たっちゃんの古代史とか

誰も知らない日本とユーラシア古代史研究。絵も本も書く。闇の組織に狙われてるアマ歴史研究者。在宅お仕事中。

邪馬台国以前は出雲が日本列島の広範囲を統治してた件

世界情勢見てると、これまでの常識や日常が、変わるというか「終わる」のは確実な気がしますね。準備ほとんどできてないですが・・・。

今回は邪馬台国以前には、出雲が日本列島を統治してた話について。

 

 

卑弥呼以前には出雲が九州~本州統治した

 

 

通説では出雲というのは、島根県の狭い領域であると言われてるのですが。

これ、間違ってるんじゃないかと想像しています。

 

日本神話には、なぜか出雲について語る時代が長いじゃないですか。

それは天岩戸事件のあと、高天原から素戔嗚尊が追放され、出雲の八岐大蛇を退治し、大国主が出雲を開拓、天照に国譲りする時代まで。やたら出雲が古代の日本各地で幅を利かせてることも分かっています。

これは「かつて倭国全体を統治したのが出雲だった」ことを意味しているわけなんです。

 

その証拠を集めました。

 

 

出雲の別名は葦原中国大和国だったと日本書紀にある

 

その証拠は「日本書紀」にもありました。

日本書紀」の神代を見れば、高天原天照大神から追放された素戔嗚尊が八岐大蛇を退治したあと、大国主神による国造りについて記されています。

そこに興味深い話があるのです。

 

 

大国主少彦名命との国造りの最中に、こう言ってました。

「葦原の中つ国は元から荒れて広いところだった・・・けれども私が皆くだき伏せて、今は従わないという者はない」

「今この国を治めるものはただ私一人である」

 

そしてそんな大国主神の元に、ある日海を越えて大物主神が現れました。すると

大国主「あなたは私の幸魂奇魂です」と、大物主は自分と同一の存在であるような不思議なことを言ってました。

 

大国主が「今何処に住みたいと思われますか」とたずねると、

大物主神は「私は日本国の三諸山(奈良の三輪山)に住みたいと思う」

と答えたので、大国主は奈良の三輪山に宮殿を立て住まわせたとあります。

 

まぁ奇妙な話ですが、ここから分かるのは、

大国主神が支配した出雲とは葦原の中つ国だった

出雲の別名は、葦原の中つ国、日本国だった

大国主神は奈良に自分で宮殿を建てたのだから、奈良も出雲の領域だった

この時点で本州の統治者は大国主神ただ一人である(天照大神邪馬台国の影響力が皆無)

 

つまり「日本書紀」によれば、この時点での出雲は山陰地方のみならず、「奈良まで含む本州の広範囲」なんです。

しかもこの出雲の国造りの起きた時点では、大国主神の対立勢力であるはずの天照大神邪馬台国)の影響が無いと言っている。

つまり本州には天照大神高天原がなかった。天照大神の物語の舞台は、本州以外のところにあった、ということになるわけですが。

 

 

 

本州には出雲系地名が多い

 

出雲が本州の広範囲を統治した証拠、それを証明するのが日本の地名でした。

 

 

本州のいず(izu)、azuma、こうゆう大きな地名が各地にあるのは、出雲だった名残りだったりするんじゃないか、そんな気がしました。

九州の委奴国も出雲に似たidu的な地名であるし、本州から北部九州が出雲の支配地になってたんじゃないですかね。

 

 

4世紀の雄略天皇のときに奈良盆地にいたという土蜘蛛、国栖っていうのも、かつての出雲人の生き残りだったんじゃないですかね。

 

 

出雲の野見宿禰はわずか1日で奈良盆地に来た

 

 

むかし垂仁天皇奈良盆地にいた頃、出雲の野見宿禰が相撲に招かれたのですが、たった1日で奈良に来たと言います。

地元の伝承ではもともと出雲は桜井市だというのである。

日本書紀によると垂仁天皇の時代に、国内で初めて天皇の前で相撲が行われたとされている。当麻蹶速(たいまのけはや)という力自慢が「自分より強いものがいるならぜひ戦ってみたい」と豪語しており、それを耳にした天皇が対抗できる力自慢を探させ、呼び寄せたのがこちらの出雲の野見宿禰(のみのすくね)だということである。

出雲国より「即日に招集」したという記述が日本書紀にあることから、「島根(出雲)から奈良まで即日に招集できたのか?」と考え、実は山陰の出雲ではなく、桜井の出雲から呼び寄せたというのである。

国号地名。桜井市出雲、吉備、豊前、長門 : 奈良・桜井の歴史と社会

 

グーグルで調べると、奈良の橿原市から島根の出雲市までは最短距離で357.2kmあり、徒歩での所要時間は75時間だそうで、だいたい1日10時間歩いても、7日ちょっと。

即日招集って「使者がその日のうちに本人を呼んで連れてくる」わけなので、出雲と奈良の間を往復するわけです。往復だと150時間になり、1日10時間歩いた場合の日数にすれば15日。

むかしは綺麗な道も橋も整備されておらず、遠回りになったり足元が悪かったのを考えれば、1週間じゃ済まない感じがしますが・・・・。古代人の足が速いとしてもやはり7~10日は見ておかないと。

歩いて往復で10日かかるところ、往復で1日で到着できるのは不思議ですが。

実は当時、奈良のあたりには、出雲と呼ばれる土地が広がっていたんじゃないですかね。それは、奈良が出雲人の土地だった時代があったから。

いまでも三輪山の南側の桜井市には、大字出雲という地名が残ってたりするのです。これは信ぴょう性あります。

 

 

東鯷人と二重亀甲剣花菱

 

 

3世紀の倭人について記した「後漢書」には、「東鯷人」が登場するんです。

これは倭人の別名と言いますが、実は想像すると出雲人だと思います。

東は「あずま」で出雲のことです。鯷はひしこって言うんですけど。今で言う「かたくちいわし」のことです。

「東鯷=とと」であるなら、たたら製鉄の「たた」のことで、たたら製鉄を始めた出雲人のことではないですかね。

 

あと、出雲国造の家紋が「二重亀甲剣花菱」なんですが、「ひしこ=菱甲」で亀甲剣花菱をあらわす言葉だったりするんじゃないですかね。するとこの紋様は3世紀以前にはすでにあったことになりますが。

東鯷人が倭人として書かれてるということは、倭国の統治者は出雲人だったことの証拠です。

 

 

出雲は「狭布」だった

 

 

出雲国風土記」には、出雲は狭い布のようだ、つまり細長い形だったとかいう話があるのです。

昔は宍道湖より北部が、東西に細長い島だった説がありますが。

出雲全体を見れば、上に示した地図のとおり、細長くないわけなんです。すると、出雲が狭布と言う表現は当てはまっていません。

実は「狭布」という表現は、細長い本州のことを表したんではないかと。それは出雲が本州を統治していたから。

すると古来より伝わってた国引き神話も、元々本州全体に当てはめてたのかもしれんですね。

 

 

出雲人は本州全域を統治した記録

 

沼河比売 - Wikipedia

 

本州の各地には、出雲人が開拓の主であり先祖になったとの伝承が残っています。それをちらっと見てみることにしました。

 

中国地方を支配した出雲族

兵庫県には播磨一之宮の伊和神社があるのですが、ここは大国主の国造りの最後に手掛けた土地だったとか。

出雲の国造りなのに、兵庫県まで開拓してるということで、「国造りは出雲だけ」と思い込んでる人にとっては意味不明ですね。

しかし本州の広い範囲が出雲だったならば、兵庫までも出雲の国造りに含まれていて当然てことになります。

ちなみに中国地方の山陰がわや、吉備や播磨など含む東側は、だいたい当初から出雲族が開拓した土地だったようです。

 

近畿を支配した出雲族

奈良の三輪山に移転した大物主神は、出雲の大国主神と同一存在とされています。

その大物主神から、三輪氏や賀茂氏などが現れたそうです。賀茂氏と言えば八咫烏であり京都の一之宮である賀茂神社を営んでおり、京都一帯を統治していた存在です。

 

出雲の素戔嗚尊の子である五十猛命は、紀伊国一之宮である伊太祁曽神社の祭神です。かつて五十猛命は、妹である大屋津姫命と都麻津姫命と一緒に、新羅から持ち帰った木の種を九州から順に日本中に蒔いて国中を青山に変え、最後に紀伊に降り立ったとか。この不思議な神話も、出雲人が日本中を統治した証拠のようではないですか。

 

北陸や信濃を支配した出雲族

大国主の父である天之冬衣神(あめのふゆきぬのかみ)は、出雲から出て能登半島を平定したと、重蔵神社の社伝に記されていました。

またかつて大国主神自身も、少彦名命と共に、北陸の能登半島を平定し開拓したとの伝承が存在しています。

また大国主は高志国(新潟)にいる沼河比売(奴奈川姫)を妻にするため、出雲から当地へ旅立ったとの伝承が知られています。特に新潟の糸魚川付近に、沼河比売の言い伝えが色濃いようです。

そして大国主神の子である建御名方神が、信濃を統治し諏訪大社の祭神になったそうです。

 

東海を支配した出雲族

天照大神の子でありながら出雲に鞍替えした天穂日命は、出雲族の祖とされる存在の1柱でした。その孫である櫛瓊命(くしにのみこと)は、別名が伊勢津彦。伊勢に拠点をもっていたそうで、それが伊勢国の由来になったとか。

つまり伊勢は出雲系の土地でした。櫛瓊命は東へ去ったというので、伊勢より東側も出雲人の土地だったようです。

伊豆の一之宮三嶋大社の祭神は、事代主で出雲系です。伊豆という地名自体も、出雲を元にするような感じがします。

さらに静岡の駿河国遠江国三河国の一之宮の祭神はぜんぶ大国主神であるのは、偶然じゃなかったりするでしょう。だいたい東海地方も出雲族が開拓した土地でした。

 

関東を支配した出雲族

 

 

大宮氷川神社は、埼玉にある300社の氷川神社の総本社です。出雲の神である、須佐之男命、奇稲田姫命大己貴命を祀っています。最初に紀元前の第5代孝昭天皇の頃に創建され、4世紀頃の成務天皇の時代に、出雲族が本格移住してきたと社伝にあるようでした。そのため武蔵国造は出雲国造と同族であるとか。武蔵は紀元前から出雲人の支配下だったんです。

 

天穂日命の曾孫である身狭耳命は、関東の国造の祖となった人物でした。

身狭耳命が祖となった国造は相模(神奈川)、武蔵(埼玉・東京)、総(千葉)、常陸(茨城)の4国。武蔵国造・上海上国造・下海上国造・相武国造・千葉国造・伊甚国造・菊麻国造・安房国造・新治国造・高国造があります。

国造の多くは崇神朝以降、景行天皇成務天皇の頃に設置されたとか。その実年代としては3世紀~4世紀の頃ではないかと。(天皇陵の年代などから考慮すれば)

伊勢国風土記」ではこの人物の時に初代の神武天皇がいたというのですが、各天皇の古墳年代(3~4世紀)より神武が後になってしまうので、神武天皇に関わる逸話は後付されたようです。

 

鹿島神宮天照大神から派遣され、東国を平定した経津主命を祭神とするところ。

境内には要石があり、大ナマズを押さえつけていると伝えられています。大なまずとは「大穴牟遅(おおなむじ)=出雲の大国主神」のことで、大穴牟遅が統治してた国を、経津主命が押さえつけたことの象徴である感じがしますね。

すると常陸も、かつては出雲の範囲だったことが分かるわけですが。

 

北部九州を支配した出雲族

以前にお知らせした通り、委奴国=伊都国とは出雲の土地だったのであり、官吏が出雲の神々の名を踏襲した名前になってたりしたのでした。

伊都国は全国の隅々まで監視を行う「一大率」の拠点でしたけども。その代表者が伊都国人だったのは、彼らが出雲族であり、本州の出雲族のことを良く知ってるからこそであろうと思うわけです。

 

 

出雲の歴史を時系列で並べると

 

縄文時代(紀元前7世紀以前)

弥生時代(紀元前7世紀以降)

出雲(東鯷人)が倭国(九州北部~本州)を統治し国造りを始める

弥生時代前期~後期)

※もし大国主神が徐福と同一人物なら紀元前3世紀~

邪馬台国が台頭、北部九州を統治。出雲と対立(2世紀末から)

出雲の国譲り=倭国大乱(2世紀末~3世紀前半)

邪馬台国崇神天皇卑弥呼)の本州統治(3世紀前半)

邪馬台国が筑紫から奈良に遷都(3世紀前半)

こんな感じかと想像するばかりです。

 

大国主の時代には、日本列島に覇邪は大国主だけしかいなかったって「日本書紀」にありますし。ぶっちゃけ邪馬台国卑弥呼崇神天皇は、後から日本列島に乗り込んできた勢力だったと思いますが。それ考慮してこんな感じになりました。

出雲と邪馬台国のルーツがどこにあったか、それについても記紀神話を見ればわかりますが、そのへんは過去の記事だとか見てください。

 

 

ぽちされでたすかりまs

 

 

 

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わたすが嘲笑罵倒される状況は1977年時点で計画された証拠「キネマ旬報」から

運命操作トゥルーマンショーでおもちゃにされてることの証拠探し。

続報ですが、生年である1977年に出た「キネマ旬報」にも、ほのめかしがありました。

 

 

キネマ旬報の6月号

 

 

この表紙は、1977年のホラー映画「HOUSE」がテーマになってますが。

今すんでる家に構図が似てる。

山の上で樹林に囲まれた平屋。隣の家が三角屋根。猫がいる。猫をモチーフにした俺。

 

映画の内容自体も「別荘地を訪れたらおばばに酷い目に合わされた」ものであり、わたすの状況に似てる。住所情報も入ってる

 

 

キネマ旬報の5月号

 

 

この表紙の画像の上のほうに、白い家が描いてありますね・・・。

1977年の映画「白い家の少女」をモチーフに白い家を描いたようですが、映画の家と違うような気がする。

むしろいまが住んでる家の玄関前に似てる。

この時点で、この家にスポットライトが当たることになると言いたいのだろーか。

なぜかインドクジャクがいる。クジャクは本来はエメラルド色を貴重とするのだが、真っ暗な中で光り輝いている。

インド(ind)と伊豆(idu)は地名も、島がぶつかって半島になった成り立ちも似てるので、伊豆を示唆しているようだ。

クジャクが光り輝いてる意味はよくわからないが、良い兆候でもあるのだろーか。

 

 

トゥルーマンショーのポスター

 

 

トゥルーマンショーのポスターが、家に似てる。

 

 

名前と誕生日と住所の数字が入ってる

 

 

まとめると

 

わたすが運命操作をされて臭い人にされ、トゥルーマンショーの主人公になり、未来にここに住むこと。それを当時のカルト界隈の人々は聞かされており、こうして映画など作品内に情報を入れ込んでいると見られる。

 

ずっと「お前の失敗は自分が原因だろ、お前が悪いんだろ」とか、一々バイキンみたいに扱われ、嘲笑罵倒されたりとかするのだが。
以前前の記事に書いた通り、どう考えたってカルト権力が生前から計画し、身体をおかしくして盗撮して悪者にして、みんなで嘲笑罵倒の的にしてた形だと思うのですよ。それが奴らのビジネスになってたわけなのだが。
いくら俺が問題を起こしてるように見えても、その真相は元凶のカルト勢力の悪影響があり、常々悪影響を与えられ続けた結果だった。
そういうマッチポンプなのに、いつまでもいつまでも万人から悪者や嘲笑の的や物事の出汁にされ続けるのが、納得いかないし酷いと思うわけなのですが。
酷いとおもいませんか。そんなの。
 
わたすは自分の責任じゃないことまで、ずっと責任取らされてきた。
それも大勢の前で嘲笑されたり、思考や視覚を電磁波で読み取られ配信され続けたり、電磁波で失敗に誘導されたり、「作品や物事に誹謗中傷情報を入れ込まれる」という屈辱的でとんでもなく残酷な方法ばかりだった。
普通の人生がカルト権力の連中によって、破壊されてなくなった。全てが妨害されて夢も希望も失った。ろくに働くことも稼ぐこともできない、気力も湧かない。大切な人間関係も破壊されてなくなったんだよ、カルトのアホどものせいで。
だから嘲笑、罵倒、ノゾキ、ネタにして稼ぐ、みたいなことをやってた方々も、生きてる間にかならず根こそぎ責任を取ってくれよ。その方法はどういったものになるかは知らないけれど。責任取って返してくれよな😀。
 
 
というわけで、また陰謀の証拠を探してきますのでお楽しみに。

 

 

ぽちられたすかり(変な広告でたらすいません)

 

 

 

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委奴国は出雲人の領域だったのかも知れぬ

近ごろは出雲についてちょっと気づいたことがあり。それを語る前に2~3世紀頃にあった、委奴国について知る必要があったようです。今回は委奴国と出雲についての、知られざるお話。

 

 

委奴国は出雲系の国だったか

 

国史書やら金印にある九州の筑紫の「委奴国」。「漢の委の奴の国(かんのわのなのくに」と読むとか言われますが、「委奴国」だと思います。

これはどうも、出雲系の勢力であるという想像していました。その理由のひとつは、名前が出雲に似てるからです。

委奴(ido、idu、inu

伊豆毛(idu-mo、ido-mo

伊弩毛(idu-mo、ido-mo

出雲(idu-mo

出雲の別名である伊豆毛や伊弩毛。これらの「毛」を取ってみれば、発音が似ているし。

伊弩毛(いずも)の「弩」は本来「ど」なのに「ず」と読ませている。てことは委奴の「奴」は「ず」と読めるということ。

委奴は「いず」と読めるわけだとしたら、出雲にとても近いん出すよ。

 

 

 

本田商店 献上そば 羽根屋 出雲そば 180g×5袋

 

 

 

伊都国の官吏は出雲人だったかも

 

 

倭人伝を読み解いてみると、委奴国の後継は伊都国でした。名前も委奴・伊都で関連が伺えたりする。

伊都国の長官の名は「爾支」という記録があり、「にき」「じし」って読まれてます。そういえばニキと言えば二木の菓子…。

この爾支という名前には、知られざる隠された意味がありました。

 

もし爾支が出雲人であるならば、彼らの祭神は大国主神大己貴命で疑いようがないところ。じゃあ爾支には、出雲的な要素があるとでもいうのか?

ありました。訓読みしてみたら、

爾 なんじ

nanji=namji

なむじ (穴牟遅、奈牟知、己貴)

 

大国主の別名:大穴牟遅、於保奈牟知、大己貴

 

支 ささえる

「爾」というのは「なむじ」なんです。

出雲の大穴牟遅(大国主神)の名前の一部をいただいており、「大穴牟遅神を支える存在」の意味にしてたわけなのです。すると彼らは大国主信仰をしていたわけで、出雲人であるでしょう。

弥生時代後期にはすでに、漢字に倭語の訓読みを当てはめていたわけですが。爾という字は禰宜に通じますので、禰宜であり政務官であり、一大率のボスだったのですかね。

 

あと副官が泄謨觚と記録がありましたが、この名は「せもこ、せつぼこ」などと読まれています。かまぼこの仲間みたいですが、意味不明ですね。

しかしこちらも出雲の大国主神に関わるとしたら、こんな解釈できます。

泄謨觚 せぼこ

泄謨觚 se- bo-ko

少彦  sew-biko

少彦名 すくなびこな

謨觚(ぼこ)が彦(びこ)であるなら、大国主と共に出雲の国造りをした、スクナビコナです。

大国主の官吏がいるわけなので、大国主の相棒の少彦名命の名までも用いて、官吏の名にしたんじゃないですかね。

 

もう1人の副官の柄渠觚も、出雲人かどうか。「へくこ、へきょこ」などと読まれますが。

記紀神話出雲国の記述には、蟇蛙(ひきがえる)の多邇具久と、かかしの久延毘古が出てきます。彼らは大国主の側近でした。

ひきがえること多邇具久は、国土の隅々までを知り尽くした存在となっています。柄渠觚とは、この多邇具久ではないかと。

柄渠觚 へくこ

柄(ひしゃく)+渠(みぞ)で溝を掘る土木工事

 

蟇 ひき  hiki(ひきがえる)

柄渠 へく heku

 

渠觚 くこ  kuko

かえるの古名 kuku(具久)

溝を掘る土木工事で、水辺にいて地面を掘って冬眠する蟇蛙を表しています。溝を掘る蛙だと、柄渠觚は建設担当官ですかね。

古代には蟇蛙(ひきがえる)とは「蟇(ひき)の蛙(くく)」でした。

そのために「柄渠」により蟇蛙の「ひき」を表し、「渠觚」により「蛙(くく)」が表されているんじゃないかと。

柄渠觚が出雲系で蟇蛙の名を持つ官吏ということは、出雲の多邇具久に合わせた役職ってことになるわけです。

そうすると

出雲      委奴・伊都

出雲の大穴牟遅 爾支

出雲の少彦名  泄謨觚

出雲の多邇具久 柄渠觚(蟇蛙)

出雲の名と、出雲の建国の神々が、伊都国に揃ってることになるわけです。

 

 

なんで伊都国には出雲系がいなきゃいけなかった?

 

疑問が湧くのは当然ですね。

伊都国があった当時は、女王卑弥呼邪馬台国の統治下であったわけですが。

なんで伊都国という一大率のある重要な拠点のトップに、出雲人を配置しなきゃいけないのかと。

邪馬台国以前は、出雲が倭の本州の中心だった時代があったわけでしょう。それは記紀の神話時代を見れば、出雲についてやたら長ったらしく記されていることでも示されていますし。

それはやっぱり出雲の国譲りによって、出雲がヤマトの軍門に下ったことが理由の第一ではないかと。ヤマト王権の配下に出雲の神の名を持つ官吏がいることが証明ですね。

 

あとは、北部九州に基盤を作って全国統治を目指した邪馬台国としては、蛙のごとく本州の隅々まで知るために、本州の出雲の人材が必要だったみたいです。

出雲の国譲り後は、日本列島を隅々まで知ってる出雲人に政治を任せたほうが、安心だったんじゃないですかね。😐

なにしろ倭国乱で疫病が流行ったあと天皇がお祀りした神さまは、元々出雲の神だった大物主神だったりしたのだし・・・。

 

それには、日本の支配勢力が大陸から移動して来ている、という理由も関わってますが。古代出雲や天皇家の正体については、当ブの過去記事を見てもわかったりします。

 

ぽちされでたすかります

 

 

 

 

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わたすがカルト権力により計画的に臭い存在にされた証拠「情報入れ込み」

わたすは自分が、何らかの臭いを放っていることを否定しない。それの強弱があるにしても。その対処ができなければ、「正直スマンカッタ」と思うしかない。

 

 

しかしずっと、疑問に思っていたのだが🙄

 

世界と日本には、計画的に人々を失敗に導き嘲笑し、娯楽ビジネスにするカルト権力がいる。彼らは様々な趣向を凝らした工作を、大勢で延々と仕掛けてくる。

生まれる前から人生をコントロールされ、見世物にされるトゥルーマンショーは当たり前だった。

個人情報入れ込み、タイミング合わせて嫌がらせ仕掛けるのは当たり前、関連付けた事件事故起こし当たり前、人が死んでもお構いなし、やたらと嘲笑し罵声を浴びせからかってくるのも日常茶飯事。

計画的に妨害し失敗させておいて、「自分が悪いんだ」と思わせ攻撃するのがカルト権力の特徴だから、疑問だったんですよね。

「俺が臭いに囚われてる状態も、カルト権力による仕業なんじゃないの?」と。

 

 

カルト権力による仄めかしから探る

 

仄めかしはメディア(テレビ、ネット)、商品などあらゆる物事に、「特定のターゲット情報を入れ込む」という嫌がらせビジネス。

あらゆるカルト系の業界がやってる。わたすはずっと「仄めかし」を受けており、作品中に登場しているのは珍しくもなかった。

名前、住所番号、誕生日、日常の出来事や仕事内容など、あらゆる情報が入れ込まれ。

わたすの場合は名前のエノ、タツヤ、達、たつ、tar、tat、(中国語で達はdar)

達と同じ音の龍、竜、立など

住所の637、2202、117、

生年月日の1977、130、30、52などが多い。

以下に含まれているようでした。

 

 

トゥルーマンショー(The Truman Show)」1998年

 

 

<あらすじ>

1998年のアメリカ映画。生まれる前から撮影されて見世物にされ、世界220カ国に配信されている主人公の話。ドームに閉じ込められ、運命を操作されているトゥルーマン。周囲の人はみんな指定された役を演じて金をもらってる。

 

<仄めかしポイント>

thetrumanを逆から読むと俺の名前みたいになってる。映画の時間103分が俺の誕生日1月30日を示唆している。俺が盗撮され配信されている状況が表されている。

トゥルーマンショーのポスターが2017年以降に引っ越した現在の家に似ているし、220が現在の住所番号なのも、意図的な感じがする。未来にこの家に来るよう、運命操作がされたのではないか。

主人公の名前が、トゥルーマン・バーバンクだった。「ババ」で臭いもの関連付けがあると思うしか無い。

 

 

「メモリーズ(Memories)」1995年

 

MEMORIES (映画) - Wikipedia

 

<あらすじ>

1995年の大友克洋監督の映画作品。「彼女の想いで」「最臭兵器」「大砲の町」の三部作。

「彼女の想いで」は、宇宙船コロナのゴミ回収業者の男たちが、宇宙船の墓場でバラの形をした遭難船を発見し、エヴァというAIの幻想世界に囚われてしまう様子を描いている。

「最臭兵器」は、「人体から異臭を放つ薬」をうっかり飲んでしまった主人公が、政府の自衛隊に総攻撃を浴びながら東京を目指す話。

「大砲の街」は大砲だらけで砲撃の音がずっと鳴り響く街に住む、17番放題の一家の少年を描いた物語。

 

<仄めかしポイント>

1番目「彼女の想いで」の原作漫画は、わたすが3歳だった頃、ヤングマガジンの1980年11月17日号掲載で、30ページだった。

俺の現住所の番号と誕生日が含まれているので、これも運命操作計画があった証拠みたいだ。

彼女の想いでを直訳すると「her thoughts」発音トーツ、ターツで名前が出てくる。

 

2番目「最臭兵器」では、日本政府がなぜか製薬会社に「人体から異臭を放つ薬」の製造を依頼していることが判明している。

その試作品を主人公が飲んでしまったということで、明らかに「人為的に臭い人にされた」わけでいわゆる人災なのです。

しかも政府が臭い人を生み出すことに加担しておきながら、軍事的な総攻撃を仕掛けて潰そうとする。という理不尽な状況が、わたすの人生と結びついている感じがする。

 

3番目「大砲の街」の砲台の番号が17番で、大砲の音が鳴り響き続けるという様子も完全に一致しているところ。

この三部作はわたすに関する未来予言の仄めかしを入れているんじゃないかと思うしか無い。memories・・・メモリ伊豆。

 

 

Akira」 1982年 12月20日号 - 1990年6月25日号

 

<あらすじ>

1982年から大友克洋が漫画アキラの連載をスタートした。

第三次世界大戦後の2020年のネオ東京が舞台。金田ら不良グループは政府が研究する超能力者らと遭遇する。国家の最高機密であるアキラが復活すると、東京は再び破壊の渦に飲み込まれていくのだった。

 

<仄めかしポイント>

わたすが5歳の時に連載が始まった漫画でした。主人公の金田は、漫画の中で臭いって言われてるんですよね。それでいま俺が住んでる家は、1970年代からあった当初、何故か金田さんの家だった。2020って住所の数字に似てる。隣にはなんか盗撮を駆使して延々つきまとってくる貞子婆さんがいる。

アキラは「実験体の28号」で、何故か俺の名前たつやは1028、あるいは128の語呂合わせがされるので、関連付けがあるようだ。

 

 

「銀座に流氷の写真」1977年1月30日

 

 

カルトって、写真や映像の中にターゲットの個人情報や誹謗中傷を入れ込み、仄めかしをするんです。

たとえばターゲットを臭いと表したいなら、名前と「クサ」が含まれる看板を写し込むことで、誹謗中傷メッセージが完成する。

この1977年の写真を調べると、銀座の松屋前での撮影だとわかったのですが、まつやでたつやを仄めかしている。

しかも写真の背景にサエグサという看板があって「グサ」が入っていますでしょう。

 

流氷は「drift ice」ですが、driftの意味には「知らぬ間に(…に)陥る」と、運命操作みたいな意味があるみたいです。全部計算ずくみたいな。

「Memories」にあるような、政府がわたすのこと臭い人にする計画があったという感じがしました。

 

 

 

ロッキード事件田中角栄初公判」1977年1月

 

わたすが生まれる前にロッキード事件があり、田中角栄の初公判があったのですが。これも仄めかしみたいな事件でした。

 

 

まぁなんか汚いものに関連付けた事件なんじゃないですかね。

俺の誕生日直前に初公判。当時の田中角栄の秘書が榎本だった。しかも2月22日と住所番号で合わせ、運命操作を暗示。何にでも関連付けるらしい。

 

 

品川青酸カリ無差別殺人事件 1977年1月

 

時を同じくして、東京で青酸カリ事件が起きてました。

 

これは臭いに関連づいてないですが、「毒を入れて体をおかしくする」っていう意味で、最臭兵器やコロナ禍に共通してます。

発生日1977年1月3日、住所10-30…誕生日そのまんまですね。ここは毛利元道公爵邸だったそうで、毛利元道は毛利家30代目だったとか。

品川スポーツランドの後、地上17階建てと40階建ての品川プリンスホテルが開業したのが、1978年7月11日。ここにも17、117が。

生まれる前に誕生日が合わせられてるというのは、とても奇妙なことですが。未来予知だの、運命操作だのが使われているわけなのです。

 

他にも

 

 

 

 

 

臭くして悪者にする仕組み

 

世の中では薬害というものが昔からあり、国や製薬会社が人為的にエイズ、癌、肝臓病、脳障害、肝臓病などさまざまな症状を引き起こして問題視されてきた。

コロナ禍では「謎の柔軟剤臭に取り憑かれた人々の大量発生」がしてるのご存知ですか。個人差もあるようですが、これは薬害の一環であろうというのは想像に難くないことですが。

わたすの場合、

 

1・幼い頃に臭くなる病原菌や薬剤を植え付けられた可能性

2・病院行っても幾度となく治されないことが続いた

3・俺の行動に合わせ悪臭を発生させる工作員が存在する

4・臭くなるよう干渉されてる(薬物、電磁波など)

 

1と2が、わたすの問題点の元凶であると思うのですが。このへんは「Memories」でも政府が人体を臭くする薬の開発を製薬会社に指示していたことで現れているし。

蓄膿症が幼少からずっとあってそれが尾を引いてるのはありますが。虫歯にもなりやすくて苦労が絶えません。

病院行っても治療されなかった。これは集団ストーカーではありがちですが。間違った治療されたり。外出ると迫害されるから出られなくなったりして。それで悪化していったわけです。

コロナ禍でも病気を治されない人が続出したそうですが。

さらに漏らしたとか、ありもしない酷い噂をたてられたり、酷い目にあってますた・・・。どうしたら良いのか誰も教えてくれず、自分でも分からず、そういう状態が長く続いていました。

外に外出するのに合わせ、みんなで焚き火だの肥料だので悪臭はなったり、するんですよ集団ストーカーって。それも俺が外的要因で臭くされたことの暗示かと。

 

電磁波によって思考を読み取られたり、目をカメラにされたりっていうのは、電磁波を照射し続けていないとできないことですが。それもずっとやられてるのですが。

電磁波を当てられた人が、臭くなるというのは証明されています。電磁波を当てると、人体の癌細胞や細菌が活性化するためです。

身体に雑菌が多かったり免疫力が低いような人は、電磁波を当てられると臭くなりやすい、病気にかかりやすくなるというわけです。

だからコロナ禍に毒チン5Gを合わせて実施してるのも、関係が大ありってことです。

 

 

カルト権力が「汚い臭い」を好むことは知られた話

 

いわゆるカルトの権力というのは計画的な悪事をやりたい放題。

環境破壊し文化を破壊し、汚い臭い状態を好んでいるのが事実だ。

 

SDGSとか言ってソーラーパネルで森林破壊し毒で地下水を汚染

・福島の放射性物質を日本中に拡散して汚染を広める

・有害な5G電波を世界中に広めている

ケムトレイルをばらまいて世界中の陸海空を汚染している

・有害物質を多く含む食品だらけにしている

・花粉が大量にでる針葉樹を植えまくって花粉症を拡大させた

・電柱電線を使いまくって環境を汚くしている

・世界中の海から山まであらゆる場所をゴミだらけにしている

・毒チンをうちまくって病気と体調不良を拡大している

・人体から謎の柔軟剤臭が大発生してるらしい

 

まぁこんな感じで。人体に対しても汚くする、病気にする、臭くするということをやっているじゃないですかね。

それで俺は羅針盤のような、未来を暗示するような役割りも担わされていたらしく、人類に先駆けてやられてました。

こんなふうに。

 

すると「わたすは生前から、カルト権力によって人為的に臭くされる計画を実行されていた」ってことになると考えて、おかしくないなと、想像するんですけどね。

まぁ色々と関与して来た人なら、割とご存知だったりするでしょう。

「じゃあ何かい?あんたはそんなに影響力ある重要人物なのかい?」っていう話しですが。わかりません。金づるという意味で重要なのか、悪の仕組みや悪人をまとめて炙り出せる要素としてなのか。それとも他に意味があるのか?

 

以上本日の想像でした。

 

 

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ほんとうの敵の見分けは、2020年以降には簡単になった

世の中のほんとうの敵の存在は、2019年頃まではなかなか見分けられませんでした。

極悪非道な連中って、表向きはマトモなふりして、裏の見えないところで悪事を進めるみたいな習性があるもんだから。

しかし2020年以降は分かりやすくなって、お子様でも見分けが簡単になりました。

 

 

ほんとの敵を見分ける方法

 

以下の要素で、神に仕える狛犬に噛まれる敵が誰かがわかるでしょう。

 

1・あなたを不健康に導き、命を奪い取る毒物を与える奴らが敵だった

(食べ物や水を添加物や農薬や危険な薬剤や細菌だらけの毒まみれにし、人体に毒を注射する)

 

2・環境に毒をばらまいてる奴らは敵だった

(放射性瓦礫、ケムトレイル、5G電波で異常発生や脳コントロールSDGSソーラーパネルで地下水汚染、衝撃波爆音とばす)

 

3・あなたを困窮に追い込んでくる奴らは敵だった

(税率50%越え、低収入化、食べ物もろくにない人々、生活保護もらえない人々の発生)

 

4・私利私欲を満たしている偉い人と取り巻きは敵だった

(偉い人と関係者は給与up、毒入れに関わると利益得られる、悪事参加でキャッシュバック受け取り、公的資金を私物化)

 

5・あなたの人権を奪い取り、外国人ばかり優遇する奴らは敵だった

(イジメ正当化する、基本的人権を無視する、緊急事態条項すすめようとする、移民推進、外人参政権推進)

 

6・支配欲が強い奴らは敵だった

(やたら行動管理、カメラだらけにし監視、マイナンバー、ICチップ、盗撮して支配しようとする。日本の土地を買い漁る外国人も、やたら嫌がらせ仕掛けてくる人も)

 

7・あなたを悪に誘導する奴らは敵だった

(犯罪行為に誘ったり、盗撮嫌がらせ集団ストーカーに参加させたりする)

 

8・電波であなたをコントロールする奴らは敵だった

(電波で行動や思考をコントロールする、メディアで洗脳する)

 

他にも色々あるだろうけども、代表的なところはこんな感じかもしれま千円ね。わかりやすいですね。

 

 

 

不幸まみれにする敵の正体はカルト権力

 

九字護身法 - Wikipedia

 

こうした人々を不幸まみれにする敵対行為を全部やってるのが、カルト悪魔崇拝DS統一自◯党◯府のカルト権力であるのだった。

そのことは国民も分かってるらしく、インターネットでのキッ◯ー支持率は0%~5%、高くても10%程度しかない。

しかしカルト権力側は、西側DS悪魔崇拝カルト親分どもに認められたいため、人々を不幸に導き人口削減を進めるため、私利私欲を満たすため、日々力を注いで頑張っているらしい。

新聞テレビなどの極悪メディアはカルト権力の手下なので、40%とか50%とか捏造した支持率を提示して偉そうに振る舞っている。

SNSでもカルト権力を応援する声がやたら多いのは、動員かけられていたり、騙されている人々が多いためかもしれま千円。

 

カルト魔物に敵対して改善の行動を進めている人々が、人類の希望であり善意なのではないだ廊下。そのへんをちょっと考えたほうがいいんでは内科。

まぁこういうこと書いてると、カルト権力からお仕置きされたのが従来の世界だが、カルトの奴らに人生滅茶苦茶にされているし、もうボコボコにされようがどうでも良い。カルト権力の消滅を願うのみ。

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。 沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。

カルト悪魔崇拝DS統一自◯党◯府のカルト権力の消滅祈願。

祓い給え清め給え~、悪霊退散~、おんまりしえいそわか~、臨兵闘者皆陣烈在前~、南無阿弥陀仏~。

 

 

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板付遺跡と平塚川添遺跡は完全に結びついてる件

今回も従来の遺跡の調査では、知られてなかった謎を解明しています。

 

 

板付遺跡

 

板付遺跡 - Wikipedia

 

まるで堤防が取り囲んでいる遊水地みたいな円形の広場。ここが弥生時代の輪壕集落の跡である、板付(いたづけ)遺跡でした。

板付遺跡は福岡市博多区板付にあり、縄文時代晩期から弥生時代後期にかけて営まれた遺跡だそうです。環濠自体は弥生時代初期なのかもしれないですが。環濠集落としては日本で最初期のものだとか。

 

調べてみると、江戸時代以前にこの場所は筑紫国那珂郡の板付村でした。

那珂郡 (福岡県) - Wikipedia

那珂は「奴国」の名が残ったものではないかと見られ、弥生時代には倭奴国、伊都国(もしくは倭の奴国)の領域だったようですた。

奴国 - Wikipedia

 

それで、もし板付村が古代からあった地名だとすると、思いつくことがあるんですが。

板付とは「いた付」で、「いた」も那珂と同じく、「倭奴国、伊都国」の名残りかと思ったりするのです。

つまり倭奴・伊都に付いている村だから、「いたづけ(倭奴付)」となって、その名が江戸時代までに板付になり現代まで残っているんだろうと。

まぁ想像に過ぎないですけども。

 

 

板付遺跡は平塚川添遺跡と深く関わる

 

輪壕は左右対象な楕円形をしてるので、吉野ヶ里遺跡や平塚川添遺跡と同じく、中心軸を導けました。

 

これをずーっと伸ばしてみると、26.2km先で平塚川添遺跡に当たったわけなのですよね。これについては何処にも仮説がなかったです。

板付遺跡と平塚川添遺跡が結びつくのは、当時の国策みたいな感じで、複合的な計画なのだと思いました。

 

 

2つの遺跡がむすびつくので、板付遺跡の技術者らが関与し、平塚川添遺跡の測量やら建設に関与しているような気がします。

この近くには那珂遺跡群などもありますが、巨大な環濠はここだけなので、有力者の政治の中心であり、住居兼用だったと考えられますね。

板付遺跡というのは奴国の有力者であった兕馬觚(じまこ)、副官の卑奴母離(ひなもり)らもいたし、当然ながら卑弥呼も立ち寄っていたんじゃないかと思いますけども。

想像が膨らみます。

 

 

 

 

ぽちされでたすかりまs

 

 

 

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筑紫の平塚川添遺跡までも、大三輪山と大物主神を信仰する卑弥呼の拠点だった件

佐賀の吉野ヶ里遺跡の統治者の信仰対象は、三輪山の大物主神だった証拠

 

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筑紫の平塚川添遺跡までも、大三輪山と大物主神を信仰する卑弥呼の拠点だった件

この前は佐賀の吉野ヶ里遺跡が、大三輪山を指し示すことをお伝えしました。

今回は福岡の平塚川添遺跡も、まったく同じ役割なんじゃないか?という不思議なお話。

しかしカルト権力の連中が植え付けられた、臭い攻撃とうるさい攻撃によって精神的に削られている。

 

 

平塚川添遺跡とは

 

筑紫平野の朝倉の平野部にある、平塚川添遺跡。弥生時代中期から古墳時代初頭(紀元前1世紀~西暦4世紀)にかけての多重の環濠集落遺跡でした。

1990年ころ、工業団地の造成中に発見され保存復元に至ったらしい。

竪穴式建物300軒、掘建柱建物100件と大規模。すぐ近くの集落も含むと倍の規模だとか。吉野ヶ里の集落と並んで当時の拠点だったそうです。

 

 

中心軸を求めて線を引いてみると大三輪山に向いていた件

 

この多重環濠、最初はいびつな形だと思ったのですが、最近よくよく見ると左右対称に見えてきました。何か吉野ヶ里遺跡の北内郭と同じく、形に意味があるような。

左右対称となれば中心軸を求めたくなるのは、箱があったら入りたくなる猫同様に自然の摂理。

水色の線が左右対称に見える環濠です。

なにかまるっきり「牡蛎(かき)」みたいな形してました。牡蛎の画像を検索して見たら貼る気が湧きませんでしたが・・・。

真ん中にオレンジの線を引いてますが、これはここから北5.4kmほどのところにある、大三輪山(小鷹城山)の頂上に向けて引いた線。

ちょうど環濠を、左右にきれいに分割できるところに通る。

 

次の図は広域的なものになってます。

こうして環濠の中心軸の線を北に伸ばしていくと、平塚川添遺跡が大三輪山に向いてることは明確なわけです。

その理由は、彼らにとっての信仰対象だったからではないかと。

 

三輪山といえば奈良の三輪山と同じ名前。

筑紫平野一帯は、古代から奈良盆地と同じ地名が並ぶところでした。だから「奈良の三輪山の前身」だった可能性があります。筑紫平野の奈良的地名が、奈良盆地に移された証拠の1つなんじゃないですかね。

古来より奈良の三輪山では大物主神を祀ってたので、大三輪山でも同様に大物主神を祀ったと思われます。

その証拠としては、大三輪山のそばに大巳貴(おおなむち)神社があること。この神社は大国主神を祀っていますが、大国主神の別名には大物主神が含まれているのも一致点。

日本書紀」によれば大物主神は神代のころ、出雲の大国主の元に渡来した神で、三輪山に移ったとの伝承があります。

崇神朝では疫病や反乱が起きてましたが、これが「魏志倭人伝」の倭国乱、倭国大乱と同じ出来事なんだろうという感想です。疫病という病が起こったので、「邪馬壱国=病国」と表しているでしょう。

その崇神天皇のご時世の混迷の時、倭迹迹日百襲姫命が神懸かりし、三輪の大物主神を祀り、神主に太田田根子を用いれば疫病は収束するとのお告げがあり、それを実行して混乱を鎮めたとか。

つまり大物主神崇神天皇直々に歓迎した神であった。当時の都や瑞籬宮(みずかきのみや)といった宮殿の場所は、きっと大三輪山の近くにあったたと、言えるんじゃないですかね。

「和名抄」によればこの付近は律令制下では上座(かみつあさくら)郡と下座(しもつあさくら)郡となっていて、その「座」の名からは「高貴な人物の座する所」といった印象も受けます。

 

そうすると平塚川添遺跡がなぜ「牡蛎」の形であるかを考えたらいいんですよね。

瑞籬(みずかき)とは、水牡蛎であるから、拠点を牡蠣の形にして名前を表してるんだろうという感じがします。

 

ダークフィン水かきグローブ

 

 

西方の吉野ヶ里遺跡との関係

 

前回の記事のほうでは、吉野ヶ里遺跡の主要部である北内郭が、大三輪山を指し示す話をしました。

いっぽうで平塚川添遺跡も左右対称であり、大三輪山を指し示す意味で全く同じでした。

弥生時代後期の筑紫平野の2大拠点都市が、どちらも大三輪山を示しているのは、この平野一帯が、大物主神を信仰した証拠である感じがします。

そして両遺跡の統治者が、同一権力だったことの現れです。

それは倭国乱、倭国大乱時に崇神天皇大物主神を祀ったことに、由来するんではないかと思うわけですが。すると邪馬台国はこのへんにあり、その中枢が平塚川添遺跡、吉野ヶ里遺跡だと、言える気がします。

以前の記事では平塚川添遺跡が磯城の瑞籬宮であり、吉野ヶ里遺跡が桑間宮(くわまのみや)であるとしました。

個人的に言うと崇神天皇とは「賢しき后」なので女性天皇であり、女王卑弥呼の男装した姿です。

 

 

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わたすが運命操作されてる証拠 住居にも見つかる件について

わたすが運命操作された証拠は、これまで住んでた家にもあったんですけどね。

今回はその話。

 

 

秋様との関係

 

House (1977 film) - Wikipedia

 

この前ネットニュースで、赤◯御用地の秋◯宮邸が改修したとかいう話を見たのですが。その画像を見て気づいたのですよね。

秋邸の正面の見た目が、なんか俺が今住んでる家に似てることに。

 

 

秋邸、実家、別荘地の家と関連があったようで。

時系列で言うとこうなってました。

1965年 秋の誕生日11月30日

1972年 東京赤坂御用地に秋邸を建築、正門は巽(たつみ)門

1976年 静岡に別荘地の家を建築(今住んでる)

1977年 俺の誕生日1月30日

1979年 埼玉に実家建築(御用地秋低の真北)

 

時系列的には、必ず秋様が先、俺が後の形となっている。

秋様と俺の誕生日が一致しているんですよ。

そして秋邸のある赤坂御用地と実家住居の東経が一致(厳密に言うと迎賓館)してるんですけどね。

さらにいまの住居の見た目が似てたのです。しかも秋邸と俺は「たつ」の名で一致していました。

そういえば以前住んでたアパートと今の住所が偶然似た数字でしたし。

あと引越し先の家のキッチンは今はなき「mikado」製で、菊の御紋の三島鍋が残してあったんですよね。それも暗示だったのかと。

 

・・・偶然じゃ起こらないんではないかと。

 

 

奇妙な一致の数々は見つかってる

 

 

トゥルーマン・ショー(通常版) [DVD]

 

それに加えて俺が生まれた時には以下のような一致も。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ずっと調査しているのですが、こんな要素だらけです。1つ2つなら偶然んだけど、幾つも一致すると必然、計画的人為的なのではないかと思うのですが。

俺が失敗や駄目なことだらけで不幸に落とされているのは、偉い人カルト権力の計画的な運命操作の結果という感じがしてるわけなのです。

まぁカルト権力はこの世界では何でもできるし、どんな悪事もやりたい放題だし。

わたすはトゥルーマンショー同様に集団ストーカーが大勢つきまとい、盗撮されまくり、世の中のあらゆる場所でネタに使われているし。俺じゃないのに一々俺のせいにされて意地悪されてきたし。

 

「偉い人カルト権力がトゥルーマンショー集団ストーカー計画をたてた。いじめ娯楽ビジネスである。盗撮、電磁波による五感盗撮や思考盗聴、毒物、悪の医療、エキストラでの誘導、妨害や嘲笑など色んな方法を駆使して、俺が不幸になるよう、一々失敗したり臭くなったり悪者になるよう、運命操作をおこなっている。俺が人間関係が嫌になって、別荘地のこの家に住むように誘導した。」

という感じではないかと。過去の詳しい話については関連記事で。

以上本日の妄想でした。

 

 

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わたすが幼少からトゥルーマンショーされてることの証明

ワタスが計画的人為的に汚い臭い存在にされたことの証明

かけられた呪詛(0歳から汚いものにされて40代までフルボッコされた件)の解読

生まれる前から決まってたらしき俺の運命

 

 

投げ銭

 

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どちらか。貧乏人に投げ銭お願いします。

 

 

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わたすが幼少からトゥルーマンショーされてることの証明

「常に誰かに見られてて、運命が操作されてる」

と言えば、過去の自分をイイワケしてるんだとか言われるかもしれませんが、これは事実なのではないかと。

過去にもその証拠は見つけてましたが、映画「トゥルーマンショー」の中にも見つけることができました。

 

 

トゥルーマンショーとは

 

The Truman Show - Wikipedia

 

映画「トゥルーマンショー」はアメリカの映画で、公開されたのは1998年6月5日のことです。日本では同年11月14日に公開されていました。

その当時のわたす、絶望的な日々を過ごす18歳だったかと思いますが。

 

主人公のトゥルーマン・バーバンクが生きる世界は、シーヘブンと呼ばれる島でしたが、実は巨大なドームに作られた人工世界なのでした。彼は生まれる前から作品の主人公と位置づけられ、支配者によって運命をコントロールされる存在でした。

 

トゥルーマンは幾つものカメラによって常にあらゆる場面を盗撮されており、全世界220カ国に配信されるリアリティ番組で、見世物とされていたのでした。

したがって彼の周囲で起こる出来事は、全てが支配者によるヤラセ、マッチポンプで発生しており、関係する人々はみんなヤラセのエキストラだったのです。

 

しかしある時に空から照明器具が落ちて来たり、死んだはずの父が登場したりするので、トゥルーマンは世界の異常性に気づき始めます。

そしてこの世界から脱出することを決意。ヨットで海に乗り出すと、世界の壁に突き当たり、そこにあった出口から脱出していくのでした。

その最後の印象的な場面が、映画の宣伝用の画像になっています。

 

 

映画の宣伝用の画像・・・仄めかし、未来の予言

 

ある時にトゥルーマンショーを検索してたのですが、宣伝用の画像を見つけた時、あっと思いました。

「これって俺が今住んでる家みたいだ」・・・と。

 

以前からメディアやSNSの仄めかしでも、俺が今住んでる家みたいな画像がよく取り上げられてたのですが。

今の家は俺が生まれる少し前からある中古住宅で、昭和に建てられたものでしたが。まぁトゥルーマンショーと、俺の家が一致するということは、「生まれる前から運命を操作され全てを撮影されている」という状況の示唆のようですね。

それにこの家、俺の誕生日を示唆する情報が入っていたりするんですよね、生まれる前からある家なのに・・・。

 

自分にとっては、ここに来る未来が作品の中で予言されていたような感じなのです。

「社会が嫌になるような状態を作り、田舎に住みたいと思われ、現在地に誘導する」

カルト権力は、こうした運命操作をやってたのかと。まぁずっと気づかなかったんで、どうしようもなかったですが。

 

あと、トゥルーマンが出ていった出口がこの家のドアならば、この家は「世界の出口」に通じているのかと思うわけですが・・・。

その出口の発動方法、どこに繋がっているのかは不明ですけども。

 

 

映画の情報でも気になることがあり

 

 

まぁ自分の名前と誕生日が入ってるように見えてしまいましたね。

220カ国というのも、今の住所番号に含まれてるし。

 

 

まぁ世間的には「そんなバカなことあるかよ」的な、摩訶不思議な話になるかもしれないですけども。

電磁波による思考盗聴、視覚盗撮を駆使して、先回りをしたり邪魔したり、

そういうこと日々やってる集団ストーカー参加者、集団ストーカー被害を日々受けてる人は、理解できるかと思いますが。

 

俺の生きる世界はトゥルーマンショーであり、カルト権力によるマッチポンプであり、全ての出来事はヤラセ、集団ストーカー劇団員エキストラだらけの世界。

そうすると俺が臭いに囚われたことも、最初から仕組まれたヤラセな気がしますが。その話もします。

 

ポチされでたすかります

 

 

 

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佐賀の吉野ヶ里遺跡の統治者の信仰対象は、三輪山の大物主神だった証拠

吉野ヶ里遺跡の「北内郭」という謎の環濠のエリアがあるんですよね・・・。

これは明らかに左右対称のへんな形で、やはり意味があるわけなのです。2017年の電子書籍でも取り上げてましたが、改めてこれについて考えてみました。

 

 

三輪の大物主神との繋がりを示唆する吉野ヶ里遺跡

 

 

吉野ヶ里遺跡には、左右対称の形をした変な環濠エリア「北内郭」があるのですよ。

その変な環濠のエリアですが、横向きにした「ぐでたま」形というか、ディスクシステムのキャラ「ディスくん」みたいというか。左右対称で手足のあるような、変な形をしてるのです。

手足の部分には物見やぐらが4カ所に置かれてまして、中央付近に大きな建物があって、明らかに吉野ヶ里遺跡の中枢といった復元がされていますが。

ここがおそらく国を代表する長っさん(おっさん)の政治の拠点で、会議場で、神殿とかの役割をもった複合的な施設。そんな感じします。

内郭で内閣というわけで、駄洒落を意図してるんでですかね・・・。

 

それで、左右対称ということは、当然のごとくに線を引いてみたくなるものですが。

この環濠エリアに中心軸を引きまして、その延長線上をずーっと辿って行くのです。するとなにか意味がある情報が、見つかるんじゃないかと思うわけです。

 

これは古墳の中心軸を導き出し、それを矢印として延長していくと、線上に複数の情報が見えるという「前方向法則」を適用してみたわけですが。

以前にその前方後円墳電子書籍「封印された叡智の回復」を書いたのは2017年のことでした。暇がなくて疲れて続きが書けないのがアレですが。

するとその矢印の27km先には、福岡県筑前町の「大三輪山(小鷹城山)」と「大巳貴(おおなむち)神社」があったりするんですよね。27km離れてるのに、寸分の狂いもなかった。

 

三輪山といえば、倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)のエピソードで知られる山ですけども。

奈良県にある三輪山というのは、大物主神を祀る大神神社大神神社)の神名備、御神体だったりします。大巳貴命といえば古来より、大物主神と同一視されたりもするんですよね。

筑紫にも三輪山があったということは?

いま三輪山奈良盆地にありますが。実はそれ以前には、筑紫にも大物主神を祀る三輪山があったということ。その名残りが筑前町の大三輪山ではないか?と思うわけなのです。

それは邪馬台国がもともと筑紫平野にあって、後に奈良盆地邪馬台国が移っている証拠だと思われます。

筑紫平野の地名と奈良盆地の地名はそっくり同じであることは、「天照大御神卑弥呼である」(安本美典著書)に解説されていました。

この筑前町の大三輪山のそばには、おあつらえ向きに「奈良」という地名(小字)までありますし。筑紫に加えて佐賀の平野部も、邪馬台国だったんじゃないですかね。

 

あと以前にも、奈良の三輪山、筑紫の大三輪山の見た目まで、瓜二つな事実も突き止めていました。

以下はグーグルのストリートビューからいただいた画像でございますが。

卑三輪だったかもしれない卑弥呼と三輪山の地形から求める邪馬台国の所在地

 

昔の人が「ここは三輪山に似てるから三輪山にしよう」と考えたのは明らかですね。例えて言えば、マイケルに似てる人がマイケルと呼ばれるみたいなものですよ。

 

色んな要素が合致しているようです。環濠の方角、山の名、山の地形。

吉野ヶ里遺跡の変な環濠の中枢施設が、大三輪山と大物主を指し示すということは、その信仰が三輪山信仰、大物主神信仰であったからに他ならぬと考えてしまいます。

 

 

封印された叡智の回復 (1): 前方後円墳と神社に秘められた矢印機能 (たっちゃんの古代史とか出版)

 

 

すると吉野ヶ里遺跡の拠点にいたのは崇神天皇時代の皇族

 

すると吉野ヶ里遺跡の王というのは、三輪山と大物主信仰に関わる人々であると推測できるわけです。

古事記」を見ると、弥生時代後期頃の当事者が誰なのか、というのは分かることがあります。

三輪山の伝説の主人公は、孝霊天皇の皇女で巫女である倭迹迹日百襲姫命であり、このかたが卑弥呼なのではないかという説が根強いです。

倭迹迹日百襲姫命は神懸かりによって、大田田根子(おおたたねこ)を神主として大物主神を祀れば、疫病は収束すると言っていました。

この時代の統治者は崇神天皇でした。崇神天皇といえば「古事記」では「賢しき后」とあって、后=女性で女帝が示唆されているのでした。

崇神天皇が女帝ということであれば、女王卑弥呼と同一人物じゃないかという説は、個人的に持ってたわけですが。

なにしろ「魏志倭人伝」には当時の倭の頂点は女王だったとしか書かれてわけないわけですし。

女王卑弥呼が男装して崇神天皇というのは、「日本書紀」で天照大神神功皇后が男装したのを見ても間違ってなさそう。

舎人親王による編纂の「日本書紀」では、神功皇后条に卑弥呼と壱与の記述があるんですよ。まるで神功皇后卑弥呼+壱与のように書いてます。

しかし神功皇后は4世紀の天皇のような存在であり、卑弥呼とは100年の差があるんで、ちょっと別人28号な感じがいなめ茸ですよね・・・。

ただ神功皇后卑弥呼であるという舎人親王の解釈には、卑弥呼天皇だったことの示唆が含まれてるようです。

 

あと、大物主神が祀られた時は百姓が反逆したり疫病が流行してたそうです。

それが邪馬台国が別名で、「やまい国(邪馬壹国)」である元になってる気がしますし。

邪馬壹=病(やまい)なんですよ。邪馬壱国って、弥生時代の駄洒落だったんですよ。

後漢書」や「魏志」にある倭国大乱、倭国乱というのも、大陸からの移民が押し寄せたことで起きたであろう出来事な感じがしますし。色々と、魏志倭人伝崇神朝の世界観は合致しているのですよね。

吉野ヶ里遺跡には、当時の女王(天皇)を中心とした、記紀に登場する主要メンバーが集ってたんじゃないかなと。想像してしまうのですが。

 

・・・

そういえば平塚川添遺跡も同じように大三輪山を指し示す、環濠遺跡あるのですよね。平塚川添遺跡こそが、崇神天皇の瑞籬宮だったと思ってるわけですが。

すると吉野ヶ里遺跡は、崇神天皇の桑間宮じゃないかという想像は過去にしていましたが。

次回は平塚川添遺跡など、周辺の環濠遺跡を交えて掘り下げて知られざる話を進めます。

 

 

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