もありますし。

これ元にすると、人類の歴史は現在の認識の半分しか時間を掛けておらず、ひょっとすると1/10程度だったかも知れず。5万年前と言ってることが、実は5000年前だったりしたら拍子抜けしてしまいますね。・・・まぁこれもタイムマシンでもないと、確かめようはないですけども。

教科書に載ってるような話が真実なのか嘘なのかについては、今後も自分なりに調べて見極めたいと思います。

 

ぽちされたすかります

 

 

 

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キルギスと日本の神話が似通ってる件について考える

キルギスには「肉が好きな人々はキルギス人になり、魚が好きな人々は日本人になった」という言い伝えがあるとか。それ以外にも色々あるようでした。

よく「日ユ同祖論」では、キルギス古代イスラエル~日本列島までの経由地になってるとは言われてましたが。恐らくキルギスにあった烏孫がその大元であり、烏孫には日本神話の原型があったんじゃないかと思うわけですが。

今回はキルギスと日本の神話比較から、真相に迫ってみようかと。

 

 

創造神ジャラトカンと国常立神

 

Genesis creation narrative - Wikipedia

 

ジャラトカンはキルギスで最も重要な神さまだったとか。

 

キルギス族の神話において,宇宙とその中の万物を創造し,作成した者は「ジャラトカン」と言い,かれは人間以前に宇宙を創造し,その後に天,地,コイカプの万物を創造した。その時,世界,自然と人類に必要なものに合わせて,ジャラトカンは土地,水,森林,動物,生きとし生ける物を創造した。それらのすべてに日々の糧,御馳走を分け与え,さまざまな食物をつくったと説明されている。

 

「ジャラトカン」(創造神・造物主)は天(蒼天)を六層に創造し,それにその神々,福と恩恵をそなえた。天には日,月と星がつくられた。天上のすべての星は地上の人びとの生命であると考えられていた。「ジャラトカン」は大地を七層につくり,地上には命,動物や人類がそなえつけられた。大地の自然の一部はすべてそれ自身が守護者,神であると考えられた。

キルギス族の神話と伝説(PDF)

 

日本神話でいうと、国生み神産みをしたイザナギに対応するような感じがします。旧約聖書天地創造と日本の天地開闢は似てると思ってましたが。キルギス創造神話も似た印象がありますね。

大地を七層に作ったところが、神世七代に対応するような気もしますが。

そしてジャラトカンという名前だけ見ると、日本の創造神である国常立神(くにとこたちのかみ)のような感じもあります。

常ジャウ ジャラ

立タチ  ト

神カン  カン

ジャラトカンという神は、国常立神とイザナギを併せたような存在だったのだろーか。

 

 

テングルと高天原とお天道さま

 

Khan Tengri - Wikipedia

 

テングルは天や自然の神格化であり、ジャラトカンの後に崇拝されるようになったとか。

 

キルギス族の神話では,ジャラトカンより後には,テングルを崇拝することがたいへん有力であった。テングルは人類だけはなく,宇宙の日や月,それに「森,火,動物」のテングルであると見なされていた。キルギス族の神話的な説明では,「テングル」すなわち天は蒼天であると言われ,テングルに何かを求めるとき,テングルにものを頼むとき,蒼天を見ながら話した。テングル(蒼天)から,日々の糧,福運,幸福が運命を与えられた。

 

テングルが人間の語る言葉や希望を聞いていると考えられていた。誤ったことや悪いことを行うと,テングルは罰したり,凶暴になると恐れられ,清潔なテングルの支持によって神は行うと考えられている。「テングルよ,助けたまえ,テングルよ,罵ろ,テングルよ,踏みつけろ,従わせろ,テングルよ,仕事を行え」という貴重な言葉が語られている。

キルギス族の神話と伝説(PDF)

 

日のテングル、水のテングル、火のテングルなどが記録されてるが、人々は蒼天(青空)を見てテングルに祈ったとか。テングルは天の神格化というのは、日本でいうと高天ヶ原の天津神のことを言うんですかね。

テングルは人を常に見ていて、良いことをすれば幸福をさずけ、悪いことをすると罰を与えるという。

これは何か、日本の「お天道様」によく似通ってるのは気になりますね。お天道様とは高天原天津神、天地の神々のことであり、「お天道様が見ているよ」「悪いことしたらお天道様のバチがあたるよ」という天神信仰は、テングル信仰そのまんまみたいであるし。

日本の天道思想は中世からだとも言うのですが。こうして比較すると、お天道様信仰は古代から地方にあり、テングルが元になっているとも考えられそうな感じがしますね。

 

 

母神ウマイは天照大神

 

ウマイはキルギスの男女の性別を司る女神で、母子の守護神だった。

 

母親の腹の中で子どもが母神ウマイに向かって「娘となろう,息子となろう」と泣いていた。その時,母神ウマイはその性質によって調整し「娘になろう」と泣いていた者を息子にし,「息子になろう」と泣いていた者を娘にし…

 

幼児の顔を「母神ウマイが洗ってくださる」と言って太陽の光を浴びせる。

キルギス族の神話と伝説(PDF)

 

ウマイは生まれる赤子と対峙して、男を女に、女を男にする神だとか。男女の逆転をするという不思議な感じがしますが。

これはもしかすると、日本の最高神である女神、天照大神との共通点があるようです。天照大神素戔嗚尊と対峙するにあたり、男装してました。天照にはむかしから女神ではなく、男神だったとの伝承もあるとかで。ようするに男女融合、男女入れ替わりの神であったわけです。

邪馬台国の女王卑弥呼天照大神の化身を自称したのなら、生き様を真似たでしょう。卑弥呼が男装をして崇神天皇になったのだろう、というのは個人的な発想ですが。

 

「うまい」は食べ物の味。キルギスのそばのパミールは漢字で書くと「拍米」で「はくうまい」食べ物。天照のアマは「あまい」。

あるいはウマイは美味しい食べ物で女神だから、豊受大神伊勢神宮では天照と豊受の両方を祀っているし。

日キ同祖論をもとにすれば、伊勢神宮は古代烏孫のウマイ信仰を踏襲している聖地なのかもしれないです。

 

 

土人は青人草

 

マンドレイク - Wikipedia

 

キルギスでは人間は地母神と呼ばれる泥土から生じたものと、伝えられているとか。

 

キルギスの神話では「地母神」についての説明として,それが「泥土」だという考えが見られる。その神話的な説明によれば,人間は泥土から生じ,泥土に入って,泥土から日々の糧を得て暮らしていたと考えられていた。それに,キルギス人は「地母神」(泥土)だと知っていた。

キルギス族の神話と伝説(PDF)

人間が泥土から生まれたというのは、聖書やギリシャ神話にありますね。

新約聖書「神は最初の人間を土から造った」

ギリシャ神話「プロメテウスは粘土から人間を造った」

キルギス人はギリシャイスラエル、トルコだとか、地中海地方にルーツがあると言われてるのです。

一方日本では、イザナギが黄泉の国で「青人草」と呼んでいるものが人間だとか言われています。青人草とは地面から生えている草のことで、古代には草と人間は同じようなものだと考えられていたようですね。相当卑下してる感じですが…。

草は土から生えるわけなので、聖書やギリシャ神話にある「土から人を造った」のと似たような発想が垣間見える気がしました。

そう言えば青人草というと、引っこ抜くとヤバいというマンドレイク(マンドラゴラ)みたいですが・・・。日本人って、マンドレイクだったのか。😳

 

 

イカ

 

イカプはあらゆるネガティブが集まる場所で、地底にあったと言いますが。

 

「ジャラトカン」は大地の周囲に置くようにたくさんの大きな山脈をつくり,その側に「コイカプ」と名づけられたところをつくったときに,コイカプに妖怪,マムミト,魔術師,鬼婆,アルプ・カルカシ,プラタナスなどのようなものがそなえられた。コイカプのものたちが地上に顔を出すと,人類にいつも恐怖が生まれ,「コイカプの入り口」のところで遮っている嵐や疾病が現れ,地上に「自然からの力」と名づけられたコイカプの恐ろしい力をもたらしたと考えられている

 

キルギス族は,世界を三つに,すなわち天(蒼天),大地,コイカプというものに分けて,そこに場所と住民を出現させたのである。

 キルギス族の神話と伝説(PDF) 

 

イカプは、日本でいえば黄泉の世界であるようです。天、地、コイカプという世界の構造は、日本で言う所の天上界(高天原)、地上界(葦原の中つ国)、地底(黄泉や根の国)という構造に対応しており、そっくり同じでした。

イカプには各種の魔物がいて、魔物が生まれる。これは黄泉には黄泉大神や闇の雷神がいて、黄泉醜女という魔物が生まれ出る状況と同じです。

イカプの入り口から嵐や疾病が現れたというのは、イザナギが黄泉から帰還した後に禊ぎ祓いをして、嵐の神である素戔嗚尊が生まれ、八十禍津日神、大禍津日という災厄の神が生まれた所によく対応しているような感じがしますね。

 

 

おおかみ伝説を比較する

 

オオカミ - Wikipedia

 

キルギスの先祖は、アセナという雌のオオカミだったとかいう話があります。

 

アセナ(Asena、アセナ)はテュルク神話に登場する雌狼、および、雌狼の生んだ10人の息子のうちの一人の名前。オオカミはテュルクの神話で重要な役割を果たし、現在もトルコではトルコ民族を象徴する存在とされている。

 

テュルクの祖先は大きな戦いに敗れ、少年一人だけが生き残った。アセナという名の、空のように青いたてがみをしたメスのオオカミが傷ついた彼を助け傷をいやした。やがてオオカミと少年の間に10人の子供たちが生まれた。オオカミと人間の血をひく、アセナに率いられたこの子供たちがやがてアシナ氏族(阿史那氏)を築き、突厥帝国(Göktürk)の中核となったという。この神話はウイグル人の民話など、他のテュルク系民族の神話とも共通する。

 

またアセナはエルゲネコン伝説とも結びついている。[要出典]テュルクの祖先がモンゴル人との戦いに敗れ、[要出典]一握りの生き残りがアルタイ山中の奥深くにある細道を抜け、豊かな谷間・エルゲネコン(Ergenekon)にたどりつき、そこで数世代にわたり暮らして勢力を回復した。やがてエルゲネコンから外の世界へ出ようとした子孫らは出口の細道が分からずに行き先を見失うが、そこに現れたメスオオカミの導きで[要出典]エルゲネコンから出ることができ、モンゴル人を打ち負かしたという

アセナ - Wikipedia

 

日本神話ではオオカミを先祖としているような伝承は無いです。しかし太陽の女神である天照大神は「おおかみ」なので、アセナなどテュルク系の神話の面影か、影響を残している可能性があります。

狼はオホカミで、oho-kami。狼は英語でwolfですが。

oho-kami(オホ) 上古日本語

wulf(ウルフ) 古英語

ウルフ→ウフ→オホ、と考えると近い発音な気がしますね。ということで関係ありそうだなと。

 

また日本武尊が山で迷った時、白い狼が道案内をして窮地を脱出したとの伝説があったりもしますし。キルギスの伝承に似通っているではないですか。

この道案内の白い狼が大口真神やお犬様と同じ神でした。日本は古代から狼信仰は盛んな土地だったようで、狼とは魔除けや五穀豊穣や火伏せのご利益がある動物だと考えられていたようです。

 

 

・・・・・・・・

この他にも神武天皇一家と似てるキルギスの王様一家の話もあるのですが。それについては関連記事を見てください。

 

 

ぽちされたすかり

 

 

 

関連記事

(前回の続き)神武天皇ご一家はキルギスで記録されていたとの調査結果

かつて奈良盆地にあった大和湖の本来の名はイシク湖だったりして 

日本の神武朝は「中央アジアの烏孫の昆莫王朝」と同一視できることのまとめ

 

キルギス の検索結果 - たっちゃんの古代史とか

 

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イエスに関わる複数の漢字の存在・・・聖徳太子の仕業かも

日本語は古代からの言葉の読み方や音を、ぜんぶ保存してきた驚くべき言語でした。中国では消え去った2000年前の本来の音までも、日本の漢字を見れば確認できてしまいます。それは漢字1字1字に音読と訓読があり、漢音、呉音、唐音、大和言葉の読み方など、時代ごとの発音がすべて保存していったからなのですが。

・・・漢字を見ていると、ふと気づくことがありました。それは漢字の中にはイエスに関わる文字があるんではないかと。

以前に「癒」「卑」「医」はイエスに関連するかもしれないことを書いてましたが。

癒(いやし)の語源と邪馬壱国(病国)から気づいた「卑弥呼のキリスト信仰らしきもの」と言霊の仕掛け

これに続く話。

 

 

家と暮と「豚に真珠」

 

 

久しぶりに「学研漢和大事典」を開いてみました。「家」のところにこんな読み方があるんですが。

「いえす」

これはネットで調べても情報は出てこなかった。家は古来より「いえ」であり「うち」であり「いえす」だったようで。

 

学研漢和大事典で、「家」を開くとこうなってる。

 

そして家に関連しているのが、暮らすという漢字。

学研漢和大事典で、「暮」を開いてみるとこんな感じ。

 

家という字の由来は、「宀+豕」なわけなのですが。これは古代中国では人間の家と豚小屋が一体化していたことの現れだとかいうのです。

エス古代ローマ帝国アウグストゥス王の時代、パレスチナのナザレの厩で生まれたという伝承が知られて来ました。

それで家という字に、ある時にイエスという読みを付け加えているんじゃないかと思うわけで。

この仮説を補強するのが、「暮」という漢字。家とは暮らす場所であるわけで、関連がとても強い文字同士です。しかも暮らすってなにかChristに似てる感じがするわけです。

かつてキリストは聖書の中で、太陽を象徴する存在でもありました。暮とは夕暮れの太陽のことであるため、滅びゆくローマ帝国や、磔にされたキリストを象徴する文字のようにも見えたりします。

太陽を家は暮、いえすはChrist、これを表しているんでないかと。

 

しかもキリストはブタに深い縁があり、新約聖書「マタイによる福音書」に登場するイエスキリストの説教に、「豚に真珠」というものがあります。

これは日本人は誰でも知ってる話で、豚に真珠を投げてはならない、つまり豚みたいな価値のわからない者に高価なものを与えても何の意味もないみたいな意味。

この豚の説法も、家にいえすが当てられてることに関係するのかとおもったり。

 

まぁ時の権力者がキリストを知っていて、信仰対象にしていたならばこの読みを加えていてもおかしくないんではないかと。その時代は弥生末~奈良時代の間である気がします。

 

 

読みを付けたのは聖徳太子かも知れぬ

 

聖徳太子 - Wikipedia 8世紀に制作された「唐本御影」にある聖徳太子

 

そういえば「日本書紀」に登場する聖徳太子は、厩戸皇子(うまやどのみこ)と同一人物だと言われてますが。

当時の天皇の摂政だった聖徳太子の生きた時代は、西暦になおすと574年~622年のころ。

厩戸皇子こと聖徳太子は、明らかにイエスキリストの伝承と関わる存在でした。それは「厩戸」というキリストを彷彿とさせる名をもっていたり、「厩の前で生まれた」との出生譚を残してることにも現れてるようですね。

しかも「日本書紀」には「片岡飢人伝説」が記録されてたりもするし。

片岡飢人伝説・・・ある時に聖徳太子が飢えた人を見つけました。食べ物と衣服を与えるも、後日に従者が見に行くと飢え人は死んでいたので、丁重に葬られました。

しかし何故かその後に飢え人は蘇り、墓はもぬけの殻で衣服だけが残されていたとか。聖徳太子は何故だか、その飢え人の衣服を身に着けて過ごしたそうです。従者はその飢え人と聖徳太子の出来事を思って「聖人は聖人を知るのだな」と言ったとか。

飢えた聖人が死に、死者が蘇る。これはまさしくイエスキリストのことですが。その聖人の衣服を聖徳太子が身につけているので、聖徳太子自身が聖人と同一人物、生まれ変わりみたいな感じの話になっています。

 

家と暮の訓読みがいつの時代からあるのかは不明ですが・・・

厩戸、厩戸の前で生まれた、片岡飢人伝説などの伝承を踏まえたら、「家がイエスで暮がキリスト」の読みをくっつけたのも、聖徳太子だったのかもしれんです。

 

 

ぽちでたすかっております(予期せずスケベ広告が出たらすいません)

 

 

 

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